石原吉郎「世界がほろびる日に」昭和47年(1972年)ほか | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

石原吉郎・大正4年(1915年)11月11日生~
昭和52年(1977年)11月14日没、享年62歳
 世界がほろびる日に

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

(初出・「ユリイカ」昭和47年/1972年7月)

 足利

 足利の里をよぎり いちまいの傘が空をわたった 渡るべくもなく空の紺青を渡り 会釈のような影をまるく地へおとした ひとびとはかたみに足をとどめ 大路の土がそのひとところだけ まるく濡れて行くさまを ひっそりとながめつづけた

(初出・「ユリイカ」昭和50年/1975年8月)

 風

男はいった
パンをすこし と
すなわちパンは与えられた
男はいった
水をすこし と
水はそれゆえ与えられた
さらにいった
石をすこし と
石は噛まずに
のみくだされた
そのあとで男はいったのだ
風と空とをすこしづつと

(初出・「ユリイカ」昭和50年12月)

 戦後詩の詩人・石原吉郎(1915-1977)の特異な経歴についてはこれまでにご紹介しました。24歳で徴兵され、敗戦時にハルピンに従軍し、そのままソヴィエト軍の捕虜囚人となって抑留解除・38歳の帰国までほぼ15年を軍籍において過ごした石原は帰国翌年の昭和30年(1955年)には鮎川信夫・谷川俊太郎によって「投稿詩人のレベルではない」と投稿詩が特選作品となり、即座に一流詩人として詩作発表が始まりましたが、48歳の第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』(昭和38年/1963年12月刊)以降には第二詩集『石原吉郎詩集』(『サンチョ・パンサの帰郷』に未刊詩集『いちまいの上衣のうた』収録、昭和42年/1967年8月刊)、第三詩文集『日常への強制』(未刊詩集『斧の思想』収録、昭和45年/1970年12月刊)、第四詩集『水準原点』(昭和47年/1972年2月刊)、第五詩集『禮節』(昭和49年/1974年1月刊)、句集『石原吉郎句集』(昭和49年/1974年2月刊)、第六詩集『北條』(昭和50年/1975年4月刊)を経て、『北條』までの全詩集『石原吉郎全詩集』(昭和51年/1976年5月刊)が生前刊行の最後の詩集になり、石原吉郎逝去後に生前編集完了していた第七詩集『足利』(昭和52年/1977年12月刊)、第八詩集『満月をしも』(昭和53年/1978年2月刊)、歌集『北鎌倉』(昭和53年/1978年3月刊)が緊急刊行されました。没後すぐの昭和54年(1979年)12月~昭和55年(1980年)7月に『石原吉郎全集』全3巻(第1巻『全詩集』、第2巻『全評論』、第3巻『俳句・短歌・対談・書簡・年譜』)が刊行されています。

 今回改めてご紹介した詩篇「世界がほろびる日に」は第五詩集『禮節』、「足利」「風」は急逝翌月刊行の第七詩集『足利』に収録されています。詩と詩人の私生活を安易に結びつける鑑賞法は危険なのですが、石原は昭和45年11月の三島由紀夫の自殺、また三島由紀夫の後追い自殺を表明して自殺した批評家・村上一郎(1920-1975)の昭和50年3月の死に衝撃を受け、晩年にはアルコール依存症と女性関係による家庭内不和から夫人と別居し、自殺未遂の狂言をくり返しては傷口を見せびらかすなどの奇行が目立ち、急逝も深夜に泥酔して入浴し心不全を起こした自殺同然のものでした。全集の第3巻には書簡が収録されていますが、逝去間もない刊行だったため現存者への配慮から収録を見合わせた書簡が多数あり、それらは現在も未発表のままになっています。ご紹介した「世界がほろびる日に」は機知の詩として軽妙を極め、日傘を差す女性の歩行を詠んだ「足利」は地名との取り合わせで日常を超えた次元の叙景を浮かび上がらせ、「風」はほとんど宗教的な初源性すら感じさせます。しかもこれらは同時期に発表された石原より年長の戦前からの詩人たち、高橋新吉や草野心平、小野十三郎の70代~80代の作品よりも明らかにメッセージ的性格の強い詩です。通常メッセージ性に傾いた詩は純粋な詩としては難がある場合が多く、石原吉郎の詩ではそれを承知の上で意図的に簡潔な表現をとることによって、きわどいところで詩として成立しているとも見られます。しかし「足利」「風」の抒情はその簡潔さによって澄明というよりも不吉な予感を漂わせるもので、あえて核心に触れない不透明な膜がかけられているようにも感じられます。これらは抜群に「上手い詩」ですが、その抑制が隠している悲鳴のようなものを想像すると、薄皮一枚で救いのない痛々しさがうずいているようにも読めるのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)