続・裸のラリーズ - 京都サーカス・アンド・サーカス (Live,1974 or 75?) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

裸のラリーズ - 京都サーカス・アンド・サーカス1974 (Live, 1974 or 1975?)
裸のラリーズ - 京都サーカス・アンド・サーカス1974 (Live, 1974 or 1975?) :  

Recorded Live at 京都サーカス・アンド・サーカス, Date Unknown (Credited 1972 or 1974, but possibly October 1975)
Released by Over Level 002 as "Live 1972", 2006 (France, Unofficial)
Reissued including Ignuitas YOUTH-179 "Collectors Box 「10枚組CDコレクターズボックス」", Disc 2 「1974 "Circus and Circus" Kyoto」, June 12, 2012 (Japan, Unofficial)
全作詞作曲・水谷孝
(Tracklist)
1. 造花の原野 Field Of Artificial Flower - 6:37
2. 夜より深く Deeper Than The Night - 12:10
3. 白い目覚め White Awakening - 6:28
4a. Fantastique - 8:16 (incomplete)
4b. 氷の炎 Flame Of Ice - 5:22 (incomplete)
4c. The Last One - 4:43 (incomplete)
Total Time: 43:37
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocals, lead guitar
中村武志 or 久保田真琴 - rhythm guitar
長田幹生 or 久保田真琴 or 楢崎裕史 - bass guitar
正田俊一郎 or 高橋シメ - drums 

 前回に続いて今回も、裸のラリーズ(1967-1996)の発掘ライヴ音源中でも謎の多い「京都サーカス・アンド・サーカス1974」について探ってみようと思います。本作はおそらく2002年頃からオークション・サイトで出回った、ラリーズ関係者を名乗る匿名出品者「Disaster009」(またはDizaster)による、ランダムに編集された私家版CD-R音源約70枚をソースとして、同一日時と推定される音源をまとめた2006年のフランス盤CD『Live 1972』が最初の単独アルバム化になりました。2004年には新たにラリーズ音源専門発掘レーベル「Univive」が発足、やはりCD30点・80枚あまりものリリースに着手し、「Dizaster」音源と重複する音源も含まれるものの、「Univive」盤はよりダイレクトなオリジナル・マスターに近い優れた音質と、信頼できるデータ精査の下にライヴごとに整理された編集、レア写真を使ったアートワークで決定版リリースとされるも、完全に「Dizaster」音源を網羅した新版ではなく、『Live 1972』音源は含まれませんでした。一方2006年に発足したラリーズ音源専門発掘レーベル「Ignatius」は「Dizaster」音源関係者による後続レーベルと見られ、新たな未発表音源とともに「Dizaster」音源の再編集盤2枚組10シリーズや10枚組ボックス3セットを含む25点・80枚あまりをリリースし、うち2012年の10枚組ボックスの中に、現存するラリーズのライヴ音源でもライヴのフル・セットを収録した最古の音源と見なされる「1972 Kyoto Kaikan」 、「1974 "Circus and Circus" Kyoto」(本作「京都サーカス・アンド・サーカス1974」)を、新たに(またはランダムな「Dizaster」音源をライヴごとに整理し直して)収録していました。「1972 Kyoto Kaikan」については、京都大学農学部グラウンドで行われたイヴェント「第二回幻野祭72」の出演時と判明し、内容は作風確立樹直前の過渡期のライヴをとらえた重要音源であることが確認できます。しかし「1974 "Circus and Circus" Kyoto」は2006年フランス盤『Live 1972』と同一音源で、マニアによって精査されたラリーズのライヴ年表でも1974年に行われた京都でのライヴはなければ、演奏・曲目とも1972年説はほぼ否定されるもので、ラリーズのライヴ年表で該当するなら1975年10月(日付不明)に行われた京都のライヴ・スポット、サーカス・アンド・サーカスでのライヴとするのが妥当です。しかしこの音源が1972年、また1974年とされて伝えられてきたのも無視できず、データ上では1975年10月(日付不明)のライヴがもっとも信憑性が高いものながら、リスナーは他のライヴ音源と比較しながらリスナー個々の耳で判別を迫られます。すなわちリスナーは公式アルバム『'67-'69 STUDIO et LIVE』(1968年~1969年録音)、『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes- 』(1970年、1973年録音)、『'77 Live』(1977年録音)はもちろん、録音データに信頼のおける1972年~1975年のライヴ音源と照応で本作のライヴ収録時期やシチュエーションを推測するしかありません。

 このライヴ音源は「造花の原野」「夜より深く」「白い目覚め」「Fantastique~氷の炎~The Last One」の全4曲(メドレーを1曲ずつと数えれば全6曲)、「Fantastique~氷の炎~The Last One」のメドレー中にしばしば録音、または編集のドロップがあり、「The Last One」は演奏途中で終わっているために実際はもっと長かったでしょうが、現存音源は約44分と、おそらくセット・チェンジの時間を組みこんで1時間の持ち時間のライヴ出演だったと考えられます。「造花の原野」は1972年~1974年のラリーズのライヴではオープニング曲として演奏されることが多く、「The Last One」はラリーズ不動のライヴ最終曲ですから、演奏途中や最終曲に欠損があっても1回のライヴの全曲と見なしていいでしょう。「Fantastique~氷の炎~The Last One」のメドレーに欠損があるのは録音上のミスというより意図的な編集で、いったんファンの間で流通されたカセットテープ・アルバムとしてまとめられる際に「造花の原野」「夜より深く」がA面、「白い目覚め」「Fantastique~氷の炎~The Last One」がB面に振り分けられ、収録時間の関係から「Fantastique~氷の炎~The Last One」のメドレーが編集されたもの、と思われます。本作がフランス盤CDで1972年音源と誤記されたのは「1972 Kyoto Kaikan」(実際の演奏会場は京都大学農学部グラウンド「第二回幻野祭72」)との混同があったのではないかと思われますが、1972年8月16日の「第二回幻野祭72」と聴き較べれば本作が同じ1972年のライヴとはまず考えられません。イヴェント「第二回幻野祭72」出演のラリーズは約42分、全3曲の演奏を残していますが、「第二回幻野祭」で演奏された「造花の原野」「(不明)」「お前を知った」の全3曲はいずれも楽曲としてまだ試演段階であり、「造花の原野」はのちの別曲「Enter The Mirror」の歌詞を交えた未完成な歌詞で歌われ、「(不明)」も1973年以降の代表曲「記憶は遠い」に統合される原曲のひとつと思われ、「お前を知った」は「造花の原野」と同様に1973年後半には単独楽曲として完成されますが、この段階では「踏みつぶされた優しさ」とも「The Last One 70」(のちの「The Last One」とは別曲)とも呼ばれた曲のヴァリアントです。また1973年~1974年には確立されるエコー・マシーンの使用も1972年の段階では導入されておらず、水谷孝(1948-2019)のリード・ギターもブルース・ロックの延長上にあるように聴こえます。作風確立以降の裸のラリーズは非常にヘヴィなサイケデリック・ロックですが、「第二回幻野祭72」でのラリーズはサイケデリック色よりも同時代のフラワー・トラベリン・バンドやブルース・クリエーション、ファーラウトに通じるプログレッシヴなヘヴィ・ロック・バンドの趣きがあり、そこが「第二回幻野祭72」が作風確立途中の過渡期のライヴの観もあれば、同ライヴならではの聴きどころにもなっています。それはオープニング曲「造花の原野」に顕著で、同曲はホークウィンドのセカンド・アルバム『宇宙の探求 (In Search Of Space)』(United Artists, 1971)収録曲「Masters of the Univers」のコード進行を借りた楽曲で、裸のラリーズのレパートリー中1972年が初出になり、活動を休止する1996年まで演奏され続けた定番曲になりましたが、ラリーズの楽曲中でもアレンジの幅がもっとも広い曲なのがさまざまなライヴ・ヴァージョンで確認できます。1973年のライヴ・ヴァージョン(会場、日付不明)では「Masters of the Univers」をそのまま踏襲したリフとリズム・パターンで演奏された音源もありますが(Dizaster音源、編集盤『Heavier Than a Death in the Family』に再収録)それは稀で、演奏されるたびにリフとリズム・アレンジ、テンポが一新されるために、しかもオープニング曲として演奏されることが多いために、なおさら「造花の原野」はその時々のライヴのテンションを測る目安になる楽曲です。

 ただし同曲「造花の原野」はあまりに多彩なアレンジで演奏され続けたからか、1991年に3作同時にリリースされた公式アルバム『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes- 』『'77 Live』のいずれにも収録されておらず、公式音源としては吉祥寺のライヴハウスOZの閉店記念に自主制作されたオムニバス・アルバム『OZ Days』(1973年収録・リリース)への提供曲4曲中の1曲のみが存在するだけで、その『OZ Days』収録ヴァージョンではのちの「夜より深く Part 2」(「夜より深く」を短調にした改作で、事実上「夜より深く」とは歌詞の共通以外別曲)の原型となったアレンジで演奏されています。「第二回幻野祭72」での「造花の原野」とも、「京都サーカス・アンド・サーカス1974」とも異なるアレンジで、『Heavier Than~』の1973年ヴァージョンを加えて4種の「造花の原野」を聴き較べても、ほとんど別曲と見違えるほどに異なる演奏です。「京都サーカス・アンド・サーカス1974」の実際の収録が1972年とすればメンバーは水谷孝(リードギター、ヴォーカル)、中村武志(ギター)、長田幹生(ベース)、正田俊一郎(ドラムス)、もしくは中村・長田の代わりに久保田真琴(ギターまたはベース)が参加している可能性があり、1974年なら水谷、中村、長田、正田の四人、1975年10月なら水谷、中村、楢崎裕史(ベース、1952-2023)、高橋シメ(ドラムス)です。楢崎、高橋は1975年8月から長田、正田に代わって加入したメンバーで、高橋は1975年いっぱいまでの短期間で脱退して三巻俊郎(ドラムス)に代わり、水谷、中村、楢崎、三巻の四人は1976年~1977年末まで不動のラインナップとなり、公式アルバムの代表作『'77 Live』を筆頭に'70年代ラリーズ絶頂期と見なせるさまざまな名演を残します。1972年~1975年前半までの水谷、中村、長田、正田時代に作風を確立したラリーズは1974年には明治学院大学で1時間半もの単独コンサートを成功させていますが(「明治学院大学ヘボン館地下・1974年7月13日」)、1975年以降のラリーズのキーパーソンは元だててんりゅう、元頭脳警察の豪腕ベーシスト楢崎裕史でした。ラリーズの全活動でも楢崎裕史在籍時のライヴ音源は突出しており、楢崎脱退後の'70年代末~'80年代~'90年代ラリーズでも歴代ベーシストは楢崎が確立したスタイルを踏襲することになります。

 楢崎裕史のベースによってラリーズはいっそうクラウトロック色を強めることになり、強靱なベースラインに支えられてリズムがより躍動的になるとともに、水谷孝のギターもより奔放に飛翔しながらも、安定したバンドのアンサンブルを同時に実現できるようになりました。ラリーズの音楽性をよく理解した元OZスタッフの三巻俊郎のドラムス、京都で1967年に裸のラリーズ結成以来のギタリスト中村武志は、水谷孝が単身上京した1970年から2年間はバンドを離れていましたが、1972年に再参加以降は一貫してラリーズを支えたメンバーでした。水谷、中村、楢崎、三巻のラインナップによる『'77 Live』がもっとも完成度の高いラリーズの代表作になったのは、このメンバーで1年あまりアンサンブルを煮詰めてきた成果と目せます。一方この、実際は1975年10月のライヴと推定される「京都サーカス・アンド・サーカス1974」では、加入2か月目の楢崎のベース、渋谷のライヴハウス「アダン・スタジオ」主宰者だったという高橋シメのドラムスはまだ試行錯誤段階ながら非常に意欲的な演奏で、楽曲としてはアシッド・フォーク的な「夜より深く」「白い目覚め」もアグレッシヴな演奏ならば、エンディングのメドレー「Fantastique~氷の炎~The Last One」も奔放で、オープニング曲「造花の原野」も他に類例のない、ベース・ソロから始まるアレンジで演奏されています。高橋のドラムスはテクニカルとまでは言えないまでも手数の多い即興性の高い演奏で、それが異例のベース・ソロから始まる「造花の原野」のアレンジに反映したと思われます。またセットリストの曲目、「Fantastique~氷の炎~The Last One」のメドレーからも本作は、会場が京都のライヴハウス、サーカス・アンド・サーカスという記載通りなら、ラリーズのライヴ年表通り1975年10月の、ドラマーが三巻俊郎に代わる直前の高橋シメ時代の、楢崎裕史をベーシストに迎えてまだ間もない時期のラリーズが聴ける、興味の尽きない音源です。本作はファンの間のみのカセットテープ・アルバムとして流通されていたと推測される編集だけに、他のラリーズ音源との比較とは別に、本作のみを単独アルバムとして聴いた場合の印象(収録時間44分はアナログLPなら十分です)も楽しみたいライヴ・アルバムとしても通用します。ただし本作は1972年のライヴでもなければ1974年のライヴでもなく、1975年のライヴ音源であることはほぼ確実で、新たにオリジナル・マスターからリマスターされたリニューアル・ヴァージョンとして再リリースされるのが望ましいながら、過渡的な音源だけにその可能性は稀薄なアルバムなのは惜しまれるところです。