いまのしゅんかん -420ページ目

ビザ取得


移民局近くの風景
運河が凍っていて、その上に鳥たちが座っている。


ビザ取得!
まぁ、1年間の労働許可だけど、今回は書類を申請して1時間弱でビザがおりたので、かなりマシな方でしょう。
去年は、古い書類をもっていったため、審査が持ち越しになってしまい、再度移民局に出向かなければならなかったので。
ちなみに、彼の奥さんの場合、3時間待った挙句に、2階に連れていかれてさらに2時間も待ったそうだ。この国の男性と結婚しているにもかかわらず、何故そんなにも審査に時間がかかるのか疑問であるが。

今回、すんなり申請用紙に書き込めるように去年ミスしてそのままとっておいた書類をもっていったのだが、去年の申請用紙と違うのは、学歴や職歴についても書かなければならなかったこと。
EUでも、高い学歴をもつひとだけが移住を許されるべき?というのが物義を醸し出していたが、審査に影響出るかどうかは不明であるものの、こうやって深く個人情報を求められるようになって、徐々に移住が厳しくなっていくんだなぁ、という実感をもった。
事実、国際結婚の場合、どちらかが24歳以下の場合はこの国に住むことができなくなった。
また永住許可が出るのは、従来3年だったのが今は7年である。
国際カップルの多くが離婚しているという現実を鑑みての処置なのだろうか。

彼の元奥さんは、この国の言語がネイティブ並みに流暢であるにもかかわらず、いまだに一人で市役所に行くことができないし、問合せの電話も一切できない。友達は多いのに、政府関係、保育園など公の人との接触を嫌がっているのである。したがって、いまだに彼が代行し、きっとこの先も援助することになるのだろう。
彼のお父さんいわく、きっと自分が東南アジア出身であることで、蔑まされたり、差別を受けるのではないかという不安があるせいではないか、とのこと。
実際に、彼女の母国の女性とこの国の男性間のカップルの50%ほどが離婚しており、離婚まではいかずともほとんどのカップルが深刻な問題(特に経済的なこと)を抱えているとのこと。彼のお母さんが彼の結婚前に危惧していたのも、そうした悪い噂があったせいであった。
彼女は、当然そういう噂があることも認識しているだろう。

昨日、彼の元奥さんは、月1回の援助金を彼から受け取るために、彼のアパートまでやってきた。
毎回毎回必ず息子さんにおもちゃを買ってもってくるのだが、今回はフェステラウン前ということで、ピエロの衣装、騎士の衣装、盾と剣のセット、鎧と剣のセット、計4点を息子さんに買ってきたそうである。
きっと全部で1万円くらいはしただろう。
そのくせ、来週行くはずだったスキー旅行に、「お金がないから行けなくなった。」ともらしていたそうだ。
彼から5万円のお金をもらって。
彼女自身もたくさん買い物したあとに。

一体、彼が彼女に5万円をあげる意味ってなんだろうか、と思ってしまった。
彼女の散財金を供出しているだけか?
息子さんだって、1日たてば、もらったおもちゃに見向きもしなくなる。
彼女はアパートを購入する予定のはずなのに、そして今のアパートの家賃だって12万円もするのに、なんでそんなに無駄遣いをするのだろうか。まったく理解できない。

確かに、それが文化の違うと言ってしまえばそれまでのだけど、その5万円だって、彼が一生懸命働いた結果の1部である。もっと尊重されてしかるべきだと思う。

移民に関する法律が厳しくなることは、わたしにとっても深く関わってくる問題であるが、やっぱりこの国の富を享受している以上は、この国の人たち、この国の文化を尊重することが必要であると、個人的な意見として思う。
がんばって得たものをただ吸い取るだけ吸い取るだけでは、やはり国民にとっても納得いかないであろう。

離婚にともなう手続き

今日は、指導教官とのミーティング以外、ずっとネットで、離婚に伴う実質上の手続きについて調べた。

結婚したときも大変だったけど、今回はもっと大変。
子供がいるし、海外転出しているから。

ふぅ。

わたしは、もともと夫の姓に変わるのが嫌だった。
平凡な姓だから、というのもあるけど、手続きが面倒!
健康保険、年金、銀行口座、パスポート、免許証、、、、

やっぱり、こっちの国のように、夫婦別姓認めて欲しいなぁ、と思う。
だけど、そういう煩雑さを知らない男に限って、夫婦別姓反対!だったりするんだよなぁ。
ちなみに、この国では、子供の名前は、ミドルネームに母親のラストネーム、ラストネームに父親のラストネーム、というのが多い。
法律で認められている夫婦別姓を実行しているカップルは50%くらいだそうな。

ちなみに、わたしたちは2年近く海外転居しながら、転出届を出しておりません。
理由は、社会保険の権利喪失を避けたかったのと、一時帰国したときに医療を受ける可能性があるから。特に娘の予防注射があったので。
市役所の人にも、夫が日本にいるのだから、特に手続きをしなくてもいいのでは?といわれて、そのまま放置していたのです。

だけど、保険、年金、免許証、銀行口座のことを考えると、離婚して新しい戸籍謄本ができるのを1週間以上待って手続きするよりは、先に転出届けを出すのが妥当か?と思ったりもしています。
市役所に問い合わせて相談してみます。

育児についてのディスカッション


もちつき。
ほら、粘ってきたよ。


彼と、子育てのことについて話した。
文字を教えたり、長時間TVを観させるのはよくないという話をしたのだが、彼にとっては酷な内容でもあったかな。もちろん、同意をしてくれたけれど。

彼は、「叱らない」「受け入れる」を徹底している。
もちろん、わたしも感情的に叱ることは子供に悪い影響を与えると思っているから、それについては賛成である。

だけど、「受け入れる」というのはどういうことなのだろうか。
TVを観たいといわれればそれを許可し、これをやってくれと言われればやってあげ、甘いものが欲しいといえば与える、、、これって「受け入れる」ことなのか?
「甘やかしている」のではないか?

「受け入れる」って親にとって大変なことであり、
「甘やかす」は親にとってラクなことなんだと思う。

わたしは、娘に自分でできることは自分でやってもらうことを徹底しているが、はたからみれば、一切子供を援助しない冷たい親に見えるかもしれない。
でも、実はこれは大変なことなのである。
だいぶ成長した今はともかく、最初のころは失敗も多いしなんといっても時間がかかる。
朝の急ぎたい時間に、子供に自分でやらせるということは、実は親にとって忍耐が求められることなのである。
どんなに時間がかかっても怒らない。焦らせない。そうして辛抱強く子供の力を信じて待った挙句に子供自身の力で成し遂げれれば、子供にとって自信を得ることになる。「一人でもできるのだ。」と。そういった自信が、違う困難への挑戦のモチベーションにつながり、次へのステップとなりうるのである。
それに対して、親が何もかもやってあげてしまうというのは、実は親の思い通りにすることであり、子供にとってもやってもらうことが当たり前となって、自分でやりたいという意欲も育たなくなる。

娘は、決して最初から何でも挑戦する!といった意欲的な子供ではない。
けっこう怖がりだし、臆病な子供である。
だけど、感受性が高いところがあり、ひとたびできた!という感触をつかむと、この上ない至福感が得られるらしく、やみつきになって自分でやろうとするのである。
プールだって、最初は水に顔がつけられなかった。
でもわたしも一緒にもぐっているうちに、水の中ですーっと浮いた快感をつかんでから、めきめきと自力で泳げるようになったのである。

「受け入れる」というのは、親にとって不都合なことであっても、子供のきもちを理解しようとする姿勢を見せることなんだと思う。

わたしが、娘の目の前でドレスを作っているのは、ある種デモンストレーションしているようなもの。
作っている最中は、娘の欲求をかなえようと努力していることを見せていることになるから。
買った方がラクだし安い。
けれども、作るほうが、子供の要求を受け入れるためのエネルギーを多く費やしていることになる。

TVをすぐさまつけてあげるのと、本を読んであげるのと、どちらが子供に注意を向けていることになるだろうか。
本を読んでいる間は、子供にとって親が自分に向けて何かを発信していると実感を得られるだろう。
親が着せてあげるよりも、自分で着るのをあたたかいまなざしで待ってくれたほうが、自分の力を信じているという親の愛情を確信することができるだろう。

無理強いせず、強制したりせずに、子供が本来もつ力で成長を促す。
これって本当に難しいこと。

彼は、「怒らない」ことだけに注力していただけに、着るのも靴をはくのも彼がすべてやってあげ、食べるときに必ず手を使う好ましくない癖がついても直そうとせず、水が怖いからといってプールに行くことも避けていたのだろう。
「怒らない」ことは確かにいいモットーである。
けれども、それだけでは子供は育たない。

これだけごたいそうな育児論を書いているものの、わたしだって欠陥だらけの親である。
最近は彼や彼のお父さんの家に頻繁にいるようになって、本当に娘のことをかまってなかったし。。。
文字をやたら書くようになったのも、わたしとの会話が激減したせいでもある。
それで毎晩必ず日本語の絵本を読むようにしたが。

でも、完璧でないことを認識しながら、常に親としての自分を省みることが大事だと思う。

「だるまちゃんとてんぐちゃん」
これ、かなりの良書です。
だるまちゃんが、てんぐちゃんの団扇だのゲタだの帽子だのにいちいちうらやまがしがるのだけれど、だるまちゃんの親はそれをことごとく理解して用意してあげ、結果的にはだるまちゃんのアイデアであるもので作る。最終的には、「てんぐちゃんの長い鼻が欲しい」という欲求さえも、もちごめを蒸してもちつきをして出来たもちで鼻を作ってあげるなど非常に面倒な手順をふんでまでも、受け入れようとする。
これって、親の愛情を確信できるし、しかもこういう創造的なところに子供も学ぶことができる。だるまちゃんもなかなかのアイデアマンである。

彼には、
「育児は簡単じゃないよ。だけどその困難をシェアしたい。」
と言っておきました。

子育てを省みて


こんなことを夜な夜なやっているので朝起きられない。


昨日の夜は、彼の元奥さんが息子さんに会うために、彼のアパートに来ることになっていたので、久しぶりに娘と2人きりの夜だった。
今までは、奥さんが保育園まで息子さんを迎えに行ってそのまま彼女の家で一晩過ごすというのが普通だったのだけど、昼の仕事が始まって、しかも彼女の家は保育園から遠くて引き取ることが困難となったので、しばらく彼のアパートに来るか、週末に息子さんを引き取るということになるそうだ。
彼女の家に引き取ることができるように、引き続きこの市で住居を得る段取りはしているが。

少し複雑な心境になったものの。
ゆっくり娘と一緒に過ごすこともなくなってきたなぁ、と。
彼の家に行ったところで、ビデオ三昧になるばかりで、いくら息子さんと一緒に過ごせるとはいえ、あんまりよくないことも事実。なんせ自堕落な日々だ。

しかも、彼は面白がって娘に文字を教えている。
わたしは、学齢期前の子供に文字を教えることは、して欲しくないと思っている。
文字にしろ数字にしろ、「覚える」ことを教えてしまうと、形ばかりにとらわれるようになって、自由な発想、感性が育ちにくくなってしまうからだ。
事実、娘は、描画の力が乏しくなってしまっている。
感動を絵で表現することができなくなってしまっているのだ。
そのかわりに、自分の名前や友達の名前を書くことに喜びを見出してしまっている。
友達との時間を思い出しながら書くのではなく、ただ文字を再現できたことがうれしいに過ぎない。

そこで、今日は、一緒にお話をしながら絵を描いたり、一緒にもち米を炊いてもちつきをしたり、本を読んだりして、とにかく2人で一緒に楽しむ時間を作るようにした。
もち米をつくときの、だんだん粘ってきて力を入れなければならない感触とか、もちをとるときのなかなかちぎれない感触とか、体験によって初めて味わえるものってあるし。
本を読んでいても、絵をみながらいろんな疑問とかわいてきて、楽しい会話が展開したりするし。
「楽しい」と思うきもちを、主体的に味わって欲しいと思う。

実は、彼の子供に問題を感じている。
両親の離婚という環境の影響も多分にあると思うが、息子さんに「生きる力」が感じられない。
自分から「何かしたい!」という意思に乏しいというか。
3歳半になるのに、いまだ自分で服が着られないし、手を使って食べる。友達のやっていることをみて自分も挑戦してみようときもちがわいていない。

今夜は、彼といろいろと子供のことについてディスカッションするつもりである。

国際カップルのよさ

またまた例の漫画家さんのHPを見に行って考えさせられてしまった。
「どうしてパートナーが外国人なのか」
という議論の中で、日本人男性にはもてなかった女性のせつない心境が語られていて、わたしもつい過去を思い出して泣きそうになってしまった。

このブログでもさんざん書いてきたが、わたしは恋愛コンプレックスを持ち続けてきた。
夫との関係の問題に対峙できなかったのも、それが原因のひとつでもある。
「この人を失ったら、二度とパートナーを得ることができない。」
という恐怖でもって、我慢の限界に達するまでずるずると困難を受け入れてしまっていた。

なぜなら、わたしは、男性にもてない、というだけでなく、その上鬱陶しがられていたから。
わたしが日本の大学で研究室に所属していたとき、研究室の男性陣から理不尽な差別を受けていた。
わたしの話に耳を傾けないどころか、かわいい子には許されていた過失もわたしにはひどい叱責を受けたり、かわいい子には進んで手伝っていた先輩もわたしには「そんなの自分で調べてなんとかしなよ。」と一蹴したり。

確かに、わたしは可愛くない。
がさつだし、自分のペースにもっていこうとする。
外見を磨いたり、性格を改善させたり、もっと人に好かれる努力をするべきだ、と言ったら本当にその通りなのだが、ここまで人に受け入れられていないと実感してしまうと、とことん自分を否定してますます自分の殻に閉じこもってしまい、自分を変えることなどできないのである。

ところが、わたしをこの国に引き寄せてくれたキーパーソンである外国人の彼(今の指導教官のひとり)がその研究室に研修生としてやってきたとき、わたしの物怖じしない意見にもウンウンとうなずいてくれたりして、日本人男性とは違う感触を彼から得たのであった。
恋愛感情というわけではなく、今まで鬱陶しがられていた言動にも好感をもって受け入られているということが、ただ単純にうれしかった。
実際、彼の奥さんは日本人女性であるが、わたしに勝るとも劣らない強い信念をもった女性である。
「コワイネー。」と言いつつ、奥さんのそういうところを愛していることがわかるのである。
2人でよく政治の話とかもしているらしい。

恋人である彼もまた、わたしの強さが好きだと言う。
最初はアジア人女性の美しさにメロメロになってしまった彼も、美しいだけでは物足りないことに気がついたそうだ。
2番目のガールフレンドはとても美しい女性であったが、一向に語学力を磨こうという向上心がみられず、充実したコミュニケーションがのぞめなくて交際を断念したぐらいだし、元奥さんはかわいらしく語学は達者であったが、話すことが表面的なことお金のことばかりで辟易してしまったという。

わたしの研究に対するモチベーションを評価してくれていた夫でさえも、わたしが政治の話をしようとすると、「それじゃぁ、おまえが政治家に文句言いにいったら。」と言い、わたしが教育の話をしようとすると、「そんなのきれいごとだよ。」と一蹴して、わたしの主張を鬱陶しがっているのがありありと見えたのに、彼はむしろ関心をもって何でも聞いてくれる。
日本人男性が嫌がることを、外国人だったら歓迎してくれるなら、そちらに惹かれるのは自然ではなかろうか。
「外見なんて関係ない。中味を好きになって自ずと外見も美しくみえてくるものなんだよ。」
といってくれれば、本当にわたしという人間を受け入れてくれるという信頼も生まれる。

実際に、日本では、というかアジアでは外見の美しさが重要な要素のひとつであると思う。
ろくにコミュニケーションもないまま恋に落ちることもよくあることではなかろうか。
でもこっちではあまり重視されていない。
おしゃれじゃないし、俳優は美男美女というわけではない。アテンダントも太った中年女性がよくいたりする。
歯については気を配っているが。
むしろ、社会性にすぐれていたり、人を納得させる力をもっている人が人気あるように思える。

彼にしても指導教官にしても、この国では女性にもてなかった。
いずれも外見は普通であるし、身長もこの国の平均身長(181cm)以上である。
察するに、二人とも女性に対してシャイだったからだと思う。
でも、わたしからしてみれば、二人とも思慮深く、魅力に欠けるとは思わない。

国際カップルのよさは、母国と異なる視点からお互いに評価することにあるのかもしれない。
バッググラウンドの違いは困難をもたらすが、違った価値観が新しいものを生む可能性もあるのだ。

フェステラウン


フェステラウン

イースター(復活祭)前の40日間にわたる肉の断食期が始まる前日にあるお祭りである。
肉を絶つ前日にバカ騒ぎしようというのが、そもそもの趣旨だとか。
今は、断食なんてあるわけもなく、ほとんど子供のためのお祭りとなっている。
そもそも、この国は90%以上がクリスチャンというが、そういう感じがしない。日曜日に教会に行く人も、ごくわずかであると思う。
合理的なこの国らしいといえばらしいけれど。

ちなみに彼に「クリスチャンなの?」と聞いたところ、
「う~ん、わからない。クリスチャンかもしれないし、、。」
なんだよ、それ!
むしろ、仏教の方が共感を覚えるらしい。わけわからん。
でも、仏教の方が、特定の存在を尊重するというよりは、人間の和を重んじる思想、すなわち人間の道徳に基づいていて、わたしもキリスト教よりは仏教の方に同意する。

とはいうものの、お祭りはお祭り。
今年はイースターが3月末にあるので、40日前にあたる2月上旬にはフェステラウンがあるとのこと。
わたしは娘と「シンデレラのドレスを作る。」と約束しているので、あわててドレス作りを始めたところである。

写真は去年作ったドレス。
買った方がはるかに手間もコストも安くすむのだが、あえて娘に、「ものを得ることの大変さ」を実感させるために、娘の目の前で作ることにしたのである。
現に、去年作ったドレスをいまだに大切にしてくれている。
というわけで、今週末は突貫作業突入予定。

しかし、宗教とは関係なく、クリスマスもイースターもフェステラウンも、季節にちなんだお祭りのように思う。
クリスマスはキリスト教が伝来する以前から同様のイベントがあったと言われているように、まさに冬至の暗くてじめじめして寒い時期をお祭りで乗り切ろうという知恵の結果であると思うし、イースターは春の訪れを示唆する。
日本でも、冬至や節分が同時期にあることからして、イベントは宗教の一環というよりは季節の移り変わりを楽しむものであるといえよう。

ということで、クリスマスもフェステラウンも純粋に楽しむことにしている。

娘の部屋


娘が、ダンボール箱などを使って作った自室。
キッチン、バスルームなど全て含めて25m2しかないアパートの部屋であるが、こうしてわずかなスペースを確保してまでプライベートの部屋は欲しかったようなのです。
でも、何気にご飯も食べられるし、出窓のスペースにはおもちゃや写真立て、カードなどを置いてしょっちゅう絵を描いたりしているし、ダンボールの玄関の前にはおもちゃのベビーカーまで置いたりして、結構機能的な部屋です。

最近彼のアパートに泊まることも多くなってはいるけれど、わたしも狭いながらもこのアパートは結構気に入ってたりする。
というか、ホッとする。
2年間かけて創り上げた部屋だから。

いよいよ


去年、フェステラウンという、いわば子供の仮装フェステのイベントに、ビーズで作った冠。
そのほか、ドレスも手縫いで作ったりして、去年は余裕だったんだなぁ、としみじみ。
時間的にも、経済的にも。
ちなみに、ビーズや布などの材料費だけで、1万円は軽く超えています。

今までは、多少苦しくとも、保育園の減額も申請しなかったし、高くて狭いアパートでも受け入れてたし、経済的なこと一切考慮していなかった。
夫からの資金援助がなくとも、別にクレームもつけなかったし。
結婚している、ということに安心していた。


3月、離婚のために一時帰国することを決めた。
チケットもとり、夫とも連絡をとりあった。

いよいよ、、、、なのである。

自信

今日は指導教官とのミーティングがあった。
とはいえ、この趣旨は、「わたしの英語力を改善すること」であるので、実験データもまとまっていない今日はほとんど雑談に終始した。
とはいえ、1時間近く話したのかな。政治とか教育のこととか濃い話が多かった。

中でもずしんときたのが、「どうして英語の力が伸び悩むのか。」の理由をずばり指摘されて、自分自身省みざるをえなかったこと。
語学って、しょせん場数をふむしかない。
そのためには積極的にいろんな人と話すのがもっとも効果的な方法なのだが、わたしはあいにく社会性に乏しい。

わかっている。
もっといろんな人と交流して、語学力をのばすだけでなく、違った意見や考えに触れてもっと自分自身成長させなければならないことは。
でも、怖いのだ。人に触れるのが。

否定されるのが怖いというのもあるけれど、それだけでなく、わたしと一緒にいることで楽しいと思ってくれる自信がない。それどころか、ますます不愉快にさせてしまうのではないかとさえ思っている。
語学に自信がないから、どうしても一辺倒の表現になりやすいし、固い話抜きにウェットに富んだ話題も出てこない。
こんなわたしだったら、人を退屈にさせてしまうのではないか。
そんな不安が、ますますわたしを孤立させているように思う。
一人でいるほうがラクだから。

本当に、自分を変えるのって難しいなーと思う。
わたしのそういった不安は、少なからずわたしがもっているバッググラウンドに関係しているわけで、そう簡単に払拭できるものでもない。

この国の人とつきあったことのない彼が、アジア人であるわたしには積極的にアピールしてきたのも、なんとなくうなずける。
彼がそういうコンプレックスをもっていることを知ったから、彼とは安心してコミュニケーションできたわけだし。コミュニケーションに飢えているこの人なら、多少の語学力不足でも受け入れてくれるのではないか、と。

恋愛もそうだけど、自分が自分を受け入れていないと、怖くて人に触れられない。
ああ、再評価をしたい。

国際結婚の難しさ

彼の元奥さんが、新しい仕事を始めるとのこと。
去年の10月の終わりに真夜中に事件に遭遇してから、それまでやっていた深夜の清掃バイトが行けなくなり、今まで国から給料の80%ほどを支給してもらっていたが、それでも経済的に厳しいことには変わりなく、ずっと日中の仕事を探していたようだ。
本当は日中の清掃バイトを希望していたが、人気のある仕事でなかなか要請がなく、同邦人の紹介で学校の学食バイトにつけることになったそうだ。

彼の元奥さんは、東南アジア出身であるが、その国の人たちはこの国に結構在住している。
日本人が学生などの一時滞在を含めて全土で2000人ほどに対し、その国の人はほとんど学生はいなく、しかも90%以上女性というのに6000人ほどいるのだとか。
いかにこの国の人と結婚している女性が多いか。
彼女も、そういったネットワークでもって前の仕事にしろ今回の仕事にしろゲットできたのである。他にもレストランやカラオケなどの夜バイトも同邦人の紹介によるものである。

こないだのスマトラ沖地震で、その国のP島での犠牲者のうち80%が外国人だったというほど、西欧人にとって人気のある国でもある。
比較的安いし、海はきれいだし、文化の違いは見られるし、、というのが主な理由である。
おまけに、きれいな女性が多い国でもあると思う。
旅行したことのある弟も絶賛していたが、日曜日に餃子を作りたくなってアジアショップに行ったら、その国のきれいな女性が店内に何人かいてびっくりした。

そんな女性らにナンパされたら、、、
容易に想像がつく。

その国では西欧人がやたら人気あるらしく、純粋にアジアの文化を観るために観光に訪れた彼も、女性からのお誘いのあまりの多さにびっくりしたという。
人気のある理由は容易に想像がつくが、それまで女性とつきあったことが皆無だった彼は、ことばでのコミュニケーションが難しくとも、美しい女性の熱いまなざしを受けてつい舞い上がってしまったという。

彼の女性遍歴は、その国の女性のみなのである。
それを聞いたとき、はっきりいってひいた。
なぜなら、わたしが日本人の女だからアプローチしてきたと思ったからだ。

もっとも、それもひとつの理由であることは間違いなく。
今ではわたしもその事実を認めてはいるのだが。

アジアの女性は、西欧人に比べると背も低く骨格も格段に華奢で女らしい。
おまけに、料理も緻密。
中でも、日本人は特に真面目だし忍耐強く、男性に従順な傾向がある。
アメリカでのアンケート調査で、「結婚相手としてなら日本人女性が一番」という結果が出たそうだが、男性にとってもっとも都合のいいタイプといえるのだろう。

去年かおととしブレイクした国際結婚を扱った漫画を、わたしは彼に会う前に買って読んでおり、最近は著者のHPのBBSも見にいっているのだが、おしなべて「国籍は関係ない。個人の人間性が一番重要。」というような論調が多い。
確かに、それももっともであるし、わたしも彼だからこそつきあおうと思えたわけであるが、「国籍は関係ない。」とばっさり言い切ることもできない。
その漫画がブレイクした事実からしてみても、「外国人」というバッググラウンドを無視するどころか、意識するのがごく自然のことではないだろうか。

わたしはこのブログでさんざん彼の元奥さんのことについてあれこれ書いているが、ある意味では、その国出身というバッググラウンド上、やむをえない事情があることも承知している。
例えば、彼女の子育て放棄にしても、その国では親が直接子供を育てるのはごく稀で、祖父母が養育するのが普通のことという文化がそうさせていると納得することもできる。
彼女の刹那主義なところも、その国の典型的な価値観でもあるだろう。

いくら個人の人間性を評価したところで、実際のところ外国人とつきあうことは容易ではない。
ことばにしろ、文化の差異にしろ。
彼は、わたしの真面目なところ、わたしが作った料理を盛んに褒めてくれるが、わたしは、
「日本人だから難しいところもあるんだよ。」
とさんざん釘を刺している。
いずれにしても、あと1年半ここに滞在できるのだから、その間にその国際間の難しさを乗り越えてでも一緒になりたいかどうか判断できると思う。