今日は節分 明日は立春 | foo-d 風土

foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 『毎年2月3日が節分の日」と思っていませんか?

 節分は字のごとく季節の分かれ目、『立春』『立夏』『立秋』『立冬』の代り目の日ですが、特に重視されたのは冬から春へ代わる立春の節分。
昔は、冬から春になるのを1年の始まりと考えており、 今でいう『大晦日』のように「明日から新しい年」というように特別な日と捉えられていました。

 立春は年によって日にちが変わることがあるので、それに伴い節分の日にちも変動します。ここ30年程はずっと2月3日ですが、 実は2月2日になったり2月4日になったりします。

 2024年は、2月3日が節分です。
最近は節分というと豆まきよりも恵方巻き(えほうまき)の方が有名で今年の恵方(えほう)はどちらだ、等と話題になります。しかし、30年ほど前から岐阜県に住んでいますが、生まれ育った鳥取県でも、大学時代の東京でも 恵方巻きなど、聞いたこともありませんでした。

 恵方巻きの起源はいくつもの説があり、その一つに江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事としてはじまったようです。
 その後、恵方巻きは一反廃れましたが、1973年から大阪海苔問屋協同組合が、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンを始め、大阪市で海苔店経営者等がオイルショック後の海苔の需要拡大を狙い、「丸かぶり」「丸かぶり寿司」という名で海苔巻きの早食い競争をはじめ、復活することとなりました。
 この道頓堀で行われた販売促進イベントがマスコミに取り上げられて関西に広がり、その後コンビニのファミリーマートが先駆けとなり販売するようになり、1989年にセブンイレブンが最初に非関西圏の広島県の一部店舗で「恵方巻」と名付けて売り出したことから全国に広がったようです。このように、商魂に乗ってひろまったものですが、2月3日はスーパーやデパートの食品売り場では恵方巻きを山のように積んで販売し、山のように売れ、山のような売れ残りの廃棄模様も毎年テレビで放映していますが、資源の無駄遣いなのにこれでは恵方が泣くだろうと思ってしまいます。

 食べ方が太巻きを切らずにかぶりつくという ちょっと下品な食べ方ですから
50年以上前ではちゃんと躾をされた家では許されない食べ方ですね。

(子供の頃 瓶のコーラを口で直接飲もうとすると、「はしたない」といって母に怒られましたし、ハンバーガーに大きな口で食らいつくのもみっともないといわれていましたが、現代ではそれも普通になり時代も変わりました。)
 


…………………………………………

節分の口上




さて、実家の鳥取県倉吉の節分では、まず初めに家の門の所に「やいかがし(焼嗅)を飾ります。
 (やいかがしは、柊鰯(ひいらぎいわし)のことで、割り箸に焼いた鰯の頭と柊の小枝を付けたものです)

 柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言われています。

次に行うのが豆まきです。
私の生まれ育ったのは鳥取県倉吉市です。
 子供の頃 吉田家では節分の日にはまず、柊と鰯の頭を串に刺したものを家表と裏玄関の角角と、部屋の入り口に刺して飾りました。
 
 そして台所で大豆を煎り 四角い木の升に入れます。
 
男の子供は羽織袴を着させられます。 足には白足袋か黒足袋。

 


 四人兄弟の内その年の年男(としおとこ)の男の子は羽織袴に着替え、足袋を履き正装をします。腰には本物の脇差しを差して武士のような出で立ちです。
 刀は大江山の酒呑童子を切ったと言われる第一名刀国宝、童子切安綱((どうじぎりやすつな)平安時代の伯耆国の大原(現代の鳥取県倉吉市)の刀工・安綱作の日本刀(太刀))の流れをくむものだとおもわれます。

 子供ながら、とても重い本物の切れる刀を腰に刺し本当の武士のようで、とても格好良く感じ、身のしまる緊張感と共にとても嬉しい時間です。

写真は、現在、織物で鳥取県無形文化財となっている弟の子どもの頃のものです。こんな感じですが、節分はもう少しきちんとした羽織と羽織の紐をきちんとして、刀を差し升を左手に持ちます。

 年男がいない場合でも 我々兄弟が羽織袴に着替え、升に大豆の炒ったものを入れ、台所もトイレもお風呂もすべての部屋を中から外へ向かって豆をまいてまわります。

 その時、豆をまく前に江戸時代から続いている 口上(こうじょう)を述べるのです。
 



その口上は 
 「新瑞の年の初めに豆打てば 福は内 福は内 福は内 鬼は外   鬼は外」  
 
述べ方は具体的には 謡(うたい)の様に抑揚をつけて うたうようにいいます。

 あらたまのとしのはじめにまめうてば ふくわうちふくわうちふくわうち (ここで豆を手で握り)おにはーそとー(といってここで豆をまく)  おにはーそとー(といってここで豆をまく)

羽織袴など一年間でこの時ぐらいしか着ませんから、子供ながら凄く緊張しています。
さらに口上を一言も間違えないように言おうと より緊張する時間です。
 玄関からお風呂、トイレまですべての部屋でこの口上を言ってから撒きます。全部の部屋13とお風呂、トイレ、庭にも向かって撒くので15回もこの口上を言いながら家中を撒いてまわりますから一時間ほど掛かってしまいます。

 子供で 羽織袴で腰には刀を差しているので、格好良いし、最初は緊張して張り切っているのですが、後の方の部屋ではもうくたびれてくるし飽きてしまいます。
10部屋もまわった頃にはもう 口上も豆まきも嫌だと思うが
子供ながら大切なことだからと我慢して
どうにかすべての部屋などに巻き終わって終わったころにはもう
へとへと。
 普段着たこともない羽織袴は格好良いが風通しがよくて2月の大寒には寒い。 
  小さい頃は途中で嫌になり泣き出したこともあったそうです。
それが終わってからようやく皆で晩ご飯になり、家族全員がその年齢の数だけ豆を食べます。

僕は年が若いので6個
大豆は炒ってあり、予想より旨いが
たった6個では数が少なすぎてすぐに食べ終わり、物足りない。
 
それと引き替え
お母ちゃんは沢山だ。ばあちゃんは60才以上だから多すぎて下痢でもしないかと心配。
 
少し僕に分けてくれればお互いに丁度良い数 食べられるのにと思いながら
いつも分けてもらった。
 
炒りたての大豆は香ばしくて旨かった。
 
次の日
各部屋のいたるところに豆まきの豆が転がっている。
 
昨日あまりたべられなかったから
もったいないから拾って食べた。
美味しくなかった
豆まきの大豆は 炒りたてじゃないと不味い
と つくづく実感した。

倉吉の他の家でもこういう風に行ってるかと思って
友達に聞いたが
どの子の家もそんなことはしない
ただ 鬼は外 福はうち というだけ。
逆におもしろがって自分もやりたいという。

昔は庶民 武士 貴族、また地方事にやり方もいろいろあっただろうと思いますが、

 皆さんの家では どうですか
少し かわった口上のある方は教えてくださいませんか。