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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 

秋風に

 楚々とゆらめき

     燃える火は

  彼岸へさそう

    松明の花

 

染めと織の万葉慕情76

  旅にすら紐とくものを

   1983/09/23 吉田たすく

 

 

 下紐の歌のつづきです。

 夫婦のちぎりのしるしに結ぶ下紐であれば長い草枕の旅の夜でも、下紐を解かないで一人で丸寝をする事が、当時の夫が妻への恋心というものであったのです。

 二人して

  結びし紐を

    ひとりして

 我は解き見じ

  直に逢ぶまでに

 妻と二人で結びあって旅に出た君にないしょで、一人で別の女と紐を解くような事はしないよ。 直接に君にあうまではという歌があるように、二人のちぎりは純情の清い心でむすばれた歌です。

 万葉の男たちは皆このような人たちばかりだったのでしょうか。万葉を読んでるうちに次のようなおもしろい歌が見つかりました。

先週ものせた 笠朝臣金村の

 紐解かず

  寝(い)も(寝)ねずに

   妹をただかに恋ふる

と詠ったその人の歌ですが、実はなかなか粋なあそび心のある人だったのです。

 三香の原旅の宿りに

  道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言間はむ よしのなければ 心のみ せむつつあるに 天地の 神の言寄せて しきたへの 衣手かへて 自妻(おのつま)と 頼める今夜 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありてこせぬかも

 旅のかり寝のおり、道で出あって、遠くに見るだけで言葉をかける。きっかけがないので、心の中でむせび泣きしてばかりいたところ(旅先きの土地で美しい娘子に一目ぼれしたのでしょう)、天地の神の口添えで(勝手なうまいことを言うものです)。

 袖を交わして、かりの妻として思い頼んだ春の今夜は、秋の夜の、

百夜分の長さであってくれればいいがなあ。旅さきで娘子との出会がよほどよかったと思われます。

 このような男の気持ちは万葉時代も現代もちっとも変わらないのがおもしろいところです。

この歌の事を頭にうかべて読むと、歌人の気持ちのわかる歌がもうひとつありました。

問答歌です。

 旅にすら

  紐解くものを

    言繁み

  丸寝ぞ 我がする

   長きこの夜を

 郷では妻と夜ごと紐解くのだが、旅先では人は、他の女と紐解くものらしい。 けれど私は人のうわさがうるさいので、この長い夜を一人丸寝をするんだよ。

妹(妻)これにこたえて詠う。

 しぐれ降る

  暁月夜(あかときつくよ)

    紐解かず

  恋ふらむ君と

   居らましものを

 しぐれ降る暁の月夜に紐を解かないで、恋してくださるというあなたと、いっしょにいられたらどんなによいのにね。

 紐結ぶ紐解くと小さな織布をつかって夫婦の愛の問答歌がくりかえされるのです。

 

   (新匠工芸会会員、織物作家)

 

昨日は雨でした

 

 長月の

  しぐれの雨の

   山霧の

  いぶせき我が胸

   誰(たれ)を見ばやまむ

      〈詠人知らず〉

 

長月の時雨の雨で山に霧が立ち込んでいる

 そんな風に鬱々としている私の胸の内は、誰を見れば晴れるのでしょうか

 

 憂鬱な雨 どこにも行けない

 

 今来むと

  言ひしばかりに

    長月の

  有明の月を

   待ち出でつるかな

 

 あなたが「すぐ行くよ」と言われたので私は九月の夜長を待ち続け、そしてとうとう明け方になり有明の月が出てきてしまいました。

長い秋の夜長を、空が白々と明けるまで待っていて、ついに待ち人が来てくれなかった女の寂しさを表現していますが、

女性にこんな思いをさせては行けませんね。

 

 あなたの待ち人は現れましたか?

 

さて、長月の生花

 

 

花材

孔雀草

ハナトラノオ(花虎の尾)

クルクマ

鶏頭

八手

 

 クジャクソウの花言葉は「いつも愉快」「ひとめぼれ」「可憐」です。たくさんの花がつく様子から、「いつも愉快」「ひとめぼれ」。

「可憐」は花自体の小さくかわいらしい様子からつけられました。

ハナトラノオ(花虎の尾)

花言葉は「希望」「望みの達成」。

「クルクマ」花言葉の「あなたの姿に酔いしれる」や「乙女の香り」は、美しく幻想的な雰囲気を持つハスに似ていることからつけられました。

ケイトウは「鶏頭」と書き、雄鶏のようなトサカに似ていることから個性を象徴する花言葉がつけられました。花言葉は「風変わり」「おしゃれ」「気取り屋」「個性」「風変わり」「色あせぬ恋」です。

それぞれに特徴のある花々

下手な活け方ですが、

あなたはどの花がお好みですか

 …………………………

 花器 銘 「双龍」 2015年作

大地に眠る二頭の竜が目覚めて頭をもたげようとしているイメージで造りました。

落書きT

孔雀

世界を飛び活躍する孔雀明王の様に

 飛翔しすぎたいとは思わない

もっと素朴に

  大地を彷徨い

   野を彷徨い

 四季七十二候

  この永遠の変化と共に

   野に塗れ(まみれ)

    野の花達と生きていきたい

  下手の下手絵もまた楽し

 …………………………

クジャク等キジの仲間は卵や雛を守るために毒蛇やサソリ等の毒虫を攻撃する習性から、邪気を払う象徴として「孔雀明王」の名で仏教の信仰対象にもなっています。

ヒンドゥー教では、孔雀はスカンダという神の乗り物であり、インドの国鳥ともなっている。クルド人の信仰するヤズィード派の主神マラク・ターウースは、クジャクの姿をした天使である。

 また、ギリシア神話においては女神ヘーラーの飼い鳥とされ、上尾筒の模様は百の目を持つ巨人アルゴスから取った目玉そのものであるとする説がある。

苔の緑の美しい公園

  苔独特の湿り気を帯びた草の冷たさの香り

   心の癒しの香りだ

  ここに

   パフュームの臭い

どんなに美人でも

どんなにスタイルが良くても

どんなに綺麗な服を着ていても

 これ以上の醜はない

 美を完全に駆逐してしまう

  世界の破壊者だ

なぜ こうなるのだろう

 トイレをきちんと掃除しなくて汚いから消臭剤や芳香剤を使ってごまかす

気をつけて掃除すれば臭いなど付かないのに

不潔の冴たるものだ。

体も同じ。

 食事と生活に気をつければ変な体臭などしない

臭いがないということは

 何よりも重要で

  何よりも高貴で

様々な良い匂いをいつでも感じられるということなのに

 どんなに素晴らしいことかを知ってほしい

 

今はコスモスが丁度満開になる時期

3月14日ホワイトデーに始まった愛から半年たった日に、恋人同士がコスモスを添えたプレゼントを交換して愛を確かめ合う日といわれています。

 僕も彼女と一緒にコスモス群生を歩き 一輪手折って 渡した

  遠い空の彼方の思い出です。

 原産は熱帯アメリカで、メキシコからスペインに渡りマドリード王立植物園に送られ「コスモス」と名付けられます。

 日本に渡来したのは、明治 12 年頃に東京美術学校の講師として赴任したラグ-ザという人によってヨ-ロッパから伝えられ「秋桜」と銘々されます。

 読み方は、「あきざくら」又は「しゅうおう」です。

 今では「秋桜」と書いて「コスモス」と読むのが一般的ですが、「薔薇」をローズとは読まないように、「秋桜」をコスモスとは読みません。

「コスモス」と読むようになったのは、昭和52年18歳の山口百恵が歌った「秋桜」の作詞作曲をしたさだまさしが「秋桜」を「コスモス」と読ませたところから始まりました。

いい歌で僕もコスモスを見ると自然にメロディが浮かんできてしまいます。

 

♫淡紅(うすべに)の

 秋桜(コスモス)が秋の日の

  何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている

この頃 涙脆(なみだもろ)くなった母が

庭先でひとつ咳(せき)をする♬

 

「今では「秋桜」を何の疑問もなく「コスモス」と読むようになりました。

 …………………………

「コスモス」が食べられるのをご存知ですか?

香りはシュンギクに似ていて、味はキクのように苦みがあります。

 私の「恵那の野山の 蕎麦懐石」ではこの秋桜が咲いている今だけのお楽しみで、秋桜の花びらだけをアレンジしてアミューズやアペリティフでお客様にお出ししています。

 

 秋桜の

  花びらの味

   恋の味

 淡くやさしき

  想いを胸に

 

 

秋風に

 海の憂鬱

   まといきて

  三すじ衣に

   託す不二山

 

 

 中津川市にある麹を使った料理店
 麹は日本古来の甘酒や味噌、醤油、漬物、日本酒など日本の食文化を担ってきた重要なものであり、調味料でも様々使える。そして発酵食だから健康にすごく良いのです。
麹料理 こちらではどんなものが食べられるのかどんな味なのか行ってみました。
 実を言うと、現在の店ではなく、引越しする前のお店に一度麹料理のお店があるというので8年位前に興味を持って一度行ったことがありました。その時は、家庭の料理上手な方が麹を使った料理という感じだったのでまあこういうものかと思っただけでした。
 今回 コロナ騒ぎを乗り越えて8年も続いているのだからどんな感じになっているのかな?っとお邪魔して見ました。
メニュー
こうじの恵みランチ1150円
こうじの恵みランチ ミニ600円 ミニミニ400円
こうじの恵み弁当1000円
3種類ですが、実質一種類ですね。
デザート
コーヒー・紅茶100円
甘酒フローズンヨーグルト400円
自家製シロップ400円
 ワンプレートランチでメインが日替わりで唐揚げやハンバーグに変わる様です。
 
左から
切り干し大根
昆布の炊いたの
納豆と人参と麹の煮物
卵焼き
おひたし
トマト
唐揚げ
中央に大豆の煮物
デザート付き
ほぼ全ての料理に麹、塩麹、醤油麹などが使われています
 
お味噌汁も発酵食品
お味噌汁は、茄子、油揚げ、榎茸
ご飯は白ご飯。 大盛り 中 小とあり、小をお願いした。
納豆と人参と麹の煮物
クラッシュした納豆。 粘りがありお箸では取りにくいがいい味をしている。
 切り干し大根はヒジキ、人参、蒲鉾か竹輪が入っている。
美味しい。
蒲鉾か竹輪は入っている量が少なめで、魚の練物特有の生臭みや生臭い匂いが出ていなくてよかった。塩麹で味付けをしているので、麹の作用で生臭みが幾分消えたのだろう。
デザート 甘酒フローズンヨーグルト
美味しくいただきました。 
8年という年月を経て 素晴らしく美味しくなっていました。
 この味で1100円とは!
とても安いですね。4割アップ1500円でも十分だと思います。
コーヒーを付けても1200円
美味しくて栄養バランスも良く健康食
素晴らしいですね。
 …………………………
 ご飯について
白いご飯も銘柄や炊き方によってすごく美味しいものですが、
今回の様に麹を使った様な大地の味に近い料理にはミネラル感のないサラッとした味の白米より、雑穀米や玄米入り、古代米、押し麦入り等ミネラル感のあるご飯の方が相乗効果で料理ももっと美味しくなっただろう。
 一番合うのは黒米や赤米等の古代米で炊いたご飯だが、これで食べると本当に美味しい高級料理になりますね。コストがかかりすぎるのであれば古代米を減らすか、白米に玄米30%くらい混ぜただけでもプリッとした食感とミネラルアップで美味しくなる。(三分搗きの玄米より白米に玄米3割の方が食感も良く美味しいです)
余談ですが
 最後にコップの水を飲もうとした。
コップは透明で傷もなく硬くてガラスの様で分からなかったが唇に触れた瞬間プラスチックだというのがわかった。たった唇に触れただけだが水が不味い。唇は特に敏感だから飲み物の器はガラスや陶磁器に限りますね。
 ワインを飲む時ワイングラスの形状で味が全く変わると言うことをご存知の方も多いと思いますが、プラスチックとガラス程の差は出ません。
 …………………………
こうじキッチンこぎちゃん
中津川市茄子川2033-1
営業時間:11:30~14:30(14:00ラストオーダー)
休業日:日・月・火 祝祭日

 

染めと織の万葉慕情75

  紐解かず

   1983/09/16 吉田たすく

 

 下紐の歌のつづきです。

共寝の朝、互に結びあって別れて行きつぎの夕、解きあう紐です。 翌日なり、数日後までの結びならばよいのですが、長い旅出の時など二人で結びあう気持ちはどんなだったでしょう。 その草枕の旅の夜長、妹は郷でまっている。 一人わびしく丸寝をして、妹を偲ぶ歌があります。

 

 

 うつせみの 世の人なれば 大君の 御命畏み 磯城島(しきしま)の 倭(やまと)の国の 石上(いそのかみ) 布留の里に紐解かず 丸寝をすれば わが着る 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出れば 人知りぬべみ 冬の夜の あかしも得ぬを 寝()も寝() ずに われはそ恋ふる 妹が直香(ただか)

 

 「うつせみの世の人なれば 大君のみことかしこみ」の歌い出しは、笠朝臣金村(かさのあそんかなむら)の幾度も使う銘句です。

 この世の人ですから(平凡な私ですから)、大君の仰せをかしこみ承って、大和の国の石上の布留の里(今の天理市)に赴任して、妻も居ないから一人寝で、紐も解かず丸寝をしていると、衣はよれよれになってしまって、それを見るごとに妻恋ふ心はまさるけれども。その思いを顔に出せば、人に知れるだろうから。明しがたい冬の夜を、ちっとも眠らないで私は妹()を、その人自身を恋いこがれているのです。

 

 奈良の都からそんなに遠くでもない所であるのに、こんなに恋いしく思うのですという反歌が次につづきます。

 

 布留山ゆ

  直に見渡す

    京(みやこ)にぞ

寝()も寝()ず恋ふる

  遠からなくに

 

もとの歌に

()も寝()ずに われは恋ふる」

反歌に

「寝()も寝()ず恋ふる」と同意、同音の詞がつづき、恋ふる、ふる、と妹を思う気持ちが切々と詠われています。

 

もひとつ反歌

 

 吾妹子(わがもこ)

  結びてし紐

    解かめやも

   絶えば絶ゆとも

    直(ただ)に逢ふまでに

 

 わが妻が旅立の朝わが腰に結んでくれた下紐、私は解こうか、いや(あそびめなどのために) 決して解きはしない。もし紐がよれよれになって切れるならば、切れることがあろうとも京へ帰って妹に逢うまでは。   純情そのものの妻恋歌です。

 

 その表現の媒体として、紐を使っているところに直接的で、まよいもなくそのものズバリの詠い方。 気持ちが滑らかに読者に伝わって来るのです。 現代の恋歌にはまねの出来ない歌です。

 

 万葉の若者は皆このように純情であったのでしょうか。私にはわかりませんが、とにかく紐を詠った歌がたくさんあるのです。

 

                        (新匠工芸会会員、織物作家)