幻の大正詩人・長谷川弘 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『長谷川弘詩集』池田竜編
令和4年(2022年)6月21日刊
『詩集  奥ゆかしき玫瑰花(はまなす)』
籾山書店・大正10年(1921年)1月19日刊


 廢園(あれぞの)の夕

廢園に黄薔薇頂低(うなだ)れて
小枝(さえだ)に鶯は縊死(くびくく)

名も知らぬ毒菌(どくたけ)生え茂りて
うす闇に燐光の頭蓋(かしら)を振(ゆら)

大理石(なめいし)の立像(ぞう)は仰樣(むけざま)に頽(くず)
色蒼み乳白の血潮を流す

胸病(むねやみ)五位鷺 力なくあまた飛び交ひ
隠沼(こもりゐ)に咯血(ち)を洗ふ

胸ふたぐ咳(しわぶき)に 陽は翳ろひて
噴水(ふきあげ)に傷(きづゝ)ける白鳥の睡(ねむ)れば

千百(ちもゝ)身罷りし皇紀等が
胸の骨もて作られし甃(しき)石道に

銀の時針(じしん) 音もなくすべり來て
夕暮の影を指示(しめ)す。

(詩集『奥ゆかしき玫瑰花』書き下ろし)

 フランスで大成した横浜出身の版画家・長谷川潔(1891-1980)の実弟・長谷川弘(明治31年/1898年5月3日生~大正9年/1920年12月1日病没、享年23歳)は芸術に理解のある裕福な家庭に育ち(父は銀行支店長勤務のかたわら、美術書の私家出版を趣味にしていました)、兄と同様に版画家を目指す一方で兄が装丁・装画を手がけた日夏耿之介(1890-1971)の第一詩集『轉身の頌』(大正6年/1917年)や堀口大學(1892-1981)の第一訳詩詩集『昨日の花』(大正7年/1918年)、第一詩集『月光とピエロ』(大正8年/1919年)を通して詩に親しみ、当時の第一線の詩人たちの知遇を得ます。兄・潔は大正7年12月に横浜から出航し、大正8年4月の到着からフランス留学を始め、当初五年程度で帰国する予定もフランス生活になじみ、版画家として大成してのちも生涯日本に帰国しませんでしたが、日本に残してきた病弱な弟・弘を気づかう手紙を頻繁に友人の芸術家仲間に送っています。兄・潔の留学出航時、すでに弟・弘は喘息から肺、胃腸、肝臓、心臓まで結核性の機能障害に陥っており、日夏耿之介を始め長谷川潔の出航見送りに駆けつけた友人たちはこの兄弟の今生の別れを予感して言葉もなかった、と日夏自身が長谷川弘追悼のエッセイで証言しています。

 兄・潔のフランス留学出航から長谷川弘の逝去までは2年にも満ちませんが、その間に弘は兄を継いで、病身を押して版画制作を続け、また詩誌への投稿・同人誌参加に依らずに詩作ノートを書き綴っていました。当時の現代詩の主流に即して見れば、唯一の詩集『奥ゆかしき玫瑰花』を残した長谷川弘は、詩集『月に開く窻』の高鍬侊佑(生年不詳、1922年8月没)、詩集『墜ちたる天人』の井口蕉花(1896-1924)、また大正12年(1923年)中には詩集『薔薇の幽靈』を刊行する予定だった棚夏針手(1902~没年不明)と並んで、北原白秋・三木露風から日夏耿之介、佐藤春夫、西条八十に至る、大正時代の象徴主義~高踏派詩人の系譜にある夭逝詩人となりました。この時期もっとも正統的な象徴主義理解に達していた詩人は三富朽葉(1889-1917)と竹内勝太郎(1894-1935)、富永太郎(1901-1925)でしたが、この三人はほとんど注目されていませんでした。良くも悪くも長谷川弘が恵まれていたのは、すでに病状が進行して詩誌発表や同人誌活動に加われなかった代わり、直接に日夏耿之介という癖の強すぎるほど癖の強い詩人に師事できたことでした。兄の潔と同様に版画家として活動していた長谷川弘は大正9年(1920年)4月に日本版画家協会の二科展入選を果たしますが、鵠沼保養所で養生していた弘は半年もせず同年9月、医師から外出禁止の勧告を受けます。弘はノートに書きためていた詩稿を日夏耿之介に9月25日に送り、日夏の閲覧を経て約1/3を選び、詩人自身が装丁・挿画を手がけた全18篇の詩集『奥ゆかしき玫瑰花』の刊行準備を進めますが、11月には全身結核の進行から東京帝国大學付属病院伝染病科への重篤入院として移送され、そのまま12月1日に逝去します。満年齢22歳6か月、享年23歳の夭逝でした。長谷川弘自身による装丁・装画も決定し、組版にかかっていた詩集『奥ゆかしき玫瑰花』は長谷川弘逝去四十九日の大正10年(1921年)1月19日刊に、兄・潔ともども詩書の装丁・装画で縁の深かった籾山書店から限定120部で刊行されました。気鋭の編者・池田竜氏による『長谷川弘詩集』は詩集『奥ゆかしき玫瑰花』全篇の翻刻とともに、詩集成立にまつわる長谷川弘から日夏耿之介宛て書簡4通を加え、詳細な長谷川弘評伝を解説にした、実質的に全遺稿集と言えるものです。

 長谷川弘は生前に詩誌発表も同人誌発表もせず、日夏耿之介が選んだ詩集『奥ゆかしき玫瑰花』所収の18篇以外は失われてしまったために、詩作ノートに書かれていたという残り2/3(推定36篇)ではどのような試みがなされていたか、現在では知ることができません。詩集『奥ゆかしき玫瑰花』所収の18篇はいずれも文語詩ですが、ご紹介した「廢園(あれぞの)の夕」のように口語脈との折衷的文体であり、明治30年代の新体詩からは格段に自由な文体になっています。口語自由詩の詩集はすでに明治43年(1910年)に川路柳虹(1888-1959)の詩集『路傍の花』、大正3年(1914年)の高村光太郎(1883-1956)の詩集『道程』、大正6年(1917年)の萩原朔太郎(1886-1941)の詩集『月に吠える』が刊行されていましたが、それらも完全な口語詩集とは言えず、文語体と口語体を折衷した文体でした。完全に口語詩に徹底した詩集は民衆詩派~人道詩派の室生犀星の『愛の詩集』、山村暮鳥の『風は草木にささやいた』、千家元麿の『自分は見た』(以上いずれも大正7年/1918年)にようやく始まり、民衆詩派の枠を越えて広まるには大正12年(1923年)の萩原朔太郎詩集『青猫』や高橋新吉(1901-1987)の『ダダイスト新吉の詩』まで待たねばなりません。その点では、大正9年秋に編まれた長谷川弘詩集『奥ゆかしき玫瑰花』は大正期の現代詩ならではの文語・口語折衷の文体で書かれた、現代詩の過渡期の作品です。ルビの多用は薄田泣菫(1877-1945)や蒲原有明(1876-1952)ら、明治30年代の複雑化したロマン派~象徴主義詩で行われて大正時代の詩人にも引き継がれたもので、先に上げた通り北原白秋から日夏耿之介に至るまでさまざまな形で見られます(日本特有の象徴主義詩的なルビを廃したことにも、先に上げた口語自由詩詩集の画期性があります)。この「廢園(あれぞの)の夕」には「隠沼(こもりゐ)」という語句が出てきますが、これなどは鬱屈した心境を表す典型的な蒲原有明調の暗喩で、有明を高く評価する日夏耿之介を経て長谷川弘に受け継がれた表現でしょう。全体にこの「廢園(あれぞの)の夕」は死のイメージが漂う陰惨な詩ですが、実際に長谷川弘本人がすでに死の予感を抱きながら創作した詩篇と思うと鬼気迫る思いがします。しかし過度の詠嘆性を排しているのが2行7連の簡潔な構成で、2行ごとの対句という形式化によってこの詩篇は自己憐憫に陥らず、素っ気ないほど辛口な詩になっています。口語体を折衷するも文語体を基調としたことで、この詩は陰惨でストイックな抒情の定着に成功しています。ただし全18篇の小詩集『奥ゆかしき玫瑰花』は、師の日夏耿之介の好みが大きく反映されていて、長谷川弘が詩稿ノートに書き溜めていたという60篇弱をすべて収録していたらずいぶん印象の異なる詩集になったのではないかと思われます。

 長谷川弘の没後に、もっとも長谷川弘に傾倒した同世代の詩人に高鍬侊佑(生年不詳、1922年8月没)が上げられます。現存する高鍬侊佑の全遺稿は池田竜氏編の『高鍬侊佑全集』(令和4年/2022年8月10日刊)にまとめられていますが、大正8年(1919年)から詩誌・同人誌活動をしていた高鍬侊佑は生前の長谷川弘とは面識はなく、限定版詩集『奥ゆかしき玫瑰花』も入手できなかったようですが、大正10年10月にアルスから刊行された『現代詩集・第壹輯』に再録された4篇で初めて長谷川弘の詩篇を読み、詩友の竹内隆二宛て書簡で大正10年12月の書簡から再三長谷川弘の詩篇に言及し、竹内から詩集『奥ゆかしき玫瑰花』の収録詩篇の筆写稿を受け取って熱心に読んでいたようです。高鍬侊佑が賞讃した詩篇は「夕の鈴鐸」「廢園の夕」「椿の小徑」「蕃紅花」などで、アンソロジーと竹内隆二からの筆写稿を合わせて詩集18篇中10篇を読んだ、と感想を書き送っていますが、大正10年秋から結核で病床に伏していた高鍬侊佑も大正11年(1920年)、第一詩集『月に開く窓』を病床で編纂し、刊行を目前にして8月に病没してしまいます。詩集『月に開く窻』は高鍬侊佑夭逝直後の大正11年8月6日に私家版として限定百部が刊行されました。北原白秋、三木露風から西条八十、日夏耿之介を表の詩史を代表する詩人とすれば、すでに評価の進んだ三富朽葉、竹内勝太郎、富永太郎にも増して、長谷川弘、高鍬侊佑、棚夏針手、井口蕉花ら大正期の私家版詩人・同人誌詩人は、今なお解明の途上にある、現代詩の異なる発展の可能性を示すものです。  

池田竜・編著作目録
『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日