生物と無生物のあいだ | 読書雑記

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生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/福岡 伸一
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 青山学院大学教授で分子生物学者の福岡伸一が「生命とは何か」を問う科学エッセイ。


 「生命とは何か」という問いに対し、「それは自己複製を行うシステムである。」というのが、20世紀の生命科学が到達した一つの答えである。さらに、「分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎない」という捉え方もある。しかしながら、福岡は、過去の研究において、一部の遺伝情報を欠損させたノックアウトマウスがとりたてた異常もなく発生・成長の過程をたどるのを見るにつけ、生命には「パーツが張り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な特性」「何か特別なダイナミズム」が存在しているとして、その本質に迫っていく。


 まず、福岡は、ワトソンとクリックによるDNA構造の解明を知ることなく、自らの命を絶ったユダヤ人科学者・ルドルフ・シェーンハイマーの「身体構成成分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)」という概念を援用する。それは、「生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」という新しい生命観である。


 さらに、福岡は、「すべての物理現象に押し寄せるエントロピー増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質である」としたシュレーディンガーの予言を重ね合わせて、「やがては崩壊する構成部分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度より早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる」と指摘し、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念を拡張して、次のように生命を再定義する。


 「生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである」


 それでは、絶え間なく壊されては再構築される秩序はどのようにして維持されるのか。福岡は、ジグソーパズルのアナロジーで「その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである。」とする。


 次いで、タンパク質の「かたちの相補性」による動的平衡のメカニズムを示す試みとして、膵臓の消化酵素産生細胞にあるGP2と呼ばれる特殊なタンパク質に関する研究について、ハーバード大学における自らの研究を中心に語られる。福岡たちの研究チームは、ライバルチームとの激しい競争の末、細胞内で作られた消化酵素を細胞外(消化管)に分泌するために重要な役割を果たしているGP2の遺伝子を特定し、その全アミノ酸配列を明らかにする。


 しかし、生命の本質に迫るタンパク質の働きを証明することは簡単ではなかった。「あるタンパク質が、生命現象においてどのような役割を果たしているかを知るための最も直接的な方法は、そのタンパク質が存在しない状態を作り出し、そのとき生命にどのような不都合が起こるか調べればよい」のであるが、福岡たちの研究チームが誕生させたGP2ノックアウトマウスには何の異常も見い出せなかったのである。


 ここで、福岡は「生命とは何か」を明らかにする上で、「時間」という観念を見落としていたことに気づく。「私たちの生命は、受精卵が成立したその瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる、後戻りのできない一方向のプロセスである。」「ある遺伝子をノックアウトしたにもかかわらず、受精卵から始まって子マウス出産にまでこぎつけることができたということは、すなわち動的平衡が、その途上で、(ジグソーパズルの)ピースの欠落を補完しつつ、分化・発生プログラムをなんとか最後まで折りたたみえたということである。」


 むしろ、ノックアウトしたマウスに「何事も起こらなかったこと」や「動的な平衡が持つ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさ」にこそ驚嘆すべきだと言う。そして、「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。」と生命に対する畏敬の念を示して締め括っている。


 皆が絶賛するように内容もさることながら文章がほんとにうまい。研究の舞台となった大学の風景や街並みの描写、過去の偉大な研究者に対する人物描写、細胞やDNAの構造や働きを説明する時の比喩など、小説家あるいは詩人を思わせるような表現力である。これからも多くの著作を通じて、我々を生物学・分子生物学の神秘の世界へいざなってほしい。