さだまさしさんの曲で「幸福になる100通りの方法」というのがある。
初めて出会った時は、すれ違うだけでドキドキしたり、目があっただけで3ヶ月元気だったという。
確かに、初めて出会ったときは、そんなものだろう。ちょっと大げさかもしれないが、確かにしばらくの間、幸せな気分で居られるはずである。
彼女の為ならば何を捨てても惜しくなかったし、赤いルージュで一日元気で居られた。
しかし、この曲ではその後、だんだん冷めて行くことになる。
それから長い坂をくだって、笑顔も言葉も少なくなり、ガラスの靴の魔法がとけて、ただの二人になった。
これが世間の倦怠期を迎えたカップルや夫婦なのだろうか。
でも実は、しあわせになる方法なんて100通りもあるのだという。
ありがとうと言えば近づいて来る。
しかし、人は、なぜか幸せに思い上がってしまう。
まさにその通りである。
初めて出会った時は、話が出来るだけで幸せだと思った。
何もかも、捨てても良いとさえ思った。
それなのに、それが当たり前になってしまうと、徐々にだらだら坂を下る如く、気持ちが冷めていき、気付けばシンデレラの主役だった二人は、ただのくすんだ二人になってしまう。
なんと悲しい事実であろうか。
でも、「幸せになる方法なんて100通りもある」と言っている。「ありがとう」と言うだけで、幸せは向こうから近付いて来るのだと。ただ、人は思い上がっているだけなのだと。
私は、結婚してから6年半たつが、未だに一度として結婚した事を後悔した事は無い。そして、毎日私のために色々サポートしてくれる妻に、常々ありがたいと感じている。当然の事である。別に意識して感謝するまでも無く、まさに「有り難い」事なのである。自分の家を捨てて私のところへ、人生の全てをかけてやって来てくれているのだから、本当に「有り難い」事である。
そう感じなくなっている夫婦は、まさに思い上がっているのだと思う。
私は、これからもずっと思い上がらないように、謙虚に生きて生きたい。
そして、感謝の心を忘れない様にしたい。