『棚夏針手全集 上巻』池谷竜編
令和3年(2021年)6月1日刊
令和3年(2021年)2021年9月1日
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230327/23/fifth-of-july/d8/4a/j/o0759108015261560375.jpg?caw=800)
『棚夏針手詩集』鶴岡善久編
蜘蛛出版社・昭和55年(1980年)6月1日刊
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230525/13/fifth-of-july/be/6f/j/o1080080715289176900.jpg?caw=800)
地震の夜
地震は船、
地震は時計をとめる。
銀杏(いてふ)は火の粉をまいて
女のやうに髪を振りみだす。
歩道の犬もとまり
月の暈は凍つて居るやうだ。
さうして私の家までが
醉ひの覺めたやうに慄へて居る。
冬の地震は氷山だ、
私はその上でペンギン鳥のやうに
歩くことが出來ないで、
横たはつたまま
死人のやうに生白く
鬼火を怖れて居る。
銀杏の樹は燃えて居るのではあるまいか、
でも水色をして居るやうだ。
私は港へ着いたやうに疲れて
吹雪が外套を銀にする。
ああ淋しい今宵の街の光景、
雪が私の手に吹きつけて、
戸毎(とごと)の時計はとまつてしまつた、
銀杏は噴水のやうに
悲しく燃えて居るではないか。
(大正11年/1922年1月「明星」)
午餐と音樂
----我に三人の友あり----
耳傾け、織り、感じるとき、
音樂はここに匂高き花粉となる。
小時(しばし)、移動する像(すがた)を見給へ。
水を攣る太陽の地曳網のやうに
彼等は青麦の丘に休憩するではないか。
友よ、彼の丘に午餐をとらう。
必ずや、靑麥は
愛人の桃の果の肌に似た瞼を感じさせるだらう。
そうして、雲雀は
彼女が目醒める前の微笑を思ひ出させるに違ひない。
蔓草に轉ばぬやう丘の靑麥に午餐をとらう。
友よ、耳傾けよ、
筏を纜(つな)ぐ黄金(きん)の鎖に水の戯れる音に、
春の雪消(ゆきげ)に谷のひらかれる音を。
微風は靑麥を水にする。
おお、靑麥はベニスの街を建てた。
水に垂れて象牙の段に
桃色鸚哥は愛人の言葉を眞似やうとして居る。
圓柱は皆水に立つて居る。
友よ、午餐に行かう。
待つて居る愛人の瞼に、
靑麥のベニスの街に、
さあ、我等は音樂の中に水色の午餐を織らう。
(大正11年/1922年5月「白孔雀」推薦、同年8月6日『高鍬侊佑詩集 月に開く窻』跋詩、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集 薔薇の幽霊』収録予定詩篇)
喪
――――慈愛深かりし祖母の靈に――――
喪は白でそうして黒い。
水色の梅の花が雪のやうに匂つて、
老婆を白くする。
おゝ、クレオパトラの紫の帆が霧となつて
老婆のほとりを圍つてゐるではないか。
さうしてその象牙の天蓋の下には
クレオパトラと多くの侍女が
罌栗のやうに眠つて居る。
老婆のほとりには泉の唄が充ちて居る。
船の影にはたへず薔薇の花が零れる。
喪は音樂を休ませてしまつた。
船よ、船の蒼い塔の下に眠つてゐるのは、
夜の薔薇に埋もれた
老婆の屍(むくろ)ではあるまいか。
喪は白でそうして黒い。
蒼い爪哇(じやば)更紗の屏風の面には
水色の梅の花が雪のやうに匂つてゐる。
(大正11年/1922年6月「瑯玕」)
信仰
――――竹内隆二におくる――――
神は夢である。
神は感情だ。 (レミ・ド・グールモン)
神は、
半ば消えかかつた、白熊の毛皮の中に咲いた
玉樟腦(たましようのう)だ。
曉の蠟燭の灯は合掌して、
黄ばんだ間色の速い獨樂(こま)と暈やけて居る。
それを神が
薔薇畑の畝へ、
風のない曉だのに
手を隠して持ち出した。
馬の足を洗ふ音がする。
影では、
柔らかい唇(くち)で接吻の織物を織つて居る
處女の手が戰く。
月の遊絲(かげろう)が遠くまで透らせる。
向ふの窻で湯上りの白粉刺靑が開いて
桃色の女の蹠(あしのうら)へ入る、
やがて誰を待つのか長椅子に横たはつた。
また馬の足を洗ふ音がする。
蠟燭が盡きかかる。
灯は合掌する。
罌粟の花は皆を眠らせる。
おお、神が象牙の徑(みち)を去つていく。
(大正11年/1922年8月「瑯玕」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集 薔薇の幽霊』収録予定詩篇)
訃
――――逝きし高鍬侊佑君の靈に――――
水に啓(ひら)けて、
蒼白(あおざ)めの銀杏(いてふ)の肌に
よぢる白罌粟は羊のやう。
風もなく、
はれわたる花粉の中の
銀を燒く焔の織るは薔薇の花。
水に啓けて、
それは月へと薔薇を蝕む
罌粟の羊の胸毛の匂。
風もなく、
銀杏の肌は手觸りに
五位鷺で盬の柱の肌を訃(つ)げる。
(大正11年/1922年12月「瑯玕・高鍬侊佑追悼號」、大正12年秋未刊『棚夏針手詩集 薔薇の幽霊』収録予定詩篇)
*
東京生まれの詩人、棚夏針手こと本名・田中眞寿(推定明治35年/1902年生~没年不詳)は、19歳の大正11年(1922年)に、第二次「明星」(与謝野鉄幹主幹・北原白秋協力)1月号に「地震の夜」で、「白孔雀」(西條八十主幹)5月号に「午餐と音樂」の投稿詩でデビューし、友人となった投稿詩仲間と創設した同人誌「君と僕」や交流のあった同世代詩人の同人誌「青騎士」に旺盛に詩作発表しながらも、生前一冊の詩集も持たなかった詩人です。棚夏針手は早くも翌年の大正12年(1923年)8月の「君と僕」に、序詞・四章各5篇、長篇散文詩の22篇からなる第一詩集『薔薇の幽靈』の近刊予告を掲載しますが、翌月9月1日の関東大震災によって同人誌「君と僕」が解散を余儀なくされるとともに、『薔薇の幽靈』の刊行も頓挫してしまいます。
大正12年は日本の現代詩史の上で重要な転換点となった年で、1月に萩原朔太郎(1886-1941)の第二詩集『青猫』(新潮社)、2月に高橋新吉(1901-1987)の第二詩集『ダダイスト新吉の詩』(辻潤編・中央美術社、佐藤春夫序文・辻潤跋文)が刊行された年でした。大正12年9月の関東大震災のために直後の大正13年の詩書出版は減少しましたが、この2詩集の直接間接の影響力は大きく、『青猫』が確立した抒情詩系の口語自由詩は昭和の「四季」派、「日本浪漫派」の詩人たちにおよび、『ダダイスト新吉の詩集』が開いたアヴァンギャルド詩の可能性は、大正13年(1924年)に宮澤賢治(1896-1933)の『春と修羅』、大正14年(1925年)に北川冬彦(1900-1990)の『三半規管喪失』、遠地輝武(1901-1967)の『夢と白骨の接吻』、萩原恭次郎(1899-1938)の『死刑宣告』、尾形亀之助(1900-1942)の『色ガラスの街』、八木重吉(1898-1927)の『秋の瞳』大正15年(1926年)の小野十三郎(1903-1996)の『半分開いた窓』、北川冬彦の『検温器と花』、昭和2年の富永太郎(1901-1925)の『富永太郎詩集』、昭和3年(1927年)の岡本潤(1901-1978)の『夜から朝へ』、草野心平(1903-1988)の『第百階級』へと続き、昭和5年(1930年)前後にはモダニズム系(「詩と詩論」「文學」「詩・現實」)、抒情詩系(「四季」「日本浪漫派」)、アナーキズム系(「銅鑼」「學校」「歴程」)、プロレタリア文学系(「プロレタリア文學會」)へと分かれて行きます。一人一派のプロレタリア詩人だった小熊秀雄(1901-1940)、「詩と詩論」から出て一人一派の強固なフォルマリズムに達した北園克衛(1902-1978)、「詩と詩論」に依ったシュルレアリスト瀧口修造(1903-1979)、「コギト」「日本浪漫派」「四季」に依った伊東静雄(1906-1953)、「文學界」「歴程」と「四季」のいずれにも属した中原中也(1907-1937)、「學校」「歴程」「詩と詩論」をまたいだ逸見猶吉(1907-1946)らも出発点はダダイズムへの共鳴にあると目せ、本質的にはアナーキズム詩人だった萩原朔太郎の『青猫』ともども『ダダイスト新吉の詩』が果たした役割は、高村光太郎(1883-1956)の存在とともに、明治後期の薄田泣菫・蒲原有明のロマン派的象徴詩、また上田敏・永井荷風による訳詩の詩風を継いだ、北原白秋・三木露風から西条八十・佐藤春夫・日夏耿之介にいたる日本的象徴詩・高踏派ロマン主義詩の文語律的発想から現代詩を解放したことでしょう。文語律によるレトリックの詩から全人的な一貫性を重視し、より自由な詩を目指した点で、高村光太郎、山村暮鳥(1884-1924)、室生犀星(1889-1962)、三富朽葉(1889-1917)、金子光晴(1895-1975)、小熊秀雄、中野重治(1902-1979)らの存在は北原白秋、三木露風らの装飾的なレトリック詩の限界を突破する意志を持ったものでした。その詩史における屈曲点を集約した詩集が『青猫』『ダダイスト新吉の詩』の2詩集と見なせます。それは石川啄木(1886-1912)の『啄木遺稿』(大正2年/1913年)、高村光太郎の『道程』(大正3年/1914年)、山村暮鳥の『聖三稜玻璃』(大正4年/1915年)、萩原の『月に吠える』(大正6年/1917年)、室生犀星の『愛の詩集』(大正7年/1918年)、高橋に先立つ未来派詩人・平戸廉吉(1893-1922)生前のパンフレット詩集などを通って、漏斗のように、また篩のように『青猫』『ダダイスト新吉の詩』に流れこむとともに圧縮されて流れ出し、宮澤賢治から中原中也、逸見猶吉にいたる大正末~昭和初頭の現代詩の革新となったのです。
ただし大正時代には、北原白秋(1885-1942)、三木露風(1889-1964)、川路柳虹(1888-1959)、日夏耿之介(1890-1971)、西條八十(1892-1970)らは日本の現代詩史の上で初めて「詩壇」を形成するほどの存在感を持っていました。白秋の才能は圧倒的だったので川路、西條らは三木露風の門下に就き、西條の盟友だった日夏は白秋、露風に飽き足らない立場から独自に若手詩人たちの指導的立場に就きます。もっとも平均的な作風が時代を代表すると見なすなら、大正時代を代表する詩人はもっとも平凡な詩人だったゆえに門弟を多く持ち、自身の詩作には実りが少なかった三木露風、そして川路柳虹でした。こうした存在(あえて名を上げませんが)は敗戦までの昭和期、戦後詩、ポスト戦後詩、平成時代にも見られます。棚夏針手が旺盛かつ集中的な詩作を行っていた大正11年(1922年)~大正12年(1923年)は、萩原朔太郎の『青猫』、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』がまだ現代詩の趨勢を変える以前の、白秋、露風、柳虹、日夏、西條時代の詩意識が日本の詩の標準だった時期でした。
棚夏針手(1902-没年不詳)と同時代の同人誌・自費出版詩人だった長谷川弘(1898-1920)、高鍬侊佑(生年不詳/推定1902-1922年8月没)、井口蕉花(1896-1924)もまた、棚夏針手と同様に、白秋、露風、柳虹、日夏、八十らの大正時代のレトリック詩の意識から詩作していた詩人でした。長谷川弘は詩誌投稿や同人誌参加に依らず直接に日夏耿之介に師事した夭逝詩人で、高鍬侊佑は「文章世界」(北原白秋選)や「詩王」(西條八十選)の投稿から長谷川弘の日夏選による遺稿詩集『奥ゆかしき玫瑰花』(大正9年/1920年)に感化されて同人誌「瑯玕」の創刊同人となり、唯一の詩集『月に開く窻』(大正11年/1922年)を残した詩人です。棚夏針手(本名・田中眞寿)は詩誌投稿(北原白秋選「明神」、西條八十選「白孔雀」)から同年輩の高鍬と知りあい、投稿時代の高鍬の筆名「桑井野十手」から筆名を「棚夏針手」として「瑯玕」に寄稿し、高鍬没後の大正11年末から旧「瑯玕」同人と合流した同人誌「君と僕」の中心詩人となり、平行して井口蕉花・春山行夫(1902-1994)編集の同人誌「青騎士」に寄稿し、大正12年(1923年)8月の第5号で「君と僕」が翌月の関東大震災のために廃刊になった後の大正13年(1924年)以降は「青騎士」、「青騎士」の発展した「謝肉祭」、北原白秋主宰の「近代風景」に寄稿します。「青騎士」主宰の井口焦花は大正13年(1924年)4月に第一詩集『墜ちたる天人』の刊行予告を実現しないまま逝去、『井口焦花詩集』は昭和4年(1929年)6月に春山行夫の巻末解説を付して刊行されましたが、すでに詩誌「詩と詩論」(昭和3年/1928年9月創刊)の主宰者になっていた春山の解説は井口焦花遺稿詩集を日本のシュルレアリスム詩の嚆矢とした、牽強付会な論調のものでした。そして棚夏針手は年々寡作になったまま、昭和4年(1929年)を最後に、消息を絶ってしまいます。
今回ご紹介したのは棚夏針手のデビュー作となった「地震の夜」から大正11年(1921年)発表の6篇中の5篇(9月「瑯玕」第3号発表の「玻璃の掛毛氈」は掲載誌散佚のためタイトルのみ伝えられています)で、18歳~19歳のこの年の詩篇はまだ高踏的ロマン主義詩らしい発想や措辞が目立ちます。翌大正12年(1923年)、同人誌「君と僕」を創刊し、先鋭的な同人誌「青騎士」にも寄稿するようになった棚夏針手は爆発的な創作力の絶頂期を迎え、同年1月から8月までに12篇を発表し、8月の「君と僕」第5号には第一詩集『薔薇の幽靈』の目次細目(全22篇)つき刊行予定を告知します。棚夏針手の傑作は大正12年に集中しています。しかし翌月の関東大震災で同詩集の刊行は実現せず、同人誌「君と僕」も廃刊、以降棚夏針手は、大正13年(1924年)に同人誌「青騎士」「指紋」に4篇、大正15年(1926年)に同人誌「謝肉祭」に4篇、昭和2年(1927年)には「近代風景」に6篇を発表するも、昭和4年(1929年)の日夏耿之介門下生の同人誌「オルフェオン」に1篇(掲載詩現存せず)を最後に、消息を絶ってしまいます。戦後もなお旺盛な詩作発表をしていた元「青騎士」「詩と詩論」「文學」同人の近藤東(1904-1988)氏に近況を知らせる手紙とともに添えられていた1篇「青あらしのなかから」が送付されてきたのは昭和25年(1950年)6月で、神戸の蜘蛛出版者名から昭和55年(1980年)6月に鶴岡善久氏編『棚夏針手詩集』が刊行された際(当時存命なら78歳)も棚夏針手の消息を伝える証言は得られませんでした。
気鋭の編者を得て、鶴岡善久編『棚夏針手詩集』から40年ぶり、収録作品の発表時期からはほぼ100年を経て『棚夏針手全集』が刊行された意義はそうした経緯にもあり、編者の池田竜氏は鶴岡善久氏編の『棚夏針手詩集』にさらにその後発見された同人誌発表詩篇、短歌・俳句、批評、書簡を増補し、上巻に目次広告のみで刊行されなかった詩集『薔薇の幽靈』全編の再現、下巻に『薔薇の幽靈』以外の著述を収録しています。ご紹介した棚夏針手デビュー年の大正11年(1922年)の詩にはすでに「水」「水色」「白」「蒼白」がよく出てきますが、その修辞は象徴主義的というよりも偏執的な色彩感覚と論理的整合性を意に介さない飛躍があり、「喪は白でそうして黒い。//水色の梅の花が雪のやうに匂つて、/老婆を白くする。」といった詩句は、例えばもっとも正統的な象徴主義詩人だった三富朽葉(1889-1917)からは出てこない発想でしょう。「水色の梅の花が雪のやうに匂つて、/老婆を白くする。」もおよそ意味上の整合性を無視していますし、「喪は白でそうして黒い。」とは感覚的には両義的な「喪」の光景を暗示していますが(白骨と喪失感、また葬列者の精神的な空漠状態の「白」と喪服の「黒」)、極端に端的かつ断定的すぎる表現のため意味の上では破綻しています。また高踏的、唯美主義・耽美主義的発想からは棚夏針手の詩篇は整合性からあまりに逸脱した、イメージの集中よりも拡散に向かう指向があり、結果的に同時代のフランス詩人の「シュルレアリスム宣言」(アンドレ・ブルトン、1924年10月)に先んじてシュルレアリスムの夢の記述、自動手記的記述に日本語詩によって先鞭をつけています。山村暮鳥の『聖三稜玻璃』が予告したのは高橋新吉のダダイスム詩への流れではなく、棚夏針手の詩ではなかったかと思わせます。大正11年の発表詩篇では「午餐と音樂」「信仰」「訃」がのちに未刊に終わった詩集『薔薇の幽靈』収録予定詩篇になりますが、『棚夏針手全集』からは棚夏針手の詩作は詩集『薔薇の幽靈』刊行を構想した大正12年(1923年)に絶頂を迎えたのがわかります。次回以降も幻の大正詩人きっての謎の詩人、棚夏針手の詩篇をご紹介する予定です。
池谷竜・編著作目録
『雄鶏とアルルカン: ジャン・コクトーの音楽小論』2019年10月17日
『不死者の不幸: ポール・エリュアール詩画集』2020年11月18日
『愛の紋章: ポール・エリュアール中期詩選集』2021年5月1日
『棚夏針手全集 上巻』2021年6月1日
『山田一彦全集』2021年8月15日
『棚夏針手全集 下巻』2021年9月1日
『吉田眞之助全集 上巻』2021日9月12日
『井口蕉花全集』2021年11月17日
『長谷川弘詩集』2022年6月21日
『高鍬侊佑全集』2022年8月10日
『北村初雄詩集 上巻』2022年10月12日
『北村初雄詩集 下巻』2022年12月2日
『北村初雄詩集 補巻』2022年12月2日