裸のラリーズ - 明治学院大学ヘボン館地下・1974年7月13日 (Live, 1974) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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裸のラリーズ - 明治学院大学ヘボン館地下・1974年7月13日 (Live, 1974)

裸のラリーズ - 明治学院大学ヘボン館地下・1974年7月13日 (Live, 1974) :  

Released by Univive UNIVIVE-008, 4CD Box Set "Great White Wonder" Disc 1, 2006
全作詞作曲・水谷孝
(Setlist)
1. 造花の原野 (Field Of Artificial Flower) - 8:32
2. 心の内側 (Inside Heart) - 10:04
3. 黒い悲しみのロマンセ (Otherwise Fallin' In Love With You) - 7:42
4. 天使 (Angel) - 10:01
5. 黒い悲しみのロマンセ (Otherwise Fallin' In Love With You) - 4:50
6. お前を知った (You Were Known) - 11:36
7. The Last One - 20:27
Total Time: 1:13:18
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocals, lead guitar
中村武志 - rhythm guitar
長田幹生 - bass guitar
正田俊一郎 - drums

 本作は200枚あまりにおよぶ裸のラリーズの発掘ライヴ音源でも1コンサートが完全収録された、もっとも早い時期の音源とされており、全7曲で1時間14分と質・量ともに充実した、ラリーズの音楽性の確立期初期(裸のラリーズが欧文表記で「Les Rallizes Dénudés」となったのは1991年の公式アルバム発売以降で、'70年代~'80年代の欧文表記は「The Naked Rallys」でしたが)のライヴが聴けます。残されたフライヤー(または入場チケット)からも「one more wild trips」と冠されたラリーズの単独コンサート(入場料300円!)として催されたことが確認され、ひょっとしたら主催者の明治学院大学側で共演バンドを用意していたかもしれませんが、記録上では共演バンドは判明していません。全編でほぼ80分、うち「黒い悲しみのロマンセ」が2回演奏されており、2回目の「黒い悲しみのロマンセ」のイントロが切れているように聴こえることから、1曲目~4曲目の「造花の荒野」「心の内側」「黒い悲しみのロマンセ」「天使」でコンサート前半を区切って休憩を設け(あるいは主催者側がゲストに用意した学生バンドの演奏を挟んだかもしれません)、コンサート後半で5曲目~7曲目の「黒い悲しみのロマンセ」「お前を知った」「The Last One」が演奏されて終了したとも推察されます。そうして前半・後半に分けるとちょうど40分ずつになることからも、おそらくそう推察して間違いはなさそうです。また京都時代からの盟友バンドだった村八分はレギュラー・メンバーが揃うのが早かった(柴田和志vo、山口冨士夫g、浅田哲g、青木眞一b、渡辺作郎ds)分だけ前年の1973年8月にはすでに解散しており、実質的に水谷孝(1947-2019)のソロ・プロジェクトだった裸のラリーズは1972年にレギュラー・メンバーが揃って以来、村八分の解散と入れ替わるようにようやくスタイルの確立を果たしたところでした。その点でも、この発掘ライヴはラリーズ史上において重要な里程標的音源と見なせます。1974年は8月に福島県郡山市で内田裕也のプロデュースによって一週間にわたる野外フェスティヴァル「郡山ワンステップフェスティバル」が行われ、41組ものバンドが出演したうち最大のスターは沢田研二&井上堯之バンドとキャロルでしたが、ラリーズの盟友だった浦和市の安全バンド、小松市のめんたんぴんらも出演しており、グループ・サウンズ以来日本のロックが最初の最盛期を迎えた年とも言えます。あえて出演を辞退した頭脳警察とともに、ラリーズも「郡山ワンステップフェスティバル」に出演していませんが、現在37アーティスト分・21枚組CDボックスで聴ける同フェスティヴァルの前月にラリーズがどのような音楽をやっていたかを、本作はアナログLP2枚組分ものフル・コンサート収録で聴くことができます。ラリーズが「郡山ワンステップフェスティバル」に出演していたら、安全バンド、めんたんぴん、はちみつぱいや外道、横浜の南無、博多のサンハウスらと同様おそらくセットチェンジで1時間、うち演奏時間40分弱の持ち時間を与えられたでしょうから、80分弱の本作は歴史の「もし」(「もし」ラリーズに出演依頼があったとすれば、ですが)が聴けるライヴとも言えます。

 水谷孝率いる裸のラリーズ(1967年11月結成、1968年1月ライヴ・デビュー)は1969年以降「The Last One」をライヴ最終曲にしていましたが、1969年にはジャズ・ロック風のインストルメンタル・ジャムセッション曲だった同曲は、1970年~1973年までのヴァージョンは「The Last One (1970)」と呼ばれる同名異曲で、1973年8月のオムニバス・アルバム『OZ Days』(吉祥寺にあったライヴ・ハウス「OZ」が、閉店に当たって常連出演アーティスト4組をアナログLPの片面ずつ収録した2枚組アルバム)で「The Last One (1970)」をスタジオ録音した後は「The Last One (1970)」は「お前を知った」と改題されるとともに、1974年以降の「The Last One」は最終ライヴとなった1996年まで現在知られる8小節のリフ楽曲になりました。「The Last One」は1曲10分を越えることも少なくないラリーズにあっても、もっとも長大なアレンジで演奏される曲で、稀に持ち時間の少ないイヴェント出演では10分前後でコンパクトに演奏されることもありましたが、公式アルバムの代表作『'77 Live』では27分あまり、発掘ライヴによっては最長40分にもおよぶヴァージョンまであります。「The Last One (1970)」こと「お前を知った」から新曲として改められた最初期になる本作でも20分を越える演奏時間で披露されています。ラリーズは水谷孝以外のメンバーを一新した1976年以降さらに強烈なフィードバック・ギターをフィーチャーしたサウンドになりますが、本作の時点では初期五年間の試行錯誤からようやくスタイルを確立にいたったラリーズの、1976年以降のサウンドよりはまだガレージ・ロック風の荒々しさを残した演奏が楽しめます。水谷孝はまだ後年ほどエフェクターを駆使していませんが、水谷孝・中村武志のギター、長田幹生のベース・ギターともギブソン製のホロウ・ボディーのギターを使用しており、ナチュラルなフィードバック成分が非常に多いサウンドが堪能できます。またフィードバックまみれの音像の中で正確なビートを叩き出す正田俊一郎のドラムスもしっかりアンサンブルを支えており、村八分唯一のアルバム『ライブ!』(エレック, 1973)に引けを取らない内容です。ラリーズは村八分よりメンバーが流動的だったためスタイルの確立時期はやや遅れており、1968年のデビュー・ライヴから1996年の最終ライヴまでの約30年間、水谷孝以外は40人あまりのメンバーが去来しましたが、発掘ライヴを聴くとやはりレギュラー・メンバー固定時に優れた演奏が聴けるようです。

 裸のラリーズは京都の大学生だった水谷孝によって結成され、1969年までは京都で、1970年秋以降は水谷孝の上京に伴って東京を拠点として活動しました。そのきっかけになったのが1970年7月に富士急ハイランドで行われたイヴェント「ロック・イン・ハイランド」で、同年秋に長田幹生(ベース)、正田俊一郎(ドラムス)がメンバーのスリーピース・バンドになるまでの半年弱は、京都時代に交友のあった村八分(当時のバンド名は「ななしのごんべ」)をそのままバック・バンドとして「裸のラリーズ」名義で活動していました。京都時代からのメンバーの中村武志(ギター)が上京して再加入したのが1972年で、すなわち本作のメンバーが揃い、このラインナップは1975年半ばまで続きました。その後一年間はメンバーは流動的になりましたが、1976年には代表作『'77 Live』で知られる水谷孝、中村武志、楢崎裕史(ベース、元だててんりゅう、頭脳警察)、三巻俊郎(ドラムス)の四人になり、ギターに山口冨士夫を迎えた1980年8月~1981年3月のラリーズ、ベースに高橋ヨーカイ(元吉野大作&プロスティテュート)を迎えた'90年代ラリーズと並ぶ、ラリーズ史上最高のラインナップが揃います。しかし本作の水谷、中村、長田、正田(YELLOW、久保田麻琹と夕焼け楽団を兼任)も1972年~1974年の三年間続いただけあってレギュラー・バンドとしての一体感は十分で、一聴ガレージ的なサウンドに聴こえて中村、長田、正田のリズム・セクションは即応力に富んだ演奏で水谷の長大なリード・ギターを支えています。本作収録曲中、「心の内側」「天使」「お前を知った」は、水谷孝自身による1991年リリースの公式アルバム3作『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Dénudés-』『'77 Live』に未収録になった曲ですが、同時期に活動していたニューヨーク・パンクのテレヴィジョン(リーダーのトム・ヴァーレインは水谷孝より2歳年下の1949年生まれです)と非常に近く、また早川義夫(1947-)が率いたジャックス(『ジャックスの世界』1968、『ジャックスの奇蹟』1969)との近親性(水谷孝はジャックスへの無関心を表明していましたが)も強く感じさせる楽曲です。裸のラリーズ、またテレヴィジョンは、サイケデリック・ロック最盛期を体験しながらも、'70年代にようやく独自のスタイルでデビューすることができた、遅れてきたアンダーグラウンド・シーンのサイケデリック・ロック・バンドでした。

 テレヴィジョンに較べても、長らくアンダーグラウンド・シーンのみで曲折を経た活動をしてきた裸のラリーズには、ガレージ・ロック、サイケデリック・ロック、スペース・ロックを摂取し、パンクやインダストリアル・ノイズ、ローファイ、グランジ、シューゲイザーやドゥーム・メタル、ストーナー・ロックまでを予告する混沌とした音楽性で際だっていました。水谷孝が先駆的なヘヴィ・サイケデリック・バンドのブルー・チアーや、サイケデリック・ロックからスペース・ロック(ポスト・サイケデリア)の転換点となったアモン・デュールII、ホークウィンドらに深い関心があったのは関係者からの証言、またラリーズのサウンドそのものが実証しています。「造花の荒野」はラリーズの楽曲中でもアレンジの幅がもっとも広かった曲ですが、アモン・デュールIIのメンバーが参加したホークウィンドの1971年のセカンド・アルバム『宇宙の探求 (In Search Of Space)』のハイライト曲「Master of the Universe」に着想を得た曲なのは明らかです。またアンサンブルにやや粗を感じさせますが、リード・ギターの長大なイントロが美しい「天使」は、グレイトフル・デッド~アモン・デュールII~テレヴィジョンのミッシング・リンクとなるようなディープなサイケデリック・バラードです。

 本作はまだガレージ色とサイケデリック色、スペース・ロック色が混交していて、ラリーズの発掘ライヴでは比較的オーソドックスなギター・バンドとしてのサウンドが聴けるアルバムでもあります。音像からするとミキサー卓からのサウンドボード音源ではなく、水谷孝自身によるバンドスタンド(ステージ上)録音と思えます。機材的・技術的な制約を思えば、当時としてはこれが最上級の音質の、オーディオ的な制約はありながら臨場感に富んだライヴ・テープとして、1974年時点で質量ともに充実したベスト選曲のラリーズの名演と言える(「心の内側」や「天使」のイントロが、まだアレンジの定まらないガレージ的なアンサンブルであることなど、興味深い瑕瑾もありますが)、これがオン・タイムでリリースされていたら、1974年の日本のロックとしては最高の2枚組LP(「造花の荒野」「心の内側」がA面、「黒い悲しみのロマンセ(1)」「天使」がB面、「黒い悲しみのロマンセ(2)」「お前を知った」がC面、「The Last One」がD面)になったでしょう。しかし水谷孝は、1973年8月自主制作リリースのオムニバス盤『OZ Days』以降、1991年の公式自主制作CD3作まで、少なくとも1977年、1980年、1986年の三度あった裸のラリーズのアルバム制作とリリースの機会を拒否し続けました。そして未発表スタジオ音源、発掘ライヴが200枚あまり出回る事態になったのです。その中でも本作は、悠に公式アルバムに匹敵する内容を誇るライヴ盤です。なお裸のラリーズについてはリブログした過去記事で詳細にご紹介していますので、詳しくはそちらをご参照いただけたら幸いです。