学ぶということは(3) | いまのしゅんかん

学ぶということは(3)

偶然であるが、同じアパートに、日本人の学生さんが住んでおられる。
別に意図していたわけではないが、彼女がこのアパートに来た9月から年末まで、殺人的に忙しかったので、ほとんど会話を交わせることもなく、今に至ってしまった。
それが、昨日、偶然大学の学食で会ったので、翌日一緒にランチしましょうと約束した。

そして、今日、一緒にランチしたのだが、偶然また別の日本人の学生さんが来て、一緒にごはんを食べた。
彼女はこの大学の正規の学生であるが、別の学生さんは日本の大学からの交換留学生。他にも10数人いるそうな。
この国はとてもマイナーなので、去年は他の日本人一人もみかけなかったのに!と驚いていたら、どうも去年の9月からこの国と日本の間で交換留学の制度が始まったようだ。

だけど、どうもその実態はあやふやなようで、要求されていることは何もなく、何をするかは本人次第とのこと。こっちで単位をとっても、それが日本でも認められるかどうかも不明だそうだ。
したがって、彼は授業をとらず、修士のテーマとはまったく異なる研究を今やっているようだ。
で、単純な質問として、何のためにこの大学に来たのかと聞いてみると、「交換留学制度が始まるという情報を入手したから。」というなんともあやふやな返答。(というか答になっていないような。)
まぁ機会があったから応募したといったところであろう。

そして、同じアパートに住む彼女も、会社を休職して来ているものの、特に仕事に関係のある分野というわけでもなく、かといって学んだことを将来に生かす道に進むかどうかは決めてないそうだ。
今は、とても厳しい単位取得要件を満たすために、ひたすら授業や課題に励む毎日である。
今履修している短期集中授業は、たまたまわたしが専門とする分野であるので、早速家庭教師を頼まれてしまった。
どうして反応が起きるのか、ということから、少しだけエネルギーの話をしたけれど、まったく知識がないらしく、本当に基本から教える必要があるようだ。

なんか、やっぱり、違うなーと思ってしまう。
まぁ、目的も、何を学ぶのかも本人次第だから、わたしがとやかく言うことではないけど、日本人は環境に求める傾向があるように思えてならない。
特別な環境に身を置けば、何かを得ることができる、というような。
現に、最近留学情報誌もたくさんあるし、旅行代わりに短期留学する人も多いと思う。
何かをするため、というよりは、何をしたいのか見つけるために海外に留学する、といったところだろうか。
目的すらも環境に求めているような気さえする。

わたしの彼は、今、大学生である。
でも、学位は別にいらないという。
30歳のときに、それまでばりばりの数学者で国立の研究所に勤めていた彼が、机上にしかありえない学術的分野ではなく、もっと実社会に還元できるような仕事に就きたいと思い、そのためのバッググラウンドを積むため、大学で学ぶことを選んだ。
どうも、大学生のときに、夏休みを利用して、ある会社で膨大な顧客のデータを整理し、会社にとっていかに無駄があるのかをレポートに書くという仕事をやった経験から、ずっとその分野に興味があったのもひとつの理由らしいが。

英語の授業で知り合った女性は、かなり英語が堪能で、単位もすでに要件をみたしていたので、なんで授業を受けているのかと聞いたら、「この返された課題みてわかるでしょ。わたし話すのは得意だけど、書くのは苦手なの。だから書く能力を改善するためにこの授業受けているの。」と。

環境に何かを与えてもらうのではなく、環境の中で自分が何を得るのか。
学ぶって、そういうことなんだと思う。

ちなみに、彼は数学者であるが、化学は苦手といいつつも化学反応の本質を知っているし、歴史などにも詳しい。とても話題が豊富。
学ぶことのセンスをもっているような気がする。
興味があれば自分でどんどん学んでいく。

どんな環境であろうとも、刺激を受けるかどうかも、いかにそれを自分の中に取り入れることができるかどうかも、本人の感性によるところに大きい。