幻の大正詩人・井口焦花 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『井口蕉花全集』池谷竜編
令和3年(2021年)11月17日刊
井口焦花遺稿詩集『井口蕉花詩集』
春山行夫・川合高照・金子光晴・
高木斐瑳雄・佐藤一英編
東文堂書店・昭和4年(1929年)6月5日刊

 手
 ----華やかな殺生を愛する手 ゆめ幻を噴く手 淫樂に匂ふ手
 あゝ美しき罪人の手---- (わが手の一節より)

 繊細(ほそ)き蛾のごとき手よ
青傷の光に泣ける手よ
十字架の青き芽を潤した手よ
(うしな)へる黝き月を指した手よ
夜ごと密房(へや)に鍵卸せし手よ
鷄小舎に擾(さわ)げる蚊を捕へし手よ
妻の懷妊(みごもり)を啄きし手よ
物乞ひの犬の背を撫でし手よ
喰へぬ木の實を投げし手よ
艶めいて酒盃(さかづき)を煽る手よ
(げ)にこれらすべてわが奇怪(アブノーマル)な片手なり

 花のごとき孤獨

美しき眉を白日にぬらし
虚空(そら)に指を瞶(みつ)むる
心霊(こゝろ)はあざやかに孤獨は花の如く純心は溜息す
匂ひは翔けり現身は慄(ふる)
爛れを窺ふ香氣に包まれてりう噴水の夢など追へり
かゝるとき水鳥の生殖おびたゞしくなりて
(し)めやかな我が掌に戰ききたる祈りこそ
青春華やかなその異端なるを。

 春よ楽欲に窒へぬ 

繊弱(よわ)い神經でできてゐる音色をもつて
みづみづした女の乳の彈力をもつて
陽炎はわたしをひきしめる

春よ 香りのなかのひとすじの
煙りかと思ふ風のたちまよふ白日よ
わたしはいま薔薇を焚く空に魅入られて
妖しいほのめきをもつて重たくあるくその上から
昂奮の膩(あぶら)は濺(そそ)がれる

そして空中玻璃の宮殿に咲く
幻色の花びらのやうな粲(あざやか)な頬に
王妃が唇にあてた火焦花(まじようりい)の赤い
眞赤な怨みがふりかゝる

春よ その美しい嘆きをしたたらすものは
わたしの血情にあへぐたましいを隈どり染めて秘めやかに病を虐げる

わたしは柔らかく肉たいのやさしさを抱き
かつて涙ぐましい日のおもひに耽り
(め)をとぢてその樂慾(ぎようよく)の窒(た)へぬ匂ひを
風は吹きそよぐ草園のちまたに………

そして感覺の獄房(ひとや)を偸み出てきた蝶が
燃える花の上にやすやすとVIOLATIONを行ひ
たかく飛び立つたあとはわたしの肋骨の一枚が觸覺(てざわり)に失はれたかのやうな愁をたゞよわす
しみじみと春の嘆きをするためにわたしは心臓をもてあそぶ

 被呪詛者(アナテマ)

輕い眩暈のする太陽の中に
私は病の愛憐に點した指先の輪光を見つめて
奇麗な寂しさをおもひました。

草の羽蒲団(ターザン)の柔らかさが
無精に淡い足の裏に吸ひ
よつては離れ 離れては擦り寄つてくる光の絲に哀感を紡ぎながら
そのほとりの幽韻に包まれるのでした。
そして私の胸のMEDYISAが見ようともしない夢の中に落ちこむやうに
色彩のもの影へと秘められてゆくのでした。

病念の貌(かほ)を搏つ 草の咽びや 春の香料は、
毛莨の金の明りを惱まして
私の白い足についた珠子の花粉が ふと立ち舞ふのでした。

優しいMITAよ、
美しい呪ひよ
風と微細な緑と青の 顫へる中に
ところどころ燃ゆる蛇苺は
熱恠(ねつ)の疲れの堪へがたい神經の破片でした。
物懶い河の水に温んだ亞麻色は
微睡(まどろ)んだ黄楊(つげ)柳の下に
ぎんぎんの泡沫をつくつて ひとつ消え、またひとつ浮んで溶渦(とろ)みました
私は午睡の甘さに
瞳を閉ぢて そこにゆつたり坐つて
 わけもなく なき出しさうになりました。 

病を戀して夢の中に
頬と思慕との褪せたる感傷の中に
顫へて泣きたい、霊を揺りあげて………
こゝに亂れて戰く觸覺の花々や 怪しい春の跫音に煙る愁に
いまも病の被呪詛者(アナテマ)が泣かうとする背後から
忍びやかに來て私の肌理(はだ)密つとかい擁(だ)いてくれる人はないか。

誰か黒髪をふり亂して幻の白い腕を
私の頸に捲きつけて數多く 息づまるほど強く接吻してくれる人はないか。

そしたら私は蜘蛛が餌食を捲きしめて 吸ふやうに
無精に泣き貪るでせうに 唇に血をにじませて………

あゝ 狂ほしい。
被呪詛者のこの愛憎の初夏を 肋の畦に咲いた晝の星を
 泣けば力なくうなだれてしまふのでした。

 一九二二、八、一〇

 MEDYISA

それは白晝の桐の花の冴えて落ちる音です。
夢うつゝに聞いた人聲の忍びやかさです。

それは初夏の愁の神經に響くさゝやきです。
薄絹をふりまく日の光です。

それは妖しいものの吐息です。 静かに、静かに物思ひしてゐた胸に
いつとなく微睡(まどろ)んだMEDYISA

(以上5篇、未刊詩集『墜ちたる天人』より)

 指に泣く王人

私は鋭どい春の小徑に出ました。

すると惱ましい光と網とは私を囚にして羽搏きのような愁と熱い獨唱の花とが
サフイヤの空とともに耽るのですもの。

私の渇いた唇にさしあてた指にも
病神經の霊に隅どるピクニツクの風にも
泣きすゝるよろこびの草の香がありました。

どこを歩いても哀れなスペクトル
春の時計の日は
美しい微塵がところどころの中空に結晶して
その響きの中に 夢みる大きな手が錘るんですもの。

犇々と柔らかさと汗ばむよろこびと 愛憐の影の私と、
逃れゆく胸の火に點じて感じやすい心臓に疲れた病息が、
咲いた卵色の百合にかゝるのです。
(きら)めいた草花と 病者の手は、
乾いてしまつた繊細の明るさではない?

一筋おかれた河に
戀の邪曲のやうに揺れ光る水と
蒼白い哀傷の地楡は
一人寂しさとよろこびの思惑と、肺血の痛さをもつた私に
あゝ 儚ない 重い足のみ跼ませるのです。

けれど微細な薔薇が煙つたかのやうな
眞晝の精氣が
何處からとも知れない妖音を鳴り響かせてゐるのです。
草に倒れた私は感激の中に沈んでゐた憧憬と微酔にうつとり瞳を閉じてしまふのでした。

それは何處からか不思議な杳かな細い喇叭の滴る金がとろめくやうな
そして微かな澄み合つた空中にと
その不思議な響きがつたはるやうで
私もやつぱり空を見ました。

空を過ぎゆく瞬間の風が響かす 限りない奇麗な響でした。
私の充血した輕い猜みと焦だたしさは、
風の過ぎゆく響と、春が飾つた季節の眉とにしみじみ、
亂微の色をふるはせるのでした。

歩けばよい 歩けばそこに失へるものが炎となつて落ちてゐるかのやうに
音聲が小さな私の王人を呼ぶやうに、
たまらなく頸(うなじ)の血を打つのですもの。
いくら空にある日でも 胸にある日でも
美しい病ひの嬰兒のために豪奢な夢見心地を私は見せてやらなくてはならない。

私は美しい呪ひにその百合をとつて額をあて
血汐と空想と 忘我の裸體に火花のやうな慾情をさへ起さうとして
 病が戀した指に泣くのでした。

 一九二二、八、一〇

 枯草のセリー

冬のなつかしい情緒の日光(ひざし)
明るく恍(ぼか)し點じ枯草のセリーにきます。

枯草のセリーの上は
わたしの首すじに練布(ネル)のような厚みのある氣體を生み
あはれゆかしい冬の日あたりは刺のない覇王樹の頭にも燃えます。

裏庭の閑楚な花床に
金柑の實が熟れてその輪光のいろや
木目のように流れる瞼の所現の
また仄かな心もちに觸れる陽あたり

冬よ 柔らかい朱欒に涙ぐましめ
土も匂ふ干草のセリーに身を投げ出して、静かにあるとき
わたしは正午(ひる)の日時計に趁ひながら温みに浴びるのです。

そして或は冬の蝿をきいたり どこか大きな蜉蝣のまふさまを觸覺したり
小春日を吸ひこむでゐるわたしです。

私に束ねた枯草がかうもわたしの鬱血を晴らさうとするいとしい冬よ
わたしの傍で同じように眼をほそくしてゐる猫の毛の光ることよ
何にしてものどかなセリーの陽あたり

わたしと猫はうつとり背を燃やします。

(以上2篇、未刊詩集『白い蜘蛛』より)

 名古屋で生まれ育ち、陶器絵工の家業を継ぎながら大正9年(1920年)~没年の大正13年(1924年)まで名古屋の同人詩誌「赤い花」(春山行夫・井口焦花創刊、萩原恭次郎寄稿)や「青騎士」(春山・焦花・佐藤一英創刊、棚夏針手、山中散生、近藤東寄稿)に依って詩作していた詩人・本名井口三郎こと井口焦花(明治29年/1896年11月10日生~大正13年/1924年4月18日病没、享年満27歳5か月)は、早くから若手詩人のオーガナイザーとして頭角を現し、上京後の昭和3年(1928年)9月にモダニズムの詩誌「詩と詩論」主宰者となった春山行夫(1902-1994)との密接な関係や、「詩と音楽」誌での北原白秋による選や「文章世界」での三木露風による選によって、同世代の長谷川弘(1898-1920)、高鍬侊佑(生年不詳、1922年8月没)、棚夏針手(1902~没年不明)らよりも比較的知られている詩人です。生前詩集は企画されながらも実現前に逝去してしまいましたが、没後5年を経て刊行された遺稿詩集『井口焦花詩集』は春山行夫・川合高照・金子光晴・高木斐瑳雄・佐藤一英による編集で限定100部ながら、30篇を収めた全詩集でした。もっとも没後刊行の『井口焦花詩集』刊行以降に焦花が春山行夫絡みのプレ・モダニズム詩人として『詩と詩論』の詩人たち(春山、三好達治、近藤東ら)に名前を引き合いに出されることはあっても実際に広い読者に読まれたとは言えず、『井口焦花詩集』には井口焦花をシュルレアリスム詩人としてフランスのシュルレアリスム宣言と照応させる春山行夫の解説が寄せられましたが、かなり無理のある我田引水の観があるものです。井口焦花の詩は長谷川弘、高鍬侊佑らと並んで北原白秋、三木露風、日夏耿之介、西条八十ら大正時代の日本流象徴主義~高踏主義詩の系譜にあるもので、棚夏針手の詩篇ほど独自のシュルレアリスム詩に達したものとは言えません。ただし20歳そこそこで夭逝した長谷川弘、高鍬侊佑、また筆を折った棚夏針手と較べて、結婚もして子供も授かり、数え歳なら26歳まで存命だった年長の井口焦花の詩は長谷川、高鍬、棚夏らの強い空想性よりも、もっと肉感的な具体性に富んだものでした。

 井口焦花は亡くなる前年の大正12年(1923年)1月の「青騎士」に詩集『墜ちたる天人』刊行予定を告知し、その後も詩集刊行の進捗状況を報告していますが、井口自身が編集実務に当たっていた「青騎士」は半年前の関東大震災(井口焦花を始め名古屋の詩人たちの同人誌だった「青騎士」は、直接関東大震災による打撃を受けませんでしたが)を経た大正13年(1924年)4月の通巻第14号発行の直後に井口焦花の病没につき、詩集『墜ちたる天人』も未刊のまま「青騎士」も「井口焦花追悼號」を通巻第15号にして廃刊してしまいます。井口焦花自身の構想では詩集『墜ちたる天人』詩集刊行を意図して書かれた近作を集め、『墜ちたる天人』未収録の初期詩篇と遺漏詩篇は別に詩集『白い蜘蛛』としてまとめたい、という意図が告知されていました。しかし昭和4年の東文堂書店版『井口焦花詩集』では、第一部を『白い蜘蛛』、第二部を『墜ちたる天人』とし、作品傾向ではなく年代順を基準に収録詩篇が配列されてしまいます。令和3年(2021年)刊行の池谷竜編『井口焦花全集』は昭和4年版『井口焦花詩集』収録の全30篇に未収録詩篇8篇を増補し、訳詩、短歌、批評、随筆を収録し、井口焦花の構想に従って収録詩篇を『墜ちたる天人』22篇、『白い蜘蛛』16篇に整理し直しています。長谷川弘、高鍬侊佑、棚夏針手らと較べても井口焦花の詩は措辞、文体ともに柔軟で、同世代ながら晩熟だった「詩と詩論」~「四季」の詩人、乾直恵(1901-1958、詩集『肋骨と蝶』昭和12年/1937年など)を連想させます。特に明治後期~大正期に問題だった(昭和期にはほぼ廃される)ルビつきの稀語綺語の扱いがほぼ解消されつつあるのも井口焦花の詩からは感じられる一方、自信作を集めた『墜ちたる天人』よりも初期詩篇、遺漏詩篇の『白い蜘蛛』の方がルビが少なく柔軟な口語文体で書かれているあたりに、まだ明治末~大正前半期に大きな存在感を誇った北原白秋・三木露風らの影響を残して過渡的だった、大正12、3年当時の詩への美意識が現れているようです。

『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日