染めと織の万葉慕情96
斑衾(まだらぶすま)
1984/02/17 吉田たすく
衾(ふすま)の歌のつづきです。 (衾は、寝具につかう掛布のこと)。
巻十四には東歌(あづまうた)が集められています。
東歌は関東方面の民謡を集めたもので、農民生活そのままを詠(うた)ったところがおもしろいのです。
東歌の最初にこんなのがありました。
あらたまの
伎倍(きへ)の林に
汝(な)を立て
行きかつましじ
眠(ね)を先立たね
これは遠江(とおとうみ)の国の歌で、遠江の伎倍(注1)という所の林にお前を立たせたまま、置いて行けそうもない。 出かけるまえにまず一緒に寝ようよ、という東歌らしい素朴な歌です。
これにつづいて
伎倍人の
斑(まだらふすま)に
綿さはだ
入りなましもの
妹(いも)が小床に
キべの人の斑染の掛布に綿(当時木綿はありませんでした。 コウゾの繊維などをほぐしてわたにしていました)を入れたように、たっぷりと、はいってくればよかった、あの娘(こ)の床に。
衾ではないですが、 床に入りたいと詠った歌があります。
妹が寝る
床のあたりに
石ぐくる
水にもがもよ
入りて寝まくも
石の間をくぐる水のように、あの娘の寝ている床の間に潜って入って寝たいよ。
村の若者が酒を飲みながらこんな歌を手拍子よろしく歌いさわいだ様子が見えるようです。
さっきの歌のように、コウゾなどの繊維を入れた衾もあったようですが、それは麻で織られた布であった事がよくわかる歌があります。
庭に立つ
麻手小衾
今夜(よい)だに
妻寄こせね
麻手小衾
”庭に立つ”は麻を収穫したあと、庭に立てかけてほすので麻の枕詞(まくらことば)になっています。 麻手は麻織りの小衾の小は愛称でつけられたもので、 この柔らかい掛布さんといったところでしょう。
小衾さん、今夜だけでも妻を寄こしてね。ここのツマは妻が夫のことを言っていると思われます。なぜなら当時の結婚は、男性が女性の宅へ夜ごと通うのが常でしたから。「掛布団さんよあの人よこしてよ布団さんよ」といった歌なのです。
彼を待つ一人寝のわびしい女心を、飾らないでそのまま詠った東歌でした。
衾を麻織りといいましたが、楮(こうぞ)で織った衾もあったようです。 「白」にかかる枕詞に栲衾(たくふすま)というのがあるのがそれです。
栲衾
白山風の
寝なへども
児ろがおそきの
あろこそ良(え)しも
白山風の寒さで眠れないが、あの娘の”おそき"があったので嬉しい。”おそき" とは女性が着る上衣の一種で、オスヒとも言って裁縫を加えない上衣だそうで、貫頭衣のような原始的な衣類でしょう。
又一首、栲衾の歌
栲衾
新羅へいます
君が目を
今日か明日かと
齋(いは)ひて待たむ
ここでも稀は新羅にかかる枕詞です。 新羅へ兵士として出征している君のかえる日を今日か明日かと神にお祈りして待っている歌です。
コウゾや麻の掛布の夜は寒かった事でしょう。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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(注1) 伎倍(きべ)
浜松市浜北区あたりの地名。
この辺には伎倍人という織機や治水などの技能に優れていた渡来人たちが住んでいたので伎倍という名前になったそうです。浜北区内で詠まれた万葉集の歌は四首ありますが、当時、東国と呼ばれていた地域で、四首も詠まれるのは珍しいらしい。伎倍という地名は伎倍小学校などに名前に残っており、この辺は現在は貴布祢(きふね)と呼ばれている