裸のラリーズwith山口冨士夫 - Double Heads (Univive, 2005) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

裸のラリーズwith山口冨士夫 - Double Heads (Univive, 2005)
Phoenix Records Edition
裸のラリーズwith山口冨士夫 - Double Heads (Univive, 2005) original cd-r edition cover
裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés - Double Heads (Univive, 2005) :  

Reissued by Univive UNIVIVE-014 (press 6CD Box Set, unofficial), 2007
Reissued by Phoenix Records ASHBOX2 (press 6CD Box Set, Unofficial), UK, 2007
全作詞作曲・水谷孝 (probably expect "Fantastique")
(Tracklist)
◎Live 14 Aug.1980, 渋谷・屋根裏 (Disc 1 & 2)

1-2. 夜より深く - 16:16
1-3. 白い目覚め - 6:24
2-1. 夜、暗殺者の夜 - 12:27
2-2. Fantastique (probably 水谷孝&山口冨士夫) - 13:06
2-3. 夜の収穫者達 - 8:32
2-4. The Last One - 27:50
◎Live 29 Oct.1980, 渋谷・屋根裏 (Disc 3 & 4)

3-2. 氷の炎 - 19:27
3-3. 夜より深くPart2 - 11:00
4-1. Enter The Mirror - 12:20
4-2. 夜、暗殺者の夜 - 13:22
4-3. The Last One - 19:23
◎Live 23 Mar.1981, 渋谷・屋根裏 (Disc 5 & 6) 

5-2. 夜より深くPart2~The Last One - 30:41
6-1. The Last One - 24:24
6-2. 氷の炎 - 20:57
Total Time: 4:54:42 

水谷孝 - vocal, guitar
山口冨士夫 - guitar
Doronco - bass guitar
野間幸道 - drums 

 トータル・タイム4時間55分の大作にして、山口冨士夫(ギター、1949-2013)参加時の裸のラリーズのライヴから渋谷のライヴハウス・屋根裏でのライヴ音源3回分を集めた6枚組CDの本作は、リーダー水谷孝(1948-2019)非公認の海賊盤と判明した現在でも日本のロック史上最高のライヴ・アルバムに上げられる必聴盤です。当初CD-R発売された本作はプレスCD化の再発売に伴いイギリスのPhoenix Recordsからもリリースされ、通販サイトや輸入盤店の店頭を賑わせましたが、6枚組CDボックスで全17曲、各ディスク収録曲数が2曲~4曲でジャケットにもスリーヴにもタイム表記がないとあって、マキシ・シングル(またはミニ・アルバム)の詰め合わせにして枚数を水増ししたボックスセットなのではないかと当初購入をためらった方もいたのではないかと思われます。ところが内容を聴いてみると記載したデータの通り長大な演奏ばかりが並び、6枚組でトータル4時間54分42秒と5時間あまりの超大作ボックスだったのが判明し、3回のライヴからの収録ですから1ライヴあたりCD2枚、約100分(1時間40分)ずつの度肝を抜かれる内容の上に明らかにバンド公式サウンドボード(ミキサー卓)からのライヴ・レコーディングとおぼしい最上級の音質とミキシング(観客からのレスポンスはカットされ、スタジオ・ライヴに聴こえるほどクリアでシャープな音像です)の音源で、昨年の水谷孝の正式な訃報発表と生前の水谷公認の裸のラリーズの公式サイト設立によって否定されるまで、Univive盤が水谷公認(水谷自身の音源提供)のインディー・リリースだろうと多くのリスナーが受け取っていた根拠ともなっていたアルバムでした。1991年リリースの水谷自身による公式アルバム『'77 Live』(1977年3月12日・立川社会教育会館コンサート)も2枚組CDで全7曲・1時間40分ものライヴ・アルバムだったので、本作が6枚組CDで全17曲(1981年3月23日のライヴなどはCD2枚、1時間40分もの演奏で4曲で、最終曲ではフェイドアウトしています)・トータル5時間もの収録時間なのはバンド公式レコーディングが確実と思われる本作では特に例外的ではありません。山口冨士夫が在籍したのは1980年8月から1981年3月、この8か月間の間に山口参加のラリーズはライヴ音源が残っているライヴだけでも7回、1980年9月上旬には結局未完成・未発表に終わったスタジオ・アルバム用録音を行っており、この『Double Heads』に収録された渋谷・屋根裏での1980年8月14日のライヴは山口加入後の初ライヴ、1981年3月23日のライヴを最後に山口は脱退しており、1981年10月29日のライヴは山口加入後3回目にして山口冨士夫参加時のラリーズの最高の演奏と名高いライヴです。本作未収録で他のライヴ・コンピレーション盤で発掘発表された他4回の山口在籍時のライヴ音源も十分好内容ですが本作に較べると音質やミキシングにおいて劣り、演奏曲目に欠落があるもので、『Double Heads』は山口冨士夫参加・在籍時の初ライヴと最後の脱退ライヴを両端に1980年10月の絶頂期ライヴを軸にした、山口在籍時の最重要ライヴ3回分を毎回ほぼ完全収録(3-3「夜より深くPart2」や6-2「氷の炎」などにフェイドアウト編集がありますが)した、公式アルバム以外のラリーズ音源ではもっとも高い完成度と、伝説的ギタリスト山口冨士夫参加のラリーズ音源という重要性を誇るアルバムです。

 裸のラリーズは標準的に、水谷孝のリード・ギター、ヴォーカルを核にセカンド・ギター、ベース、ドラムスをリズム・セクションとした四人編成を基本的な編成としてきましたが、セカンド・ギターの役割は堅実に楽曲のコード進行の維持に限定されることがほとんどでした。1972年~1977年までその役割を担ってきたのは中村武志で、中村は1967年末に京都でラリーズが結成された時からのセカンド・ギタリストであり、水谷が1970年に上京し長田幹生(ベース)、正田俊一郎(ドラムス)との三人編成になってから遅れて1972年に上京し、傑作ライヴ『'77 Live』までのラリーズのスタイル確立~絶頂期の活動まで貢献しています。1977年末からラリーズは自主事務所の運営難からほぼ1年ライヴ活動を休止し、バンド結成以来の最重要メンバーだった中村は1975年8月の加入以来ラリーズ史上最強ベーシストだった楢崎裕史とともに裸のラリーズを離れてしまいます。ほぼ1年ぶりのラリーズのカムバック・コンサートとなった1978年11月1日の青山ベルコモンズ「Cradle Saloon」でのコンサートは、『'77 Live』ではドラマーだった三巻俊郎がベーシストにまわり、新加入の野間幸道がドラマーのスリーピース編成で敢行されるも、セカンド・ギタリスト不在のトリオ編成のラリーズは1973年以来のスタイル確立以来のラリーズとは別バンドのように不安定なアンサンブルが目立ちました(またそれが青山ベルコモンズ・ライヴの面白さにもなっています)。翌1979年~1980年初頭までを水谷、三巻(ベースからセカンド・ギタリストに異動)、新加入のベーシストにDoronco、ドラムスは引き続き野間の四人編成に戻ったラリーズは、1980年に三巻の脱退(三巻はドラムス、ベース、ギターとあらゆるパートをこなしてきたことになります)を受けて、京都時代からの盟友で一時期は異名同一バンドだった時(水谷孝上京前後の1970年には、柴田和志=チャー坊がヴォーカルの時は村八分名義、水谷がヴォーカルの時は裸のラリーズ名義で活動していました)以来の盟友、元ダイナマイツ、元村八分(1973年解散)の山口冨士夫をギタリストに迎えます。もともとブルース指向の強いギタリストで、水谷孝のリード・ギターと対峙して一歩も引かず、二匹の蝮の絡みあうような自在なギター・アンサンブルを執る山口のプレイはラリーズ史上でも他に類を見ないツイン・ギターのサウンドが聴ける時期となり、ともにアンダーグラウンド・シーンの伝説的ギタリスト二人の揃った山口在籍時のラリーズはこれまでになく音楽誌やリスナーから注目される存在になりました。確かにこのラリーズは、1974年の明治学院大学ヘボン館地下ライヴ、1975年の『WILD PARTY』ライヴ、1976年の金城学院大学ライヴ、1977年の『'77 Live』や『第四回夕焼け祭り』ライヴ、1978年の青山ベルコモンズ「Cradle Saloon」ライヴとは一変した、別バンドと言ってよい(しかも完成度の高い)演奏が聴けるものです。未完成・未発表に終わったスタジオ・アルバム『Mars Studio 1980』同様、この『Double Heads』音源は最上級のサウンドボード録音と入念なミキシングからも、明らかに公式アルバム発表を意図してレコーディングされた音源をマスター・テープとしたものです。

 山口冨士夫在籍時に確認されるライヴ/スタジオ音源は、
・1980年8月14日、渋谷・屋根裏ライヴ (『Double Heads』収録)
・1980年9月4~7日・9日、国立Mars Studio アルバム録音
・1980年9月11日、渋谷・屋根裏ライヴ
・1980年10月29日、渋谷・屋根裏ライヴ (『Double Heads』収録)
・1980年11月7~8日、神奈川大学「100時間劇場~人工庭園・錬音術師の宴」オールナイト・イヴェント(ほか12バンド以上)
・1980年11月23~24日、法政大学学生会館ホール「イマジネイティヴ・ガレージ」オールナイト・イヴェント(ほか8バンド以上)
・1980年12月13日、渋谷・屋根裏ライヴ
・1981年3月23日、渋谷・屋根裏ライヴ (『Double Heads』収録)

 と、8か月間にライヴ7回、5日間におよぶ未完成未発表スタジオ・アルバム録音『Mars Studio 1980』が記録されています。ほぼ毎月1回ペースのライヴですが、1981年1~2月にはライヴ記録がないため実質的には正味6か月と目していいでしょう。山口冨士夫の自伝『SO WHAT』や関係者の証言によると、ほとんど無償でレコーディングに協力した国立Mars Studioのスタッフは山口ともどもほぼ完成間近まで録音されたアルバム(CD3枚分、曲数からは編集さえすればアナログLP2枚組が組まれる可能性がありました)を水谷孝が未完成・未発表としたことに怒りを隠さないでおり、また山口は裸のラリーズをめぐる「スタッフもファンもみんな水谷サマサマでさあ」の状況にはライヴを重ねるたびに嫌気がさしたと証言しています。水谷孝やラリーズのスタッフ側に、山口参加時に公式ライヴ・レコーディングの意図があったのは『Double Heads』の音質・ミキシングともに最上級のマスター・テープからも明らかで、山口は1980年末にはラリーズ脱退を決めていたと思われ、3か月のブランクを置いた1981年3月23日の山口参加の壮絶な全4曲のラスト・ライヴは明確に脱退を期したものとして行われたものでしょう。本作収録以外の4回分のライヴも十分音質良好な発掘音源が出回っていますが、『Double Heads』収録の3回分よりは音質は劣り、また収録曲目に欠落があるのは前述の通りです。音質、ミックス、演奏ともに本作収録の「1980年8月14日、渋谷・屋根裏ライヴ」「1980年10月29日、渋谷・屋根裏ライヴ」「1981年3月23日、渋谷・屋根裏ライヴ」は山口冨士夫参加時のラリーズの最高のライヴを捉えたもので、同一曲でもライヴ各回でのアレンジの違いが大きく、水谷孝のギター・プレイと、基本的にブルース・ギタリストの山口が時には牽制しあい、時には見事な役割分担を見せ、しばしばともに爆発的な演奏を見せるライヴとして、裸のラリーズ史上でも類を見ない食うか食われるかのツイン・ギター・アンサンブル(強力なギターがサウンドを牽引しているためか、Doroncoのベース、野間のドラムスとも1979年とは見違えるような太いプレイでボトムを支えています)が聴けます。未編集・未完成状態で発掘アルバム化されている『Mars Studio 1980』と本作『Double Heads』は音質・ミックス、貴重かつ重要な演奏内容ともUnivive盤の時点ですでに公式アルバムに匹敵するリリースで、山口冨士夫参加作としても屈指の名盤のために、今後ラリーズの公式サイトが公認アルバムとして決定版再リリースに着手するか、このままunofficialリリースとして埋もれた海賊盤の名盤(未編集・未完成状態のままの『Mars Studio 1980』は微妙ですが)にとどまるとしたら惜しまれる、もっとも公式リリースが望まれるアルバムです。