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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

各地から梅の便りが届いていますが、今日は陰暦1月1日

 本来の日本の正月ですね。

 皆様明けまして

   おめでとうございます。

 

 日本のお正月は

  季節に合わせて梅の花咲くころが一番ですね。

 

今日もいつものように

    ティータイムはお抹茶

 

 旧正月の今日は、今一番気に入っている

  江戸時代の志野茶碗

絵志野 檜垣 山文 志野茶碗

    口径11 高さ8.5  底径6.5

 

 里山と檜垣(ひがき)をさらっと描き、作家が釉薬を掛けた時の指の跡も景色となっていて、時代感もあり、どんとして温かい碗になっていますね。

 そのまま置いていても絵になる感じです。

 

掌(たなごころ)に気持ちよく、お抹茶が更に美味しくいただけます。

 

 今日のお茶のお菓子は、

 地元の無農薬有機栽培の黒豆を、三年熟成醤油とメープルシロップでじっくりと三日間かけて作った手作りの黒豆。

 じっくりと炊き上げた福福と丸く膨らみ美しい光沢でツヤツヤとした黒豆。  

 コクのある熟成醤油がメープルの優しい甘さと絡まってふわっと優しい甘辛さの美味しさです。

 

 梅園の

  梅の香りを

   思いつつ

  初春の午後

   お茶点てる福

今日2月4日はもう立春 暖かい春が待ち遠しいですね

 昨日はその季節を分ける日 節分ですが大晦日ですね。

 


 遊び心の 物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の蕎麦懐石』では
立春の月 今月来られるお客様へお出しする一品として、節分にちなんで黒豆を召し上がっていただきます。

 

 

 黒豆の黒色は、魔除けの色、悪気をはらう色とされ、更に髪も黒々としていて健康的な不老長寿をもたらす色として、信じられていました。
 また、皺のないふっくらと甘く煮た黒豆はしわが寄らないように、長生きできるように、という意味があります。

 

 用意した黒豆は、地元の無農薬有機栽培農家さんの安心安全で元気で豊かな味わいのある黒豆を分けていただきました。

 サラッと上品なやさしい甘辛ふくめ味に作りたいと思います。

調味料
メープルシロップ
地元の三年熟成醤油
揚浜式製塩の粗塩少々

 砂糖は直接的な鋭い味ですし、基本的に体に良くないので使いませんし、私の所には存在しません。


 蜂蜜も良いのですが、今回は蜂蜜の独特の甘味と舌にねっとりと来る感じを出したくないので
木の樹液で作られ優しいサラッとした味のメープルシロップを使用しました。

 たっぷりのお水に1日浸け、
味付けをして落し蓋をして
水分が減って黒豆がのぞかないように何度も水を加えて三日間弱火で煮ていきます。

福福と丸く膨らみツヤツヤとした黒豆
メープルの優しい甘さと、コクのある熟成醤油がふわっと優しい甘辛さです。

 

 器は
色絵金彩 鳳凰 牡丹図 小鉢

 

 

鳳凰、牡丹という吉祥を描いた とても古い貴重な品です。

 

 

恵那の野に出かけて、ヒイラギと南天、蝋梅をひと枝 手折り、
飾らせていただきました。

 

 

柊にも南天にも魔除けの意味があります。 

 

 身土不二 地産地消

 


飾り物もお豆も皆 地元の恵那で調達できるという 豊かな里に感謝しながら

大切なお客様へお豆もお飾りも 器も、使用したすべてのものが

 お祝いを表し

   心を込めて一品をお出しできる幸せです。

 優しい甘辛味に包まれた

  ふわーっとした黒豆の旨みを

      どうぞお楽しみください

 『毎年2月3日が節分の日」と思っていませんか?

 節分は字のごとく季節の分かれ目、『立春』『立夏』『立秋』『立冬』の代り目の日ですが、特に重視されたのは冬から春へ代わる立春の節分。
昔は、冬から春になるのを1年の始まりと考えており、 今でいう『大晦日』のように「明日から新しい年」というように特別な日と捉えられていました。

 立春は年によって日にちが変わることがあるので、それに伴い節分の日にちも変動します。ここ30年程はずっと2月3日ですが、 実は2月2日になったり2月4日になったりします。

 2024年は、2月3日が節分です。
最近は節分というと豆まきよりも恵方巻き(えほうまき)の方が有名で今年の恵方(えほう)はどちらだ、等と話題になります。しかし、30年ほど前から岐阜県に住んでいますが、生まれ育った鳥取県でも、大学時代の東京でも 恵方巻きなど、聞いたこともありませんでした。

 恵方巻きの起源はいくつもの説があり、その一つに江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事としてはじまったようです。
 その後、恵方巻きは一反廃れましたが、1973年から大阪海苔問屋協同組合が、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンを始め、大阪市で海苔店経営者等がオイルショック後の海苔の需要拡大を狙い、「丸かぶり」「丸かぶり寿司」という名で海苔巻きの早食い競争をはじめ、復活することとなりました。
 この道頓堀で行われた販売促進イベントがマスコミに取り上げられて関西に広がり、その後コンビニのファミリーマートが先駆けとなり販売するようになり、1989年にセブンイレブンが最初に非関西圏の広島県の一部店舗で「恵方巻」と名付けて売り出したことから全国に広がったようです。このように、商魂に乗ってひろまったものですが、2月3日はスーパーやデパートの食品売り場では恵方巻きを山のように積んで販売し、山のように売れ、山のような売れ残りの廃棄模様も毎年テレビで放映していますが、資源の無駄遣いなのにこれでは恵方が泣くだろうと思ってしまいます。

 食べ方が太巻きを切らずにかぶりつくという ちょっと下品な食べ方ですから
50年以上前ではちゃんと躾をされた家では許されない食べ方ですね。

(子供の頃 瓶のコーラを口で直接飲もうとすると、「はしたない」といって母に怒られましたし、ハンバーガーに大きな口で食らいつくのもみっともないといわれていましたが、現代ではそれも普通になり時代も変わりました。)
 


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節分の口上




さて、実家の鳥取県倉吉の節分では、まず初めに家の門の所に「やいかがし(焼嗅)を飾ります。
 (やいかがしは、柊鰯(ひいらぎいわし)のことで、割り箸に焼いた鰯の頭と柊の小枝を付けたものです)

 柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言われています。

次に行うのが豆まきです。
私の生まれ育ったのは鳥取県倉吉市です。
 子供の頃 吉田家では節分の日にはまず、柊と鰯の頭を串に刺したものを家表と裏玄関の角角と、部屋の入り口に刺して飾りました。
 
 そして台所で大豆を煎り 四角い木の升に入れます。
 
男の子供は羽織袴を着させられます。 足には白足袋か黒足袋。

 


 四人兄弟の内その年の年男(としおとこ)の男の子は羽織袴に着替え、足袋を履き正装をします。腰には本物の脇差しを差して武士のような出で立ちです。
 刀は大江山の酒呑童子を切ったと言われる第一名刀国宝、童子切安綱((どうじぎりやすつな)平安時代の伯耆国の大原(現代の鳥取県倉吉市)の刀工・安綱作の日本刀(太刀))の流れをくむものだとおもわれます。

 子供ながら、とても重い本物の切れる刀を腰に刺し本当の武士のようで、とても格好良く感じ、身のしまる緊張感と共にとても嬉しい時間です。

写真は、現在、織物で鳥取県無形文化財となっている弟の子どもの頃のものです。こんな感じですが、節分はもう少しきちんとした羽織と羽織の紐をきちんとして、刀を差し升を左手に持ちます。

 年男がいない場合でも 我々兄弟が羽織袴に着替え、升に大豆の炒ったものを入れ、台所もトイレもお風呂もすべての部屋を中から外へ向かって豆をまいてまわります。

 その時、豆をまく前に江戸時代から続いている 口上(こうじょう)を述べるのです。
 



その口上は 
 「新瑞の年の初めに豆打てば 福は内 福は内 福は内 鬼は外   鬼は外」  
 
述べ方は具体的には 謡(うたい)の様に抑揚をつけて うたうようにいいます。

 あらたまのとしのはじめにまめうてば ふくわうちふくわうちふくわうち (ここで豆を手で握り)おにはーそとー(といってここで豆をまく)  おにはーそとー(といってここで豆をまく)

羽織袴など一年間でこの時ぐらいしか着ませんから、子供ながら凄く緊張しています。
さらに口上を一言も間違えないように言おうと より緊張する時間です。
 玄関からお風呂、トイレまですべての部屋でこの口上を言ってから撒きます。全部の部屋13とお風呂、トイレ、庭にも向かって撒くので15回もこの口上を言いながら家中を撒いてまわりますから一時間ほど掛かってしまいます。

 子供で 羽織袴で腰には刀を差しているので、格好良いし、最初は緊張して張り切っているのですが、後の方の部屋ではもうくたびれてくるし飽きてしまいます。
10部屋もまわった頃にはもう 口上も豆まきも嫌だと思うが
子供ながら大切なことだからと我慢して
どうにかすべての部屋などに巻き終わって終わったころにはもう
へとへと。
 普段着たこともない羽織袴は格好良いが風通しがよくて2月の大寒には寒い。 
  小さい頃は途中で嫌になり泣き出したこともあったそうです。
それが終わってからようやく皆で晩ご飯になり、家族全員がその年齢の数だけ豆を食べます。

僕は年が若いので6個
大豆は炒ってあり、予想より旨いが
たった6個では数が少なすぎてすぐに食べ終わり、物足りない。
 
それと引き替え
お母ちゃんは沢山だ。ばあちゃんは60才以上だから多すぎて下痢でもしないかと心配。
 
少し僕に分けてくれればお互いに丁度良い数 食べられるのにと思いながら
いつも分けてもらった。
 
炒りたての大豆は香ばしくて旨かった。
 
次の日
各部屋のいたるところに豆まきの豆が転がっている。
 
昨日あまりたべられなかったから
もったいないから拾って食べた。
美味しくなかった
豆まきの大豆は 炒りたてじゃないと不味い
と つくづく実感した。

倉吉の他の家でもこういう風に行ってるかと思って
友達に聞いたが
どの子の家もそんなことはしない
ただ 鬼は外 福はうち というだけ。
逆におもしろがって自分もやりたいという。

昔は庶民 武士 貴族、また地方事にやり方もいろいろあっただろうと思いますが、

 皆さんの家では どうですか
少し かわった口上のある方は教えてくださいませんか。

 

名古屋市美術館 特別展 

 ガウディとサグラダ・ファミリア展

 

 

 サグラダファミリアは「未完の世界遺産」。第二代の建築家アントニ・ガウディの時代からすでに140年以上経っていますが、現在も未完成の聖家族教会です。

本展は100点を超える図面や模型、写真、資料、さらには最新の映像をまじえながら、サグラダ・ファミリア聖堂の造形の秘密に迫り、ガウディ建築のオリジナリティーを明らかにします。

 

 

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 今までは、生誕のファサード、受難のファサード、内部、聖母マリア&福音書記者の塔が造られ、2018年からイエスの塔が造られています。数年後に正門(栄光のファサード)の建設工事が始まるでしょう。サグラダファミリアが完成したら、世界一の高いカトリックの教会(高さ172㍍)になり、バルセロナの街を鮮やかに彩り、訪れる世界中の人々に驚きと感動を与えることでしょう。

 建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)は第二代目のサグラダファミリアの建築家ですが、なぜ、あのサグラダファミリアがあの様に作られたかが、すごく理解できる素晴らしい展覧会となっています。

(愚考ですが) 

 以前からサグラダファミリアを観ていますと、西側の「受難のファサードだけは、どうしてもガウディらしくない部分が多すぎます。どうしてだろうと気になっていましたが、この展覧会ではそれについては直接触れてはいませんが、  

 ここだけはなんか全体のまとまりが??っと思える様になってしまっています。

 やはり、ガウディの思想とはあまりにも違う様です。(ガウディの死後、受難のファサード全体像は、ガウディのスケッチにかなり忠実なものに仕上がりましたが、その時のスペインの有力彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスを起用したが故に、別解釈or新解釈された様で、オブジェや彫刻が、ガウディが好んだ有機的で流れる様な曲線の作風とは全く対照的で、スピラックス風の角ばった幾何学的なものになってしまっています。

 (この写真3点がジョセップ・マリア・スビラックス作品です)

 

 インパクトだけは与えると思うが、明らかに別次元だ。

 しっくりこないのです。それでいて感動もない。中途半端に見える。

これならベルナール・ビュッフェにやらせたかった。ベルナール・ビュッフェも彫刻作品を作っていますし、ビュッフェなら構築的でも優しさを含み、ど肝を打つ作品に仕上げたであろう。などとロバの頭で余分な事を考えてしまいます。

1月27日、コスチュームも含めておもしろい映画を見ました。

今日封切りのアカデミー賞11部門にノミネートされた映画『哀れなるものたち』

 

 

真夏の夜の夢の如く奇想天外なファンタジー? のストーリーも良いですが、ともかく、ウエアが結構楽しめます。

  衣装デザインは ホリー・ワディントン

 衣装には1970年代の素材を起用したとのこと。1890年代のヴィクトリア朝後期のファッションやエルザ・スキャパレリ、シャネルなど20世紀初頭のデザイナーや、シュルレアリスムのファッション。クレージュ、カルダン、パコ・ラバンヌなどの1960年代の未来的なファッションデザイナー達を参考に、それに伴い1960〜1970年代のビニール素材や、独特なテクスチャーの生地や現代のハイテク素材が使われていて、ちょっと懐かしいファッションイメージが現代ハイテク素材表現で楽しめます。

R18ですが、ファッション好きな方は楽しいと思います。

 

 

 

 …………………………

  『哀れなるものたち』

 ある不運に見舞われ、自ら命を絶った女性ベラ(エマ・ストーン)。しかし外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)の手で、自身が身ごもっていた胎児の脳を移植され、無垢で自由な精神をもってよみがえる。やがて「世界をこの目で見たい」と欲し、いてもたってもいられなくなったベラは、遊び人の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)とともに大陸横断の冒険へ。あらゆる偏見から解き離れたフラットな目線で世の中を見つめるベラ。旅の道中であらゆる経験をし、すさまじい速度で成長を遂げていく。

監督_ヨルゴス・ランティモス 原作_アラスター・グレイ 脚本_トニー・マクナマラ 出演_エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ 配給_ディズニー

1月26日(金)公開

  ぜひご覧ください。

染めと織の万葉慕情93
  領巾ふりけらし松浦作用ひめ
    1984/1/27 吉田たすく

 領巾と書いて(ひれ)と読ませています。 領巾とは今で言う婦人の肩にかけるストールの事で、龍宮の乙姫さんの肩にかけている布とか、天女がひるがえしている布なのです。 このひれを詠(うた)った歌が数首あります。

 九州唐津にのこる伝説を聞いた山上憶良の歌。

 松浦県(まつらがた)
  佐用比売(さよひめ)の子が
    領巾振りし
   山の名のみや
    聞きつつ居(お)らむ

 松浦にある佐用ひめが肩にかけた領巾、ストールを振った山の名を 聞いてだけいることがあろう
か(行って見たいものだ)。

 ところでその領巾を振った山の伝説とはどんな話なのでしょう。
 宣化天皇のとき新羅へ向かう大伴狭手彦(さでひこ・大伴金村の子)が唐津の地で情を交わした松浦佐用比売と別れて船出をするおり、姫は別れることは易(やす)く、会うことの難(かた)いことを嘆いて、近くの高い山に登って、はるかに離れ去りゆく船を望んで、こらえる思いを断ち、遂に領巾を肩から脱いで力いっぱい振って船を招いたのです。
 そばの者たちで涕(なみだ)を流さないものはなかったといわれ、この山は領巾磨嶺(ひれふりのみね)と名づけられたという伝説なのでした。
 私は一度ここをたずねた事があります。 大変美しい黒松のつづく海岸の松原の後方に、鉢を伏せたような形の山で、観光バスで登れる鏡山です。
ひれふる山といわれていました。これに登ると狛島や高島、大島などが唐津湾に浮かんですばらしい景観でした。
 なるほど、 ひれふる山にふさわしい趣です。
 この伝説をもとに又一首詠っています。

 遠つ人
  松浦佐用比売
    夫恋(つまどい)に
   領巾振りしより
    負へる山の名

 この歌につづいて「後の人の追ひて和(こた)ふ」後の人がまたこんな歌を詠みましたという前ぶれて

 山の名と
  言ひつげとかも
    佐用比売が
   この山の上に
    領巾を振りけむ

またこの次に
「最後の人の追ひて和ふ」と書いて

 萬代(よろづよ)に
  語りつげとし
    この嶽に
   領巾振りけらし
    松浦佐用比売

 この歌にもう一首つづいて

 「最最後の人の追ひて和ふる二首」 最最後の人というのがおもしろいです。

 海原の
  沖行く船を
    かえれとか
   領巾振らしけむ
    松浦佐用比売

 行く船を
  振りとどみかね
    いかばかり
   恋しくありけむ
    松浦佐用比売

 鏡山の上から唐津湾を出て行く夫の船に、力のかぎりストールを振っても振っても引きとめられない、恋しても恋しても別れて行く佐用姫の思いはどんなであったでしょう。
 第二次大戦のおり大陸へ出征する夫を送った妻たちのおもいもこんなおもいでありました。



  (新匠工芸会会員、織物作家)

染めと織の万葉慕情92

  玉の緒のたえて乱れて

    1984/1/20 吉田たすく

 

 

 玉の緒の歌です。 古代のネックレスには管玉、まが玉づくりなの出土品がありますが、万葉歌ではこれらの玉の事は詠(うた)われていません。

 歌に見えるのは、白玉の歌が数首あります。 真珠の事です。緒の歌の中にはありませんが竹管のネックレスもあったようです。これらをつなぐ玉の緒は麻か絹を楼(よ)って作ったのでしょう。

先週も書きましたが、美しく胸もとを飾っていた玉もまもなくその摩擦にたえかねてすり切れ、パラパラと散った事でしょう。そのさまを胸の思いの絶えて乱れる表現の枕詞(まくらことば)に使ったのです。

 かくしつつ

  あり慰めて

    玉の緒の

   絶えて別れば

    すべなかるべし

 この歌は巻十一の中の問答歌の一つです。 この問いに答えた歌。

  紅(くれない)の

   花にしあらば

     衣手に

    染めつけ持ちて

     行くべく思ほゆ

 こうしていつも自分の心を慰めていますが、あなたと(玉の緒が切れ絶えるように)絶えて別れてしまったらどうしようもないでしょう。 いやいや、もしあなたが紅の花であったなら、袖に染めつけて持って行きたく思われます。

 この歌では袖(そで)に花染をする染色の事を心にそめる事にたとえて詠っています。 つづいて玉の緒の絶える歌を読みましょう。

 玉の緒を

  片りに縒りて

    緒を弱み

   乱るる時に

    恋ひめやも

 この歌には玉の箱の作方が詠われていて、片緒によって緒が弱くて乱れるといいます。 これは単糸の事で、麻とかを一方向によっただけの糸の事なのです。 この単糸を二本コまたは三本コにして逆よりにすれば、双になり大変強くなります。織物の場合、強さの必要な経糸(たていと)は双糸を使い、緯糸(よこいと)には単糸を使う事がよくあります。

 この歌のように単糸でとじたネックレスはすぐに弱くなり乱れちる事はわかっています。 そのようにあなたと私の仲が絶えたりすれば、その時に私は恋に苦しまずにいられはしないでしょう、と詠っているのです。

 もう一首読みましょう。

 恋ふること

  増される今は

    玉の緒の

   絶えて乱れて

    死ぬべく思ほゆ

 恋の苦しみがいよいよはげしくなって来て今はもう、玉の緒が切れ玉が乱れるように心乱れて死にそうです。

 玉の緒が切れ、玉が乱れてもうもとにもどらないように散りぢりになった情景を、心の乱れによせて詠いあわせています。

  (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 

 …………………………

 40年前 、2年強にわたって日本海新聞に連載された「染めと織の万葉慕情」の今日 1月20日に載せられたものです。

 日本海新聞は、鳥取県内に鳥取本社、中部本社、西部本社、大阪市に大阪本社の4本社制を整え、県内外に9支 社局・通信部を配置して、 島根県東部から鳥取県、兵庫県但馬地方の3県にまたがる地域をカバー していて、

 日本の地方紙において都道府県単位での普及率は7割と最も高いシェアとなっている新聞です。

 本日15日は 小正月

 

 「小正月」は現代ではあまり使われませんが、1月1日の正月を「大正月」、こちらを「小正月」や、「女正月」と呼びます。

 小正月は 1月15日、または1月14日~16日の3日間とされていて、「左義長」や「どんど焼き」などの火祭りが有名で、寺社の境内や河原などにお札や、門松、しめ縄などの正月飾りを集めて焼きますが、その火で餅やサツマイモを焼いて食べたりしますね。これが美味しい。

 また、餅で繭玉を刺す「餅花」を作って飾ったり、15日の朝には小豆粥を食べ、子どもたちが、雪でかまくらを作ってその中で過ごす行事や、鬼が家々を回る「なまはげ」や「なもみ」などの行事、豊作占いなど様々な地域によって行われています。

昨日は、快晴の中、田圃でどんど焼きをしている光景を数カ所見ながら田舎道を走って成田山へ年初の車のお祓いへ行きました。

その後、天下の奇祭で有名な田縣神社へお参りに行き

 見事な逸物で商売繁盛と新しき幸運を祈ってきました。

 

 

  一番拝みたいのは人口減の国、一人っ子政策を廃止しても人口の増えない中国かもしれませんね。

 

おのこだけお参りするのは片詣り、続けて姫の宮の大縣神社へお参りし、姫石にも祈ってきました。

 

田縣神社(たがたじんじゃ)

  愛知県小牧市田県町152

創建の年代は不詳で、かなり古い神社で、古い土着信仰に基づく神社で、大同二年(807)に編纂された古典『古語拾遺−御歳神の条−』の故事に基づいて男茎形を奉納し祈願する俗習があり、「産むは生む」に通じて、恋愛、子宝、安産、縁結び、夫婦円満、商売繁昌、厄除開運、諸病の平癒の守護神として、全国の崇敬者から格別の崇敬を受け、また世界各国の人々から注目される神社です。

 

大縣神社(おおあがたじんじゃ)

  愛知県犬山市宮山3

 

尾張開拓の祖神、大縣大神を祀る神社。現在の社殿は、尾張藩主二代目徳川光友が寛文元年(1661年)に再興した建物で、尾張造の構造様式をよく伝えている。特に御本殿は、三棟造・大縣造と称され、特殊な様式を構え、国指定の重要文化財となっている。境内の姫之宮は、玉比売命を祀り、安産や女性の守護神として信仰を集めている。

 古くより子授け、安産、女性特有の病気、縁結びにご利益があると言われ、特に女性に人気の神社です。

 

田縣神社の豊年祭の様子です

       (田縣神社の豊年祭の写真は愛知県のホームページからお借りしました)

恵那市 新春華道展

  2024年1月14日

    恵那市文化センター

明けましておめでとうございます。

 早いもので、もう「小正月」ですね。

 「小正月」は現代ではあまり使われませんが、1月1日の正月を「大正月」、こちらを「小正月」や、「女正月」と呼びます。

 小正月は 正月よりも結構忙しく、1月15日、または1月14日~16日の3日間とされていて様々な行事が行われます。

小正月の行事では、「左義長」や「どんど焼き」などの火祭りが有名で、寺社の境内や河原などにお札や、門松、しめ縄などの正月飾りを集めて焼きますが、その火で餅やサツマイモを焼いて食べたりしますね。これが美味しい。

 また、柳などの木に小さく切った餅や団子を刺したり、繭玉を刺す「餅花」を作って飾ったり、15日の朝には小豆粥を食べ、正月飾りを焚いたりするなどの行事が多いようです。

 子どもたちが、雪でかまくらを作ってその中で過ごす行事や、鬼が家々を回る「なまはげ」や「なもみ」などの行事、豊作占いなど様々な地域によって行われています。

 その小正月に新年初の生け花展があり、私も参加させて頂きました。

 正月ですから、形式を生かした出品が多いのですが、今回の私の活け方は、形式にもとらわれない私の様な「自由花」で行いました、

  しかしその腕は路傍の草のように小さく見過ごされるレベルです。

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 冬空の

  凍てつく山に

    春蕾

 

 

 この寒い季節 野山で何よりも真っ先に春を感じさせるのは銀色の蕾がふわっと膨らんだコブシですね

 花が咲く前の蕾が、子供の握りこぶしのように見えるためコブシと名付けられたそうです。

コブシはモクレン科モクレン属で落葉広葉樹の一つ。早春に真っ白なきれいな花を咲かせ、冬が明ける合図となる花です。

 このコブシの枝で今年飛躍するイメージで

 まっすぐ伸びよと糸菊。

「永遠の美」や「愛情の絆」「求愛」など、愛にちなむ花言葉が付けられている「ストック」。

春を想う七色の遊び心の ドラセナ

こんな感じで生けてみました。

 

〈花材〉

コブシ

糸菊

ストック

ドラセナ

花器

  昨年作陶した拙作

    鎬(しのぎ) 大花器

 

染めと織の万葉慕情91

  玉の緒の絶たる恋

    1984/1/13 吉田たすく

 

 

 玉の緒の歌です。真珠の玉をつづる緒も今のようにナイロンやテトロンのような強靱(じん)な繊維がなかった当時の事ですから、玉の摩擦に耐えかねてよく切れ、真珠の玉もばらばらに乱れ散る事があったのです。

 この事から、破れた恋の二人の仲が絶えた言葉の枕詞(ことば)や、心の乱れの枕詞に使われるようになったのでしょう。

巻十一の「物に寄せて思をのぶ」歌の一群の中に、玉の緒を枕詞に使った歌が数首並んでいます。

 天地(あめつち)の

  寄り合ひの極(きわみ)

    玉の緒の

   絶えじと思ふ

    妹(いも)があたり見つ

空間的にも時間的にも極めて遠いごとく、永久に仲を断つまいと思うの家のあたりをながめたことである。

 生(いき)の緒に

  思へば苦し

    玉の緒の

   絶えて乱れな

    知らば知るとも

 命を賭けて恋しているので苦しい。いっそ玉の緒が切れて乱れるように心乱れてしまいたい。人が知るなら知ろうとも。

 そうとうな恋の苦しみかたです。染織品をあつかった歌のほとんどが恋の悩みや苦しみの歌ですが、玉の緒の歌はことさらそんな歌がつづきます。

 玉の緒の

  絶えたる恋の

    乱れなば

   死なまくのみぞ

    また逢(あ)はずして

 玉の緒の切れたように仲の絶えた恋に心が乱れて収まらないならば、もはや死のうと思うばかりです。もう逢ったりはしないで。テレビドラマを見るような情景です。

 片糸もち

  貫(ぬ)きたる玉の

    緒を弱み

   乱れやしなむ

    人の知るべく

 より合わせていない一本の糸でとじた玉の緒が弱くて乱れるように、私は心乱れるであろうか。人が気づくほどに。

 玉の緒の

  間も置かず

    見まくほり

   わが思う妹は

    家遠くして

玉の緒の間もあかないでとじられているように、絶えず逢いたいと思うあなたは家が遠くて。

 玉の緒の

  うつし心や

    年月の

   行きかはるまで

    妹に逢はざらむ

 正気でいて、長い年月の移り変わるまで妹に逢わずにいられるだろうか。 いられないだろう。

 タマノヲ、という美しい言葉のひびきと対照に絶えたる恋の乱れが詠(うた)われていきます。

     (新匠工芸会会員、織物作家)