幻の大正詩人・棚夏針手 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

『棚夏針手全集  上巻』池谷竜編
令和3年(2021年)6月1日刊
『棚夏針手詩集』鶴岡善久編
蜘蛛出版社・昭和55年(1980年)6月1日刊

 
 棚夏針手

 本當に私は幾度迷つたかも知れない。然し彼等は、
  不幸にも、決して迷はなかつた。--Renoir--

白い晝寐のLaの響は
赤い糸屑のやうな艶めかしい傷のやうに、
休んで居る白孔雀の羽扇を透して
藤色の靜かな泉の匂を聽かせる。

半手袋の香膏(あぶら)の擦りこんである皮膚に
黄金(きん)の要の水色の房が狆のやうに戯れる。

柘榴色の部屋飾から海の光のやうに生れた多くの赤子よ、
お前達は枝のやうに泉を覗いてから
柊の中の食鹽の中庭に、
接吻に濡れた足跡を残して行く
白鹿毛(しらかげ)のやうな日向の夕立の樣子を
光の層の深きあたりの靜かな水の中に
泉になる前の淋しいビブリスのやうに問ひ質すのか。

泉は麥のやうに黄ばんだ。
そうして其の圍りに密生した羊齒の中からは
毒のある狐の蠟燭が生え始める。

おゝ、あの蒼白(あおざ)めた蛾の行衛の硝子のない窓際では
未亡人が緋無地アスタラカンの外套(マント)にくるんだ幼兒を搖つて居る。
でも私には、
お前の前額が食鹽のやうに砂糖のやうに、
白く見えてならない。
ならば明瞭な再度のLaの響を匂はしてお呉れ。
女よ。
Laはすべてを水色にする。

私は日向斑(まだら)なお前の前額の食鹽の中庭にそつと穴を掘つて、
そこで孔雀の卵を金貨のやうに火いて見たい氣になる。
それが今宵の月を辛くするのだ。

私がこうして、
お前の髪の毛を吹いてやつて居るのに
未だお前は葡萄酒の匂を持つて居る。
女よ。
ならば明瞭な再度のLaの響を…………

(「君と僕」大正12年/1923年5月・第四号)

 日本の現代詩史には百年以上を経た明治・大正・昭和初期にもまだ評価の定まらない詩人たちが多く埋もれており、昨年刊行された『左川ちか全集』(島田龍編、書肆侃侃房・令和4年/2022年4月23日刊)、先立つ『薔薇色のアパリシオン~冨士原清一詩文集成』(京谷裕彰編、共和国・令和元年/2019年9月18日刊)は、冨士原清一(1908-1944)、左川ちか(1911-1936)の初の全集となるとともに、私家版の没後詩集でかろうじて知られるだけだった両詩人の声価を決定する重要な刊行になりました。しかし冨士原清一や左川ちかの全集刊行とともにひっそりと棚夏針手(明治35年/1902年生~没年不明)の全集が私家版刊行されていたのを、筆者はつい先日まで気がつきませんでした。東京生まれの詩人、棚夏針手、本名・田中真寿は旧制中学を中退し家業の質屋経営に携わりながら、19歳の大正11年(1922年)に、第二次「明星」(与謝野鉄幹主幹・北原白秋協力)1月号に「地震の夜」、「白孔雀」(西条八十主幹)5月号に「午餐と音樂」の投稿詩でデビューし、友人となった投稿詩仲間と創設した同人誌「君と僕」や同人誌「青騎士」に旺盛に詩作発表しながらも、生前一冊の詩集も持たず、遺影さえ残されていない詩人です。デビュー翌年、早くも棚夏針手は大正12年(1923年)8月の「君と僕」に序詩「薔薇の幽靈の詞」・「ネビユラ」「碧空をたたく」「薔薇の幽靈」「明日の二月廿九日」の四章各5篇・巻末長篇散文詩「跋錨の氾濫」の22篇からなる第一詩集『薔薇の幽靈』の近刊を予告しますが、翌月9月1日の関東大震災によって同人誌「君と僕」が解散するとともに、『薔薇の幽靈』の刊行も頓挫してしまいます。

 大正12年といえば、1月には萩原朔太郎(1886-1941)の第二詩集『青猫』(新潮社)、2月には高橋新吉(1901-1987)の第二詩集『ダダイスト新吉の詩』(辻潤編・中央美術社、佐藤春夫序文・辻潤跋文~大正10年/1911年12月の手製ガリ版刷り第一詩集『まくはうり詩集』の改編版)が刊行され、萩原による口語自由詩の円熟と、高橋による急進的な現代詩の改革が一気に訪れるとともに、明治時代後期の薄田泣菫・蒲原有明の達成、また上田敏・永井荷風による訳詩の詩風を継いだ北原白秋・三木露風から、西条八十・佐藤春夫・日夏耿之介らの日本流象徴主義詩と、大正デモクラシーを背景とした民衆詩派が当時の現代詩の主流を占めていました。民衆詩派というといかにも人道主義的な味気ないイメージがありますが、高村光太郎、室生犀星、千家元麿ら優れた詩人も多く、また大正4年(1915年)12月に驚異的なアヴァンギャルド詩の第二詩集『第三稜玻璃』を発表していた山村暮鳥も、大正7年(1918年)11月の第三詩集『風は草木にささやいた』以降は民衆詩派に転向したと見なされています。暮鳥の詩集『第三稜玻璃』はトリスタン・ツァラの「ダダ宣言」(1916年7月)に先立って、暮鳥自身の汎宗教的神秘主義からダダイスムと共通するアヴァンギャルド表現を打ち出したもので、あまりに奇怪な内容のため当時はほとんど理解を得られなかったものでした。高橋新吉はヨーロッパのダダイスム事情に刺激され日本初のダダイスム詩人としてデビューした詩人で、『ダダイスト新吉の詩』は佐藤春夫・辻潤の後押しもあって注目を集めましたが、高橋に先立つ未来派詩人・平戸廉吉(1893-1922)とともにこの時期、象徴主義詩から出発した同人誌詩人、自費出版詩人、夭逝詩人たちに平戸廉吉、高橋新吉とも異なる形で、異彩を放っていた詩人たちがいます。それが詩集『奥ゆかしき玫瑰花』の長谷川弘(1898-1920)であり、詩集『月に開く窓』の高鍬侊佑(生年不詳、1922年8月没)であり、詩集『墜ちたる天人』の井口蕉花(1896-1924)であり、また大正12年(1923年)中には詩集『薔薇の幽靈』を刊行する予定だった棚夏針手(1902~没年不明)らでした。棚夏針手は高鍬侊佑と友人だったことから、生年不詳の高鍬侊佑も棚夏針手とほぼ同年輩だったと推定されます。これらの詩人は直接間接的に北原白秋・三木露風、西条八十・日夏耿之介らの門下生だったために、大正時代の詩の限界にとどまる過渡期の詩人として昭和初頭のモダニズム詩の台頭によって長らく忘れられていましたが、 ようやく今日、モダニズム詩とは異なる方向に日本の現代詩が発展し得た可能性として注目されつつあります。

 長谷川弘、高鍬侊佑、井口蕉花の詩集はいずれも遺族・知友による詩人夭逝後の没後出版でしたが、棚夏針手は夭逝はしなかった代わりに、大正11年(1922年)から昭和2年(1927年)の正味五年間に約30篇の詩作を残しながら、『薔薇の幽靈』の刊行頓挫以降詩集刊行にこぎ着けなかった詩人でした。震災前でデビュー年の大正11年(1922年)には7篇、 第一詩集『薔薇の幽靈』の近刊予告までの大正12年(1923年)には関東大震災前月の8月までに11篇もの詩作を発表しながら、震災後の大正13年(1924年)には4篇、大正14年には詩作発表なし、大正15年(1926年、昭和元年)には4篇、昭和2年(1927年)には6篇と詩作発表は減少し、昭和4年(1929年)発表の1篇を最後に消息を絶ってしまいます。戦後の昭和25年(1950年)に突然、同人誌「青騎士」の知友だった近藤東(1904-1988)氏宛てに新作詩1篇が届き、添えられた手紙によると戦後は社会主義運動詩に力を注ぎ若い詩人たちを指導している、と近況が記してあったと近藤氏は証言しています。これは近藤氏が前年昭和24年5月に詩誌「詩学」に発表したエッセイ「處女詩集の頃」で「日本初のシュルレアリスム詩人」として同人誌仲間だった棚夏針手に触れていたことから同エッセイを読んだ棚夏針手が近藤氏に直に近況を知らせたもののようですが、再びこれを最後に棚夏針手の消息は途絶えてしまいます。その後、棚夏針手作品を初めて再評価したのは日本のシュルレアリスム詩~モダニズム詩史研究家の鶴岡善久氏で、鶴岡氏は昭和38年(1963年)の詩誌掲載論文で初めて棚夏針手作品に注目、昭和45年(1970年)3月の「ユリイカ」誌発表の「埋もれた異端」を経て「シュルレアリスム前史の可能性」に研究をまとめ、それが唯一棚夏針手という詩人を論じた批評となりました。同人誌類から鶴岡氏が収集し得た棚夏針手の詩篇28篇が『棚夏針手詩集』として神戸の詩人・君本昌久氏主宰の蜘蛛出版社から刊行されたのは昭和55年(1980年)6月でした。蜘蛛出版社は昭和52年(1977年)に飯島耕一・鶴岡善久編『楠田一郎詩集』、昭和54年(1979年)に近藤東・君本昌久編『永田助太郎詩集』と生前刊行詩集を持たなかった昭和10年代モダニズム詩人の詩集を発掘刊行してきた業績があり、現在では蜘蛛出版社版『楠田一郎詩集』『永田助太郎詩集』と並んで『棚夏針手詩集』も稀覯書となっています。1980年時点で棚夏針手が存命していたら78歳ですが『棚夏針手詩集』刊行後も消息はつかめず、昨年2022年には生誕100年を迎えていますから故人と推定されますが、昭和25年の詩人本人からの近藤東氏への来簡以降に、棚夏針手、本名田中真寿の消息を伝えてくれる関係者も現れていないのです。

 気鋭の編者を得て、鶴岡善久編『棚夏針手詩集』から40年ぶり、収録作品の発表時期からはほぼ100年を経て『棚夏針手全集』が刊行された意義はそうした経緯にもあり、編者の池谷竜氏は鶴岡善久氏編の『棚夏針手詩集』に、さらにその後発見された同人誌発表詩篇、短歌・俳句、批評、書簡を増補し、上巻に目次広告のみで刊行されなかった詩集『薔薇の幽靈』全編の再現、下巻に『薔薇の幽靈』以外の著述を収録しています。ご紹介した詩篇「嘘」は未刊詩集『薔薇の幽靈』中でも詩集と同じタイトルを持つ第三章「薔薇の幽靈」の劈頭を飾る詩篇(実質的に詩集表題作セクション、詩集全体ではちょうど巻央、それだけに重要な位置と詩人の自信を担います)で、池田氏の調査によると冒頭のエピグラムは当時読まれていた『秦西名畫家傳第五巻・ルノアル』からのルノワール語録の引用になるようです。棚夏針手の詩には「水」「水色」がよく出てきますが、その修辞はボードレールの「万物照応」やランボーの「母音」のような象徴主義的発想よりも偏執的な感覚と論理的整合性を意に介さない意外性があり、「Laはすべてを水色にする。」といった詩句は、例えば三木露風や西条八十に代表される日本流の象徴主義解釈はもとより、さらに正統的な象徴主義詩人だった三富朽葉(1889-1917)や富永太郎(1901-1925)からは出てこない発想でしょう。この「La」はもちろん音階・音高の「ラ」(「イ」「A」音)でしょうが、「Laはすべてを水色にする。」とは断定的すぎて意味の上では破綻(タイトルからして「嘘」です)しています。また高踏的、唯美主義・耽美主義的発想からはこの詩篇「嘘」はあまりに逸脱した、イメージの集中よりも拡散に向かう指向があり、結果的に同時代のフランス詩人の「シュルレアリスム宣言」(アンドレ・ブルトン、1924年10月)に先んじてシュルレアリスムの夢の記述、自動手記的記述に日本語詩によって先鞭をつけています。山村暮鳥の『聖三稜玻璃』が予告したのは高橋新吉のダダイスム詩(高橋新吉の詩がのちの詩人への指標になったのは、現実への肉体的な抵抗感という確かな感受性があったからですが)への流れではなく、より謎めいてつかみ所の難しい棚夏針手の詩ではなかったかと思わせます。『聖三稜玻璃』最長の散文詩「A FUTUR」と読み較べていただければ、この遺影すら発見されていない幻の詩人・棚夏針手がいかに暮鳥とシュルレアリスム詩をつなぐ存在だったかがおわかりいただけると思います。なお『棚夏針手全集』の編集・刊行を手がけられた池谷竜氏は相前後して高鍬侊佑、長谷川弘、井口蕉花、また北村初雄、山田一彦らの全詩集も刊行されており、引用紹介の許可をいただいたので今後も機会があればご紹介していきたいと思います。

池谷竜・編著作目録

『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集  上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集  下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日