いまのしゅんかん -424ページ目

計画と行動

3報目の論文は、ペンディングすることにした。

指導教官にさまざまな点を指摘され、再度考察し、方法を変えてデータを解析し直したところ、もっときちんとデータを取り直さなければならないことに気がつき、執筆を止めることにしたのだ。

あまりにも、仮説を証明することばかりに気をとられ、実験の実際上の細かい問題について軽くみていた結果である。

それに、今、新しいテーマでの実験もスタートしたばかりなのだが、それがまたプラクティカルなことでつまづくことが多い。

本当に、こんなので、あと1年でプロジェクトを終えられるのか、不安になっている。

あまりにも、現実的なことで実験が止まってしまうので。

あるときには、ある機械を使おうと思ったら、その部屋の人が夏期休暇中で鍵がかかったままで入室できず使うのを断念したり、とか。

つくづく、計画を練ったり、アイデアを出すことは楽しいのだが、それを現実的なものにしていくことは大変だと思う。

こうしてああしてと考えるだけなら簡単なのだが、実際にそれを形にしていくのは、予想し得ない問題が多発して、対処していくだけで疲労困憊する。

これって、他でも言えることかもしれない。

深い関係がもたらすもの

市役所から手紙が来た。

去年、ソーシャルカウンセリングの人とのミーティングについてのレポートにサインをして欲しいとのことだった。

もう1年以上前のことなのに、、、なんとものんびりとしたお国柄である。

去年の4月、10日間ほど日本から友達が滞在しに来ており、せっかくだからと夕食後の散歩に出ることを提案したものの、娘は家から出たがらず、家の中で待つと言い張るので、しかたなく娘をおいて友達と散歩に出かけたところ、30分ほどで戻ると我が家の前で人だかりになっており、しかも警察まで来ている。

何か起きたのかと思ったら、娘は窓を開け、出窓のところで立っていたところ、それを目撃した人が警察に通報したらしい。

わたしががんぜない娘を家で一人にした結果、窓のところに立つなど危険なことにまでなったということを糾弾され、警察から市の方に連絡が行き、しばらくソーシャルカウンセリングの指導を受けることになったのだった。

そのときに、延々とこの国のシステムについて聞かされたのだが、特徴といえば、より子供をプロテクトするということであろう。

基本的には、子供に悪いことが起きないように、大人が管理しなければならないという考え方である。

たとえ子供が薄着を好もうが、寒いと大人が判断すれば無理やりにでも暖かい格好をさせるといったように。

そのほかにも、日本事情を話し、いかに日本で子供を得ながら働くことの困難についても語り、カウンセラーの方がこの国の事情について話したりした。

まぁ、ミーティングは、カウンセラーによる一方的な指導というよりは、今後問題が起きないためにどうするばいいのか話し合うためのものであった。

すなわち、日本人のわたしが一人でこの国で育児することによって伴う問題をどう解決したらよいのか、という話し合いである。

そのときに、助けを求められる人を確保する重要性について悟されたのだった。

でも、当時のわたしは、友達が少ないにもかかわらず、仕事があったせいか、それほど孤独感も感じていなかったし、困ってもいなかった。

というよりも、なかなか小さなことを誰かに頼むということができなかった。例えば、訳してもらったりとか、娘をあずかってもらうなど。でも、それができないことを、それほど気にしてもいなかった。

こんなつまらないことを頼むなんて、相手にとっては負担に感じてしまうのではないか、、、それだったら、できる限り自力でなんとかしよう、と、相手との摩擦が起きることを恐れるばかりに、自分の殻に閉じこもっていたのである。

けれども、彼と出会ったころ、まだお互いをよく知らず、雑談程度の話しかしていなかったが、我が家の前で話し込んだときに、

「でも、英語の能力に乏しすぎて、英語で論文を書いたり、プレゼンをすることが人の何倍も労力を必要とする。」

といったところ、

「君の英語はよく理解できるし、何の問題もないから大丈夫。」

といわれ、とても幸せなきもちになった。

彼が、わたしとの会話を楽しんでくれていることがわかったから。

そして認識した。

わたしも、こうして一緒にいることで愉しんでくれる人、わたしと交わりたいと思ってくれる人を欲していたのだ、と。

藤原正彦のエッセイで、アメリカに滞在しているときに、どんなにパーティに誘われたり、食事をして、大勢の人にちやほやされても孤独感はぬぐえなかったが、たった一人、ある女性と互いに好感をもっていることを感じたときに、はじめて本当に幸福感を得ることができたとあるが、まさにそうだなー、と。

信頼できる親戚や友人のいる日本とは違って、知人も少ない外国では、仕事の成果を得なければならないという大義名分のもと、いろんなことをあきらめつつ生きているものの、やはり確固たる信頼関係を誰かと築くことによって初めてその地に根がはれる感覚を得ることができるのだと思う。

彼を得るまでは、誰にも必要とされないどころか、言語もまともに操ることのできないわたしは、この国でのお荷物的存在なのではとさえ思っていたから。

彼の存在によって、はじめて、この国にいてもいいという感覚を得ることができたと思う。

この国は、税金が高く、政府からの保護があついだけに、逆に一人一人自分の人生に対して責任をもたなければならない。援助はされても、援助されっぱなしではなく、将来につながる援助でなければならない、という考え方である。

だからこそ、人との深いつながりを誰もが必要としているように思う。深い関係が、大きな助けとなりうるからである。

わたしは、恋愛をしたいというよりも、とても近しい友達を欲していたのだと思う。

恩人

日本の恩師から、エッセイの本を送っていただいた。

藤原正彦という、数学者のエッセイである。

トータルで4年間もの欧米に研究滞在経験があるだけに、共感することも多かった。

特に、日本人としてのアイデンティティと文化、慣習をしっかりもつことで、異なる文化も認め、真に溶け込むことができるということに同意した。

とにかく、外国と日本との違いを認識しながら、さまざまなことを考えさせられるのは、どこの国でも同じなのかもしれない。

日本の恩師とは、研究のことだけでなく、さまざまなことを話し合える不思議なつながりをもっている。

「バカの壁」を貸したら、妙に受けて、それから教育の話や、感性の問題について話が発展するなど、研修で1ヵ月半お世話になったときは、毎日雑談の嵐であった。

それがとても楽しかった。

恩師は、本当の意味での恩人である。

わたしは、大学時代、妙にまっすぐな上に、相手が目上であろうが、それを貫こうとする頑固さがあり、異なるものを受け入れる度量がまるでなかったので、多くの学生に疎まれていた。

それが密かではなく、表立ってされていたので、さすがにわたしは疎外感を感じ、周囲に攻撃的でありながら、同時に自分という人間が嫌いになっていた。

時には、研究室にも行けないほどだった。

でも、恩師だけは、わたしという人間を受け入れてくれていた。

確かに、わたしの欠点に辟易していたようであるが、わたしが真に好奇心や興味をもち、それを原動力にして研究に励んでいる姿勢に対しては評価してくれていた。

後から知ったことであるが、ある学生は、恩師にわたしに関する非難をし、どうにか先生の力で改善させるように懇願もしたそうだが、先生は決して学生の不満をわたしに伝えなかった。

もし、先生が本当にわたしを否定的にみていれば、それ幸いとわたしに忠告もしただろう。

しかし、わたしの努力や姿勢を評価し、他の学生にとっては不満もあったようだが、最終的にはわたしをかばってくれたのである。

それだから、わたしは間違いをたくさん犯したけれども、わたしという人間を見失わずにすんだのである。

好奇心が強い部分に対しては、素直に誇ってもいいと思えたのである。

そして、自分の誇れる部分を認識して初めて、自分の非を認めることができるようになったと思う。

たとえ、自分に過ちがあっても、それですなわち人として否定されるわけではない、という自信を得たからだと思う。

女性の25%は一生のうち一度はうつ病を罹患するそうな。

女性は基本的に真面目で、否定的なことを改善させようと努力しようとするからだろう。

わたしも、いじめにあっていたとき、自分の欠点を直したいと思っていた。

自分を変えたい、と強く思っていた。

けれども、そう思えば思うほど、「自分はダメな人間」という認識を強くするばかりで、自信がないから努力は空回り、挙句には人と交わるのが怖くなって、内側にこもっていくだけだった。

でも、このままの自分でも評価してくれる人の存在によって、「わたしのこういう部分がダメなんだな」と素直に認めることができるようになったと思う。直すのではなく、受容。

そういう意味で、恩師は、苦しさで自分を見失いかけていたわたしを救ってくれた恩人なのである。

まぁともかく、卒業してから8年もたつのに、いまだこうして交流していて、その度に刺激を受けることも多々あり、心温まる関係であるように思う。

躁うつ病

最近、ある人から彼への電話が多くかかってくる。

6~7年前に知り合った女性なのだが、躁うつ病を患っており、そのために仕事も断念し、年金が入るので経済的な問題はないが、病気のために知人友人すべて離れてしまい、完全孤独な生活を送っているそうで、唯一電話をかけられるのが彼だけなのか、頻繁にかかってくる。

つきあい始めたときも頻繁にあったが、年末からしばらくないなぁと思っていたら、ここ数週間前くらいから再びかかるようになった。

彼いわく、かかってこない期間は、病院で入院していたのだろうとのこと。

しかし、いくら頻繁にかかってこようとも、彼は「ハイ」の一言でガチャンと切る。

その度に、せつない想いにさせられるのである。

「助けられないから。」

「誰も助けることなんてできないよ。でも、話くらいならできるじゃん。いい人ぶって「助けられない」って言い訳するけど、それが理由じゃないんでしょう?人って、基本的に自己中心的なんだよ。誰も他人のために生きているわけじゃなく、自分のために生きているものなんだから。」

「確かに、、、自分の生活が大切で、彼女にわずらわされるのが怖かったから。」

彼のきもちもよく理解できる。

わたしも、高校時代の友人が、大学時代に登校拒否になってしまい、電話したものの、次々と否定的なことばかり口に出る彼女に、どういうことばをかけたらいいのか困惑したことがあるからだ。

「そんなことない。」「あなたは優秀な人だよ。」と言ったって、本人が自分を否定している限りは何の慰めにもならない。

しかも、共感することもできない。「そんなことないよ。」と言いつつ、なんでそんな悲観的に思ってしまうのだろうという感情さえもっている。

彼女はわたしよりもはるかに優秀で、大学だって日本屈指の有名校。なおかつ運動神経抜群で、非の打ち所のない彼氏もいるなど、はるかに恵まれた状況にいながら、どうして自分を貶めるのか、まったく理解できなかった。

自分のことばはまったく届かないのに、延々と悲観的なことばかり言われるのも気が滅入ってしまうものである。

しかし、躁うつ病患者は、一般的に優秀で真面目な人が多いようである。

その彼の知人も、大学で教授のポストについていたようだし、彼の初恋の相手も小さい頃から頭脳明晰で快活で何の問題もない子供であったのに、大きくなってから躁うつ病にかかってしまったとのこと。

主な原因はストレスと言われているが、真面目な人ほど、なかなか現状に満足できず、「これではダメだ」と自分を追い込みやすいのではないだろうか。

そして、躁鬱病に罹患すると、やる気などが喪失してしまうので、ますます自分が動けないことにイラだちを覚えてしまう。

躁鬱病を改善させるのは困難であるが、「できない」ことに対して否定的であるのが、ますます拍車をかけているような気がする。

本人もまわりも。

彼などは、ちょうど1年前、離婚を決意してしばらくは落ち込んでいたという。

でも、悲しみはあったが、両親の愛情に支えられ、自分を見失うところまではいかなかったと思う。

奥さんにでさえ責めることもなく、かといって自分を否定することもなかった。

小学校時代からほとんど友達ができず、ガールフレンドもできず、やっと外国人の伴侶を得たと思ったらとんでもないくせものだったという過程を経ながら、両親だけはどんな彼も受け入れていた。

まともにガールフレンドができない彼をおかしいなどとちっとも思っていなかった。

だから、彼自身、ガールフレンドができない自分を素直に認めていたのだと思う。

普通とは違う状態を認めること、受け入れること、共存すること。

とても難しいことだけれど、とても大切なことだと思う。

そういう意味で、病気を治して欲しいと思ってしまうことも、また否定につながっていくのかもしれない。

レゴランド旅行

ヒュン、ユトランド旅行(1)


彼のご両親と、弟一家と、総勢9名の家族旅行に行ってきた。

行き先は、世界的に有名なレゴが経営する、レゴランドである。

途中で、アンデルセン生誕200周年で沸くオーデンセ(アンデルセンの生誕地)という街にも寄ったのだが、トータルで3泊4日の旅行はとても充実したものになった。

ヒュン、ユトランド旅行(3)

オーデンセには去年も旅行で行き、本も買ったりして、改めてアンデルセンの知らない話なども読んだりしたのだが、今回は仮装もやっていて、アンデルセン童話に出てくる舞台設定の中、娘はドレスに着替えてプリンセス気分を味わうなど、また違う愉しみかたをしたようだ。

レゴランドは、予想を超えて、とてもよかった。

この国で有名なチボリよりも、日本人観光客をたくさんみられたこともうなずける。

レゴランドホテルに泊まったのだが、まるで夢のようなホテルだった。

各所でレゴで遊べるスペースがあり、レゴの得意な彼やレゴ好きな娘はしゅっちゅう何かを造っていた。

ヒュン、ユトランド旅行(4)

ヒュン、ユトランド旅行(10)

レゴランドでは、レゴで組み立てられた建物や街並みなどもたくさんあり、観るだけでも楽しい。

ヒュン、ユトランド旅行(5)

ヒュン、ユトランド旅行(8)

ヒュン、ユトランド旅行(7)

レストランでは、各国の旗をレゴで組み立ててくれた。

 

ヒュン、ユトランド(2)

 

彼が造ったドラゴン。「K 4さい」 オイ!

 

ヒュン、ユトランド旅行(6)

 

 

彼の弟の娘さんとも仲良くなり、言語は違うのに、子供のコミュニケーション力に圧倒される。

今度は、彼らの住むオランダに行きたいそうだ。


ヒュン、ユトランド旅行(9)  

レゴは、コンピューターゲームの台頭や、レゴが長く使えてしまう玩具であることから、経済的困難に陥っており、レゴランドもアメリカのアミューズメント会社に70%の株を売ってしまったのだが、やっぱり創造性を刺激させるレゴはすばらしい玩具であると思う。

なんやかんや財布のひもがゆるんでしまい、買い物もたくさんしてしまった。。。。

わたしにとっては、ディズニーランドよりも魅了される空間なのであった。

ミュージカル

ミュージカル


一ヶ月も前から彼のお父さんがアレンジしてくれたイベント。

それは、野外ミュージカル鑑賞である。

日本語にも翻訳されているが、スゥエーデンの女流作家によって書かれた「長ぐつ下のピッピ」の話がベースになっているミュージカルである。

時々、そのドラマが放映されるのだが、娘はその番組が大好きで、それを慮ってお父さんが勧めてくださったのである。

ピッピは、すでにお母さんを亡くし、お父さんは船乗りで家を不在しがちなので、子供ながら一人住まいをしているのだが、実にユニークな子供で、力もちで創造性豊かで、社会にはなかなか適応できないものの、お父さんからの送金で一人でもたくましく生きている。

近所に住む友達と一緒にサーカスに出かけて、大の大人と力比べをしたり、泥棒が家にやってきてお金の入ったバッグを渡すものの重くて泥棒たちは盗めずず一枚ずつコインを渡したり、一人暮らしを懸念して施設に送ろうと、おまわりさんや役所の人がやってきてもケムに巻いたり。

2時間のショーだったけど、歌もふんだんに入っていて楽しかった。

終わってからも、近くの大きな木に登って遊んだり、自然素材で造られた公園で遊び、かれこれ3時間はそこで過ごした。

実は、息子さんが元奥さんのお母さんに引き取られている間、娘はずっと不機嫌だったのだが、息子さんが戻ってくるなり上機嫌。

今日も、大人抜きで、二人でず~っと楽しく遊んでいた。

よく二人でごっこ遊びをするのだが、それだけでなく、娘が木登りすれば息子さんもトライをし、娘が遊具に上れば息子さんも上ろうとする。いつも一緒で、本当に仲良しの二人なのである。

保育園に行っているし、兄弟なんていなくてもいいと思っていたけど、娘にとっては、やはり別の子供を欲していたんだなぁ。

息子さんが不在のとき、わたしたちは娘をバレエ鑑賞とレストランに連れて行ったけど、それよりもこうして息子さんと遊んでいるときのほうが、よっぽど満足気に見えるのだった。

木登り

対立

日曜日にイベントに行くので、土曜日には息子さんを返して欲しいと申し出ていたが、なんと12時に元奥さんが住むアパートに来て欲しいとのこと。

どうやら、元奥さんのお母さんはそこで息子さんと滞在していたらしかった。

強い雨も降っていたので、お父さんに車を出してもらい、皆して出向いていったのだった。

すると、以前に、息子さんを引き取る度に大きなプレゼントを持参してきても、狭いアパートではもう置き場もないので、プレゼントは元奥さんのところで保管しておいて欲しいと頼んでおいたにもかかわらず、またまた大きなプレゼントを引き取ることに。

本当に置き場所もないので、引き取れないと固辞したところ、ものすごい剣幕で、

「なんでK(息子さん)のプレゼントとしてあげているのに、毎回引き取ってくれないのか。」

と怒り出した。

元奥さん同様、一切聞く耳もたずで、しかも車で待機していたお父さんに対しても抗議してきたので、元奥さんの部屋で2人で話し合うことになった。

30分くらいたっただろうか。

お父さんは戻ってきた。

プレゼントのことは、なかなか理解してくれなかったとのこと。

いくらプレゼントを買っても、引き取ってくれないということが、彼女の孫息子に対する愛情の否定につながっているとみなしたからだろう。

しかし、問題の根底は、プレゼントそのものではなく、元奥さんとわたしとの関係にあり、互いに存在を受け入れられないことが、さまざまな問題-すなわち、プレゼントは持参せずに保管して欲しいことや、息子さんを引き取るときには事前にアポをとり、なおかつ保育園で息子さんを引き取りかつ保育園に送ることで家には一切来て欲しくないこと-を生んでいるということを話すと、攻撃的だった態度を急に変えたとのこと。

孫息子が、わたしにどんな扱いをされているのか、心配になったらしい。

また、元奥さんがウソをついて母国に帰り、いざお金がまわらなくなってから無心をしたり、銀行との交渉を頼んでくるなど、自分でまいた問題を自力で解決しようとしない無責任な姿勢について言及すると、言語が堪能なのに、理解してないフリまでしだしたとのこと。

わたしは息子さんをとても大事にされていることをお父さんは話してくれたものの、そんなふうに疑われたのがショックだった。

自分の娘は、勝手に母国に帰って、1ヶ月も息子さんに電話もしなかったのに、それについては棚におき、その間誰が息子さんの面倒をみていたのか、考えたのだろうか。

自分の孫息子を恋しいきもちばかりでいっぱいになって、元奥さんが母国で楽しんでいる間、一体誰が一緒に遊び、ごはんを作り、保育園の送り迎えをし、成長について悩み、楽しいことだけではない、苦しさも伴う育児を担っているのか、考えもしないのだろうか。

9日間面倒をみるといっておきながら、たった3日間でギブアップしたのに、常に面倒をみているものには敬意も示さない。

もらったプレゼントは、ゴムプールと同じ材質の膨らませて使うもので、1.5メートル四方のジャンプできるボックスであり、アパートでは階下に迷惑がかかって室内で使うことができないので、仕方なく彼の両親宅の庭に置かせてもらうことになった。

こういうのも、我が家の事情を慮らずに、ただ孫息子に何かをあげたい欲求を満たしたいだけなのだろう。

というか、いたずらに大きくて、それでいてすぐに飽きてしまうような安物をたくさん買うのではなく、彼のように図書館に行って本を読んであげたりとか、レゴブロックを一緒に作って楽しむとか、一緒にお菓子を作るとか、一緒に遊ぶことによってもっと充実した時間を過ごせばいいのに、と思ってしまう。

自転車だって、買うだけ買って、こっちに持参し、練習につきあっているのは彼である。

何か買ってもいいけど、どうしてそれで一緒に遊ばないんだろうと思う。まるで、買うだけで満足しているようである。

しかし、こういう祖母が当然のようにもつ愛情ですら、ケチをつけたくなるのも、わたしの元奥さんに対する感情に起因しているのだろう。

でも、彼がいうには、きっと元奥さんのお母さんも、本気でわたしたちが息子さんをぞんざいに扱っていると疑っているわけではないし、元奥さんに対してもきっと叱責しているだろうとのこと。

ただ、自分の娘についてわたしたちに詫びることは決してしないだけ。

普通、娘の問題を彼のお父さんが援助したのなら、それに対して感謝のひとつでも言うべきだと思うのだが、あくまでもシラを切るのは、プライドがそうさせているようである。

元奥さんが、母国滞在で無心をしておきながら、帰ってきてからお父さんの車に乗るのを拒んだのもまさにそれで。

そして、わたしもプライドが高い。

わたしの状況を慮らずに勝手なことをされたり、干渉されるのは大嫌いである。

だから、衝突するのだろうし、傷ついてしまうのだろう。

自分のことしか考えられないもの同士の対立で、神経が消耗しきってしまった。

結婚記念日

レストラン


7月29日。

今日は、彼のご両親の38回目の結婚記念日。

それで、食事を同伴させてもらうことにしたのだった。

しかし、さすがに、いつもの汚らしい格好でレストランに行くことがはばかれたので、少しだけこぎれいな格好になろうと服を物色したものの、カジュアルなスカートがなく、少しフォーマルっぽいワンピースを着ることにしたのだった。

なんせ、毎日自転車に乗っているので、スカートをもっていても着る機会がなく、ほとんど日本に置いてきたのだ。

というのは言い訳で、日本で毎日車に乗る生活でも、スカートなんて滅多にはかなかったが。動きにくいし冷え性で足を冷やしたくないから、もともと好きではないし、大学時代以降、私服が許されてから、自転車部活動やら、研究生活やら、育児などで、ジーンズが圧倒的にラクだったのである。

すると、彼のお父さんが異様なまでにわたしのギャップに反応してしまったのである。

自分たちもスーツに着替えるとともに、急遽、もっと高級なレストランに行くことに決めてしまったのだ。

それこそ、この国で5本指に入るであろう、レストランに。

ひえーーー、わたしはもともと予定していたレストランで充分だと思っていたんですが!

というか、フォーマルっぽいとはいえ、それほどおしゃれしているわけでもないのに、それだけ元がひどいってこと?

申し訳ないきもちになりながらも、少しわくわく。

高級レストランなんて、誰かの結婚式以来のことではないだろうか。

すると、どんどん郊外の方へ車は行き、とても風情のある古い町並みの残った地域の一角にレストランはあった。

隣は教会で、かつてはここが町の中心であったのだろう。

レストランは、1670年ごろに建てられたそうだ。からぶき屋根がまたいい味を出している。

部屋の中も見事で、落ち着いた感じだった。

子連れなんてもったないところだった。

で、いろいろ思い出話をした。

先日急死された親友の話とか。

彼は、お葬式のとき、背中を痛めているお父さんのかわりに、お棺をもつ役割を担ったのだった。

また、ここは、彼の弟のバップタイスム(洗礼式)のときと、お母さんの60歳の誕生日のときのパーティ会場でもあり、いろんな思い出もあるらしい。

誕生日パーティの日の早朝に、彼の元奥さんと息子さんが母国滞在から帰ってきたのだが、どうしてもタクシーに乗りたいと彼のお父さんの車に乗ることを拒み、彼ともめた挙句に出席をキャンセルし、お父さんはひどく失望したとのこと。

彼いわく、母国滞在で、さんざん彼のお父さんに無心したことを恥じて、お父さんに顔をあわせたくなかったのだろうとのこと。

わずか1歳2ヶ月の息子さんは、長旅の疲れでずっと泣き続け、途中で彼は断念してレストランをあとにしたのだそうだ。

このとき、お父さんは、いつか彼は離婚することになるのでは?と予感したとのこと。

そんな苦い思い出があるが、彼は今日やっと堪能できている。

本当、そうだなぁ、と思う。

食事って、料理とか場所の質だけでなく、どれだけ愉しめるかってこと。

どれだけリラックスして、その場を楽しめるか。

それが、おいしいと感じることのできる、一番重要なファクターだと思う。

高級なところに連れてってくれたことよりも、わたしたちといい時間を過ごしたいというそのきもちがうれしい。

形にしていくための過程

論文修正

や~っと、学会関連の投稿論文を提出した。

一時はどうなることかと思ったが。

というのも、学会の直後から、メインの指導教官である教授が、学会や夏季休暇などで、1ヶ月も大学を不在しており、ディスカッションや修正をしていただく機会がほぼない状態だったのだ。

しかし、運良く、学会側が締め切りを一ヶ月延期したので、休暇明け早々に教授をつかまえて、なんとかミーティングのアポをとり、ようやく完成に至ったのだった。

6月の中旬のころ、教授の休暇直前に、コメントをいただいていたのだが、「君の推論で、何を言っているのかよくわからん!」といった、非常にあいまいで、しかも簡単に修正できそうもない厳しい内容で、自分だけの力だけではどうにもならんと判断し、世話役の指導教官とのディスカッションはもちろんのこと、日本の恩師に頼んで送ってもらった資料を総動員させて急遽参考文献を増やしたり、授業でお世話になった教授とディスカッションして理論的な知見を得るなどして、大幅な修正をほどこし、その結果、教授もわたしの主張に対して納得してくださったのだった。

昨日のミーティングの前は、締め切り5日前のこの期におよんでまた難しい注文をされたらどうしようと不安にかられていたが、深刻なコメントはなく、推論に関してちょっと提案があったぐらいで、心底ほっとした。

でも、教授の厳しいコメントで修正する過程の中で、新たなアイデアがわき、主流のテーマとは異なる別のテーマについて、別の同僚とコラボレートしようということになったり、授業でお世話になった先生にある分析のコラボレートをお願いしたり、ただ論文を出すということのみならず、さまざまな可能性が出てきて研究の幅が広がったので、苦しかったけど、いい機会を与えてもらったと思う。

いやぁ、本当、今回は前回以上に、いろんな人を巻き込んだと思う。

実は、先週、出版社から一報目の論文の校正依頼がきて、修正して送り返したのだが、あと1~2ヶ月したら出版される予定である。

そして、3報目の論文も、指導教官に見てもらっているところで、落ち着いたら本格的に修正作業に入る。

また、徹夜までしてとった、かなり興味深いデータが引き金になった4報目の論文のリソースとして、9月に分析のコラボレートをする予定である。

5報目の論文のデータ取りのための装置がやっと立ち上がり、今、サンプル作製を早朝からスタートさせてやっているところだ。

乗り気だった仕事の件が、あいまいになってしまい、やる気を失っているところだったのだが、まぁなんだかんだ物事は徐々に進んでいて、その中でいろんなことがあり、何かがダメになったとしても、別のことをクリエイトすればいいのだな、と思っている。

可能性はいろいろ転がっているわけで。

というか、何かがダメになって落ち込んでも、無駄なエネルギーにしかならないんだってこと。

どんなときでも、自分のペースを保ってやっていくしかない。

なかなか形にならなくてイライラしていたのだが、結果に固執して自分を見失いそうになったことを反省している。

充実を求めて

おやゆび姫


連夜で、同じ遊園地に行ってきた。

でも、念願だった、「おやゆび姫」のバレエ鑑賞はとてもよかった。

混雑を予想して、席取りのために1時間も座って待ったけど、その甲斐があった。

ダンスや音楽はもちろんだけど、なんといっても圧巻だったのが、舞台の設定道具と衣装。

葉の上にのったおやゆび姫が、蝶に引っ張ってもらって池の上を移動する場面など、背景の布が動いてあたかもあやゆび姫が動いているようにみせたり、ねずみともぐらに気に入られて地下にいる場面も、本当に地面の下にいるような陰鬱な雰囲気を醸し出していた。

また、衣装は、この国の女王様がデザインしたものだそうだ。

芸術センスに秀でておられるとは聞いていたが、姫や王子、妖精だけでなく、数々出てくる動物(てんとう虫、ガマガエル、もぐら、ねずみ、蜘蛛、ツバメ、蝶)の衣装がどれもキュートで、その才能の高さがうかがわれた。

娘は、終わってからもずっとダンスをしていた。

よほど、印象的な舞台だったのだろう。

それともうひとつ。

娘にある機会を与えたのだった。

こないだの誕生日会で、わたしは娘にキャラクターものの財布をプレゼントしたのだが、娘はそれで本当に買い物をしたいと欲したので、コインもあげたのだ。

2歳のときにも、わたしが買い物をする行為に興味をもち、自分で折り紙の財布を作り、紙をちぎってお札を作り、スーパーで本当に店員さんにその手製の「お金」を渡したことがあった。店員さんは、笑ってその「お金」を受け取ってくださり、もちろんそのあとでわたしは本当のお金で払ったのだが、娘はそれで満足したのだった。

で、この遊園地で、その限られた資金でたったひとつ何かを選んで買い物をする、ことを目的のひとつにしていたのだった。

まだ早いかもしれないが、お金についてもそろそろ学んで欲しいと思っていたから。

遣ったらなくなる、だから、お金は尊重するべきものだ、ということを体感して欲しくて。

結局、キャラクターもののレターセットを選んで自分で買ったのだが、案の定娘はまたお金が欲しいと言ってきた。それで、

「ほら。買ったからお金はなくなったでしょう?お金って、そう簡単に手に入らないんだよ。だから、よくよく考えてお金を遣いなさい。」

ねだるのは、簡単にお金が手に入ると思っているから。

なくなったら、すぐに補充できるものだと思っているから。

そうではないことを、自分でお金をもって遣うことによって、認識してくれれば幸いである。

ちなみに、この遊園地は、3500円程度の年間入場カードを入手しており、無料ショーを観るだけためだけに、よく行くようになった。

もちろん、子供たちは乗り物も乗りたがるのだが、そこは我慢させつつ。

でも、無料である、ダンスショーや音楽の生演奏、美しい庭園を観るだけでも、愉しいものである。

そういえば、近所の野外博物館での、パントマイムや、藤工芸体験もよかった。

お金をかけなくても、愉しめることも知って欲しいと思う。

いや、お金はかかってしまうものでもあるのだが(今月は、旅行、誕生日などでいつもよりも出費が多い)、充実するような上手な遣い方をしたいものである。

工芸体験