そのあと
昨日、元奥さんが来たものの、息子さんの状態はあまり変わらなかったそうだ。
前日に、彼が息子さんに、
「明日お母さんが来るよ。」
と言ったところ、
「それじゃあ、M(娘)とI(わたし)とは遊べないの?」
とこたえたそうだ。
病気は、お母さんに会えないさびしさからくるものだと思っていたが、、、
本当に、腹痛の苦しさで元気がないだけなのだろうか。
元奥さんは、7時に来たそうで、すでに息子さんは眠くなっており、ほとんど一緒に遊ぶこともなく寝てしまったそうだ。
いくら仕事があるとはいえ、4時には終わるはずで、職場から直接息子さんのところに来ようとは思わなかったのだろうか。
病気じゃなくたって9時には寝る。子供だもの。
病気である今は、腹痛と嘔吐で日中にすっかり疲弊してしまって、最近は7時過ぎにはベッドに入る。
ただでさえ頻繁に会えないのだから、ゆっくり一緒に過ごすべく、もっと早く来ればいいのに、と思う。
なんか、すごいイライラしている。
会いに来るといっても、突然キャンセルしたり、約束の時間から1時間も2時間も遅れたり。
そんなことばっかりだ。
息子さんがどんなに失望するかなんて思いもしないのだろうか。
土曜日は、友達をよぶので、お寿司を作る予定である。
お寿司は、息子さんの大好物。
(前にお寿司のパックを買ったとき、スーパーから食べたいがために家まで泣き通したほどである。)
少しは回復しているといいのだが。
前日に、彼が息子さんに、
「明日お母さんが来るよ。」
と言ったところ、
「それじゃあ、M(娘)とI(わたし)とは遊べないの?」
とこたえたそうだ。
病気は、お母さんに会えないさびしさからくるものだと思っていたが、、、
本当に、腹痛の苦しさで元気がないだけなのだろうか。
元奥さんは、7時に来たそうで、すでに息子さんは眠くなっており、ほとんど一緒に遊ぶこともなく寝てしまったそうだ。
いくら仕事があるとはいえ、4時には終わるはずで、職場から直接息子さんのところに来ようとは思わなかったのだろうか。
病気じゃなくたって9時には寝る。子供だもの。
病気である今は、腹痛と嘔吐で日中にすっかり疲弊してしまって、最近は7時過ぎにはベッドに入る。
ただでさえ頻繁に会えないのだから、ゆっくり一緒に過ごすべく、もっと早く来ればいいのに、と思う。
なんか、すごいイライラしている。
会いに来るといっても、突然キャンセルしたり、約束の時間から1時間も2時間も遅れたり。
そんなことばっかりだ。
息子さんがどんなに失望するかなんて思いもしないのだろうか。
土曜日は、友達をよぶので、お寿司を作る予定である。
お寿司は、息子さんの大好物。
(前にお寿司のパックを買ったとき、スーパーから食べたいがために家まで泣き通したほどである。)
少しは回復しているといいのだが。
小さなことの積み重ね
いまだ彼の息子さんは回復していない。
何が心配かというと、症状そのものよりも、気力を失っているようにみえること。
頻繁に発病しているとはいえ、毎回熱があったり咳があっても、比較的元気で家の中でも楽しそうに遊んでいたりするのに、今回はもう数日間ぐったりしたままである。確かに、腹痛や吐き気で苦しいのかもしれない。でも、こんなにも生気のみられない姿をみると、本当にいたたまれなくなる。
彼も、相当に意気消沈している。
病気だけでなく、環境変化がここまで息子さんを傷つけてしまったのではないか、と思っているからだ。
いくら、夫婦間の関係不全に至ったからといって納得して離婚を決意したといっても、子供を傷つけてしまうことにはかわりがない。
この国は、日本ほど離婚に抵抗がなく、一たび夫婦関係がこわれたと認識すると、すぐさま離婚ということになる。
しかし、子供への配慮が足りないのでは?と思うこともある。わたしも人のことを言えないが。
彼をみていると、確かに愛情をもっていることは充分わかる。
でも、愛情を注いでいるかというと、ちょっと疑問がわく。
両親の家に行くと、必ずコンピューターの部屋に行ってしまう。
家にいれば、TVをつけっぱなしである。
両親宅でコンピューターなんかいじってないで、息子さんと一緒に遊んであげてよ!
TVを観せっぱなしにしないで、本を読んであげるなどしてあげてよ!
どうも手抜きをしているように思えてならない。
ご両親に助けてもらえるという甘えもあるのかもしれないが。
この国にきたとき、娘も今の息子さんの年齢に近い、3歳3ヶ月であった。
このぐらいの年齢は、もっとも自我が発達するときで、多感な時期である。
急激に環境がかわり、ただでさえ混乱しているのに、欲求が多くでる時期でもあったので、それはそれは大変だった。
そのころの日記を読むと、しょっちゅうイライラしていて痛いほどである。
日本で信頼を寄せている保育園の先生や友達らと別れた娘は、わたしの挙動に対してものすごく敏感になった。わたしの愛情でもって、なんとかつなぎとめようとするかのように。
それがとても申し訳なく、少しでも娘が充足できるように、娘の本当のきもちを理解するようにしようと思ったのだった。
(以下、2003年4月24日の日記から抜粋)
悲しいことがもうひとつあった。迎えに行くなり、娘の「おもちゃ屋に行きたい」というセリフ。散歩したり砂場で遊んだりステキなことたくさんしているのに、ついにおもちゃに依存するようになったのか、という絶望的な想いで、「どうしてそんなこというの?」というと、「そんな怒らんでよ。」と泣きそうな声でいう。怒っているんじゃない。悲しいのよ。「お母さんは、おもちゃよりも散歩したり砂場で遊んだりカモも見に行くことの方がステキなことだと思うんだけど。」というと、「やだ。だって寒いもん。」とのこと。そこまで外に出るのがイヤなのか、とショックを受けながら帰宅したのだが、よくよく考えてみると、もしかすると連休中外出するたびにわたしが激しく怒ったことが、トラウマになっているのかもしれないと思った。本当に怒ったことがないというぐらい毎回怒っていたから、それが傷になって外出が怖くなっているのかもしれない。
「もしかして、お母さんが怒るかもしれないと思って、外にでるのがイヤなの?」と聞くと、ウンとうなずいた。やはりそうだったのだ。「怒ってばかりでごめんね。でももう怒らないから一緒に外で遊ぼう。」というと、ぴょんぴょんとびはねながら、やったーやったーと驚喜しだしたのだった。
この出来事で、一緒に感動を共有するなどステキなこともたくさんしていたはずなのに、それで補えないほど娘にとってはわたしの怒りが大きな傷となるということを改めて実感し、負の出来事の影響力というものに脅威を感じた。再評価カウンセリングでも、トラウマが人間の知性的なふるまいを妨害するという理論が前提となり、いかにそのトラウマをひとから解放させ、本来だれもがもっている知性を取り戻すかということに重きを置いている。だから、「外に行きたくない」ということばだけにとらわれて、そのセリフの根底にある感情を充分に解放させることなく、「どうして?」と追い詰めてしまったことを反省した。わたしの考えで、「外で遊びたくない」「保育園行きたくない」ということばを都合の悪いこととしてとらえるのではなく、その根底にあるきもちを受けとめてあげなければならない、と思った。
(以下、2003年4月25日の日記から抜粋)
今日は、娘が目を覚ますなり、「Mちゃんかわいいね」「Mちゃんなんでそんなにかわいいの」とぎゅうっと抱きしめた。別にそうしようと意図的に思っていたわけでなく、本当にそう思って抱きしめたのだ。
昨日、セリフの裏側にある娘のきもちに気がついて、本当にいとおしくなったのだ。3歳児であるにもかかわらず、わたしのことをよく気をつかって、結局は保育園に行くことを受け入れている娘。でも、本当はわたしと離れるのがさみしくて悲しくて、わざとやんちゃを言う。また、大好きなわたしといさかいをおこしたくなくて、無難なおもちゃ遊びに逃避しようとしたということも。そんな生の感情にやっと触れることができて、心底かわいいと思ったのだ。
そう思うと、いろんなことに気がつく。昨日の夜、飛行機の中でもらった透明なプラスチックでできた三角錐に近いかたちの万華鏡のようなものに、いきなり紙を切り出したと思いきやその切れ端をその万華鏡に入れ、ブロックをてっぺんと側面にそれぞれ貼り、冷蔵庫に入れていたのだ。なんかけったいなもの作ってるなーとなんでも思ってなかったのだが、今朝それをコップに注ぐまねをしていて、それが牛乳を入れたポットに見立てたものであることがわかったのだ。白い紙を入れたのは牛乳にみせるため。ブロックはそれぞれ取っ手とふただったのだ。どうりで、「紙入れたけんね。これで牛乳が入っちょーけん。冷蔵庫に入れるけんね。」と言うはずだ。ずっとおままごとセットを欲しがっている娘だが、こうしてあるもので欲しいものを作ってしまう創造力に感動してしまった。しかも、ブロックを決まった遊び方にとらわれることなく、こうして自由にマテリアルとして利用してしまうとは。これはわたしにはないアイデアで、素直に「すごーい!よくこんなこと思いついたね!Mは賢いね!」と褒めたたえたのだった。そういう充実したやりとりがあったおかげか、今日は自ら保育園に行こうよといって家を出たのだった。
***************
つまらないことかもしれないけど、子育てって、こんな小さなことの積み重ねである。
彼にとっては見えなかったかもしれないけど、息子さんは少しずつ傷ついていたんじゃないかな。
だから。
お願い、逃げないで。
何が心配かというと、症状そのものよりも、気力を失っているようにみえること。
頻繁に発病しているとはいえ、毎回熱があったり咳があっても、比較的元気で家の中でも楽しそうに遊んでいたりするのに、今回はもう数日間ぐったりしたままである。確かに、腹痛や吐き気で苦しいのかもしれない。でも、こんなにも生気のみられない姿をみると、本当にいたたまれなくなる。
彼も、相当に意気消沈している。
病気だけでなく、環境変化がここまで息子さんを傷つけてしまったのではないか、と思っているからだ。
いくら、夫婦間の関係不全に至ったからといって納得して離婚を決意したといっても、子供を傷つけてしまうことにはかわりがない。
この国は、日本ほど離婚に抵抗がなく、一たび夫婦関係がこわれたと認識すると、すぐさま離婚ということになる。
しかし、子供への配慮が足りないのでは?と思うこともある。わたしも人のことを言えないが。
彼をみていると、確かに愛情をもっていることは充分わかる。
でも、愛情を注いでいるかというと、ちょっと疑問がわく。
両親の家に行くと、必ずコンピューターの部屋に行ってしまう。
家にいれば、TVをつけっぱなしである。
両親宅でコンピューターなんかいじってないで、息子さんと一緒に遊んであげてよ!
TVを観せっぱなしにしないで、本を読んであげるなどしてあげてよ!
どうも手抜きをしているように思えてならない。
ご両親に助けてもらえるという甘えもあるのかもしれないが。
この国にきたとき、娘も今の息子さんの年齢に近い、3歳3ヶ月であった。
このぐらいの年齢は、もっとも自我が発達するときで、多感な時期である。
急激に環境がかわり、ただでさえ混乱しているのに、欲求が多くでる時期でもあったので、それはそれは大変だった。
そのころの日記を読むと、しょっちゅうイライラしていて痛いほどである。
日本で信頼を寄せている保育園の先生や友達らと別れた娘は、わたしの挙動に対してものすごく敏感になった。わたしの愛情でもって、なんとかつなぎとめようとするかのように。
それがとても申し訳なく、少しでも娘が充足できるように、娘の本当のきもちを理解するようにしようと思ったのだった。
(以下、2003年4月24日の日記から抜粋)
悲しいことがもうひとつあった。迎えに行くなり、娘の「おもちゃ屋に行きたい」というセリフ。散歩したり砂場で遊んだりステキなことたくさんしているのに、ついにおもちゃに依存するようになったのか、という絶望的な想いで、「どうしてそんなこというの?」というと、「そんな怒らんでよ。」と泣きそうな声でいう。怒っているんじゃない。悲しいのよ。「お母さんは、おもちゃよりも散歩したり砂場で遊んだりカモも見に行くことの方がステキなことだと思うんだけど。」というと、「やだ。だって寒いもん。」とのこと。そこまで外に出るのがイヤなのか、とショックを受けながら帰宅したのだが、よくよく考えてみると、もしかすると連休中外出するたびにわたしが激しく怒ったことが、トラウマになっているのかもしれないと思った。本当に怒ったことがないというぐらい毎回怒っていたから、それが傷になって外出が怖くなっているのかもしれない。
「もしかして、お母さんが怒るかもしれないと思って、外にでるのがイヤなの?」と聞くと、ウンとうなずいた。やはりそうだったのだ。「怒ってばかりでごめんね。でももう怒らないから一緒に外で遊ぼう。」というと、ぴょんぴょんとびはねながら、やったーやったーと驚喜しだしたのだった。
この出来事で、一緒に感動を共有するなどステキなこともたくさんしていたはずなのに、それで補えないほど娘にとってはわたしの怒りが大きな傷となるということを改めて実感し、負の出来事の影響力というものに脅威を感じた。再評価カウンセリングでも、トラウマが人間の知性的なふるまいを妨害するという理論が前提となり、いかにそのトラウマをひとから解放させ、本来だれもがもっている知性を取り戻すかということに重きを置いている。だから、「外に行きたくない」ということばだけにとらわれて、そのセリフの根底にある感情を充分に解放させることなく、「どうして?」と追い詰めてしまったことを反省した。わたしの考えで、「外で遊びたくない」「保育園行きたくない」ということばを都合の悪いこととしてとらえるのではなく、その根底にあるきもちを受けとめてあげなければならない、と思った。
(以下、2003年4月25日の日記から抜粋)
今日は、娘が目を覚ますなり、「Mちゃんかわいいね」「Mちゃんなんでそんなにかわいいの」とぎゅうっと抱きしめた。別にそうしようと意図的に思っていたわけでなく、本当にそう思って抱きしめたのだ。
昨日、セリフの裏側にある娘のきもちに気がついて、本当にいとおしくなったのだ。3歳児であるにもかかわらず、わたしのことをよく気をつかって、結局は保育園に行くことを受け入れている娘。でも、本当はわたしと離れるのがさみしくて悲しくて、わざとやんちゃを言う。また、大好きなわたしといさかいをおこしたくなくて、無難なおもちゃ遊びに逃避しようとしたということも。そんな生の感情にやっと触れることができて、心底かわいいと思ったのだ。
そう思うと、いろんなことに気がつく。昨日の夜、飛行機の中でもらった透明なプラスチックでできた三角錐に近いかたちの万華鏡のようなものに、いきなり紙を切り出したと思いきやその切れ端をその万華鏡に入れ、ブロックをてっぺんと側面にそれぞれ貼り、冷蔵庫に入れていたのだ。なんかけったいなもの作ってるなーとなんでも思ってなかったのだが、今朝それをコップに注ぐまねをしていて、それが牛乳を入れたポットに見立てたものであることがわかったのだ。白い紙を入れたのは牛乳にみせるため。ブロックはそれぞれ取っ手とふただったのだ。どうりで、「紙入れたけんね。これで牛乳が入っちょーけん。冷蔵庫に入れるけんね。」と言うはずだ。ずっとおままごとセットを欲しがっている娘だが、こうしてあるもので欲しいものを作ってしまう創造力に感動してしまった。しかも、ブロックを決まった遊び方にとらわれることなく、こうして自由にマテリアルとして利用してしまうとは。これはわたしにはないアイデアで、素直に「すごーい!よくこんなこと思いついたね!Mは賢いね!」と褒めたたえたのだった。そういう充実したやりとりがあったおかげか、今日は自ら保育園に行こうよといって家を出たのだった。
***************
つまらないことかもしれないけど、子育てって、こんな小さなことの積み重ねである。
彼にとっては見えなかったかもしれないけど、息子さんは少しずつ傷ついていたんじゃないかな。
だから。
お願い、逃げないで。
国政選挙
昨日、この国で国政選挙があった。
当然選挙権はないのだが、一応関心もってニュースは観てたりしていた。
結果は、現状とほとんど変わらず。
社会福祉の発達した国なのに、与党は「リベラル」である。
10数年前にリベラルの党(政党名は「左」)が社会民主党から政権を奪って以来、ほかの政党とくっつきながらではあるが、与党のスタンスを維持している。
与党は「減税」をうたっており、対して社会民主党は「税金は現状維持、社会福祉の充実」をうたっている。
日本と逆である。
やはり、国民は今の重税は大なり小なり負担に感じているわけで。裕福な人にまでも社会福祉はばっちりいきわたっているから、そこを変えて欲しいと思っているのかもしれない。
わたし「日本はね、リベラルが増税で、社民党、共産党が減税を目指しているんだよ。」
彼「なんで?社会福祉の充実をはかるんだったら、減税なんてできないはずでしょう?」
わたし「だってね。増税したって、社会福祉なんてちっとも変わらないんだから。保育園なんていい一例だけど、ただでさえ不足しているのに、さらにコストダウンをはかろうと、幼稚園と合体させようという試みさえあるんだよ。増税した分は、建築物だとか道路にまわしちゃうの。だったら、そんな必要もないところにお金を費やすような無駄をはぶいて減税するのが妥当じゃない?」
彼「じゃあ、社会福祉のお金はどうするの?」
わたし「日本のシステムはとにかく無駄が多いから、そこを削ってまわすという考え」
この国にも、公益団体はあることはあるけれど、日本ほど実体もよくわからないような公益団体が多数存在することはないと思う。そもそも人口がまるで違うけれど。
公務員を定年退職した人の受け皿をなんで用意する必要があるのか、まるでわからない。
いい年した、ろくに仕事もしないような人に、年収2000万円だからね。
わたしは、公益団体で働いた経験があるから知っているのだ。
そんな話をしたら、
彼「ばかげている、、、、、。」
と絶句。
彼に、日本の社会について説明しようとすると、わたしまで混乱してくる。
当然選挙権はないのだが、一応関心もってニュースは観てたりしていた。
結果は、現状とほとんど変わらず。
社会福祉の発達した国なのに、与党は「リベラル」である。
10数年前にリベラルの党(政党名は「左」)が社会民主党から政権を奪って以来、ほかの政党とくっつきながらではあるが、与党のスタンスを維持している。
与党は「減税」をうたっており、対して社会民主党は「税金は現状維持、社会福祉の充実」をうたっている。
日本と逆である。
やはり、国民は今の重税は大なり小なり負担に感じているわけで。裕福な人にまでも社会福祉はばっちりいきわたっているから、そこを変えて欲しいと思っているのかもしれない。
わたし「日本はね、リベラルが増税で、社民党、共産党が減税を目指しているんだよ。」
彼「なんで?社会福祉の充実をはかるんだったら、減税なんてできないはずでしょう?」
わたし「だってね。増税したって、社会福祉なんてちっとも変わらないんだから。保育園なんていい一例だけど、ただでさえ不足しているのに、さらにコストダウンをはかろうと、幼稚園と合体させようという試みさえあるんだよ。増税した分は、建築物だとか道路にまわしちゃうの。だったら、そんな必要もないところにお金を費やすような無駄をはぶいて減税するのが妥当じゃない?」
彼「じゃあ、社会福祉のお金はどうするの?」
わたし「日本のシステムはとにかく無駄が多いから、そこを削ってまわすという考え」
この国にも、公益団体はあることはあるけれど、日本ほど実体もよくわからないような公益団体が多数存在することはないと思う。そもそも人口がまるで違うけれど。
公務員を定年退職した人の受け皿をなんで用意する必要があるのか、まるでわからない。
いい年した、ろくに仕事もしないような人に、年収2000万円だからね。
わたしは、公益団体で働いた経験があるから知っているのだ。
そんな話をしたら、
彼「ばかげている、、、、、。」
と絶句。
彼に、日本の社会について説明しようとすると、わたしまで混乱してくる。
Driving force
今朝、また自転車で保育園まで行くことにトライした。
反則技かもしれないけど、チョコレートのお菓子を持参して。
2ヶ所、坂をのぼりきったところで、とまってチョコレートを与えた。
昨日、息もきれぎれになるほど体力が落ちていたことに、わたしもショックだったけれど、それ以上に娘が意気消沈したと思う。
それで、自分の力で保育園まで行く!というきもちを失わないように、自転車で走ることのお楽しみとして、昨日お菓子を買いに行ったのだった。
実際に、昨日よりは順調に行けるようになり、少しは自信が回復したようだ。
チョコレートがなくても、自転車で行くことで充足できるようになるといいのだけど。
今日、ミーティングがあった。
実験データはたくさん出ていたけれど、指導教官らのコメントがいちいち鋭くて、自分の思考の浅さを痛感。ただの勉強不足?大いに反省。
昨日、修士の学生である知人のところに訪れたとき、彼女は予習の勉強で忙しそうで、それに比べてドクターとしての気楽な自分を省みたけれど、義務もあまりないし、追いたてられはしないけれど、結局、自分自身の意思こそが原動力になるしかないわけで。
やる気がなければ、創造的なアイデアも生まれず、つまらない研究でしかなくなってしまう。
最近のわたしは、指導教官のアイデアを期待していることも多々。
もっともっと自分で考えなければ、と思った。
彼女は、今学期統計学などの解析の手法について主に学ぶそうだ。
それで、統計の専門家である彼を家庭教師にしてはどうか、と提案してみた。
彼も快くOKしてくれた。
彼は、自分の専門について語るのが好きで、ほとんど知識のないわたしのためにわかりやすく説明してくれることも何度かあったのだが、これを機に、わたしも少し学んでみたいな、という気になった。
直接フィードバックさせることはないかもしれないが、解析方法の基本は学ぶことに意味があると思うし。
彼女が、
「彼のこと、本当に好きなんだね。」
と言ったけれど、学びたいと思ったのはそれが理由というわけではない。
でも確かに、刺激は受けていると思う。
反則技かもしれないけど、チョコレートのお菓子を持参して。
2ヶ所、坂をのぼりきったところで、とまってチョコレートを与えた。
昨日、息もきれぎれになるほど体力が落ちていたことに、わたしもショックだったけれど、それ以上に娘が意気消沈したと思う。
それで、自分の力で保育園まで行く!というきもちを失わないように、自転車で走ることのお楽しみとして、昨日お菓子を買いに行ったのだった。
実際に、昨日よりは順調に行けるようになり、少しは自信が回復したようだ。
チョコレートがなくても、自転車で行くことで充足できるようになるといいのだけど。
今日、ミーティングがあった。
実験データはたくさん出ていたけれど、指導教官らのコメントがいちいち鋭くて、自分の思考の浅さを痛感。ただの勉強不足?大いに反省。
昨日、修士の学生である知人のところに訪れたとき、彼女は予習の勉強で忙しそうで、それに比べてドクターとしての気楽な自分を省みたけれど、義務もあまりないし、追いたてられはしないけれど、結局、自分自身の意思こそが原動力になるしかないわけで。
やる気がなければ、創造的なアイデアも生まれず、つまらない研究でしかなくなってしまう。
最近のわたしは、指導教官のアイデアを期待していることも多々。
もっともっと自分で考えなければ、と思った。
彼女は、今学期統計学などの解析の手法について主に学ぶそうだ。
それで、統計の専門家である彼を家庭教師にしてはどうか、と提案してみた。
彼も快くOKしてくれた。
彼は、自分の専門について語るのが好きで、ほとんど知識のないわたしのためにわかりやすく説明してくれることも何度かあったのだが、これを機に、わたしも少し学んでみたいな、という気になった。
直接フィードバックさせることはないかもしれないが、解析方法の基本は学ぶことに意味があると思うし。
彼女が、
「彼のこと、本当に好きなんだね。」
と言ったけれど、学びたいと思ったのはそれが理由というわけではない。
でも確かに、刺激は受けていると思う。
甘くない恋愛
彼の子供が、またもや発熱。
おとといから嘔吐はみられたが、それがさらに悪化したらしい。
3週間前にも発熱したばかりだ。
9月から付き合い始めて、息子さんの発病はもう5~6回ぐらいある。
しかもいずれも完治するまでに1~2週間かかっているから、本当に頻繁に病気になっているような感じだ。特に10月と12月の発病のときは咳が2週間以上続き、その結果お父さん、お母さん、彼、わたしと次々に発病してしまったのだった。
普段、あまり食べていないせいもあるかもしれないが、やっぱりきもちが不安定になっているせいもあるのだろうか。とにかく病気になりやすいので、やはり心配になってくる。
今日、用事があって、ある人と話したのだが、彼女はわりきった恋愛をしていると。
わたしは、刹那的な恋愛をしているわけではないが、やっぱり彼女のように冷静でもある。溺れることができない、というか。年齢のせいもあるかもしれないが。
世の中の定義によれば、わたしの恋は不倫といえるだろう。
だけど、例の映画のようにロマンチックでもないし、かといってドロドロもしていない。
もちろん、夫とのことや、彼の元奥さんのことでごたごたはしたけれど、あくまでもお金のことなどの実務的な面での揉め事であって、きもちの諍いではない。
夫と付き合っているときは、いつも夫のことを考えていて、嫉妬もたくさんして、夫のきもちが冷めてしまうのではないかといつも不安だった。
けど今はそういう感情がまったくない。
自分の仕事のことや、あとは娘のことがやっぱり大事で、あとは彼のことというよりかは、彼の状況について考えたりする。仕事や息子さんのこと。
なんで彼のきもちに対して不安にならないかというと、彼がわたしに対して本気にならなくなったら、そういう疑いが少しでももつようになったら、そこですなわち終わりだと思っているから。
彼とわたしがひとつのユニットを形成するには、国籍の違いだとか子供の問題とかで普通のカップルに比べてきっと何倍ものエネルギーが必要で、一緒に問題をシェアしあうという意識が片方でも欠けてしまったら、そこで関係を持続することはできなくなる。
彼と付き合うためには、両方共にその覚悟を必要とするから、盲目にはなれないのだと思う。
好きだから一緒になりたい、という単純な想いだけではやっていけないほど、困難な道のりなのである。
わたしの仕事のこともあるが、何よりも両親の離婚という悲しい経験をした子供たちのきもちの発達を保障しなければならないこと、そして日本国籍しかもたない娘の教育をどうしていくか、つまり日本語教育をどう保障していくべきか、などなど現実的な問題が山積みなのである。
ベッドでの甘いささやきあいなど皆無である。
いつも議論である。寝相の悪い子供たちのキックを受けながら。
もっとも、「愛している」と言われるよりも、問題に対峙している姿勢をみたほうが、何倍も愛情を確信することができるのだが。
そういえば。
彼女と、どうして日本で風俗が発達しているのかという話になった。
共通の見解として、
「女性とコミュニケーションするのが下手な男性が多いから。」
まぁ、他にもいろいろ理由は考えられるけど、女性を満足させることが苦手な男性が多いのは事実だと思う。自分のペースにもっていこうとする、女性の功績に嫉妬する、幅が狭い、相手のきもちを慮れない、、などなど。
そもそも、恋愛はおいしいばかりではない、とちゃんと認識しているのかさえ、あやしい。
むしろ苦しいことで、本気であるかどうかを確信できるのに。
フェステラウン(4)
今日、久しぶりに娘は自転車で保育園まで行った。
長いこと日が短いことを理由に断念させていたのだが、、、
保育園まで息たえだえ!
微妙に坂道ではあるが、あんなにつらそうにしていたこと、今までなかったのに!
かなりショックである。
最近はプールも体操教室もご無沙汰。
完全、体力が衰えてしまっている。
ちなみに、わたしも2kgほど体重が増え、
彼に至っては5kgも増えてしまった!
寒いからといって、自転車ではなく、お父さんに車で送り迎えしてもらったツケがきたといえよう。
今日は、保育園でフェステラウンがあり、みんなして仮装していたが、、、
これが終わったら、運動のことについても考えなくては。
娘、、、、
本当にかわいらしいんだけど。
フェミニンから10億光年ほど離れたわたしの娘とは思えん。
(なんなの!この頭の傾げ方!)
フェステラウン(3)
土曜日の夜、やっとドレスが完成した。
娘はそれを予想以上に喜んでくれ、出来てからというもの、ず~~っとドレスを着続けたのである。
前から申し込んでいたフェステラウンのイベントも、外にあるからという理由で行くのを嫌がったほど。
外に出るには、ドレスを脱いであたたかいものに着替えるか、上から何かをはおるしかない。
娘はドレスだけを着ていたいのだ。
それでも、強引に上から大人のジャケットを羽織らせてイベントに参加したものが。
マイナス1℃!
いくらジャケットを羽織っているとはいえ、スカートの下から冷気はどんどん入っていて足がどんどん冷えていく。
恒例の樽割りを終えて、もらえるものはもらってそそくさと会場を後にしたのだった。
彼のお父さん宅で、彼がダンボール箱を樽に見立てることを思いつき、地下室にダンボール箱をつるし、皆でバンバンたたいた。
そして、彼の実家にあった「シンデレラ」の本を読んでもらって、すっかりご満悦な娘。
結婚の意味はあまり理解してないけど、この年齢の女の子って、お姫さまに興味があるんだよねぇ。
妙に女の子らしいというか。
それにしても、手作りのドレスは大好評で、彼も「手作り効果」の大きさを実感したようだ。
毎朝徐々にできていくドレスへの期待やうれしさといったらなんとやら。
子供の「きもち」って、本当あなどれない。
自信を育てること
夜、息子さんのことについて、彼と話し合った。
もともとの気質のせいもあるが、最近とみに、人の話を聞かない、一人になることに対して異常なほどまでに怖がる、ダメといわれるととたんに泣き出してしまう、などの問題が強く認識されるようになったからである。
娘より1歳半年下というのもあるが、それにしても、他の3歳児と比べても幼いという印象をもっていた。言葉はしっかりしているのに、自分で服を着れない、食べるときに手を使うなど行動に幼さがみられる。
言葉にしても、しっかりはしているが、生理的欲求を訴えるなどの現実的な内容ばかりで、どうも深みがないという。保育園でのことを聞いても、何も話してくれないそうだ。
彼からしてみれば、常に愛情をかけている努力もしているし、本を読んであげたりもしているし、できるかぎりのことをしていると。
でも、わたしからしてみれば、どうなんだろう、と思うことが多い。
例えば、レゴブロックにしても、息子さんはときどき何かをつくったりしている。
でも、それを彼はそれを褒めることはほとんどせず、自分が得意だからといって複雑な構造をした汽車や船や家などをさくさくと作ってしまう。
描画もしかり。自分で複雑な電車の絵を描いてあげてしまう。
当然、大人の造ったもの、描いたもののほうが、子供にとってもすばらしいと思ってしまうだろう。
それで子供は、自分自身で造ることをあきらめ、大人に立派なものを造ってもらうように望むようになるだろう。
どんなに、大人が子供に働きかけたところで、すぐさま充実した反応は返ってこない。
子供が「自分でやった」という感覚を得て、初めて充実した話をしてくれるようになるのである。
服を着せてあげることについても指摘したが、彼の言い分としては、「なかなかこっちの言うことを聞かないから、仕方なくやってあげている。」とのこと。
これも、今となってはもう遅いが、おそらくはもっと息子さんが小さいとき、彼が息子さんの「自分でやりたい」という意思表示を摘めなかったことが原因でないか、と思っている。
1歳、2歳児は、どんなに上手でなくても、どんなに時間がかかっても、自分でやってみたいという好奇心が芽生えるはずなのである。それを、大人の都合で、摘み取ってはならない。
どんな小さなことでも褒めること。
どんなに時間がかかっても待ってあげること。
これが、彼の欠けていることだと思う。
食べることにしても、手を使うなと注意するだけでは、なかなか上達しないだろう。
だけど、彼の置かれている状況も複雑だったのだろう。
元奥さんとの関係で常に緊張が強いられていたがために、息子さんのささやかな欲求とかも認識できなかったのかもしれない。
そして、元奥さんの息子さんに対する接し方にも問題があり、自分で息子さんを育てるという意識は希薄で、まるで玩具のような扱いで、頻繁に息子さんにおもちゃを買い与えてはいたが、服の着方、靴のはきかた、食べ方など教えようとはしなかったという。
そうしていくうちに、息子さんはすっかり自信というものが育たなくなってしまった。
大人が与えてくれる環境を享受しているのみである。
特に、お母さんが突然家を出て行ってしまった。
そのことによって、どれほど傷ついたかしれない。
わたしは彼に、「とにかく、自分でできる、という自信がつくようにしなくては。」と訴えた。
それって本当に難しいことだけれど、長く時間がかかることを覚悟して取り組まなければならない問題である。
信頼関係
今日はフェステラウン。
この枝で親をたたくのが習慣だとか。
ちなみに、右側の奥にあるのが娘が作ったもの。
なかなか航空券が来ないのと、育児手当金と保育料の値引きの申請が通らなかったことで、また彼の前でわんわん泣いてしまった。
今はいいけど、4月からはパートタイムに変えるので給料は今の75%になる。
税金の関係で、正確にはどうなるかわからないが、少なくとも5万円くらいは収入が減ってしまうので、経済的な不安なところにショックを受けるような結果だった。
とりあえず、来週の月曜日に早速市役所に電話すること、木曜日に直接市役所まで問合せに行こうということ、そして夏ぐらいからは一緒に暮らし始めようということで、彼はわたしを安心させようとした。
申請が通らなくても、彼と家計を共にしなくても、きっとなんとかなると思う。
わたし自身が働いているうちは。
実際に、この国に来た当初などは本当に貧乏だったけれど、夫の助けをまったく得ずに生活できたのだから。夫のために頻繁に日本に帰るようにしたけれど、20万円くらいする航空券はいつも自分で負担していた。これから日本に帰ることを控えればなんとかなるであろう。
だけど、ただでさえ離婚のことでストレスがかかっていたから、思いのほかショックをうけてしまった。
彼が、「助けてあげるから。」といってくれるのが、うれしかった。
そういえば、彼の前ではけっこう泣いてしまっている。
苦しいことを吐き出すことに抵抗がなくなっている。
それだけ、彼のことを信用している。
夫は、何も聞いてくれなかった。
わたしが、就職に落ちて落ち込んだときも、
「俺に何をしろといいたいの?」
と言って、わたしもきもちを受け取るどころか、一蹴していたなぁ。
そうして、わたしが夫にきもちを打ち明けるのをあきらめていくうちに、不満がたくさんたまるようになってしまったんだよね。
離婚は好ましくないことだ。
でも、やっぱり本当のきもちを伝えないと、関係を維持するのは難しいだろう。
でも、きっと関係を維持していこうというやる気を失ってから、遅かれ早かれこういう結末になったのかもしれない。
この枝で親をたたくのが習慣だとか。
ちなみに、右側の奥にあるのが娘が作ったもの。
なかなか航空券が来ないのと、育児手当金と保育料の値引きの申請が通らなかったことで、また彼の前でわんわん泣いてしまった。
今はいいけど、4月からはパートタイムに変えるので給料は今の75%になる。
税金の関係で、正確にはどうなるかわからないが、少なくとも5万円くらいは収入が減ってしまうので、経済的な不安なところにショックを受けるような結果だった。
とりあえず、来週の月曜日に早速市役所に電話すること、木曜日に直接市役所まで問合せに行こうということ、そして夏ぐらいからは一緒に暮らし始めようということで、彼はわたしを安心させようとした。
申請が通らなくても、彼と家計を共にしなくても、きっとなんとかなると思う。
わたし自身が働いているうちは。
実際に、この国に来た当初などは本当に貧乏だったけれど、夫の助けをまったく得ずに生活できたのだから。夫のために頻繁に日本に帰るようにしたけれど、20万円くらいする航空券はいつも自分で負担していた。これから日本に帰ることを控えればなんとかなるであろう。
だけど、ただでさえ離婚のことでストレスがかかっていたから、思いのほかショックをうけてしまった。
彼が、「助けてあげるから。」といってくれるのが、うれしかった。
そういえば、彼の前ではけっこう泣いてしまっている。
苦しいことを吐き出すことに抵抗がなくなっている。
それだけ、彼のことを信用している。
夫は、何も聞いてくれなかった。
わたしが、就職に落ちて落ち込んだときも、
「俺に何をしろといいたいの?」
と言って、わたしもきもちを受け取るどころか、一蹴していたなぁ。
そうして、わたしが夫にきもちを打ち明けるのをあきらめていくうちに、不満がたくさんたまるようになってしまったんだよね。
離婚は好ましくないことだ。
でも、やっぱり本当のきもちを伝えないと、関係を維持するのは難しいだろう。
でも、きっと関係を維持していこうというやる気を失ってから、遅かれ早かれこういう結末になったのかもしれない。
フェステラウン(2)
お菓子が入った、フェステラウンの樽
本当は、もっと大きな樽の中に黒猫のぬいぐるみやお菓子を入れて、子供が順番にハンマーでたたいて壊していき、黒猫を出した人がキングになれるというアイテムなのですが。
まぁ、節分の豆まきと同じような目的があるのかな。「悪」を追い出すという意味で。
去年は、お菓子屋さんでこういう小さなお菓子入りの樽を買ったのだが、今年は、牛乳パックを使って手作りしました。
中味は、日本のハイチューと、アンパンマンのチョコレートと、アジアショップで買ったゼリー。
お菓子屋さんではひとつ1,000円はするので、だいぶ節約になったかな。
いやいや、節約ではなく、こういうことをして現実逃避しているのかも。
ドレス作りもそうだけど、没頭していると集中して何もかも忘れられるから。
事実、最近は1時、2時就寝である。
本当、最近は楽しい。
日本に帰るのが怖いのである。