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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 

名古屋市美術館 特別展 

 ガウディとサグラダ・ファミリア展

 

 

 サグラダファミリアは「未完の世界遺産」。第二代の建築家アントニ・ガウディの時代からすでに140年以上経っていますが、現在も未完成の聖家族教会です。

本展は100点を超える図面や模型、写真、資料、さらには最新の映像をまじえながら、サグラダ・ファミリア聖堂の造形の秘密に迫り、ガウディ建築のオリジナリティーを明らかにします。

 

 

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 今までは、生誕のファサード、受難のファサード、内部、聖母マリア&福音書記者の塔が造られ、2018年からイエスの塔が造られています。数年後に正門(栄光のファサード)の建設工事が始まるでしょう。サグラダファミリアが完成したら、世界一の高いカトリックの教会(高さ172㍍)になり、バルセロナの街を鮮やかに彩り、訪れる世界中の人々に驚きと感動を与えることでしょう。

 建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)は第二代目のサグラダファミリアの建築家ですが、なぜ、あのサグラダファミリアがあの様に作られたかが、すごく理解できる素晴らしい展覧会となっています。

(愚考ですが) 

 以前からサグラダファミリアを観ていますと、西側の「受難のファサードだけは、どうしてもガウディらしくない部分が多すぎます。どうしてだろうと気になっていましたが、この展覧会ではそれについては直接触れてはいませんが、  

 ここだけはなんか全体のまとまりが??っと思える様になってしまっています。

 やはり、ガウディの思想とはあまりにも違う様です。(ガウディの死後、受難のファサード全体像は、ガウディのスケッチにかなり忠実なものに仕上がりましたが、その時のスペインの有力彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスを起用したが故に、別解釈or新解釈された様で、オブジェや彫刻が、ガウディが好んだ有機的で流れる様な曲線の作風とは全く対照的で、スピラックス風の角ばった幾何学的なものになってしまっています。

 (この写真3点がジョセップ・マリア・スビラックス作品です)

 

 インパクトだけは与えると思うが、明らかに別次元だ。

 しっくりこないのです。それでいて感動もない。中途半端に見える。

これならベルナール・ビュッフェにやらせたかった。ベルナール・ビュッフェも彫刻作品を作っていますし、ビュッフェなら構築的でも優しさを含み、ど肝を打つ作品に仕上げたであろう。などとロバの頭で余分な事を考えてしまいます。

1月27日、コスチュームも含めておもしろい映画を見ました。

今日封切りのアカデミー賞11部門にノミネートされた映画『哀れなるものたち』

 

 

真夏の夜の夢の如く奇想天外なファンタジー? のストーリーも良いですが、ともかく、ウエアが結構楽しめます。

  衣装デザインは ホリー・ワディントン

 衣装には1970年代の素材を起用したとのこと。1890年代のヴィクトリア朝後期のファッションやエルザ・スキャパレリ、シャネルなど20世紀初頭のデザイナーや、シュルレアリスムのファッション。クレージュ、カルダン、パコ・ラバンヌなどの1960年代の未来的なファッションデザイナー達を参考に、それに伴い1960〜1970年代のビニール素材や、独特なテクスチャーの生地や現代のハイテク素材が使われていて、ちょっと懐かしいファッションイメージが現代ハイテク素材表現で楽しめます。

R18ですが、ファッション好きな方は楽しいと思います。

 

 

 

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  『哀れなるものたち』

 ある不運に見舞われ、自ら命を絶った女性ベラ(エマ・ストーン)。しかし外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)の手で、自身が身ごもっていた胎児の脳を移植され、無垢で自由な精神をもってよみがえる。やがて「世界をこの目で見たい」と欲し、いてもたってもいられなくなったベラは、遊び人の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)とともに大陸横断の冒険へ。あらゆる偏見から解き離れたフラットな目線で世の中を見つめるベラ。旅の道中であらゆる経験をし、すさまじい速度で成長を遂げていく。

監督_ヨルゴス・ランティモス 原作_アラスター・グレイ 脚本_トニー・マクナマラ 出演_エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ 配給_ディズニー

1月26日(金)公開

  ぜひご覧ください。

染めと織の万葉慕情93
  領巾ふりけらし松浦作用ひめ
    1984/1/27 吉田たすく

 領巾と書いて(ひれ)と読ませています。 領巾とは今で言う婦人の肩にかけるストールの事で、龍宮の乙姫さんの肩にかけている布とか、天女がひるがえしている布なのです。 このひれを詠(うた)った歌が数首あります。

 九州唐津にのこる伝説を聞いた山上憶良の歌。

 松浦県(まつらがた)
  佐用比売(さよひめ)の子が
    領巾振りし
   山の名のみや
    聞きつつ居(お)らむ

 松浦にある佐用ひめが肩にかけた領巾、ストールを振った山の名を 聞いてだけいることがあろう
か(行って見たいものだ)。

 ところでその領巾を振った山の伝説とはどんな話なのでしょう。
 宣化天皇のとき新羅へ向かう大伴狭手彦(さでひこ・大伴金村の子)が唐津の地で情を交わした松浦佐用比売と別れて船出をするおり、姫は別れることは易(やす)く、会うことの難(かた)いことを嘆いて、近くの高い山に登って、はるかに離れ去りゆく船を望んで、こらえる思いを断ち、遂に領巾を肩から脱いで力いっぱい振って船を招いたのです。
 そばの者たちで涕(なみだ)を流さないものはなかったといわれ、この山は領巾磨嶺(ひれふりのみね)と名づけられたという伝説なのでした。
 私は一度ここをたずねた事があります。 大変美しい黒松のつづく海岸の松原の後方に、鉢を伏せたような形の山で、観光バスで登れる鏡山です。
ひれふる山といわれていました。これに登ると狛島や高島、大島などが唐津湾に浮かんですばらしい景観でした。
 なるほど、 ひれふる山にふさわしい趣です。
 この伝説をもとに又一首詠っています。

 遠つ人
  松浦佐用比売
    夫恋(つまどい)に
   領巾振りしより
    負へる山の名

 この歌につづいて「後の人の追ひて和(こた)ふ」後の人がまたこんな歌を詠みましたという前ぶれて

 山の名と
  言ひつげとかも
    佐用比売が
   この山の上に
    領巾を振りけむ

またこの次に
「最後の人の追ひて和ふ」と書いて

 萬代(よろづよ)に
  語りつげとし
    この嶽に
   領巾振りけらし
    松浦佐用比売

 この歌にもう一首つづいて

 「最最後の人の追ひて和ふる二首」 最最後の人というのがおもしろいです。

 海原の
  沖行く船を
    かえれとか
   領巾振らしけむ
    松浦佐用比売

 行く船を
  振りとどみかね
    いかばかり
   恋しくありけむ
    松浦佐用比売

 鏡山の上から唐津湾を出て行く夫の船に、力のかぎりストールを振っても振っても引きとめられない、恋しても恋しても別れて行く佐用姫の思いはどんなであったでしょう。
 第二次大戦のおり大陸へ出征する夫を送った妻たちのおもいもこんなおもいでありました。



  (新匠工芸会会員、織物作家)

染めと織の万葉慕情92

  玉の緒のたえて乱れて

    1984/1/20 吉田たすく

 

 

 玉の緒の歌です。 古代のネックレスには管玉、まが玉づくりなの出土品がありますが、万葉歌ではこれらの玉の事は詠(うた)われていません。

 歌に見えるのは、白玉の歌が数首あります。 真珠の事です。緒の歌の中にはありませんが竹管のネックレスもあったようです。これらをつなぐ玉の緒は麻か絹を楼(よ)って作ったのでしょう。

先週も書きましたが、美しく胸もとを飾っていた玉もまもなくその摩擦にたえかねてすり切れ、パラパラと散った事でしょう。そのさまを胸の思いの絶えて乱れる表現の枕詞(まくらことば)に使ったのです。

 かくしつつ

  あり慰めて

    玉の緒の

   絶えて別れば

    すべなかるべし

 この歌は巻十一の中の問答歌の一つです。 この問いに答えた歌。

  紅(くれない)の

   花にしあらば

     衣手に

    染めつけ持ちて

     行くべく思ほゆ

 こうしていつも自分の心を慰めていますが、あなたと(玉の緒が切れ絶えるように)絶えて別れてしまったらどうしようもないでしょう。 いやいや、もしあなたが紅の花であったなら、袖に染めつけて持って行きたく思われます。

 この歌では袖(そで)に花染をする染色の事を心にそめる事にたとえて詠っています。 つづいて玉の緒の絶える歌を読みましょう。

 玉の緒を

  片りに縒りて

    緒を弱み

   乱るる時に

    恋ひめやも

 この歌には玉の箱の作方が詠われていて、片緒によって緒が弱くて乱れるといいます。 これは単糸の事で、麻とかを一方向によっただけの糸の事なのです。 この単糸を二本コまたは三本コにして逆よりにすれば、双になり大変強くなります。織物の場合、強さの必要な経糸(たていと)は双糸を使い、緯糸(よこいと)には単糸を使う事がよくあります。

 この歌のように単糸でとじたネックレスはすぐに弱くなり乱れちる事はわかっています。 そのようにあなたと私の仲が絶えたりすれば、その時に私は恋に苦しまずにいられはしないでしょう、と詠っているのです。

 もう一首読みましょう。

 恋ふること

  増される今は

    玉の緒の

   絶えて乱れて

    死ぬべく思ほゆ

 恋の苦しみがいよいよはげしくなって来て今はもう、玉の緒が切れ玉が乱れるように心乱れて死にそうです。

 玉の緒が切れ、玉が乱れてもうもとにもどらないように散りぢりになった情景を、心の乱れによせて詠いあわせています。

  (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 

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 40年前 、2年強にわたって日本海新聞に連載された「染めと織の万葉慕情」の今日 1月20日に載せられたものです。

 日本海新聞は、鳥取県内に鳥取本社、中部本社、西部本社、大阪市に大阪本社の4本社制を整え、県内外に9支 社局・通信部を配置して、 島根県東部から鳥取県、兵庫県但馬地方の3県にまたがる地域をカバー していて、

 日本の地方紙において都道府県単位での普及率は7割と最も高いシェアとなっている新聞です。

 本日15日は 小正月

 

 「小正月」は現代ではあまり使われませんが、1月1日の正月を「大正月」、こちらを「小正月」や、「女正月」と呼びます。

 小正月は 1月15日、または1月14日~16日の3日間とされていて、「左義長」や「どんど焼き」などの火祭りが有名で、寺社の境内や河原などにお札や、門松、しめ縄などの正月飾りを集めて焼きますが、その火で餅やサツマイモを焼いて食べたりしますね。これが美味しい。

 また、餅で繭玉を刺す「餅花」を作って飾ったり、15日の朝には小豆粥を食べ、子どもたちが、雪でかまくらを作ってその中で過ごす行事や、鬼が家々を回る「なまはげ」や「なもみ」などの行事、豊作占いなど様々な地域によって行われています。

昨日は、快晴の中、田圃でどんど焼きをしている光景を数カ所見ながら田舎道を走って成田山へ年初の車のお祓いへ行きました。

その後、天下の奇祭で有名な田縣神社へお参りに行き

 見事な逸物で商売繁盛と新しき幸運を祈ってきました。

 

 

  一番拝みたいのは人口減の国、一人っ子政策を廃止しても人口の増えない中国かもしれませんね。

 

おのこだけお参りするのは片詣り、続けて姫の宮の大縣神社へお参りし、姫石にも祈ってきました。

 

田縣神社(たがたじんじゃ)

  愛知県小牧市田県町152

創建の年代は不詳で、かなり古い神社で、古い土着信仰に基づく神社で、大同二年(807)に編纂された古典『古語拾遺−御歳神の条−』の故事に基づいて男茎形を奉納し祈願する俗習があり、「産むは生む」に通じて、恋愛、子宝、安産、縁結び、夫婦円満、商売繁昌、厄除開運、諸病の平癒の守護神として、全国の崇敬者から格別の崇敬を受け、また世界各国の人々から注目される神社です。

 

大縣神社(おおあがたじんじゃ)

  愛知県犬山市宮山3

 

尾張開拓の祖神、大縣大神を祀る神社。現在の社殿は、尾張藩主二代目徳川光友が寛文元年(1661年)に再興した建物で、尾張造の構造様式をよく伝えている。特に御本殿は、三棟造・大縣造と称され、特殊な様式を構え、国指定の重要文化財となっている。境内の姫之宮は、玉比売命を祀り、安産や女性の守護神として信仰を集めている。

 古くより子授け、安産、女性特有の病気、縁結びにご利益があると言われ、特に女性に人気の神社です。

 

田縣神社の豊年祭の様子です

       (田縣神社の豊年祭の写真は愛知県のホームページからお借りしました)

恵那市 新春華道展

  2024年1月14日

    恵那市文化センター

明けましておめでとうございます。

 早いもので、もう「小正月」ですね。

 「小正月」は現代ではあまり使われませんが、1月1日の正月を「大正月」、こちらを「小正月」や、「女正月」と呼びます。

 小正月は 正月よりも結構忙しく、1月15日、または1月14日~16日の3日間とされていて様々な行事が行われます。

小正月の行事では、「左義長」や「どんど焼き」などの火祭りが有名で、寺社の境内や河原などにお札や、門松、しめ縄などの正月飾りを集めて焼きますが、その火で餅やサツマイモを焼いて食べたりしますね。これが美味しい。

 また、柳などの木に小さく切った餅や団子を刺したり、繭玉を刺す「餅花」を作って飾ったり、15日の朝には小豆粥を食べ、正月飾りを焚いたりするなどの行事が多いようです。

 子どもたちが、雪でかまくらを作ってその中で過ごす行事や、鬼が家々を回る「なまはげ」や「なもみ」などの行事、豊作占いなど様々な地域によって行われています。

 その小正月に新年初の生け花展があり、私も参加させて頂きました。

 正月ですから、形式を生かした出品が多いのですが、今回の私の活け方は、形式にもとらわれない私の様な「自由花」で行いました、

  しかしその腕は路傍の草のように小さく見過ごされるレベルです。

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 冬空の

  凍てつく山に

    春蕾

 

 

 この寒い季節 野山で何よりも真っ先に春を感じさせるのは銀色の蕾がふわっと膨らんだコブシですね

 花が咲く前の蕾が、子供の握りこぶしのように見えるためコブシと名付けられたそうです。

コブシはモクレン科モクレン属で落葉広葉樹の一つ。早春に真っ白なきれいな花を咲かせ、冬が明ける合図となる花です。

 このコブシの枝で今年飛躍するイメージで

 まっすぐ伸びよと糸菊。

「永遠の美」や「愛情の絆」「求愛」など、愛にちなむ花言葉が付けられている「ストック」。

春を想う七色の遊び心の ドラセナ

こんな感じで生けてみました。

 

〈花材〉

コブシ

糸菊

ストック

ドラセナ

花器

  昨年作陶した拙作

    鎬(しのぎ) 大花器

 

染めと織の万葉慕情91

  玉の緒の絶たる恋

    1984/1/13 吉田たすく

 

 

 玉の緒の歌です。真珠の玉をつづる緒も今のようにナイロンやテトロンのような強靱(じん)な繊維がなかった当時の事ですから、玉の摩擦に耐えかねてよく切れ、真珠の玉もばらばらに乱れ散る事があったのです。

 この事から、破れた恋の二人の仲が絶えた言葉の枕詞(ことば)や、心の乱れの枕詞に使われるようになったのでしょう。

巻十一の「物に寄せて思をのぶ」歌の一群の中に、玉の緒を枕詞に使った歌が数首並んでいます。

 天地(あめつち)の

  寄り合ひの極(きわみ)

    玉の緒の

   絶えじと思ふ

    妹(いも)があたり見つ

空間的にも時間的にも極めて遠いごとく、永久に仲を断つまいと思うの家のあたりをながめたことである。

 生(いき)の緒に

  思へば苦し

    玉の緒の

   絶えて乱れな

    知らば知るとも

 命を賭けて恋しているので苦しい。いっそ玉の緒が切れて乱れるように心乱れてしまいたい。人が知るなら知ろうとも。

 そうとうな恋の苦しみかたです。染織品をあつかった歌のほとんどが恋の悩みや苦しみの歌ですが、玉の緒の歌はことさらそんな歌がつづきます。

 玉の緒の

  絶えたる恋の

    乱れなば

   死なまくのみぞ

    また逢(あ)はずして

 玉の緒の切れたように仲の絶えた恋に心が乱れて収まらないならば、もはや死のうと思うばかりです。もう逢ったりはしないで。テレビドラマを見るような情景です。

 片糸もち

  貫(ぬ)きたる玉の

    緒を弱み

   乱れやしなむ

    人の知るべく

 より合わせていない一本の糸でとじた玉の緒が弱くて乱れるように、私は心乱れるであろうか。人が気づくほどに。

 玉の緒の

  間も置かず

    見まくほり

   わが思う妹は

    家遠くして

玉の緒の間もあかないでとじられているように、絶えず逢いたいと思うあなたは家が遠くて。

 玉の緒の

  うつし心や

    年月の

   行きかはるまで

    妹に逢はざらむ

 正気でいて、長い年月の移り変わるまで妹に逢わずにいられるだろうか。 いられないだろう。

 タマノヲ、という美しい言葉のひびきと対照に絶えたる恋の乱れが詠(うた)われていきます。

     (新匠工芸会会員、織物作家)

 

染めと織の万葉慕情90
  玉箒のゆらぐ玉緒
    1984/1/6 吉田たすく


 今年は子"の年ですが、その子の年の初子の日が明日七日にあたります。
 万葉集第二十巻の終わに近いあたりに初子の日の歌がのせられていました。
 これは、天平宝字二年春正月三日 (この日が初子の日)、天皇の侍従臣など御許(みもと)の人や童子をお召しになって、内裏の東屋の垣の下(もと)に待(さもら)わしめられて、玉箒(たまぼうき)を賜ひて肆宴(とよのあかり) 宴会をおひらきになりました。

 その時、内相の藤原仲朝臣が勅を奉(うけたまわ)りて、宣(のたま)われるに、諸王(おほきみたち)卿等(まへつきみたち)、こころに任せて、歌を作るがよいとのたまひました。

 そこでこの詔旨(みことのり)にこたえ、各々がおもいをのべて歌を作られて、その中の大伴宿祢家持が作った一首。

始春(はつはる)の
初子の今日の
玉箒(たまばはき)
  手にとるからに
    ゆらく玉の緒

 というのがあります。

 お目出たい初春の初子の日の今日の玉箒は、ちょっと手にとっただけで、玉の緒が鳴ってすがすがしく楽しいことですと、お祝いの歌を詠(うた)っています。

 玉箒は呪物の玉を飾った幕のことで、蚕の床を掃く道具。初子の日に辛鋤(からすき)と共にこれを飾られました。 玉箒は后妃(きさき)が親しく蚕を飼うのに用いられ、辛鋤は天皇が親しく農耕をされる意味です。
「玉箒の「タマ」は寿命の意でもあり、宝の玉の意でもあります。 それらを掃き寄せる道具の幕として目出たい品とされていたのです。

 天平宝字二年正月、ちょうどこの歌の詠われた正月に、東大寺から皇室に献上された辛鋤と玉箒とが正倉院に現存しているそうです。箒の先に細かい珠をつけて作ってあるとのこと。
藤原仲麿や大伴家持らの侍従や王臣らが内裏の東屋で宴のおりに賜わった玉篇もそのひとつだと思います。

古いしきたりのあらせられる宮中におきましては、明日の初子の日には同じような宴が開かれるのかも知れません。
東京、大阪のお社で宝づくしを飾ったクマデをさずかって来る風習が民間行事になっているのも、この初子の玉箒から来ているようにも考えられます。

 子の日に、子の年がよい年でありますように、祈ります。

  (新匠工芸会会員、織物作家)


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 みなさま あけましておめでとうございます。

父が書きましたこの染めと織の万葉慕情100話を40年後に辿ってきましたが、それも3年目を迎え、残すところ あと10話となりました、暖かい春迄お付き合いいただきますようお願いいたします。

 
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 父の著書の中にに『「図録 紬と絣の手織技法入門」吉田たすく著』というのがございますが、先日も、この本を購入したいが、どこを探しても売っていないというお話を伺いました。
  素人でも本当にわかりやすい本で、一部の大学で授業にも使われたり、織や染色の初心者やプロの方にまでわかりやすいと好評を頂いています。

初版は随分前に売り切れ、『復刊ドットコム』により再刊されていましたが、またこれも品切れとなり、現在はどこにもなく幻となり、古書店やメルカリ等で2〜4倍の値段で売られています。

 もう一度刊行して正規値段で販売できたら多くの方に喜ばれると思います。

 復刊ドットコムでは、復刊のリクエスト投票を行なっていて、復刊希望投票のある中から、選ばれると復刊してくれます。

どうぞまだ読まれていない方たちのために投票してくださいませんでしょうか。

 買わなくても、投票するだけです。 どうぞよろしくお願いします。

https://www.fukkan.com/list/req

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『「図録 紬と絣の手織技法入門」吉田たすく著』

商品の説明
著/吉田たすく
染め織りと生活社 1988年
 ソフトカバー25.4x18.2cm 180p 

 著者、吉田たすく氏は廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」の復元、独自の工夫により「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)」を考案した染織家・絣紬研究家として鳥取県の伝統工芸士に認定されています。織物の初心者、後継技術者に向けて書かれた集大成のような一冊。

 ▼内容
序章 絵図でみる制作工程のすべて
第1章 手織機の選び方
第2章 糸選びと糸の精練方法
第3章 むだのない糸染め方法
第4章 糸糊のつけ方
第5章 糸繰り糸巻きの方法
第6章 整経の方法
第7章 千切巻きの方法
第8章 綜絖の通し方法
第9章 筬通しの方法
第10章 紬を織る方法
第11章 織り制作中の事故処理方法
第12章 着尺の制作設計法
第13章 経縞の制作設計法
第14章 経絣の実際技法
第15章 沖縄手結い絣の技法
第16章 絵絣の実際技法
第17章 絣糸の染色
第18章 着物の裁ち方の基本
第19章 紬帯地の織り設計法
第20章 綴れ帯地を織る方法
第21章 組織の織り方法ほ

正月二日

 遠くの被災

   思いつつ

 擬宝珠(ぎぼし)の彼方

  陽は西方(さいほう)へ

 

 

 

      〈恵那峡 夕景〉

 

 

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西方浄土

人間界から十万億土離れた西のかなたにあるという、煩悩の無い極楽浄土

擬宝珠

 擬宝珠は高欄(欄干)の柱の頂部にある装飾品ですが、高欄(欄干)の柱の頂部を腐食から守る役割をもっています。

 起源は諸説あり、宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきた霊妙なもので、毒に侵されず火にも燃えない珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものであり、この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味で擬宝珠とつけられました。

 もう一つは、擬宝珠という用字は葱帽子、葱坊主に後から付けられた当て字ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説もあります。

大晦日

 雨で汚れを

  流し去り

 元旦の空

  雲も穏やか

 

 

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 恵那より

  中央アルプス遠望

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  北陸がこの空の様に

 清しく早く治ります様に

 

 

12月31日は雨でしたが、元旦は嘘のように快晴の素晴らしい空でした。