裸のラリーズ - 渋谷アダン・ミュージックスタジオ1975年10月1日 (Live, 1975) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

裸のラリーズ - 渋谷アダン・ミュージック・スタジオ1975年10月1日 (Live, 1975)

Originally Released by no number cassettetape bootleg
Re-Released included Univive UNIVIVE-008 as 4CD Box Set "Great White Wonder" Disc 2, 2006 (Unofficial)
Also included Univive UNIVIVE-021 as 3CD Set "Back To Black Mandara", Disc 3, 2010 (Unofficial)
全作詞作曲・水谷孝
(Tracklist)
1. 夜より深く (Deeper Than The Night) - 10:58
2. 黒い悲しみのロマンセ (Otherwise Fallin' In Love With You) - 8:25
3. 造花の原野 (Field Of Artificial Flower) - 6:10
4. 白い目覚め (White Waking) - 5:33
5. 記憶は遠い (A Memory Is Far) - 9:10
6. Improvisation - 1:51
Total Time: 42:43 

水谷孝 - vocals, lead guitar
中村武志 - rhythm guitar
楢崎裕史 - bass guitar
高橋シメ - drums 

 本作は前回ご紹介したコンピレーション盤『御殿場・日本妙法寺「花まつりコンサート」1975年4月20日』にも3「造花の原野」、4「白い目覚め」、5「記憶は遠い」が含まれていた1975年10月1日の渋谷の音楽スタジオ、「渋谷アダン・ミュージック・スタジオ」のスタジオ・ライヴ音源をまとめたアルバムで、アナログLPちょうど1枚分(実際に1、2をA面、3~6をB面にしたカセットテープ、アナログLPブートも出ています)もの裸のラリーズのスタジオ音源、しかも1セッションで統一された演奏が聴けるアルバムとして大変貴重なものです。裸のラリーズは1972年~1975年前半までリーダーの水谷孝(1947-2019、リード・ギター、ヴォーカル)、京都で1967年末にバンドが創設されて以来のセカンド・ギタリスト中村武志、1970年に水谷孝が上京して以来のベーシスト長田幹生、ドラマーの正田俊一郎の四人編成で活動しており、ラリーズが常連出演バンドだった吉祥寺のライヴハウスOZの閉店記念に1973年8月に自主制作リリースされた2枚組オムニバスLP『OZ Days』のD面に4曲を提供していましたが、その時点ではラリーズはアシッド・フォーク色が強いバンドだったのが『OZ Days』提供音源や、1991年にリリースされた公式アルバム『MIZUTANI』(1970年~1972年録音)で確認できます。ラリーズが水谷孝のフィードバック・ギターを中心としたガレージ~サイケデリック・ロックのスタイルを確立したのは、残された音源で確認できるのは1973年11月頃からであり、以前ご紹介した『明治学院大学ヘボン館地下・1974年7月13日』では80分弱もの、ラリーズ音源史上もっとも時期の早いフル・コンサートの記録が聴けます。同ライヴは非常に充実したもので、裸のラリーズが初の単独公式アルバムを制作・発表するとしたら水谷、中村、長田、正田の四人編成での1974年に機は熟していたでしょう。しかしラリーズは、盟友関係だった石川県小松市のめんたんぴん、千葉県浦和市の安全バンドや、やはりローカル・バンドだった福岡県福岡市博多のサンハウス、東京都町田市の外道らがこの時期にメジャーデビューを飾ったようにはレコード・デビューの意志はなく、アンダーグラウンド・シーンでの活動に徹していました。現役最古のアンダーグラウンド・バンドとして存在感を放つようになっても水谷孝は少なくとも1977年、1980年、1986年と三回は確実にあったレコード・デビューを拒否し、1991年に自主制作CDを一挙に3作『'67-'69 STUDIO et LIVE』(1968年~1969年録音)、『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』(1970年~1972年録音)、『'77 Live』(1977年録音)リリースするまで伝説的存在であり続けました。この3作はイギリスのジュリアン・コープ(ティアドロップ・エクスプローズ)やアメリカのサーストン・ムーア(ソニック・ユース)によって欧米にも紹介され、以降一躍として裸のラリーズは'60年代のザ・シーズ、ザ・13thフロア・エレヴェーターズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ザ・ドアーズに匹敵するモンスター級サイケデリック・バンドとして世界的な評価を得て、200枚あまりの海賊盤ライヴ、海賊盤スタジオ音源が出回るバンドとなりました。発売即完売・廃盤だった1991年の公式アルバム3作もこの10月25日に30年ぶりに再発売され、インディー・アルバム・チャートの1位~3位を独占する状態になっています。

 裸のラリーズの公式アルバム3作は故・水谷孝公認盤だけあって必聴ですが、年代が飛び飛びの上に裸のラリーズ1968年~1996年の30年あまりにもおよぶ活動の一端でしかないため、水谷孝非公認ではあっても200枚あまりの海賊盤は今なお価値を失いません。この1975年10月1日の渋谷アダン・ミュージック・スタジオ音源もそうで、1975年は前半までに1970年以来のメンバー、長田幹生と正田俊一郎が脱退し、8月の石川県のロック・フェスティヴァル「第二回夕焼け祭り」(めんたんぴん主催)以降ベースは元だててんりゅう、頭脳警察の楢崎裕史、ドラムスは渋谷で音楽スタジオ「アダン」を経営する高橋シメが勤めていました。楢崎裕史がメンバーだっただててんりゅうは裸のラリーズ、村八分と並ぶ京都の伝説的バンドで、だててんりゅう脱退後に楢崎は東京で活動していた頭脳警察に短期間ながら加入し、頭脳警察でも一部の楽曲提供とリード・ヴォーカルを担当していた強者です。楢崎加入後ますますヘヴィーなサウンド傾向に向かった裸のラリーズは、1975年末に高橋シメの脱退・三巻俊郎の加入によって公式アルバム中もっとも人気・評価の高い『'77 Live』のラインナップが揃いますが、実質3か月ほどしか参加しなかった高橋シメ在籍末期のこの『裸のラリーズ - 渋谷アダン・1975年10月1日』も、十分にバンドの意をくんだ録音で公式アルバムに匹敵するものです。レコーディングはスタジオのオーナーの高橋の計らいでスタッフ、招かれたファンが同席したスタジオ・ライヴの形式で行われたらしく、スタジオ録音ならではの入念なサウンド・バランスと、ライヴ形式ならではの強烈な演奏が聴ける音源です。

 スタジオのオーナーの高橋としては、これは準公式録音として完成度の高いデモテープを意図していたでしょう。ヴォーカルのテープ・エコー、ギターの音色とバランス、ベースとドラムスのセッティングやミキシングは、現行のコピーにコピーを経てきたマスターが使用されたとおぼしい海賊盤CDではやや団子状になって聴こえるとはいえ、マスター・テープの段階では'70年代のインディー(自主制作)録音としては最上級のものだったと判別できます。ベースとドラムスのミックス・バランスもボトムが太く、特にドラマー自身である高橋がエンジニアリングに関与したとおぼしくドラムスにもヴォーカル、リード・ギター同様にテープ・エコーがかかっているのがサウンドの空間を埋めており、特にスネアドラムのチューニングと残響がギター同様特異です。あまり指摘されませんが1974年までのラリーズにはなく、1975年以降顕著になるテープ・エコーを駆使したラリーズのサウンドは、この頃から紹介され始めていたレゲエのサウンド・メイキングにヒントを得たものかもしれません。

 本作収録の5曲(6曲目の短いギター・インプロヴィゼーションを除く)はいずれもラリーズの代表曲ですが、ヘヴィーで攻撃的な「造花の原野」、ひときわポップな「白い目覚め」以外の「夜より深く」「黒い悲しみのロマンセ」「記憶は遠い」の3曲の曲想が似通っているのが強いて言えば選曲上で物足りなくもあります。「夜より深く」はのちに短調のダウナーなアレンジで演奏されるようになりますが、この時点では「黒い悲しみのロマンセ」と循環コード、アレンジとも近すぎる印象があります。「記憶は遠い」もその両曲とも似た循環コードの楽曲です。「記憶は遠い」は「夜より深く」「黒い悲しみのロマンセ」より古くから演奏されてきた楽曲であり、岡林信康の「友よ」(「友よ、夜明けは近い」と歌われます)へのアンサー・ソング(「夜明けはとっくに終わってしまった」と歌われます)と指摘されることが多い曲です。水谷孝はしょっちゅう歌詞を変更するので、このアダン・スタジオのヴァージョンでは「夜明けはとっくに/お前は何を望むのか」と歌われています。1974年には成立していた「The Last One」(1969年~1973年にはのちに「お前を知った」と改題される同名異曲「The Last One 1970」、または「The Last One (踏みつぶされた悲しみ)」が、新たな曲に改作されたもの)、また1976年以降代表曲となる「氷の炎」「夜の収穫者たち」「夜、暗殺者の夜」「Enter The Mirror」などは、このアダン・スタジオ・セッション時には成立していなかったようです。

 しかし本作は、もし裸のラリーズがスタジオ録音のフル・アルバムをこの時点でリリースしていたらと歴史の「もし」を空想させるアルバムで、1972年~1975年の時期の日本のロックにあって頭脳警察の『セカンド』、コスモス・ファクトリーの『トランシルヴァニアの城』、村八分の『ライブ!』、ファニー・カンパニーの『ファニー・カンパニー』、はちみつぱいの『せんちめんたる通り』、ファーラウトの『日本人』、四人囃子の『一触即発』、外道の『外道』、安全バンドの『アルバムA』、めんたんぴんの『セカンド』、サンハウスの『有頂天』、J・A・シーザーと悪魔の家の『国境巡礼歌』、カルメン・マキ&OZの『ファースト・アルバム』などと互して独自の作風を譲らないものでしょう。上記のバンドのうち5作以上のアルバムをリリースしたのは頭脳警察、四人囃子、めんたんぴんの3組のみ、10万枚を越えるヒット・アルバムとなったのはカルメン・マキ&OZだけと、日本のロックはまだ商業的成功から遠いものでした。裸のラリーズがこの時期にアルバム・デビューを果たしていたら、かえってバンドの寿命自体を縮めてしまっていたかもしれません。本作は裸のラリーズ1975年の、あり得たかもしれない幻のスタジオ・アルバムとして聴ける作品ですが、すでにラリーズが時代を超越した特異なサウンドに踏みこんでいた(強いて言えばジャーナリズムからまったく無視されたファーラウト、J・A・シーザーと悪魔の家の唯一作と共通したアシッド感があります)のが、インディー・レベルの機材とエンジニアリングによるスタジオ・ライヴながら堪能できる音源です。6曲目のギター・インプロヴィゼーションを全編のアウトロとすれば実質40分で全5曲という1曲ごとの長さもラリーズならではで、このセッションで実際は何曲演奏されたかは不明ですが、前述の通りカセットテープのAB面に収まるように曲目が配置されており、バンド自身の記録とスタッフ、常連のリスナーのためにカセット・アルバムとしてまとめられた痕跡が、フェイド・インから始まる1曲目の「夜より深く」の編集からも認められます。これもまた、裸のラリーズの準公式アルバムと見なしていい音源のひとつと思われます。