急行越前のブログ -4ページ目

急行越前のブログ

日々の生活で感じた事や趣味の事を書き綴っています。
不定期更新ですが、お時間があったらご笑覧ください。

8月15日。


「今日は何の日?」と若者に聞いたら、半数近くの人がわからなかった。

「約70年前、日本はどこと戦争をしていたの?」という質問にも、「中国?」「韓国?」とトンチンカンな答えが返って来た。この人達は、小学校に行ってないのだろうか?

私が子どもの頃、小学校の社会科では、日本の歴史の中で第二次大戦やポツダム宣言に関して勉強した。他のことより、より強烈な印象を持っているので、忘れる事は無い歴史的事実だと思っていた。

しかし、今の若者は・・・。


私の祖父も戦争で亡くなっている。祖父が命がけで戦ってくれたおかげで、私は現代で安心して平和に幸せに暮らせているのだと感謝している。だから、私達は終戦記念日には、その思いを新たにし、尊い犠牲の上に成り立っている現在の平和を、死守していく責任がある。しかし、祖父の娘、すなわち私の叔母でさえ、祖父の命日を知らないという事実に驚いた。父親の命日を知らない子どもがいるのか?しかも、日本国のために戦死した父親の命日である。


日本人は平和ボケしていると以前から言われている。既に、私の叔母のような平和ボケした老人が出現し、その子どもは更に環をかけて平和ボケしているという事実。今、反省しないで、いつ反省するというのだ?


平和ボケしている全国民に、猛反省してもらわねばならない。

最近、旅に出ていなかった。

久しぶりに、妻の実家に帰る為に東海道新幹線に乗った。

子どもの頃憧れていた0系はもう「亡き人」になってしまったが、それでも東海道新幹線は私を憧れの西国へと誘う。西には京都、広島、山口、博多など、魅力的な都市がたくさんある。

私が始めて新幹線に乗ったのは、博多に開業して間もない昭和50年の事だった。当時は、新幹線は0系しかなかったが、新たに食堂車が追加された頃で、誇らしげに「食堂車は8号車です」と案内していた。子どもにとっては、そこは夢の空間であった。

私は残念なことに、新幹線の食堂車を利用したことが無い。200キロ以上のスピードで流れる車窓をみながら食べる食事は、どんなに素晴らしかった事だろう。その後、何度も寝台特急に乗るようになり、食堂車も何回か利用した。車窓は暗くて見えないが、夜景をみながら食べる食事は、昼間とはまた違った魅力的な車窓となる。

新幹線が憧れの的だった時代、新幹線に乗ったと言うだけでみんなに羨望の眼差しでみられた時代、時は流れても、今でも子ども達は新幹線に憧れているのだろうか。

今の子どもたちは、少なくとも我々の頃より「普通に」新幹線を利用している。しかし。我々の頃のような希少価値は、逆になくなりつつある。珍しい物だからこそ、貴重であり、みんなが憧れる。

今、新幹線0系で博多まで、7時間かけて行ったらどうだろうか?今のN700系の5時間の旅より、ずっと価値がある様な気がする。それは、もう手に入らないものだからだろうか。

最近よくプレミアムという言葉をよく聴く。希少価値であるゆえに皆が注目する。

新幹線と言う憧れの存在、いつまでもプレミアムな感じでいて欲しい。

妻から2ヶ月早い誕生日プレゼントを貰った。

私が以前から欲しいと思っていた、カラヤンとフィルハーモニアのCDであった。


私が始めて聴いたクラシック音楽のレコードは、家にあったカラヤンとフィルハーモニアの演奏であった。カラヤンのCDは未だに新譜が発売されているが、その殆どはベルリンフィルやウィーンフィルとの録音である。たまに、パリ管やミラノスカラ座やウィーン響との物もあったりするが、その数は非常に少ない。

そんな中で、若き日のカラヤンが精力的に数多くの録音をした初めてのオーケストラが、フィルハーモニアであった。まだ、ベルリンフィルの音楽監督になる前の身軽なカラヤンは、EMIとの契約を結び、当時出来たばかりのフィルハーモニア管弦楽団との録音を数多く残した。録音技術は今に比べると高くないが、当時としては最新のステレオ録音を行い、当時としては考えられないくらいクリアで緻密な音で録音されている。カラヤンの芸術性と、フィルハーモニアのレベルの高さと、当時のEMIの録音技術には、心底驚かされる。

これらの録音は、当初LPとして発売され、スクラッチノイズに耐えながら、音楽ファンはカラヤンとフィルハーモニアの名演に感動したのだろう。現代ではCDになって、マスターテープを直接聴くような贅沢な音質になり、スクラッチノイズから解放された。しかし、当時の2つのマイクで収録されている独特の音は、古き良き時代を思い出させてくれる。現在の様に、楽器ごとにマイクを立てて、多重チャネルで録音し、ミキシングをしたものとは、全く異なるアナログ的な温かみのある音である。

現代の、デジタルで、きちっと録音されたものが、必ずしも良いとは限らない。音質は現代にかなわなくとも、今は聴けない貴重な音を、現在に届けてくれる功績は大きい。

当時のカラヤンとフィルハーモニアの演奏も素晴らしい。

時代を超えて、良い物は良いのだと実感した。

鉄分の不足は深刻な問題である。


かつては、鉄分の不足と言えば、貧血という症状を連想していた。しかし、最近は鉄分の不足が原因でうつになるという事もあるのだそうだ。フェリチンという物質が不足すると、うつの症状が現れることがあるとの事である。複雑な社会に生きる現代人にとっては、深刻な問題である。私が最近ふさぎこんでいるのは、実は鉄分不足なのかもしれない。いまだかつて無い、長いトンネルから抜け出せないでいる。


それとは別に、鉄道に乗れないことから起こる鉄分不足というのもある。こちらは、一見微笑ましい病気に思えるかもしれないが、鉄道ファンにとってはとても深刻な問題だ。仕事が忙しくて旅に出れない、写真を撮りに行けない、鉄道模型を走らせられない等、色々な原因がある。これが元で、ストレスが溜まったり、胃の調子が悪くなったりする。


一方、過剰になっても問題が発生する。

鉄分の過剰摂取は、胃を悪くしたり、肝臓に影響を及ぼしたりするらしい。

また、鉄道を過剰に摂取すると、勤務態度の悪化、家庭内不和、金欠病等、深刻な問題を誘発する。


やはり、物事は何でも適当な量が望ましい。多くても、少なくても、よろしくない。

私も肝に銘じよう。



桜の季節が終わった。


散り際が潔いとして古より日本人から愛されてきた桜、本当に潔すぎる。

見頃はほんの数日間であろうか。その後は、惜し気もなくどんどん散り続け、気付くと緑の若葉を吹いている。これは、これで、春らしいのだが。

寝台特急「さくら」が散ってから早いもので9年が経つ。東京~長崎・佐世保間を、半世紀近くに亘って走り続けて来た「さくら」は、日本の中心である東京駅発の第1列車という名誉と責任を背負って、時代を駆け抜けてきた。一体、どれだけ多くの人の、喜びと悲しみを運んできたのだろう。列車とは、人生の縮図であると誰かが言ったけれど、本当にその通りだと思う。

寝台特急というカテゴリは、今、本当に消えつつある。昔からある、純粋な寝台列車は、もう皆無出ると言って良い。今の、「カシオペア」や「トワイライトEXP」は寝台列車というより、JRで運行するアトラクションという感が強い。目的地までの旅を楽しみましょう、というスタンスである。

勿論、それはそれで良い。しかし、たとえば親や親族の葬儀に向かう時だって、寝台列車を利用することはある。目的地までの旅は、故人を偲ぶ旅であるかもしれないのだ。かつての寝台列車は、そんな人にも利用し易い雰囲気があった。

友人の結婚式に向かう人、新婚旅行に旅立つ人、同窓会に向かう人、里帰りをする人、親戚の法事に向かう人、親の危篤の知らせを受けて故郷に急ぐ人。色々な人達の、色々な人生を乗せて、列車は黙々と、走り続けてきたのだ。


寝台特急「さくら」。

いまさら、復活して欲しいと言っても無理だろうか。

ならばせめて、東京駅から鹿児島中央駅行きの新幹線として、返り咲いて欲しい。


1979年4月

春らしくなった。


妻の友人が1年ぶりに泊りがけでやって来たので、我が家の梅林に行ってみた。

2週間前、雪の被害で根元から折れてしまった梅の大木を伐採して片付けた時には気付かなかったが、春は着実にやって来ていた。梅の花はほころび、ふきのとうがたくさん芽吹いていた。つい先日まで雪で閉ざされていて、まだ雪が残っている場所さえあるのに、急に春になったようだ。花粉も全開である。

あと2週間もすれば桜の花が咲き誇るのであろう。自分がうじうじと歩みを躊躇っていても、自然の営みは、確実に歩みを進めている。それは、驚くほどにしたたかでもあり、とても勇気付けられる事実でもある。

どんなに悲しいことがあっても、どんなに辛い事があっても、自然の営みは歩みを止めず、確実に時を刻んでいく。3年前に起こった悲しい事実は、決して消える事は無いけれど、私達がどんなに悲しんでいても、非情なまでに確実に過去へと押し流していく。

でも、決して忘れてはならない、いや、忘れることが出来ない。そして私たちは、この教訓を胸に深く刻んで、未来を目指す責任がある。


一日でも早く、東日本の人々に、東北の人々に、春がやってきて欲しいと願う。

我が家の天使が去った。


15年近く、我が家の平和を守ってきた愛犬が他界した。彼女のおかげで、我々は何度救われた事だろうか。母の闘病生活で辛かった時、母を亡くして辛かった時、仕事で辛かった時、窮地に陥った時、様々な局面で絶妙に励まして勇気付けてくれた、我が家の天使であった。

出来るだけ、色々なところに一緒に連れて行って、一緒に過ごした。彼女にとっては迷惑だったかもしれないが・・。


そんな中でいつも思った事は、こんなに大人しくて行儀が良くても、犬というだけで入れないところがたくさんある。しかし、どんなに行儀が悪くても、子どもは拒絶される事は少ない。スーパーやデパート、電車内や葬儀場など、時と場所に関係なく、大声で騒ぎ、走り回り、わがままを言う、しつけの悪い子ども。

勿論、しつけの良い子どももたくさんいる。そういう子どもは、できるだけ色々な場所に連れて行けば、情操教育上良いし、より行儀の良い子に育つと思う。

逆に、行儀の悪い犬や猫も多い。これは、きちんとしつけをしていない駄目な飼い主に飼われたせいだろう。

海外では、子どもは入れないレストランでも、犬は入れるという場所がある。理由は、子どもは行儀が悪いが、犬は行儀が良いからだという。


私が思うに、子どもだからとか、犬だからとかいう観点ではなく、「行儀が良いから」、「行儀が悪いから」、という観点で判断すべきだと思う。

どんなに長く待たされても、車の中や外で大人しく待っている犬を見ると、店内で騒いでいる子どもに、「彼を見習いなさい」と説教したくなってしまう。


犬に学ぶべき点は多いと思う。

また一人、偉大な巨匠が消えた。


私は若々しいイメージをずっと抱いていたが、先日指揮者クラウディオ・アバドが他界した。80歳であった。

私が初めてアバドを聴いたのは高校生の時。友人からコピーしてもらった、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」であった。当時、音楽監督を勤めていたロンドン交響楽団との最新のデジタル録音であった。

一つ一つの楽器が、はっきりと独立していて、しかも輝いていた。高校生の私は、いたく感動し、振るえた。素晴らしい演奏であった。

アバドの指揮は、決して奇をてらったりしない、実直で真っ直ぐな演奏である。まるで、教科書のような演奏に面白みが無いという人もいるかもしれないが、私は好感を持っている。自分の個性を誇示する為に奇をてらうような演奏をするより、作曲者のスコアに愚直なまでに忠実に演奏する姿勢が素晴らしい。

ヨーロッパ室内管弦楽団とのモーツアルトの演奏も素晴らしかった。小編成のオーケーストラの特徴を生かし、一つ一つの楽器の音色がきらきら輝いていた。私は、とても感動した。

これらの活躍が輝かしいキャリアとなり、ウィーン国立歌劇場の音楽監督や、ベルリンフィルの音楽監督を歴任する事になったのだろう。

でも、私はこれらの超一流オーケストラとの共演より、今にして思えば個性的であったロンドン響やヨーロッパ室内管での演奏に感動を覚える。意外にも、若い頃の彼の演奏は個性的であったのだと後になって気付いた。実直で真っ直ぐな演奏の中に、彼のきらきらした個性が輝いていた。

とにもかくにも、素晴らしい名演であった。


惜しい人がまた一人、亡くなった。

小学生の頃、よく列車の写真を撮りに行った。


当時は、「撮り鉄」などという言葉は勿論なく、ブルートレインブームが来る前で、世間の子ども達はスーパーカーに夢中だった。だから、鉄道沿線や駅には、カメラを持った子どもは殆どいなくて、私たちは自由に撮影させてもらった。

近所の特急が停車する比較的大きな駅に行き、まず駅長さんに挨拶して撮影の許可を貰い、堂々とホームで撮影をさせてもらった。列車停車中は、線路に下りての撮影も許可してくれた。また、親切にも駅長室に招き入れ、駅の業務や鉄道の仕組みについて、駅長さんが自ら説明してくれた。

言っておくが、学校の社会科見学で行ったわけではない。子供同士で、休みの日に駅に遊びに行っただけであった。それなのに、当時の国鉄職員は嫌な顔一つせず、親切にも丁寧に説明したり案内したりしてくれたのだった。まさに古き良き時代である。

機関車の連結・開放シーンを撮っていると、作業員のおじさんに声をかけられた。

「僕達、こんなの撮ってどうするんだい?」

「いいカメラ持ってるなぁ。」

「おじさんたちを、かっこよく撮ってくれよ。」

おじさん達は、みな気さくな人達だった。

近所の駅で撮影をしていると、親しくなった駅長さんから、古い時刻表を貰ったり、ポスターを貰ったりした。お茶を入れてくれたりする駅員さんもいた。


その後、スーパーカーブームは去り、ブルートレインブームがやってくると、事態は急変した。今まで普通に撮影できたホームでさえ撮影禁止になったり、警備員が出るほどの事態になった。今までの、本当の鉄道好きな人だけが撮影に来ていた時代から、ブームに乗った俄かファンが、撮影マナーを無視して土足で踏み込んできた為であった。

その頃から、鉄道好きな人達が「鉄道マニア」と呼ばれるようになった。どうも、世間の人達は余り快く思っていないらしいと感じ始めた。私は、何となく撮影に行くのが気が引けて、あまり撮影には行かなくなった。

ブームとは俄かファンを増やし、結果として古くからいるファンを追い出すことがある様だ。

幸か不幸か、そんなブームは数年で去って行き、ブルートレインは閑古鳥が鳴くようになった。そして、人知れず少しずつ廃止されていき、気付けば殆どなくなってしまった。


近年、また鉄道ブームになっている。しかし、以前の様な子ども達が中心のブームではなく、当時子どもだった人たちが親の世代になり、その人達中心のブームである。

それで、私の様な「いにしえのファン」は、またちょっと肩身が狭い状況になっている。でも、ブームはやがて去るだろう。また、本当に好きな人しか興味を示さなくなってしまうかもしれない。それは、鉄道にとって幸せな事なのだろうか?皆から脚光を浴びている方が幸せなのではないか?


ファンが増えると迷惑行為をするファンも増えて、鉄道としては困る。でも、ファンが減ると、営業収入自体が減るので、それも困る。


マナーの良いファンが増えるという、鉄道にとっても、我々にとっても素晴らしい時代が来る事は無いのだろうか。

それは、我々一人ひとりの心がけにかかっている。

謹賀新年。

新しい年が始まった。


昨年は、身の回りに色々大変なことがあり、身体的にも、精神的にも、休まる暇が無い感じだった。今年は、ちょっとスローダウンして、ゆっくりしたいなと思ったりしてしまう。


しかし、忙しいという事はありがたい事だとも思う。前向きに考えれば、自分がいろいろなところで必要とされている証である。もし、誰もあてにしてくれなかったら、暇で暇でやることが無かったら、とても悲しいし寂しい事だと思う。こんな自分を必要としてくれる人がいる、こんな自分を信頼してくれている人がいる、こんな自分を愛してくれている人がいる、それってなんて幸せな事なんだろうと思う。

職場で、家庭で、友人同士で、親戚同士で、近所付き合いで・・・。色々なところで、自分を必要としてくれている人がいる事で、やりがいを感じ、生きていく勇気を与えられる。


また、そんな自分の境遇に感謝の気持ちを感じる事が大事だと思う。人間は、忙しいとつい休みたいと思ってしまう。しかし、仕事が無かったら、とても辛いと思う。仕事ができる事、仕事があることに、常に感謝する気持ちを持つことが大事だと思う。


今年は、あまり忙しい年になって欲しくはないが、周りにあてにしてもらえる事に感謝するようにしたい。