箱根駅伝、亜細亜大学初優勝
往路が終わった段階で、駒沢大の5連覇は堅いと思っていた。前評判は決して高くなかった亜細亜大だが、9区を走ったフルネームを呼びたくなる山下拓郎の激走で、一時は3位に落ちそうになりながら粘って首位に立ち、そのままゴールテープを切った。
これだけ見応えのある最終区はいつ以来だろうか。愚直な風貌で顔色を変えずひょうひょうと走る亜細亜大の岡田。たすきを受け取った時はその岡田を抜くだろうと、毎年TVで見て顔を覚えた駒沢大の糟谷はしかし失速する。長身の日大・武者とデッドヒートを繰り広げた山梨学院大・小山は小さい体ながらストロークの差をもろともしない。日本体育大、東洋大、城西大のシード権争いも白熱した。その3校の監督が日本体育大で同じ釜の飯を食ったというのも面白い。
と、結局は9区10区しか見ていない。往路に至っては5区だけ。凝縮されている駅伝ドラマ
は好きなのだが、どうも起きられない。
駅伝に関しては肩入れするチームがない。母校も健闘したが、どうも応援していない自分がいる。規模が大きい中で属していると感情が薄まるのだろうか。逆に高校の母校には感情移入し、スポーツはからっきし強くないのだが、何なら系列の大学まで応援する。どちらかといえば大学のほうが思い出深いにもかかわらず。
カメラが殺風景な部屋の真正面を見据え、細長い首、手、足をくねらせてアロイシュスが踊っている。窓の外を眺める彼の恋人・リーラは微動だにせず、カメラの端に映っている。「トータルでイカれている」と言われ、彼はそれを自負し、持論をリーラに語る。定住する意思がなく漂流が常であると。エゴイストによるロードムービーだった。
不眠症のアロイシュスは歩いた。戦争によって壊れた生家や、精神を患って入院している母の元に訪れる。そこで、またはその道中で出会った人々と会話する。そして海を渡る決意をした。実際に旅立つ時、物語は終わる。
ジム・ジャームッシュが在学中に製作した長編デビュー作は、いかにもジャームッシュらしいというと、それは浅はかだろうか。町、部屋、人にデカダン・ムードが漂う。私的な価値観や哲学が作品に反映されているようだった。身軽であることと、未練がましくないこと。金や所持品を持っておらず、まだ足かせもない若者には、むしろ旅に出ない理由を探すほうが難しい。
邦画を5本くらい
・ニワトリはハダシだ
(森崎東)
・ヴィタール
(塚本晋也)
・いつか読書する日
(緒方明)
・メゾン・ド・ヒミコ
(犬童一心)
・空中庭園
(豊田利晃)
・疾走
(SABU)
邦画の当たり年だった。若手からベテランまで監督陣に活気がある。来年も勢いがありそうで何よりだ。
洋画を5本くらい
・サマリア
(キム・ギドク)
・エレニの旅
(テオ・アンゲロプロス)
・世界
(ジャ・ジャンクー)
・ある子供
(ジャン=リュック&ピエール・ダルデンヌ)
昨年の前半は「スパイダーマン2」「スクール・オブ・ロック」と拡大公開作品で傑作があったが、今年はそれがなかった。「春夏秋冬、そして春」は「サマリア」を入れたことで割愛。
リバイバル上映またはブラウン管で鑑賞したものを5本くらい(以前に鑑賞していたものは除く)
・アララトの聖母
(アトム・エゴヤン、2002年)
・ヒューマン・ネイチュア
(ミシェル・ゴンドリー、2001年)
・CURE
(黒沢清、1997年)
・魚と寝る女
(キム・ギドク、2000年)
・風が吹くまま
(アッバス・キアロスタミ、1999年)
・ロゼッタ
(ジャン=リュック&ピエール・ダルデンヌ、1999年)
キム・ギドクとダルデンヌ兄弟がダブル・エントリー。クラシックというと語弊があるが、旧作の絶対数が少なかったことを悔やむ。満遍なく見ようと思う。
青い追記
自作自演です。個人的ベストをバトンテイストでしたためました。「2005年映画バトン」とすればすっきりしたのですが、2004年9月末から始めたこのブログの、宙ぶらりんとなるその時期に見た作品も含めたく、さらにはビデオや特集上映などで見た作品も数えたく、そうするとどうも中途半端なありさまになってしまいました。それぞれ順位もつけようかと思ったのですが、なにぶん優柔不断でして、さらに気分によってそれは左右しやすいもので、ランクはつけられませんでした。回す回さないの時限ではありません。
僕は東京に生まれ、埼玉で育った。東海圏には親戚もいない。しかし熱狂的な中日ファンである。静岡に4年間住んでいたことはあるが、そこは三島で関東寄り、地元民は巨人ファンが多かったように覚えている。周囲にドラキチは数えるほどしかいなかった。それでも応援するには理由がある。
まず家に、なぜそれがあったのかは分からないが、CDマークの中日帽子があった。幼少時代のきっかけはそれである。漠然と応援するようになり、新聞のスポーツ欄の順位表を見て一喜一憂していた。巨人戦以外のTV放映はなく、活字の情報がメイン。そんな中、徐々にではあるが、思いが強くなったことにも理由がある。
中日
横書きの状態で真ん中に横棒を入れると、上下対称になる。
中
日
縦書きの状態で真ん中に縦棒を入れても、左右対称になる。対称的なものにフェチシズムを感じる僕は、図らずも肩入れするようになった。そして今に至る。
中日ドラゴンズに対しては憎しみすら感じるようになった。僕がこの目で見てきたここ30年の中日はAクラスが18回、優勝が4回。日本一は知らない。数字がチームカラーを物語っている。僕はレフトスタンドで応援し続ける。生活の一部だ。
記事の数は500を越した。もはや生活の一部だ。何が僕をそうさせたか。昨年と同様に
テーマ別の割合を出した。
映画もしくはRENTALたまにはCATV 20.6%
音楽 を聴く で踊る 13.5%
スポーツ 中でも野球 とりわけ中日 12.6%
READING REED 2.9%
ツーリンポ 10.1%
バトンは履歴書 4.2%
ソウウツ&ブンレツFAMILY 9.3%
日記をしてみむとてするなり 21.7%
このブログ 4.8%
新テーマとして読書、バトン、ブログが加わった。カテゴリーを増やしたことで日記の頻度は大幅に減ったが、今後もマジョリティの座は譲らないだろう。映画は割合よりも100本鑑賞の目標を達成したい。スポーツというテーマはほぼ中日だけのものになりつつある。ブログを始めたことをきっかけにして、銭湯巡りという新たな趣味ができたことが大きな収穫の一つ。
今さらながら通称の説明、人物紹介を。
ブンレツさん
同居中の母。神津島出身。体が小さく、弱い。リウマチの気配がある。介護が必要となった祖母と暮らすため、埼玉から東京に越した。自活するはずだった僕も諸事情により転がり込む。教養が高く、刺激になっている。「心底から幸せだった時期はない」という。身近で見ていて、たしかにそうだと思う。
ソウウツシニア
離婚を切り出されてなおしがみつく父。山形出身。埼玉の自宅を追い出され、一人暮らしをしていたが、母が東京に越してから戻った。不遜で傲慢だったが、今は不憫に思うことがある。僕は同じ轍を踏まないよう、反面教師とする。出世欲が高く、それなりの地位にいる。顔が酷似している。
ブンレツグランマ
半年間の同居の後、老人ホームに入った母方の祖母。祖父母では唯一の生き残り。車椅子に乗っている。愛される術を知り、色欲が強い。ボケが進行しているが、もしかしたら母よりも長生きするのではないかと、生命力自体は太いと思われる。
ブンレツアンクル
役人の叔父。母の弟。幼少時代のトラウマとして母(ブンレツグランマにあたる)に一度、姉(ブンレツさんにあたる)と二人捨てられたことがあり、彼女に対して言葉はきついが、もし彼女が死んだとすると、涙を流すのはおそらく彼だろう。
ソウウツカズン
ヤッピー気取りの、15離れた従兄弟。父の姉の息子。若い時分から髪が薄かった。今なお血気盛んなため、方々で衝突が絶えない。僕は何かと目をかけてもらっている。
雪が降りしきる寒国の教会が隔離された一つの世界として、教護院に住む青年・朧を中心にそこの人々の性と生が描かれる。
朧が教会の院長である小宮の性処理をしている。彼は神と宗教を試していた。人を殺め、犯し、傷つける。それでも神父の戸川には「神に最も近い」と言われていた。
欲が渦巻く狭いコミュニティで物事の善悪を説く。汚物とされるものや不貞とされることが、果たしてそうなのか。朧を演じた新井浩文の目は全てを見透かしているようだった。また、欲を全く持たない者として修道士の赤羽がいる。殺虫剤を樹木に撒き、やる気をなくすというその薬の副作用に侵されていた。何も見ないことも達観に近い。
荒戸源次郎が上野に一角座という映画館を作った。本人らしきいかつい老人が館内を闊歩している。観客席を一瞥して何だか萎縮した。上映後にはサプライズゲストとして監督の大森立嗣が登場した。弟の南朋にそっくりだ。本作にはその南朋と父親の麿赤兒も出演する。荒戸事務所、一角座も含めてファミリーの香りがした。
ユダヤ系アメリカ人のラニーは奔放で芸に長けていた。いかにも英国紳士然としたヴィンスはウィットに富んだユーモアを飛ばす。彼らコンビは1950年代のショウビズを席巻したスターだった。しかし彼らが宿泊するホテルの部屋で若い女性の死体が発見されてから、第一線を退くことになる。1972年、野心に満ちた女性ジャーナリスト・カレンがその真相に迫る。
カレンが同業の父に教えられたことは記事の客観性だった。その当時、主観的な文章を書くジャーナリストが多い中、彼女は教えを守ろうとした。しかし、ラニーとヴィンスに関する記事は自身が投影される。所詮、創作物にはノンフィクションなどあり得ない。人が手をかける、手を加えることで客観性は失われる。その度合いの多少で判断するものだろう。カレンは二人に関与しすぎたことにより、ジャーナリズムが失われた。
司会者が紹介する間、幕の裏で出番を待つラニーとヴィンスから映画は始まる。互いを見つめ、視線を外す。事件があり、それが闇に葬られ、それを掘り起こす道程で、冒頭で見せた二人の複雑な表情一つ一つが徐々に解き明かされた。
アトム・エゴヤンは相当に頭脳が明晰なのではないだろうか。しかも理系。時代は前後して、真実と嘘が交錯して、ストーリーはスリリングに展開する。加えて50年代と70年代のゴージャスでグラマラスな映像で、サイケの新しい一面を見た。僕は読解が難しかったことを告白する。とても、1度の鑑賞ではクリアにはならなかった。再度チャレンジの予定。
MyClipがドリコムRSSへ
困ったことになった。アメーバブログはドリコムRSSに対応しないらしい。新サービスのリリースといって、より便利になるものだと高をくくっていたが、それにより排除される側になってしまった。ブログペットの、ココア・アイランドとさすらいペット(daddyGG)が表示されなくなる。回避方法が見つからない。アクセス解析も消える。
アメブロ以外のブログをブックマークする際も、僕はMyClip経由でおこなっている。これも消える。アメーバ自体のブックマーク欄は最大表示で15件と異様に少なく、不満がある。どうしたものか。プロフィール欄にでも移行するか。