石原吉郎「涙」「悪意」(『石原吉郎全詩集』・遺稿詩集『満月をしも』昭和53年より) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

石原吉郎・大正4年(1915年)11月11日生~
昭和52年(1977年)11月14日没、享年62歳


 涙

レストランの片隅で
ひとりこっそりと
食事をしていると
ふいにわけもなく
涙があふれることがある
なぜあふれるのか
たぶん食べるそのことが
むなしいのだ
なぜ「私が」食べなければ
いけないのか
その理由が ふいに
私にわからなくなるのだ
分らないという
ただそのことのために
涙がふいにあふれるのだ

(遺稿詩集『満月をしも』昭和53年/1978年収録)

 石原吉郎(1915-1977)急逝後に生前すでに編纂が終えられ、没後出版になった詩歌集は第七詩集『足利』(昭和52年/1977年12月刊、全39篇)、第八詩集『満月をしも』(昭和53年/1978年2月刊、全47篇)、歌集『北鎌倉』(昭和53年/1978年3月刊、全99首)の3冊ですが、この「涙」は詩集『満月をしも』に収録され、詩集唯一の初出不詳の詩篇です。詩集『足利』『満月をしも』はともに昭和50年(1975年)から逝去寸前までの詩作を収めているので、この「涙」は生前未発表作品で最晩年の『満月をしも』編纂時に加えられたか、または書き下ろしされた作品と推定されます。この詩については、石原吉郎の詩人デビュー初期に発表されながらも生前刊行の最後の詩集になった、第六詩集『北條』(昭和50年/1975年4月刊)までの全詩集『石原吉郎全詩集』(昭和51年/1976年5月刊)の「未刊詩集」の部に初めて収録された同人誌発表作品がその注釈になるでしょう。石原吉郎は外語大学卒業・就職を経て24歳でプロテスタント派キリスト教宣教師を目指し神学校に再入学した直後から徴兵され、ハルピン従軍時に敗戦を迎えてからはソヴィエト軍に25年(!)の懲役刑を宣告され、38歳でスターリン逝去による恩赦による捕虜囚解除・帰国までシベリア抑留兵として過酷な強制労働を送っていた詩人です。捕虜囚の軍人仲間が過労、病気、栄養失調で次々と死んでいく環境を15年近くも生き抜いてきた人です。キリスト教徒としては23歳の受洗以来晩年まで日本基督教団に籍を置いていた人でした。

 晩年の詩篇「涙」と照応する初期詩篇「悪意」は、昭和29年10月発表の初投稿詩から昭和38年(1963年)までの作品を集めた48歳の第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』(昭和38年12月刊)に未収録に終わったのも納得のいく、同時期の初期の佳作「葬式列車」や「自転車にのるクラリモンド」に較べて抽象度・イメージ喚起力ともに弱い作品です。信仰の無力によって信仰を知るという発想はむしろ厳格なカトリックに近く、またその非情を神に訴えるのはユダヤ教、カトリック、プロテスタントを問わず信仰の上ではもっとも悪い、傲慢の罪に当たります。当然神学校入学までした石原吉郎がそれを自覚していないわけはなく、この詩に「異教徒の祈りから」と題辞があるのはその証拠です。神を疑うこと自体が神の実在の証明という認識において、石原吉郎の信仰は曖昧で漠然とした無神論ではなく、西洋の正統的な反神論の系譜を継ぐものです。それゆえに詩としては「悪意」は純粋詩としての昇華を欠き、悩めるクリスチャンの心境告白にとどまります。その点、晩年の詩「涙」は生存の不安という根本には同じテーマを詠みながら、信仰懐疑詩の限定を越えて、より普遍的で具体性のある作品になっています。あえて言えばこの「涙」は必ずしも「食べる」ことに限定される必然はなく「はたらく」「歩く」「しゃべる」「着がえる」「ねむる」など「生きる」こと一般の何にでも代入可能なのですが、ここではやはり「食事」を選んだのがいちばんはかなく限りある生命の痛覚を突いていて、詩「涙」を哀切な作品にしています。介護職の方にこの詩を話題にしたら、実際に食事中に療養者の方々が不意に訳もわからず泣き出してしまう光景はよくあるそうで、この詩に目を見張られておりました。そういえば「食事」と「涙」を結びつけた歌曲を思いだしたので、その動画を末尾に掲載しておきました。この曲は慎ましい命の喜びを「食事」に託して歌った歌ですが、涙を呼び覚ますような悲しみも喜びも生命の感覚では同じことです。石原吉郎の詩と比較対照いただければ幸いです。

 悪意
 異教徒の祈りから

主よ あなたは悪意を
お持ちです
そして 主よ私も
悪意を持っております
人間であることが
そのままに私の悪意です
神であることが
ついにあなたの悪意で
あるように
あなたと私の悪意の他に
もう信ずるものがなくなった
この秩序のなかで
申しぶんのない
善意の嘔吐のなかで
では 永遠にふたつの悪意を
向きあわせて
しまいましょう
あなたがあなたであるために
私があなたに
まぎれないために
あなたの悪意からついに
目をそらさぬために
悪意がいっそう深い
問いであるために
そして またこれらの
たしかな不和のあいだで
やがて灼熱してゆく
星雲のように
さらにたしかな悪意と
恐怖の可能性がありますなら
主よ それを
信仰とお呼び下さい

(同人誌「ロシナンテ」昭和30年/1955年6月)

◎安野希世野「ちいさなひとつぶ」(TVアニメ『異世界食堂』エンディング・テーマ) MV (アルバム『涙』Flying Dog, 2017) :  


(旧記事を手直しし、再掲載しました。)