急行越前のブログ

急行越前のブログ

日々の生活で感じた事や趣味の事を書き綴っています。
不定期更新ですが、お時間があったらご笑覧ください。

~~ お知らせ ~~


インスタグラムもやってます。よろしかったら、下記のリンクをクリック、またはyogisya8182で検索してみてください。

 

インスタはこちら

Amebaでブログを始めよう!

農業のシーズンがやってきた。

 

前回、そんな記事を書いてからすでに一年が経っていた。時間が過ぎるのは、驚くほど速い。まさに、光陰矢の如しである。

例年通り、ゴールデンウィークに苗間を作ってすでに2週間、苗は順調に育ってくれている。それは、とてもありがたいことで、自然の営みには本当に感謝しかない。昨年と今年は、コロナの影響で全く旅行や里帰り等の外出が出来ていない。残念な事に、農業に専念出来るわけである。ただ、この大事な時期になって、コロナのワクチンの接種が始まった。医療従事者の端くれとして、ワクチンを接種しなければならない。しかし、接種すると副反応で作業がしばらくできないかもしれない。そこで、綿密な計画を立てた。

まず、畑の周りの草刈りの実施後に第一回目の接種を行い、その5日後に用水路整備作業、これは力仕事である。第二回目の接種までに、一回目の代掻きをして置かなければならない。第二回目の接種の後は、強い副反応が出るかもしれないから一週間の余裕を置いて、二回目の代掻きを行い、さらにその一週間後に田植えを行う。この綿密なスケジュールのもとに、今年の稲作は始まった。

結果的には、第一回目の接種の後は大きな副反応はなく、順調に農作業は出来た。第二回目の接種は昨日行い、今のところ大きな副反応はない。このままいけば、予定通り田植えが出来ると思われる。しかし、まだ先のことはわからない。何か想定外のことが起きるかもしれない。田植えが済むまでは安心はできない。いや、田植えが済んでも、その直後に草刈りをしなければならないだろう。さらに、その後、梅の収穫や家の生け垣の手入れをしているうちに、また次の草刈りとなる。そうこうしているときに、畑の草が伸びて大変な事になる。畑の草取りも重要である。そんな作業を繰り返しているうちに、今度は田んぼの中の草が伸びてくる。田んぼの中に入って、草取りもしなければならない。かくのごとくして、農作業には休みがない。農業は、我々を休ませてくれない。このひどい虐めの様な日々が、晩秋まで続く。

 

早く冬が来ないかな・・・と、今から願う今日この頃である。

 

我が家のGWは、今年も例年とほとんど変わりはない。

 

我が家のGWは、労働ウィークである。月~土曜日は職場で働き、日曜日に家の農業をする私にとって、GWは唯一まとまった時間が取れる時である。そんなGWは、当然のことながら農業に集中する。したがって、この時期に旅行や、外出など出来るはずもなく、ひたすら毎日農業に明け暮れる日々が続く。

まず、田んぼを始めるにあたり、用水路の整備をしなければならない。これが、毎年4月29日と決まっている。30日~2日は通常通りの仕事があるので職場に向かう。3日は稲の苗をJAから持ってきて、畑に苗場を作る。4日は水田に肥やしを撒き、トラクターで耕し攪拌する。5日はトラクターで畑を耕したり、ナスやトマトやキュウリを植える。畑の草刈りや、庭の草取り、竹やぶの整理、お墓の掃除などもこの時期に行う。そのほかに、ジャガイモをや里芋の種芋を撒いたり、ネギの苗を植えたり、水田の畔の草刈りや、入水準備、水田の代掻きなど、GWだけではやりきれないほどの作業がある。したがって、5月の週末は非常に忙しい。結局、休日だけではやり切れず、平日の仕事を終えて家に帰ってから少しづつ作業したりして何とか終わりにする。

そんなわけで、我が家のGWは、通常の時期より多く働く、労働ウィークとなる。世間では外出の自粛で出かけられないとか、やることがなくて暇だとか、非常に残念な話を聞く。そんなに暇だったら、農家は手伝ってほしいと思うだろう。もちろん、公共交通手段は使えないので、遠くに手伝いに行くことは難しい。

私は、もし時間があったらやりたいことがたくさんある。旅行は大好きだが、今のように旅行できなくても、インドアでできる趣味もたくさんある。前回のブログで書いた、鉄道模型のほかに、音楽を聴いたり、楽器を演奏したり、読書したり、録画してたまっている番組や映画やコンサートを見たり・・・。

しかし、やりたいことがたくさんあるということは幸せなことでもある。やりたいことがたくさんあるから、辛い仕事も頑張れるし、ストレス解消にもなる。そう思うと、やることがない人が可哀想にも思える。

例年と変わりないGWを過ごしている我が家は、とても幸せなのだろう。本当に、ありがたいことである。

外出自粛をする中で、今までなかなか出来なかった事ができるようになった。
鉄道模型の趣味の充実である。

 

・今まで、色々増備した車両を少しずつ走らせる。
・新しい車両を通販で買う。
・時間がなくて工作できなかった作業を行う。
・丘や川などの情景をいろいろ作ってみる。

 

出かけられない分、家にいる時間が増えたので、インドアで過ごす趣味の時間が増えた。
そして、今更ながら思うのだが、私にとって模型とは疑似体験であると思う。

 

・実際に運転できない機関車や電車を自分の思いのままに動かす。
・現在では動いているところを見ることができない歴史的な車両を目の前で走らせる。
・実際に行ったことのない場所を走る列車を見る。

これらはすべて疑似体験である。

 

・北海道に行くことはできないが、北海道で走っているキハ261系やキハ183系を 思う存分走らせることができる。
・九州に行くことはできないが、九州を走った寝台特急を再現することができる。
・昭和30年代に行くことはできないが、当時のC62が引く特急「かもめ」や181系 電車特急「つばめ」を走らせることができる。

 

今こそ、日頃できないことをやるべきである。
模型以外にも、音楽鑑賞、楽器演奏、読書、TV鑑賞・・・。やりたいことはたくさんある。でも時間が足りない。

今までより、ずいぶん家にいる時間が増えたけれど、それでも時間は足りない。

でも、こうして健康に暮らせていることは、本当にありがたいことだと思う。自分に与えられた健康に感謝すべきである。健康だからこそ、色々な趣味が楽しめるわけだし、コロナが収束すればまた旅行にも行けるだろう。


自分の身を守ること、家族の身を守ること、周りの人の身を守ること、そのために、今は家にいる。

エッセンシャルワーク以外には出かけない。


今が我慢の時である。

この我慢が、未来の明るい世界をもたらしてくれると信じよう。

 

 

すでに死語だろう。
「スキー列車」という言葉を、最近は殆ど聞かなくなった。

かつては、日本全国でこのシーズンになると「○○スキー」といった臨時列車が多数設定されていた。「シュプール」とか「シーハイル」とかいった名前もたくさんあった。いかにもスキー場に向かうぞという感じの、スキー好きの人にはわくわくする様なネーミングだと思う。みな若者たちがスキーを担いで、臨時列車の夜行に乗って日本各地のスキー場に向かったのだ。寝台列車での設定もたくさんあったが、それよりも多かったのは座席で寝て行くという、強行軍的列車である。多分、行きの列車では、意気揚々とみんなで酒盛りでもしながら、夜遅くまで語り合ったのだろう。知らない者同士も列車内で打ち解けあい、新しいコミュニケーションが広がっていく。そして、朝方には爆睡して、現地に着く頃は「もう少し寝ていたい」と思いつつ、肌に突き刺さるような寒さに触れて飛び起きるのだ。それでも、若さとは素晴らしいもので、リフトの一日券を買って、夕方まで滑りまくるのだ。そして、ホテルなんて贅沢なものには泊まらず、その日のうちにまたスキー列車で帰ってくる。スキー列車のほとんどは、特急車両や急行車両を使いながらも「快速」扱いだったため、費用は往復の乗車券代のみで済み、懐に非常にやさしかった。当時の若者は、現在の若者に比べて、貧乏だったのかもしれないが、我慢強かったのかもしれない。
最近の若者は、マイカーでスキー場に行き、高級リゾートホテルに泊まって豪華なディナーに舌鼓を打つ。昔の若者からみれば、うらやましい限りである。昔のことを言うと、歳を取ったと言われるかもしれないが、夜行列車で周遊券を使って安く旅する若者が減ったから、夜行列車も周遊券も廃止されたのではないか。スキー列車もそんな若者たちの時代の遺産なのかもしれない。
マイカーが悪いとは言わない。でも、現在の個人主義を象徴するかの様でもある。そういえば、子ども達の遊び方も変わった。かくれんぼや鬼ごっこ、草野球やままごとなど、お金のかからない遊びを、今の子どもは殆どしないだろう。代わりに、家の中で遊ぶゲームやスマホなどのお金のかかる遊びが主流になった。子どもたちも個人主義である。
この個人主義の弊害か、最近、コミュニケーションをとれない若者が多くなった。みんなで協力して、何か1つの事をやり遂げるというようなことが苦手のようだ。そのうち、協調性という言葉が死語になってしまうかもしれない。
個人主義が悪いというつもりはない。でも、古き良き日本の伝統でもある「お互い様」「おかげ様」という言葉を死語にしてしまう様な国に成り下がりたくはない。

 

 急行「石打スキー」号 上野~石打間 1979年1月

 

漸く、米の収穫を終えて、食卓に新米が乗る様になった。

今年は、稲刈りの数週間前に急に雑草が生い茂り、1/9くらい刈り取れないところが出来てしまった。せっかく今まで育ててきたのに、収穫の時期になってそんなことになるなんて、非常に口惜しいことであった。例年通り、友人が2日間手伝いに来てくれて、妻と私と友人の3人で稲刈りを行い、稲の束を干した。

その後、台風が週末にやってきたり、前線の影響で大雨になったりして、なかなか田んぼが乾かず、脱穀が出来ない週末が続いた。先週末、ようやく7週間もかかって脱穀をできるようになった。脱穀の翌日籾摺りを行い、さらにすぐに精米して、その日から新米を食べられるようになった。今年は、天候不順に加えて、雑草の妨害もあって、収穫高は過去最低だった。しかし、米の品質自体は非常に良く、とても美味しくいただいている。

しかし、今年ほど、なかなか脱穀できず心配した年も珍しい。しかしながら、地球の温暖化を考えると、今後もこのような心配は続くのだろうか。そんな中、アメリカはパリ協定から正式に離脱すると発表した。地球全体の利益より、自国の利益を優先するという、利己主義の典型のような国に成り下がってしまった。

かつての全世界の中心だった誇りはどこに行ったのだろう。リーダーが変わると、こんなにも別の国のようになってしまうのだろうか。

前大統領が最後の訪日で、広島の原爆資料館を視察に行った。深い感動を感じた人も多かっただろう。

こんな素晴らしいリーダがまた現れないだろうか。少なくとも、言っていることがころころ変わり、自国の利益だけを優先するリーダなんてうんざりだと、国民が気付く日が一日も早く来ることを期待している。

世界の平和を心から望む日本国民として。

令和元年の夏がやってきた。

 

水田で、代かきをしたり田植えをしたりしていると、つばめが飛び交っている。そんな季節になったのだなと、時の流れに改めて驚かされる。

自然の移り変わりは、人間の都合とはは関係なく、時間の流れとともに容赦なく進んでいく。3月末になると誰からも教えられることなく、桜があちこちで咲き、水仙やチューリップも花を咲かせる。人間は認知症になると季節感がなくなると言われているが、植物たちは驚くほど正確に季節を刻んでいく。いったい、誰が一斉に操作しているのだろう。

つばめたちも、気付けば五月晴れの空を飛び交うようになり、やがて蛙の合唱が田園地帯に響き渡り、8月になれば蝉の合唱に変わり、お盆を過ぎれば赤とんぼが飛び交うようになる。みな、生物たちは自分の人生を精いっぱい生きているのである。

 

そんな中で、自分で命を絶つことがあるのは、唯一、人間だけなのだろうか。生物は自分の命を守る事を本能的に厳守し、死に対する恐怖と闘いながら、精いっぱい生き延びようと努力している。同様に人間もまた、自分の命を守る本能を持っているし、死に対する恐怖も他の生物以上に強いと思う。しかるになぜ、自ら死を選択する人がいるのだろうか?
 

思うに、人間社会は複雑怪奇にして、さまざまな欲望や利害が交錯する。そのような中で、まっすぐで純粋な人ほど、生きづらい社会になっている。正直者が損をする、お金がすべてに優先する、人を蹴落とした者が出世する。なんて悲しい社会であろうか。

そんなレベルの低い社会を悲観した人、優しくて繊細なゆえに無神経な攻撃に弱い人、ひたすら地道に努力しているのに一向に報われない人、そんな人が時として自ら命を絶つという悲しい選択をするのだろうか。

 

人をだますより、だまされた方がいい。

人を傷つけるより、人に傷つけられる方がいい。

そんなのは綺麗事だと誰かが言うかもしれない。
しかし、人をだまして後悔するより、だまされる方がいいと思う。後悔はしないから。
人を傷つけて後悔するより、傷つけられる方がいいと思う。後悔はしないから。

 

私は、反省はたくさんするけれど、後悔はしたくない。
反省は未来につながるけど、後悔は過ぎた過去を悔む事でしかない。

自然の流れは止められないのだから、流れに飲み込まれないように、流れに乗っていくしかない。

時には休んだり、時には必死になったりしながら、後悔のない人生を歩んでいきたい。

 

2019年が明けて既に20日が過ぎた。

 

私は、年の初めに「今年こそ○○をやろう」という目標を立てるのは、大抵実現出来ないので、始めから計画しないようにしている。しかしながら、50歳を過ぎた今でも、持ち続けている夢がある。もちろん、世間の人並みに老後のための準備をしたり、明らかに無理そうな夢は諦めた物もある。しかし、「人間、いくつになっても夢を失ってはならない」というのが私のポリシーであり、いくつになっても「少年よ大志を抱け」なのである。

人は目標や夢を持って、それに向かって努力し続けるからこそ成長する。もし、夢に破れたとしても、新たなる目標や夢に向かってまた歩き始める。弛ゆまぬ努力を続けることこそ、人間が唯一成長できる根源であると思う。
朝のテレビ小説では、ヒロインの旦那さんが何度も何度も挫折しながら、それでもあきらめずに夢に向かって努力している。何度も大成功しているのに、ここまで繰り返し挫折する人も少ないかもしれないが、それでも諦めない心意気に心からエールを送りたい。そして、自分も技術者の端くれとして、この心意気を見習いたいと思う。
ドラマ「下町ロケット」でも、エンジニアたちの「絶対に諦めない心意気」が成功に導く。主人公の社長が言っていた、「解決しない問題はない」という言葉は、私たち技術者の共通の心意気である。私も、何度も何度も、「今度の問題は解決できないのではないか?」と諦めかけたことがあった。でも、結果的には今まで解決しない問題はなかった。ただ、そこには「諦めない」という「不屈の努力」が必要不可欠である。

 

最近の若者たちに、この気持ちが伝わるだろうか。
私は、このエンジニアの心意気を一人でも多くの若者たちに伝えて行くことが、自分に課せられた使命である気がしている。

 

霜月になった。

 

最近、人に会う度に「寒くなりましたね。」と話す。我ながらワンパターンだと思うが、気候の挨拶が一番当たり障りがない。

米の収穫を終えて、やっと少し時間に余裕ができた。これからは、家の周りの仕事が出来る。でも、のんびり構えているとすぐに年末がやってきてしまう。そして、気付けば正月である。そんなことだから、歳を取るのも早いはずだ。

 

先日、私の友達が来てくれて、稲刈りを手伝ってくれた。昨年からの恒例行事である。おかげで、妻と友人と私の3人で、刈り取って、集めて、干すという作業が2日間で終わった。まさに人海戦術である。

1か月ほど干した後、妻と2人で脱穀して籾すりして精米し、手伝ってくれた友人や、知り合いの家に送った。これも恒例行事である。

そして、先週、今度は妻の友人が泊りがけで遊びに来た。これまた恒例行事である。

今回のイベントは、3人でコンサートを聴きに行くというものだった。地元のプロオーケストラの定期公演を聴きに行く。気付けば、いったい何回コンサートに行っているだろう。これも、恒例行事である。

 

最近ふと気付いたのだが、人間は同じことを周期的に繰り返しながら歳をとっていくものらしい。もちろん、新しいこともどんどん加わってくる。でも古くから繰り返していることも、大事にしている。したがって、歳を取るに従い、だんだん恒例行事が増えていく。

楽しいか、つらいかは別にして、とりあえず歳を重ねるごとに、少しずつ恒例行事が増えていく。

どちらにしても増えていくのなら、なるべく楽しんだ方が得だと思う。

 

年末に向けて、また恒例行事がたくさん待っている。

出来る限り楽しむように前向きに行こうと思う。

 

稲刈り終了後の記念撮影

 

 

子どものころから憧れていた梅小路に行った。

 

当時、梅小路蒸気機関車館という名前で、蒸気機関車がたくさん動態保存されている、とても貴重な博物館であった。

東京の交通博物館、大阪の交通科学館と並ぶ、3大鉄道博物館の一つであった。

その後、東京の交通博物館は大宮に移転し、大宮鉄道博物館となり、大阪の交通科学館と梅小路蒸気機関車館が一緒になり、京都鉄道博物館となった。これは、鉄としては絶対行かなくてはならぬ。

京都とは、そもそも、非常に魅力的な観光地である。古都として、国宝級の重要文化財が多数存在し、海外からの観光客の人気も高い。その国際文化都市京都が、鉄にとっても聖地となったのだ。

私が特にここに行きたかった理由は、いままで一度も見たことのない憧れの車両キハ81に対面できるということと、同じく一度も見たことのない走るホテルと言われたナシ20で、あろうことか食事ができるという、失神してしまいそうな体験ができるからであった。エントランスから進むと、まずはC62や80系電車が出迎えてくれる。そして、その奥には、なんとナシ20が鎮座していた。しかも、幸運なことに空いていて、今すぐ食事ができるとうのだ。これはもう、失神を通り越して失禁してしまいそうだったが、大人なので辛うじてこらえて、車内に入る。唯一残念だったのは、名物メニューの食堂車のカレーはすでに売り切れであった。仕方なく、炙り牛焼き肉重を注文、おいしく頂いた。そして、ナシ20の前にはなんとDD54!これも、初対面の車両である。ディーゼル機関車と言えば、ほとんどDD51しか見たことのない私にとっては、DD54はもう涙物である。感激の涙で目がかすんで良く見えない。

その後、581系と対面。これも、上野駅では583系しかなく、何度か利用したのも583系だったので、581系は初めての対面だった。運転室の後ろの機械室が独特のクハネ581系である。また、久しぶりに489系とも対面した。かつて、毎日のように見ていた489系だが、信越線の横軽から消えて20年以上になる。

そして、ついにキハ81系と対面する。すばらしい。本当にまさにブルドックである。車内も間近に見ることができる。懐かしい固定式ロマンスシート。リクライニングしない、小さなテーブルのみのシートである。そして、天井にはキノコ型クーラー。これも、キハ81、キハ82では、御馴染みだった。私は、末期に特急「南紀」で活躍してた時、キハ82に辛うじて乗る事ができた。でも、その一回だけであった。キハ81とは会ったことがなかった。素晴らしい鉄博!ブラボーである。

ここで、ほとんどすべての目的は達成されたかのように思えたが、折角来たので他の展示も見ていこう。100系やトワイライトなど、何度かみかけているが懐かしい車両となってしまった。50系客車の中で休憩できるのも、うれしい心遣いである。

私にとっては、極楽浄土のような場所で5時間以上を過ごし、帰りにホビーセンターカトー京都店によってホテルに向かう。感激しすぎて非常に疲れた一日であった。

 

憧れの梅小路はやはりタダモノではなかった。

 

今年も夏至を過ぎた。

 

これからは、冬に向かって行くということである。

しかしながら、暑さはこれからもっともっと暑くなっていく。

私の大好きな夏本番はこれからである。

 

子どものころは、夏休みはとてつもなく楽しみだった。宿題という大きな足かせはあったにしろ、それ以外は遊んでいても良いという天国のような毎日が一カ月以上も続く。そして、そんな中でも特に楽しみだったのは、上野駅や東京駅に撮影に行くことだった。

当時、上野駅は東京駅は鉄道少年たちの憧れの地であり聖地であった。午前中の東京駅に行けば、九州各地から上京してくる寝台特急たちが次々に到着する。それは、少年たちにとってスターであり、行ったことのない遥かなる土地からやってくるヒーローだった。

東京駅の到着ラッシュを終えると、急いで上野駅に移動する。そのころ上野駅では、東北、常磐、上信越、北陸方面からの特急列車が次々に到着し、また発車していく。もう、少年たちはみな有頂天である。当時は、地味ながらも急行列車も花盛りだった。東北・常磐方面からのあずき色の457系や、上信越方面からの165系、169系が、特急の合間を縫って到着する。午後になると、遠く青森からの「はつかり」や「みちのく」が到着する。彼らは、ヒーローの中のヒーローだった。彼らも、行ったことのない遥かなる北の大地からの列車たちである。当時は、みな食堂車を連結していた。これも子どもたちにはあこがれの存在だった。

午後4時過ぎになると、再び東京駅に移動しなければならない。九州へ向かう寝台特急たちが次々に発車していくのだ。彼らの雄姿を見届けなければならない。

しかし、この時間帯になると、遠くから来ている少年から、徐々に帰路につかなければならなくなる。一番寂しい瞬間である。また、スター列車たちとの再会を固く約束して、少年たちは帰路につく。

こうして、夏休みの一日は夢のごとく過ぎ去っていくのだった。

 

そんな少年たちの夢が、夏休み中毎日、日替わりで繰り広げられていた。

今の閑散とした東京駅や上野駅では、想像も出来ない光景であった。

あれは夢だったのだろうかと思う事がある。

 

特急列車や寝台特急たちが元気だった、古き良き時代である。

 

1979年7月 東京駅にて