幻の大正詩人・棚夏針手(3) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『棚夏針手全集  上巻』池谷竜編
令和3年(2021年)6月1日刊
『棚夏針手全集  下巻』池谷竜編
令和3年(2021年)2021年9月1日
『棚夏針手詩集』鶴岡善久編
蜘蛛出版社・昭和55年(1980年)6月1日刊

 不毛
 --一九二二年度の國有處女交響樂--

営み、盛られた、
(いまし)めの、奇異な微溫さをもつ、グロキシニアの白い十字架。

光りに充ちた蛋白石(オパル)の耳飾り

風俗は遠方からする父の挨拶のやうに、
氷山の間の赤い休暇の大陸に樟腦のそれ等を招ぐ。
おお、生み且つ消す風よ、
お前の麺麭種色の禮奏は
丘とその頂きの街を鴉の居る半透明の王冠にする。
だが腦髄の匂ひに蒸れた玻璃の地獄は白い虹を知らぬ人質の水色の嫡子に
雑草麺麭と黄麻布の頁を示し、
鴉は依然、化石の表情で
豹の毛皮に仰臥する女黒奴の下腹部のやうに王冠を愛撫する。

さうして太陽はそこから薔薇の脂粉で臼齒を宿した紫の歯茎の地腫れのやうに哄笑し、
厩の匂ひにむせびながら飢渇と春の疲労を感じつつ、
或は罪の幼兒を露出しながら蒼白めた悔悟の全手(もろて)に黄髪をむしらせ、
その生白い棚を徐々に傳つて赤い休暇の大陸に及ぶ冒瀆の干潟は
嫉婦の健康を亂す不毛の色の龍巻の中に
胎盤に饐えて行く幼兒の髑髏のやうな太陽を肺臓のそれのやうに開いて
樟腦の平野に有ゆる處女をとらへた亀裂となる。

おお、玻璃の地獄。
生まれながらに光を知らぬ凡百の幼兒は、
文明の晦澁な野蠻の中に惡を擔つて母の黑い腐肉を咀嚼するではないか。

最早、瑞西(スヰツル)製の處女の下穿が溶けはじめた時
大河は屢叩(しばた)く影の柩であつた。

然し、
グロキシニアの白い花十字架は黄ばんで總毛立ち且忸(よじ)れ、
銀の寢棺を午餐に代へんとした砂色の足跡に
遠く女帝の耳飾りであつた蛋白石は惡寒と他奇な汗ばみを感じて居る。

おお、お前達、整頓と供給の市民、
雷鳴もない氷山の間の赤い思念の干潟のこれ等交響樂のために
處女の乳房に街の用意をおし。

花嫁は宗教と共に近く焔の墓となつて、
處女の悲鳴は快く環(めぐ)る四季に時ならぬ収穫を許すものだ。

(大正12年/1923年1月「詩と音樂・新進十一人集」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 女王
 --北村初雄氏に捧ぐ--

白いタオルは悦びの背部に月を持つに、
黄いろいお前の海靴を海の麝香の冷さが、
彼、黑奴の指腹の南國の巴廉(ハレム)の手装安樂椅(いす)の温みで、
黑と赤との絹の夢の桃の果(み)のやうな疲れに化粧する。

日向のやうに寝返りを搏つお前の銀の乳房蔽みの
夜光石(ダイヤモンド)の擦れ合ふ音、
それは甘い花粉の浮いた月の浴槽(ゆぶね)に沈んで行く
黄金(きん)の鎖の音ではあるまいか。

蜜のやうに明るく、
致命的催淫藥に傾き皇帝(サルタン)の緋布團の中へ滲染み
廣金(きん)と孔雀の鉢巻へ靜けさを破る匂の虹。

紅い廊溜の黄金唐草模様の影に光る象牙の小刀(メス)を寫した、
お前の窓の湖心の温室が、
(すがた)に驚くお前の魂の梢に小兒のやうな流星の指差で、
白い廣間への坂を顕じ。
お前の瞳に海濱の黄金の健康が合掌する。

爛々と。

(大正12年/1923年1月「君と僕・第二號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集  薔薇の幽霊』収録予定詩篇)

 枝
 --故高鍬侊佑におくれる--

水の上の枝は指腹で
湧いて居る音樂を聽く、
雑魚はやゝ水色で、
月は塔へ幽閉された姫のやうに
まともな顔を見せない。

野面(のづら)は月の花粉が零れて黄いろい、
道はその中を蠟燭のやうに空へ延びて居る。
驢馬を引いた老人は彼方(あつち)を向いて
蠟燭をよじながら
枝から枝へ移つて居る
 (月へ腰をかけやうと云ふのか?)

枝々は黄いろい襞の多い手袋を穿めて居る、
湧いて居る音樂、
淋しい、湧いて居る音樂。

枝の下は淡色(うすいろ)の衣類(きもの)の女が、
古い石垣を脱けることの出来た女が
ほつれ毛をかき上げて
限りない野の果を
媾曳(あひびき)の可愛い瞳(め)に持つて居る。
 (病院の窓が百合のやうな白い帆で眩ゆい刹那?)

あゝ、痩せた枝で彼女は垂死した。
彼女の韈紐(たびどめ)で匂ひ油のやうな月がゆらいで居た。
影は蒼白めて、
四方(あたり)は月と水の言葉で濡れて居る。

(大正12年/1923年1月「君と僕・第二號」)

 生前刊行の詩集も残さず、大正11年(1922年)から大正15年(1926年)までに約30篇の詩篇を詩誌の投稿詩欄や同人誌に発表して消息を絶った謎の詩人、本名・田中眞寿こと棚夏針手(1902-没年不明)については判明している経歴があまりに少なく、これまでにご紹介した2回でほぼ尽くしている通りです。棚夏針手は与謝野鉄幹・北原白秋主宰の第二次「明星」に大正11年1月「地震の夜」が投稿詩入選掲載、5月には西条八十主宰の「白孔雀」に投稿詩「午餐と音樂」が推薦作品に選ばれ、知遇を得た同世代の投稿詩人とともに同人誌「瑯玕」「青騎士」に寄稿、棚夏針手自身も同人誌「君と僕」の創刊メンバーになりました。「瑯玕」は夭逝詩人・長谷川弘(1898-1920)を慕った高鍬侊佑(生年不詳/推定1902-1922年8月没)を中心メンバーとした同人誌、「青騎士」は春山行夫(1902-1994)、近藤東(1904-1988)らを擁し、名古屋の詩人・井口蕉花(1896-1924)が主宰した同人誌です。

 棚夏針手は早くも詩人としてデビューした翌年の大正12年(1923年)8月の「君と僕」に、序詞・四章各5篇、長篇散文詩の22篇からなる第一詩集『薔薇の幽靈』の近刊予告を掲載しますが、翌月9月1日の関東大震災によって同人誌「君と僕」が解散を余儀なくされるとともに、『薔薇の幽靈』の刊行も頓挫してしまいます。大正12年度の棚夏針手は創作力の絶頂期にあり、詩集『薔薇の幽靈』がこの年の秋に刊行されていたら、やはり大正12年1月刊の萩原朔太郎(1886-1942)の第二詩集『青猫』、2月刊の高橋新吉(1901-1987)の第二詩集『ダダイスト新吉の詩』に次ぎ、山村暮鳥(1884-1924)の第二詩集『聖三稜玻璃』(大正4年/1915年12月刊)以来のアヴァンギャルド詩集として、現代詩の里程標的作品になったかもしれません。

 前回ご紹介したのは棚夏針手のデビュー作となった「地震の夜」から大正11年(1921年)発表の6篇中の5篇(9月「瑯玕」第3号発表の「玻璃の掛毛氈」は掲載誌散佚のためタイトルのみ伝えられています)で、18歳~19歳のこの年の詩篇はまだ高踏的ロマン主義詩らしい発想や措辞が目立ちます。翌大正12年(1923年)、同人誌「君と僕」を創刊し、先鋭的な同人誌「青騎士」にも寄稿するようになった棚夏針手は、同年1月から8月までに12篇を発表し、8月の「君と僕」第5号には第一詩集『薔薇の幽靈』の目次細目(全22篇)つき刊行予定を告知します。しかし翌月の関東大震災で同詩集の刊行は実現せず、同人誌「君と僕」も廃刊、以降棚夏針手は、大正13年(1924年)に同人誌「青騎士」「指紋」に4篇、大正15年(1926年)に同人誌「謝肉祭」に4篇、昭和2年(1927年)には「近代風景」に6篇を発表するも、昭和4年(1929年)の日夏耿之介門下生の同人誌「オルフェオン」に1篇(掲載詩現存せず)を最後に、消息を絶ってしまいます。戦後もなお旺盛な詩作発表をしていた元「青騎士」「詩と詩論」「文學」同人の近藤東氏に近況を知らせる手紙とともに添えられていた1篇「青あらしのなかから」が送付されてきたのは昭和25年(1950年)6月で、神戸の蜘蛛出版者名から昭和55年(1980年)6月に鶴岡善久氏編『棚夏針手詩集』が刊行された際(当時存命なら78歳)も棚夏針手の消息を伝える証言は得られませんでした。

 気鋭の編者を得て、鶴岡善久編『棚夏針手詩集』から40年ぶり、収録作品の発表時期からはほぼ100年を経て『棚夏針手全集』が刊行された意義はそうした経緯にもあり、編者の池谷竜氏は鶴岡善久氏編の『棚夏針手詩集』にさらにその後発見された同人誌発表詩篇、短歌・俳句、批評、書簡を増補し、上巻に目次広告のみで刊行されなかった詩集『薔薇の幽靈』全編の再現、下巻に『薔薇の幽靈』以外の著述を収録しています。今回は前回に続いて編年体で、棚夏針手の絶頂期の年・大正12年の1月に発表された3篇をご紹介しました。「不毛」は北原白秋が詩欄を担当した総合芸術詩「詩と音樂」の「新進十一人集」に選出された詩篇、「女王」「枝」は棚夏針手自身が創刊同人で、前年逝去した詩友・高鍬侊佑が依った同人誌「瑯玕」の後継誌と言える「君と僕・第二號」に同時掲載された2篇です。掲載誌の「詩と音樂」「君と僕」はどちらも大正12年1月1日付で発行されているので、実際の執筆は大正11年の11月~12月でしょうが、「不毛」は大正11年発表詩篇のどれよりも長い、作者自らが「一九二二年度の國有處女交響樂」と副題に自負するだけはある力作です。「グロキシニア」とはブラジルが原産の植物、和名オオイワギリソウ(大岩桐草)で、鉢植えなど園芸植物として温室栽培される観賞用植物ですが、この詩の中で登場するグロキシニアという単語は異教的な響きを放ちます。実際のグロキシニアの花弁の可憐さから連想されるイメージとはまったくかけ離れています。
 また「生まれながらに光を知らぬ凡百の幼兒は、/文明の晦澁な野蠻の中に惡を擔つて母の黑い腐肉を咀嚼するではないか。」という詩句は、妊婦の腹部を食い破って主人公が誕生するジョージ秋山のマンガ『アシュラ』の黙示録的な終末世界の発想を想起させます。赤、水色、紫、黒など色彩語の氾濫も、棚夏針手が影響下にあった北原白秋、三木露風、西条八十らの整然とした修辞とはあまりに飛躍して混沌としています。それは大正11年12月2日に逝去したばかりの詩人・北村初雄(1897-1922)に捧げられた「女王」でも同様で、詩集『吾歳と春』(大正8年)、『正午の果実』(大正9年、増補改訂版大正11年)、『樹』(大正12年、没後刊)の3詩集を残した横浜生まれの北村初雄は三木露風門下生にして日夏耿之介に寵愛を受けた知的で清潔な作風の抒情詩人でしたが、優雅なコスモポリタン的感覚を特色とした北村初雄に捧げられた追悼詩としてはこの「女王」もあまりに異教的、かつ頽廃的なイメージに満ちています。「不毛」「女王」の2篇は棚夏針手自身が未刊行に終わった詩集『薔薇の幽靈』に収録予定だった作品で、修辞の過剰がほとんど統一的な意味を崩壊させている、異様な先駆的シュルレアリスム詩に踏みこんだ作風を示しています。同人誌「君と僕」に「女王」と同時発表された「枝」は前年の大正11年8月に詩集『月に開く窻』を残して逝去した詩友・高鍬侊佑に捧げられた詩篇で、「野面は月の花粉が零れて黄いろい、/道はその中を蠟燭のやうに空へ延びて居る。/驢馬を引いた老人は彼方を向いて/蠟燭をよじながら/枝から枝へ移つて居る/(月へ腰をかけやうと云ふのか?)」と、これも水色と並んで棚夏針手が好んだ色彩語「黄いろい」が出てきますが、「野面は月の花粉が零れて黄いろい、/道はその中を蠟燭のやうに空へ延びて居る。」そして驢馬を連れた老人が蠟燭を上っていき、「(月へ腰をかけやうと云ふのか?)」とは具体的なイメージが効いた発想(月光が差す道を「蠟燭」に喩える)で、ジュール・ラフォルグや中原中也の詩に出てきてもおかしくないような、機知に富んだ詩句です。多彩なイメージの氾濫する「不毛」「女王」より飄逸な象徴主義的まとまりがありますが、良い意味でライトヴァース的な仕上がりの良さのある「枝」を、棚夏針手自身は詩集『薔薇の幽靈』収録予定詩篇に加えませんでした。大正12年(1923年)度には8月までにさらに9篇の発表詩篇があり、それらは「不毛」「女王」をさらに発展させ、大正12年秋には詩集『薔薇の幽靈』にまとめられて刊行される予定でした。9月1日の関東大震災が『薔薇の幽靈』の刊行予定を頓挫させ、東京在住だった棚夏針手は一命は取りとめるも同人誌「君と僕」は廃刊、翌年以降詩友のつてで同人誌「青騎士」「謝肉祭」などに寄稿を続けるも詩集刊行を見ずに消息を絶ってしまいます。次回以降も発表年代順に棚夏針手の詩篇をご紹介するつもりです。 

『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日