ザ・ルースターズ - Insane (日本コロムビア, 1981) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・ルースターズ - Insane (日本コロムビア, 1981)
Released by 日本コロムビア AZ-7129-AX, November 25, 1981
Arranged by The Roosters
(Side 1)
A1. レッツ・ロック (Dan Dan) (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:10
A2. ゲット・エヴリシング (作詞・作曲 : 大江慎也) - 1:36
A3. ベビー・シッター (作詞・作曲 : 井上富雄) - 2:58
A4. オール・ナイト・ロング (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2:43
A5. フラッシュ・バック (作曲 : The Roosters) - 3:32
(Side 2)
B1. ケース・オブ・インサニティ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:55
B2. イン・ディープ・グリーフ (作詞 : M・アレキサンダー、大江慎也、作曲 : 大江慎也) - 9:14
[ ザ・ルースターズ The Roosters ]
大江慎也 - ボーカル、ギター
花田裕之 - ギター
井上富雄 - ベース
池畑潤二 - ドラムス 

(Original Nippon Columbia "Insane" LP Lyric Sheet & Side 1 Label)


 デビュー・アルバムから満1年目に発売されたアルバム第3作。1980年11月のデビュー・アルバムからは「ロージー」、1981年6月の第2作からは「ONE MORE KISS」がシングル・カットされていましたが、本作と同時発売シングルでポップなロック曲「ヘイ・ガール」はアルバム未収録曲になりました。初めて全曲オリジナル曲となった本作はAB面で全6曲29分23秒とあえて短くまとめられ(前2作も30分強程度の収録時間でしたから、それほど大差ありませんが)、2,000円の廉価盤で発売されました(当時の新作LPの価格帯は2,500円~2,800円)。続く2作『ニュールンベルグでささやいて』1982.11と『C.M.C』1983.7はどちらも4曲入り12インチ45prmミニ・アルバムで発売され(価格は1,500円)、レコード会社側ではレコード価格の高騰とセールスの低下にソフトの形態で模索していたのがわかります。ザ・ルースターズはデビューから1年でアルバム3作という当時の日本の新人ロック・バンドでは好調なスタートを切ったものの、1982年3月公開の映画『爆裂都市』(他にアナーキー、ザ・ロッカーズ、ザ・スターリン、町田町蔵ら出演)に大江・池畑が出演(ルースターズもサントラに日本語版「レッツ・ロック」提供)撮影中に大江が心身ともに不調に陥り、『ニュールンベルグでささやいて』を最後に池畑が、バンド表記をThe Roosterzと改名したフルアルバム第4作『DIS』1983.10を最後に井上が脱退し、新曲とリミックス曲からなるコンピレーション『Good Dreams』1984.4発売時には大江・花田のオリジナル・メンバー2人に交代制ピンチヒッターの追加メンバー5人という混乱をきわめていました。皮肉にもこの時期のルースターズのアルバムはもっとも好セールスを上げていたそうです。そしてフルアルバム第5作『φ』1984.12を最後に大江も脱退してしまい、1988年5月リリースのラスト・アルバム『Four Pieces』までバンドは花田がヴォーカルとギターで牽引し『SOS』1985.7、『NEON BOY』1985.9、『KAMINARI』1986.11、『パッセンジャー』1987.9と5作のスタジオ盤を残しています。

 花田がリーダーになった後期は再び8ビートのロック色を強めたルースターズですが、大江がリーダー時代の後半期では、特に『ニュールンベルグでささやいて』と『C.M.C』の2作のミニ・アルバムは大胆に実験的なダブ/ファンクに踏み込んだ作品で、『Good Dreams』と『φ』は大江の活力がどんどん枯渇していったのを示すドキュメント的なアルバムになっています。『Insane』ではA1~A4は従来路線のルースターズが聴けますが、A5のインストルメンタル曲はデビュー作・第2作で演奏していたような明快な楽曲ではなくサイケデリックなムードが漂い、B面の2曲はポスト・パンク型のネオ・サイケデリック・スタイルの楽曲で、大江と花田の2ギターの絡みやファンクを消化したベースとドラムスなど『ニュールンベルグでささやいて』の作風を予告しており、全体的には大江のリーダー時代は『Insane』を過渡期に前後に分かれると言えるでしょう。デビュー作・第2作のルースターズからは、9分もあるサイケデリックな最新曲「イン・ディープ・グリーフ」のような楽曲の方向にバンドが向かうとは予想もつかないことでした。

 デビュー作・第2作のルースターズがサンハウスを継承していたのは日本語のロックに前例がありそうでなかった直截な歌詞にもよく現れていますが、ルースターズの強みは8ビートに強いシャッフル感覚を持たせることでハード・ロック的ではない方向にソリッドなビートを強化したことで、これはサンハウスがストーンズを始めとするイギリスのブルース系ビート・グループから学んで自作曲に取り入れたスタイルであり、サンハウスと同時代の村八分、キャロル、外道らにもない歌詞とサウンドの方向性でした。歌詞の面でもやはりサンハウスから学んでいた博多出身のARB、ザ・モッズら「照和」系のバンドは、歌詞にドラマティックなシチュエーションを設定することで情感を歌い上げる手法では「照和」出身の先輩チューリップ、甲斐バンドらに近いフォーク的な発想を残していましたが、ルースターズとザ・ロッカーズはより直接的に、サンハウスの方向性に忠実にドラマ性を排した、生々しい言い切りだけを列挙する反情緒的な歌詞に勝負をかけていました。

 ある意味サンハウスやルースターズはストーンズ、プリティ・シングズ、ヤードバーズ(ザ・ロッカーズの場合はダムド)のあられもない直訳バンドでしたが、東京や横浜、大阪や京都ではなく博多や小倉、北九州からこうしたスタイルのバンドが出現したこと自体が何かを語っているようです。横浜からゴールデン・カップス、京都からは村八分、町田からは外道のような特殊なバンドが生まれてきた必然が感じられますが、昭和40年代前半にピークを過ぎた生バンド入りのキャバレーが福岡県の都市部には昭和50年代になってもまだあり(2000年代に所用で小倉に訪れましたが、いまだに駅前にグランドキャバレーが営業しており感嘆しました)、年代的なズレというよりも、特定の強固なスタイルが根づくと徹底してそのスタイルの追求に向かうような気風が感じられました。ルースターズはデビュー時期から言ってパンク・バンドとして出発しても良かったのにそうならず、『Insane』でネオ・サイケに向かっても特にポスト・パンク/ニュー・ウェイヴに転向したというのではなく、バンドの中では地続きの変化に過ぎなかったのがアルバムの統一感から感じられます。

 それでもやはりアルバム冒頭の痛快なロックンロール曲「レッツ・ロック」とアルバム最終曲「イン・ディープ・グリーフ」の落差は奇妙なもので、意図的な音楽性拡張の実験性から試みられたものとは思えないだけにバンド自身が抱くセルフ・イメージの揺らぎを感じさせ、ヴォーカリストでソングライターのリーダー・大江慎也の指向にメンバーが不安げに着いていきながらようやく成立したような危うい均衡が、かろうじてバンドをまとめているように聴こえます。この状態でバンドが長続きするのはまず無理ですので、『ニュールンベルグでささやいて』ではより積極的なダブ/ファンクへのアプローチが行われますが、バンドのオリジナル・ラインナップも次第に崩れていきます。すでにバンドが結成時の音楽性ではなくなってしまった以上は、メンバーの離脱や新陳代謝もやむを得ない段階に入っていたということでしょう。

 もし東京や大阪ら東西中心地の出身だったバンドなら、時流に乗った音楽性で最新の実験的手法を取り入れることはそれ自体が目的化しているので、ルースターズのような変化はむしろ歓迎すべき事態でもあり、『Insane』や『ニュールンベルグでささやいて』はバンドのリニューアルをうまくやってのけた成功作だったでしょう。しかしサンハウスの系譜にあるルースターズには自然な変化を柔軟に体質化していくには立脚点が強固で、鋭敏なビート感覚を生かすことでは本質的なバンドの姿勢を完徹していたとしても、初期のビートバンド・スタイル以上に資質に合ったものではない、と感じたメンバーからバンドを離れて行ったと想像されます。脱退した池畑が結成したZERO SPECTRE、井上が結成したBlue Tonic & The Gardenも'80年代スタイルのバンドでしたが、それはルースターズを離れたことで音楽的指向性を一旦リセットしたからだろうと思います。筆者がテレビ出演でなく生でルースターズのライヴを観たのは『C.M.C』発売の前月、ロック・アーティストの来日公演史上最悪の悪夢としてのちに伝説化した(なんとマイクの断線でヴォーカルがまったく聴こえず、支離滅裂なパフォーマンスだけでライヴが始終した)イギー・ポップの初来日公演初日1983年6月19日(日)の前座出演でしたが、バンド紹介もMCも一切なければ(なので客席にはイギーのバンドの登場かと一瞬困惑が広がりました)、曲に聴き憶えがありかろうじてルースターズと判別できなければ、テレビ神奈川でライヴ出演に親しんでいた初期ルースターズとは別バンドのように覇気のないたたずまいと演奏に、大きな戸惑いを感じたのを覚えています。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)