離婚(2)
まずは、お金の話。
前回一時帰国したときに、国際電話したときの料金と、今回の荷物の送付代の半額を負担せよ、と。
そこで、2年間ろくに子供の養育費を出してくれなかったことと、毎月入る育児手当をそのまま搾取したのだから、免除して欲しいと頼んだ。
すると、
「いらない、って言うから出さなかったのに、今更なんでそれを言ってくるの?」と。
そりゃあ、結婚している間は、夫の財産は共有のもの、すなわちわたしの財産でもあるという意識があるから、可能な限りは自分の給料範囲内で生活しようと思っていたのだ。
だけど、夫は、わたしのそういう努力もむなしく、学会などの旅行などで散財したり、パチンコで遊んでいたのだ。結局、アパート代を払っても、相当の手取りが入っていたのに、ボーナス分しかプラスになっていなかったのではなかろうか。
また、荷物のことでもモメた。
「別にあてつけでたくさん荷物を送ったわけじゃないよ。何も言ってこなかったし、元の贈り主に返すというのが妥当だと判断して送っただけだよ。」
ベビーベッドは、わたしの両親が買ったものである。
だから、送り返したのだという。
「それにしたって、もう使わないことは容易に想像できたでしょう?そういったものを、なんでわざわざ送ってくるの?」
「偉そうに言うなよ。荷物を送るのにどれだけの労力がかかったか、わかってんの?」
確かに、細かく送るべき荷物をリストアップにしなかったわたしにも落ち度はあるが、、、まさかベビーベッドやふとん乾燥機まで対象物とは思わなかった。
せいぜい、本と写真と服ぐらいを考えていただけで。
実際にこのアパートにいない限り、荷物を細かく指定することは到底不可能であろう。
自分でも、「こんなものあったっけ?」というぐらい、膨大な荷物の山であるのだから。
結局、育児手当金月5,000円×24=12万円から負担することになった。
次に、合意書。
まぁ、慰謝料以外は妥当な内容だった。
だけど、なかなかサインできなかった。
お金のことは、まぁいい。
でも、わたしだけが、「謝罪」しなければならないことが、納得いかなかったからだった。
すると、関係不全は、両者が関与していたということは認めたのだった。
荷物のことにしても、養育費のことについても、意見がかみあわない。
「使わないものをなんで送るの?」
「どれだけ大変だったか、わかってる?」
答えになっていない、やり取り。
お互いに、相手を責めようとするばかりで、相手のことばに応えられない。
自分の言い分だけを主張しようとする。
最初から、そんな不毛なやりとりばっかりだったかもしれない。
だけど、わたしたちの「関係不全」と、わたしの「不貞行為」はまったく別の問題であると。
傷ついたことは事実だから、「謝罪」して欲しい、と。
「だけどわたしだって、一緒に暮らしていたときにさんざんアンタに傷つけられたよ?」
「俺だって、傷つけられていたよ。」
ああ、またもや責め合いになるだけ。
わたしが、夫のことを傷つけていたことは、事実であると思う。
家事育児に関しては努力していたけれど、夫に対しては途中からまったく思いやろうとも思っていなかったし。
「じゃあ、なんで、わたしへの愛情を失わなかったの?離婚を切り出したときに、なんで離婚したくないってごねたの?」
「家族だから。」
おいおい。
「家族だから愛情をもつ」のではなく、「愛情をもって家族を形成する」んじゃないの?
これも、完全にすれ違いだね。
だけど、わたしは、合意書にサインをした。
つづく。
前回一時帰国したときに、国際電話したときの料金と、今回の荷物の送付代の半額を負担せよ、と。
そこで、2年間ろくに子供の養育費を出してくれなかったことと、毎月入る育児手当をそのまま搾取したのだから、免除して欲しいと頼んだ。
すると、
「いらない、って言うから出さなかったのに、今更なんでそれを言ってくるの?」と。
そりゃあ、結婚している間は、夫の財産は共有のもの、すなわちわたしの財産でもあるという意識があるから、可能な限りは自分の給料範囲内で生活しようと思っていたのだ。
だけど、夫は、わたしのそういう努力もむなしく、学会などの旅行などで散財したり、パチンコで遊んでいたのだ。結局、アパート代を払っても、相当の手取りが入っていたのに、ボーナス分しかプラスになっていなかったのではなかろうか。
また、荷物のことでもモメた。
「別にあてつけでたくさん荷物を送ったわけじゃないよ。何も言ってこなかったし、元の贈り主に返すというのが妥当だと判断して送っただけだよ。」
ベビーベッドは、わたしの両親が買ったものである。
だから、送り返したのだという。
「それにしたって、もう使わないことは容易に想像できたでしょう?そういったものを、なんでわざわざ送ってくるの?」
「偉そうに言うなよ。荷物を送るのにどれだけの労力がかかったか、わかってんの?」
確かに、細かく送るべき荷物をリストアップにしなかったわたしにも落ち度はあるが、、、まさかベビーベッドやふとん乾燥機まで対象物とは思わなかった。
せいぜい、本と写真と服ぐらいを考えていただけで。
実際にこのアパートにいない限り、荷物を細かく指定することは到底不可能であろう。
自分でも、「こんなものあったっけ?」というぐらい、膨大な荷物の山であるのだから。
結局、育児手当金月5,000円×24=12万円から負担することになった。
次に、合意書。
まぁ、慰謝料以外は妥当な内容だった。
だけど、なかなかサインできなかった。
お金のことは、まぁいい。
でも、わたしだけが、「謝罪」しなければならないことが、納得いかなかったからだった。
すると、関係不全は、両者が関与していたということは認めたのだった。
荷物のことにしても、養育費のことについても、意見がかみあわない。
「使わないものをなんで送るの?」
「どれだけ大変だったか、わかってる?」
答えになっていない、やり取り。
お互いに、相手を責めようとするばかりで、相手のことばに応えられない。
自分の言い分だけを主張しようとする。
最初から、そんな不毛なやりとりばっかりだったかもしれない。
だけど、わたしたちの「関係不全」と、わたしの「不貞行為」はまったく別の問題であると。
傷ついたことは事実だから、「謝罪」して欲しい、と。
「だけどわたしだって、一緒に暮らしていたときにさんざんアンタに傷つけられたよ?」
「俺だって、傷つけられていたよ。」
ああ、またもや責め合いになるだけ。
わたしが、夫のことを傷つけていたことは、事実であると思う。
家事育児に関しては努力していたけれど、夫に対しては途中からまったく思いやろうとも思っていなかったし。
「じゃあ、なんで、わたしへの愛情を失わなかったの?離婚を切り出したときに、なんで離婚したくないってごねたの?」
「家族だから。」
おいおい。
「家族だから愛情をもつ」のではなく、「愛情をもって家族を形成する」んじゃないの?
これも、完全にすれ違いだね。
だけど、わたしは、合意書にサインをした。
つづく。
離婚(1)
いよいよ。
昨日、二次会で実家に戻り、娘を連れて羽田へ。
一時帰国のたびに泊まる成田空港近くのホテルとは違う。
狭い狭い部屋だった。
今朝、ホテルから出してくれた車も、いつもの、外国人や客室乗務員が乗るようなバスではなく、数人しか乗れないワゴン車。
朝8時の便で、1時間半ほどのフライトで某地方都市へ。
大好きな街。
でも、今回はいつもと違う感情が襲ってきた。
駅からタクシーで娘が通っていた保育園へ。
娘の世話とわたしの同伴をお願いする友人いずれも、保育園での用事があったからだった。
懐かしくて、大好きで、感謝いっぱいの保育園。
だけど、やっぱりいつもと違う。
大好きな友達に付き添ってもらわなかったら、この重圧感に耐えることができただろうか。
友達の車で、かつてわたしたちが住んでいたアパートへ。
ピンポーン。
わたし「あの、友達に同伴してもらったんだけど。」
夫「付き添いはいいんだけど、これは2人の問題だから、帰ってもらえませんか。」
わたし「でも、複数の人にも誰かに付き添ってもらった方がいいってアドバイスされたんだけど。弁護士にもそういわれた。」
ウソついた。
夫の表情は、一瞬くもった。
夫「弁護士?なら、裁判しようか。」
わたし「裁判しなくても、弁護士に相談くらいするでしょう?とりあえず、同伴を認めてよ。」
夫「まさか、ほかの人がくるとは思わなかったんで、ちらかってますけど、どうぞ。」
第三者がいると、夫は至って紳士的だ。
だからこそ、夫の人間性に問題があるなど、ほとんどのひとは認識していない。
そういうことを考え、わたしはあえて夫とはほとんど面識のない友達に同伴をお願いした。
わたしと友達は、夫の住むアパートにあがった。
つづく。
昨日、二次会で実家に戻り、娘を連れて羽田へ。
一時帰国のたびに泊まる成田空港近くのホテルとは違う。
狭い狭い部屋だった。
今朝、ホテルから出してくれた車も、いつもの、外国人や客室乗務員が乗るようなバスではなく、数人しか乗れないワゴン車。
朝8時の便で、1時間半ほどのフライトで某地方都市へ。
大好きな街。
でも、今回はいつもと違う感情が襲ってきた。
駅からタクシーで娘が通っていた保育園へ。
娘の世話とわたしの同伴をお願いする友人いずれも、保育園での用事があったからだった。
懐かしくて、大好きで、感謝いっぱいの保育園。
だけど、やっぱりいつもと違う。
大好きな友達に付き添ってもらわなかったら、この重圧感に耐えることができただろうか。
友達の車で、かつてわたしたちが住んでいたアパートへ。
ピンポーン。
わたし「あの、友達に同伴してもらったんだけど。」
夫「付き添いはいいんだけど、これは2人の問題だから、帰ってもらえませんか。」
わたし「でも、複数の人にも誰かに付き添ってもらった方がいいってアドバイスされたんだけど。弁護士にもそういわれた。」
ウソついた。
夫の表情は、一瞬くもった。
夫「弁護士?なら、裁判しようか。」
わたし「裁判しなくても、弁護士に相談くらいするでしょう?とりあえず、同伴を認めてよ。」
夫「まさか、ほかの人がくるとは思わなかったんで、ちらかってますけど、どうぞ。」
第三者がいると、夫は至って紳士的だ。
だからこそ、夫の人間性に問題があるなど、ほとんどのひとは認識していない。
そういうことを考え、わたしはあえて夫とはほとんど面識のない友達に同伴をお願いした。
わたしと友達は、夫の住むアパートにあがった。
つづく。
恩師の最終講義
今日は、指導教官の最終講義だった。
日本を出てからというもの、研究室で仲良かった人でさえもご無沙汰だったので、彼らに会うことが楽しみだった。
思いのほか、たくさんの人があつまり、互いに懐かしがった。
出産した人、大阪から東京に転職した人、研究室内で結婚した人、今度結婚する人、、、、
卒業してから8年、皆それぞれ状況が変わって当然である。
さすがに、この年で離婚するのはわたしだけであるが。
わたしよりも年上である先輩の中でも、未婚という方はたくさんおられるのに。
夫は、同じ研究室出身であるので、さすがに皆には離婚のことを言いにくかった。
本当に仲のよかった人や信頼できる人だけ、こっそり打ち明けた。
最終講義で思ったこと。
そもそも、これでわたしの人生は変わったのだった。
自分に自信がもてず、やりがいもなく、とてもつまらなかった日々が、突如輝かしい日々へと変わった。
バイトで疲れ果てていても、結果を知りたいがために、急いで研究室に逆戻りして徹夜で実験に明け暮れる日々。
親の反対を押し切って、無理やり大学院に進んでからは、いろんな人との出会いがあった。
夫との出会いも研究室であったし、あの国の研究者、すなわち今の指導教官とも、彼が研修生として先生のところに来たのがきっかけとなって出会ったのである。
そして、結婚、出産で田舎に引っ込んでいたとき、たまたまかの国の研究者と出会ったのも、先生の研究室であった。
あのディスカッションがなければ、あの国に住むこともなかったであろう。
先生の研究を通じて、いろんな人と交わり、語り合い、衝突しながら、いつも考えさせられ、学ばさせられた。
先生には感謝しつくせない。
どんな結果になろうとも。
日本を出てからというもの、研究室で仲良かった人でさえもご無沙汰だったので、彼らに会うことが楽しみだった。
思いのほか、たくさんの人があつまり、互いに懐かしがった。
出産した人、大阪から東京に転職した人、研究室内で結婚した人、今度結婚する人、、、、
卒業してから8年、皆それぞれ状況が変わって当然である。
さすがに、この年で離婚するのはわたしだけであるが。
わたしよりも年上である先輩の中でも、未婚という方はたくさんおられるのに。
夫は、同じ研究室出身であるので、さすがに皆には離婚のことを言いにくかった。
本当に仲のよかった人や信頼できる人だけ、こっそり打ち明けた。
最終講義で思ったこと。
そもそも、これでわたしの人生は変わったのだった。
自分に自信がもてず、やりがいもなく、とてもつまらなかった日々が、突如輝かしい日々へと変わった。
バイトで疲れ果てていても、結果を知りたいがために、急いで研究室に逆戻りして徹夜で実験に明け暮れる日々。
親の反対を押し切って、無理やり大学院に進んでからは、いろんな人との出会いがあった。
夫との出会いも研究室であったし、あの国の研究者、すなわち今の指導教官とも、彼が研修生として先生のところに来たのがきっかけとなって出会ったのである。
そして、結婚、出産で田舎に引っ込んでいたとき、たまたまかの国の研究者と出会ったのも、先生の研究室であった。
あのディスカッションがなければ、あの国に住むこともなかったであろう。
先生の研究を通じて、いろんな人と交わり、語り合い、衝突しながら、いつも考えさせられ、学ばさせられた。
先生には感謝しつくせない。
どんな結果になろうとも。
多忙
今朝の起床時間、午後2時。
起きたとき、冗談かと思いました。
目覚ましもなく、雨戸も閉めっぱなしだったので、起きられなかったらしい。
予想通りの積雪。
明日、車で不用品を処分しに行くので、柔らかいうちに取り除いて車を出やすくしようと雪かきをしていたら、思いのほか湿った雪だったので、これは大丈夫かもと思い、娘を連れて買い物へ。
貧乏なわたしだけれども、どうしても欲しいものがあったのです。
それは、スキーウェア!!
かの国は、とても寒い北国なのだが、冬の間、娘はつなぎのウィンターウェアを着ている。
ところが、これはとても暖かいのだが、4月から5月くらいの中途半端に寒いときなどはかえって暑すぎてしまうので、上下はなれたウィンターウェアが欲しかったのだ。
あの国でも売っていることは売っているが、ダウンがパンパンに入ったごわごわしたものしかなく、イマイチ動きにくい。
それはスキーウェアもしかりで、わたしなど、ますます太ってみえてしまうのである。
それが、日本のスキーウェアだと薄くて暖かい。
わたしはいつも日本製のスキーウェアを着ているが、あまりにも薄着にみえるので、
「それじゃぁ、寒くない?」
と言われるほどである。
しかし、ありそうなところへ行ってもなかなかみつからず、、、
結局1時間ほど車で徘徊したあと、スポーツ用品店を発見!
しかも、シーズン終わりかけとあって、非常に安い!!
さすがに選択の余地はほとんどなかったが。
わたしのと娘のを買っても予算の半分以下。
わたしのは買うのを諦めていたので、とてもうれしかった。
家に帰って、2件の旅行のアレンジ。
1件は離婚のために夫の住む街に行くもので、もう1件は同僚と研究室見学に行くための旅行である。
実は両方とも事情が複雑である。
土曜日に空港近くのホテルに泊まり、日曜日に朝一の飛行機で夫の住む街に移動し、友人に娘を預けに行き、なおかつ別の友人に付き添ってもらって夫のところに行く手はずをしている。
しかも、土曜日には、指導教官の最終講義および2次会パーティがあるので、そのあとに急いで家に戻って娘をひろい、空港に向かわなければならない。
ホテルの場所、空港までのアクセスを入念にチェックした。
研究所見学は、節約のために行き帰り両方夜光バスでの移動である。
しかも、同僚と中央駅で待ち合わせして、研究所に行かなければならない。
その駅は政令都市の中心駅だけあって、かなり広い。
誰も携帯電話をもたないし、彼らは日本語表示を解さないので、待ち合わせはかなり不安を伴うのである。
それで、駅構内の地図をダウンロードし、それをエクセルに貼り付けて、英語のキャプションを付け、待ち合わせ場所に印をつけて、同僚らにメールで送った。
そして、またまた荷物の整理。
ほとんど日本に残していくつもりだが、必要なものはその国にもっていくからである。
思わず、昔の写真を見入ってしまった。
あまりにも痛すぎて。
枚数は膨大で、いろんなことをしているのだけど、表情がよくない。
不細工というだけでなく、自信のない、何の輝きもみられない、さみしい顔。
だけど、あえて、その何冊かを彼に見せてあげようと思う。
**************
彼に電話した。
息子さんは日曜日まで元奥さんのお母さんに引き取られたそうで、さみしい思いをしているかなーと思って。
元気そうだった。息子さんがいない間、アパートの中を一斉に整理するそうである。
元奥さんの浪費で、不用品が蓄積され、一部屋物置部屋と化しているからである。
離れていても、似たことをしているわたしたち。
起きたとき、冗談かと思いました。
目覚ましもなく、雨戸も閉めっぱなしだったので、起きられなかったらしい。
予想通りの積雪。
明日、車で不用品を処分しに行くので、柔らかいうちに取り除いて車を出やすくしようと雪かきをしていたら、思いのほか湿った雪だったので、これは大丈夫かもと思い、娘を連れて買い物へ。
貧乏なわたしだけれども、どうしても欲しいものがあったのです。
それは、スキーウェア!!
かの国は、とても寒い北国なのだが、冬の間、娘はつなぎのウィンターウェアを着ている。
ところが、これはとても暖かいのだが、4月から5月くらいの中途半端に寒いときなどはかえって暑すぎてしまうので、上下はなれたウィンターウェアが欲しかったのだ。
あの国でも売っていることは売っているが、ダウンがパンパンに入ったごわごわしたものしかなく、イマイチ動きにくい。
それはスキーウェアもしかりで、わたしなど、ますます太ってみえてしまうのである。
それが、日本のスキーウェアだと薄くて暖かい。
わたしはいつも日本製のスキーウェアを着ているが、あまりにも薄着にみえるので、
「それじゃぁ、寒くない?」
と言われるほどである。
しかし、ありそうなところへ行ってもなかなかみつからず、、、
結局1時間ほど車で徘徊したあと、スポーツ用品店を発見!
しかも、シーズン終わりかけとあって、非常に安い!!
さすがに選択の余地はほとんどなかったが。
わたしのと娘のを買っても予算の半分以下。
わたしのは買うのを諦めていたので、とてもうれしかった。
家に帰って、2件の旅行のアレンジ。
1件は離婚のために夫の住む街に行くもので、もう1件は同僚と研究室見学に行くための旅行である。
実は両方とも事情が複雑である。
土曜日に空港近くのホテルに泊まり、日曜日に朝一の飛行機で夫の住む街に移動し、友人に娘を預けに行き、なおかつ別の友人に付き添ってもらって夫のところに行く手はずをしている。
しかも、土曜日には、指導教官の最終講義および2次会パーティがあるので、そのあとに急いで家に戻って娘をひろい、空港に向かわなければならない。
ホテルの場所、空港までのアクセスを入念にチェックした。
研究所見学は、節約のために行き帰り両方夜光バスでの移動である。
しかも、同僚と中央駅で待ち合わせして、研究所に行かなければならない。
その駅は政令都市の中心駅だけあって、かなり広い。
誰も携帯電話をもたないし、彼らは日本語表示を解さないので、待ち合わせはかなり不安を伴うのである。
それで、駅構内の地図をダウンロードし、それをエクセルに貼り付けて、英語のキャプションを付け、待ち合わせ場所に印をつけて、同僚らにメールで送った。
そして、またまた荷物の整理。
ほとんど日本に残していくつもりだが、必要なものはその国にもっていくからである。
思わず、昔の写真を見入ってしまった。
あまりにも痛すぎて。
枚数は膨大で、いろんなことをしているのだけど、表情がよくない。
不細工というだけでなく、自信のない、何の輝きもみられない、さみしい顔。
だけど、あえて、その何冊かを彼に見せてあげようと思う。
**************
彼に電話した。
息子さんは日曜日まで元奥さんのお母さんに引き取られたそうで、さみしい思いをしているかなーと思って。
元気そうだった。息子さんがいない間、アパートの中を一斉に整理するそうである。
元奥さんの浪費で、不用品が蓄積され、一部屋物置部屋と化しているからである。
離れていても、似たことをしているわたしたち。
残ったもの
彼が住む国は、今大雪に見舞われているそうで、20cmの積雪があったそうだ。
今年はとにかく雪が多い。
去年はほとんど降らなかったのに、今年は何度も降るので、雪が完全消え去るときがないほどだ。日本も多いそうだが、世界レベルでも今年の冬は寒い傾向があるのだろうか。
今、夫が送ってきた荷物を整理している。
なんと単身パック3個分、総数33個もの荷物が届いたのである。
チェストや雑誌ラック、もはや使わないベビーベッドまで送ってきたのだ。
箱の中にシャンプーまで入っていたのには思わず苦笑。
ちなみに、夫の住むところからわたしの実家まで800kmも離れている。
もはや使わないことを知りながら、わたしと娘が使ったありとあらゆるものをこんな離れたところにわざわざ送ってきたということに、彼の心情も垣間見ることができる。
もっとも、わたしも、いろいろ買いすぎていたかもしれない。
買い物って楽しい行為。
目的がなくとも、通販のカタログをみれば何か欲しくなるし、本屋に行けば必ず何か買ってしまう。
今は、本当に自分の給料だけで生活しているから、本当に必要なもの以外は極力買わないようにしているけれど、日本にいるときは、やはり夫の存在のおかげで、購買欲を抑えていなかった。
そういう生活を享受していたことを、今更ながら実感した。
彼のことを、母に話した。
別に反対をしたわけではないが、彼に対してはかなり懐疑的である。
いかんせん外国人ということもあり、どうなるかわからないという不安があるようである。
最初やさしくても、結婚したらいきなり豹変したという外国人の噂をたくさん聞いたからであろう。
もっとも、外国人に限ったことでなく、日本人でも同じことがいえようが。
また、わたしの夫に対するきもちも激変したから、「今はただのぼせているだけ」と疑っているのもあるだろう。
なんといっても、夫とつきあい始めのときは、夫に対しての賞賛雨あられだったから。
それは、、、、わたし自身否定できない部分もあるんですがね。
わたしも、彼のことを愛し続けることができるのか、本当のところ自信はない。
だけど、夫のときと違うのは、わたし自身の心境が変化したということ。
夫とつきあっているときは、自分のことが受け入れられず、自分で自分の選択に責任を負えていなかった。
だから不満ばかり蓄積していったんだと思う。
彼のことを信用しているかどうかということに関係なく、今は自分が選択した結果をすべて自分で責任を負う気構えでいる。
荷物を整理しながら、確かにあの頃の生活を懐かしく思い返しはしたが、だからといって戻りたいとは思ってはいない。
むしろ、彼と、
芸術フェスティバルに参加して、廃材で創作をしたり、粘土製作したこと、
亡くなったおばあさんの家を訪れたあと、美しい森に散策しに行ったこと、
折り紙でクリスマスツリーを作ったこと、
一緒にお寿司を作ったり、クッキーを焼いたこと、
などなど、お金をかけずとも愉しかった思い出がわたしの中に色濃く残っているのである。
まぁもちろん、本(というか漫画)はやっぱり楽しいものですがね。
というか、、、、
お金がないと、日本にいるのはツライ!!
今年はとにかく雪が多い。
去年はほとんど降らなかったのに、今年は何度も降るので、雪が完全消え去るときがないほどだ。日本も多いそうだが、世界レベルでも今年の冬は寒い傾向があるのだろうか。
今、夫が送ってきた荷物を整理している。
なんと単身パック3個分、総数33個もの荷物が届いたのである。
チェストや雑誌ラック、もはや使わないベビーベッドまで送ってきたのだ。
箱の中にシャンプーまで入っていたのには思わず苦笑。
ちなみに、夫の住むところからわたしの実家まで800kmも離れている。
もはや使わないことを知りながら、わたしと娘が使ったありとあらゆるものをこんな離れたところにわざわざ送ってきたということに、彼の心情も垣間見ることができる。
もっとも、わたしも、いろいろ買いすぎていたかもしれない。
買い物って楽しい行為。
目的がなくとも、通販のカタログをみれば何か欲しくなるし、本屋に行けば必ず何か買ってしまう。
今は、本当に自分の給料だけで生活しているから、本当に必要なもの以外は極力買わないようにしているけれど、日本にいるときは、やはり夫の存在のおかげで、購買欲を抑えていなかった。
そういう生活を享受していたことを、今更ながら実感した。
彼のことを、母に話した。
別に反対をしたわけではないが、彼に対してはかなり懐疑的である。
いかんせん外国人ということもあり、どうなるかわからないという不安があるようである。
最初やさしくても、結婚したらいきなり豹変したという外国人の噂をたくさん聞いたからであろう。
もっとも、外国人に限ったことでなく、日本人でも同じことがいえようが。
また、わたしの夫に対するきもちも激変したから、「今はただのぼせているだけ」と疑っているのもあるだろう。
なんといっても、夫とつきあい始めのときは、夫に対しての賞賛雨あられだったから。
それは、、、、わたし自身否定できない部分もあるんですがね。
わたしも、彼のことを愛し続けることができるのか、本当のところ自信はない。
だけど、夫のときと違うのは、わたし自身の心境が変化したということ。
夫とつきあっているときは、自分のことが受け入れられず、自分で自分の選択に責任を負えていなかった。
だから不満ばかり蓄積していったんだと思う。
彼のことを信用しているかどうかということに関係なく、今は自分が選択した結果をすべて自分で責任を負う気構えでいる。
荷物を整理しながら、確かにあの頃の生活を懐かしく思い返しはしたが、だからといって戻りたいとは思ってはいない。
むしろ、彼と、
芸術フェスティバルに参加して、廃材で創作をしたり、粘土製作したこと、
亡くなったおばあさんの家を訪れたあと、美しい森に散策しに行ったこと、
折り紙でクリスマスツリーを作ったこと、
一緒にお寿司を作ったり、クッキーを焼いたこと、
などなど、お金をかけずとも愉しかった思い出がわたしの中に色濃く残っているのである。
まぁもちろん、本(というか漫画)はやっぱり楽しいものですがね。
というか、、、、
お金がないと、日本にいるのはツライ!!
帰国
今、日本にいる。
とても疲れ果てている。
成田空港で両替待ちでのとき、うしろに並んでいる若い男女の会話がいやおうなしに聞こえてきた。
「え~、彼とはつきあってないですよぉ~。」
「でも2人で海外旅行でしょ?ありえない。ありえない。」
「本当に友達ですってば。最初は4人で行くはずだったのが、ほかの2人がキャンセルしたんで2人になっただけですよぉ。」
デカイ声でそんな会話交わすな!恥ずかしい!
というか、興味アリアリなのが明らかなのに、表現は周りくどいっつうか。
そのあたりが、非常にこそばゆい。
もっとはっきり言いなさい。
むこうの国は、くどきかたがストレートだからなぁ。
くどくだけでなく、いろんなことでストレートに表現するのだけれども。
彼「結婚しているの?」
わたし「うん。いずれにしても、プロジェクトが終われば日本に帰るつもりだから、別の人を探したほうがいいよ。」
彼「そうだね。別にガールフレンドなり妻なり、いい人を探さないとね。」
つきあい始める数日前に交わされた会話である。
結局、彼の人柄に惹かれてわたしの方から、「あなたのことが好き」と告白するに至ったわけだけれど、わたしは非常に微妙な言い回しが苦手である。
だから、日本にいるときにさんざんその率直さについては何度も注意を受けたくらいなのだが。
それにしても、久しぶりに読む新聞、非常に読みごたえがあった。
疲れた、、、。
とても疲れ果てている。
成田空港で両替待ちでのとき、うしろに並んでいる若い男女の会話がいやおうなしに聞こえてきた。
「え~、彼とはつきあってないですよぉ~。」
「でも2人で海外旅行でしょ?ありえない。ありえない。」
「本当に友達ですってば。最初は4人で行くはずだったのが、ほかの2人がキャンセルしたんで2人になっただけですよぉ。」
デカイ声でそんな会話交わすな!恥ずかしい!
というか、興味アリアリなのが明らかなのに、表現は周りくどいっつうか。
そのあたりが、非常にこそばゆい。
もっとはっきり言いなさい。
むこうの国は、くどきかたがストレートだからなぁ。
くどくだけでなく、いろんなことでストレートに表現するのだけれども。
彼「結婚しているの?」
わたし「うん。いずれにしても、プロジェクトが終われば日本に帰るつもりだから、別の人を探したほうがいいよ。」
彼「そうだね。別にガールフレンドなり妻なり、いい人を探さないとね。」
つきあい始める数日前に交わされた会話である。
結局、彼の人柄に惹かれてわたしの方から、「あなたのことが好き」と告白するに至ったわけだけれど、わたしは非常に微妙な言い回しが苦手である。
だから、日本にいるときにさんざんその率直さについては何度も注意を受けたくらいなのだが。
それにしても、久しぶりに読む新聞、非常に読みごたえがあった。
疲れた、、、。
自分の意識に基づいて
今日から生理。
頭痛も、なんだかイライラするのも、PSMのせいのような気がしてくる。
昨日も、あんなに逆上したのは、生理前だったせいなのだろうか。
そういえば、前回も生理前に異様にイライラした記憶があるのだが。
ピルを飲み始めて2ヶ月。
確かに、今まで不安定だった周期は、ぴったりと正確に来るようになったものの、下腹部の痛みや出血の量、頭痛やイライラ感はあまり改善していないように思う。
イライラする期間は短くなったような気がするが。
もう少しホルモンの量が安定する期間が必要なのだろうか。
しかし、思ったよりも、すんなりと服用できている。
最初から、飲むことによる変化はほとんど何も感じなかった。
友達が、たった1回飲んだだけで、ひどい吐き気に見舞われてすぐさま断念した話を聞いたことがあったので、最初その提案がされたときには大きな抵抗感があったが、あることがあって、ピルを飲むことを決意した。
試験などの切羽詰った問題が片付いたあとにホームドクターのところにコンサルタントしてもらいに行き、ピルを処方してもらってから服用しつづけているが、特に飲むことによる問題は感じていない。
今日、そのことで同僚と話をしたのだが、この国では、もちろん避妊のために若いころからピルを服用することが普通なのである。
だからなのか、中絶の数も少ないし、「できちゃった結婚」なんて、定義すらもない。
女性が、結婚にしても、出産にしても、常にイニチアティブとっている。
ちなみに、離婚を切り出すのも、圧倒的に女性側からがほとんどなのだそうだ。
わたしが、ピルを飲むことを決意したのは、ある出来事がきっかけだったのだが、わたし自身で責任をもちたいと思ったのが本当の理由。
わたしから何もできないというのが嫌だと感じたから。
まぁ、ホルモンを人工的に調節することに抵抗を感じることも、普通の感じ方だと思うけど。
でも、明確な意思があるんだとしたら、それに対して意図的に取り組むこともまた自然なのではないか、と思う。
ちょっと話がずれてしまうが、この国は、政治に対する意識がものすごく高い。
30歳ぐらいの大臣もいる。
しかも、大臣の半分は女性である。
若くとも、選挙する権利をもつひとはほとんど選挙に行く。
その結果、女性や若いひとたちに支持されて、女性や若い候補者が選ばれるのである。
そして、期待どおり、民意に従った政策が施行される。
今年の元旦に、クレジットカードでの決済が有料になったのだが、1件たった10円の有料化で総国民が激怒し、その結果今度の水曜日からまた無料化になるという。
国民の反応、そしてその政治へのフィードバックのすばやさは、すごいものがある。
福祉が充実しているのも、育児や家事に携わり、自ら体験して問題意識をもっている女性の政治家が多いから、女性側の考えが政治に反映されやすいのではないか、とのこと。
ちなみに、任期中に出産した女性大臣もおられたそうだ。
この国の教育レベルは低いというもっぱらの評判なのだが、現実的な問題に対してはものすごく強いと感じている。
政治については、高校でディスカッションする機会が与えられ、自ずと政治に対する関心が深まる環境にあるようだし、妊娠出産に関しても話し合い、いざ恋人ができたときに、その意識がすぐさまフィードバックされるようになっている。
そういえば、出産も伴侶の立会いがほとんどで、2週間の休暇がほぼ義務化されているところも、日本との大きな違いといえよう。
わたしが産気づいたときに、
「病院に行ったって、俺何して待ってればいいの?」
といって、パチンコを続けていた夫の感覚も、日本では普通の感覚なのだろうか。
たとえ、病院に行って何もできないとしても、何かしたいと思うきもちこそが大事ではなかろうか。
彼は、元奥さんが遠く離れた母国で予定日から1ヶ月前の急なお産だったにもかかわらず、帝王切開の日程が決まったのち、連日徹夜作業で仕事を片付け、急いで旅の準備をしてかけつけたそうだ。出産の2日後だったそうである。
わたしが入院して夫に電話したのは、日曜日の朝の8時ごろであり、実際に出産してその連絡がついたのはその日の午後の2時ぐらい。
にもかかわらず、実際に来たのは翌日の午後だった。その日も普通に出勤したものの、教授らに「早く奥さんのところに行ってあげなさい。」と諭されて来たのだそうだ。
まるで、他人事である。本当の他人である教授よりも、夫はもっと遠い人ではないかと思うほどである。
自分のことに、もっと自分で取り組みたい、と思った。
彼が決めたことではなく、わたしの意志で、ピルを飲んでいる。
そういえば、わたしが好んで徘徊しているサイトに、
「女の子が政治の話をするなんてナンセンス!男にもてなくなる。」
みたいな書き込みがあったのだけど、男にどうみられるかどうかばかり注力して、問題の本質からどんどんずれていくのだろうなぁ、と思った。
税金を払っていることも、まるで他人ごとのように思える。
頭痛も、なんだかイライラするのも、PSMのせいのような気がしてくる。
昨日も、あんなに逆上したのは、生理前だったせいなのだろうか。
そういえば、前回も生理前に異様にイライラした記憶があるのだが。
ピルを飲み始めて2ヶ月。
確かに、今まで不安定だった周期は、ぴったりと正確に来るようになったものの、下腹部の痛みや出血の量、頭痛やイライラ感はあまり改善していないように思う。
イライラする期間は短くなったような気がするが。
もう少しホルモンの量が安定する期間が必要なのだろうか。
しかし、思ったよりも、すんなりと服用できている。
最初から、飲むことによる変化はほとんど何も感じなかった。
友達が、たった1回飲んだだけで、ひどい吐き気に見舞われてすぐさま断念した話を聞いたことがあったので、最初その提案がされたときには大きな抵抗感があったが、あることがあって、ピルを飲むことを決意した。
試験などの切羽詰った問題が片付いたあとにホームドクターのところにコンサルタントしてもらいに行き、ピルを処方してもらってから服用しつづけているが、特に飲むことによる問題は感じていない。
今日、そのことで同僚と話をしたのだが、この国では、もちろん避妊のために若いころからピルを服用することが普通なのである。
だからなのか、中絶の数も少ないし、「できちゃった結婚」なんて、定義すらもない。
女性が、結婚にしても、出産にしても、常にイニチアティブとっている。
ちなみに、離婚を切り出すのも、圧倒的に女性側からがほとんどなのだそうだ。
わたしが、ピルを飲むことを決意したのは、ある出来事がきっかけだったのだが、わたし自身で責任をもちたいと思ったのが本当の理由。
わたしから何もできないというのが嫌だと感じたから。
まぁ、ホルモンを人工的に調節することに抵抗を感じることも、普通の感じ方だと思うけど。
でも、明確な意思があるんだとしたら、それに対して意図的に取り組むこともまた自然なのではないか、と思う。
ちょっと話がずれてしまうが、この国は、政治に対する意識がものすごく高い。
30歳ぐらいの大臣もいる。
しかも、大臣の半分は女性である。
若くとも、選挙する権利をもつひとはほとんど選挙に行く。
その結果、女性や若いひとたちに支持されて、女性や若い候補者が選ばれるのである。
そして、期待どおり、民意に従った政策が施行される。
今年の元旦に、クレジットカードでの決済が有料になったのだが、1件たった10円の有料化で総国民が激怒し、その結果今度の水曜日からまた無料化になるという。
国民の反応、そしてその政治へのフィードバックのすばやさは、すごいものがある。
福祉が充実しているのも、育児や家事に携わり、自ら体験して問題意識をもっている女性の政治家が多いから、女性側の考えが政治に反映されやすいのではないか、とのこと。
ちなみに、任期中に出産した女性大臣もおられたそうだ。
この国の教育レベルは低いというもっぱらの評判なのだが、現実的な問題に対してはものすごく強いと感じている。
政治については、高校でディスカッションする機会が与えられ、自ずと政治に対する関心が深まる環境にあるようだし、妊娠出産に関しても話し合い、いざ恋人ができたときに、その意識がすぐさまフィードバックされるようになっている。
そういえば、出産も伴侶の立会いがほとんどで、2週間の休暇がほぼ義務化されているところも、日本との大きな違いといえよう。
わたしが産気づいたときに、
「病院に行ったって、俺何して待ってればいいの?」
といって、パチンコを続けていた夫の感覚も、日本では普通の感覚なのだろうか。
たとえ、病院に行って何もできないとしても、何かしたいと思うきもちこそが大事ではなかろうか。
彼は、元奥さんが遠く離れた母国で予定日から1ヶ月前の急なお産だったにもかかわらず、帝王切開の日程が決まったのち、連日徹夜作業で仕事を片付け、急いで旅の準備をしてかけつけたそうだ。出産の2日後だったそうである。
わたしが入院して夫に電話したのは、日曜日の朝の8時ごろであり、実際に出産してその連絡がついたのはその日の午後の2時ぐらい。
にもかかわらず、実際に来たのは翌日の午後だった。その日も普通に出勤したものの、教授らに「早く奥さんのところに行ってあげなさい。」と諭されて来たのだそうだ。
まるで、他人事である。本当の他人である教授よりも、夫はもっと遠い人ではないかと思うほどである。
自分のことに、もっと自分で取り組みたい、と思った。
彼が決めたことではなく、わたしの意志で、ピルを飲んでいる。
そういえば、わたしが好んで徘徊しているサイトに、
「女の子が政治の話をするなんてナンセンス!男にもてなくなる。」
みたいな書き込みがあったのだけど、男にどうみられるかどうかばかり注力して、問題の本質からどんどんずれていくのだろうなぁ、と思った。
税金を払っていることも、まるで他人ごとのように思える。
帰国前の休日
結局、金曜日に彼はホームドクターのところに行き、便秘にきく薬を処方してもらったとのこと。
そのおかげか、便秘の問題はほとんど解消されたようである。
一時帰国まであと4日。
ギリギリで、やっとゆっくり一緒に週末を過ごすことができる。
わたしが3週間近く風邪だったのがようやく治ったと思ったら、息子さんが嘔吐下痢症にかかり、その数日後には娘が風邪で発熱し、その直後に今度は彼が嘔吐下痢症で1週間以上罹患しているなど、全員が完全に病気から回復するまで、かれこれ1ヵ月半くらいかかっただろうか。
金曜日には久しぶりに彼のアパートに泊まり、土曜日の朝には2人で久しぶりに大量の食料を仕入れに行った。
彼にとって、久しぶりのシャバだったのではなかろうか。
お昼は、焼きたてのバケットに、たっぷりバターを塗って、スモークサーモンをのせたものを食べた。
そして、午後は娘念願だった、バレエ教室へ。
自治体が主催しているもので、たったの40分のクラスということもあり、そして3ヶ月でたったの8,000円というだけあって、本格的なレッスンというわけではなかったが、大人の先生に、7年習っているという女の子がアシスタントしていて、バレエの型をお手本をみながら真似するというようなもので、娘はとても楽しかったようだ。
バレエは、技術を獲得するには相当の努力が必要だが、やはり上手なひとの踊りをみるとウットリする。当然娘はまったく真似できなかったが、きれいに踊るお姉さんをみて、「あんなふうに踊れるようになりたい!」と強く思ったようだ。
家に帰ってからも、一生懸命復習しているのだった。
わたしも、クラシックではなく、モダンではあったが、バレエを7年間習っていたので、その楽しさはよくわかる。
わたしもまた、4歳のときに、「バレエを習いたい」と母にお願いして、教室に通わせてもらったのだった。
うちは貧しく、母は常に家計について神経を配っていて、おもちゃどころか、お菓子ひとつさえも買うのをしぶるほどであったが、こういうことに関しては比較的寛容だった。
月謝は、25年前で、なんと月5,000円。
そしてさらに、発表会に出るためのコストがまた著しく高く、その上、衣装もすべて母の手作りであった。チュチュも母の手製であったが、これを着るのがいつも楽しみだった。
絵本もたくさんあったし、貧しいなりに、良質な文化に触れる機会をぞんぶんに与えてくれていたのだと思う。
母もまた、本や絵が好きで、芸術に関して感性が近しいと思うことがある。
思えば、教育方針も、経済観念も、母に随分影響を受けていると思うのである。
わたしもまた、必要とあればお金を出すことをいとわない。
彼の元奥さんは、先日の「フェステラウン」用の仮装衣装を、3種類も買ったそうだ。
「騎士」と、「ピエロ」と、「カエル」である。
「ピエロ」のセットが入っている袋からレシートを発見したが、「ピエロ」のセットだけで5,000円。
全部でいったいいくらかかったのだろうか。
毎回毎回、なんかしら何かおもちゃなどを息子さんに買い与えているのだけれど、おそらく、息子さんが喜ぶためのもっとも安易な手段として、そうしているのではないか、と思う。
確かに、買ってあげるというのは、子供も喜ぶし、大人にとってもお金を出すだけでいいのだからとても簡単だ。
でも、案外と、「買ってあげるだけ」、というのは、子供にとって飽きが早い。
手っ取り早いが、安易であるがために感動も小さく、翌日になると見事葬り去られることがほとんどなのである。
ちなみに、息子さんはフェステラウンの衣装はいずれも1回ずつくらいしか着ていない。
だけど、子供のきもちをしっかり理解して、それに応えるために何かをしてあげた場合には、子供にとっても得るものが大きいのである。
娘が3歳の誕生日のとき、娘がわたしが運転している車というものにとても大きな興味をみせていたので、ダンボールで娘が入れる大きさの車を作ってあげた。ハンドルだけでなく、娘のご所望どおりトランクも作り、シートベルトも作り、その結果、制作費0であるそのダンボール製の車でしょっちゅう「買い物ごっこ」して遊んでいたのだった。
バレエも、「アンジェリーナ」というバレエのアニメが好きだったり、ダンスが好きであることを慮って、ずっと教室を探していた結果、今回たまたま自治体が主催している教室のサイトにバレエがあることをみつけて即申し込んだのだった。
彼もまた、めったに息子さんに買い与えることはしないが、鉄道好きな息子さんのために「トーマスクラブ」に加入してたまにイベントに参加したり、動物園に連れていったり、一緒にレゴで遊んだりする。
やっぱり、常に一緒にいれば、子供の嗜好がよくわかるし、それに応えたいと思う。
元奥さんのやり方は、まるで「おじいちゃん、おばあちゃん」である。
たまにお土産持参で会いにくる、みたいな。
息子さんのことをとても好きなことはわかるのだけれど、会いにくるのも気まぐれだったり、とんちんかんなものを買ってきたり。やっぱり、「親」というよりは、「祖父母」の感覚なのかもしれない。
それで日曜日は、プーさん好きな子供たちのために、ディズニー映画「くまのプーさん」を観に行った。
ちょっと不安だったのだが、2人ともよく集中して映画を観ていた。
端的にいえば、友情ものであり、親子ものであるのだが、娘はとても感情移入していて、最後には涙をうっすら浮かべていた!
わたしも実は泣きそうになってしまったのだが、、、。
家に帰ってからも、ずっとよかったよかったと子供たちは満足しているようだったので、すごくうれしかったのだが。
実は、ある出来事があった。
たまたま映画館の中にあるある会場で、切手コレクションの集いの会みたいのがあり、彼も少しかじったことがあるので、映画が終わったあと、「30分間だけ行って家に帰るから」と言って、わたしたちを置きざりにして行ってしまったのだった。
しかし、わたしは頭痛があり、ひきずるようにして2人の子供を連れて帰り、家に着くなり速攻でベッドに入って寝ていたのだが、「お腹すいた」という子供たちに起こされて時計をみてみると、彼と別れてからすでに2時間近くたっていた!
しかし携帯にも連絡が入ってないし、約束の時間から1時間半も過ぎているなんて、何かあったのだろうかと心配になった。
一応お父さんに電話したが、手がかりはなく、約束の時間から2時間ほどたったころに、鎮痛剤を飲んで自転車で映画館へ。
すると、映画館近くの交差点で歩いている彼の姿を発見。
思わず怒りがわいてきて、
「B(彼の名前)、遅い!!」
と叫んだ。
「なんで、こんなに遅くなるんだったら、電話のひとつもしないの!心配したじゃない。お父さんにまで電話しちゃったよ。あなたは携帯もってないんだから、こっちからは連絡とれないんだからね。わたしは頭痛があって、へたりこんでいたのに具合が悪かったことなんて気がつかなかったんだね!わたしが何も言わないうちにとっとと行っちゃうんだから。大体、日本に帰る最後の休日だというのに、なんでわたしたちと過ごそうとしなかったの!」
と次から次へと文句の嵐が。
結局、彼はいつものようにしゅんとして、「悪かった」と言い、彼と家に戻ってからはわたしはベッドに入り、彼が2人の子どもの面倒をみてくれていたのだが、それでも怒りはおさまらなかった。
彼のことだから、きっと趣味の世界に没頭して、時間も忘れてしまっただけなのだろう。
そういう傾向は前から認識していて、ご両親宅に訪問し始めた最初の数回などは毎回コンピューターの世界に没頭して、一緒に過ごす時間などわずかで、4回目くらいに文句を言って改めてもらったが、そのほか一緒に買い物しているときに本屋に寄ったと思いきや、ひとりでパズルのサンプルにはまって30分くらいそこを離れられなかったり、家でも時々数学の世界に没頭しているなど、それを好ましく受け取ることもあるけど、ときどき厄介だと感じることもある。
集中しすぎて、状況を判断できないというところが。
それよりも、わたしがこの国で、思うように文化を享受できないことにイライラしているせいかもしれない。ことばを理解できないから、新聞も雑誌も読めない。テレビも理解できない。
彼が思っている以上に、わたしの状況は厳しいということを認識して欲しいということかな。
特に、娘は、日本語よりもこの国のことばで話す方が容易になってきており、孤立感が一層深まってきている。
それを、病気だなんだといってなかなか一緒に過ごせずさみしい思いをしていたところに、ようやくゆっくりできると思ったら、約束の時間を2時間もやぶられて、思わず逆上したというか。
はっきりいって、ある種彼への信用を失ったというか。
「愛しているよ。」
「わたしのこと忘れたくせにね。」
「そりゃぁ、仕事とかで熱中しているときは思い出したりしないけど。同時に2つのことを考えられないというか。」
「別に仕事のときまで、わたしのこと思い出さなくてもいいよ。」
「でも毎日君のことを想うよ。」
新聞、雑誌、テレビ、漫画、食べ物、、、、、、
彼のこと思い切り忘れて、思い切り熱中してやりたいと思う。
メールも頻繁に出してやるもんですか。
なんだかんだ楽しみな一時帰国である。
そのおかげか、便秘の問題はほとんど解消されたようである。
一時帰国まであと4日。
ギリギリで、やっとゆっくり一緒に週末を過ごすことができる。
わたしが3週間近く風邪だったのがようやく治ったと思ったら、息子さんが嘔吐下痢症にかかり、その数日後には娘が風邪で発熱し、その直後に今度は彼が嘔吐下痢症で1週間以上罹患しているなど、全員が完全に病気から回復するまで、かれこれ1ヵ月半くらいかかっただろうか。
金曜日には久しぶりに彼のアパートに泊まり、土曜日の朝には2人で久しぶりに大量の食料を仕入れに行った。
彼にとって、久しぶりのシャバだったのではなかろうか。
お昼は、焼きたてのバケットに、たっぷりバターを塗って、スモークサーモンをのせたものを食べた。
そして、午後は娘念願だった、バレエ教室へ。
自治体が主催しているもので、たったの40分のクラスということもあり、そして3ヶ月でたったの8,000円というだけあって、本格的なレッスンというわけではなかったが、大人の先生に、7年習っているという女の子がアシスタントしていて、バレエの型をお手本をみながら真似するというようなもので、娘はとても楽しかったようだ。
バレエは、技術を獲得するには相当の努力が必要だが、やはり上手なひとの踊りをみるとウットリする。当然娘はまったく真似できなかったが、きれいに踊るお姉さんをみて、「あんなふうに踊れるようになりたい!」と強く思ったようだ。
家に帰ってからも、一生懸命復習しているのだった。
わたしも、クラシックではなく、モダンではあったが、バレエを7年間習っていたので、その楽しさはよくわかる。
わたしもまた、4歳のときに、「バレエを習いたい」と母にお願いして、教室に通わせてもらったのだった。
うちは貧しく、母は常に家計について神経を配っていて、おもちゃどころか、お菓子ひとつさえも買うのをしぶるほどであったが、こういうことに関しては比較的寛容だった。
月謝は、25年前で、なんと月5,000円。
そしてさらに、発表会に出るためのコストがまた著しく高く、その上、衣装もすべて母の手作りであった。チュチュも母の手製であったが、これを着るのがいつも楽しみだった。
絵本もたくさんあったし、貧しいなりに、良質な文化に触れる機会をぞんぶんに与えてくれていたのだと思う。
母もまた、本や絵が好きで、芸術に関して感性が近しいと思うことがある。
思えば、教育方針も、経済観念も、母に随分影響を受けていると思うのである。
わたしもまた、必要とあればお金を出すことをいとわない。
彼の元奥さんは、先日の「フェステラウン」用の仮装衣装を、3種類も買ったそうだ。
「騎士」と、「ピエロ」と、「カエル」である。
「ピエロ」のセットが入っている袋からレシートを発見したが、「ピエロ」のセットだけで5,000円。
全部でいったいいくらかかったのだろうか。
毎回毎回、なんかしら何かおもちゃなどを息子さんに買い与えているのだけれど、おそらく、息子さんが喜ぶためのもっとも安易な手段として、そうしているのではないか、と思う。
確かに、買ってあげるというのは、子供も喜ぶし、大人にとってもお金を出すだけでいいのだからとても簡単だ。
でも、案外と、「買ってあげるだけ」、というのは、子供にとって飽きが早い。
手っ取り早いが、安易であるがために感動も小さく、翌日になると見事葬り去られることがほとんどなのである。
ちなみに、息子さんはフェステラウンの衣装はいずれも1回ずつくらいしか着ていない。
だけど、子供のきもちをしっかり理解して、それに応えるために何かをしてあげた場合には、子供にとっても得るものが大きいのである。
娘が3歳の誕生日のとき、娘がわたしが運転している車というものにとても大きな興味をみせていたので、ダンボールで娘が入れる大きさの車を作ってあげた。ハンドルだけでなく、娘のご所望どおりトランクも作り、シートベルトも作り、その結果、制作費0であるそのダンボール製の車でしょっちゅう「買い物ごっこ」して遊んでいたのだった。
バレエも、「アンジェリーナ」というバレエのアニメが好きだったり、ダンスが好きであることを慮って、ずっと教室を探していた結果、今回たまたま自治体が主催している教室のサイトにバレエがあることをみつけて即申し込んだのだった。
彼もまた、めったに息子さんに買い与えることはしないが、鉄道好きな息子さんのために「トーマスクラブ」に加入してたまにイベントに参加したり、動物園に連れていったり、一緒にレゴで遊んだりする。
やっぱり、常に一緒にいれば、子供の嗜好がよくわかるし、それに応えたいと思う。
元奥さんのやり方は、まるで「おじいちゃん、おばあちゃん」である。
たまにお土産持参で会いにくる、みたいな。
息子さんのことをとても好きなことはわかるのだけれど、会いにくるのも気まぐれだったり、とんちんかんなものを買ってきたり。やっぱり、「親」というよりは、「祖父母」の感覚なのかもしれない。
それで日曜日は、プーさん好きな子供たちのために、ディズニー映画「くまのプーさん」を観に行った。
ちょっと不安だったのだが、2人ともよく集中して映画を観ていた。
端的にいえば、友情ものであり、親子ものであるのだが、娘はとても感情移入していて、最後には涙をうっすら浮かべていた!
わたしも実は泣きそうになってしまったのだが、、、。
家に帰ってからも、ずっとよかったよかったと子供たちは満足しているようだったので、すごくうれしかったのだが。
実は、ある出来事があった。
たまたま映画館の中にあるある会場で、切手コレクションの集いの会みたいのがあり、彼も少しかじったことがあるので、映画が終わったあと、「30分間だけ行って家に帰るから」と言って、わたしたちを置きざりにして行ってしまったのだった。
しかし、わたしは頭痛があり、ひきずるようにして2人の子供を連れて帰り、家に着くなり速攻でベッドに入って寝ていたのだが、「お腹すいた」という子供たちに起こされて時計をみてみると、彼と別れてからすでに2時間近くたっていた!
しかし携帯にも連絡が入ってないし、約束の時間から1時間半も過ぎているなんて、何かあったのだろうかと心配になった。
一応お父さんに電話したが、手がかりはなく、約束の時間から2時間ほどたったころに、鎮痛剤を飲んで自転車で映画館へ。
すると、映画館近くの交差点で歩いている彼の姿を発見。
思わず怒りがわいてきて、
「B(彼の名前)、遅い!!」
と叫んだ。
「なんで、こんなに遅くなるんだったら、電話のひとつもしないの!心配したじゃない。お父さんにまで電話しちゃったよ。あなたは携帯もってないんだから、こっちからは連絡とれないんだからね。わたしは頭痛があって、へたりこんでいたのに具合が悪かったことなんて気がつかなかったんだね!わたしが何も言わないうちにとっとと行っちゃうんだから。大体、日本に帰る最後の休日だというのに、なんでわたしたちと過ごそうとしなかったの!」
と次から次へと文句の嵐が。
結局、彼はいつものようにしゅんとして、「悪かった」と言い、彼と家に戻ってからはわたしはベッドに入り、彼が2人の子どもの面倒をみてくれていたのだが、それでも怒りはおさまらなかった。
彼のことだから、きっと趣味の世界に没頭して、時間も忘れてしまっただけなのだろう。
そういう傾向は前から認識していて、ご両親宅に訪問し始めた最初の数回などは毎回コンピューターの世界に没頭して、一緒に過ごす時間などわずかで、4回目くらいに文句を言って改めてもらったが、そのほか一緒に買い物しているときに本屋に寄ったと思いきや、ひとりでパズルのサンプルにはまって30分くらいそこを離れられなかったり、家でも時々数学の世界に没頭しているなど、それを好ましく受け取ることもあるけど、ときどき厄介だと感じることもある。
集中しすぎて、状況を判断できないというところが。
それよりも、わたしがこの国で、思うように文化を享受できないことにイライラしているせいかもしれない。ことばを理解できないから、新聞も雑誌も読めない。テレビも理解できない。
彼が思っている以上に、わたしの状況は厳しいということを認識して欲しいということかな。
特に、娘は、日本語よりもこの国のことばで話す方が容易になってきており、孤立感が一層深まってきている。
それを、病気だなんだといってなかなか一緒に過ごせずさみしい思いをしていたところに、ようやくゆっくりできると思ったら、約束の時間を2時間もやぶられて、思わず逆上したというか。
はっきりいって、ある種彼への信用を失ったというか。
「愛しているよ。」
「わたしのこと忘れたくせにね。」
「そりゃぁ、仕事とかで熱中しているときは思い出したりしないけど。同時に2つのことを考えられないというか。」
「別に仕事のときまで、わたしのこと思い出さなくてもいいよ。」
「でも毎日君のことを想うよ。」
新聞、雑誌、テレビ、漫画、食べ物、、、、、、
彼のこと思い切り忘れて、思い切り熱中してやりたいと思う。
メールも頻繁に出してやるもんですか。
なんだかんだ楽しみな一時帰国である。
もうすぐ帰国
帰国前はいつも戦場のようである。
************
彼は一応復帰したものの、今度は便秘に苦しんでいるのだとか。
おそらく5日間近く出ていないのではなかろうか。
にもかかわらず、食欲は出てきたので、それなりに食べており、常にお腹が張って苦しいそうである。
薬をあげようとしたら、
「時間が解決するだろうから、薬は飲まない。」
これが、日本人との違いだなーと、思う。
この国は、医療費が無料なので、病院も滅多なことでは患者を受け付けないばかりでなく、たとえ医者に診てもらえたとしても、薬を処方してもらうのはごくごく稀なこと。
子供も、風邪ぐらいでは薬を飲まない。たとえ咳がひどくとも、下痢がひどくとも。
だからなのか、「薬を飲むのは体によくない。」という意識が強い。
というか、薬を飲むことによって、体をラクにしてしまうと、本当は体が休養を欲しているのに、大丈夫だと誤解してしまうことに抵抗があるようである。
しかし、薬を飲まないから、治るまでに当然時間がかかるわけで、息子さんが風邪をひいたときには、熱がないにもかかわらず2週間も保育園を休み、彼などは今回の病気で1週間以上も休んでいる。
確かに、薬を飲みたがらないその理屈は理解できるけれど、わたしにとっては現実的にそんなに休むことは不可能だと思ってしまう。
実際に、インフルエンザにかかったときには、夫が娘を迎えに行くために仕事を早く切り上げるのが嫌そうだったので、解熱剤を飲んで早い回復を試みたし、頻繁にかかる頭痛でも、誰も手伝ってくれないので、すぐに鎮痛剤を飲む。
薬を飲まないでいられるのは、「病気になったら、当然休んでOK」というこの国の常識があってのことであろう。
また、結構親が手伝いにきてくれる家庭が多いのも、また休める理由ではないだろうか。
同僚の場合、親は飛行機で移動するようなところに住んでいるものの、病気になれば手伝いにきてくれるそうである。
日本は、病気になろうが、仕事の需要はかわらずあるわけで、ごまかしでもいいから早く復帰しなくてはという意識があるから、薬を多用してしまうと思う。
それに対して、薬に頼らなくてすむのは、1週間も息子さんのことを一切気にかけずに休める、彼の特権だなーと思ってしまう。
ともかく、便秘が治ればいいなぁ、と思う。
日本に帰る前に、彼にごはんを作ってあげたいから。
*****************
日本に帰る準備をしている。
いつも、日本に帰ると、お金を浪費してしまうのだが、今回は買い物も厳選するし、レジャーも制限する。
家計簿をチェックしたのだが、、、、
毎回毎回一時帰国のときの出費の額がスゴイ。
夫が地方に住んでいるので、東京もしくは大阪からの移動費(東京からだと必ず飛行機)、そしてその地方都市から大阪や名古屋方面にも大抵行くのでその移動費もバカにならない。そのほか、外食、服、本、もっていく食品、、、、この国への送料。
日本は安くていいものがたくさんあるから、ついつい消費してしまうんだなぁ。
移動に関しては、今回は夫と会ったあとは、電車で東京を目指しつつ、途中の地方都市に住む友人らのところに寄りながら戻る予定。
*****************
インターネットで、プロバイダの解約をしたり、バスの予約をしたり、新幹線の運賃を調べたりしていた。
すでに、名前や住所が変わることによる、クレジットカードの処理、免許の変更、年金等については調べていたのだけど、、、
今回、本当にハードな一時帰国になりそうです。
子供からのギフト
9月に、近所であったアートフェスティバル。
さまざまな廃材を使って、好きなものを創っている娘。
*************
今日は、わたしの英語のクラスが始まる日で、またまたご両親宅にご厄介になった。
娘は、すでに3時ごろ、彼のお父さんに息子さんと一緒に保育園から引き取ってもらって家で遊んでいた。
彼もほぼ完全復活し、娘とカードゲームに興じていた。
ところが、ゲームの途中で夕飯の支度が終わったので、皆して食卓に移ったところ、突然ゲームを中断された娘は大泣きしてしまった。
しばらくほおっておいたものの、一向に泣き止む気配がない。
5歳になった娘が、こんなに泣き叫ぶのは珍しかった。
彼が娘を抱っこしてなぐさめようとしたものの、かえって油に火を注ぐかのごとく絶叫へと変わった。
それで、
「M(娘)、こっちへおいで。」
とわたしが娘を抱っこ。
「ゲーム途中で終わってしまったの悲しかった?そうだよねぇ。Mが勝ちそうだったんだものね。でもね。お母さんはわかっているよ。Mがこのゲームとても上手なんだってこと。いつもいつもよく覚えているものね。そうだ。このカード日本にもっていって、東京にいるじいじ、ばあばと一緒にやろうか。きっと、じいじ、ばあばもびっくりするよ。Mがあまりにも上手だから。Mは、自転車もできるし、泳ぐのも上手だし、シンデレラのドレスがとても似合う、とても素敵な女の子になったって、きっとじいじ、ばあばも驚くと思うよ。だから、あと6日。日本に素敵なMをみせに行こうね。」
これで、娘はすっかり納得して、機嫌も直った。
「I(わたし)は、とてもうまいね。」
と彼のお父さん。
娘は、ゲームが上手であることを誇りにしているから、中断されたことがひどく悲しかったのだと思う。
「でも、わたしもかつては苦手だったんですよね。子供をあやすのって。それを、日本の保育園でたくさん学ぶことができて、徐々にどうしたらいいのか、わかってきたんだと思います。」
娘が2歳半ぐらいのときであろうか。
お迎えに行ったとき、娘はお気に入りの本に執着していて、なかなか手放すことができなかった。しかし、保育園所蔵の絵本の貸し出しは金曜日だけに制限されており、その日は絵本は戻さなければならず、無理やり娘から絵本をとって返そうとしたところ、娘はひどく泣き乱れた。
そうはいっても、今日は借りれないんだよ!とわたしもイライラして逆ギレ。
そこへ、すっと一人の保育士さんがやってきて、
「そうかぁ。Mはこの本が好きかぁ。Mは絵本がとても好きだがぁ。絵本を持って帰りたいというMのきもちよくわかるよ。だから、あさってまで待とうかぁ。あさってになったら、この本をもって帰ってもいいよ。」
というようなことを、娘を抱っこしながら延々と語り続け、ついには娘も納得して帰ることができたのだった。
このとき、目からウロコが落ちる思いをした。
時間がかかっても、子供のきもちを理解する姿勢をみせる。決して、頭ごなしに叱ったりしない。
子供も、自分のきもちを受け入れてくれたという信頼感をもてば、最終的に自分の欲求がかなえられなくても納得するものなんだということを、この出来事から学んだのだった。
しかし、同時に、子供のきもちを受容するためには、自分のことも受容してないとかなわないことなんだということも、身をもって痛感した。
自分のことでいっぱいいっぱいであると、自分の子供とはいえ、到底他者のきもちを受容することなんてできるはずない。
つい表面的なことにふりまわされて、キーっとなってしまうばかりである。
子供の第一の味方にならなければならないと認識したのと同時に、わたしは果たして親に受容してもらっていただろうか、と自分を振り返るようになったのである。
それが、わたしが自分を再評価するようになった、本当の理由である。
いくら自分のことが好きでなくとも、子供がいないうちはまだごまかせていた。けれども、子供を養育することによって、いよいよ自分の問題から目をそらすことができなくなったのである。
***************
彼の元奥さんは、「本当は子供なんて欲しくなかった。」と漏らしていたそうである。
でも、それはある種の「言い訳」であると、わたしは思っている。
いくら彼が子供を欲しがっていたとはいえ、彼女が本当に子供をもちたくないと思っていたとしたら、数ヶ月間も避妊なしで毎日性交渉などするだろうか。彼だって実際に、避妊なしの性交渉の前に、妊娠に対する覚悟について確認したそうである。
彼女は、妊娠が判明してから、その事実を彼や彼のお父さんにはひた隠しし、
「子供をもったら、なかなか母国に帰れなくなるだろうから、今のうちに母国に一時帰国しておきたい。」
と訴え、旅行の手配を彼のお父さんにしてもらったそうである。
しかし、一時帰国の数日前、あまりにも大きくなった彼女のお腹に、彼は妊娠しているのではないかと疑い、彼女に確認して初めて発覚したそうである。彼が聞くまで彼女が一切妊娠の事実を打ち明けてくれなかったことを、当然であるが彼はひどく失望したそうだ。
いざ母国に行けば、2週間の一時帰国の最終日に、
「ドクターに、流産の危険性があるから、飛行機には乗れないって言われた。」
との彼女のことばに抗うことができず、結局そのまま彼女は出産まで母国に滞在することになってしまったのである。
本当は、彼女自身が妊娠を認識した時点で、母国で出産する心積もりをしていながら、それを一切打ち明けず、うまくウソをつきながら、自分の欲求をかなえたのである。きっと、コストがかかる(実際、総額150万円かかったとのこと。ちなみに、この国の出産費用は無料である。)、流産の危険、産後の処理などの問題で、彼に拒否されることを恐れたのであろう。
彼女は、「結婚したくなかった」、「子供が欲しくなかった」と本気で思っていたわけではないと思う。
結婚を決心したときには、彼はとてもやさしいし、豊かな国だし、きっと幸せな生活が保障されると期待していたのではないか。
だけども、実際に結婚してみたら、実際に子供をもってみたら、案外とこの国はつまらないし、さまざまなわずらわしいことも伴ってきて、結婚や出産を後悔し、「本当は結婚なんてしたくなかった。」「本当は子供をもちたくなかった。」と、彼に対する非難、育児の拒否、そして母国に帰りたがる欲求の「言い訳」にしていたのではないだろうか。
わたしも、「妊娠していなかったら。」とよく考えたことがあるのでわからなくはないが、もったいないなーと思う。
心ならずとも子供を得たことによって、確かに仕事の面ではすっかりアウトドローとなってしまったが、それを補っても余りあるほど得たものも大きかったから。
いろんなことが自分を成長させる機会になりうるけれど、子供をもつことというのもこの上ないいいチャンスになるのに。
夫も、そのチャンスを逃したといえよう。
子供を得ても、論文数、学会の参加回数をかせぐことに注力することはまったく変わらず、自分中心の生活はほとんどそのままであったから。
もちろん、子供のかわいいところだけでも堪能できるけれど、わたしにとっては、子供のやんちゃにつきあうなど、自分の思い通りにならないような苦しい経験から学ぶことが多かった。
自分の思い通りにならないことがあるからこそ、自分を振り返ることにもつながるだろうし。
ところで、英語クラスはあまりにも希望者が少ないためキャンセルとなっていた。
(日本の盛況ぶりとは対称的に、この国では需要が少ないのか!?)
そのかわり、いろんなことを彼とたくさん話した。