いまのしゅんかん -422ページ目

状況を変えても

「わかっていると思うけど、僕は君に恋に落ちてしまった。君といると幸せな気分になれる。だから、君を失うことが怖い。」

語学学校のクラスメートが見せてくれた、SMSのメッセージ。

泊まったホテルのフロントで働いていた人に一目ぼれされ、しばしば求愛のメッセージを受け取るそうだ。

「彼はクレージーなのよ。たった3回しか会ってないのに、愛するようになるなんて信じられないわ。わたしは、そういうの好きじゃない。もっとお互いを知ってから好きになるべきで。これじゃぁ、まるでわたしの内面を見ずに判断しているみたいじゃない?」

「うーん。可能性としては充分ありうるんじゃない?わたしは、そういうの否定できないな。わたしも、初めてあなたに会ったとき、なんて美人なんだろうって思ったもん。でも、あなたの考え方にも共感できる。関係って、発展させるものだしね。」

彼女は、オペア(au pair)といって、薄給ではあるが、住み込みの家政婦兼ベビーシッターとして働いている。

薄給なので、日本では、語学留学の一形態として、主にアメリカの家庭に斡旋されるケースが多いようであるが、この国のオペアの人たちは皆すでに英語ペラペラであり、語学スキルを磨くためではなく、真にお金を得るために滞在している。

しかし、オペアとして得られる労働ビザの期間は、最長でも2年までしか認められない。

わたしが所属するクラスの参加者の半分以上がオペアである。

だからなのか、わたしがこの国の男性と同棲していると言ったら、羨望のまなざしを受けた。

中には、明らかにボーイフレンドを獲得しようとがんばっている子もいる。

彼女も、その子から、頻繁に合コンの誘いを受けているが、無視しているとのこと。

でも、そのことに対して嫌悪感をもつことはない。

この国に住みたくても、よほどの理由がない限りは滞在できない。

労働では、この国の人で代替がきくような簡単な仕事ではビザはとれない。よほどその人でなければならない必然性がないと、滞在は許可されない。

だから、世界で5本指に入るほどの豊かさでなおかつ福祉も発達しているこの国で、恋人を得て住み続けたい、と思うのは、ある意味、自然な感情であろう。

特に貧しい国、もしくは政府が機能していない国ならなおのこと。

彼女のように、貧しい国出身で、国に戻る意志がないにもかかわらず、「別に興味がない」といって、この国の男性の求愛を退けるのもいさぎよいなぁと思うし、だからといって、あからさまにボーイフレンド獲得にがんばっている彼女たちのことも悪いとは思わない。

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この国でひとりにも好意をもたれなかった彼は、アジアの某T国にツーリストとして滞在したとき、突然もてだしたので驚いたというか、まんざらでもなかったという。

まぁ、彼女らにとっては、彼が白馬に乗った王子様にでも見えたのかもしれない。

言葉の壁で内面なんてみえないし、他の欧米ツーリストに比べれば若くて(当時26歳)ルックスはまぁまぁだし、何よりも豊かな国からきていて、そこそこお金ももっている。

特に、T国のオプショナルツアーで田舎に訪れたときに会った、牧場で牛の世話をしていた女性には、あからさまな好意を寄せられたそうだ。

毎日毎日牛の世話をしているだけの退屈な生活。この白馬に乗った王子様が、この退屈な生活からわたしを救い出して、人生をバラ色に変えてくれるかもしれない、という期待が好意につながるのは無理もない。

特に、メディアの偏った情報で、ヨーロッパの生活はとても優雅で贅沢であると誤解していることも多いそうだ。毎日レストランで豪華な食事をする、といったように。

まぁ、そういう意味で、彼の元奥さんが、自分の人生のために、結果的に彼を利用したのは、自然のことだったのだと思う。

母国は楽しいが、働いても働いても微々たる給料で、ちっとも生活は楽にならない。でも、この国では、時給2000円!

わたしも、そういうきもちが理解できる。

わたしだって、結婚に対して過剰な期待をしていたから。

結婚が、この苦しい状況を打破するきっかけになるのではないか、と期待していたから。

わたしは、23年間、まともにボーイフレンドを得たことがなく、だからこそ妄想をふくらませて変に期待しすぎていた。

誰かがわたしを好きになる、ということだけでも、奇跡のように感じていた。

彼もそうで、29年間まともに誰とも関係を築いたことがなく、元奥さんに求婚を受け入れてもらっただけで舞い上がってしまい、相手を見極めることなんて到底できなかったという。

そんな人生甘くないよ、と認識したのは、実際に経験してみてからのこと。

物事には両面あって、いいこともあれば、苦しいことも必ず伴うものだ。

でも。

前は、状況を変えることによって、いい結果だけを期待してたけど、今は、困難もあるから楽しいじゃん?と思えるようになってきた。

夜の散歩

木曜日、彼の実家でお父さんと一緒に夕飯を用意し、夕食後に彼のお母さんが入院している病院にみんなで行った。

去年の秋、大腿骨の手術をしたものの、そのほかに左ひざの骨も故障しており、今回その手術をしたのだった。

太りすぎで足が支えられなくなり、5年ぐらい前から歩くのに困難を覚えるようになったらしい。

骨が折れてしまっただけでなく、それが別のところを圧迫して痛みが生じたようである。

手術だけでなく、ダイエットにも気にかけている。

前回の手術のときは、しばらくは寝返りも打てないほどの痛みがつづき、退院後も通常の生活に戻るまでにしばらく時間を要し、わたしたちも訪問を自粛するほどであった。

今回は幸いにして術後の経過は順調であり、お見舞いに行ったときには思ったよりも順調に歩いている様子さえみられた。

翌週の彼の誕生日に招待するつもりだったので、その結果がうれしかった。

お父さんも、不整脈のために薬でパルス異常を抑制しているのだが、そのために脈拍数が低くなり、そのために異常なほどの疲労感を覚えることが度々あるようだ。

そのほかに、数年前に自転車で転倒してから、背中、腰の痛みが持病となっている。

それなのに、お母さんが入院中の毎日、午前と午後と夕食後の3回、お見舞いに行っていたそうだ。

彼を出産後も、鬱病になってしまったため、お母さんは入院し、彼は乳児院に預けられていたのだが、毎日、病院と乳児院に訪問するのが日課となっていたそうだ。

いろいろ問題が発生しながら、お互いに助け合いながらやってきたのだろうなぁ、と思った。

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元奥さんが息子さんの写真を分けて欲しいと頼んできたついでに、息子さんの誕生前の写真はすべて彼女に渡して欲しいと彼に頼んだ。

彼女が欲しがっていたわけではないが、わたしが、結婚式の写真を置いて欲しくなかったからだ。

彼は、そのことを少し残念に感じたようだ。

写真を渡すことはともかく、写真を置きたくないというわたしのきもちから、彼の過去を受け入れていないように感じたからだそうだ。

確かに、そうなのかもしれない。

彼の過去を認めなければならない、と頭で理解していても、きもちは拒否してしまっている。

過去があるから、今の彼があることは充分承知しているのに、やっぱり過去の話を聞くと無償に腹立つ自分がいる。

別に、華やかな結婚式に憧れているわけではない。

わたしの場合、でき婚で、夫とは大阪と東京で離れていたから、アレンジが大変な披露宴は断念したものの、両家の家族だけで京都の貴船で川床料理の前夜祭をし、京都の下鴨神社でささやかな神前式の結婚式を挙げ、それはそれでよい結婚式だったと自負している。

でも、彼の結婚生活の実態はともかく、彼女の母国での一回と、ここの国で2回、いずれも盛大なパーティを挙げ、3回とも彼女は華やかなウェディングドレスをまとっているのを見て、どうしても嫌悪感がわく。

別に、ウェディングドレスなんて欲しいわけではないし、パーティも苦手なのに。

やはり、嫉妬なのだろう。

彼の横で、幸せそうに微笑む彼女が許せない。

誰もが、誰かを愛した経験をもっていること。そんなの、普通のことなのに。

誰かを愛し、幸せなきもちをもち、なおかつ苦しいことも味わいながら、人間は深みをもっていくものなのに。

好きになれば好きになるほど、彼を支配してしまいたくなる自分がいる。

本当は、彼を変えることなんてできないし、違ったバックグラウンドをもち、異なる問題を抱えている彼を受け入れることによって、関係も発展していくのに。

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日曜日。子供たちが風邪気味だったので、一日中家にこもっていた。

でも、子供たちが寝てから、夜の散歩に出かけて、外の空気を吸おうと提案した。

お互いに子持ちで、二人きりで出かけることなんて、つきあってから1年たつのに、実は片手で足りるほどしかしたことがない。

話した内容は、ほとんど硬い内容で、彼が熱く語っているのをわたしはふんふんと聞くことがほとんどであったが、手をつなぎながらかれこれ2kmくらいぶらぶらしただろうか。

ささやかではあるが、幸せだなぁ、と思ったのだった。

これからもいろんなことがあるかもしれない。

わたしの嫉妬心で、彼を失望させることになるかもしれない。

でも、どんなに苦しいことがあっても、彼と一緒にやっていきたいなぁと思っている。

現実性を求める国

Cちゃん、前回のブログ、「Alene(本のタイトルで独りという意味。)」についてコメントありがとう。

いや本当に、Cちゃんも「Alene」について、この国の話らしいとのことであるが、指導教官の日本人の奥さんも、

「もうね。読む本読む本すべて暗くってさぁ。やんなっちゃうのよね。」

と言っていたものだった。

実は、この前にも、心の病気を患っている人が公園で知り合った女性の赤ちゃんを連れて行ってしまうという本を読んだばかりで、思わず彼に、

「なんで、この国って、悲しい話が多いわけ?」

と詰め寄ったのだった。

すると、

「話がリアルなだけだよ。」

と。

確かに、そうなのかもしれない。

勧善懲悪の価値観がしみついている日本人としては、長所ばかりの主人公を好み、主人公が成長するような話を好むが、実際にはそんな長所だらけの人間なんてそうそういないし、とことん嫌なヤツというのもなかなかいない。もちろん、主観的にみて嫌なヤツは存在するが、客観的にみたら普通だと思う。

だから、日本のドラマって主人公にとってのご都合主義というか、主人公が中心になってまわっている世界として描かれているように思う。

主人公の恋のライバルはイヤなやつ!みたいな。主人公の正当性のために周囲の人が存在しているかのようである。

それに対してこの国のドラマや本のストーリーは、善悪でカテゴリー分けすることがなく、誰もがいいところも弱いところもある、実際にいそうな人物として描かれることが多い。

わたしが、この「Alene」を読んで印象に残ったのは、主人公の夫が、不倫したことに対して言い訳を言わなかったこと。

不倫が妻を傷つける行為だと認識しながら、決して不倫を妻に原因に求めるでもなく、妻を新しい彼女と比較するようなことも言わなかった。

わたしは、このブログでも、さんざん元夫に対する批判を書いてきたが、それはきっと、自分が夫以外の人を好きになってしまったことに対して後ろめたいきもちをもっていたからだと思う。

不倫が悪いことだと思っているから、そうなったことの正当性を証明するために、元夫を批判したり、彼と比較してきたのだと思う。

産後は完全なるセックスレスだったのだが、そういう意欲を喪失してしまったことが悪いことだと思い、いろいろ夫に理由を求めたりしていた。産後パチンコに行ってその日には来なかったことなどを責めたり。

確かに、それは腹もたったのだが、夫に対して生理的な嫌悪を覚えるようになった(手をつなぐことすらできなかった。)のは、本当のところ理由はわからない。ただ、そういうきもちになってしまっただけである。

でも、自分が悪者になりたくないばかりにそれを認めるのが怖くて、夫のことを非難したり、自分の性的なバックグラウンドについて省みたり、いろいろやってみたものである。

今でも、毎日のように彼に腹を立てている。

でも不思議と嫌悪感は残らない。

好きなきもちは喪失するどころか、一層強くなるばかりなのである。

そういう意味で、きもちって、理屈だけじゃないなぁと思う。

「Alene」を選んだのは、主人公を彼に重ねたからかもしれない。

この主人公のように、彼もまた、元奥さんの不倫を確信する前に、その兆候をかぎとり、そのときの精神的苦痛ははかりしれなかったと言う。ほとんど異常だったとも。

以前、ブログに、元奥さんはわかりやすいところにピルを放置していたと書いたが、実は、元奥さんの挙動を不信がっていた彼は、彼女の部屋を徹底的に調べ、ベッドのマットレスまでひきはがし、その下からピルを発見したそうだ。

それだけでなく、ゴミ箱まで漁ったそうだ。映画の半券や、携帯電話の請求書まで見たそうである。

そこまでしたことにわたしもショックを覚えたが、ピルを見つけてから失意のどん底に落ちても、元奥さんを責めるきもちはなかったという。

元奥さんに嫌われたくないばかりに、できる限りの努力をしながら、それでも事態が改善しなかったことで、もうこれ以上することはないと悟ったそうだ。

奥さんを責めても、奥さんが変わるわけではない。その状況をただ認めて、離婚を決意するほかはない、と。

この国には、慰謝料が存在しない。

どんなケースであっても、離婚後、経済的状況を平等にしなければならない(既存する財産の分配と、収入の多い方による毎月の送金。)、というルールが存在するだけである。

離婚事由を求め、どちらの配偶者が過失を犯したのかを決めるのではなく、ただ関係が働かなくなった事実を受け入れるというお国柄である。

「Alene」のラスト。

さんざん泣いたあと、夫は自分をもはや愛してないことを認め、窓の外に見える月を眺めながら、

今度旅に出よう。-ひとりで。

なんともこの国らしいと思った。

Alene

「彼女は、誰なの?」

「君の知らない人だよ。」

「若いの?」

彼女は、鏡に映る自分の顔を見た。

細かい皺が刻まれている。

彼女は、52歳だった。

「彼女は、49歳だ。」

「49歳?きれいな人?」

彼の顔がぱっと明るくなった。

彼女は、そんな彼の顔をよく覚えている。

幸せに満ちたその顔を。

「うん。きれいな人だよ。」

「わたしだって、きれいだったわ。」

彼女はつぶやくように言った。

「そうだよ。君はきれいだった。」

彼は、彼女のところに近づいた。

「君は、今でもきれいだ。」

彼は、彼女の手をとった。

久しく合わせていなかった目を、今、彼女に向けた。

「離婚しよう。」

彼女は、聞きたくなかった。

離婚など、したくない。

24年間も、一緒だった。

あと一年で、銀婚式を迎えるはずだったのに。

「離婚?」

「うん。彼女を愛しているんだ。」

と彼は言った。

<中略>

(のちに、二人で話し合い、結局、夫は恋人のところに行くと、行かないでと泣き叫ぶ妻をあとにし、その場を去った。)

電話が鳴った。

「もしもし?」

しかし、応答がなかった。

「もしもし?誰なのですか?」

「あの、P(夫)に代わってもらえますか?」

「あなたの名前は?」

彼女は、何もこたえなかった。

しかし、誰なのか、わかった。

「あなたは、夫の恋人?」

「ええ。代わってもらえますか。」

「彼はここにはいないわ。車で出ていったから。あなたのもとに。」

「ああ、それでは、彼を待つわ。」

「どうして、彼をわたしからとったの?」

「愛しているから。」

「わたしだって、愛しているわ。」

「でも、彼は、あなたのことを愛していないわ。」

彼女は、立ち尽くした。

ことばが何も出なかった。

そのまま、受話器を置いた。

彼は、わたしを愛していない。

彼女は、棚に目をやった。

結婚式の写真が置いてあった。

夫は、幸せそうな顔をして、彼女の肩を抱いている。

やっと、理解した。

彼は、もう、わたしを愛していない。

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11月にある、語学学校の進級テストに使う本。

この国らしいなぁ、というのが第一印象。

でも、いろいろ考えさせられた。

おめでたつづき

同室の同僚が、2人目のお子さんを妊娠されたとのこと。

予定日は、3月上旬だそうである。

実は、一ヶ月ぐらい前に、彼女の血液検査の痕跡を見つけて、何気に「どうしたの?」と聞いたときに、すでに妊娠について打ち明けてくれていたのだった。

しかし、流産の可能性が高い時期があけるまでは、誰にも言ってはダメと口止めされていたのだった。

口が軽いというか、「知らないフリ」ができないわたしにとっては、とてもつらい一ヶ月だった。

たとえ彼女が具合悪そうにしていても、皆の前でわたしはそしらぬフリをしてなければならなかった。

だから、15週に入って、超音波で胎児が元気に育っていることを確認できた、と聞いたときにはとてもうれしかった!

また、日曜日、娘が友達の誕生日会に招待され、スカウトからピックアップしたあとに、そのお宅におじゃましたとき、ご主人の都合で半年間アメリカに住んでいて久しぶりの対面となったのだが、

「あのぉ、、、ゴメン。もしかして、、、おめでた?」

「そう。11月中旬に出産の予定。」

「えっ。3人目?いつわかったの?」

「4月。だからアメリカで。保険の関係で、たった一回しか検査できなかったんだけど。」

わぁ。アメリカから帰ってきて仕事に復帰したばかりなのに、すぐさま出産になるとは。

ご主人も、わたしと同じく、来年の夏に博士課程のプロジェクトを終える予定で、論文作りや職探しなどであわただしくなるのに、3人目の子供なんてスゴイなぁ。

同室の同僚も、売れっ子のコンサルタントで超忙しいのに、2人目なんてすごいと思っていたが。

でも、わたし自身、彼と一緒になって、娘が、どんなに弟か妹を欲していたか、痛感している。

そして、彼の息子も。

わたしは、弟がいて、楽しかったことだけでなく、親に比べられて弟の資質に嫉妬したり、また親の愛情をもってかれているような気がしたり、いいことばかりではなかったので、あまり兄弟のありがたみなど認識していなかったのだが、

一緒に暮らすようになり、娘が子供は子供の世界で楽しそうに遊んでいるのをみて、やはり親だけが面倒をみることの限界も痛感したような気がする。

そういえば、その同僚も、娘の友達のお母さんも、一人っ子で、兄弟がいなくてとてもさみしい思いをしたのだそうだ。

たとえ仕事で大変だろうが、なんとしてでもにぎやかにさせたいという強い思いがあったのかもしれない。

スカウトのお泊り会

娘がスカウトのお泊りから帰ってきた。

さんざん心配したが、本人はとても楽しんだようである。

土曜日なんか、心配のあまり、泊まることを反対すればよかったと思うほどであった。

今までも、どこかに単独で泊まることはあったが、大抵友達の家など慣れ親しんだ関係で、娘も困ったことがおきればすんなりと何か頼むこともでき、それほど心配するにあたらなかったが、今回は、10数人の子供に対し大人は3人だけと、より自立を求められ、基本的にすべて自分でこなさなければならないので、歯磨きやシャワーはちゃんとこなせたか、とか心配していたのだ。

しかも、パンツを入れるのを忘れてしまい、ああ~汚いパンツで3日も過ごさないとダメなのか~、と思ったり。

また、娘はシャイなので、なかなか人と交われずに孤独になってやしないか、と思ったり。

とにかく、今までのお泊りとは違って、より自分のことに対して責任を求められるので、それがたった5歳の娘にできるのかどうか不安だったのである。

彼は、「それも、経験のひとつ。この経験でもって、M(娘)はもっと成長できるよ。」と言っていたが。

結果的には、友達もでき、リーダーの人いわく、とても楽しそうで満足している様子だったのこと。

迎えにいったときも、とても楽しそうに別のこともだちと遊んでいたので、ホッとした。

しかし、聞くところによると、この国では、ほとんどの子供が、いずれかの期間どこかのスカウトに入るようである。

スカウトの活動を、政府が推奨していることも大きいとは思うが。政府が援助するので、入会しても、お金もあまりかからないのである。

それに、単なるエンターテイメントではなく、教育的意義も大きいからだろう。

自然の中で生活することによって、どのように寝床を用意するのか、どのように火をおこしたらよいのか、どのように食事を作るのかなど、生活に直接役立つノウハウを学ぶだけでなく、自然に触れることにより、より自然に対して尊重のきもちをもち、それが世界の環境問題に対する関心につながり、そのために募金活動を行うなど、自然保護に関する活動も目的にしているからである。

そういえば、生物が好きで、大学でも水草の研究をやっていた友達は、わたしを七草摘みに誘ってくれたのだが、植物に詳しいだけでなく、環境問題にも深い関心をもっており、そういうメールマガジンをとったり、環境問題に関する原稿を書いたり(そのために洗剤の化学的知識について聞いてきたり、環境大国のこっちの国事情について質問してきたりした。)、NGO活動に参加もするなど、自然保護に対して行動も起こしている人だった。

やっぱり、自然が好きだから、自ずと問題意識ももつようになったのだと思う。

わたしは、そこまで行動を起こしてはいなかったが、自然に対して関心をもつことはいいことだと思うし、というか、この時世、関心をもたざるをえないと思う。エネルギー問題も含め。

まぁ、多くは望まないが、娘が、スカウトに参加することによって、何かしら感じてくれたらなぁ、と思う。

わたしは、学生時代、自転車で、沖縄以外の全県を回った。

山越え谷を超えの道程で、時には風雨が強く、厳しい旅でもあったが、自分の足でまわったことによって、日本の変化に富んだ自然がより好きになった。今でも、どういう風景だったか、どういう峠だったか、よく覚えている。

いろんなハプニングがあったが、だからこそ大事な思い出になっている。

自己啓発とお金

From I to H

Have you gotten the deposit? I wonder if I get back the deposit.

From H to I

I talked to the landlady, so she will do. But you might want to ask her. Otherwise, it might take time.

From I to H

I got the deposit. But the amount was reduced due to the cost for the cleaning of 1000Kr, even after our thoroughgoing cleaning : (

From H to I

Year, they need money for their activity. I did not check mine, a bit scared.

ほぼ同じタイミングで同じアパートを退居した日本人の友達HさんとのSMSでのやり取り。

最後のメッセージで笑ってしまった。

彼にもまったく同じことを言われたので。

昨日、口座をチェックしたら、敷金が入っていた。

その少し前、アパートの大家から、敷金の返済金額の詳細について記された手紙を受け取っていたのだった。

その結果、キッチンのフードからシャワー室のカビとりまで、徹底的な掃除をしたにもかかわらず、清掃に5時間かかったとかで、2万円差し引くとのこと。

友人は、1年間15m2の部屋に住んだのだが、1万円引くといわれたそうである。

もっとも、今までの状況からして、ほぼ敷金を返済してくれることは絶望視しており、8万5千円のうち、6万5千円返ってくるだけでも御の字というのが本音ではあるのだが。

たった25m2という狭さで、いくら光熱費込み、家具付きとはいえ、8万5千円という家賃は誰もが目を丸くするような破格の高さであった。

友人は、15m2で8万円払っていたのである。

彼にも、そういう相談所のカウンセリングを受ければ、過剰家賃に訴えることができるのではないかと言われたのだが、何せこの住居難の国のこと。娘もいて、すべて徒歩か自転車ですませられるこの立地条件のよさもあって、そこまで行動に踏み切れなかった。

同じアパートの住人も、他がないためにやむなく住んでいる人がほとんどで、すぐに別のところを探して出て行くケースが多い。

家賃だけでなく、やれシャワーは7分ですませろとか、水道代や光熱費が上がるから家賃も上げるだの(実際は値段はほとんど変わってないにもかかわらず)、さんざんお金に関するプレッシャーをかけられてきた。6回もの一時帰国で頻繁に家を空けても変わらず家賃は払っていたのに。

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半年前、この友人に、大家がある宗教に入っているのではないか?といわれた。

奇しくもその数週間後に、彼が、

「あのアパートの大家さ、どうもサイト○ジーに入っているみたいだよね。」

と言ってきたのだった。

「ねぇ、友達もそんなこと言ってたんだけど、何そのサイコ○ジーとかって。なんかさ、トム○ルーズも入っている宗教なんだってね。でも、なんでそんなこと知っているの?いつから知ってた?」

「違う。サイト○ジー。外壁にそれらしきことが書いてあるから、ずっと知ってたよ。宗教というか、、、いわば自己啓発組織みたいなものかな。賢くなるための教育団体というか。前にも、国営テレビでその組織について番組組んでてたまたま観たんだけど、しょっちゅうワークショップとか講演とかで、会員はものすごいお金払うことになるんだよね。」

「あー日本にもそういう団体、あるかも。いろいろ議論するために集まったりさ、本も出して売ったりね。それがけっこう売れてるみたいなんだよね。」

「だから、その大家、お金にからむことでうるさいんじゃないの?その集まりでお金が必要だから。」

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わたしは、自己啓発とかが基本的には好きではない。

確かに、そういう本を読んでみれば、まともなことを書いてあると思うし、納得させられることもある。

自己啓発に関する講演だって、何回か行って、本も買ったりした。

でも、確かに講演ですばらしいことを聞いて、自分が成長した気分になっても、実はそれを実生活にフィードバックさせて実行することが難しく、また実際にそういう局面になって対処しなければならないときに学ぶことが大きい。

例えば、育児に関する講演で、「自我を達成したとき、自立する力が芽生える」と聞いて、ほおーとなっても、子供の自我を受け止めるというのが実生活の中で実行するのが難しく、忙しい朝になかなかできない服の着替えや靴はきに何度イライラして吠えそうになったことか。

でも、実際にぐっと我慢して、できるのを辛抱強く待ったとき、娘がこの上ない満足気な表情をみせたとき、なるほどねぇと思ったものである。

講演で聞いたことそのままなのであるが、感じる感動の強さはまったく違った。

やっぱり、講演で一方的に情報を得たのとは違って、自発的にその困難を越えて得たものだからだと思う。

だから、講演や本は有益な情報であっても、いわば指針を与えてくれるにすぎず、本当に成長できるかどうかは、実生活の中で何を感じ、何を行動できるのかによるところが大きいと思う。

わたしには理解できん。

金に汚くなってまで、アメリカくんだりまで自己啓発に投資するのって。

というか、自分が賢くなる、学ぶ機会なんて、身近にあるものなのに。

別にどこに行かなくとも、いろいろ感じて、学んだりできるものなのにな。

わたしは、今、日本の外にいるけど、日本にいたって、いろんな機会がある。

要するに、環境ではなく、自分のきもち次第であろう。

日々雑感

語学学校はけっこう楽しい。

きっと、クラスの雰囲気がいいからなのだろう。

ヨーロッパよりはアジア人が多いのだが、受けた教育のバッググラウンドでクラス分けされているせいか、皆飲み込みが早く賢い。英語もペラペラだ。ご近所さんが多いので、みんなでわいわいと帰ったりもする。

隣の子は、夏休み前に数回授業を受けていたので、わたしよりも3回遅れてスタートしたのだが、初めて見たときはドキっとした。

母国こそ違うが、彼の元奥さんにそっくりだったからだ。

でも、彼女はユーモアがあり、朗らかで、かなり好感もてる。というか、結構好きだ。彼女のことをよく知っているわけではないが。

彼の元奥さんのことも、彼の元妻、でなければ、好感もっていたかもしれないなぁ、と思った。

そういう意味で、雰囲気や外見で人を判断するのはしょうがない、というか、深いところまで知るのは、深くつきあわない限り、大抵は難しいことであろう。

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さらに多忙な状況になっている。

まだとるべき単位が残っており、特別授業を受けることになったからだ。

12月締め切りで、ある本を読んでレポートを書くことになったのだが、講師になってくれる同僚の話で、改めて自分の無知を認識させられた。

自分の修士で得たデータも、必ずしも正しい方法ではなかったことまで認識した。データを得ることだけに注力し、どのような理屈で分析されるのか深く考えなかった結果だろう。

ペンディングした論文のデータ取りも、泥沼化している。

これも、実験に関して深く注意を払わなかった結果である。

とりあえずこなすことは、どれも容易なことなのかもしれないが、ちゃんとやるって、とてもエネルギーがいる。

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娘が、スカウトに喜々として通うようになった。

保護者同伴ではないので不安だったが、充分愉しんでいるようである。

月曜日は、宝物探しをしたそうだが、それを家で再現させ、手紙と宝物を用意し、彼と息子さんを巻き込んで遊んでいた。

金曜日から、二泊三日のお泊り会に参加する。

慣れ親しんだグループならともかく、入ったばかりの集団で親から離れてお泊りすることに躊躇したのだが、娘は行く気まんまんなので、彼がシュラフを用意するという。

スカウトも、夜祭の出し物に感化された娘が、どうしても入りたいと言い出したのがきっかけだし、こうして自分のやりたいことを見出して親から離れていくことに少しさびしさを感じた。

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弟のお嫁さんが、頼んでいた「長靴下のピッピ」を送ってくれた。

大体のあらすじは把握しているつもりだったが、ピッピのセリフにユーモアが含蓄されていることを認識した。

「一人で暮らしていたってさみしくはないわ。だって、お母さんは天使だし(赤ちゃんのときに亡くなった)、お父さんは黒人の国の王様だし(船長だったが、嵐にあって海に投げだされたまま行方不明)、こんなに幸せなことってないと思うの。」

「ポルトガルの首都がわからなくたって、そこへ行けばいいじゃないの。」

厳しい状況を幸せに感じる前向きさ、何事も愉しみに変えていく行動力、子供用の本なのに、わたしの方が夢中になって読んでしまった。

噂

何かと行事が多いこの頃である。

金曜日には娘のクラスの担任だった保育士さんの退職レセプションがあり、土曜日にはアパートの清掃・修繕、バーベキューがあった。

はっきりいって、わたしはこういう大勢で集まるような行事が苦手である。日本にいたときですら、大学の部活や研究室の飲み会、あるいは会社での飲み会も行きたいと思ったことがなかったほどで、さらにこっちでは言葉も理解できないので、本当に気が重い。

本当は彼のお父さんの60歳の誕生日パーティも辞退したかったが、何かとお世話になっているし、何よりも何ヶ月も前から念入りにプランを練って、とても楽しみにしているお父さんを見ては、とてもキャンセルするわけにはいかなかった。

もっとも、彼がとても気を遣ってくれ、隣の元同級生だった方も非常に親切な方だったので、思いのほか楽しむことができたのだが。

保育園でのレセプションも、娘が3歳3ヶ月で入園した当時の担任の先生で、言葉もできない娘のことを非常にかわいがってくださり、やっぱりお礼を言いたかった。

アパートの行事も、平日にたまっている家事をこなしたかったので、掃除は彼に一切任せたのだが、いきなり彼と同居を始めて不審がる人もいるだろうから、やっぱりバーベキューには顔を出して挨拶くらいしないとなぁ、と思い、嫌々ながらも参加したのだった。

結果的にはいずれも楽しめたのだが、わたしは、ただ元来の人見知りのせいだけではなく、後ろめたいきもちが人と交わることを躊躇させていたのかもしれないなぁ、と思った。

彼とは、保育園の同じクラスの保護者同士という関係で、実体はともかく、表面上では日本人の夫と婚姻関係にありながら彼との関係をスタートさせた。

保育士にはすぐに事実を話したのだが、本当に仲のいい保護者を除いて、他の保護者はそのことをどう感じるのか怖く、なかなか事実を話すことができなかった。

レセプションで会った保護者には、大概一緒に暮らし始めたことを告白したものの、どう受け取ったかどうかはわからない。

また、アパートの集まりで、彼は、彼女と仲のよかった人にだけ、離婚について、

去年の9月に、彼女の不貞が原因でセパレートに至ったこと、

セパレートが始まって数日後にわたしと出会ったこと、

セパレートしてからも、住居探しのために、元妻に同居を許可したこと、

今、近所にアパートを得て住んでいること

という、大まかな事実について話したそうだ。

実は、わたしと娘は、元奥さんが同居している頃から訪れるようになり、しかも奥さんが出て数ヵ月後にわたしたちが同居を始めたので、アパートに住む人たちはいろいろと詮索しているのではないか、と思っており、そんな中で集まりに顔を出すのは、非常に重荷だったのだ。

表面的にみれば、彼が奥さんと婚姻関係にある間からわたしとの関係が始まり、結果的にわたしが離婚の原因となったとみる可能性も多いにある。

だから、彼が事実をはっきりと話してくれたことがうれしかった。

が、

「でも、相手が僕の説明をそのまま受け取ったかどうかはわからない。もしかしたら、信じてくれていないかもしれない。でも、相手がどう感じるかどうかは、僕がコントロールすることはできない。」

彼女は、アパートの人たちの評判がよかったそうだ。

会話もそうだし、夕飯を大量に作ればおすそ分けすることもあったり、こうして集まったときには、春巻を作って差し入れもしたそうだ。

確かに、彼女は、場を盛り上げるような華があり、そして気をきかす場面もみられたり、子供とも非常に楽しそうに遊ぶので、実際は家事も育児もおろそかにしているのに、表面的にはとても好人物として映るのである。

現に、彼も最初はそういう彼女の表面的な華やかさに惹かれ、一緒に生活していくうちに徐々に彼女の不誠実さが露見するようになったわけだが。

わたしは、それとまったく逆なのである。

気が利かないし(バーベキューで、何か料理をもっていくなんていうこともまったく思いつかなかった。)、外見のイメージで引かれてしまうことも多い。

だから、わたしといることで人が愉しんでくれる自信がなく、大勢のところに参加していくことに、人一倍の勇気を必要とされるのである。

確かに、人が自分をどうみるかどうかは、わたしが決められることではなく、その人によるところであろう。

そのために、わたしができることもある。

現に、日本で、保育園で他の保護者に敬遠されたあとも、勇気をふりしぼってクラスでの飲み会を企画して一緒に飲んだら一気に仲良くなったわけだし。

正直、元奥さんが春巻をもっていったことをアプリシエートしている彼をみて、そしてやんわりとそういうことをわたしに薦めたことで、傷ついてしまった。

わたしの気の利かなさが、誤解を生んだひとつの理由でもあると示唆されたようで。

だからこそ、彼女のことが嫌いなんだと思う。

でも、わたしは、彼女のようになりたいとは思わないし、無理してまで料理を作ってもっていくなんてこともしないと思う。

やっぱり、いくら噂とか評判を気にしたって、他人がわたしの人生の責任を負ってくれるわけではない。

自分にとって大切だと思うことを、ひとつひとつこなしていくしかないのだと思う。

「隣人なんて、しょせん好奇心をもっているだけで、本気で他人の人生に関心をもっているわけではない。」

彼のお父さんに言われたセリフである。

ちなみに、彼は、芸能人ネタ、離婚だの結婚ネタが好きではない。

なぜなら、

「その人のことを知らない。」から。

まぁ、同感である。

社会の中で、いろんな人と関わらなければならないのは必至で、いちいちどう思われるかばかりを気にして消耗していたら、やっていけないのかもしれない。

価値観の変化

市役所に、住所変更してきた。

ついでに、4月にパートタイムに変わって収入も減ったので、税金の変更もしてきた。

公式に彼と同居ということは、ほぼ彼と一家族とみなされ、それに伴って今まで受けていた保育料の一部免除や臨時育児手当金の給付も消失する。

日本の場合は、婚姻関係に至らない限り、子供をもったとしても保育料決定の際に両者の収入を一本化して換算されることがなく、そういう意味では、こっちの国の方が現実的な制度といえよう。

もちろん、結婚しなくとも子供ができれば、父親に育児休暇が認められるなど、同等の権利が得られるのである。

したがって、いくら家賃をシェアできるようになったとはいっても、子供の関係があるので、実は経済的な状況はたいして変わらないのである。

それを認識していたがゆえに、実質同居をスタートさせてもしばらくはアパートをキープしていたのである。

まぁ、お金の問題だけでなく、お互いに離婚を経験しているだけに、より慎重になっているともいえる。

特に彼の場合、5年前、やっと得た外国人のガールフレンドと離れ離れになりたくないと思うばかりに、許される最長滞在期間6ヶ月間の間に籍を入れなければと、出会ってから5ヶ月というスピード結婚をし、その結果、結婚前には見えなかった問題が次々に露呈し、最悪の状態で別れに至ったという痛い過去がある。
「好き」という浮ついたきもちだけでシリアスなことをしてはならない、という教訓を得たのである。

結婚することに慎重になるばかりではなく、結婚に失敗しているだけに、彼もわたしも、男女関係をより現実的にみるようになったと思う。

「好き」よりも、「信頼する」に重きを置くようになったというか。

性的魅力を感じるよりも、生活感覚に優れた方を好ましく感じるというか。

例えば、ハンサムな人よりも、コンロをきれいに磨き上げてくれる姿をカッコイイと感じる。

元夫には、ハンサムでスラっとしていて、器用で(アレも含む)、研究をバリバリやっているところに惹かれたのだが、今はそういうことが決定的な魅力と思わない。

今の彼はデブだし、不器用だ。でも、劣っているなりに、一生懸命育児をしてくれたり、家事を手伝ってくれる姿にいとおしいなぁと感じる。

ちなみに、引越しは、わたしが手ですべての荷物を運んだのであるが、最後のクリーニングは彼の甚大なる協力のおかげですべてがピカピカになった。もちろん、クエン酸とかベンジンなどの薬品も使ったが、しつこい汚れなどは彼の力で除去できた。

元夫は、年に一度の大掃除でさえも、「なんで寒いときにやらなければならないの?」といって、非協力的であった。だから、彼がそういうのをまったく厭いもせずに積極的にやってくれるのが、逆にかっこいいと思うのである。ベッドの修理も、喜々としてやってくれたし。やっぱり、仕事だけでなく、何気ない生活自体に喜びを見出せる人って、いいなぁと思う。

というか、わたしも意識が変わったかもしれない。

日本にいたときは、わたしも結構家庭外での楽しみを追求していた。途中で転職して収入が3分の1に減ったあとも、帰省したり旅行したり飲みに行くなど、レジャーでの出費を抑えようなんていう意識がなかった。日本を離れてからも、自力で家計をまわしてはいたけど、一時帰国では夫のお金で散財しまくっていた。

それが、今は、あまり散財することなんてできないから、身近なことで楽しみを見出している。図書館やプール、公園を利用したり、近くの船に乗ったり、イヤーカードで入れる遊園地に行ったり。外食も、特別なことがない限りは、ほとんどしない。マクドナルドでさえも2回行っただけ。

もっとも、日本とこの国は環境が全然違うから比較なんてできないのだが。

日本にいると、懐いかんにかかわらず、常に何かに吸い込まれてしまうから。「コンビニ」「本屋」「ファーストフード」に。

でもまぁ、目は内側に向かうようになったらなったで、楽しいこともあるものである。