マーベルに今更ハマっているんだけど、同時にディズニープラスに入って観たかったもうひとつの作品の話を少し。
あの「スター・ウォーズ」シリーズ初の実写テレビドラマ...「マンダロリアン」。
ルーカスフィルムがディズニーに売却されて、これまで六部作完結だといわれていた「スター・ウォーズ」だったが、急転直下エピソード7、8、9が作られることになり、更にはスピンオフ作品も差し挟んで、毎年新作がリリースされた怒涛の5年間が終わった。
ルーカスの手を離れた「スター・ウォーズ」は迷走し、いや全てがダメだったとは言わないけれど、それにしたってメインの続三部作は物語に一貫性を欠き、結局はただ「スター・ウォーズ」っぽい何か以上のものにはならなかったように思う。
もちろんそれなりに楽しんだし、シリーズのキャラクターのその後が描かれたことも含めて新作が積み重ねられたことは嬉しかったんだけど、一連のサーガとしてどう語られ、どう描かれたかを時間をおいて俯瞰で考えると、やはりグダグダだったことは否めない。
特にライアン・ジョンソンとかいう監督が撮った「最後のジェダイ」に至っては、連綿と受け継がれてきた世界観をぶち壊し、新たな時代に沿った新たな描き方をしたということでは決してなくて、ただ単に表層的なこけおどしというか、利己的な「新しさ」に固執した、トンデモ作品でしかなかった。
それを引きずってか、せっかく「エピソード7」で新しい物語を始めたJ.J.エイブラムスは、最後の作品で無理矢理軌道修正することばかりに偏って、物語そのものに説得力を持たせることができず、まさに無理矢理完結させるしかなかったんだろうなと想像する。
プリクエルでは権力の絶大さが仇となって、どちらかというと独りよがりだった3本を残したルーカスだったが、続三部作ではそのルーカスの手を離れたことでそれこそキャスリーン・ケネディもディズニーのお偉方にも、この偉大過ぎる「スター・ウォーズ」シリーズが手に余った、手に負えなかったという印象しかない。
たらればを言ってもしょうがないけれど、ルーカスが作っていたら...そう思わずにはいられない。
そのルーカスが秘かにテレビドラマシリーズを作ろうとしていたのはもう10年ほど前だっただろうか、1話完結1時間ものの脚本が50本書かれ、あとは撮影するだけという段階だったと聞き及んでいるが、残念ながら予算的にも規模が壮大すぎたらしく実現しなかった。
確かエピソード3と4の狭間を埋める、名もなき者を描く予定だったらしい“STAR WARS: UNDERWORLD”...いつできるのか、いつ観られるのか、期待してたんだけどね。
これは「クローン・ウォーズ」というアニメシリーズが補完したということもあり、雲散霧消...
そこに来て、急転直下、ディズニーが「マンダロリアン」をリリース、驚いたけど、嬉しかったけど、ディズニー大丈夫かという不安が先に来ちゃってね。
で、実際にリリースされて漏れ聞こえてくる評判は決して悪くなくて、続三部作を「スター・ウォーズ」を知らない人に任せてしまった失敗を反省したのか、アニメで「スター・ウォーズ」を再構築しまくったデイブ・フィローニとあのマーベルの「アイアンマン」で名を馳せたジョン・ファヴローがタッグを組んでいる、さてどんなもんか...
巷の静かな熱狂から遅れること数か月、ようやくもう8話ほぼイッキに観てみたんだけど...素直に「スター・ウォーズ」が復活した、あの世界観だ、これだ、こういうのが観たかった...素直にそういう静かな熱狂が私にも間違いなく訪れていた。
ひと言でいうとSF西部劇、スペースウェスタンなんだけど、物語の根幹はあの「子連れ狼」の換骨奪胎,まさに日本の時代劇、股旅もの、いや例えば第4話の「七人の侍」っぷりを含めてズバリ黒澤時代劇の雰囲気にも近い。
「エピソード6」の5年後というのもあるが、懐かしさだけではない丁寧に作られた、いやよみがえったあの世界で、あの鉄仮面を被ったアウトローが賞金稼ぎとして活躍する...それも不器用に活躍する、たまらんね。
しかも「子連れ狼」である中で、その子供がヨーダの種族で、まだ口もきけないような赤ちゃんながらフォースを操る、年齢的には50歳という設定だけど...まさに「スター・ウォーズ」の世界観の中から見事に抽出したなという絶妙な設定、物語。
加えてジェダイの物語に引きずられず、純粋にひとりのガンマンを「スター・ウォーズ」の世界に放り込んで素直に描いているという印象で、ファンに媚びることなく、同時にファンをくすぐる、その絶妙な距離感の含めて、自分の描きたい物語を描いた、俺はこれを描くんだという意気込みみたいなものも感じられて、ホント楽しかったな。
前に宇多丸さんか誰かがラジオで言っていたと記憶しているが、ルーカスの「スター・ウォーズ」をオマージュしたのではなく、ルーカスがオマージュした日本映画やそれこそ黒澤映画に立ち戻ってオマージュしたようなタッチがあって、そのうえでオリジナルの物語を自分の手で丁寧に描いているという印象。
でもこれは逆にジェダイを描かず、ライトセイバーを用いず、独りの賞金稼ぎ、マンダロリアンのガンマンにフォーカスして描く、ある意味その自由を謳歌し、やりたいように描いたと言うこともできるのではないか。
そういう意味ではエイブラムスやライアン・ジョンソンが背負ったようなとてつもなく重いプレッシャーに押しつぶされる危険性は比較的少なかったのかも知れない。
映画のようなスペクタクルはないけれど、連ドラならではの時間をかけてじっくり描かれるキャラクター、その描写の丁寧さを味わう楽しみ...映画とテレビドラマ、それぞれ違ってそれぞれがいい...ああ贅沢だ。
秋にはシーズン2もリリースされると言う。
世間に遅れてマーベルを追いかけていることと並行して、こちらも楽しみで仕方がない。