染めと織の万葉慕情93   領巾ふりけらし松浦作用ひめ | foo-d 風土

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染めと織の万葉慕情93
  領巾ふりけらし松浦作用ひめ
    1984/1/27 吉田たすく

 領巾と書いて(ひれ)と読ませています。 領巾とは今で言う婦人の肩にかけるストールの事で、龍宮の乙姫さんの肩にかけている布とか、天女がひるがえしている布なのです。 このひれを詠(うた)った歌が数首あります。

 九州唐津にのこる伝説を聞いた山上憶良の歌。

 松浦県(まつらがた)
  佐用比売(さよひめ)の子が
    領巾振りし
   山の名のみや
    聞きつつ居(お)らむ

 松浦にある佐用ひめが肩にかけた領巾、ストールを振った山の名を 聞いてだけいることがあろう
か(行って見たいものだ)。

 ところでその領巾を振った山の伝説とはどんな話なのでしょう。
 宣化天皇のとき新羅へ向かう大伴狭手彦(さでひこ・大伴金村の子)が唐津の地で情を交わした松浦佐用比売と別れて船出をするおり、姫は別れることは易(やす)く、会うことの難(かた)いことを嘆いて、近くの高い山に登って、はるかに離れ去りゆく船を望んで、こらえる思いを断ち、遂に領巾を肩から脱いで力いっぱい振って船を招いたのです。
 そばの者たちで涕(なみだ)を流さないものはなかったといわれ、この山は領巾磨嶺(ひれふりのみね)と名づけられたという伝説なのでした。
 私は一度ここをたずねた事があります。 大変美しい黒松のつづく海岸の松原の後方に、鉢を伏せたような形の山で、観光バスで登れる鏡山です。
ひれふる山といわれていました。これに登ると狛島や高島、大島などが唐津湾に浮かんですばらしい景観でした。
 なるほど、 ひれふる山にふさわしい趣です。
 この伝説をもとに又一首詠っています。

 遠つ人
  松浦佐用比売
    夫恋(つまどい)に
   領巾振りしより
    負へる山の名

 この歌につづいて「後の人の追ひて和(こた)ふ」後の人がまたこんな歌を詠みましたという前ぶれて

 山の名と
  言ひつげとかも
    佐用比売が
   この山の上に
    領巾を振りけむ

またこの次に
「最後の人の追ひて和ふ」と書いて

 萬代(よろづよ)に
  語りつげとし
    この嶽に
   領巾振りけらし
    松浦佐用比売

 この歌にもう一首つづいて

 「最最後の人の追ひて和ふる二首」 最最後の人というのがおもしろいです。

 海原の
  沖行く船を
    かえれとか
   領巾振らしけむ
    松浦佐用比売

 行く船を
  振りとどみかね
    いかばかり
   恋しくありけむ
    松浦佐用比売

 鏡山の上から唐津湾を出て行く夫の船に、力のかぎりストールを振っても振っても引きとめられない、恋しても恋しても別れて行く佐用姫の思いはどんなであったでしょう。
 第二次大戦のおり大陸へ出征する夫を送った妻たちのおもいもこんなおもいでありました。



  (新匠工芸会会員、織物作家)