さだまさしさんの、「風に立つライオン」という小説を読んだ。
素晴らしい楽曲である、「風に立つライオン」の歌詞の話を元に、大きく膨らませた作品であった。
中身の文章は著作権かかわるので、一切記載しない事にする。また、内容もこれから読む方のために一切書かないようにする。
さださんの小説は毎回素晴らしいのだけれど、この著作権というやつは相当厄介である。こんな良い作品なのだから、皆さんに読んで欲しいと思うのだけれど、その良い内容を1行でも記載することが出来ない。
本当は、一部の引用は良いらしいし、内容を言葉を換えて伝えるのはある程度許される様だが、直ぐに「著作権の許諾のない文章や歌詞、画像の投稿はおやめください!」とお知らせが出るので、書かないようにした。
結局、読んだ人は何が良いのかわからない上、消化不良な感じでストレスが溜まるだけだろう。
確かに、人の作品を勝手に転載したらいけない事はわかるし、ましてや自分の物のように扱ったら、犯罪である事は誰でもわかる。しかし、この作品は良いとほめるのがなぜ悪いのか?作者以外の人が紹介する事で、宣伝になることがなぜいけないのか?個人の創作の権利を守る目的であるはずの法律が、個人の創作の良さを広める障害になっている。考えてみれば、世の中にはそのような矛盾が多い。
車を運転していたら、小さな字の標識が立っていた。なんて書いてあるのだろう?運転者として標識はきちんと見る義務がある。私は、眼を凝らしてよく標識を見つめた。「わき見注意!」と書かれていた。その瞬間、自分がその標識を見るために、わき見をしていたことに気付いた。
本末転倒である。その標識が無ければ、みな安全に走行できるのに、その標識があることで、みなわき見運転となる。
少し考えればわかる事だと思う。もっと、見やすく大きい字にするとか、見やすい位置に掲示するとか。
何も考えてないとしか思えない、ただ単に「私はやるべき事をやった」という責任逃れのような標識である。
Amebaブログのお知らせも同様である。「当サイトでは、きちんと注意を表示しています」と言い逃れをする為に注意書きを出しているのだろうか?そうではないはずだと信じたい。
責任逃れの為ではなく、本当に相手の事を思いやった掲示をして欲しいと思う。