染めと織の万葉慕情96 (2)
桃花そめの浅らの衣
1984/03/02 吉田たすく
毎年の例ですが今年は二十四回目の手織展を大阪の阪急百貨店で、また東京銀座の画廊でも開き、倉吉に帰ってまいりました。いつもの年ならもう春めいて来る頃ですのに今日も雪。表の道にはないけれど、うちの中庭にはまだたんまりと雪の山が残っています。
それでも暦は三月三日の節句になってきます。桃の節句にちなんで桃の歌をひろってみましょう。 (一昨年もこの歌を読みましたが)
桃花褐(つきそめ)の
浅らの衣
幾らかに
思ひて妹(いも)に
逢(あ)はむものかも
桃色に染めた衣のように薄く、浅い気持ちで彼女に逢うでしょうか、 いやいやそんな浅はかな気持ちじゃない、本気で逢うんだ、という歌なのです。
ところで桃花褐と書いて 「ツキゾメ」と読ませていますが、桃色に染めた布です。褐は粗布の事。
桃染は天智紀に「桃染布五十端」、衣服令に「衛土…桃染衫(ころも)」、衛門府式に「衛士、桃染布衫」、左右京式に「凡兵士、以浅桃染為当色」。
霊異記に「紅染裳、今云桃花裳也」とあり、また桃花には都支(つき)と訓があるので桃染は桃花と同じであろう、と岩波の古典文学大系にあります。
桃色に染めた布で、下級兵士の制服であったのでしょう。 今考えて見ますと、なんとやさしい色の服を着ていたものだと思います。この歌は巻十二の中の「物に寄せて思を陳(の)ぶ」の一群の中の一首ですが、この群の中に衣を詠(うた)った歌がたくさんのせられております。 この歌によく似た歌を一首、読んでみましょう。
紅の
薄染衣
浅らかに
相見し人に
恋ふる頃かも
挑染かどうかわかりませんが、紅の薄染といえば紅花染か蘇染(すおうぞめ)かも知れません。
くれないの薄染の衣のように薄く浅く、軽い気持ちで深く心にとめることもなく、気軽く逢っていたあの人。妙に恋しいこのごろです、という歌で、人の心も春近いおもいです。
紅衣が出たところで赤絹の歌を今一首。
赤絹の
純裏 (ひとうら)の衣(きぬ)
長く欲(ほ)り
わが思ふ君が
見えぬ頃かも
赤絹で織った純裏の衣は、一枚の布を折って表裏とした衣服で、裁ち方に特色があり、身頃が表裏ひと続きのため、織る時に普通の衣の二倍の長さに織って作る衣のようです。それで「長い」言葉の序として使われているのです。そのように二人の関係が長く絶えることなくと思っている彼氏がお見えにならないこのろです。 春の心をまつ歌でした。
(新匠工芸会会員、織物作家)
今回は番号が96-2となっていますが、第9回の9が使われていなくて、その代わりこの96が2つになっていて全体が百となるようにしてあります。
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この記事の書かれたのは丁度40年前の同じ日。
父たすくは「中庭にはまだたんまりと雪の山が残っている」と書いていますが、今年の今日、2024年3月2日は、倉吉の実家にいる弟の公之介が「庭の寒葵に花が葉の陰に隠れるように咲いています」と書いていました。今年は雪はないようです。そして、おそらく40年以上前に父が植えた寒葵の子孫が咲いているのでしょう。中庭の木々やイメージは父がいた頃のまま生きています。

