急行越前のブログ -6ページ目

急行越前のブログ

日々の生活で感じた事や趣味の事を書き綴っています。
不定期更新ですが、お時間があったらご笑覧ください。

お気に入りの模型店が閉店する事になった。


良心的な店ほど、長続きしない気がするのは残念である。

儲けようとしないお買い得な店、時間をかけて色々教えてくれる親切な店、品揃えが良い店、居心地の良い店・・・。客にとっては、とても良い店になるが、経営的には余り芳しくない様だ。

逆に、儲け至上主義の店、無駄話をせず売る事に専念している店、売れる物しかおかない店、買ったら早く帰れと言わんばかりの店。こういった店が、長続きするのだろうか。

だとすれば、世の中が間違っているという事なのだろう。

私は、前者のような店でなければ二度と行かない。客の立場で考えてくれる店でなければ、リピータにはならない。誰でもそうではないだろうか。

なのに、後者のような店が横行するのはなぜか。やはり、日本という国が、昔と比べて随分変わってしまっているのではないだろうか。

日本人は昔から、義理人情を大切にする。人との関係を大切にする。そんな美しい文化がある。

そんな、海外に誇れるような文化は、ずっと守って行きたい。

チェーン店を次々にオープンさせる、薄利多売の儲け至上主義の店、心の通った会話は無く、流れ作業で機械的に客をさばいていく店、余り売れない物は長期在庫になるから置かない店、買い物が済んだら追い返すように冷たくなる店。

そんな、恥ずべき店を横行させてはならない。日本の恥である。


これからは、家族で行くだけで楽しい店、つい長居をしてしまうような居心地の良い店、基本的なことから親切に教えてくれる店。そんな店が増える社会になったらいいと思う。


今後の安部さんに期待したい。

価格破壊という言葉は、消費者にとってはありがたい事ではある。


たとえばメガネは、かつて5~6万円するのは普通であった。みな、そういう価格設定だったから、仕方なく購入していた。しかし、ある時期からものすごい勢いで価格が下がり始め、買うたびに安くなった。

6万円→3万円→2万円→1万円→5千円・・・。

こんなに安く売れるのに、今までそんなにぼったくっていたの?


鉄道模型も、かつては定価販売が当たり前だった、消費税が導入されて、更に便乗値上げされた。それでも、消費者は我慢して買い続けた。

しかし、やがて量販店が安売りをするようになった。1割引→2割引→3割引・・・。

仕入れ値がいくらなのかは知らないけれど、こちらも、昔はどんだけ儲けていたんだ?と疑問に思うくらい、最近、安売りをしてくれる。

更に、通販が加わり、量販店でさえも厳しくなってきた。割引価格で売る上、家まで届けてくれる。しかも、夜に注文すれば、翌朝届くという便利な時代になった。週末に買いに行くより早いし、週末はゆっくり模型を楽しめる。

更に、オークションや中古販売の増加が加わった。よく見て選べば、定価の1/3程度で殆ど新品の様な物も手に入ることがある。おかげで、出費は相当抑えられるようになった。


しかし、生産業者にとって大丈夫なのだろうか?という心配がある。

消費者にとっては嬉しい価格破壊だが、業者にとっては、今まで上がっていた利益が上がらなくなるばかりか、全く売れなくなり赤字覚悟で売る事のなってしまったら・・・。


世の中、持ちつ持たれつである。

お互いに、無理のないような価格で取引したいと思う。

巷の噂では、今年の流行語大賞は、「やられたらやり返す。倍返しだ。」ではないかという。


TVドラマ、「半沢直樹」の決め台詞である。

私は、第1回が始まる前から、楽しみにしていた。それは、堺雅人という類まれなる個性と才能を持つ、俳優が演じるという期待からである。果たして、期待通りであった。いや、期待以上であったと言っていい。

堺雅人という人のすごさにひたすら脱帽である。原作や脚本も良い。次はどうなるのだろうかと、視聴者を釘付けにする。私としては、今年のドラマの中でトップクラスであると思う。

しかし、世間の評判は意外であった。視聴率が高いのも意外であった。

このような社会派ドラマとも取れるものを、これほど多くの人が見ているとは・・・。

恋愛もないし、不倫もないし、グルメもないし、風光明媚な観光地も出てこない。ひたすら、貸した金を取り返すための努力の描写である。

以前、「官僚達の夏」というドラマがあった。典型的な社会派ドラマである。このドラマにも、堺雅人は出演していた。今回のような主役ではないが、この頃からとてもいい味を出していた。完成度からすると、このドラマの方が上だったかもしれない。でも、視聴者は「半沢直樹」の方が好きなのか。

色々なところで、人気の理由を分析している。また、街頭での調査では、半沢の言動に「気分がすっきりする」とか「自分の代わりに言ってくれている」という様な回答が多い。

ちょっと、待て。みな、そんなところに注目しているのか?このドラマは、そんなところが見所ではないはずだ。半沢直樹が命がけで貸し倒れを回収しようと努力する、銀行員としての熱意、そして時折見せる人間的な優しさ、そこに感動するんじゃないか。

私は、このドラマを見ても別に気分はすっきりしたりしない。むしろ、こんなやつ結構いるよなと、ストレスがたまる事さえある。でも、難問を上手く処理して、妻を大事にしつつ、改心した相手には思いやりをかけ、反省しないやつは徹底的に叩く。この、スーパーサラリーマンにエールを送りたくなる。自分も、もっともっと、努力しなければと毎回反省する。それが、良いのではないかと思う。


私は思う。

決め台詞なんてどうでもいい。

BSフジで鉄道伝説という番組がある。


この番組は、日本の鉄道の開発の歴史を解説した物で、毎回、あるテーマに沿って構成される。BSという事で制作費が少ないのだろうか、毎回同じような再現シーンが放映される。

それはまあ良いとしても、資料映像も非常にチープで、同じ映像が何度も使い回しされる。この場面、先週も、先々週も見たよねという映像がよくある。しかも、製作者自身が鉄道の事を良くわかってないのだろうか、突っ込みどころ満載の番組である。

最初の頃、「新幹線」とか「碓氷峠」とか、贅沢なテーマを次々に湯水のごとく使ってしまった。そのためか、最近は四国2000系とか、キハ281系とか、地味なテーマに絞ってきている。最初から、あんな贅沢にしないで、「アプト式」とが「EF63粘着運転」とか、テーマを絞ってそ放送すればよかったのにと、とても悔やまれる。キハ82系だけでも、たった30分では語りきれない数々のドラマがあるのに、キハ181系の時に一からげで済ませてしまったことが勿体無い。

BSの番組は、いずれも制作費が相当厳しいのだろうか。鉄道の旅番組でも、二人で取材しているようだ。カメラマンと、インタビューや音を録る人、その2名のみである。まるで、高校生時代の映画クラブの撮影のようだ。


でも、制作費が安いからと言って、適当に作ればよいというわけではない。視聴者は、制作費など関係ないのだ。良い番組だけを求めている。


最近のTV番組は、見終わった後、感動する番組が殆ど無くなった。なんか時間の無駄をしたような、自己嫌悪さえ感じる番組が多い。

視聴者は、折角、貴重な時間をつぶして見るのだから、もっと価値のある番組を作って欲しい。そんな観点からは、鉄道伝説はなかなかの価値ある番組かと思う。


地味でもいい、長く続けて欲しい。

鉄道の常識は、人の世の常識とは違う場合が多い。


鉄道は普通、身分の上の人を、身分の下の人が、跨ぐ事になっている。言い換えると、身分の低い人より、身分の高い人が、下を通る事になっている。

たとえば、信越本線は高崎駅で上越線と分岐している。この場合、身分的には信越線は本線であり、上越線は支線であるから、一見信越線の方が上である。しかし、列車の運転本数を見ると、以前から、上越線の方が運転本数が多い。したがって、上越線が下を通り、信越線の上り線は遠慮して上を跨ぐ様にしている。

ところで、これらの線はもう一つの分岐駅宮内で、合流する。この時は、信越線が下を通り、上越線が遠慮して跨ぐ様にして進入する。これは、日本海縦幹線の一部をなす信越本線の方が、上越線より目上であると判断したからなのだろうか。

いずれにしても、何となく理由がわかる。目上の人は、坂を上ったり下りたりせず、真っ直ぐ進めば良く、目下の人がちょっと苦労するような線形になっている。

佐久平の駅は、小海線が高架駅で、新幹線が地上駅である。珍しい線形だと言う人が多い。しかし、私は上記の法則に従った、至極当たり前な例だと思う。小海線は支線である。一方、北陸新幹線は信越本線の別線扱いであるから、本線である。本線は真っ直ぐ進み、支線が遠慮して上に登る。

この法則は、誰でも納得できる法則だろうと思う。


しかし、単線区間の行き違いの法則は、ちょっと違っている。

通常、単線区間では、列車は駅や信号場で交換をする。この場合、お互いに停まってすれ違うか、目下の列車が停まり、目上の特急などは通過して行く。これはわかる。

でも、列車が遅れてきた場合はちょっと違ってくる。


 たとえば、自分が乗っている列車は定時で走っているとする。一方、対向列車は5分遅れているとする。

私の乗っている列車は、定刻に信号場に着いたが、まだ対向列車が遅れていてやって来ないので、ここで待たなくてはならない。通常は通過する信号場で、停まって待つ。すると、5分ほど遅れて対向列車がやって来た。対向列車は、私の列車が5分も停車して待っていたにもかかわらず、自分は停まりもせず勢い良く通過していく。非常識である。自分のせいで、相手が待っていてくれたのに、自分は遅れてきたのでそのまま通過して少しでも遅れを縮めようというセコイ考え方ではないか。


でも、実際にはこの方法の方が合理的なのである。なぜなら、先についた列車が、対向列車が来るまで待つのは仕方が無い。対向列車が到着したら、自分は信号が変わり次第急いで発車するのが最善の方法だろう。逆に、対向列車側は、既に5分遅れている。その上、行き違いの為以外に、その駅に停まる理由は無い。とすれば、相手が停まってくれているのだから、停まらずに早めに通過したほうが、遅れを取り戻せてよいのではないか。


理屈的にはわかるのだけど、心情的は納得できない。

なぜ、遅れてくる人を待っていてやる人が、後回しにされるなんて人道的はおかしい。


鉄道の常識は、人の世の常識とは違う。

でも、納得できる合理的な考え方でsる。

さだまさしさんの「かすていら」という本がドラマ化された。


遠藤憲一さんの親父は確かにすごい。本物よりも迫力があり、怖いらしい。

でも、原作を読んだ私には、全く別物のホームドラマにしか見えない。


監督の目にはこう映ったのだろうか?だとすれば、今すぐ監督を辞めて欲しい。

文章の読解力を、もっと高めて欲しい。

さだまさしさんの文章独特の行間を、全く読んでいないとしか思えない。

ただ文字面だけを読んだようなドラマである。


この物語は、単にさださんの親父さんの武勇伝を描いた、娯楽ドラマではない。

文章のそこかしこに、さださんの父親に対する尊敬や敬愛の気持ち、父親のさださん達子どもに対する愛情が満ち溢れている。そして、子ども達には恐れられていない、とても優しい子煩悩な親父なのである。その親馬鹿振りがまた素敵なのである。

このドラマでは、星一徹ばりの頑固親父が、暴れまわっている。

佐田家の、愛すべき親父の雅人さんには、似ても似つかないと私は思う。


ドラマの表現次第で、原作も評価されてしまう。

監督が上手に描けば、原作は引き立つ。

原作が良すぎる場合、ドラマ化は難しいと思う。

原作を超えることが出来ないからだ。

でも、素晴らしい原作があるのに、ドラマで極端に表面的な表現しかしないのは、監督の怠慢である。


原作者は、命を削るようにして小説をつむぎだしている。

ドラマ製作者は、心して原作を拝読して、最大限ドラマに生かして欲しい。

旅の楽しさも人それぞれである。


私は、30年近く前の旅であっても、どこに行き、どこを周り、どんな列車に乗り、何を食べたかなど、殆ど記憶している。「学生時代に初めて北海道に渡った時、青函連絡船の中でハンバーグ定食を食べた」というような具合である。私は、誰でもみなそのように覚えている物だと思っていた。私だけが、記憶力が良いわけではなく、もっと記憶力の良い人はたくさん居る。むしろ、私は記憶力は悪い方だと思う。

しかし、先日ある人に新婚旅行の想い出を聞いて驚いた。北海道に行った事は記憶していたが、どこに行ったかも殆ど覚えてない。「函館と旭山動物園。そのくらいです。」と彼は言った。まさか、新婚旅行で2箇所しか観光地に行かない訳はなかろう。たとえ、彼がそうすると言っても、奥さんは許すはずは無いと思う。旭川まで行けば、層雲峡にも行きたいだろうし、富良野のラベンダーも見たいだろう。

ここで私は気付いた。同じ旅行をしても、人によって感じ方は全く違うのだ。初日の夜、何を食べたかを覚えている者もいれば、観光に行った場所も数箇所しか覚えていない人も居る。同じ洞爺湖を見ても、感動してそこで食べたかにラーメンまで覚えている人も居れば、行った事さえ忘れてしまう人もいる。

私のような旅行好きにとっては、旅は喜びや楽しみの連続であり、想い出があふれかえっている。しかし、興味の無い人にとっては、新婚旅行や家族旅行は義務を果たす為の行動でしかないのかもしれない。


日々旅にして、旅を棲家とす。


なんと素晴らしい人生だろうか。

私の大好きな車窓がある。


夜行列車に乗って青森に向かう時、おはよう放送に起こされて、眠い目をこすりながら急いで降り支度をする頃に停まる、浅虫温泉である。

青森行きの列車の最後の停車駅となるため、ぎりぎりまで寝ている人には、ゆっくり車窓など楽しんでいる余裕など無い。でも、私はいつも、例え時間が無くても、必ず、じっくりと、食い入るように見る。

車窓いっぱいに美しい陸奥湾が広がる、旅人の疲れを癒してくれる東北本線屈指の絶景スポットである。


いつも、北海道に渡る時や、東北を旅する時に、通ってはいたけれど一度も降りた事は無い。でも、浅虫水族館という看板が見えて、家族連れやカップルでにぎわいそうだなと思っていた。

ここには、老年のスーパースターがいるらしい。それはイルカのジムである。

彼は、なんと驚いた事に昭和61年からこの水族館で働いているという。私が、学生時代初めて、夜行列車と連絡船を乗り継いで北海道に渡ったのが昭和62年の事であるから、それより前から彼はそこで働いているのだ。つまり、私より仕事歴が長い、先輩という事になる。30年近く働いているという事になるだろう。

人間でも、これだけ長く同じところで働いているということはすごい事である。ましてや、イルカが30年近くも働いているとは、驚きの事実であった。

浅虫水族館は、決して派手なイメージは無い。葛西臨海公園や八景島シーパラダイス、鴨川シーワールドなどと比べれば、地方の地味な水族館であろう。しかし、そこにこんな素晴らしいスーパースターがいた。日本で最高齢のイルカがいた。私はとても感激した。

彼に勇気付けられた人も少なくないだろう。彼は、自分の身をもって我々に訴えかけ、励ましてくれている。素晴らしい、素敵な、最高のエンターティナーである。


素晴らしきかな、浅虫水族館。

驚くべきかな、イルカのジム君。

どちらも頑張って欲しい。



意外と知られていないベストセラー雑誌がある。

時刻表である。


私は、かつて必ず7月の時刻表を買っていた。

学生時代から、夏休みは家に居たことが無かった。就職してから1週間の夏休みは、いつも北海道や九州、四国や山陰、東北など、日本全国をまわった。その為に、7月の時刻表は必需品だった。7月の時刻表には、8月の臨時列車が掲載されている。旅行の計画をたてる段階では6月以前の時刻表で大まかに行程を考えておき、7月号が発売になると定期列車の時刻を最終確認したり、臨時列車が無いか探したりして、最終決定する。そして、駅のみどりの窓口に予約を取りに行く。

旅の楽しさが最高潮に達する時である。旅の師匠:宮脇俊三先生は、時に時刻表を見ながら計画を立てている段階の方が、実際の旅より楽しい事があるとおっしゃっていた。私もまさにその通りだと思う。

旅の計画を立てる段階では、時刻表とガイドブックを見ながら、ここも行きたい、ここで何を食べよう、ここでこの列車に乗れるだろうか、等々、色々考えるのがとても楽しい。しかし、実際に旅に出てみると、大雨に降られたり、列車に乗るために炎天下の中猛ダッシュしたり、何時間も歩き回ってとても疲れたり、熱中症になりかけてふらふらになったり、結構辛かったりする。もう観光はいいから、ホテルに帰ってゆっくりしたいと思うこともよくある。

でも、思いも寄らぬところで、美しい景色に遭遇した時、美味しい食べ物を見つけた時、素敵な出会いがあった時、旅に出て良かったなぁと実感する。また、いつの間にか日々のストレスが消えていて、心が軽くなっている自分に気付く。

やっぱり、旅は良いなぁと思う。

旅が病み付きになる瞬間である。


夏は、旅に出よう。


火の山から見た関門橋 1990年7月

急行越前のブログ

以前から欲しかった模型がやっと再生産される。


以前、再生産されたとき、とりあえず9両まで買い、あと3両買ってフル編成にしようと思っていたら、品切れて買えなくなっていた。それから、再生産を待つ事10年近く、やっと再生産されたら、何となく仕様が違うではないか。私の所有する車両と混結するにはちょっと工夫が必要だ。

メーカは、色々な事情があって、なかなか再生産に踏み切れなかったり、仕様変更したりするのは仕方ない面もあると思う。しかし、どうしてセット販売にしてしまうのか?

しかも、メーカお薦めの13両編成にすると、先頭車が2両余る様に15両買わなければならないという、意地悪なセット内容。メーカは抱き合わせで売れて嬉しいかもしれないが、子供が小遣いで買う場合もあるだろうし、心が痛まないのだろうか?

最近のメーカは、良心的な感じがしない、ユーザ泣かせのセット内容も少なくない。メーカ都合による、営業戦略的に有利なセットになっている。

かつて、ばら売りが主流だった頃、某社ではブルートレインブームに乗って24系25型を新発売した。価格も手ごろだった為、非常に人気が有りよく売れた。しかし、中間車のオハネ25だけは大量に余ってしまったという。

ユーザは最低限、電源車やA寝台、食堂車、B寝台を、それぞれ1両ずつ入れたいだろう。この編成には、オハネ25は要らない。これに、1~2両のB寝台車を入れ、6両程度にする。このあたりが、日本の家庭事情を考えると平均的と思われる。しかし、実際の編成では14両くらいつないでいて、オハネ25が8両位は入っている。だから、メーカはオハネ25だけ他の車両の何倍も生産したのだろう。しかし、日本の集合住宅に住んでいるユーザは、諸事情により1両も買わなかった人も居るだろう。結果、オハネ25だけ在庫が大量に余ってしまった。

このとき以来、メーカにとっては無駄なく売れる、でも客にとっては大変迷惑な、セット販売に徐々に移行して行ったのではないか。


かつて、単品販売が主流であった。それは、貧乏な高校生の頃の私にはありがたかった。

今は、セット販売が主流である。


子供が小遣いでコツコツ少しずつ買う、という場合も考慮して欲しいと思う。