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急行越前のブログ

日々の生活で感じた事や趣味の事を書き綴っています。
不定期更新ですが、お時間があったらご笑覧ください。

先週、突然のクリスマスプレゼントが届いた。


送り主は、私達の結婚式を執り行ってくださった牧師の先生からであった。私達のためにオーダーメイドで作ってくださった、テディベアのぬいぐるみ。しかも、ちゃんと私の分と妻の分の2体のベアである。私達は驚き、そして喜び、そして感謝した。


ここ数日、私達は父の病気と入院、ペットの犬の体調不良で、ふさぎこんでいた。それを知っていたかの様なベストタイミングで、先生からの素敵な贈り物が届いた。

実は、私は時折感じるのだが、自分がとても落ち込んでいる時、思いがけず予想外の誰かが、優しく手を差し伸べてくださる。それによって、とても救われて、自分は立ち直っていく事になる。何て幸運なのだろうかと、感謝の気持ちでいっぱいになる。

神様は私達の近くにいる。そう感じる瞬間である。


毎日健康でいられることは、それだけでとてもありがたい。先日の様に、健康診断で異常が出て再検査になったりすると、なおさら健康に感謝するようになる。

でも、健康であっても大変なことが続くと、落ち込んでふさぎこむことがよくある。そんな時、どこからか手を差し伸べてくださる方がいるということは、本当にありがたい。


そして、そこで貰った優しい心を、今度は他の困っている誰かに手渡して行きたい。それは、優しい心のリレーである。またいつか、自分の所に帰ってくるであろうバトンを、まずは次の走者に手渡そうではないか。

ノンフィクション作家の宮脇俊三さんの、唯一のフィクション作品に「殺意の風景」がある。


宮脇さんの作品は、基本的に自分で乗った鉄道の旅を克明に記録して綴ったものである。決して嘘は書かない、正直な記録である。愚直なまでに鉄道に対する真っ直ぐな態度に、強い尊敬の念を抱く。

しかし、そんな中で「殺意の風景」は、唯一、実際には起こっていないフィクションの世界である。しかも、一人も人が死んでいない、ミステリーである。誰も殺さずにミステリーを書き上げてしまうところに、彼の優しさが伺える。誰も殺さなくても、こんな素晴らしいミステリーは書けるんだと、訴えているようでもある。

この作品は、その年の泉鏡花賞を受賞した。直木賞候補にも挙がった。当然、出版業界からは次の作品を書いて欲しいと望まれた。しかし、彼はそれ以降、二度と小説を書かなかった。珠玉の作品を書き上げた後、全てを使い果たしたかのように、次の作品を発表することは無かった。そこがまたいかにも彼らしい、潔い辞めっぷりである。

そもそも、中央公論社の常務取締役というステータスをあっさり捨てて作家業に転身し、そこでまたデビュー作でノンフィクション大賞を取るという快挙をなしとげた。サラリーマンにとっては憧れるような脱サラ振りである。

この潔さが、次の職での成功を呼ぶのかもしれない。


「殺意の風景」は、非常に完成度の高い作品だと思う。

そして、続編が無い事が、安売りしない希少価値を生み、より素晴らしい珠玉の唯一無二の作品となっている。


やはり、宮脇俊三さんはすごい。

さだまさしさんの、「風に立つライオン」という小説を読んだ。


素晴らしい楽曲である、「風に立つライオン」の歌詞の話を元に、大きく膨らませた作品であった。

中身の文章は著作権かかわるので、一切記載しない事にする。また、内容もこれから読む方のために一切書かないようにする。

さださんの小説は毎回素晴らしいのだけれど、この著作権というやつは相当厄介である。こんな良い作品なのだから、皆さんに読んで欲しいと思うのだけれど、その良い内容を1行でも記載することが出来ない。

本当は、一部の引用は良いらしいし、内容を言葉を換えて伝えるのはある程度許される様だが、直ぐに「著作権の許諾のない文章や歌詞、画像の投稿はおやめください!」とお知らせが出るので、書かないようにした。

結局、読んだ人は何が良いのかわからない上、消化不良な感じでストレスが溜まるだけだろう。


確かに、人の作品を勝手に転載したらいけない事はわかるし、ましてや自分の物のように扱ったら、犯罪である事は誰でもわかる。しかし、この作品は良いとほめるのがなぜ悪いのか?作者以外の人が紹介する事で、宣伝になることがなぜいけないのか?個人の創作の権利を守る目的であるはずの法律が、個人の創作の良さを広める障害になっている。考えてみれば、世の中にはそのような矛盾が多い。


車を運転していたら、小さな字の標識が立っていた。なんて書いてあるのだろう?運転者として標識はきちんと見る義務がある。私は、眼を凝らしてよく標識を見つめた。「わき見注意!」と書かれていた。その瞬間、自分がその標識を見るために、わき見をしていたことに気付いた。

本末転倒である。その標識が無ければ、みな安全に走行できるのに、その標識があることで、みなわき見運転となる。

少し考えればわかる事だと思う。もっと、見やすく大きい字にするとか、見やすい位置に掲示するとか。

何も考えてないとしか思えない、ただ単に「私はやるべき事をやった」という責任逃れのような標識である。


Amebaブログのお知らせも同様である。「当サイトでは、きちんと注意を表示しています」と言い逃れをする為に注意書きを出しているのだろうか?そうではないはずだと信じたい。


責任逃れの為ではなく、本当に相手の事を思いやった掲示をして欲しいと思う。

市の検診で陽性反応があり再検査になった。


今まで、一度も引っかかった事はなかったし、自覚症状も全く無い。

しかし、母を人より早く亡くし、その原因が癌であった事を考えると、どうしても悪い方に考えてしまう。

母もまた、同じ検査で陽性になった。しかも、前年までは一度も引っかかった事はなかった。

しかし、内視鏡検査をすると、既に相当進行している悪性の腫瘍が見つかった。

結局、母は2年間に2度の手術をして、抗癌剤の副作用に苦しめられながら、厳しい闘病生活をした後、帰らぬ人となった。母の苦労は、痛いほどわかる。周りの家族も非常に厳しい。

そんな病気に、自分もかかってしまったのか。しかも、若いうちは進行が早い。母より、20年近く早い発病である。2年も持たないだろう。半年も持てば良い方ではないか。

私は、遺産相続の事や、私の死後の妻の事、認知症の父の事など、心配事がたくさんあった。まだ、逝くわけにはいかない。


通知を受けてから、検査の日が来るまで3週間近く、正に「まな板の上の鯉」の状態で待った。しかし、時間が経つに連れて、不思議と落ち着いて覚悟が決まってくる。なるようにしかならないのだ、と開き直ってくる。


今日、やっと検査になった。結果は、「異常なし」。

検査が終わると、急に胃が痛くなった。とても痛く、キリキリと痛んだ。今回の被疑箇所に、胃は全く関係ない。しかも、異常なしとわかった後である。

なぜ、こんなに胃が痛くなったのか不思議であった。でも、心はとても軽くなった。

そして、今、生きている事への感謝の気持ちを、改めて強く感じた。生きているのではなく、生かされているのだ。妻や、家族や、周りの人達に、生かされているのだ。本当にありがたい事である。


検査を終えて帰ろうとしていたとき、たまたま、その病院の院長先生に会った。

「あれ?今日はどうしたの?」先生はいつもの笑顔で私に話しかけた。

「実は、市の検診で異常があって、今日は再検査に来たのです。でも、異常なしでした。」

「そうか。それは良かったね。」先生は、いつもの笑顔だった。

先生の笑顔を見たら改めてホッとした。地域で一番大きな病院の院長先生だが、いつも私のことを色々案じてくださる。ありがたい事だと、改めて感じた。

今回の検査に関しては、先生は直接関わってはいないけれど、先生の笑顔を見ただけで救われた。先生が「大丈夫!」と言ってくれるだけで、とても安心できる。医師のパワーはすごいと思う。


何も無い事はありがたい。

毎日、この感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

20年以上前の事になる。


会社の友人と山陰に旅に行ったことがある。その時、鳥取砂丘でラクダをみた。砂丘にラクダとは、いかにも観光地っぽいなと思ったが、更に違和感を感じたのは馬が1頭いた事だ。

その馬は、よく高原や湖などの観光地にいる、観光客や子どもを乗せて歩く馬であった。でも、なぜ馬が砂丘に・・・?その時は、そんな疑問を持っただけで、その後ずっと忘れていた。

ある時、さださんの小説を読んで、その馬の事を思い出した。さださんも、鳥取砂丘の馬を見て疑問に思い、彼の過去を調べてみたのだった。実は、彼は生粋のサラブレットであった。小さい頃から周りに期待されて育ったのだろう。そして、レースに出たこともあり、競馬場のトラックを駆け抜けていたのだった。更にさださんは、この馬の為に歌も作っている。


幼い頃にはみんなに期待されて育った彼は、もしかしたらと少しは思っただろうか。

しかし、ある時不運にも怪我をしてしまい、レースに出ることが出来なくなった。普通なら、殺処分となってしまうところだったが、運の良い事に再就職先を見付けられた。それが、鳥取砂丘で観光客を乗せて歩く仕事であった。

人は、レースにでて華々しく活躍するはずだったサラブレットが、たった一度の怪我で仕事を失ってしまった事に哀れみや同情を感じるだろう。また、彼はなんて不幸だったのだろうと思うだろう。でも、ほんとに不幸だったのだろうか?本当は幸せだったのかもしれない。レースで脚光を浴びる以上に、実は幸せだったのかもしれない。本当に幸せなのか、不幸なのかは、本人にしかわからないのだ。人の幸せは、尺度で計ることはできないのだ。


生き方には色々ある、他人の幸福は計れない、という言葉が大きく心を揺さぶる。


彼は、騎手を乗せて疾走する人生より、子ども達を乗せてゆっくり歩く人生の方が、幸せだったのかもしれない。少なくとも、私なら、疾走する人生より、ゆっくり歩く人生を選択したい。


人の幸せは、他人にはわからないものである。

私は、自分の幸福をいつも感謝しつつ、妻とゆっくり歩いて行きたい。

さだまさしさんの曲で「幸福になる100通りの方法」というのがある。


初めて出会った時は、すれ違うだけでドキドキしたり、目があっただけで3ヶ月元気だったという。

確かに、初めて出会ったときは、そんなものだろう。ちょっと大げさかもしれないが、確かにしばらくの間、幸せな気分で居られるはずである。


彼女の為ならば何を捨てても惜しくなかったし、赤いルージュで一日元気で居られた。

しかし、この曲ではその後、だんだん冷めて行くことになる。


それから長い坂をくだって、笑顔も言葉も少なくなり、ガラスの靴の魔法がとけて、ただの二人になった。

これが世間の倦怠期を迎えたカップルや夫婦なのだろうか。


でも実は、しあわせになる方法なんて100通りもあるのだという。

ありがとうと言えば近づいて来る。

しかし、人は、なぜか幸せに思い上がってしまう。

まさにその通りである。

初めて出会った時は、話が出来るだけで幸せだと思った。

何もかも、捨てても良いとさえ思った。

それなのに、それが当たり前になってしまうと、徐々にだらだら坂を下る如く、気持ちが冷めていき、気付けばシンデレラの主役だった二人は、ただのくすんだ二人になってしまう。

なんと悲しい事実であろうか。


でも、「幸せになる方法なんて100通りもある」と言っている。「ありがとう」と言うだけで、幸せは向こうから近付いて来るのだと。ただ、人は思い上がっているだけなのだと。


私は、結婚してから6年半たつが、未だに一度として結婚した事を後悔した事は無い。そして、毎日私のために色々サポートしてくれる妻に、常々ありがたいと感じている。当然の事である。別に意識して感謝するまでも無く、まさに「有り難い」事なのである。自分の家を捨てて私のところへ、人生の全てをかけてやって来てくれているのだから、本当に「有り難い」事である。

そう感じなくなっている夫婦は、まさに思い上がっているのだと思う。


私は、これからもずっと思い上がらないように、謙虚に生きて生きたい。

そして、感謝の心を忘れない様にしたい。

夜汽車という言葉が、視聴率を上げるのだろうか?


「夜汽車の旅」とか「夜汽車紀行」というようなタイトルの番組が多い様な気がする。でも、本当に夜汽車が出る番組ばかりではない。

先日見た番組は、夜行列車は1列車も出ず、全て昼行列車であったにもかかわらず、大胆にも「夜汽車」というタイトルが付いていた。出てきたのは、昼行の通勤列車や快速列車ばかりであった。好意的に解釈すれば、スタッフが夜汽車という言葉を正しく理解していなかったのだろう。

たとえば、山手線が夕方5時半ごろ走っていたとする。冬なら真っ暗になっているだろう。これが夜汽車だろうか?これに旅情を感じるだろうか?勿論、これに旅情を感じる人もいるかもしれないし、決して悪い事ではない。

でも、私はやっぱりこれは夜汽車では無いと思う。

夜汽車とは、夕刻、または夜に始発駅を出て、翌朝、または昼に終着駅に着く。つまり、一夜を走り続ける列車を夜汽車と呼ぶのではないかと思う。朝起きると、見知らぬ土地に着く。これが夜汽車の醍醐味である。山手線は、深夜に走っていても、夜汽車とは言い難い。

私が見た番組は、タイトルは別にして、内容は良かったと思う。ベテランの俳優さんが、一人で旅をしながら、色々な人達と出会っていく。それは、とても良い。タイトルを、「夜汽車」を入れずに、普通に「列車」の旅にして置けばよかったんじゃないか。鉄の人は、ブルートレインや夜行列車が出るのではないかとわくわくしながら見て、がっかりしたかもしれない。


夜汽車とは、趣のある、素敵な、哀愁のこもった言葉だと思う。

だからこそ、厳選して使って欲しいと思う。

31年ぶりの同窓会があった。


半年前から、とても楽しみにしていた。中学卒業以来、会ったことの無い、貴重な人もいる。頻繁に会っているどうでもいいやつも居る。それが同窓会である。

当然の事だが、皆おっさん・おばさんになっていた。でも、昔の面影というものは不思議と残っていて、会うと直ぐに誰であるかが類推できる。まあ、そんなに変わるものでもないか。

一番の大親友は、遠方にして多忙な人で、私から連絡したが、残念ながら来る事はできなかった。半年位前に連絡してスケジュールを開けてもらわないと、なかなか来られないのだ。


子どもの頃は、馬鹿なことばっかりやっていて、いつも先生に目をつけられていた。悪い事をしていなくても怒られていた。それも、今となってはいい思い出になっている。いつだったか、親友と二人で校舎内を縦横無尽に走り回っていて、校内放送で「うるさいぞ!静かにしろ!」と、しかられたことがあった。しかし、帰るためには再び職員室の前を通らねばならず、二人で抜き足差し足で通り抜けようとした。丁度その時、校内放送で注意した担任の先生が職員室から顔を出した。

「君達、そんなに静かに通らなくてもいいよ。」

「そうですか。先ほど、放送で注意されていた不届き者が居ましたので、我々は静かに通過せんと努力していた所です。」私は答えた。

「そうか、それは良い心がけだね。」先生は微笑んで言った。それから続けて、

「ところで、さっきは何を急いでいたのかな?」と言った。

「いや、多分戯れていただけでしょう。彼ら二人も今は十分反省している事でしょう。

「そうか。二人だったのか・・・。」

私は「しまった!」と思ったが、それは聞こえなかった振りをして、

「それでは失礼します。」と帰った。

なぜ、親友と校内を走り回っていたのか理由は思い出せない。おそらく、彼も覚えていないだろう。でも、たぶん他愛も無いことを親友が言って逃げて、それに反応して私が追いかけていたのだろう。

私は未だに仕事で職場内を駆け回っている。社内SEという仕事上、問題が発生したら現場に急行して解決するのが自分の任務だと思っている。

親友もまた、未だに仕事で駆け回っている。急病の患者のために、走って駆け付けて救急処置をする。彼は優秀な外科医である。


二人とも、未だにそんな生活を送っているのは、あの頃の因果だろうか。


最近、毎週少しずつ部品が届き、全号買うと完成するという、付録つき雑誌を良く見かける。


日本の貨物列車という、渋いタイトルの雑誌の第1号を買ってみた。

ワム70000という、懐かしい感じの2軸貨車が付いてきた。よく見ると、TOMIXでもKATOでもない、不思議な貨車であった。Nゲージ版、無印良品とでも言えようか、なかなか良い出来である。これで490円はなかなかのお値打ち品である。でも、これから先の2号以降は、内容に比べ非常に割高なので、残念ながら買うつもりは無い。なぜ、第1回目だけ安くして、2号以降は法外とも思えるような高い値段をつけるのだろうか?これでは、殆どの人は第1回目しか買わないだろう。

私は今までに何度もこういった雑誌を買ってみた。しかし、2号以降買った雑誌は非常に少なく、それも数回しかない。結局、最後まで買い続けるような魅力的な雑誌は今までに無かった。販売する側の目的がイマイチわからない商品である。殆どの人が創刊号しか買わない雑誌なんて、意味があるのだろうか?創刊号だけで儲けようとしているのだろうか?

もし、このようなレイアウトを作りたいなら、自分で模型店に行って買ったほうが、直ぐに始められるし価格も安い。しかも、自分の好きなように改造できる。

雑誌として毎週少しずつ届くもイライラを感じずに済むだろう。


私にとって、この手の雑誌は意味不明である。

でも、楽しみに待っている方もいるかもしれないので、とりあえず趣向の違いと言っておこう。

久しぶりに新幹線に乗って出かけた。


新橋の駅の近くに、旧新橋駅(汐留)を復元したものがある。ここには、復元された旧新橋の駅舎があり、無料の資料館になっていた。資料の内容は、無料という事で、大宮の鉄道博物館等とは比らぶべくも無いが、興味深い資料が幾つかあった。鉄道に興味のない人でも、ちょっとした時間つぶしには良いと思う。

外には、レプリカの0キロポストとホームが、当時と同じ場所に復元されていた。出来たら、明治村にあるような蒸気機関車と客車を1両ずつ置いて、中を見学できるようにしたら・・・と思ったりもするが、何せ無料なのでこれ以上贅沢は言うまい。

また、ホームの脇を1Mくらい 掘り下げたところには、本物の旧新橋駅のホームがあった。自分が立っている下や、今はビルが建っている下にも、おそらくかつてのホームが眠っているのだろう。

かつて、新橋~横浜間に鉄道が開通した時、品川付近は陸軍の施設を避けるため、海の上に築堤を建設し、その上を線路を通したという。しかし、現在の品川駅付近は内陸のような雰囲気で、ビルに阻まれて海は見えない。かつで、ここが海の上だったなんて、想像もつかない。東京湾は、周り中から埋め立てられて、とても小さくなっているのだ。人間の力はすごいと思う。

でも、こんなに多くの土を一体どこから持ってきたのだろう。

かつて、両毛線が開通した時、盛土をして築堤を作る為に沿線の家から土を買った。そのため、土を売った家は、庭や畑にくぼみが出来て水がたまったので、そこに鯉を飼って売った。両毛線沿線には、鯉の養殖池が点在していたという。

山間部で、トンネルを掘った時に出た土が豊富にあるならともかく、平野部ではこのようにしてどこかから土を調達しないと、築堤でさえ建設できないと思う。ましてや、海を埋め立てるとなれば、ものすごい量の土が必要である。この土は一体どこから来たのだろう。今なら、地下鉄を掘った土とかありそうだが・・・。


いずれにしても人間の力はすごい。

でも、自然の地形を変えたり、海を狭くしたりする権利が、人間にはあるのだろうか?

そこに生息していた貝や魚達は、どうしたのだろうか?


鉄道や道路の工事や、建物の建設には、環境破壊が常に付きまとう。

避けられない事ではあるのだけれど、人間は常に謙虚でいなければならないと思う。