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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 

 新緑を

  ルージュワインで

   食べる昼

 

    〈恵那峡 カバノ〉

 

3年位前にオープンしたということで、四年ぶりに帰省したので初めてのお店。

 

 お店の壁に蕎麦名人「翁」のだるま 高橋邦弘氏の額があり、

 

 

尋ねたら、高橋邦弘氏のお弟子さんで鳥取県日野町の方の所で修行された女性店主で、倉吉で開業とのこと。

 高橋名人の蕎麦打ちは2度も見に行ったが、打たれるのは二八蕎麦。

すぐ目の前で打たれるその手は、無駄が一切なくどんな蕎麦屋よりもとても早く、まるで神の手のようです。

 江戸蕎麦の並蕎麦の常道(切りべら23本(1寸(3.03cm)を23本に切る(1.3mm)並切り))より少しだけ太く、麺線はスッと走りとてもきれいで、蕎麦つゆの味も中庸で、形、喉越し、味の三者が揃った素晴らしい蕎麦です。

さて、こちらは高橋名人の孫弟子だが、二八蕎麦ではなく、九一蕎麦(九一とはそば粉9につなぎ1の割合)で、切った太さは15本切り(1寸(3.3cm)を15本に切る、約2mm位の幅)の太打ちで全く違う。

 残念ながら今日は車の運転だから蕎麦屋酒は、無し😭

注文

 蕎麦がきのお吸い物480円

 野菜の天ぷら粗挽き蕎麦2180円

粗挽きは1日10食のみとの事

 

メニューのざる蕎麦1080円 粗挽きは+200円で粗挽き蕎麦1280円 大都会と同じの値段で強気の値段だが、美味しければ良い。

 

⚫︎そばは福井産 鬼殻入り30メッシュ位の粒子

美味しそうな色をしている。

いつものことだが、まず 何もつけずその味を楽しむ

 甘味は少ないがまあまあの味

 

蕎麦つゆ

鰹節と昆布に、鯖節を使っているのだろういい旨みだがちょっとサバの生臭みが出ている、少し残念。

 

⚫︎蕎麦がきのお吸い物

小さな団子状の可愛い蕎麦がきが2個入っている。

 

プリプリっとした固め ざる蕎麦用の50メッシュ位の粒子かな。

小さすぎて蕎麦がきのおいしさが楽しめない。一個にして、もっと大きくすれば蕎麦がきの美味しさが楽しめるのに。

 

 香害についての注意書きが書かれていた。

食の場所だけでなくどんな場所でも当たり前のことだと思うが、

特にその匂いは料理の香りや全てを台無しにする。

こう言うことを書かねばならないほど世は化粧品や洗剤その他、あまりにも酷い臭いで乱れていると言うことです。

 

何はともあれ、倉吉市では一番美味しい蕎麦だろう。

ご馳走様

 …………………………

蕎麦酒房 つなぎや

鳥取県倉吉市上井262-7

0858-24-5114

 脚がスーッと長くあまりにも均整が取れすぎた 世界一美しい木造建築

 

なんと 平安の創建時は朱と金で輝いていたという。

 

日本一危険な所にあり、

それをみるためには木の根を掴みながらよじ登り、鎖の助けでロッククライミングで行かねばならない国宝。

 

鳥取県の中央部 倉吉市から入っていく。 三徳山 三仏寺の

その山奥深く厳しい修験道のさらに奥 奥之院 投入堂が目指す所です。

 

 本堂までは誰でも行けますが、投入堂は、あまりの山奥で、機材を運ぶこともできない山の崖の凹部に建っており、絶壁にどうやって建てたのか。工法は謎のまま現在も解明されていません。だから、大昔から平安時代に役の行者(えんのぎょうじゃ)が法力で岩壁に投げ入れたとしか考えられないと「投入堂」とよばれています。

 

 投入堂へ行くには平坦な道はなく、両方が切り立った崖や木の根を掴み、垂直に近い岩場では、鎖を助けに登っていく。北アルプスの縦走路より厳しい所ばかりを両手両足で登って行く危険な修験道を本堂から1時間かけて登りますが、数年に一度何人かが滑落していて死者も出ています。 私の登った前日も一人滑落して救急車で運ばれたそうです。

 

 危険なので、入山にあたっては入念にチェックされます。

一人で行くのは禁止。何かあった時のために2人以上。

山を登れる服装はスカートや幅広のスラックスは禁止。

 靴は靴底に凹凸のある運動靴かトレッキングシューズを履く事。(金具の付いた登山靴は木の根を痛めるため禁止)。靴底は必ずチェックされます。

 靴が理由で入山許可が下りない場合、わらじ(有料)に履き替えることで入山許可が下りる場合があります。

 両手に荷物を持たないよう、バッグはリュックが理想。

あまり歳をとった方は断られることがあります。

等の厳しいチェックが終わると用紙に名前と住所、携帯番号を書き出発です。

 

 尚、今回は、片足が60cm以上上げられないと登れない箇所が何箇所かありました。

 

 しかし その危険な山を登りきり、投入堂の前に立つと何も言えない満足感があります。

 

 全国の古寺や仏像を撮り続けた日本が誇る大写真家、土門拳は「日本一の名建築は」と問われた時に「投入堂」と即答し、「二度と登るのはごめんだ」と言いつつ何度も撮影で三徳山を訪れたという。

 

 この投入堂 創建当時は朱の色(高いお寺は丹(に)塗り)で部分的に金箔も使った豪華な仕上げだったそうです。(10年位前多くの学者が入り精密検査で壁にわずかな痕跡を判明)

あの崖の中で当時のまま丹塗りで建ってたら比べようもなく、素晴らしく美しかったことでしょう。

 

 

 

獣道のような険しい道

 

大きな岩の間を垂直に登ります。

 

木の根を掴んでよじ登っていきます。

垂直に近い

 

 

 

 

 

 

くさり場 クサリを持ってしっかりよじ登る

 

馬の背 両サイドは深い谷になっていて風が吹くと怖いです。

 

胎内潜り

 

 

やっと 投入堂が現れた

 

 

 

 

 

 登りより危ない下りのきつい修験道を汗をかいて降りてきた後は、下界の三朝温泉の川にある河原湯に浸かってからゆっくりと疲れを癒し帰るのがいつもの習慣でした。

 今回もいい天気で様々な花などを見ながらゆっくり行って来ました。

 

 

私の実家から車で30分ほどで本堂に着きますが、

私は小学3年生頃から何度も来ていて、もう10回以上登っていますが、危険なのは今も一緒。しかし、2回の地震の影響で以前よりきつくなった感じがします。

 

 その厳しさを乗り越えたあとは、観ても素晴らしい建物です。

 

もう時効だから言いますが、半世紀前、鍵をかけて鉄条網で侵入禁止されていた投入堂下の柵を乗り越えて崖をよじ登り、投入堂の中に入ったことがあります。ここから落ちたら死にますね。

狭い舞台から見る崖下の眼下の景色は全て自分一人の世界で、それはそれはきれいでした。

そして帰りに舞台に落ちていた枯葉は掃除しておきました。

 

皆様も足腰が大丈夫なうちにこの偉大な建物をご覧になってください。

 

 …………………………

 

三徳山三佛寺は、鳥取県のほぼ中央、倉吉の南の三朝温泉からさらに山峡に分け入ったところにある天台宗の名刹。三徳山は標高約900m。修験道の霊山とあって地形は急峻で、谷は深い。断崖や巨岩が露出する三徳山が開山されたのは、706(慶雲3)年といわれ、役行者が開いた。

 

三徳山三仏寺が開山されたのは、飛鳥時代最末期706年(慶雲3)年といわれ、最盛時には41の堂宇に僧坊が3,000、寺領は1万町余りの威容を誇り源頼朝や足利義満にも尊崇された。それらの堂宇や坊舎はことごとく兵火で焼失したが、岩壁の投入堂は建立時のまま残った。建てられたのは平安時代後期といい、大山と共に山陰地方山岳密教の聖地でした。

 

天台宗 三徳山 三佛寺

鳥取県東伯郡三朝町三徳

 

 4月に出雲に行った目的

1、酒をたしなむ者として、酒発祥の神社 佐香神社(さかじんじゃ)へお詣りする事。 

 神代の時代、出雲族は大和族に国譲りをしたため、松尾神社などばかり目立ちますが、佐香神社の主祭神:久斯神(くすのかみ)がとても重要です。

2、旧暦10月神無月の時、日本中の神様が出雲に集まられますが、その神々が最初に上陸される稲佐の浜と、お帰りになる時に全員集まり別れの宴(直会(なおらい))をされる万九千(まんくせん)神社の参拝。

旧暦10月10日の夜、海の向こうから集まってこられる神様たちを、出雲大社の西1kmほどにある稲佐(いなさ)の浜でお迎えするのが「神迎神事」です。

 出雲大社境内の神楽殿でも「神迎祭」が行われ、これが終わると、神々は出雲大社境内の十九社(じゅうくしゃ)という宿で鎮まられるとされています。

神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさりますが、その前に、八百万の神々が万九千(まんくせん)神社に集まられ神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。

3、出雲大社と 出雲の地産地消 美味しい地物の満喫です。

 最初の夜は洋食。マーレ ドラートでイタリアンを 次の夜は和食。 鮮魚の美味しい吉田屋へ

  お昼は出雲そばです。

 

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 さて、最初の目的 酒発祥の神社 佐香神社(さかじんじゃ)ですが、

出雲市駅から車で30分弱 郊外の鄙びた農村の小高い山にありました。

 

 

桜の

 鳥居の前に立つと、松尾神社の鳥居が建っています。そして、それより小さな鳥居が後ろにあり、それは佐香神社と書かれた鳥居でした。

 現代においても征服民の圧力が生きているとは、驚きというより何か恐怖すらおぼえます。

 

 

ここまでは観光客もあまり来ないようで、2組しかいませんでした。

 

様々楽しませていただいている日本酒に感謝と共に、今後さらに美味い酒に巡り合えることを祈ってきました。

 日本のお酒の話

 米を使ったお酒のはじまり

諸説ありますが、日本の稲作は縄文晩期(約2600年前)に中国から九州北部に伝わったという説があり、弥生時代には日本酒のルーツとなる「どぶろく」のような酒が飲まれていたと考えられています。

 日本に酒というものが存在したことを示す最古の記録は、中国で3世紀(280年)に書かれた「三国志」中の「魏志倭人伝」で、倭人が「人性嗜酒(さけをたしなむ)」と評しており、喪に当たっては弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があると書かれています。

 日本に伝存する最古の正史「日本書紀」には、スサノオノミコトが出雲国の肥河(島根県斐伊川)で箸が流れてきたのでその川を上ると、美しい娘、櫛名田比(くしなだひめ)を間に老夫婦が泣いていた。八岐大蛇(やまたのおろち)が娘を攫っていくという。スサノオノミコトは八岐大蛇を倒すために「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を作らせて、吞ませ退治したというお話があります

この神話に出てくる「八塩折之酒(やしおりのさけ)」は、古事記や日本書紀に登場しますが、神話に残る「日本で最初に造られたお酒」です。

 それでは、日本最古の酒造場といえば、どこにあったかご存知でしょうか?

それはやはり出雲。

島根県出雲市にある佐香神社(さかじんじゃ)と言われます。

733年に完成した出雲国風土記に「佐香の河内に百八十神等集い坐して、御厨立て給ひて、酒醸(さかかも)させ給ひき。即ち百八十日さかみずきして解散け坐しき。故、佐香と云う

(佐香の河内に多くの神々が集まって煮炊きする調理場を建てて、酒を造って百八十日にわたり酒宴を開いて解散した。そこで酒みずき(酒宴)のさかによって佐香という」とあり、酒造り発祥の地とされています。)」

とあり、佐香神社は酒造りの神様として祀られています。

「さかもり(酒盛り)」の「さか」で酒の語源となる場所ですね。

主祭神:久斯神(くすのかみ)、大山咋命

配神:天津彦彦火瓊瓊杵命、木花咲耶比売命、百八十神(ももやそがみ)

久斯神は酒の神のことであり、少彦名神の別名ともされる。大山咋命は京都の松尾大社からの勧請である。また配神の木花咲耶比売命も酒造に関係のある神である。

久斯之神(くしのかみ)ですが、酒は薬ともされていましたし、百薬の長というように、「久斯=くすり=さけの意味で酒から酒の神と呼ばれたのでしょう。

この佐香神社、現在も酒造場として、毎年10月13日の例大祭のためだけに

1石(180ℓ)限定の酒造免許を受けていて、宮司が杜氏を務めて濁酒を醸し神様へ奉納するとともに、参拝客にも振舞われます。

佐香神社(松尾神社)

さかじんじゃ(まつおじんじゃ)

住所

出雲市小境町108

余話

 出雲風土記と同じ頃に書かれた「大隅国風土記」と「播磨国風土記」には、「口噛みノ酒(くちかみのさけ)」と「カビ(麹)の酒」が登場します。

 清酒発祥の地は奈良。

室町時代末期1450年ごろの菩提山正暦寺発祥の菩提酛(または水酛)という酒母(=酛)造りの手法が開発され、速醸酛や生酛系酒母の原型で、これを元に清酒を作ります。

現代において酒の神として多くの醸造家から尊崇されているのは、特に、

松尾大社(京都市西京区)、

梅宮神社(京都市右京区)

大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)、の3社ですが、このうち松尾大社と梅宮神社には5月中にお参りする予定です。

 

 海に面したオーベルジュで、地物の食材でイタリアンをいただいたので、翌日は和の世界。 それも一番地物の魚が楽しめる活きのよい居酒屋です。

 

 出雲でもいいネタを出すという吉田屋さんへ

 

 

 

 

刺身

このお店は当然であるが全て天然物。

 (私は養殖は食べないのでそういうお店に行きます)

 

ヒラマサ キンメ イサキ 真鯛

 いい味

 

ヤマサン政宗誘一献いざいっこん

特別純米 五百万石92%山田錦8%酒度+1.5

いい感じの旨みがあるが優しい

 

 本バイ貝煮付けがあり、これはありがたい。即注文。

 貝殻の最も奥に、とても柔らかくとても切れやすいがフォアグラに独特の旨みのある苦味を加えた感じの味で、すこぶる旨いとても旨すぎる肝があるのだ。

これさえあれば殻の入り口近くにあるコリコリした身などどうでも良い(この部分もうまいのだが肝に比べればどうでも良い味なのだ) 

食べる時もこの柔らかい肝だけを楽しみ あとで他の部分を食べる。

 ところが、本バイは踏んでも噛んでも壊れないあまりにも硬すぎる殻の一番奥にとても柔らかくとても切れやすい肝があり、誰でも食べられるわけではない。多くの人は知らないか、諦めていて食べられないのだ。

 爪楊枝で身を刺して簡単に引き出そうとすると切れてしまい、素人では100%取り出せない。

 北陸の白バイは殻が柔らかいので殻の奥にある肝が切れても歯で齧ればなんとかなるが、本バイは歯が負ける。

 妻楊枝で少し引き出し、戻し、の作業を何十回も繰り返して少しずつ引き出していくしか方法がない。

 うまいものにありつくには我慢して根気よくやるしかないのです。

一皿食べ終わって、取り出せた確率80% 私ほどの猛者でもこの程度。

 子供の頃から何十回も食べてきた旨さだが、こういうバイは山陰へ戻らないと食べられない

 

これに合わせて

 月山 純米酒

旨みのある出雲らしい酒

 

   バイによく合う

 月山(がっさん)は、嘗て 戦国時代 中国地方5カ国を治めた大大名 尼子氏の居城 月山富田城のあった所。

 その後、安芸の毛利氏との数年に及ぶ覇権争いに敗れますが、主家である尼子家再興のために奔走する山中鹿之介が、

眠れずに過ごした夜が白々と明けようとするとき

 「願わくば、我に艱難辛苦を与えたまえ」 と三日月に祈ったという故事を思い出します。

出雲は酒についても最古の記述が残っている日本最初の産地だ。 

  出雲は神話は元より 様々な歴史の上を歩く街だ

 

 

そして バイのお代わりをする。

 

鰯の塩焼き

山陰で食べる活きの良すぎる鰯は 旨い。

これぞ山陰の海のゴッツォー(ご馳走)だ

 他の海で感じる様な生臭みがない

 

ボッカの煮付け

カサゴの事

 

 ブスほど旨いという典型的な魚だ

出雲の美味い魚で夜は深けていく。

 

 …………………………

私の故郷 鳥取県倉吉市と出雲は車で2時間程の距離で、日本海の同じ様な魚が食べられます。

  (バイとは貝のことであり、バイ貝というと貝貝で可笑しいので、実家の倉吉ではバイ貝などとは呼ばなかったが最近はこういう言い方が増えている)

 魚酒場 吉田屋

 0853-24-2011�島根県出雲市今市町中町1346

出雲市駅[北口]徒歩5分

神々が帰路に立つ前にお集まりになる
 万九千(まんくせん)神社

4月に出雲へ行き お参りしてきました。

 心地よい
  陽光(ひかり)の中に
    桜散る

  

 


 



 毎年10月 神無月に出雲に日本中の神様が集まられますが、その神々が最初に上陸される稲佐の浜へ行き、お集まりになられる出雲大社にお参りし、次は、お帰りになる時に全員集まり別れの宴(直会(なおらい))をされる万九千(まんくせん)神社を参拝してきました。

 当たり前かもしれませんが、
神代の時代から神々も別れる時はきちんと惜別の会をしておられたという証拠の神社があり 嬉しいです。

 出雲大社の西1kmほど
  JR出雲市駅から東北東へ車で12分


到着するとちょうど桜が散りいく頃でした。



 ここは同じ敷地内に地区の氏神さまの立虫神社(たちむしじんじゃ)の社殿が建てられているため、そちらの方が目立ってしまっていました。

また、社殿も本殿がなく、拝殿の後ろに玉垣で囲まれた高さ約3mの磐座(いわくら)があるので、社殿は大きくないのでしょう。
 (残念ながら、磐座の写真は撮り忘れてしまいました)

 御祭神は、国土開拓と国造りをなされた櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命の三柱と日本国中の八百萬神からなり、食物、五穀豊穣、農業、土木、建築をはじめとする諸産業の繁栄に霊験あらたかとされています。


 また、神在祭に集われる八百万神の御神徳にあやかって、縁結びや病気平癒、諸会議、直会、宴の円満成就、旅行の安全無事、人生の岐路における諸願成就に霊験ありとされてきました。
 最近では、旅の安全を願う旅行者や旅行業、宴会にゆかりの飲食業の方のお参りが増えています。

4月に出雲へ行きお参りしてきました。

 毎年10月 神無月に出雲に日本中の神様が集まられますが、その神々が最初に上陸される稲佐の浜と、お帰りになる時に全員集まり別れの宴(直会(なおらい))をされる万九千(まんくせん)神社の参拝。

 

 

神々をお迎えする

  稲佐の浜

 

JR出雲市駅から北西へ車で12分

出雲大社の西1kmほど

 

 

 

生憎と曇り空 それでも夕日が弁天島のうえにかかり、神々しいです。

 

  旧暦10月10日の夜、海の向こうから集まってこられる神様たちを、出雲大社の西1kmほどにある稲佐(いなさ)の浜でお迎えするのが「神迎神事」です。

 

浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。

 

稲佐の浜で一際目立つ丸い島は弁天島と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。

昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。

 

 

 

屏風岩(別名国譲り岩)

高天原からの使者として派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、この岩を背にして、大国主大神と国譲りの話し合いをされたと伝えられています。

戦うことなく国譲りをされた大国主大神の「和を尊し」とするこころは素晴らしいですね。 ウクライナも世界中もこうなら、戦争は起きないのに。

弁天島から約300メートル北東に離れた場所にあります。

 

 

 

 

 

 出雲大社境内の神楽殿でも「神迎祭」が行われ、これが終わると、神々は出雲大社境内の十九社(じゅうくしゃ)という宿で鎮まられるとされています。

神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさりますが、その前に、八百万の神々が万九千(まんくせん)神社に集まられ神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。

 出雲は日本歴史の一つの原点であり、今までに5度くらい行っていますが、久しぶりの訪問です。

 私の旅行は特別な理由がないかぎり、寝てしまえばどこも一緒なので、その地方の一番安いビジネスや旅館に素泊まりして料金をうかせて、食事はその地方で最も美味しそうな店を探して行きますが、今回も出雲市駅近のビジネスホテルです。最近のビジネスホテルは機能も充実しているのでいいですね。

 

  さて、今回は出雲の歴史・文化探訪で2泊するので、2回の夕食は、和と洋に分けて行くことにしました。

 

 人は生まれた土地の空気、大地の中で、その文化の中で、その地方の中で生まれた料理を食べて育ちます。

 その地方の自然の中で生まれその地方の文化のもとで作られた料理が何よりも一番美味しい。

そうガストロノミーです。

 出雲産の無農薬野菜、天然物の魚で、和と洋に分けて行くことにして、地元のグルメな方から様々な情報を得て、まず良さそうなレストランへ予約の電話しました。

 

 シェフに「魚介類は地物の天然物だけ、野菜も地物の無農薬有機栽培で」とお願いしましたら、こちらはそういう食材しか使わないと言われ、更に一物全体や身土不二など意気投合。楽しみに伺うことにしました。

 

 そのレストランは出雲市街から車で20分くらい西の海岸。神無月の十一月に全国の神様が出雲にきて上陸されるという「稲佐の浜」の近くにあるオーベルジュ。

 目の前に日の沈む日本海を見ながら出雲の豊かなオーガニック食材を使った贅沢なイタリアンです。

 

 日本海は夕陽が海に沈むので、子供の頃 故郷の鳥取県で、その美しさを独り占めしたいので浮き輪を持って沖に泳いで行き、夕陽を眺めながら浮いていました。

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 予約の電話を入れた時に、ちょうど17時半頃に陽が沈むからその頃いかがでしょうと言われたのでその時間で予約。

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 本来は1Fで食べるのですが、特別に、贅沢な宿泊用の広いロングオープンデッキのある一日一組だけの特別な個室プレジデンシャルアンティークルームへ案内されました。

 

 

 

 

 イギリスの高級アンティーク家具がゆったりと置いてあり、家具も調度品もどれもセンスが良い。

 部屋の中央 海に向かってダイニングテーブル。

 

 

カトラリーもなかなか味のあるアンティーク。

 後で聞きますと、レストラン付きの宿泊施設アルベルゴ(イタリア語)で、この部屋は一泊¥165,000(2名 税込)ということでした。 地方の小さな街なので、値段は抑え気味ですね。

 

  もと皇室関係のところで料理長をされてた方のお店なので、おもてなしも素晴らしいし、食器も素敵、味も美味しい

 

 

生憎の曇り空でしたが、海には沈みゆく夕陽の光の道が現れています

 

さて、

 この夕日を見ながら晩餐の始まりです。

 

 

飲み物はその都度料理に合わせてお願いすることにしました。

 

⚫︎まず最初の一杯は海を見ながら最初の一杯はミモザの甘い口付け

 スペインのスパークリングワイン

オペラ・プリマ・ミモザ・スパークリング ミモザ

  ヨーロッパの春を呼ぶミモザ色をした、太陽を浴びたスペイン産オレンジの濃厚な果実味とワインのブレンドのスパークリング

 

 

⚫︎エビのビスク

 (クリームベースの滑らかで濃厚な味わいのスープ)

 

 

最初の料理 良い味で これからの料理が楽しみ。

 

 テーブルランナーも豪華なエスニック風楽器の刺繍の帯 おばあさまのものだそうです。

 

 

自然 放し飼いの自然飼料の合鴨のサラダ

無農薬の10種類の野菜で作ったソース

 

このソースは旨い!

 

調理前の大きな黒鮑を持ってこられた

地元の海で取れたまだ生きているもの 海藻まで付いていた

これを今から料理すると。

 

⚫︎ミスティファイド・シャルドネ

カリフォルニア ナパバレー

グレープフルーツやライムの香り。樽由来のスモーキーさに丁子や干し草の風味。

 ちょっと甘いが綺麗な酸味でいい味だ 魚介類によく合いそう

 

⚫︎生黒鮑の肝と貝柱

三瓶山の山葵 山葵の花

醤油クリーム

 

 

ウエッジウッドの皿

プリプリの肝が美味い!

独特の苦味も優しく甘味もある

いい肝だ! 旨い!

 

 

⚫︎鮑の肝和え

ワラビがいい演出していてお皿との調和が素晴らしい 美味しい

下に敷いてあるユキノシタも苦すぎずアクもおとなしめで肝ソースによく合う

 

 

⚫︎月日貝のパスタ

これもいい味

プリッとしながら柔らかく生臭みも少なくうまく調理してある

これに合わせてシェリーを出されて優しい甘さと優しい酸味が貝の生臭みを消しながらいい感じに終わる。

 

⚫︎赤ワイン ボルドー のメドック

 PÉDESCLAUX2014シャトー ペデスクロー2014

 フランス ボルドー  メドック  ポイヤック フルボディ

10年もので、透き通るような酸味と引き締まった綺麗なタンニンと厚みのある味わい クラシックな赤ワインの味だね これはおいしい

 

⚫︎ノドグロ 目の前に広がる海岸の浅利 黒鮑 牡蠣 全て地物のアクアパッツァ

これも旨い

それぞれの天然食材が、持てる全てを出してくれた濃厚なソースに絡めて食べる この旨さ。

 

 

⚫︎三瓶山の麓で草を食べて育った牛のシャトーブリアン

タラの芽

三瓶山(さんべさん)は大山隠岐国立公園の一部で、島根県で一番高い山 遥か遠い高校生の時 山岳部で登山をしたが、主峰の男三瓶山 (1126m) 、女三瓶山 (957 m)、子三瓶山 (961 m)、孫三瓶山 (907 m)、太平山 (854 m)、日影山 (718 m) の6つの峰がありこれらを5時間かけて縦走していくのだが、標高は大したことないが、山は釣鐘型で傾斜が強く、途中に水場もないために難易度は低くない。

ここでも美味しい牛が育っているのだ。

 

 さらっとした良い味 牛も個体差があるから他のものはわからないが、この三瓶山牛はシャトーブリアンでもおいしいいほうだね。

 

 

⚫︎デザートワイン

Château Nauton Sauternes2019

シャトー ノートン ソーテルヌ 貴腐ワイン

 

アンズやトロピカルフルーツ、ハチミツの香りと甘さ いい味わい。

少しリッチで濃密なクリーミーな感じ。

 

⚫︎デザート

 

オーナーと様々会話しながら食事は進んで行きました

食後も含めて

 料理の話、家具の話 カトラリーの話 芸術の話、食全般の話と話は進み 

気がついたら23時 17時半にきて5時間半も滞在してしまいましたが、とても楽しい時間でした。

次回 出雲へ行く時はまたお邪魔しようと思います。

 

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Mare Dorato Ristorante Italiano

〒699-0751 島根県出雲市大社町杵築西赤塚1648−2

0853258172

 

http://maredorato.jp

 私の実家で使う器は、ほぼ全て 丹波焼や壺屋、島根県の出西(しゅっさい)窯、湯町窯、など民藝雑器で、私も小さな時から毎日の食事や飲み物はこれら民芸品で育ちました。

 出西窯は子供の頃から使っていましたし、出西窯にも3度以上は訪問していて、手と目に残っています。

 

 出西は、手の温もりのある料理が喜ぶような使い勝手の良い器でした。

 

今回も出雲に行くのだからと寄らせていただきました。

 

 

18年ぶりかの訪問。

飾ってあるものはむかしからの出西ですが、

 

 

 

販売されている器は

 たぶん 私だけがちょっと感じたことかもしれませんが、

販売されている出西は、私の知っている出西とほんの微妙に違うのです。

器の形 釉薬の 色 艶

 

良い言い方で言うと現代風とでもいうか、少し軽い感じ

 

ちゃんとした木のテーブルにも似合いそうだった器が、

イケヤやニトリの軽いテーブルに似合いそうになって

化学調味料を使った料理にも似合いそうな感じ

 

 誰も気が付かないかもしれませんが、

なんかほんの少し、薄っぺらい工業製品に近づいている感じになっている。

 

現代は政治も経済も生活もすべて薄く軽い方向へ動いている。

時代の流れですが、

 民の芸術 民藝も、時代に即して作られ、かわりながら生きていくのが当たり前なのですが、私とは少し離れてしまっている一抹の寂しさ。

でも、良い焼き物なんです。

 

 今回は何も買えないで帰りましたが、次回訪問する時は

またあの「手の温もりのある料理が喜ぶような器」がたくさん並んでいるといいな。

 

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 出西窯

島根県出雲市斐川町出西3368

 

ホームページより

 

 昭和22年、出西窯は5人の若者の真っ直ぐな志から始まりました。
柳宗悦先生をはじめとする民藝運動のメンバーに指導を仰ぎ、日常を彩る、健全で美しい暮らしの器を作り続けています。
 郷土の原料を大切にし、職人の手仕事による実用的な「用の美」が息づく器。
それは日々少しずつ姿を変えながら、現代の暮らしにも静かに寄り添い、毎日を心豊かに過ごせる道具となることを願っています。

 

 出西窯の成り立ち

出西窯は1947年(昭和22年)8月、農村工業の共同体構想を掲げた5人の青年によって創業しました。同年には、陶芸家河井寬次郎を迎え指導を受け、この時に実用陶器を志すことに定まり、窯の名称を地名より「出西窯」と改めました。

山陰地方の民芸運動推進者の吉田璋也の助けなどもあり、
以後、柳宗悦先生、濱田庄司先生、バーナード・リーチ先生ら民藝運動の推進者たちの指導をうけ、実用の陶器作りに邁進してまいりました。
現在も、島根県出雲市斐川町出西の地で、
民藝の志を持ち、野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具として喜んで使っていただけるものを作ろうと祈り願って同人が心を一つにして仕事をしております。

 

登り窯

工房東側に6連房の大きな登り窯があり、現在も年3~4回の窯焚きを行っています。

 

吉田璋也記念館

 吉田璋也先生は鳥取市の耳鼻科の名医でありましたが、創業間もない出西窯の陶器作りを指導し、鳥取たくみ工藝店で取り扱って下さった恩人であり、柳宗悦をはじめ民藝運動の指導者たちと出西窯との出会いを作って下さった偉大な民藝のプロデューサーでありました。

 この吉田璋也の鳥取民藝美術館だった建物2棟を譲り受け、昭和55年(1980)に出西窯に移築して、吉田璋也記念館および研修館と名付け、出西窯陶器の見本や参考品を収蔵しています。