読書雑記 -33ページ目

読書雑記

読書日記。

ほとんど自分のためのものです。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/福岡 伸一
¥777
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 青山学院大学教授で分子生物学者の福岡伸一が「生命とは何か」を問う科学エッセイ。


 「生命とは何か」という問いに対し、「それは自己複製を行うシステムである。」というのが、20世紀の生命科学が到達した一つの答えである。さらに、「分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎない」という捉え方もある。しかしながら、福岡は、過去の研究において、一部の遺伝情報を欠損させたノックアウトマウスがとりたてた異常もなく発生・成長の過程をたどるのを見るにつけ、生命には「パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な特性」「何か特別なダイナミズム」が存在しているとして、その本質に迫っていく。


 まず、福岡は、ワトソンとクリックによるDNA構造の解明を知ることなく、自らの命を絶ったユダヤ人科学者・ルドルフ・シェーンハイマーの「身体構成成分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)」という概念を援用する。それは、「生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」という新しい生命観である。


 さらに、福岡は、「すべての物理現象に押し寄せるエントロピー増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質である」としたシュレーディンガーの予言を重ね合わせて、「やがては崩壊する構成部分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度より早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる」と指摘し、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念を拡張して、次のように生命を再定義する。


 「生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである」


 それでは、絶え間なく壊されては再構築される秩序はどのようにして維持されるのか。福岡は、ジグソーパズルのアナロジーで「その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである。」とする。


 次いで、タンパク質の「かたちの相補性」による動的平衡のメカニズムを示す試みとして、膵臓の消化酵素産生細胞にあるGP2と呼ばれる特殊なタンパク質に関する研究について、ハーバード大学における自らの研究を中心に語られる。福岡たちの研究チームは、ライバルチームとの激しい競争の末、細胞内で作られた消化酵素を細胞外(消化管)に分泌するために重要な役割を果たしているGP2の遺伝子を特定し、その全アミノ酸配列を明らかにする。


 しかし、生命の本質に迫るタンパク質の働きを証明することは簡単ではなかった。「あるタンパク質が、生命現象においてどのような役割を果たしているかを知るための最も直接的な方法は、そのタンパク質が存在しない状態を作り出し、そのとき生命にどのような不都合が起こるか調べればよい」のであるが、福岡たちの研究チームが誕生させたGP2ノックアウトマウスには何の異常も見い出せなかったのである。


 ここで、福岡は「生命とは何か」を明らかにする上で、「時間」という観念を見落としていたことに気づく。「私たちの生命は、受精卵が成立したその瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる、後戻りのできない一方向のプロセスである。」「ある遺伝子をノックアウトしたにもかかわらず、受精卵から始まって子マウス出産にまでこぎつけることができたということは、すなわち動的平衡が、その途上で、(ジグソーパズルの)ピースの欠落を補完しつつ、分化・発生プログラムをなんとか最後まで折りたたみえたということである。」


 むしろ、ノックアウトしたマウスに「何事も起こらなかったこと」や「動的な平衡が持つ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさ」にこそ驚嘆すべきだと言う。そして、「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。」と生命に対する畏敬の念を示して締め括っている。


 皆が絶賛するように内容もさることながら文章がほんとにうまい。研究の舞台となった大学の風景や街並みの描写、過去の偉大な研究者に対する人物描写、細胞やDNAの構造や働きを説明する時の比喩など、小説家あるいは詩人を思わせるような表現力である。これからも多くの著作を通じて、我々を生物学・分子生物学の神秘の世界へいざなってほしい。

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)/立花 隆・佐藤 優
¥987
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 対談形式の書評というのはおもしろい。しかも、それが‘知の巨人’立花隆と‘知の怪人’佐藤優によるものだからなおさらである。

 対談で本を紹介しつつ、21世紀を生き抜くために必読の教養書400冊を推薦したブックリストもついていて、本選びの参考になる。「知的欲望に満ちた社会人へ」それぞれの書斎の本棚から100冊ずつと、「すぐ役に立つ、すぐ買える」本を文庫と新書から2人が100冊ずつをリストアップしている。

 各本の紹介の仕方には濃淡があるが、必読であることの理由はわかるようには整理されている。

 読書の時間がなく、はずれのない教養書を効率的に読んでいきたい、そんな思いに答えてくれるのではないか。

「歳出の無駄」の研究/井堀 利宏
¥1,995
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 日本の危機的な財政状況を立て直すための議論に、政府の歳出に無駄が多い以上、まず増税よりも歳出の無駄をなくす方が先決だという考え方がある。


 しかし、本書は、こうした‘もっともらしい’正論の陥る落とし穴として、歳出の無駄の規模は意外に大きくないこと、無駄の中にも国民の痛みを伴う無駄や結果としてやむを得ず生じる無駄もありそれらを根絶することは非常に困難であることを挙げている。そして、もし節約できる金額がごく僅かであるか、あるいは完全に節約することが非現実的であるなら、「無駄をなくすことを増税より優先すべき」と唱えることは、実質的に増税を先送りする口実でしかないと批判している。


 本文では、無駄の概念を整理した上で、特別会計、人件費、公共事業、補助金などの歳出別に無駄の規模を見積もり、中には許容すべき無駄もあることを指摘して、政府の財政状況に照らすと増税なき財政再建は不可能であると主張してる。


 確かに、多くの政治家やマスコミが政府の無駄を批判するときは、感情的でしかも部分的であり、無駄の削減が総体としてどの程度財政再建に貢献するのかという議論が具体的な数字で示されることは少ないような気がする。著者の無駄の算出も、仮定の話が多かったり根拠のデータが本の中では示されていなかったりと、大まかな試算になっているが、無駄の削減だけでは財政再建が難しいことが十分にイメージできる。


 著者は、財政学、公共経済学を専門としている東京大学大学院経済研究科の井堀利宏教授である。個人間、世代間、地域間における再分配政策の理論的研究を目下の研究課題とし、本文中でも無駄な歳出の実例として、生活保護、年金、地方交付税等の再分配政策が随所に取り上げられている。


 前著「『小さな政府』の落とし穴」 においても、財政再建のための増税を先送りする主張として、「小さな政府論」や「成長戦略」を批判し、「受益と負担のリンク」の重要性を説いている。本書はその続編というべき著作で、今回は、無駄の根絶に傾斜し増税を先送りしようとする議論の危うさを指摘し、財政再建を実現するための歳出の無駄のとらえ方を示している。

環境税とは何か (岩波新書)/石 弘光
¥777
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 後に政府税制調査会会長も務めた財政学者の石弘光が1999年に書いた一般向けの本である。環境税の導入に反対する通産省(現経産省)や経済界と、地球温暖化防止には導入が不可欠とする環境庁(現環境省)や環境団体とが、共通の土俵のないままに相手を批判し合うだけの状況を憂慮し、環境税の理論的基礎や導入をめぐる論点等「環境税とは何か」を明確にすることによって、建設的な議論を進めるための材料を提供したいという思いで執筆された。


 本書ではまず、環境税の導入が主張されるようになった背景として、現代の環境問題の特徴が説明される。公害問題に代表される従来の環境問題が地域的・局所的であり汚染源も企業が中心であったのに対して、地球温暖化問題をはじめとした現代の環境問題は地域や一国の領土内に限定されず地球規模で被害が拡大しており、企業活動のみならず、大量消費・大量廃棄という一般市民のライフスタイルにまで踏み込まない限り解決できない性質の問題であることが指摘される。


 次いで、公害問題の解決に成功してきたこれまでの環境政策とその限界について述べられる。政府介入による直接規制は、地域的・局所的な汚染に対しては一定の効果を有しつつも、地球温暖化問題のような一地域を超えた広範囲にわたる環境問題に対しては、規制に必要な情報収集の効率性、インセンティブ効果の大きさ等の面において経済的手段に劣るとされる。また、日本の環境政策において直接規制と並びその役割が強調されてきた企業の自主的な取り組みについても、二酸化炭素を削減するためには一地域や一部の企業の自主的な取り組みに頼るだけでは限界があるとされる。


 そして、経済的手段による環境政策としての環境税の経済学的な理論的根拠が説明される。環境汚染による外部費用を内部化するためのピグー的課税や、より実現性の高いボーモル・オーツ税等の租税政策の理論的根拠が説明されるとともに、補助金、排出権取引、デポジット制度といった環境税以外の経済的手段や諸外国における導入事例が紹介されている。


 さらに、具体的な環境税のデザインとして、とりわけ炭素税導入をめぐるケーススタディや導入に際しての諸問題が取り上げられる。炭素税、および炭素含有量に加えエネルギー発熱量も課税ベースとする炭素・エネルギー税を導入した場合に想定される税収の試算が具体的でイメージしやすい。OECDの報告書で示された環境税実施上の論点として、

 ①租税とそれ以外の手段の役割分担(特に規制的手段との関係)

 ②課税の目的は、インセンティヴか財源調達か

 ③課税の対象・範囲と、PPPあるいは税収中立性との関係

 ④課税の「段階」(生産あるいは消費段階か)と、それらの環境政策上の効果

 ⑤国際競争力、マクロ経済成長、所得分配などへの影響

 ⑥既存税制との関係

が挙げられ、これらの問題にも検討が加えられている。また、執筆当時に炭素税を導入していた北欧4国とオランダの制度内容や効果なども紹介されている。


 最後には、過去の多方面での分析を踏まえ、炭素税の問題点やデメリットを

 ①税負担は逆進的となり、所得分配上、必然的に不公平をもたらす。

 ②経済成長を阻害する。

 ③国際競争力を低下させる。

 ④地球温暖化に有効で、かつ望ましい炭素税の基本的な枠組み(税率や課税ベースなど)を果たして構築できるか疑問がある。

 ⑤実施にあたり、国際協調は不可欠であるが、その可能性はどうか疑問がある。

の5点に要約し、それぞれを検討し是正策等を提示している。また、炭素税導入に関するいくつかの意識調査をもとに、炭素税の導入に向けて国民の一定の支持を得ているとしている。


 出版から10年近くが経っており古いデータもあるが、現代の環境問題の特質や、環境税を中心とした経済的手段による環境政策の概要が理解できる。

「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ/井堀 利宏
¥1,890
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 井堀利宏東京大学大学院教授によって書かれた財政改革に関する一般向けの本である。


 社会保険庁による年金記録の記入漏れ、大阪市の過剰な福利厚生など、中央・地方政府の不祥事は後を絶たず、公務員に対する信頼は大きく崩れている。井堀教授によれば、多くの国民は、今の政府は非効率で、無駄な歳出がまだたくさんあり、サービスの質を落とさなくても歳出を削れるはずだと考えている。こうした無駄な歳出に対する批判は、わかりやすい反面、無駄さえなくせば、増税しなくても、必要な経費は賄えるだろうという甘い期待を国民に持たせてしまう弊害があるが、増税しないで財政危機が解消するほど、日本の財政状況は甘くないと指摘している。


 歳入確保よりも歳出削減を優先する小泉改革の手法が正しかったとしても、そろそろ増税等の歳入面も含めた一体的な財政再建を具体的に議論すべき時期であり、増税を伴う財政改革に対して有権者あるいは納税者の理解・支持をどのように得るか、公平で透明な財政運営により結果として国民全体にとっても有益な形で税金が使われるような財政改革の手法はあるか、なんらかの形で有権者が税金の使い道について関与できる仕組みはあるのか、といった点が本書の問題意識である。


 本書のキーワードは、「受益と負担のリンク」である。日本の政府規模は、歳出面ではそれなりの規模であるのに対して税負担面では相当小さな規模であることが、受益と負担の乖離をもたらし、その乖離が巨額の財政赤字を生んでいる。「受益と負担のリンク」を回復させてこそ、「大きな政府」か「小さな政府」かという政府規模に関する冷静な議論が可能であるとしている。

 北欧三ヵ国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)の国民が25%もの消費税率を受け入れているのも、「受益と負担のリンク」が確立されているため、わが国で想像されているよりも国民の負担感が少ないからだという。


 そして、「受益と負担のリンク」を回復し効率的な政府を実現するには、公共事業評価、納税者番号制度、納税者投票、予算制度改革等の制度改革を行ったうえで、結論的には、消費税率10%を上限とする政府規模を提言している。

進化しすぎた脳 (ブル-バックス)/池谷 裕二

¥1,050

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 ニューヨークの高校生を相手に行った脳科学に関する講義の記録である。著者は、現在、東京大学大学院薬学系研究科准教授、専門は、神経薬理学、光生理学で、「脳の可塑性」のメカニズムを探求する若手の研究者である。


 「高校生レベルの知識層に説明して伝えることができなければ、その人は科学を理解しているとは言えない」という物理学者ファインマンの言葉を念頭に、大脳生理学の基礎と最新の知見を織り交ぜながら講義が進められる。


 表題の「進化しすぎた脳」というのは、人間は脳のポテンシャルを十分に発揮させておらず、「宝の持ち腐れ」になっているという意味である。著者は、「コンピュータと人間の違い」は、そのハードウェア、つまりは「体」にあるとする。コンピュータは、キーボードやマウスを取ってしまってもその実体は何も変わらない。でも、動物の脳は「体」によって規定されている。それを証拠に、イルカの脳は人間以上のポテンシャルを秘めているのに、人間のような指や声帯を持っていないために脳を十分に使いきれていない。それは、人間にしても言えることで、たまたま指が10本しかない<人間の体>という性能の悪い乗り物に、脳は残念ながら乗ってしまったと解釈できるとしている。普通我々は脳が体を支配しているように思い描いているのに対して、脳の機能は脳が決めているのではなくて体が決めているというのは意外な視点であった。


 また、人間はいかに無意識に支配されているかもよくわかった。当然に自由意志と思っていた行為までもが実は潜在意識の働きであったという例なども示されている。


 他にも、人間の記憶が曖昧であることの意味や、細胞レベルにおける曖昧さのメカニズム、アルツハイマー病の原因等、刺激的な内容に満ちている。理解を助けるための話題選びが上手く、大変わかりやすい。それでいて、「ネイチャー」や「サイエンス」等の記事を紹介しながら、研究の最前線についても触れられている。


 人間の脳のしくみを知ることは、人間を人間たらしめているものは何かを知ること、 自分についてもより深く知ることにつながる。また、脳のしくみを知れば、記憶力や頭の働きを良くする方法がわかるかも知れない、というちょっと打算的な思いも加わって大変興味深い分野である。

 本書は、そういった知的好奇心を十分に満たし、さらなる興味をかきたててくれる。

ドミノ (角川文庫)/恩田 陸
¥580
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 締切直前に契約書の到着を待つピリピリムードのオフィス。

 競争率の高い子役のオーディション会場。

 自分を捨てようとしている男に復讐を企図する女。

 俳句仲間との待ち合わせ場所にたどり着けない老人。

 ミステリー同好会の次期幹事長の座を争う大学生。


 およそ関連のない複数の物語が真夏の東京駅を舞台に「ドミノ」のように連鎖していくドタバタコメディである。

 筆者は、わずか文庫本376ページの中で、交錯する多くの場面設定と登場人物を巧みに操る。個々の物語が進行するにつれて相互の関係性と加速度を増していき、最後一気に終結する様はなかなか読んでいて気持ちが良い。


 一日に何十万人も行き交う東京駅で、すれ違う人々のほとんどとはまず関わりあうことがない。それがちょっとした偶然で人と人との関係が生まれ、物語を結びつける手段となっている。途中、結びつきかけた物語は何度もそのつながりを失いそうになる。しかし、あるときは登場人物が追いかけ追いかけられ、探し探され、またあるときは再度の偶然により、物語は結びつきを取り戻す。

 

 一生に出会う人はほんの一握り。ちょっとした偶然あるいは必然により、いろんな濃淡を持って、人は関係していき、関係しなくなっていく。そんなことを感じつつ、楽しめた一冊だった。

重力ピエロ (新潮文庫)/伊坂 幸太郎
¥660
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 物語の展開、ユーモアのセンス、多彩な引用、サイエンスの知識、等々、楽しさ満載の小説である。


 主人公の弟は、母親が強姦されて生まれた子供という、かなり重たい設定になっている。にもかかわらず、「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」という弟のセリフのように、物語全体が暗いイメージ一色になっているわけではない。主人公と弟と父親(弟にとっては育ての親)の三人の会話も軽妙で笑ってしまう。かといって、これまたふざけている感じがするのではなく、そのあたりの頃合が絶妙だと思う。


 文庫版の解説で、北上次郎氏も「この手の小説に、ストレートな感情表現は似合わない」と言っているが、長々とした心理・情景描写がほとんどなく、淡々とした文章がとてもいい。

 

 登場人物の中では、やはり父親がすごい。自分の妻が強姦されて生まれてきた子供をあそこまで愛せるのか。

 「染色体であるとか、遺伝子であるとか、血の繋がりであるとか、そういったものを、父は軽々と飛び越えてしまった。」

 軽々ではないと思うけれど、ここには、厳格でありながらもユーモアを絶やさない強い父親が出てくる。物語の終わりの父親のセリフはかなり泣けてくる。


 弟は、自らの出生に思い悩むなかで、遺伝学や人類の起源に興味を持っているが、金城一紀の「GO」で、コリアン・ジャパニースの主人公が同じように遺伝や人類の起源について勉強していたのに通じるものがある。自分のアイデンティティ、哲学、思想、人生観を形成する上で、サイエンスの分野から考えてみるという視点はなかなか共感できる。


 同世代の著者の作品を読むと時代感覚が共有できるのも楽しい。他の作品も追々読んでみようと思う。



環境エネルギー革命/金子 勝/アンドリュー デヴィット
¥1,575
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 泥沼化するイラク情勢、高騰するガソリン価格、そして、この夏の猛暑と、いやがうえにも地球温暖化やエネルギー政策に皆の関心が高まるタイムリーな時期に、この本が出た。


 冷戦後のアメリカ一人勝ち状況は、イラク戦争で大きく揺れ動いているようだ。イラク戦争の失敗によって「国際政治の多極化傾向」が進んでいる。ブッシュ政権内のネオコン勢力が弱体化し、ブッシュ政権と共にイラク政策を推し進めてきたブレア内閣も退陣を余儀なくされ、中国、ロシア、中央アジア諸国からなる上海協力機構は「単なる資源・経済協力関係から軍事・外交面での協力関係を強め」、「欧州ではこれに対抗しようとする動きが強まっている」なかで、日本政府は、イラク政策や環境・エネルギー政策において「一つ前の米国」を支持し、「国際的に孤立状況にある」という。


 地球温暖化の問題や環境・エネルギー問題がこれほどまでに国際政治の中心的課題になっているとは恥ずかしながら認識が甘かった。世界の政策的対抗軸は、冷戦時代は、「大きな政府」VS「小さな政府」であり、冷戦後は、「クリントン米政権、ブレア英政権、シュレーダー独政権と、レーガン・サッチャーの新自由主義路線に対抗する『第三の道』が登場」し、イラク戦争開戦前までは、「ネオコン型新自由主義」VS「第三の道」が国際政治をとらえる大きな枠組みであった。

 しかし、「今や世界では、環境エネルギー政策が新たな政策的対抗軸としてますます重要性を帯びてきて」おり、そこでは、「小さな政府」か「大きな政府」か、保守か左派か等の単純な枠組みでは国際政治を捉えられないようである。


 本書は、金子勝とアンドリュー・デウィットの共著で、筆者たちはこれまでにも、「反ブッシュイズムⅠ~Ⅲ」(岩波ブックレット)等で、反ブッシュやイラク戦争批判の論陣をひいている。そして、今回は、ブッシュやアメリカ社会とは切っても切れない関係にある石油資源の問題、ひいては環境・エネルギー問題を切り口に論じられ、ブッシュ政権やそれに盲目的に追随する小泉・安倍政権がいかに歴史の流れに逆行し、国際社会が取り組む地球温暖化防止への努力を妨害しようとしているかがよくわかる。


 ブッシュ型環境政策の問題点として、環境派が温室効果ガスの影響を過大評価しているという姿勢や、総量規制や具体的な数値目標を持ち込ませないことの他に、代替エネルギーとして食料を原料としたバイオエタノールの推進も指摘されている。バイオエタノールは環境負荷の少ないエネルギーとして地球温暖化対策の一環としてとりあげられる向きがあるが、「トウモロコシや大豆の値段を急騰させ」る等、世界の食糧需給に悪影響を与えていることもはじめて知った。


 また、日本は、京都議定書の削減目標の達成が危ういそうである。「日本は京都議定書の下、2008年から2012年までの5年間、温室効果ガスを基準年(CO2は1990年度)比で6%削減する義務を負」い、政府もそれを実現する国民的プロジェクトとして「チーム・マイナス6%」などと言っているが、2005年度において、基準年の排出量から既に約8.1%増加しており、実質的には、2008年から5年間で約14%削減しなければならないとのことである。


 環境エネルギー革命が、地球環境問題や国際政治を読み解くキーワードとなることを再認識した。さらには、この革命により世界経済の「長期停滞を脱する道」を開くことにつながるとの主張など、全般にわたり非常に刺激的な本であった。



号泣する準備はできていた (新潮文庫)/江國 香織
¥420
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 表題作を含む全12篇の短編集である。この作品は2003年下半期の直木賞を受賞した。


 江國香織をはじめて読んだ。ほかの作品は知らないけれど、もっと暗くてドロドロ、ネチネチした作品が多いのだろうと勝手に想像していたが、思ったよりカラリとした文体でかなり気に入った。


 この短編集は、失われた恋やこわれていく夫婦の愛情、またそうしたものの危うさを描いた作品ばかりだ。しかし、いずれも絶望感は感じない。出てくるどの女性も最後は強く生きていこうとするからだろうか。


 物語の設定が日常的で、どこにでもいそうな人物の内面を描いているので、多くの読者の共感を得るのだろう。