柳は葉の散った枝を広げて、ほか二つ | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Piet Mondrian, "Willow Grove: impressie van licht en schaduw (Willow Grove: Impression of Light and Shadow)", 1905

柳は葉の散った枝を広げて
その一

ステンレスの空 カーボンの土地
確かなものを踏みしめていくこと
それより他に頼るすべはなし
よすがはなし と きみは
ひとりで 石を蹴りながらここまで
ようやくたどり着いてきた
きみの眼前に広がる川べりの
景色は 冬を耐えるため
幹と枝だけになった
柳の木々の そびえ立つ
鬱蒼としたうす暗がり きみは
深緑の絨毯のように その
光景を巻き上げて まだ凍てつかない
心のなかに そっとしまう
柳が散らした葉は 草むらの
下生えに 雨降りごとに溶解して
腐葉土となって再生する
無駄なものは何ひとつない ときみは
信じようとする それより他に頼るものはない
と きみが信じようとするとき

きみのなかで潰えていたものを きみは
懸命に蘇らせようとしている
しのびこめない鉄条網をくぐろうとする
ますます痛みをともなう責務を
きみは 良いことと 信じようとしてきた
きみの思い描いた自画像は 壊れた水槽の破片でしかない
きみは通りすぎる 濃すぎる酸素に酩酊しながら
縄とびしながら前進する少女の足どりで
彼女は きみ自身なのだ そして少女は
水たまりを器用に避けて進む

「岸辺のない 河のうえの吊橋を
一頭の牡牛があるいてくる」*

そして葉の散った柳が待ちかまえる
きみは きみ自身を
じっと息を詰めて
見つめている

*木原孝一「彼方」


雲は雲の裂け目から照らす
その二

雲間の亀裂から一本の杖が生える
地上まで届かないその杖は
おそらく 記憶をこじ開けるために
落ちてくる

初めて 子をなした時のような
永遠との触れあい
その感覚を維持し続けようとしても

よろこびは次第にうすれていく
そしてついに かすれて消える
名状しがたく かつて いつまでも確かなものと思い
今では それも定かではない
人事 人脈 血縁は なお人々を
宙ぶらりんにする

箱のなかは日常的な恐怖に満ちる
判決を終えた徒刑者が 見知らぬ人々のなかにまざり
心のなかでつぶやく
誰も知らないのだ つい数時間前まで ぼくが
未決囚監に拘束され
執行猶予四年で解放されてきたことを
誰もが誰もを知らない 科せられた重荷を負う者と
罪咎とは無縁な幸福な大多数の者
恐怖が身寄りもない彼を孤立させる
ぼくの恐怖を
誰も知らないのだ
誰も

「あの町を けさ もう一度通ったよ
無事に帰ってきたひともいるし
とうとう帰ってこないひともいるそうだ」*

そして雨上がり 地平線の果てに
ゆるやかな
虹の橋がかかる
雲から落ちた 虹の突端は
希望以外のすべてのものを
溜めて 待ち受ける
ように見える

*木原孝一「記憶の町」


あの閉ざされた眼のような
その三

 あのとざされた眼のような
 ひとつの窓をおぼえているだろうか?
 木原孝一「告知」

「忘れようとしても
思い出せないのだ」とは
バカボンのパパの言葉だ ぼくはそのように
底抜けに楽天的で 無責任な希望の歌を
歌いたい たとえば
「海峡を弾道ミサイルが飛ぶのだ」
と いうように

心底笑うしかないことが しばしば
背筋を凍らせる
「ウィスキーを水でわるように
言葉を水でわるわけにはいかない」*
そんなわけはない 言葉の世界は水増しで
安っぽいぼったくりの 浅ましく
安直にして安売りな 相手に
するのも馬鹿らしいだけの
広告で満ちみちている そもそも
「ウィスキーを水でわるように」
という 直喩自体が 水増しの
言葉の猫だまし 目眩ましでしか
ない

おし黙ったいとけない少女の
とざされた眼 とざされた口
何も語らない表情は 何を隠しているのだろう
かつてぼくにはわからなかった 清らかな窓のような
沈黙の恭順さと
その美しさを それでもぼくは
拒み 反抗するだろう かつて
ぼくがそうしたように
彼女の家は貧しかった 一日中陽の差さない
じめじめとした 赤土の
崖の 崖の下の
平屋二間で木造の
浴室もない
公団住宅に住んでいた

母親どうしが親しかったから
幼いぼくは 同い年の彼女と
ふたりで遊ぶように言われた
ぼくはシャベルで土を掘って
ミミズやダンゴ虫を採ったり
していた 彼女は縁側に腰を
おろして ずっと 折り紙を
折りつづけていた しずかに
彼女の美しさが今ならわかる
が 幼いぼくには この少女
ほどつまらない 遊び相手は
なかった 母親どうしはぼく
たちを 仲良く遊ばせようと
していたが いつかお嫁さん
にもらえないかしら などと
笑って話していたが 彼女は
まったく無口だった 彼女が
くれた折り紙は 持ち帰ると
すぐに捨てた それほどぼく
は いとけないものへの 無
関心しかなかった それから

高校生になり ぼくは母を亡くし
偶然さびれたシャッター通りの
うす暗いスーパーマーケットで
レジ打ちに立つ彼女を
見かけた その
スーパーマーケットも 間もなく
つぶれた
彼女は同い年だから 今もぼくと同じ歳のまま
(もし存命なら)
慎ましく 暮らしている
はずだ

およそ人に手を上げたことのないぼくだが
(子供や老人 女性ならなおさらのこと)
彼女なら殴るかもしれない
優しさではなく暴力でしか
示せない感情というものも
ある 決して 認めたくない
愛 のように

ぼくは醜い 醜さに耐えながら
歪んで
どこまでもいびつな
妄執と過去に 囚われている
ぼくの ただひとつの
後悔に集約される酸鼻を
水でわっても なおむかむかする
胸苦しさを 濾過しようとしても

ぼくの失態は許されない
蒙昧 愚昧 あまりの愚かさに
取り残されている 正確な
記憶から 思い出そうとしても
忘れられないのだ だからぼくは
ぼく自身の 醜悪な
暴力衝動から
目を
そむけることが
できないで
いる

そして本当は 悔いてすらいないのだ
悔いてすらいないのだ
ぼくは

*田村隆一「言葉のない世界」

(古い書きつけをまとめました。)