幻の大正詩人・棚夏針手(4) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『棚夏針手全集  上巻』池谷竜編
令和3年(2021年)6月1日刊
『棚夏針手全集  下巻』池谷竜編
令和3年(2021年)2021年9月1日
『棚夏針手詩集』鶴岡善久編
蜘蛛出版社・昭和55年(1980年)


 燃上る彼女の踊り
 --詩集薔薇の幽靈の一部--

空氣のやうに光る重さが、薔薇と死灰のやうに感じられるも一つの鴇(とき)色の爪。腰布(スカート)が鶴の髪毛の心持ちで蠅の胸のやうに開き、その中から淡色の惡阻(つはり)が母さんの名前を呼んで緣の御手洗(みたらし)を使ふので、胡桃の匂をもつたお前の藤色の眼鬘(かつら)が少し傾きかけて、からくも留つて居る。

けれど韻律は白い腋(わきのした)の毛根を光にしてそこから大理石の馬を覗かせやうとした。火の指環。薔薇の幽靈。黑い中で赤が旋回して淫らな春の噴水をお臍へきりりつと巻き締める接吻の色をした快さ。葡萄酒の透つた赤い影が動く。白天鵞絨の懐しい白の泉の唄と光の音樂。その中を瞳に見えない黄金の鞦韆が兎馬と猿とを乗せて虹になる時のやうな匂。

毛織物の柔かさに彼女の力強くぴつたり吸ふことの出來る紅い唇のそことなく彈ませた艶かしい息の、それのやうな溫い波を知つて居る手、それが氷をひく黄金の大鋸のやうに、白天鵞絨の融けかかる科(しぐさ)にくづれる。

僅かに何處からかする蒼みがかつた緣の貿易の微笑に、また光る腋の赤い燕の運んで來た白縮緬。韈(くつした)の内股に麻布(リンネル)のやうに流れる光は乳兒の柔軟性(やさしさ)。窓が七つ、それに黄いろい六つの笹椽(レース)、それにはさまれた赤い火の笹椽へ映つた白天鵞絨と縮緬の中から光る果汁のやうな黄金の鳥の巢が、間色の黄昏を象牙の振香爐の椽(ふち)から零(こぼ)すその匂ふ蔭の楡の樹立。

大理石の馬が鬣で風を吸収して彼女の腋からそうつと耳を出す呼吸に、黄金の小栗鼠を追つて來た五人の男のやうにお前の臀部(おしり)が丸出しになつて、空氣のやうに光る蠅のやうなその輕さが、火の指環。そうして薔薇の幽靈。赤、太く火を點してしまつた。

(大正12年/1923年3月「青騎士・第六號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 黄金(きん)SONNET
 --牧つぼみにおくる--

貴君(あなた)から贈つて下すつた、
この三つの抒情詩、貴君の詩、
明日は港から立つ私なのに
どうしてか今宵はねむられませんの、
私の庭は私の月で濡れて居るのに
けれど只一人の私に
月は月でないやうに思はれて…………。

貴君は私に黄金(きん)SONNET
送つて下さると云ふ。
今の私にそれは何よりの慰安です。
貴君の手は私の王様、
(すべ)てがよろこびしたがひます、
では二人して洋燈(らんぷ)を消して
心から
心から窻を見ませう。

そうすれば、
貴君の月が私の月が
貴君にも私にも
薔薇のやうに罌粟のやうに…………
黄金のSONNET
月の中から零れて來ませう。

では心と心を一つにして
今宵こゝでこの窻の中から
わざと洋燈を消しませう。

私の庭は私の月で濡れて居るのに
なぜか、今宵は
月が月でないやうに思はれて…………。

(大正12年/1923年3月「君と僕・第三號」、「葉中百合太」名義)

 秘密(ひめごと)

秋に傷(きづゝ)く孔雀、汝(なれ)
黄昏(たそがれ)なればそも箙(ゑびら)
我を看護(みとり)の花薔薇(はなそうび)

(たえ)に清(きよ)らの約束(かねごと)
(ちり)の古びに朱(あけ)の蛾の
舞ふより憂(う)しの秘密(ひめごと)
秋に傷(きづゝ)きなほ病(や)めり。

(大正12年/1923年3月「君と僕・第三號」、「葉中百合太」名義)

 今回も前回に続いて大正12年(1923年)発表の棚夏針手の詩篇を紹介します。これまでにご紹介した棚夏針手の詩篇は、デビュー作となった「地震の夜」を始めとする大正11年(1922年)発表の6篇中5篇(「地震の夜」「午餐と音樂」「喪」「信仰」「訃」の5篇のみ現存、同人誌「瑯玕・第三號」に発表された「玻璃の掛毛氈」は目次のみ確認、「瑯玕・第三號」は散佚)、大正12年1月発表の3篇「不毛」「女王」「枝」の8篇で、うち「午餐と音樂」「信仰」「訃」「不毛」「女王」の5篇は後述する通り、大正12年秋には刊行される計画があった第一詩集『薔薇の幽靈』に収録予定される詩篇になりました。棚夏針手が詩集『薔薇の幽靈』刊行を期して発表した初めての詩篇が、今回ご紹介した大正12年3月発表の3篇中の散文詩「燃上る彼女の踊り」で、「--詩集薔薇の幽靈の一部--」と副題されるとともに、詩篇中にも二度に渡って「火の指環。薔薇の幽靈。」(第二連)、「火の指環。そうして薔薇の幽靈。」(第五連=最終連)と詩集のタイトルが読みこまれています。いわば詩集の表題作として書かれたのがこの散文詩「燃上る彼女の踊り」であることがうかがわれ、実際「燃上る彼女の踊り」はまだ象徴主義的・高踏派的な大正11年の「午餐と音樂」「信仰」「訃」、異教的・エキゾチシズム趣味的な修辞を残した1月発表の「不毛」「女王」から格段の飛躍の認められる、驚異的なシュルレアリスム・テキストになっています。東京在住の棚夏針手は東京の詩人仲間と同人誌「君と僕」を創刊していましたが、投稿詩人仲間として交流のあった名古屋の同人詩誌「青騎士」で発表された力作「燃上る彼女の踊り」はゲスト発表ならではの意欲がこめられた寄稿だったでしょう。それは同じ3月に「君と僕」で2篇同時発表された「黄金(きん)のSONNET」「秘密(ひめごと)」が「葉中百合太」名義で掲載され、ともにロマン主義的でオーソドックスな詩篇であることからも(「黄金のSONNET」は女性の一人称で書かれてすらいます)、棚夏針手自身に意識的な書き分けがあったのは明らかです。

 東京生まれの詩人、棚夏針手こと本名・田中眞寿(推定明治35年/1902年生~没年不詳)は、19歳の大正11年(1922年)に、第二次「明星」(与謝野鉄幹主幹・北原白秋協力)1月号に「地震の夜」で、「白孔雀」(西條八十主幹)5月号に「午餐と音樂」の投稿詩でデビューし、友人となった投稿詩仲間と創設した同人誌「君と僕」や交流のあった同世代詩人の同人誌「青騎士」「謝肉祭」「近代風景」に旺盛に詩作発表しながらも、生前一冊の詩集も持たなかった詩人です。棚夏針手は早くも翌年の大正12年(1923年)8月の「君と僕」に、序詞・四章各5篇、長篇散文詩の22篇からなる第一詩集『薔薇の幽靈』の近刊予告を掲載しますが、翌月9月1日の関東大震災によって同人誌「君と僕」が解散を余儀なくされるとともに、『薔薇の幽靈』の刊行も頓挫してしまいます。関東大震災から10か月後の大正13年(1924年)6月の「青騎士」にようやく新作を発表した棚夏針手は大正15年(1926年)までは棚夏針手名義、昭和2年(1927年)には「近代風景」に「田中新珠」名義で詩作発表を続けますが、以降は昭和4年に1篇(掲載誌散佚)を最後に長く消息を絶ち、昭和25年(1950年)に忽然と元「青騎士」の詩友だった近藤東(1904-1988)氏に私信に新作詩「青あらしのなかから」を同封して近況を知らせるも、その後は詩作発表も消息も完全に途絶えてしまいます。

 棚夏針手を初めて日本の詩史に位置づけたのはシュルレアリスム~モダニズム詩の研究者の詩人、鶴岡善久氏で、詩誌「想像」に連載していた「日本超現実主義詩派批判」の昭和38年(1963年)5月の「試論III--シユルレアリルム前史の問題」で棚夏針手に言及し、さらに鶴岡氏は昭和45年(1970年)3月の詩誌「ユリイカ」発表の「埋もれた異端」を続稿として棚夏針手についての論考を「シュルレアリスム前史の可能性」にまとめ上げました。しかし近藤東氏への私信(戦後の棚夏針手=田中眞寿は社会主義詩運動に転身し、若手詩人たちの指導に当たっていると記されていたそうです)を最後に棚夏針手自身も、棚夏針手の消息を知る証言者も現れず、鶴岡善久氏は昭和55年(1980年)に神戸の蜘蛛出版社から鶴岡氏が収集し得た28篇を収めた『棚夏針手詩集』を上梓します。気鋭の編者を得て、鶴岡善久編『棚夏針手詩集』から40年ぶり、収録作品の発表時期からはほぼ100年を経て『棚夏針手全集』が刊行された意義はそうした経緯にもあり、編者の池谷竜氏は鶴岡善久氏編の『棚夏針手詩集』にさらにその後発見された同人誌発表詩篇3篇、短歌・俳句、批評、書簡を増補し、上巻に目次広告のみで刊行されなかった詩集『薔薇の幽靈』全編の再現、下巻に『薔薇の幽靈』以外の著述を収録しています。

 今回ご紹介した散文詩「燃上る彼女の踊り」、葉中百合太名義で発表された「黄金(きん)のSONNET」「秘密(ひめごと)」に戻ると、「牧つぼみにおくる」と副題された女性の一人称の詩篇「黄金のSONNET」と、3行・4行の2連全7行の文語詩「秘密」は悪くはありませんが平凡で、いかにも北原白秋・三木露風、日夏耿之介、佐藤春夫、西条八十らが若手詩人たちの指標だった頃の典型的な大正詩という趣きです。「黄金のSONNET」が捧げられた「牧つぼみ」は当時の詩誌にも見当たらない人物で、同人詩人たちのうちの誰かの妹あたりだったかもしれません。驚異的なのは棚夏針手の作品中始めての散文詩「燃上る彼女の踊り」で、副題通りここで初めて「詩集薔薇の幽靈の一部」と詩集構想が打ち出され、詩句中に「薔薇の幽靈」が詠みこまれるとともに、前年の大正11年~直前の大正12年1月発表詩篇中で詩集『薔薇の幽靈』に収録予定詩篇となった「午餐と音樂」「信仰」「訃」「不毛」「女王」の5篇からもさらに飛躍して、棚夏針手の全詩篇中でも最高傑作のひとつとなっています。大正3年(1914年)5月発表の山村暮鳥(1884-1924)の散文詩「A FUTUR」の驚異的な先駆性が先にあるとはいえ、この「燃上る彼女の踊り」が大正12年(1923年)3月発表の詩とはにわかには信じられないほどです。大正12年2月には高橋新吉(1901-1987)の第二詩集(前年のガリ版刷りの第一詩集『まくはうり詩集』の再編集増補改訂版で、公刊詩集としては第一詩集)『ダダイスト新吉の詩』が刊行され、また未来派詩人・平戸廉吉(1893-1922)のパンフレット詩集『日本未来派宣言』が大正10年(1921年)に配布されていましたが、それらはイタリアの表現主義的未来派詩運動(1909年、本格的な提唱は1918年)やスイスのダダイズム運動(1916年~)に刺激され、乏しい情報から詩のアナーキズムを目指したものでした。アナーキズムというと破壊的で社会秩序紊乱的な通俗的なイメージで捉えられがちですが、実際のアナーキズムは既成秩序の抑圧からの人間性の回復を目指したものです。

 触手
 平戸廉吉

空に
触手は
 拡げる
見えざる手を
繖形花序に
感覚の総和と記憶と
 覚醒!
触手は 不断に
 時を航行し
 側面を走り
未知の光に衝突し
 分裂する
分裂==総合
総合==分裂
新しい感覚の発生と運動
 不断に
 繖形花序に咲き
 伸びる
(大正10年/1921年)

 皿
 高橋新吉

皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
 倦怠
 額に蚯蚓(みみず)匍う情熱
白米色のエプロンで
 皿を拭くな
鼻の巣の黒い女
其処(そこ)にも諧謔が燻すぶつてゐる
 人生を水に溶かせ
 冷めたシチユウの鍋に
退屈が浮く
 皿を割れ
 皿を割れば
 倦怠の響が出る
(大正11年/1922年)

 夭逝した平戸廉吉(例に上げた「触手」はあまり良い詩ではありませんが)、独自のダダイズム詩(この「皿」は『ダダイスト新吉の詩』の中でも鮮やかな佳作です)を貫いた高橋新吉は別として、アナーキズム詩人たちのほとんどは昭和期に入るとモダニズム詩かプロレタリア詩に転身しましたが、それはあえて図式的に言えば、ダダイズム詩自体が新時代に即応する(またはあまりに現実肯定的な)アヴァンギャルド詩的な方向性と、時代に対する屈折した(またはあまりに生な)理想主義的方向性をはらんでいたからです。ひるがえって棚夏針手の「燃上る彼女の踊り」を見ると、この散文詩は未来派やダダイズムとはまったく異なる発想で書かれているのが明らかです。第一連、第二連、第五連(最終連)を再び引いてみましょう。

空氣のやうに光る重さが、薔薇と死灰のやうに感じられるも一つの鴇(とき)色の爪。腰布(スカート)が鶴の髪毛の心持ちで蠅の胸のやうに開き、その中から淡色の惡阻(つはり)が母さんの名前を呼んで緣の御手洗(みたらし)を使ふので、胡桃の匂をもつたお前の藤色の眼鬘(かつら)が少し傾きかけて、からくも留つて居る。

けれど韻律は白い腋(わきのした)の毛根を光にしてそこから大理石の馬を覗かせやうとした。火の指環。薔薇の幽靈。黑い中で赤が旋回して淫らな春の噴水をお臍へきりりつと巻き締める接吻の色をした快さ。葡萄酒の透つた赤い影が動く。白天鵞絨の懐しい白の泉の唄と光の音樂。その中を瞳に見えない黄金の鞦韆が兎馬と猿とを乗せて虹になる時のやうな匂。

大理石の馬が鬣で風を吸収して彼女の腋からそうつと耳を出す呼吸に、黄金の小栗鼠を追つて來た五人の男のやうにお前の臀部(おしり)が丸出しになつて、空氣のやうに光る蠅のやうなその輕さが、火の指環。そうして薔薇の幽靈。赤、太く火を點してしまつた。

 この「燃上る彼女の踊り」を読んで今日の読者はシュルレアリスム詩を連想しないではいられないでしょう。シュルレアリスムの起点となったアンドレ・ブルトン(1896-1966)の詩文集『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』の刊行は1924年(大正13年)10月、シュルレアリスムへの萌芽が見られるブルトンのフィリップ・スーポー(1897-1990)との合作『磁場』は1920年(大正9年)ですが、『磁場』はまだブルトンやスーポーがダダイストのグループに属していた頃の試作です。自由連想による夢の自動記述が明確に打ち出されたのは『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』で、その実作は次のようなものでした。

 鳥たちは色彩を失ってから形を失う。それらはいかにも実体のない蜘蛛の巣のような存在なので、私は手袋を遠くへ投げる。黒いステッキのある私の黄色い手袋は、崩れかけた鐘楼に見下ろされた平原の上に落ちる。それから私は腕組みをして様子をうかがう。笑いの様子をうかがっていると、それらはすぐ散形花のように広がって咲き揃う。夜がやって来た。まるで菫色の水面に踊り上がる鯉のように。見なれない月桂樹たちが海から下りる空と絡まり合う。森の中で火のついた枝々の束が括られ、それを肩に担いだ女、それとも妖精が、今、宙を飛んでいるように見える。その間シャンパン色の星々は動かずにいる。雨が降り始める。これは永遠の恵みだ。一際優しい光の反射を含んでいる。ただ一つの雨滴の中に、リラ色の旅芸人の馬車隊が黄色い橋を渡る光景があり、それを追い越すもう一つの雨滴の中に、ある軽率な人生と、旅籠の幾つかの罪業がある。声の方、何処の入江では、愛が、影でいっぱいの髪の毛を揺すり、うってつけの船が屋根の上を旋回する。けれども水の環は一つ一つ砕け、夜の風景の渦高い束の上に指のオーロラが休む。娼婦が歌い始め、それは〈釘付けされた翼〉の国の冷たい小川よりも遠回しの歌詞だが、とにかく不在のものでしかない。星々の栄光に高められた本物の百合が一輪、燃焼の目覚める腿を解きほぐし、その星々の形作る集団は岸辺を求めて出かけて行く。だがもう一人の女の魂は白い羽毛に包まれ、優しくそれに扇がれている。真実は無限の数学的な藺草に凭れかかり、すべては尻馬に乗った鷲の指図のままに進む。一方、野菜の小型船団の守護精霊は拍手し、液状の電気魚たちによって神託が下される。
(「溶ける魚・4」全篇、巌谷國士訳)

 発想から修辞まで「燃上る彼女の踊り」とうり二つ、しかも幻想性やイメージの多彩さ、官能性、完成度では(ブルトンの詩篇は翻訳というフィルターがかかった分、密度の点でハンディキャップがありますが)棚夏針手の散文詩の方が勝ると言ってよいほどです。棚夏針手が大正12年の時点でフランスのシュルレアリスム詩運動を知っていたとは考えられず、「燃上る彼女の踊り」は日本流の象徴主義詩人だった棚夏が、独自に、しかもフランス語圏のダダイズム~シュルレアリスムへの変遷より早く、フランスのシュルレアリスム詩と同質の発想にたどり着いたものでした。大正12年初頭の棚夏針手は日本のいち同人誌詩人でありながら、ヨーロッパ詩の最前線に匹敵する詩を作り上げたのです。そしてその創作力の爆発は関東大震災の直前、大正12年8月まで続きます。次回も発表年月日順に棚夏針手の詩篇をご紹介するつもりです。 

『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日