New Year Eve | いまのしゅんかん

New Year Eve


あっというまに大晦日。
前厄にふさわしく、本当に困難の多い年だった。
お正月から夫と大ゲンカしたり。(笑)

というか、自分のもつ問題から逃げられなくなった年だった。
自分の言語能力の乏しさを認めるだけでなく、それを改善させなければならない局面にあったり、
社会性の乏しさを克服しなければならなくなったり、
夫をもはや愛してないと認めなければならなくなったり。

本当は、結婚1年目からすでに破綻していた。
でも、底意地の悪い夫のことが心底怖かったのと、一人で生きていく自信がなかったということから、その事実を認めることがなかなかできなかった。
とはいえ、一緒にいるのが苦痛だったし、何よりも産後は完全なセックスレス。手をつなぐことすらできなくなっていた。
この国に来てから、本当に幸せを感じていた。
そんな状況にありながら、自分をだまし続けていた。

そんなある日、スーパーの前で、太っていて、はげかかった、結婚指輪をはめている男と偶然出会って、いきなり関心を寄せてきて、保育園の行事でずっとわたしのあとをついてきたり、保育園の帰りに息をきらして追いかけてきて買い物についてきたり、わたしの大体の登園時間をチェックしてその時間に合わせて登園してきたり、まるでストーカーチックなことをされるようになってから、わたしの人生が変わった。

結婚しているのになぜあからさまな好意を寄せてくるのかがわからず、彼が怖かった。
でも、同時に、わたしの拙い英語にも「うんうん」と笑顔で応えて、心にしみるような言葉をかけてくれる彼のことを意識するようになっていた。

そうしているうちに、わたしがパニックでやつあたりしたのを、彼が静かに受けとめてくれたとき、彼のことが好きだということを認め、どんな困難があろうとも、彼と共に生きる、と決心したのだった。

そのあともいろいろあったけれど、その度に彼は決して逆上することなく、冷静に事実を受け止め、素直に非を認めることもあった。
今は、かなり彼のことを信頼している。

今日、夫にある事情から電話したのだが、底意地の悪さは相変わらず。
半日気分悪くなった。
今に限らず、夫とのやりとりで後味の悪さが残るのは、つきあい始めた当初からのことであったが。
人の話を聞かず、屁理屈であっても、自分の意見をどこまでも押し通そうという夫の意地が、コミュニケーションを困難にさせていたのだと思う。
電話では、ケンカしなかったことなんてなかったのではないか?というほど、頻繁に衝突して、そのためになかなか切れないなんてこともしょっちゅうだった。
人のきもちを慮るよりも前に、自分の事情で相手をコントロールさせようとしていたから。
彼とのやりとりでいつも幸せなきもちにさせられるのと正反対だ。

まぁ、お金のことでもめそうだけれど、どんなに不利な条件になったとしても、この決断を後悔しない。

彼は言った。
「問題を受け入れることが大事なんだと思う。解決できることもあるし、できない場合もある。それでも認めなければ、自分をだますことになるから。」

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彼のお父さんは、一回も美人の女性に恋したことがないのだそうだ。
見た目よりも、内側に惹かれるのだとか。
彼のお母さんは、はっきりいって美しくないし、かなり太っている。話し方もがさつである。
でも、実はものすごい繊細で純粋な心をもっていて、今でもオランダに行ってしまった息子のことで毎日一回は泣くのだそうだ。
とても印象的なエピソードは、新潟の地震が起きたとき、わたしが日本人だということで、その情報を得ようととても慎重にニュースを観てくれたこと。彼やお父さんが大きな声で話してたら、「うるさい!日本の地震のニュースを聞こうとしているんだから!」とどなったときには、密かにじ~んときたものだ。
つきあい始めてから40年たった今でも、お互いに深く愛しているのだそうだ。

それに対して、わたしは、、、かなり表面的な部分で夫を選んだのかもしれない。
ハンサムで、優秀な研究者で。
今となっては、本当に愛していたかどうかもわからない。
ただのぼせて、ふりまわされていただけかもしれない。
なんといっても、自分のことを好きではなかったから。自分のこともわからないのに、相手の内側なんてみえなかったと思う。問題を問題と認識さえもできなかった。

わたしは、彼にも彼のお父さんにも言った。
「わたしは西洋人だからといってB(彼の名前)に惹かれたわけじゃない。Bだから好きになった。」

問題は山積みで、来年は厄年にふさわしく、さらに困難な年になると思うけれど、もう問題を怖がらない。