国際カップルのよさ | いまのしゅんかん

国際カップルのよさ

またまた例の漫画家さんのHPを見に行って考えさせられてしまった。
「どうしてパートナーが外国人なのか」
という議論の中で、日本人男性にはもてなかった女性のせつない心境が語られていて、わたしもつい過去を思い出して泣きそうになってしまった。

このブログでもさんざん書いてきたが、わたしは恋愛コンプレックスを持ち続けてきた。
夫との関係の問題に対峙できなかったのも、それが原因のひとつでもある。
「この人を失ったら、二度とパートナーを得ることができない。」
という恐怖でもって、我慢の限界に達するまでずるずると困難を受け入れてしまっていた。

なぜなら、わたしは、男性にもてない、というだけでなく、その上鬱陶しがられていたから。
わたしが日本の大学で研究室に所属していたとき、研究室の男性陣から理不尽な差別を受けていた。
わたしの話に耳を傾けないどころか、かわいい子には許されていた過失もわたしにはひどい叱責を受けたり、かわいい子には進んで手伝っていた先輩もわたしには「そんなの自分で調べてなんとかしなよ。」と一蹴したり。

確かに、わたしは可愛くない。
がさつだし、自分のペースにもっていこうとする。
外見を磨いたり、性格を改善させたり、もっと人に好かれる努力をするべきだ、と言ったら本当にその通りなのだが、ここまで人に受け入れられていないと実感してしまうと、とことん自分を否定してますます自分の殻に閉じこもってしまい、自分を変えることなどできないのである。

ところが、わたしをこの国に引き寄せてくれたキーパーソンである外国人の彼(今の指導教官のひとり)がその研究室に研修生としてやってきたとき、わたしの物怖じしない意見にもウンウンとうなずいてくれたりして、日本人男性とは違う感触を彼から得たのであった。
恋愛感情というわけではなく、今まで鬱陶しがられていた言動にも好感をもって受け入られているということが、ただ単純にうれしかった。
実際、彼の奥さんは日本人女性であるが、わたしに勝るとも劣らない強い信念をもった女性である。
「コワイネー。」と言いつつ、奥さんのそういうところを愛していることがわかるのである。
2人でよく政治の話とかもしているらしい。

恋人である彼もまた、わたしの強さが好きだと言う。
最初はアジア人女性の美しさにメロメロになってしまった彼も、美しいだけでは物足りないことに気がついたそうだ。
2番目のガールフレンドはとても美しい女性であったが、一向に語学力を磨こうという向上心がみられず、充実したコミュニケーションがのぞめなくて交際を断念したぐらいだし、元奥さんはかわいらしく語学は達者であったが、話すことが表面的なことお金のことばかりで辟易してしまったという。

わたしの研究に対するモチベーションを評価してくれていた夫でさえも、わたしが政治の話をしようとすると、「それじゃぁ、おまえが政治家に文句言いにいったら。」と言い、わたしが教育の話をしようとすると、「そんなのきれいごとだよ。」と一蹴して、わたしの主張を鬱陶しがっているのがありありと見えたのに、彼はむしろ関心をもって何でも聞いてくれる。
日本人男性が嫌がることを、外国人だったら歓迎してくれるなら、そちらに惹かれるのは自然ではなかろうか。
「外見なんて関係ない。中味を好きになって自ずと外見も美しくみえてくるものなんだよ。」
といってくれれば、本当にわたしという人間を受け入れてくれるという信頼も生まれる。

実際に、日本では、というかアジアでは外見の美しさが重要な要素のひとつであると思う。
ろくにコミュニケーションもないまま恋に落ちることもよくあることではなかろうか。
でもこっちではあまり重視されていない。
おしゃれじゃないし、俳優は美男美女というわけではない。アテンダントも太った中年女性がよくいたりする。
歯については気を配っているが。
むしろ、社会性にすぐれていたり、人を納得させる力をもっている人が人気あるように思える。

彼にしても指導教官にしても、この国では女性にもてなかった。
いずれも外見は普通であるし、身長もこの国の平均身長(181cm)以上である。
察するに、二人とも女性に対してシャイだったからだと思う。
でも、わたしからしてみれば、二人とも思慮深く、魅力に欠けるとは思わない。

国際カップルのよさは、母国と異なる視点からお互いに評価することにあるのかもしれない。
バッググラウンドの違いは困難をもたらすが、違った価値観が新しいものを生む可能性もあるのだ。