染めと織の万葉慕情72
紐解き離けず
1983/08/26 吉田たすく
紐の歌のつづきです。
柿本の人の旅の歌の中の一首
淡路の
野島が崎の
浜風に
妹が結びし
紐吹きかへす
舟旅の途中、淡路島の野島崎にさしかかったとき、妻が結んでくれた紐を疾風が吹きかえしている。この紐が浜風に吹かれるとなると下紐ではなく襟の紐であろうという説もあるが、妻が結んだという言葉に目を向ければ、 旅の出発前に結ぶのは下の事であろうと思います。 旅から帰るまでの長い日々を一人身で結んだまま旅をつづけなければならない紐。
妻の居る家をはなれて淡路島のあたりまでやって来て浜風が家の方に吹いてゆく。私の心も家の方へなびいている。 下紐も妻のもとへとなびくのです。
同じように淡路島をすぎて西の方へ船旅をつづけて行き、筑紫の国へおもむく旅の人、丹比真人笠麿の作った歌一首
臣女(たわやめ)の 匣(くしげ)に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さにつらふ 紐解き離けず 吾妹子に 恋ひつつ居れば・・・(略)・・・白雲かくる 天さかる夷(ひな) の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ・・・(略) 荒磯のうへに 打ちなびき 繁(しじ)に生ひたる なのり藻(そ)が などかも妹に告(の)らず 来にけむ
歌の最初の文字は”姫”という文字を二つ割にして“臣女"と書いてあるのです。おひめさまの意らしく、たわやめと読ませています。匣櫛など入れる化粧箱。
たわやめのもっている化粧箱の上に置かれた鏡のように美しくすんだ御津の浜辺という詠い出しです。
静かな海と美しい浜辺の表現になんとも艶っぽい言葉でしょう。 その美しい浜辺で愛しい妻を恋い思うのです。
さにつらうは、妹、モミジ、紐などにかかる枕詞ですが、“ニ”は丹、ツラ”は頬の事で、ピンク色をした乙女の頬のように美しいという意味で、そのように麗わしい紐の事です。
旅立つ前に二人で結び合った紐、そのように美しい色の紐であったのかも知れないが、それよりも妻の結んでくれた愛情のこもった紐という意と思います。
旅の身であるから、紐を解いて妻との共寝も出来ず、家にのこした妻を恋しく思うのです。
白雲にかくれる、 田舎の国辺に真向いになる談路を過ぎて…..。 荒磯に生えるナノリン(海草のミルの事)の言葉のようにナノラないで、私はどうして妻にゆっくり別れの言葉も言わないで出かけて来てしまったのだろう。今となってはくやまれてならない。という長歌ですが、
この歌の重要な句は
さにつらふ 紐解きさけず 吾妹子に 恋ひつつ居れば
という所でしょう。 恋いしさのあまり二人の愛のしぐさである「紐解」くと言ふ言葉で詠まれているのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
