いまのしゅんかん -419ページ目

かけがえのない存在というもの

とりあえず、彼のお母さんは抗生物質の投与が終了し、退院した。

抗生物質が投与されているうちは、細菌は存在していたとしても沈静化しているので、細菌が完全に消失したかどうか確認するのが難しいのだが、投与終了後5日後の今日の血液検査で、細菌が検出されないことを祈るばかりである。

もし、細菌が検出された場合、再度手術が必要となる。

彼もまた、昨日のドクターとのディスカッションで、手術することが決まった。

とはいえ、特に支障のないもので緊急性がないことから、2ヶ月ないしは3ヶ月後の予定であるが。

さかのぼること1ヶ月前。

股に、腫れのような出っぱりがみられるようになった。

痛みや違和感はほとんど感じないという。

とはいえ、場所が場所だけに、わたしはまず、男性に多い、前立腺ガンをまず疑った。

それで、すぐにでも病院に行って確かめて欲しいところだったのだが、この国のシステム上、余程の緊急性、すなわち我慢できない痛みや異常なほどの発熱などの深刻な症状が見られない限りは、まずホームドクターのアポイントをとって診てもらい、必要と判断された場合に、ドクターに紹介してもらって病院もしくは専門医に行くことになっている。

そのとき運悪く金曜日で、土日はホームドクターは休診であり、何もできないまま数日間過ごさなければならなかった。

思わず、最悪のことも考えた。

何度か、同僚の急死にあったことがあるので、ついネガティブに考えてしまう。

彼がいなくなったら、どうしよう。

ハンサムではないし、太っているし、舌足らずだし、決して男性的な魅力にあふれているわけではない。

だけど、これほど自分にあっている人はいない。

一緒にいて楽しいし、飽きないし、何時間でも話していられる。

いや、それだけではない。

もっと大切なこと。

それは、苦しさも受け入れ、ちゃんと向き合ってくれる。

こんなかけがえのない人を、なくしたくない。

そう、強く思った。

すると、彼もまた、わたしには見せなかったが、不安でよく眠れなかったという。

結局、ホームドクターには、「脱腸」と診断された。

時に、深刻な症状を引き起こす病気でもあるが、彼の場合はまったく支障のないものだそうだ。

心底、よかった、、、、とホッとした。

でも、同時に、この一件で、どんなに愛し合っていると信じていても、やはり人の人生をコントロールすることはできないのだな、とも思った。

それはわたし自身の人生もそうかもしれず、運命というものがあって、時にはそれで直面した困難を受け入れなければならないときもあるのだ、と。

彼のお父さんも、いきなり目が見えなくなって、失明しかかったこともあったという。

先日、王太子妃の出産場所でもあった、この国随一の病院で、手術を受け、今はなんともないのだが。

そういう意味では、娘も含め、かけがえのない存在が増えれば増えるほど、いろんなことが出てくるのだろう。

苦しさも増えるかもしれない。

それでもやっぱり、そういう存在が、わたしには必要である。

コラボレーション

クリスマスカレンダー完成!

火曜日に、1時までかかって完成させた。

それにしても、苦手なレポート書きは遅々として進まないのに、好きなことはものすごい集中できる。

やることはたくさんあるのに、だからこそ現実逃避として熱中してしまうのだろうか。

同じ日、彼もある作業に取り組んだ。

それに付き合っていたからこそ、クリスマスカレンダーも完成させてしまったのだが。

なぜなら、わたしがオファーした作業で、先に寝るのが申し訳なかったからである。

わたしが今、作成しようとしているレポートで、その特別コースで得た基本的知識を駆使して、わたしの研究で得られたデータを解析し、それによって得られるある現象の評価についてもレポートに盛り込む予定なのだが、それを解決するのに、どうしても数学的なツールが必要とされている。

わたしは数学が大の苦手なので、数学となおかつプログラミングも得意とする彼に、その問題を解いてくれないかとお願いしたのだ。

最初、目的に到達するための条件について説明したときには、彼もすぐにできそうな感覚を得たようだったのだが、いざ問題を解いてみたところ、

「う~ん、ダメ。ここが全然合ってないじゃん。微々たる影響のように思えるかもしれないけど、この微妙な差異こそ、わたしが評価しようとしているところなんだよ。この差異を無視したら、きっとどのデータも同じような結果がでて無意味。」

という、コイツ何様?というような生意気な顧客のダメだしのため、容易にできると思っていた彼もガクーン。

午前様になるまで、顧客の満足のいく結果を出すべく、奮闘してくれたのである。

ときどき、縫い作業をとめながら、彼が作っているエクセルのワークシートを覗き込んだが、その計算式をみてチンプンカンプン。

あわわわわわ。

化学専攻のわたしは、何でもイメージで物事を考え、解こうとしている問題もイメージでもってなんとなくできるんじゃないかと簡単に考えていたが、実際解くとなるとこんなにも複雑な数式を駆使しなければならないとは。

お父さんのところでやっている仕事も、パソコンでの解析なのだが、今まではしょせんお父さんを手伝っているにすぎないという感がぬぐえなかったけど、お父さんが本当に彼の助けを必要としているのがよくわかるわ~。

1時。

「これ、、、、どう?なんとか努力してみたんだけど。」

「。。。。。。。す、す、すてき!!!すごーい、これでいいよ!!」

彼を惚れ直した瞬間だった。

翌朝も、頼みもしないのに、もっと開発したいといって再度解析作業。

お父さんのところでも解析作業に夢中になりすぎて、いつも保育園のお迎えもギリギリになってしまうのだが、心の底からこういう仕事が好きらしい。

この一件で、彼のスキルについて改めて認識した。

難しいかもしれないけど、彼が自分の能力を活かせる仕事につくことを願うばかりである。

語学学校でのグループワーク

グループワーク

語学学校のクラスが始まってからまだ3ヶ月に満たないが、もはやテストがあって作文や長文読解をやらされたり、ちょっとしたグループワークがあるなど、ただテキストの内容を覚えるだけではなく、それを使ってその言語に慣れ親しむ機会を与えられているように思う。

グループワークは、けっこう楽しい。

最初は、語学学校で食べ物持ち寄りのパーティを設定し、どの食事を用意するかをグループごとに決め、その材料となるものをスーパーマーケットの広告を切り貼りして、その食材のことばを覚えるというものだった。

わたしたちのグループは、わたしの独断で「寿司」!

そしてデザートは、別の人の独断でタイでおなじみの「バッタのスナック」!

そして飲み物は、「日本酒」!

という非常にユニークなものとなった。

でも、結構広告で、「寿司パック」なるものが掲載されていた。当然「バッタ」、「日本酒」はなく、アート系の人がペーパーカッティングで製作、ついでに「のり巻き」も製作してくれた。

そして。

そのあと。

その料理を持ち寄った人を設定するにあたり、新聞から適当な人物の写真を切ってきて、どういう人なのかを作文し、そのあと、別のプループの人との質疑応答というわけである。

どういうわけか、わたしたちは「寿司」なのに、「トルコ人」の写真を選び、

30歳で、7人の子供がいて、キオスクで働いていて、3年間デモを起こすような政治的グループに所属していて、サッカーが好き、という人物設定をした。

7人の子持ちというのも、アート系の変わった人のアイデアによるものである。

それにしても、別のグループの人物設定も面白かった。

毎日12時間働きづめのイランから来たシングルの若者だったり、30歳以上も離れたデンマーク人の夫をもつ韓国人の女性だったり、デンマーク人の男性と結婚したばかりで、隣国であるスゥエーデンに住んでいる南アフリカ出身の24歳の女性だったり。

特に最後の女性について、先生も巻き込んで話が白熱した。

というのも、なぜ、夫はデンマークで働いていながら、わざわざ隣国であるスゥエーデンに住んでいるのか、ということである。

デンマークは、以前は移民に対してとても寛容な国として有名であったが、今は一変して、ヨーロッパの中でも特に厳しい国になっている。それについては、日経新聞でも記事が掲載されているほどであった。

わたしも、働き初めて1年後にビザの更新をしようとしたところ、ちょっとしたことでアクセプトされず、パーミッションをとることの困難を体感したものだった。

今、結婚しても、滞在許可にさまざまな条件が課せられるようにルールが変わってきているのだが、とりわけ厳しいと思われる条件は、

「24歳以下のEU圏外である外国人の婚姻において、両者の労働許可などがない限りは、デンマークでの居住を認めない。」

ではないだろうか。

このルール施行は、はっきりいって、モスリムの人たちに対する施策のひとつである。

1970年代に、トルコなどのモスリムの国々から、大量の難民を受け入れ、政府は難民に対して多大な支援をしてきたのであるが、それが今、さまざまな問題を引き起こしている。

わたしがデンマーク人からよく聞く意見としては、

デンマークに住んでいながら、デンマーク語をろくに覚えず、仕事を得ようともせず、税金を払わないながら、政府からお金をもらいながらのうのうと暮らしているモスリムの人たちが多い、

というもの。

30年以上も前に移住しながら、同邦人で強いコミュニティを築き、なかなかデンマークにインタグレートしない上に、母国から若い嫁をもらい、もちろん専業主婦であるから新しくできた家族ごと政府に援助してもらう、ということに対して、国民はかなり憤慨している。

というのは、デンマークは、高社会福祉国家で、国からの支援もあついが、同時に、高納税の義務があるから。

貧乏学生であるわたしの所得税すらも、40%である。

だから、国の富を享受するばかりでなく、国に対してcontributeもするべきだ、と。

もっとも、デンマーク社会でも、移民に対するdescriminateがあるというから、職を得るのもそう簡単なことではなく、社会そのものにも問題があるともいえるが、

小さな商店を経営しても、税金をごまかす人が多かったり、小学校の学力低下の問題を引き起こしている原因(統計をとったところ、学力で深刻な問題をもつ生徒は全生徒のうち15%、そのうち50%以上が外国人とのこと。)として、モスリムの人たちに対する厳しい視線を、頻繁に感じるのである。

それはそうと、彼も、結婚時に今のルールがあったとしたら、奥さんは20歳でばっちり抵触するところで、

「もし、結婚当時に、このルールがあったらどうしていた?」

と聞いてみたら、

「う~ん、結婚していなかったかなぁ。でも、そのためにスゥエーデンに住むという人もいるし。。。」

「デンマークからの支援が受けられなくてもいいの?」

「実際のところ、わからない!!」

とのこと。

正直、このルールを知ってから、何度もその「仮定」について考えてみていた。

政府の思惑とは異なることだけれども。

でも。

年齢だけではないかもしれないが、彼女が、もっと「mature」であったら、、、、

デンマークで、優しくて尽くしてくれる夫との生活の「いいところどり」だけでなく、

デンマークで住むことによって伴う「困難」を引き受ける覚悟をもっていたら、、、

彼を悲しむことには、ならなかったかもしれない。

クリスマスカレンダー

クリスマスカレンダー(1)

 

もはや、クリスマスの雰囲気になってきた。。。

街中はクリスマスの飾りつけがされ、お店はクリスマス関連グッズが並び、クリスマスビールのセールが始まり、この国の観光名所となっている「TIVOLI」は来週からクリスマスシーズンのオープンが始まるという。

年々準備が早まっているのは、商業的な意図が介在しているのであろうけど。

秋季はクロースしている「TIVOLI」はドル箱で、より長くクリスマスオープンすることで、より大きな利益を狙っているのであろう。

でも。

今月から冬時間となり、一気に日が短くなったのと同時に、天気が悪く毎日暗くてじめじめしている中、クリスマスの雰囲気は明るさをもたらしてくれる。

商業的な色彩が色濃くとも、それに乗っかってでも、この陰鬱とした雰囲気から脱したいと思う。

毎年なんかしらクリスマス関連のものを製作しているわたしであるが、今年は、「クリスマスカレンダー」を自ら作ることにしたのだった。

日本では、「アドベントカレンダー」として売られているもので、12月1日からクリスマスイブまで、毎朝ひとつずつ小さなプレゼントをもらいながらクリスマスを待つというものである。

普通は、紙製のもので毎日ドアを開けるものであったり、あるいはチョコレートが入っていてそれを食べたりするのだが、わたしはフエルトで24日分のポケットがついた壁かけを作ろうと。

去年は、娘が保育園で作ってきた紙製のクリスマスカレンダーと、彼のお父さんにいただいた24日分のプレゼントで毎朝楽しみに開けていたのだが、すごく面白い慣習だと思ったので、次は自分で用意したいと思っていたのだ。

それで、娘の好きなシンデレラ城を模り、24日分のポケットを作り、ビーズで日付をつけることに。

お城の形に切ったところで、すでに娘は興味しんしん。

「屋根の上にはハートおいて。」

「ドアつくって」

娘のサジェスションをもとに、最後の24日はドアを開いてプレゼントがとれるようにした。

娘の「早く早く」のプレッシャーのもと、昼も夜も一心に縫い作業をしていたら、今度は娘が、

「Mも、やりたい。」

といってきたので、針と糸といらなくなったフエルトを与えたら、ろくに教えていないのに結構上手に縫うではないか。

娘もただ縫うだけでなく、なにか形になるものをやりたそうだったので、大きくハートを赤マジックで書いてあげたら、それに沿うようにして縫い始めた。

ときどきは間違えたり、糸をからましたりしてその度にわたしがヘルプするのだが、結構夢中になって縫っている。

 

縫い作業(1)

 

縫ったハート

 

縫い作業はいずれ教えてあげようとは思っていたけど、こうして何かしら刺激を受け、自らやりたいと思ってやるのはいいなぁ、と思った。好きでやっているから、ものすごく集中してやっている。

そういえば、シンデレラのドレスを作ったときも、まち針で遊んでいたっけ。

また、プレゼントは、普通はチョコレートやキャンディ、グミなどであるが、歯質の弱い娘にはよくないということで、安くてポケットにも入りそうな小さなプレゼントを買い集めることに。

これが結構難しく、女女している娘のためにアクセサリーやメイクアップの道具などを集めているが、なんだかんだ高くつきそうである。

彼の方は、去年ほとんど使いずじまいだったお母さんお手製のクリスマスカレンダーにつる下げる小さなプレゼントを買い集め始めたものの、女の子と違って、男の子は「小さなプレゼント」が非常に難しい。

ポケモンが好きなので、その文房具やシールなどを探したものの、高いカードやポケモンボールくらいしか関連グッズはなく、結局もっと一般的なものをプレゼントにするようだ。

今は、天気が悪く、外になかなか出られない。

だからこそ、室内で何か楽しみをみつけることはけっこう重要なことなのである。

去年は、彼の元奥さんが、わたしたちが彼のアパートにいくことをよしと思わず、「同意書を作りかえる」と彼を脅そうとしたり、セパレートの基本ルールである3ヶ月以内の同居という法律の抵触を避けるため、弁護士と相談して12月には一時的に家を出たり、お互いに試験の準備をしなければならなかったり、非常にあわただしいクリスマスであったが、今年はもっと準備に時間を費やせそうである。

まぁ、忙しいことには変わりがないのだが。

愛の定義

彼のお母さんが、私立病院での膝の手術で感染し、別の公立病院で入院してからもう1ヶ月以上たっている。

細菌数はかなり低減しているものの、いまだ完全消失までいかず、おまけに強い抗生物質を使っているせいか、血液検査で腎臓機能に多少の異常がみられることもあり、点滴がない日もあるなど、なかなか先が見えない。

ただでさえ、退屈で家が恋しくなるつらい入院生活なのに、中には親切でないナースがいるなどで、精神的にダメージを受けているらしく、今度お父さんと心療内科で診察を受けるとのこと。

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興味深いテーマをみつけたので、珍しくトラックバックしようと思う。

「I love youのことばについて。」

彼は、かなり言う。

といっても、デンマークってかなり微妙なところがある。

デンマーク語では、I love youを、Jeg elsker digといって、elskerがloveに相当するのであるが、これってお気に入りの食べ物や動物にでも使うことばである。例えば、Jeg elsker chokolade kage(チョコレートケーキが大好き)みたいな。

だから、ニュアンス的に、「ものすごく好き」という感じで、日本語の「愛している」ともちょっと違うような気がする。試しに娘に意味を聞いてみたら、「好きってことだよ。」とのこと。「愛している」という日本語は知らないが、elskerは子供同士でも使っているようである。

とにかく、elskerが一般的というか、頻出することばなのだろう。

だから、彼も、それを単純に英訳して、I love youと頻繁に言うのだろう。まぁ、頻度には個人差があるのだろうけれど、いずれにしてもI like youに相当するJeg kan godt lide digはあまり異性への情として使わないような。(実際のところわからないけど。)

日本語を母国語としていることがあるせいか、英語で言われようが、デンマーク語で言われようが、いまいちピンとこない。

というか、わたしは、どの言語かということに関係なく、そういう異性に対する愛情の表現を、ことばに求めないところがあるのだと思う。

娘を得てから、そう思うようになった。

子供を得てから、愛しい存在と向き合うためには、苦しいことも受け入れなければならない、愛というものが、キレイゴトではなく、体力勝負なんだということを認識するようになってから、ことばが軽くなってしまった。

言うだけなら簡単じゃん?って。

愛って酔うものじゃない。体当たりだよって。

娘が1歳くらいのときだったか。。。

ある晩、元夫が「愛しているよ。」って唐突に言ってきたので、思わず大笑いしてしまい、ご機嫌を損ねてしまったことがあった。

夫からしてみれば、ご希望の営みにむけるべく、そういう雰囲気にもっていきたかったのだろう。

でも、わたしからしてみれば、

オマエ~、それを言うなら、週に一度でもいい。早く帰ってきて、育児を手伝え。いや、帰らなくてもいい。それよりも日曜日10時まで寝ているんじゃねぇ。もっと早く起きろ。わたしの苦しみを少しでも共有してくれ。

日常生活の中で、夫からの愛情を実感することがないのに、何を今さらという感じである。

なんか、夫にとって都合のいい常套句?みたいな。

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一年前、彼から離婚まで至る元奥さんとの壮絶な結婚生活について聞いたとき、同情も手伝っていとおしさを感じるようになり、思わず「好き」と言ってしまったものの、その時点では、離婚までして彼と一緒になるという決心はついていなかった。

それからしばらくして、大家からいろんなクレームがきて思わずカッとなってしまったわたしは、人のいい彼に八つ当たりしてしまった。

すると、

「何か手伝えることない?もし何か起きれば、僕がなんとかするから。」

といったので、思わず涙が出て、

「わたしはね。結婚してから、ずっと一人でがんばってきてつらかったの。でもそれを言うことは許されず、いつも一人でがまんしてたの。」

と泣き叫んだ。すると、

「いいよ。泣いても。泣いて感情を外側に出すことは、とても大事なことだから。」

といって、おいおい泣くわたしに、胸をかしてくれたのだった。

人の苦しみを、驚いたりとまどったりせず、ごく自然に認めて受け入れてくれた。

親でさえ与えてくれたことのないような愛情を感じた。

そのときに、彼とやっていきたい、と決心したのだった。

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彼のお父さんが、お母さんの問題に対して献身的に取り組んでいる姿をみて、「愛だな~」と思う。

正直、わたしなどは、膝の故障の原因となった肥満に対して、食事制限をするだけでなく、買い物や庭いじりなどでもっと動いていればよかったのでは?と思ったりもするのだが、お父さんは決してお母さんの生活習慣について非難することがなく、産後に鬱病になったことが肥満の原因だったと弁護し、かいがいしく買い物や庭弄り、孫の育児に精を出す。

ナースのことにしたって、どこにでも嫌な人はいるものだから、いちいち気に病むことないのに、、と思うのだが、お父さんは一緒になってそのナースに対して非難する。

お母さんの立場で考え、共感しているのである。

ことばは介在しなくとも、愛のかたちをしっかり垣間見ることができる。

論文の出版

一報目の論文が、ついに出版されたとのこと。

指導教官からは、Congratulationというメッセージが。

とはいえ、あまり感慨はない、、、かな?

今、まさに2報目の論文の修正中なので。

2週間後には修正版を再提出しなければならず、ちょっと焦り気味である。

修正要請の内容については、それほど深刻なものは含まれていなかったが、レフェリーの逆鱗に触れたのか?リジェクトは避けられたとはいえ評価は低かった。

おそらく、レフェリーの論文を引用していなかったとか、そういう類のことであろう。

そのことを3人の指導教官に話したら、そういうことは結構あるとのこと。

ある教授は、15ページにもわたる修正要請の理由書が送られたそうだ。

最終的には出版に至ったのであるが。

レフェリーも、ちょっとしたことがきっかけになって感情的になることがあるようである。

おかげで、再度さまざまなキーワードで検索エンジンを駆使し、新たに発掘された参考文献を追加し、それから見出されるわたしの論文の新規性や目的について詳細に記述し、なおかつ得られたデータと関連性のみられることについてコメントを付し、レフェリーの納得いく原稿になるよう腐心した。

たった数日間で10いくつの論文を読みまくったので、疲弊した。

こうみると、研究というのは、ものすごく狭い範囲をつついているにすぎないなぁ、と。そしてその積み重ねでもって、全体がようやく見えてくるものだなぁ、と。

それにしても。

上梓される予定の原稿の影響というか、その書き手としての責任というのは、重いものなんだと思う。

たった2人のレフェリーのコメントですら、わたしの予想もしていなかった内容であり、わたしがこの事実にして表明したい、と思っていても、それについて反応しないどころか、別のところで思わぬ感情に触れていたり、、、本当に読み手の反応のしかたは思いも及ばないことであって。

れっきとした雑誌で出版されるからには、いい加減なものは書けないとつくづく思うし、できる限りの人にとって納得のいくような内容にすべく、本当に緊張感の伴う作業だと思う。

1報目の論文を投稿して1年。

ただ時間の長さだけでなく、プロセスの煩雑さからして、出版されることの重みを感じる。

小学校の説明会

小学校の説明会に行ってきた。

娘は、現在5歳10ヶ月。

日本でなら、来年の春に入学であるが、こちらでは来年の夏に、小学校付属の幼稚部に入学する予定である。

したがって、正規の小学校は、8歳になる数ヶ月前に入学することになるから随分遅い。

日本とのバイアスを考え、今年の夏に幼稚部に入学することを希望していたが、保育士が外国人である娘の語学力を慮り、1年間待つことを強く勧めてきたので、なんとなく抗うことができず、従うことにした。

すると、娘の親友の一人は、娘よりも2ヶ月早い生まれだが、やはり入学を待つといって、今娘と一緒に保育園で過ごしている。

今日、娘は別の親友の家に遊びに行っていたのだが、娘よりも9ヶ月遅い生まれの子でてっきり娘と同じタイミングで入学すると思いきや、外国人ではないのに語学力にハンデがあるといって、ほとんど遅らせることに決めているらしい。

親友の子2人は、ほとんど8歳で正規の小学校に入ることになる。高校に入るのは17歳ということになる。

つくづく、この国ののんびりしているというか、プレッシャーをかけて育てるようなことは決してせず、個人個人の子供の状況を慮って教育するというお国柄が垣間見られる。

そもそも、幼稚部というのが、この国特有のシステムである。

ほとんどが共働きで、幼稚園をほとんど見かけることがないが、幼稚部が幼稚園にあたるかというと、それとも違う。

あくまでも、小学校に入るにあたり、人の話を聞く、理解する、椅子に座るなどの、教育を受ける際の基本的姿勢を育てる場であって、限りなく小学校に近い。教室の机、黒板などの配置も同じである。

それで、幼稚部がどのような授業をするのかという説明を受けたのだが、これが結構面白かった。

デンマーク語は、文法はそれほど難しくないし、ことばのバリエーションも英語よりは少ないような気がする。子供の話し言葉は大人とそれほど変わらない。新聞も読みやすい。

しかし、発音は、噂では世界一困難と言われるほど、難しいのである。

だから、その発音を身につけるためのプロセスが工夫されていて興味深いと思った。

サウンズハウスという、発音を感覚的に身につけるおもちゃの家があり、9種の母音を唇の開き具合、のどの使い方次第で、家の底の周りに配置している。

例えば、i(イー)だったら、家の前側に配置されており、o(オー)だったら、口の奥から発せられる音なので家の奥側に配置されている。a(エー)はその中間など。

子音は、家の壁に配置されているわけである。

5種の母音しかない日本語を母国語とするわたしにとって、デンマーク語の発音はかなりネックになっているが、だからこそ、幼稚部でも発音を重視し、歌やカードやおもちゃを使って、長い期間かけて感覚的に身につけさせていくというのである。

ちなみに、彼も、小学校のときに母音の区別がつけられなかったらしい。

あとは、算数や理科も少し学ぶが、それもおもちゃを使いながら遊びをまじえながららしい。ただひたすら計算練習をするというよりは、カードを使ってある箱に入れて答を出すというやり方である。

6歳きっかりという幼さで小学校に入学し、最初からいろんなことを覚えこむことを常としていたため、学校というのは課題を与えられる場だという認識をさせられ、楽しさよりも義務感がモチベーションとなって勉強してきた感があるが、この国の学校の方が楽しそうだなぁという印象をもった。

実際に、こっちで教育を受けた日本人の子供が日本に帰って学校に入ったところ、なかなか馴染めなかったという話も聞く。

デンマークではできなくても咎められることはなく、できるまで先生に助けてもらえるが、日本では、成績をつけられることによって、できないことはダメであるというプレッシャーもかけられるせいもあるだろう。

だからなのか、苦手なことを無理してまで克服する必要はないという考え方で、能力にムラがある人が非常に多い。

彼も、語学能力はいまだにイマイチで、文章力に乏しいが、数学の能力は秀逸である。

これから、入学にあたり、いろんな準備をしていかなくてはならない。

そういう用意周到さも、この国ならではである。

怠惰の結果

「でも彼女は、合意書にサインした時点で、まさか彼からもらえる額の3分の1になるとは知らなかったんですよね。それをあえて言わなかったんですよね?」

「そう。だから、実際にお金を渡すときになって、初めてその事実を知ってパニックに陥ったんだよ。」

**************

「ウソ」に関するつづきのような話になるのだが。

この国では、慰謝料は存在せず、どんな理由であろうとも、財産を平等に分け、なおかつ収入の多いほうは、少ない配偶者に、ある期間経済的援助することになっている。援助期間は、婚姻期間に反映される。

ところが、彼と彼のお父さんは、実に巧妙に、彼側にとってかなり有利な内容で合意書を元奥さんに受け入れさせたのである。

もし、彼女が弁護士に相談などすれば、そのカラクリに気がつき、事態はもっと複雑になっていたかもしれない。

もっとも、貯金は(彼女のせいで)0だったので、お金に関しては、互いの口座の分をそのまま引き受けるということで問題なかったのだが、アパートは、本来なら半額の200万円ほどを支払わなければならないところを、それ相応の借金をお父さんからしているとして、彼は一切彼女側に金銭を渡すことなく引き受け、毎月6万円の経済援助は、彼はその分税金控除が受けられ、彼女は逆に税金を払わなければならず、なおかつ息子の養育費も払うので、彼は1万円強払うだけで、彼女は実際は2万円ほどしか受け取ってないのである。

その税金は、給料からの天引きなので、おそらくいまだに気づいていないのかもしれない。でも、50%近く税金がかかるというから、実は無視できないことなのである。

元奥さんが、このアパートを出るときに、初めて援助金を渡すことになったのだが、7万円という額面が、養育費の差し引きで5万円になることを彼女は始めて知り、彼をひどくなじり、同伴していた彼女のお母さんのご主人も一緒になって激怒したという。

「同意書には、一切養育費のことは記述されていない。これに書いてある額面どおり、彼女に支払うべきだ。」と。

そこで、お父さん、

「あなたは、市役所で行われたミーティングに関する書類を見なかったのですか。そのミーティングでは、養育費についても話し合われており、最低額払うということで同意が得られており、それについて彼女の確認のサインもされてあります。

ご主人はだまってしまった。

おそらく、彼女はその書類をなくしたのか、ご主人は見てないのだろう。

そこで彼女。

「それにしても、そのあとに養育費について、あなた何も話さなかったじゃない。なんで言ってくれなかったの?」

またまたお父さん。

「それだったら。援助をやめることだってできる。なぜなら、合意書に、語学学校に通っている間のみ援助をする、という条件が書いてあるんだから。」

それで、すっかり気が動転した彼女。

結局、その5万円を受け取ったそうである。

そもそも、彼が離婚を提案したときに、

「離婚してもいい。でも、住む場所が必要だし、お金も必要。語学学校に行こうと思っているから。」

と言ったそうである。

いまだに語学学校に行っていない彼女であるが、おそらく、子供を養育するつもりもなく一人だったら暮らしていける収入があるから、彼からお金をもらいにくいのではないかと危ぶみ、そのいい口実として適当に言ったのだろう。

それで、彼はしっかりとそのことについて、合意書に盛り込んだのである。別に語学学校に行くかどうかに関係なくお金を渡すつもりだったものの、何か起きた場合にプレッシャーをかけるための手段として記述に入れたのである。

そして、そのことは、そのもめごとでしっかりと効果が発揮された。

その気もないことを適当に言うから、そんな目にあうのである。

でも、お父さんは、確かに、意図的に税金や養育費のことは説明しなかったという。

なぜなら、なぜ、あえて自分たちにとって不利になるようなことを言う必要があるのだろうか。

それに、同意書に盛り込まなくとも、養育費は、この国の法律に基づくものであって義務である。そしてそのことはミーティングでもしっかり確認もされている。

言わなかったけれど、彼女が認識するチャンスはあったはずなのである。

でも、おそらく彼女は、その義務を認識していながら、彼が何も触れなかったことで、恩赦を受けられると勝手に期待していたのかもしれない。

自分はウソついたり隠したりして自分の思い通りにすることを常にするのに、周囲には善意を求めるなんて虫がいい話ではあるが。

というか、彼女は、ただ怠惰なのだろう。

だから、ミーティングなどを市役所にアレンジされても、離婚についてはまるで他人事であまり真剣に考えていなかったのだと思う。彼がなんとかしてくれるぐらいに思っていたのではないか。

だから、養育費についても楽観的にとらえていて、いざその義務を行使しなければならない段になっていきなり慌てたのだろう。

ラクしたいから、面倒なことを避けたいから、問題に直面したくないから、

ウソをつく。

話し合いという面倒なことをしたくなかったから、妊娠を隠して、母国で出産するように仕向けた。

本当は、ラクして手に入ることなんてないのに。

安易になった分、もっと問題は大きくなって、その責任を負わなければならないから。

でも、離婚に限って言えば、彼女の怠惰があってこそ、彼にとって思い通りに事が進んだといえる。

なぜ、ウソをつくのか

あれから、彼と話した。

なぜ、嘘をつくのか。

間違っている、正しくないという思い込みから、自分の正当性を証明しようとするから。

****************

彼は、いきなりメールや電話のやり取りが増え、頻繁に朝帰りするようになるなど、挙動がおかしい元奥さんの部屋を調べた結果、ピルを見つけ、深い失望と、怒りが湧き起こったそうだが、そのことには触れなかったそうだ。

翌朝帰ってきた彼女に対し、

「夫婦関係について省みるために、カウンセラーのところにいかないか。」

と提案したところ、

「わたしは、あなたを変えることに諦めた。だから、行かない。」

と一蹴され、

「それじゃあ、離婚しよう。」

との決意に至る。

不倫のことを咎めたところで、彼女の彼に対する愛情を失った事実を変えることはできない。責めても意味がないと思ったからである。

でも、愛情を失いながら、その事実を隠し、実質夫婦関係は破綻していながら、生活費一切彼に負担してもらうなど、彼に依存しつづけていたことに、彼は怒ったのである。

とはいえ、即座に離婚できるために(通常は半年以上のセパレート期間を経て離婚に至る。)、合意書に不貞行為について記述したところ、彼女からクレームがあったそうだ。

ピルのことについて言及しても、あくまでもシラを切り続け、結局その記述は削除した。

デンマークでは、不倫は罪にならない。

結婚が、人のきもちを保障するものではないからである。

彼もそれについて責めているのではなく、あくまでも離婚を容易にするために言及しただけである。

にもかかわらず、アジア人である彼女にとって、不倫はよくないことという認識なのであろう。だから、証拠まであがっているにもかかわらず、彼女自身の名誉のために最後までその事実を認めなかった。

わたしは、なんでだかわからないけれど、出産後から夫のことが生理的に受け付けなくなってしまった。

でも、結婚している限り、完全に拒むこともできない。何度かトライはしたが、ひどい痛みで、直後は必ずアソコから出血し、翌日は一日中トイレに行く度に痛みを感じるほどであった。

本当に、婦人科にでも行くべきかと悩んだこともあった。

だから、あのまま離婚せずに結婚生活を続けていたとしても、夫を傷つけることになったと思う。

というか、それまでにすでに夫を傷つけていた。

一応、「婚姻関係」で二人の関係の体裁を整えていても、わたしのきもちが離れてしまった以上、どんなかたちであれ、彼を傷つけていただろう。

だって、「結婚」が、わたしのきもちを取り戻すことには働かなかったから。

確かに、「結婚」しているから、「これじゃいけないかも」という問題意識をもって、婦人科に行こうかどうしようかとも思ったけれど、それだけ。

「結婚」によって定義される「問題」を解決するには至らない。

ま、結果的に、婦人科に行くまでもなく、物理的な問題ではなく、わたしのきもちが問題だったということに、彼と出会ってから認識したわけだが。

彼も、彼女が、

「カウンセラーには行かない。」

言った時点で、

関係はもう修復しないという事実を認めざるをえなかった。

一人で生きていく決意をせざるをえなかった。

彼女がどうしようが、苦しい決断をしなければならないことに変わりはなかった。

だから、償ってもらうことに意味もないし、興味もなかったのだろう。

正しいか、正しくないか、正当性を証明することなど、何の意味もない。

起きてしまった結果、どう対応するかが、もっと重要なことである。

嘘をつく、ということ

ある方のブログで、「嘘」というテーマで書かれていたことに、いろいろと思うところがあった。

何らかの理由で、あることを求められ、受け入れたものの、その理由が嘘だと認識したときに、むなしさを感じる、とのことであったが、これって、彼の元奥さんのことのようだなぁ、と思った。

妊娠が発覚したものの、彼には告げず、

「もし、将来子供ができたら、なかなか国に帰れなくなるだろうから、今のうちに帰っておきたい。」

というごく自然な欲求を彼は認め、チケットも手配したものの、

国に帰る2日前に、彼は彼女のお腹が大きくなっていることに気がつき、妊娠を認識。

妊娠の事実を隠されていたことに失望したが、今さらチケットもキャンセルできず、一緒に彼女の母国T王国へ行った。

そして、2週間ほど滞在し、T王国を発つ前日、

「出血がみられたから病院に行ったんだけど、ドクターに、今流産の前兆がみられるから、飛行機に乗るのはダメだって言われた。だから、この国に残っていようと思う。」

そして、結局彼の国に戻ることはなく、母国で出産することになるのだった。

そのときに、彼女が妊娠を隠していた、本当の意図を察したという。

もっとも、ドクターに言われたことは嘘ではないかもしれないけど、自分の欲求を押し通すために相手を納得させるやり方が巧妙なのである。

とはいえ、目的を果たしても、相手をだますようなやり方である場合、あとになってもっと問題が大きくなるのだが。

だって、流産の危険性は本当だとしても、妊娠を隠したことは、間違いなく彼を傷つけたから。

もし、妊娠のことを告白し、母国で出産したいという意志を明確に表明して、二人で議論していたのなら、結果的に彼女の欲求を受け入れることになったとしても、彼も納得いっただろう。

土曜日に電話してきたときも、「病気になったから。息子に移ったら大変だから、今引き取りに来て欲しい。」と言っていたのだが、翌朝ピックアップしたときには彼女は至って元気そうで病気には見えなかったという。もちろん、今も息子さんは元気である。

彼は、半分、彼女が病気だろうと信じていたみたいだけど、というか、事実だとしたらかえって困る事態になる、と思ってたようだけど、わたしは最初からウソだろうと思っていた。

というよりも、信じられないから、もっと様子をみたいと思っていた。本当にシリアスな事態になったとしたら、その事実を結局知ることになるだろうと思ったからだ。

だから、彼は、彼女に息子のパスポートを決して渡さないと決めている。

もし、彼女が息子を連れて外国に行った場合、「保険もかけていないのに息子が病気になったから10万円送って欲しい。」といったように、息子にかこつけた巧妙なウソでもって何か要求してくることを恐れてのことである。

今までのウソの蓄積が、相手の信用を失墜させ、挙句には要求を受けいれるモチベーションも下げることになる。

とはいえ、自分の欲求が拒否されたらどうしようと思うきもちはわからなくはない。

わたしは、この博士プロジェクトの応募を今の同僚に薦められたとき、最初は夫に話すことができなかった。

結局、1ヵ月後、本当に決心して書類を送るというときに言ったのだが、夫はどうせ実現するべくもない夢のような話と思っていたらしい。

さらに2ヵ月後、その応募が通ったことを夫に報告すると、ひどく激怒したのだった。

国外に出ることに対してではなく、わたしのメールのインボックスをのぞいて、夫よりも先に友達にプロジェクトのことについて話したことに対して怒ったというのである。

わたしも本当に実現するとは思っていなかったけれど、応募することを隠そうとしたことは事実だった。

その1年前に、ある大学の教員ポストの打診があったときに、即座に夫に相談したところ、わたしの意志を聞くまでもなく、応募することさえも断念させられたから、また同じ結果になることを恐れたのだった。

というか、子供がいるわたしの状況から考えてみても、断念せざるをえない結果は容易に想像できた。

それでもなお、応募だけはしてみたいというきもちを諦めることができなかったから、容易に想像できる問題に直面することが怖くて、言うことができなかった。

夫は、もし、プロジェクトの打診があったときに、即座にその旨を伝えてくれれば、わたしの意志を認めたのに、となじったけれど、本当のところはどうだろうと思う。

プロジェクトが、わたしの人生を変えた契機になったけれど、実際のところはもっと前から離婚の危機はあって、その度に誤魔化して問題を先送りした結果、徐々に関係性が壊れていったのだと思う。

それで、夫と話し合うことから逃げてしまった。

夫のことを慮らずに、わたしの意志を貫くことだけに固執した。

彼と元奥さんも、結婚を決めるときから、きちんと話し合える関係でなかったから、なのかもしれない。