いまのしゅんかん -426ページ目

日焼けトラブル

野外プール


今週の火曜日、気温が30℃近くまで上がるというので、急遽休暇をとり、野外のプールがあるサマーパークに行ってきた。

そう、先月、娘と彼と3人で行って、しょぼそうなのに、思いのほか気に入ったアミューズメントパークである。

しかし、前回はとても寒く、彼と娘はトライしたが、わたしはとてもプールに入れなかった。娘もすぐに寒くて着替えてしまったが。

しかし、今回は暑いせいか、休暇をとっている人が多いせいか、やたら人が多い!!

こないだ人が少なかったのは、しょぼいせいではなくて、気候のせいだったのね、、、。もっとも、それでも他のアミューズメントパークに比べれば少ないが。

今回は暑いので、わたしたちはほとんどプールで過ごし、別の乗り物とかはほとんど着手しなかった。でも、3種類もあるウォータースライダーを何回もトライできたし、大満足!!

、、、、と思っていたら、

彼が深刻な日焼けをしてしまったのである。

家を出る前に、服から出ている部分はサンオイルを塗っておいたものの、うっかりオイルをもっていくのを忘れてしまい、オイルを塗っていなかった服で露出されない部分が、水着になって容赦ない日差しにがんがん曝されることになってしまったのである。

当日火曜日の夕方には早速赤くなって熱を帯び初め、

水曜日には虫さされのような赤ふくれが上半身の前部分全体におこり、

木曜日にはひたすらかゆい、と。

わたしも、オイルを塗ってなかったが、せいぜい茶色くなっただけなのに。

プールには、真っ黒に日焼けしているこの国の人たちもたくさんいた。

彼は、典型的な北欧人というか、この国の人たちの中でも、極めて色がうすい方だ。

赤毛で、真っ青なブルーアイで、肌は真っ白。まつ毛なんて見事に真っ白である。

赤毛のアンでも有名だが、赤毛の場合、色が白くてそばかすになりやすい傾向がある。

日本人でも、色が白い人は、そばかすが多いように思う。

彼はまさにそうで、日差しにあたると、茶色くなって次第に消えるのではなく、赤くなってそのあとしみとなって残るタイプである。

顔のそばかすのみならず、手の甲や腕、背中はしみの斑点だらけ。子供のときは特に肌の抵抗力が弱く、しょっちゅう肌のトラブルに見舞われていたそうだ。

面白いのは、彼の息子さんは、やはり色が白いのに、まったく赤くならない。

アジア人の血がまざっているからだろうか。

しかし、アジア人とのミックスにしては、色が白い方だそうだ。

それにしても。

こういうときに、彼が外国人なんだということを改めて意識させられる。

わたしはそれほど問題にならないが、彼の場合は日焼けに対してもっと気をつけなければならないのだということ。こんな結果、まったく予想もしていなかった。

話している分にはあまり意識しないけど、体質の違いなどはどうしようもないというか。

さすがに、レジャーつづきで、疲労困憊。

財布もさびしくなってきたので、しばらくは地味に過ごすつもりである。

手続きの違い

来月から始まる語学学校の日程、クラスが決まった。

一日3時間のクラスを希望していたつもりだったが、結局2時間のクラス。しかも、週に2回しかないから、相当遅い進みになると思う。

とはいえ、仕事があって、そのあと家事をやってからだから、2時間でせいいっぱいかもしれないが。まぁ、実際に始めてみて、状況を把握してから、また相談してみようと思う。

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バカンスも終わったので、今、いろいろと個人的なことで調べている。

わたしは、日本では、旧姓に戻ったが、この国では名前を変えていない。

ここでは、国民総番号制で、あまり名前には強く問われることがない。

しかも、互いにファーストネームで呼び合うのが普通なので、ラストネームが変わっても、特に日常生活には差支えがないからだ。

とはいえ、わたしは、論文には、旧姓の名前で出版されることにしている。

当然、学会からの連絡があるわけで、そこで事務の人が混乱してしまうことがあるので、できたら変えたいと思ったのだ。

しかも、あと1年でパスポートが切れる。

半年切ると、使えないケースも出てくるので、ちょうど今、名前を変えて再発行しようかとも考えている。しかしそうなると、この国で登録されている名前と違ってしまう。ビザとかの問題で、支障がでてくるのではないか、と懸念するようになったのだ。

それで、とりあえず、名前を変えて登録するにはどうすればいいのか、市役所に行ってみたところ、

「ここで名前を変えられるのは、結婚して変わるケースだけ。離婚で変わるのだったら、離婚専門の機関に行ってもらわないと。」

「でも、名前を変えないとして、別の人と結婚する場合、今とは違う名前で、ここで新たに登録することも可能なんですか?」

「う~ん、あなたは外国人だから、ちょっと複雑な手順を踏まなければならないのだけど。本国で、離婚したという証明と、今あなたが独身であることを証明する書類を入手し、その翻訳文も添付して提出してくれれば、名前が今と違ってても登録はできるわよ。離婚したということは、こちらからその機関に送付しますから。」

離婚の機関まで行かなければならないとなると、はっきりいって面倒くさい。

お金も1~2万円程度かかるだろう。

事務には、日本での姓を通知しておいて、とりあえず市の登録はそのままにしておくか、、、。

とりあえず、パスポートを申請しなければならないのは変わらないから、それを優先することにした。

そもそも、この国では、離婚しても、夫の姓をそのまま残す人が多いらしいし、市役所で基本的に名前を変える業務がないことからして、結婚以外では名前を変える強い動機はあまりないようである。

というか、前にも書いたが、家族という枠組みではなく、あくまでも個人としてとらえるので、結婚でも名前を変えるかどうかは自由だし、ファミリーネームに対してあまり強いこだわりもないというか。

ちなみに、彼の元奥さんは、本国および大使館で結婚の登録をしていないので、パスポートは旧姓のままであるが、この国では、彼の姓で名乗っている。名前が違っていても、たいした問題ではないそうな。

ついでに、日本大使館のウェブサイトにアクセスして、いろいろと調べてみた。

パスポートもそうだし、運転する機会が多い今、できれば免許証も入手したいと考えていたので。

あと、ひとつ、気にしていたこともあったのだ。

というのは、元奥さんは、結婚する際、いったん本国に戻り、自分の身分を示す原版を入手し、それをこの国の大使館にもっていって翻訳してもらい、その書類も携えて、結婚届を提出したそうだ。

正直、これをわたしもやらなければならないんだとしたら、キツイなぁ~と。

確かに、まだ結婚すると決めているわけではないが、プロジェクトが終わったら決断しなければならず、その結果次第で結婚の必要性も出てくるかもしれない。しかし、そのために日本に帰るのも、コストがかさむ。

すると、この国にある日本大使館で、結婚の際必要な離婚証明と、独身証明を発行してくれるそうだ。

わざわざ日本に戻って、10時半~12時しか開いていない代官山の大使館に行く必要もない。

指導教官も言っていたが、差別ではないが、国によって見方が変わるのだそうだ。

日本人は、勤勉で真面目である評判が高いせいか、比較的好意的に受け入れてくれることが多い。

しかし、元奥さんの母国の人たちに対しては、悪しき前例が多いだけに、信用してなく、あくまでもこの国に属する機関で発行するものしか受け入れないということらしく、母国にある大使館に行かなければならないようである。

実は、彼は、日本人であっても、同様の処理をしなければならないと思っていたようで、わたしが「え~、指導教官が日本人の奥さんと結婚するときには、わざわざ日本に帰らなかったってよ。」と言っても、「10年以上前のことでしょう?今は外国人の移住も厳しいし、変わっているかもよ。」と懐疑的だったのだ。

元奥さんのお母さんがこの国の人と結婚するときには、書類の不備などで、3回も母国に帰ったそうだ。彼はよくよく気をつけていたので、スムーズにいったらしいが。

だから、ここで、日本人の場合は、日本大使館で発行したもので受理されるとわかって、日本人との違いを改めて認識したようである。

「彼女は、よくウソもついたし、僕のカードを黙ってもっていって使ったこともあったけど、きっと彼女はそれが悪いことだという認識もなかったと思う。T人は、ウソつくことが普通だから。でも、ウソついたり、だますことが前提になっているから、雇用者も従業員を信用していない。お店は必ずダブルチェックなんだよ。信用がないから、何かをすることに、とても労力いるんだよね。」

彼の知人もまた、元奥さんと同じ国の女性と結婚したが、3歳の子供を母国に残していることを隠し、本当は4人の子持ちなのに、3人子供がいるということで、この国に登録したらしい。

どれが悪いというのではなく、その国それぞれの常識というものがある。

母国にいるときには、意識することもないが、外国に移ることによって、その差をうめるべく、労力が要求される。

お金とのつきあい方

なんと、彼の元奥さんが、ついにクレジットカードを使えなくなってしまったそうだ。

おりしも、地方都市で出稼ぎに行っている間に。

日本では、インターネットの決済のほかは、店頭でカード決済することはあまり一般的ではないと思うが、この国ではほとんどカード決済ですませる。カードのコードを簡単に読み取ることができる機械がほとんどの店頭に置いてあるので、非常に短時間で決済できるのである。手数料はかからないし、おまけに店頭で余分のお金を引き出すことも可能。いちいち銀行のディスペンダーで現金をおろす手間を省けるので、わたしはほとんど現金払いはしない。セキュリティーの目的もあるが、所持金は常に2,000円程度である。

彼女は今遠くの地方都市に滞在しているのだが、さすがにカードの使えない不便さに耐えかね、彼に代わりに銀行に行って、事情説明を受けるのと、カード使用再開について問合せに行って欲しいと頼んできたそうだが、彼はこれは彼女の問題だからと断ったそうである。

おそらくは、残高を気にせずに遣い過ぎたために、銀行側がカード使用をとめたのではないか、とのこと。

家賃払いもあるし、おまけに市への借金返済もある。先月は水ぼうそうにかかってほとんど働くことができず収入がないはずだから、あっというまに底をついたのだろう。

だからこそ、あまり刹那的に生きるとリスクが伴う。備えも考えずにすぐにあるだけお金を遣ってしまうから。いざというときに、どうにもならない。

「きっと貯金が回復しても、カードはもう使えないと思う。でも、その方が彼女にとっていいんじゃないかな。カードが使えると、残高を気にせずに散財できるから。店頭では、残高に関わりなく、銀行側が止めない限り、支払いができてしまうでしょう?でも、ディスペンダーでは、貯金がつきるまでしか現金は引き出せないから。」

実は、去年、彼女はある刑事事件に巻き込まれたために、その賠償金としてかなりまとまった金額が小切手として送金され、彼のお父さんが昨日それを彼女の口座に入金したのだが、それもきっとまたたくまに消えてしまうような気がする。

いざというときのために、その半額は、彼のお父さんへの借金返済にあてるという合意を得ているものの、それも本当にされるのかどうか、わたしは疑っている。

以前も、返済すると言いながら、即座に翻意したことがあるので。

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彼のお父さんの、亡くなった友人の切手のコレクションを一部買い取るために、不整脈で体調が安定しないお父さんに代わって、彼がアイスランドに行く可能性が出てきた。

遺産を管理しているのは、オランダに住む娘さんであり、買い取るためのアレンジは、彼女の都合次第で決まることで、本当に実現するかどうかはわからないのだが、なんと、400万円の買い物だそうな。

「あの、、、そこまでして切手に執着する意味が理解できないのだけど。」

わたしは聞いてみた。

どうして、アイスランドのキャンセル(消印)付きの切手収集にはまっているのか、それは、アイスランドの独特の郵便システムに理由があるそうだ。

アイスランドは、広大な国土をもちながら、たった30万人弱しかいない小国である。

レイキャビックのような都市はまぁ他国の都市に遜色ないのだろうけれど、別の土地は、100人いればいいほうで郵便局も存在するが、さらにぽつぽつとしかいない土地は、郵便局がなく、ある所定の人が代わりに消印を押し、定期的にやってくる郵送便にその手紙などをのせるそうである。

したがって、その個人が押すような消印は、3世帯とか5世帯とか数が著しく少ないだけに非常に珍しく、その稀少さも手伝って、惹き付けられるそうだ。

お父さんらしいなぁ、と思った。

デザインとか、色使いとか、外見の美しさではなく、その個人の履歴にドラマを感じて惹かれるところが。

実際に、そういう切手に関する文献も、たくさん読んだそうだ。

確かに、社会のあり方とかも垣間見れて、意外と深いのかもしれない。

400万円は確かに大きな金額ではあるが、お父さんは基本的にかなりつましい生活をしている。旅行もしないし、外食もしないし、物もたくさんもっているわけではない。

切手が唯一の趣味であり、だからといって切手に費やしているのは、貯蓄に対してわずかな割合でしかない。好きだからといって、それに全精力かけているわけではない。

しかも、ただ買うだけではなく、文献を読み、自分でも論文を書き、他のコレクターと盛んに情報交換し、買うまでの過程をも愉しんでいるようである。

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つくづく、お金との関わり方は、人それぞれだなぁと思う。

お金のつくりかたも、お金の遣い方も。

スコットランドでのサミットで、アフリカ支援について議論したそうだが、彼が、

「でも、資金援助しても、本質的な解決にはなかなか至らない。お金はあっというまに消えてしまう。システムが改善されない限り、一時的な解決にしかならないよ。もし、無料で食べ物が手に入ったとしたら、君は食べ物を買わないだろう?そしたら、農夫はやる気を失って、ますます生産力が落ちてしまうことだって考えられる。援助に依存する限り、本質的な助けにはならない。自立するための援助じゃないと、意味はないんだよ。なのに、学校設立のための支援をしても、実際には別のことで資金は消えてしまう。だから、意外と根が深い問題で、解決は難しい。」

激しく同意である。

わたしが、彼の元奥さんがまとまったお金を手にしても、お父さんに借金返済はしないのではと疑っているのも、まさにそこである。

感覚や意識が変わらない限り、きっと彼女は永遠に経済的な問題を抱え続けると思う。

バカンス

バカンス(5)

 

先週の一週間、国内の南の島にバカンスに行ってきた。

夏は毎回日本に一時帰国していたので、今年初めてこの国で休暇をとることになり、それはそれで新鮮で楽しかったが、反面疲弊しきった。

正直、一週間が限度、と思ったほどだ。


この国は、恐ろしいほど物価が高い。

その上、厳しい冬のために夏にしか商売が成り立たないサービス関係は特に高い。ホテルは、シングルであっても、1万円以下のところを探すのが困難であるほどである。

したがって、比較的安いサマーコテージで、自炊しながら過ごすのが、かなりポピュラーな長い休暇の過ごし方のようである。

サマーコテージを自前でもっている人も多くいるが、レンタルも一般的である。

わたしたちは、南の島のビーチの近くにあるサマーコテージを、一週間レンタルしたのである。


だから、結果、まったくリラックスできなかった。

場所が違うだけで、やっていることは変わらないというか、、、

1回きりの外食を除いて、毎日3食用意したのだが、それが結構あわただしい。ランチのあと片付けたと思ったら、もう夕飯のメニューを考えて買出しして、、という繰り返しだった。


もちろん、ただビーチで過ごすのではなく、遠出もした。

車の運転をし、なおかつ毎回夕食も作れば、疲れるはずである。


だけど、子供たちは大変満足したようである。

違う家に泊まること自体新鮮でエキサイティングであるが、違う島に行ったり、蒸気機関車を乗りに行ったり、スイミングホールに行ってウォータースライダーですべったり、ミニゴルフに挑戦したり、大きな遊園地に行ったり、体験したことのない楽しいことが盛りだくさんの休暇だったからである。


しかし、つくづく日本と違うなぁ、と思う。

日本では、大人が仕事を休めないせいもあるが、日本では里帰りを除いてはどこかに泊まりに行くのはせいぜい数日程度だと思う。

長い夏休みは、そのまま家で近所の子供たちと遊んでいるか、プールに行くかでほとんどを費やしていたような気がする。


それに対して、こちらの国では、もっと親が子供に楽しい環境を与えなければならないというプレッシャーが強い。

というか、家族で過ごすことが鉄則になっている。


それが、正直わたしにはしんどくもあった。

家族とずっと一緒にいることに慣れていないから。

どうせ自炊をして、基本的な生活をすることに変わりがないのだったら、サマーコテージに滞在することにこだわらなくとも、自宅からどこかに日帰りで行くほうがよいのでは?と思うこともあった。


まぁ、家が違うことによって、自宅にあるものとは違うアイテムを用いて、ロールプレイングの遊びをするのも、子供たちにとっては一興のようであったが。

ある観光地にあった公園で、ゲームの台のところで「ピーターパン」ごっこを始め、靴を宝にみたて、砂でその靴を埋めたりするなど、さすがだなぁと思った。

大人が環境を用意したところで、予測し得ない愉しみ方をするのが子供ならではであるが。


ちなみに、彼は、わたしと出会ったとき、友達でもいいから関係をもちたいと思ったらしい。

いつも週末、息子さんと2人きりだけでどこかに出かけても、退屈に感じることもあり、誰か一緒に遊んでくれる子供を欲していたという。

確かに、今、娘と彼の息子さん2人でいろんな遊びを創造しては、楽しそうに遊んでいる。

娘はなかなかアイデアマン的なところがあるので、「家」や「お店」などの空間を造ってはそれを一緒に遊んでくれる相手がいることに満足しているようである。


元夫は、両親にいろんなところに連れていかれたが、ほとんど記憶に残っていないといっていた。初めての海外旅行でタイに行ったことも、写真を発掘するまで忘れていたほどである。

自分の意志に関係なく、ただ、両親に従っただけだったからであろう。


対して娘は、思い出のひとつひとつ大事にしまって、とても楽しそうに旅行のことを話すのである。

娘は主体的に楽しんだからだろう。
そういえば、蒸気機関車の博物館でポストカードを発見したときも、やたら保育園に葉書を送ることに固執したのも、まるで自分が楽しくバカンスを過ごしていることをデモンストレートしたがっているようで微笑ましかった。


そう思えば、別の場所で「生活」を営むようなバカンスも、いいのかもしれない。

こう、自分たちで愉しみの環境をつくりだしているような感じで。

コインランドリーに一家総勢で洗濯に行ったのもまた一興。近くでピザを食べながら終わるのを待っていたとき、娘が、いつ洗濯機がとまるのか気にしていたのもまたかわいかった。


そういえば、わたしも、子供のときの旅行の思い出で、家族でキャンプに行ったことがもっとも印象に残っている。

グリルで食パンを焼いたときの、あの違和感も、まだ記憶に残っている。

 

バカンス(1)

 

バカンス(2)

 

バカンス(3)

 

バカンス(4)

過去の保存

本棚

引越しに伴い、本棚を2つ購入した。

新しい本棚には、わたしの所有物だけで占有されている。

 

 

 

引越しの作業をしている。

たった25m2のワンルームフラットなのに、なんでこんなに物があるんでしょうというぐらいたまっていて、もちろん一部は処分もしたが、彼のアパートに運ぶのも何往復としている。

最初は、小さなスーツケースに、4つのダンボール箱からのスタートだったのに。

空間という空間にダンボール箱を置き、その中に物をつめ、備え付けの家具の収納という収納にはぎゅうぎゅうに何かでつまっていた。

主に、本と、娘関係の荷物であるが。


彼の元奥さんを批判できないほどに、娘の玩具が相当ある。

まぁ、親子二人きりで退屈することも多く、ショッピングはたとえ安いものでも気分転換にもなったから。それに、寒くて外に出られない冬、家で過ごさなければならないときのネタ、つまり創作の材料とかを揃えたり。紙粘土とかビーズとかフエルトなどなど。

家計簿をつけていて思うけれど、今は前に比べて必要最低限費やさなければならない以外の出費が極端に減った。買い物しなくても、楽しむことができるようになったから。子供二人いれば、ものを与えなくたって、すぐに「ごっこ遊び」など子供だけの世界に入っていく。

なんだか、荷物を整理しながら、なんとなくせつなくなってしまった。

娘と二人きりでもそれなりに満足していたつもりだったけど、時間が過ぎるのが遅い週末は苦痛も感じていたなぁ、と。


日本人の友達も、引越し作業が完了したようだ。

夏休みが終わってから、ボーイフレンドとの同棲をスタートさせる。


彼女は、わたしよりも狭いフラットだったにもかかわらず、物の多さは負けるどころか、もっと所有していたのではなかろうか。

なんと、最初日本から荷物を送ったとき、船便なのに10万円以上費やしたそうな。

一箱数千円だった気がするのだが、、、一体何箱送ったのだろうか。

一部彼女の不用品を譲り受けたのだが、樟脳も入っていた。

皮膚かさかさになってしまうほどのドライな国で何故、、、。

まぁわたしも、日本からラップ(ずっと高性能)をもってきたりしたが。


引越しで、人生観が垣間見られる。


わたしは、捨てられないタイプというか、過去をとっておきたいという嗜好がある。

このブログをほぼ毎日書き続けている理由も、まさにそこからきているのだろうけれど、わたしが歩んでいる過程を保存したいという欲求がある。

わたしにとっては、過去も財産のように捉えているから。

だから、写真も多いし、10年前にとった実験データも残しているし、創作したものもそのまま。日本の保育園からもらった手紙さえもファイリングしている。


捨てられなくて、他人からしてみればガラクタでしかないものが蓄積されていく。

残しているからといって、再度開いたり使うわけではなく、ただその蓄積に満足しているだけ。

これだけいろんなことをやったんだぞ、みたいな自己満足。


そういえば、中学生のときに4コマを導入したり絵を描いたりなどして苦労して作った修学旅行のスクラップを、元夫に発掘されてしまい、大ウケされてしまった。中学のときのさらにベタな感性がバレバレで。わたしがお産で里帰りしている間の、暇つぶしの友だったそうな。

過去なんて、恥だらけ。残していてもロクなことはないのに、やっかいな性格である。


父も、そういう傾向がみられる。

旅行を年に20回くらい行っているのだが、毎回、その旅行で得たパンフレットやチケットなどすべて保存し、ちゃんとスクラップしている。

そのくせ、旅行のときに言う感想は一編どおりだそうな。あとで聞いてもどういう建物だったとか、どの景色がもっとも印象的だったかとか、ちゃんと覚えていない。

が、旅行の回数だけは、正確に記憶しているのである。

「旅行をしている」ということだけに満足しているようにもみえる。


「保存する」ことよりも、その瞬間を「生きる」ことの方が、大切であることはわかっている。

のだが、、、、

とりあえず、彼のアパート、、、わたしたちのもので占拠されつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁

今朝、以前講義でお世話になった先生に、わたしの論文について質問させてもらった。

いろいろと参考になるご意見もいただいたのだが、何よりも驚いたのは、わたしの就職についてさまざまな可能性を示唆してくださったこと。

「今からさがせば、きっとこの大学に残れるわよ。」

 

実現するかどうかはともかく、指導教官ではないのに、ドクターを取得したあとのことを気にかけてくださったことが、とてもうれしかった。

授業を受けた学生の中では、わたしがもっとも理解度に劣っており、言語も問題を抱えていたにもかかわらず、授業のときから親切にいろいろと個別に教えてくださったり、本当にありがたいことだと思う。

 

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人気ブロガーである友達の日記で、ご主人との「縁」について書かれてあったのだが、本当、人生「縁」で展開していくものだよなぁ、と思う。

もともとのきっかけは、偶然のことが多い。

この国に来たのだって、日本の指導教官のところに訪問したときに、偶然、その先生の下で短期間研修中の今の大学の研究員が同席していて、いろいろ話して親しくなり、そのあと彼女の同僚が立ち上げたプロジェクトの研究員としてわたしを推薦してくれたのがきっかけだ。

彼と親しくなったのも、3回も街中で偶然出会ったことがきっかけ。

 

でも、当たり前かもしれないけど、「偶然」だけではすまされない、とも思う。

きっかけは、きっかけでしかない。

 

友達は、偶然にご主人と出会ったけれど、関係性を築いていけたのは、彼女という個性あってこそのことだと思う。

 

指導教官のところで、この国の研究員と出会ったことは偶然ではあったけれど、その前から、先生とは研究の中のある問題について議論を交わしており、そのときも彼女にわたしのもっているアイデアについて具体的に語ったため、彼女はわたしが本気で研究活動を再開させたいと願っていることを理解したようだ。もし、研究の話抜きで、ただの雑談で終わっていたら、プロジェクト参加を打診されることもなかったと思う。

彼とも、いくら知り合ったからとはいえ、会話を通じて共感しあうことがなければ、既婚でありながら、惹かれることもなかっただろう。

 

でも、わたしが言いたいのは、「この国にきたことや、彼と出会ったことがよかった」ということではない。

日本を出ることがなくたって、それはそれでひとつの人生だよなぁ、と思う。

 

つまり、わたしたちには、さまざまな「縁」がふってくるわけだが、それを「縁」と意識するかどうかはともかく、それによってどう人生彩っていくのかは、個人によるところが大きいのではないか、ということ。

それが利益になるかどうかではなく。

わたしの、素直で率直で痛々しい性格によって、ひどく人に嫌われることもあるし、日本の指導教官やその授業でお世話になった先生など、とても気に入って下さる人がいて、さまざまな機会を与えてくれることもある。

トータルでいえば、嫌いな人の方が多いと思う。

でも、それがわたしなのである。

 

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また、彼のお父さんが、不整脈で具合を悪くされた。

わたしは、彼に、

「いい加減、お父さんからもっと自立しなよ。例えば、自分がほとんど携わった仕事に関しては、最後まで責任もって、顧客に対してプレゼンしたり、レポートも書くとかさ。大学で授業受けるのもいいけど、これからは理論ではなくもっと実践を鍛えないといけないんじゃない?お父さんのところにしろ、別の企業にしろ、絶対必要とされるスキルだしさ。苦手だからといって逃げて、お父さんに頼ってちゃぁダメだよ。」

と、きつーく警告した。

翌日、そのことについてお父さんとディスカッションしたそうだ。お父さんも同意見で、早速レポートを書く仕事を引き受けたとか。

ようやく、重い腰を上げた、というところである。

 

どういうわけだか、彼とつきあってまだ9ヶ月というのに、ひきりなしに何か起こる。

ドラマのように。

おばあさんの死、相続問題。

お母さんの入院。

元奥さんが巻き込まれた刑事事件。

元奥さんの住居問題。

お父さんの病気。

 

それが苦しいとも思うのだけど、それによって考えさせられることも多いし、彼という人間、わたしという人間をみる機会にもなる。

 

火曜日に、また日本人の友達と再評価をしたのだが、そのときに彼女はまた嫌な感情をある人にもっていると。

それで、わたしは言った。

「それを否定することない。それも、Rちゃんの感情なんだよ。」

イマジン

大学の食堂で、パソコンを持ち込んで、論文の修正にウンウンうなっていたら、偶然授業でお世話になった教授が通りかかり、わたしの論文を見てくれるとのこと。

彼女が、リトアニアの学会を紹介してくれた当人であり、その分野にかなり明るい方で、心強い限りである。

 

実は、わたしの研究分野は、工業的には広く利用されている技術なのだが、学術的にはかなり中途半端な位置にあるといってよい。

実際に、こないだの学会も、関連はしているものの、主流の研究からは程遠いテーマであった。

かなり経験論でもってカヴァーされている分野であり、理論的に説明するのにものすごく苦労するのである。

 

でも、わたしは、そこをもっと学術的に納得させられるような研究をしたい、という夢をもって、この国に来たのである。

今も博士論文の執筆の準備をしているが、構成から文献の引用から学術的な説明から何から何まで、他の博士論文の典型的なフォーマットの参考なしに、一から考えている。

 

ものすごく孤独な作業なので、こういう手助けが非常にありがたいと思う。

 

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つらいこともあるのに、何がわたしをここまで駆り立てるんだろうと思う。

 

考えるのがすき、というよりか、頭の中で絵を描くことが好きなんだと思う。

科学は、数式を駆使する学問ではなく、頭の中にイメージすることだと思うから。

 

彼は、数学が得意なのだが、レゴブロックでマニュアルなしで複雑な構造をした船とか家とか駅などをさくっと造ってしまうし、知恵の輪のようなパズルを解くのも上手である。

空間認識に長けているというか、それこそ抽象的なことを頭の中で具象化することが得意なんだと思う。

統計について少し教わったときも、ただ数式の羅列ではなく、概念を図に現してくれて非常にわかりやすかった。本質的に理解しているからだろう。

わかっていない人ほど、難しい専門用語で誤魔化したりする。

 

でも、本当に勉強の楽しさを知ったのは、研究室に配属になってから。

型破りな指導教官で、実にフランクにディスカッションする機会にあふれていたから、どんなバカな発想をしても許され、自由に考えることができ、イメージすることの楽しさを知ったのだと思う。

それまでは、勉強というものは、与えられた認識をただ記憶していくだけのものと思っていた。

 

ここの国では、歴史の授業で、本物の資料を扱いながら学ぶのだという。

教科書に書かれている事実を覚えるのではなく、直接資料を通して、自分自身でその事実について理解し、どういう見解をもつのか、一人一人意見を求められるそうである。

どうしても時間かかってしまうので、広い範囲で学ぶことはできないが、日本のように全体の歴史をただ覚えこむよりも、ずっと興味深いやり方だと思う。

現に、わたしは世界史を学んだが、ほとんど覚えていない。彼と、リトアニアの話をしただけで、自分の認識不足を実感している。それに対して、彼は、旧ソ連のことをよく知っているだけでなく、日本のことも知っているし、ユダヤ人のこととか、アジア諸国のこととか、ほーとうなずかされるばかりである。

 

意見を言うことは、頭で事象を想像しないとできないことだと思う。

そして、それこそが、学問の醍醐味でもあると思うのである。

そういう楽しさを、研究室に入る前に知っていれば、もっと充実した時間を過ごしていたかもしれない。

プライド

まだ、論文を修正している。

実証はしていないものの、看過できない現象について強調しておきたい箇所が、わたしの表現力が乏しいせいか、なかなかOKが出ない。

タイミングよく、恩師から関連文献を送ってもらったので、それを使って説明しようかと考えている。

 

それよりも問題なのは、共同執筆者の連名について。

わたしは、3人の指導教官がいるので、貢献の度合い関係なしに、彼らの名前も連名にしている。

 

しかし、どういうわけか、一人の指導教官はここ半年ほどミーティングにも来なくなってしまい、メインの指導教官である教授が、今回の論文でその彼を連名にするべきなのか?とつっこんできたのだ。

でも、その来なくなってしまった指導教官こそが、わたしのプロジェクトの資金を調達してくれた張本人であり、無視するわけにもいかず、論文を送ってコメントもいただいたのだった。

 

どうやら、何か二人の間で揉め事が起きたようである。

というか、メインの指導教官だけが勝手に怒っているといったほうが正しいが。

 

というのは、もともとメインの指導教官に属していたあるグループが、ほとんどその教授に面倒をもらうことがなく、実質的にその別の指導教官に指導を受けていたことから、この春ぐらいに、正式に所属がメインの教授から別の教授に移り、そのことでメインの教授が憤慨したとのこと。

それ以降、二人の関係が悪化してしまったとのことである。

 

ああ、ここでも権力ゲームが、、、。

わたしを実質最も面倒みてくれる指導教官は、虚栄心もまったくないので、それについて呆れていたが。

 

でも、研究の世界ではありがちなことでもある。

集団で生産していく民間企業と違って、一人一人異なるテーマで、研鑽していく世界だけに、ものすごくプライドが高い人が多いというか。

 

元夫も、普段の会話からは知性も何も感じられない低レベルなセリフを繰り広げていたが、彼がもつ研究テーマに関しては誰にも負けない自負があったようで、

さんざん幼稚レベルの会話(あまりにも恥ずかしい内容なので、ここでは書けません。というか、削除されるかも。)を交わしたあと、わたしが、

「あんた、バカ?」

というと、きまって、

「これでも、博士もっているんですが。」

ときたもんだ。

 

どこかで、その専門を極めているから偉いんだぞ、というニオイがぷんぷんきたものである。

その専門以外はからっぽなくせに!と反逆したいところだったが。

 

同室の女性いわく、大学の問題というのは、民間企業と違って、研究能力に優れているという理由だけで、人を管理する教育を受けていない人が、学部全体を仕切る立場に立たされてしまうことだ、と。

本来は、管理能力と研究能力は別物。

それなのに、管理能力があるかどうかに関係なく、人を管理しなければならないから混乱するのだ、と。

そういえば、わたしのメインの指導教官は別だけれど、教育能力のない教授というのも存在する。

 

要するに、マルチでできる人なんてそうそう存在するわけがなく、たとえひとつの能力に秀でていたとしても、それで万能だと信じずに、もっと全体をみていつでも謙虚に学ぶ姿勢をもつべきだと思う。

 

ちなみに、彼のお父さんも、民間企業をやめて独立したのは、他のマネージャーとの関係が悪くなったために、決断したそうである。

お父さんは、広い知識と豊かな経験をもっており、会社のほとんどを掌握していたそうで、その立場に別のマネージャーたちはやっかみ、いろいろと仕事の妨害をするようになったそうである。

しかし、そのマネージャーたちは、別の分野で活躍してきた人たちで、その世界ではいわば素人。なかなかお父さんのようになれないことに嫉妬したのではないだろうか、と。

 

それもまた、別の分野で築いた自分のキャリアに誇りをもって、その世界では素人であることを認めないで素直に学ぶこともせず、権力を握ることだけに関心をもった悪しき例といえよう。

 

わたしは、権力をもつことは、同時に責任を負うということであると認識しているから、自分の能力に自信がないのに権力をもとうなんて発想もないけれど。

ちなみに、もっとも面倒みてくれる指導教官は、学生を指導する責任を負えないからと、自ら助教授の椅子をけり、フリーの研究員として幅広く活躍している。実際には、彼のアイデアから、次々とプロジェクトが立ち上がり、結果としてリーダー的立場となっているが。

 

わたしは、「誇り」は、自分の思い込みではなく、結果として伴ってくるものだと思っている。

女というもの

友達と食事に行った。

 

彼女は、偶然、同じアパートに住む、同じ大学に通っている、同じ県に在住経験のある(彼女は18年間でわたしは3年間)、日本人の友達である。

その彼女も、今月末で今のアパートを出て、夏休み明けから、ボーイフレンドとの同棲をスタートさせるとか。

 

つきあい初めもなかなか「恋人」と言わなかったり、同棲を「同居」と言い張ったり、どうも彼との関係性についてなかなか明確に認めようとしない彼女であったが、今度は、なんと修士プログラムの間に子供を作りたい、と。

しかし、結婚することはまだ決めているわけではなく、たとえ彼との関係が続けられなくとも、子供だけは欲しいとのこと。

どうやら、結婚とは別に、子供を作ることのできる年齢の限界を感じているからのようである。ただ、その可能性を失うことを恐れているようであった。

 

わたしは、まだ自分のことしか考えられない26歳で思いがけない妊娠をしたので、むしろ子供嫌いのわたしはパニックに陥り、11週に入るまで確かめることも怖くてできず、最終的に産科医に叱られてしまったぐらいで、彼女の焦りについては申し訳ないが共感することはできなかったのだが、子供を得ることが、ある種、女としてのアイデンティティを象徴するものという思い込みはなんとなく理解できるような気がした。

 

おかしいけれど、妊娠が病院で明らかになって、それに伴って仕事も趣味も家族も友達も失うにもかかわらず、どこかで安堵のような感情を覚えたのも事実である。

 

わたしは、結婚するまで、ずっと女として認識されることもなかったし、自分でも女らしく生きたいとは思わず、自転車での一人旅で野宿することもいとわなかったり、風呂にも入らずに徹夜で実験したりもした。化粧もろくにせず、スカートもろくに履いたことがない。

でも、自転車部の文集の最後に、部員紹介欄があったのだが、その中に、「このままだと一生彼氏もできないよ。」みたいな文章があり、それはそれで深く傷ついたものだ。自分でそうなるかも、という予測をしていながら、他人にそう言い当てられるのは、つらかった。

彼氏ができても、「ウソー、彼氏がいるようにはみえない!」とか、「浮気されちゃうかもよ。」と、わたしの女としての魅力の乏しさを暗に示唆されたのは、密かに傷ついた。

女らしくない生き方を自ら選択しながら、女としてのアイデンティティを否定されるのは、やはり嫌だったのだと思う。勝手なものである。

 

わたしは、よく、あのときに妊娠していなかったら、今どうなっていただろうと思ったりしていた。

彼は、アジア某T王国に旅行したのが、人生の変換のきっかけになったと言うけれど、わたしの場合は、まさにそれが「妊娠」「出産」だったから。

 

でも、もし妊娠していなくて、結婚もしていなくて、仕事は順調で、自分の好きなことをして充実していても、彼女のような感情にとらわれていたかもしれない、と思った。

 

要するに、どんな人生をとっても、幸せだけなんてありえないってこと。

結局、どんな道であっても、いろいろと不安とか恐怖とかにとらわれるだろうし。

彼も、元奥さんにふりまわされて、さんざん苦しい思いをさせられたけど、もしその国に行かなかったら、平穏かもしれないけど結婚のカウンセリングを受けているかもしれない。

 

結局、どの人生がいいのかなんていえない。

自信が豊かにする

もう1週間ぐらい前のことであるが、彼が保育園で、理学療法士さんに息子さんの筋力が著しく弱いと言われたそうだ。

その人には、あまり積極的に運動を促しても、あまり効果はない。ただ他の子供よりも発達が遅いだけだから、それを待ちなさい、という話だったとか。

 

そのときの彼は、落胆したというよりも、むしろ安堵している表情であった。

きっと、今まで彼が息子さんに何もかもサポートしすぎて運動能力に障害があると懸念していたからだろう。自分の育児のやり方に過失があったわけではないことを認識して、心からほっとしたに違いない。

 

なんだかそういう彼の反応にカッときた。

 

「いくら専門家に積極的な働きかけをしなくてもいいと言われたからといって、サポートしすぎるのがよくないことには変わりないでしょう?確かに、運動能力は、努力しても変わらないと思う。でも、もっと重要なことは、その運動能力の乏しさにくじけてしまわないような、何かを成し遂げようとする粘り強さを育てることじゃない?現に、今K(息子さん)は、トライする前にあきらめるか、あるいは少しやってみてできなかったらすぐにくじけるじゃない。そこで自立を妨げることになるんだよ。いくら時間がかかっても、自分でやってみるという意欲は促す必要があると思う。」

 

息子さんは、先天的に筋力が弱い子供だ。

でも、それに対する考え方が、彼とわたしとでかなり違う。

わたしは、勤勉とされる日本人のせいか、それによって引き起こされる問題を少しでも改善させようと思うが、こっちの人たちは、そういう特徴だったらあえて努力などせずに受け入れるしかない、という考え方のような気がする。

日本では、ダウン症の子供でさえ、創意工夫でさまざまなツールでその障害を改善させようとするプログラムがあるほどだけれど、こっちは障害があってもあえてそれを克服させようとはせず、社会で介助するシステムになっている。

どちらがいいのか、判断することはできないが。

 

わたしも、運動能力は低い方だと思う。

筋力も強い方だとは思わないが、それに加えて不器用。

何もかも、新しいことは人一倍時間がかかってしまう。

中高とやっていたバレーボールも下手なままだったし、スキーもなかなか上手になれなかった。

ちなみに、車の運転教習も最初はこけまくっていた。

 

だけど、我ながら粘り強さはあると思う。

できないことに悔しくなるのだけど、できるまでなんとか努力しようとするというか。

数年前にはまったスノーボードも、なかなかターンのコツがつかめずに転んでばかりだったが、できるようになるまで何度も何度も練習してできるようになったのである。

 

わたしは、運動能力には乏しいが、これでも運動することによって得られる快感を何度も味わってきたので、粘り強さがあって幸いしたと思う。

 

運動だけでなく、不器用なので勉強も仕事もとっかかりが悪いが、できないとあきらめずに努力することによって乗り越えたときの達成感は、なんとも言えない感慨をもたらしてくれるものである。

ちなみに、わたしの専門である「化学」は、高校1年で初めて履修したときにはなかなか理解できず大嫌いな科目であったが、試験範囲であったモルの概念を必至になって理解し、その結果クラスで一番になって自信がついたのが、「化学」を選んだきっかけである。

また、英語も大嫌い。ずっとどん尻の成績だった。でも、研究を始めて、文献を読みたくて少しはマシな能力になるようにがんばった。

 

全般的な能力には乏しいが、あきらめなかったことで可能性が広がった経験が多々あるだけに、やっぱりモチベーションを育てることにものすごい関心がある。

だからこそ、やはり筋力の弱い娘を、毎日「赤ちゃん体操」したり、おだて作戦で自分でやるよう促してきたのである。

 

そのままの特性を受容することも大切だとは思うが、人生豊かにするためにも、自分でできるという自信もつけさせたいとわたしは思うのである。