いまのしゅんかん -425ページ目

長い一日

パントマイム


7月27日。息子さんの本当の誕生日。保育園での誕生日会のために、前日彼は遅くまでケーキ作りとパン作りに励んでいた。生イーストが足りなくなり、遅くまで開いているスーパーに買出しにも行っていた。

当日の朝、プレゼントを渡した。

息子さんには、レゴの頑丈なラジコン、娘にはあるキャラクターのノート。

それで、リビングにプレゼントをひろげ、組み立てなどをしていた。

わたしはロングランの実験があるので、7時半ころには家を出た。

4時に帰宅。

アパートの中はものすごいことになっていた。

パンくずと、ラジコンについていた発泡スチロールのくずで。

しばらくして彼と子供たちも帰宅。

急いで夕飯を作り、食べてからまた外出の準備。

そう。誕生日ということで、遊園地でやっているショーを観に行こうと提案したのだ。

着いたら、劇場の前は大混雑。

いつもは椅子に座ることができるのだが、座れないだけでなく、立ち見の観客も大勢いて、肩車しないと子供たちは観ることができないほどだった。

だけど、やっぱりパントマイムは面白い。

古典的なラブストーリーではあるのだが、オーケストラミュージックに、バレエダンシングが雰囲気を出しているし、ピエロの滑稽さが味を出している。

終わったあと、次のショーの予定を確認しようと劇場舞台近くの掲示板を見にいったところ、予定されていたバレエショーはダンサーの病気とかで中止。

しかし、このとき彼がディレクターらしきひとと話をし、このあとの劇場見学ツアーにもぐりこむことを承諾してくださったのだった。

なんと、この劇場ツアー。特別なルートじゃないとチケットを入手できないらしい。もちろん、彼も一度も劇場内を見学したことがないほど。滅多にないチャンスに興味津々で入らせてもらったのだった。

1870年ごろに建てられたというこの劇場。

基本的にそのまま維持するようにしているとかで、非常に年季の入った建物であった。

舞台下から舞台上に出れるようなエレベーターもあるのだが、手動だし。

背景の入れ替えも、6人のスタッフで手でやっているそうだ。

舞台横に、幾重にも背景のボードが重なっていて、必要なボードだけ舞台中心側にスライドさせて観客に見せるのである。

天井をみると、何種類もの背景の布のロールがみられた。

ストーリーや演技も、昔のスタイルを残しているのだという。

衣装部屋や、俳優さんたちが待機しているところや、舞台下なども見学できて、とても面白かった。

バレエダンサーは全員が外国人とのこと。

この国では志願者がいないそうである。

やっぱり、普通のバレエとはかなり違うし、希望者が少ないのだろうか。

エンターテイメントであることには、両者変わりはないが。

そのあと、コーラを飲みながら、乗り物もひとつだけ乗り、2回目のパントマイムを観て遊園地を出、家に着いたのは10時近かった。

しばらくして、元奥さんから電話があった。彼が今日一日のことを説明し、そのあと息子さんと少しだけ話をした。

むこうの時間で、2時か3時くらいだろう。もしかしたら、不在中に電話していたのかもしれない。

息子さんは、電話が苦手で、長いことお母さんを恋しがっているのに、あまり話はせず、うなずくだけ。

わたしたちは、とてもいい誕生日を提供できたと思っているが、彼女はどう思っているのだろうか。

劇場内

劇場内。ピエロ役の男性が説明してくれた。

本人次第

昨日、久しぶりに元奥さんのお母さんから電話があり、息子さんの誕生日の翌日に引き取りたいという申し出があった。

木曜日に保育園で引き取り、日曜日返したいと。

彼はあっさり承諾したのだった。

が、ことばをまったく理解できないわたし、電話のあとに彼からそのことを聞き、

「ちょっと!日曜日は、イベントに参加することになっているでしょう?一ヶ月以上も前から、あなたのお父さんがアレンジしてくれて、今までもさんざんその話をしていたのに、なんで忘れるわけ?今朝だって、週末にベッドの組み立てをしたいって話したとき、わたしが日曜日はイベントに行くからできないということを話したばかりだよね!そもそも、前からカレンダーにちゃんと書いているのに、そしてカレンダーをみながら電話していたのに、なんで見落とすの!日曜日はダメだって、連絡しなさいよ!」

「なんでそこまで怒るの?別にK(息子さん)がいなくたって、3人で行けばいいじゃないか。」

「そういう問題じゃないの!ずいぶん前からお父さんがわたしたちのためにアレンジしてくれて、ことあるごとにそのイベントの話をしつつ、お父さんが子供たちが楽しみにしていることを喜んでいる、そのきもちを無視して、すっかりイベントのことを忘れたあなたの配慮のなさに腹立てているの!別にKがいなくたって、たいした問題じゃないかもしれない。そういうことではなく、わたしたちのためにと用意万全に尽くしてくれた、お父さんの親切心をあっさりと忘れた、あなたの態度に問題を感じているの!」

結局、それで彼は元義母に連絡して、日曜日の予定を土曜日に変えてもらったのだが、それでも納得いかないきもちが、、、、。

こんなに腹をたてても無駄かもしれない、、と思った。

というか、怒っても、本当の意味でわたしのきもちを理解してくれているわけではない、と。

彼は、ずいぶん長いこと「家族」というものを欲していたが、30歳で結婚するまで、ろくに女性と深くつきあったことがなく、フリーであった期間が長かったせいか、そして気の置けない友人があまりいないせいか、どうしても他人に対する意識が希薄でマイペースなところが強い。実際に、小学校のときは、一人でいることを好んだそうな。

TVをいったん観だすと、それ以外のことに一切気がいかなくなる。

会話をしても、自分の意見を言うことだけに夢中になって、他人のいわんとするところを無視することもしょっちゅうだ。相手がしらけた表情になっても、気がつかない。会話のキャッチボールというより、自分だけが楽しい会話をしがちである。

でも、彼に悪気はまったくないのである。

別に、相手をドミネートしようとしているわけではないし、理解しようと努めてもいる。ただ、相手に対する配慮が希薄なのである。

それは、彼の特性であって、わたしが変えられるものでもない。

もっとも、わたし自身、「気が利かない」で、さんざん指摘されつつも、なかなか改善できていないのであるから。

昨日、再評価を日本人の友達としたときにも思ったが、わたしが彼女の問題を認識したとしても、それを指摘したりアドバイスするべきではない、問題を認識してそれに対してどうするかを決めるのは彼女次第である、と。わたしにできるのは、せいぜい彼女の話を聞くだけである。

例えば、彼女があることで無能と感じることに対し、わたしが「そんなことないよ。」といっても意味はなく、どうして無能だと感じるのか、その元になる傷を彼女自身が認識してはじめて、その問題に取り組むことができるのである。

元夫は、常に思考することを避けるために、トイレでもお風呂に入っているときでさえ、何かを読んでいた。

離婚するときに、はじめてそれが、阪神大震災に受けた恐怖から逃れるための行為だということを聞いた。

どうしてそれを言ってくれなかったのかなじったが、本当にそれが原因なのかどうかはともかく、自分が抱える問題に取り組むかどうかは、本人が決めることだ、と今は思っている。

傷に直面するのも容易なことではない。嫌なことをたくさん思い出してしまうので、それから避けたくなるのも当然だ。

わたしでさえ、触れたくない傷もいまだたくさんもっている。いずれは、向き合わなくてはならないと思っているのだが。

とはいえ、きっと彼に対して怒ることはやめないと思う。

でも、わたしのきもちを理解することを期待をするのはやめようと思う。

わたしが怒ることに対して、どう反応するかどうかは彼次第。

思い通りの反応をさせることを強要することはできない。

いずれ、彼はわたしに愛想つかすかもしれない。それも、しょうがないことだ。

また、元奥さんから職場に電話があったそうだ。

彼からお金をもらうことはあきらめたが、彼女の口座からもっとお金を引き出せるように銀行で手配して欲しいとのこと。

自分でやって欲しいと思うが、彼女を変えることはできない。

そういう彼女の態度に対して、「もう助けない」というこちらの意志表示をするだけである。それで自分で処理するかどうかは彼女次第である。

自己啓発メソッド

日本人の友達と電話でセッション(時間を分けあって、話を聞き合うこと)したとき、彼女は再評価をすればするほど、ほかの自己啓発のメソッドに対して懐疑的になったと言っていたが、わたしも同感である。

日本を出る前に、彼女と一緒に、コミュニケーション能力を向上させるためのワークショップに参加したが、初対面の人といろんな意見を出しあって面白かったけど、本質的にスキルを向上できる方法ではないなぁ、と。

例えば、コミュニケーションで大切なのは、自分を大切にし、なおかつ相手も受容することとあるのだが、頭でそう理解しても、実際にいろんな局面でそれに従うことができるかというと、かなり難しいと思う。

やっぱり、人間だから、傷ついたり、腹立つこともある。

コミュニケーションで大事なことを認識していても、感情をコントロールできない状況で、冷静に相手をみることなんて不可能ではないだろうか。

また、インターネットを徘徊していると、さまざまなサイトで、「ルールズ」という恋愛指南のような方法を目にすることも多いが、わたしの意見としては、確かに方向性としては間違ってはいないが、弱っているときにはとても従えそうもないルールだなぁと思っている。

相手を惹き付けるには、ただルールに従えばいいのではなく、本質的に自分を好きでないと、相手に負担を感じさせてしまうことにもなる。

「わかってはいるけど、こうしてしまった~」

という人としてコントロールできない部分を、ルールはカヴァーできない。

わたしなど、弱っていたら、相手にとって好ましくないと認識していても、電話したい衝動を抑えられない。感情をぶつけたい衝動を抑えられない。

たとえ、そこで我慢したとしても、あとあとになって、もっと大きな感情の塊として噴出するのがオチである。

メソッドというのは、目標に到達することにこだわりすぎて、あくまでも表面的に取り繕うだけのような気になってしまうのである。

本質的に変わってないのに、変わっているよう見せかけるというかな。

電話したいというきもちは相変わらずあるのに、そこで我慢して、「電話したい」自分を見せないようにするというか。

それに対して、再評価は、本当の意味で自分を省みる機会を与えてくれる。

よくも悪くも。

客観的にどれがいいか、という基準がない。方向性もまったくない。

ただ、自分という人間をみつめるだけである。

どんな結果になろうとも、自分は自分、といったところだろうか。

昔は、いい年して、ろくに男性とつきあった経験がないことで、女性として欠陥あるような気がして激しい自己否定に走っていたけど、今は、それもわたしの人生なんだと思う。

自転車部の文集に「一生彼氏ができない」と書かれたことで傷ついたのもわたしだし、どうしてもセックスをしなければいけないような気がして、きちんとした関係を築いていない人と一晩共にしてやるせない思いになったのもわたし。

みんなに嫌われていたので、バイトの後、夜中にこっそり研究室に来て夜な夜な実験したのもわたしだ。

前は、自分が人とまともにつきあえないことを周りに原因を求めていたけど、今は、誰かのせいというのではなく、ただその困難も自分の一部だと認識している。

自分を成長させたい、自分を変えたいという自己啓発への欲求はすばらしいと思う。

でも、本質的に自分を変えるのではなく、自分を変えたように見せかけるだけでは、きっといつか無理がくることを懸念しているのである。

自分を大切にすること、相手を受容すること、ことばにするのは容易いが、実際にはとても難しい。

どうしても思い込みにとらわれて、自分を見失ってしまうことが多々ある。

まず、自分という人間を知って認めることが大事だと思っている。

そこで初めて、人とは違う自分の道がみえてくるような気がする。

誕生日会

ケーキ


息子さんのお誕生日会。

しかし、なぜか、娘も一緒に祝ってもらうことに。

それは、娘の誕生日が、クリスマス直前で、いまいち特別感がないというか、クリスマスという大イベントで誕生日の存在感がうすくなってしまうという不憫なタイミングであるため、娘にも祝ってやろうと。

彼のお父さんは、「夏のM(娘)の誕生日」と称してくれるなど、ユーモアもまじえてくれて、本当にありがたいことである。

そのために、先週、彼は日本の旗を買いに首都の街まで出かけたほどである。

この国は、旗が大事なシンボルととらえていて、誕生日に旗の存在は欠かせない。

だから、娘のために日本の旗を用意してくれたのである。

わたしは、前の日から、料理の仕込みをした。

メニューは、サラダと、ちらし寿司と、牛肉のワイン煮込み。

ワイン煮込みなど作ったことなどないが、ちょっと凝った西洋料理を作りたくなり、インターネットでレシピを入手して作ることにしたのだ。

前日に、ブーケガルニを作って(タコ糸がなかったので、ミシン糸で!)、ワインに入れ、牛肉をつけこみ、翌日の朝に牛肉と野菜をいためて、長時間煮込んだ。

彼が作ったスコーンとケーキでお茶をし、お寿司と煮込み料理で、赤ワインを飲みながらディナーをした。

「レストランで過ごすよりも、すばらしい40周年の記念日になったよ。」

といって、お母さんと出会ったときのことを詳しく話してくれるお父さん。

初めてのデートのとき、身長2メートルのお父さんを遠くからでも認識できたことを話すお母さん。

ついでに、わたしたちが出会ったときのことも話した。

関係をもってから2週間後の彼の誕生日のとき、外で一緒に食事する約束だったのに、元奥さんに妨害されて彼と連絡がとれず、会ったこともないのにお父さんに電話して、言伝を頼んだこと。わたしはまだ結婚している身でありながら、快く言伝を引き受けてくれた上、

「B(彼)はセパレートしたとはいえまだ同居しているし、あなたはまだ離婚していない。きっとこれからも大変だとは思う。でもわたしは助けてあげられるし、これから我が家に来る機会があったら歓迎するから。」

と言ってくれ、心強い思いをしたことを思い出す。

それなりに修羅場を踏んだけれど、お父さんの支えがあったからこそ、乗り越えられたとも思う。

数々の困難を乗り越えた今のこの瞬間が、本当にいとおしいし、大事なひとたちと過ごすこの時間が本当にかけがえのないものだと思う。

子供たちは、それぞれもらったプレゼントで遊ぶのに夢中。

息子さんは、ラジコンと水鉄砲。

娘は、ディズニープリンセスのティーセットに、お気に入りキャラクターのお財布。

早速、ずっととっておいた、わたしの両親からもらった千円札を大事にしまうのだった。

「僕の誕生日も、こんなふうに過ごしたい。」

ささやかではあるけれど、愉しいひとときだった。


ディナー

誕生日の準備

パン作り


日曜日の誕生日パーティは、彼の両親を招待するだけのささやかなものであるが、彼がケーキを作るといい、その話に、娘もすっかり乗り気になったのだった。

水曜日など、その練習として、粘土でお気に入りのキャラクター、ディディル(日本名)の成形に挑戦するほどだった。

金曜日に彼と息子さんと娘と3人で買出しに出かけ、早速タネ作り。

わたしは、ケーキというとスポンジケーキを思いうかべるが、彼が作るというケーキは、シナモンロールみたいな、パン生地で作るケーキである。

まず、生イーストと牛乳をまぜあわせ、バターとシナモンと砂糖をいれ、小麦粉を少しずつ入れながらまぜていく。最後は、こねるようにして生地が均一になるようにする。

そして、一晩寝かせる。

土曜日、朝から早速成形。

彼は、息子さんの好きなトーマスの形に、娘は、ディディルの形に。

黒糖をバターで混ぜたものを上に塗り、レーズンで飾りつけして、オーブンで焼く。

初めてにしては、なかなかの出来だった。

わたしが、パーティの食事のための買出しに出かけている間、彼らはパン作り。

娘は、一仕事を終えて、満足そうであった。

わたしも、4軒もスーパーをはしごしたのでクタクタであったが、こういうのは結構好きである。

クリスマスのときにも感じたことであるが、みんなで一緒に何かに取り組むということが好きだ。

 

わたしたちが、ケーキを作っている間、元奥さんから電話があった。

実は、昨日もまだ彼らが帰ってこないときに電話があったのだ。

嫌な予感がしたが、やはり無心をされたらしい。彼は、別の人に電話すれば、といったらしいが。

電話のカードがきれるらしく、折り返し電話して欲しいとのことであったが、

「00 66 ○○ ○○、、、」

思い切り、国際電話認識番号だし、、、。

思い切り、彼女の母国の国番号だし、、、。

結局、全部聞く前に電話は切れてしまったのだが。

そもそも彼の家から国際電話かけられないし。

ていうか、こっちからわざわざ高額の国際電話をかける義理もないし。

彼女は、お父さんから最後のお金を借りるときに、

「母国に帰るのだったら、その前に借金を返して欲しい。」

とお父さんに言われたのに対し、

「お金がないので、帰れない。夏休みは、別の場所で住み込みで働きます。」

と応えたそうだ。

きっと、そういいながら、高額の賠償金をアテにして一時帰国にふみこんだのかもしれない。

なんと、90万円という額であったから。

しかし、結果的には、その小切手が彼の実家に届いたときには時すでに遅しで、あまりの遣い込みに銀行側がすでに口座を閉鎖する決断をしており、いくら90万円振り込んでも、カード使用再開が許されるどころか、その口座から彼女は20万円しか遣うことを許されなかった。もっとも、口座を閉鎖するのは余程のこと。すでにカードの遣い込みで、銀行にも相当の借金をしていたのかもしれないが。

それにしても、20万円遣えるようになってから、まだ1週間しかたっていないというのに、もはやお金がまた必要になったというのだろうか。

物価が5分の1程度の国で!

本当は、その90万円から、70万円程度のお父さんからの借金返済の一部にあてるという合意を得ていたが、もはやそれも不可能であろう。

20万円を1週間で使い込む現状からして。

「彼女が何をしてもいいと思うよ。でも、それによって生じた結果に対して、いい加減彼女自身が責任を負わなければならないことを認識して欲しいよね。今までは、あなたやお父さんが尻拭いしてあげていたけど、今はもうあなたとは関係が断絶しているんだからさ。なんだかんだいって、あんたのところに泣きついてきて、本当、自立しなければならないことを学んで欲しいよ。」

というか、もうすぐ誕生日が近いのに、息子さんに電話してきたのは、朝早くかけてきたただ一度だけ。息子さんは寝ぼけていて話せる状態ではなかった。そのあと、一度もかけてきてはいない。

自分の面倒さえみれないのに、息子さんのことを慮るなんて、どだい無理なことなのかもしれないが。

壁を作るということ

彼に、かつて流行った「バカの壁」について説明してみた。

わたし「要するに、人の感性について述べているというか、、、好奇心や興味がないと、学ぶことはできないという話。例えば、この本の最初に、出産ビデオを学生にみせたというエピソードがのっているんだけど、女子はやっぱり我が身のこととして深い感銘を受けるのに、男子は自分には関係ないからといって、知識としては残るんだけど、それ以上きもちが動かされることがないわけよ。つまり、興味がないと、深く学ばなくとも知識だけで満足してしまう。そういう問題のことを言っているわけ。」

彼「でも、興味をもつことを強制することはできないよね?男性が出産に対してイメージしろというのが無理な話で。男性だって、サッカーとか興味のあることなら、とことんのめりこんだりするじゃない。興味はその対象によるものであって、すべてに興味をもてといっても不可能だし、すべてのことを学ぶ必要なんてないでしょう?」

わたし「違う。違う。確かに、すべてのことを知るっていっても無理だよ。いや、別にすべてのことに対して興味をもつべきだと言っているのではなくて、、、、う~ん、、、好奇心や興味について述べているのではなくて、、、本当は知ってもないし、理解もしていないということを認識することが大事というか、、、ほら、日本はさ、試験のやりかたも安易で、理解してないのに、高い得点をとってしまうこともありうる。でも、いい点がとれただけで満足してしまうというか、、、本当は理解していないことを認識できていないというか、、、。」

彼「それに対して、こっちの国では、必ず30分程度の口頭試験があるからね。自分のことばで説明しなければならないわけだから、本当に理解する必要があるんだよね。」

わたし「そう。日本の教育の場合は、そういう機会がないから、知らなくても知った気になっちゃうんだよ。だけどさ、知った気になると、そこで思考がとまってしまう。それを、「壁」だって言っているの。それ以上、知ろうとしなくなるわけだから。例えばさ、ある宗教を信じてたりするじゃない?すると、別の思想を受け入れられなくなるの。それ以上何も変わらないわけよ。つまり、宗教だけではなく、何かを強く信じすぎることは危ないってことかな。科学も含めてね。今は真実とされていても、もしかしたらそれが正しくないと認識されるようになるかもしれない。信じすぎていると、間違っていたとしても、それを認めることができなくなるから、よくないってこと。物事はそういうあいまいさをもっていることを認識するべきといったところかな。」

わたし「そうそう。まさに、M(彼の元奥さん)のことだよ。彼女は、自分に誇りをもちすぎて、自分が正しいと信じているから、決して他人の意見を聞かない。壁を作っているの。だから、何も進歩しないんだよ。」

彼「確かに。彼女にとって、他人の意見は「間違っている」だからね。」

わたし「そうそう。知らないことは恥ずかしいことじゃないし、意見が違うことは普通のことじゃない?要するにそれを受け入れる柔軟性をもつことが大事だってこと。間違いや非を認めることは、エネルギーもいるけれど、成長もできるからね。」

彼「でも、M(元奥さん)を受け入れることはできないなぁ。」

わたし「話を聞いてくれない人とは、しょせんコミュニケーションできないからね。」

**************

「バカの壁」を、久しぶりに読んだ。

去年の春、1ヶ月半の日本研修のときに、話題になっていたから買ったのだった。

研究のことをからめながら、この本の話題で、指導教官や先輩と多いに盛り上がったのだった。

「知らないことを認めないと、研究も先に進めない。」と。

だけど、離婚を経て、改めてこの本を読んで、また違う感慨がある。

最初読んだときは、自分は壁を作っていないと思い込んでいたけれど、それは誤解であると、今こそ言える。

離婚のときに、元夫とやりあったとき、自分もまたものすごい頑固であったなぁ、と。結婚生活の破綻は、彼とのことはぬきにしても、わたしも一端をになっていたのだ。

離婚で学んだこと。

それは、

結婚が自分にとって都合のいい環境を与えはくれないこと、別の人間と暮らすことによって生じる困難を自分から乗り越える努力をしなければならないこと

かな。

結局、相手に文句言うばかりで、わたしも相手のことを慮ってはいなかったし。

きっと、わたしが、結婚に対して期待しすぎちゃっていたからだと思う。

でも、今は、「こんなはずじゃなかった」というのがない。

彼の人柄は問題を感じないが、正直、元夫よりもハードだと感じることが多々あるにもかかわらず。

外国人であること

元奥さんのこと

息子さんのこと

などなど。

実際に、彼と長くやっていくにあたり、語学の問題や、就職、娘の教育についても悩んでばかりである。

にもかかわらず、今は、期待はずれだと思うことがない。

違った人格を持つ人とつきあうことによって困難が伴うことは当然、と認識しているから。

困難を受け入れる柔軟性がないと、誰ともやっていけないことがわかっているから。

はっきりいって、問題の数でいったら、今の方が断然多い。

毎日ディスカッションで午前様である。よくこんなに話し合うネタがあるんだろうって感じである。

(今週の例:誕生日パーティをどうするか、息子さんのオネショの問題、彼のダイエット計画、元奥さんの借金問題、彼の就職問題)

でも、それが楽しかったりもする。

彼と一緒に取り組めるからかもしれない。

彼が壁を作っていないせいもあるかもしれない。

とらわれていること

日本人の友達と、電話でセッション(時間を分け合って話を聞き合うこと)して、イライラしているのは、彼や彼の元奥さんのせいではなく、案外自分の問題からきているのかもしれない、と気がついた。

自分の、女としてのアイデンティティの問題。

でも、それを認めるのは恥ずかしかったし、認識したところで問題に向き合うことも怖かった。

だから、ひたすら問題の本質から目をそむけて、彼や彼の元奥さんに怒りをぶつけていたのだと思う。

本当は、彼女が不誠実だからとか、彼が弱い人間だから、ということではなく。

実は、彼女の見た目からして憎悪していた。

いや、彼女だけでなく、彼のかつてのガールフレンドの写真を見ただけで嫌悪感を感じていた。

嫉妬なんだけど、、、、微妙に違うような。

もしガールフレンドが、アジア人でなかったら、ここまで嫌悪することもなかったと思う。

日本人に近い容貌をもつ彼女らの「美」の概念は、ほとんど同じだと思う。

彼女らの美しさに、わたしの、過去に女として受けてきた傷が刺激されるのだ。

ああ、彼も、そういう美しさには惹かれるのね、と。

わたしには到底到達できそうもない美しさ。

不器量で、最初会ったことも忘れるぐらい興味をもてなかったのに、子持ちで、それなりに真面目だから、便利な女として近づいたんでしょう?

彼女らには、雰囲気だけで惹かれたのに。

卑屈な思いにさせられる。

美しくもないし、美しくなろうと努力もしなかったことわたしを否定された過去をもっているから。

だからといって、女として評価して欲しいと思ってきたわけではない。性欲をみせつけられるのも、ただ欲求を満たすために利用されているようで憎悪する。

そこが微妙で、難しいところで。

矛盾だらけだから。

女としてではなく、人間として尊重して欲しいと思いながら、女としてのアイデンティティをもつ自分もいる。

彼が好きだ。

最初は彼の人間性に惹かれて好きになったけれど、今は男としての彼が好き。

そういう恋愛感情が強くなればなるほど、女としてのアイデンティティが強くなって、苦しくなる。

女になりたくないのに、彼の前で女でありたい、と思う矛盾。

あえて、自分の女の部分を排除してきたのに、恋愛感情を抱くことによって、女を捨てたことによって生じた結果に苦しめられる。

彼のきもちを疑っているわけではない、信じることができるのに、いつもとらわれている。

もっと美しくならないとダメなんじゃないか、って。

今の自分のままでは、恋愛する権利もないんじゃないかって、思っている。

友達のおかげで、本当に苦しい原因がわかったけど、深い問題だなぁ、と思った。

とらわれているものから自由になること。

それが、どんなに難しいことか、知っているから。

記念日

もうすぐ、彼の息子さんの誕生日なので、今度の日曜日にささやかな食事会をすることにした。


すると、

彼のお父さん「7月24日はね、もうひとつの記念日でもあるんだよ。」

わたし「へー、いったいなんですか?」

お父さん「実はね、40年前のこの日、はじめてわたしがL(彼のお母さん)に会ったんだよ。」

わたし「す、す、す、すごい記憶力ですね。B(彼)ったら、去年の6月に、近くの公園でM(娘)が自転車の練習をしていたときに、Bが自転車で前を通りかかって、MがBに声をかけてわたしたちと話したのに、そのことをすっかり忘れていたぐらいなんですよ。ねぇ、B?」

彼「そりゃぁ、あのときは離婚問題でそれどころじゃなかったし、、、。」

お父さん「それで、6月の何日なんだい?」

わたし「、、、、、、わかりません。6月であることは間違いないと思うのですが。」

彼「君は日記をつけているだろう?それでわかるんじゃないの?」

わたし「日記はつけているけど、アンタに興味はなかったから、アンタのことは書いてない、、。」

お父さん「それじゃぁ、別の日を決めなさい。」

わたし「アンタ、保育園の10周年パーティで親しく話すようになってから、わたしに興味をもって近づこうとしてきたよね。わたしは興味なかったけど。だから、9月1日でいいね!」


お父さんに強制されて、記念日を決めた。

といっても、きっと何もしない。

それにしても、お父さん、、、かわいいところあるなぁ。

わたし、記念日なんて、女だけ意識するものだと思っていた。

自分を大切にするような関係

イライラしている。

元奥さんから、息子さんに1ヶ月近くも連絡がないと思っていたら、朝早く電話があり、息子さんはたたき起こされてろくに会話もできない状態だったので、夜電話するという約束であったが、なかった。

クレジットカードが止まったときには、頻繁に助けを求めに電話してきたのに。

彼のお父さんは、彼女に頼まれて、代わりに銀行に行って話を聞いたそうだが、当然のこと、銀行は困惑したという。

銀行は、彼女と直接交渉したいわけで、彼のお父さんは委託されたとはいえ、銀行側としても詳しい事情を第三者に説明することはできないからだ。彼のお父さんは、二度とクレジットカードは使えないという事実については聞くことができたが、どうしてそのような処置に至ったかについて詳しく理由を聞くことはできなかった。

おそらくは、過去にも、彼女のミーティングをすっぽかすなどの不誠実な対応があったために、彼女に対する信用を失い、今回クレジットカード使用永久停止にふみきったのではないか、とお父さんはみているが。

しかし、彼女は反省するどころか、こういう銀行側の処置に腹を立てているらしい。充分なお金を口座に入れたのだから、使えるようにしてもらうのが当然とでも思ったのかもしれない。

クレジットカードは、個人の信用に基づくものだということを認識していないようである。

「彼女は、人に助けてもらっているなんて思ってないんだよ。助けてもらって当然だと思っている。だから、お金を出してもらっても、感謝するどころか、干渉されれば怒る。たとえば、金を出すのだったら、その目的を聞きたいのが当たり前。でも、彼女は何に遣いたいのかは話さない。だから、彼女を助けようというモチベーションも下がるんだよね。」

彼女は、人を利用するだけなのだろうか。

自分から、人に何かを与えたいというきもちはないのだろうか。

自分の子供が、さびしいと感じているということさえも、慮ることもできないのだろうか。

でも。

イライラしているのは、彼女に対してではなく、むしろ彼の方。

利用されても、相手にされれば舞い上がり、向き合ってなくても、関係を築いていると勘違いする、卑屈な態度。

2度目のガールフレンド(と定義してもいけないような)とは、毎夜大勢の彼女の友達と一緒に夕食を共にしていたという。もちろん彼のおごりで。

破局に至ったのは、パスポートをなんとか入手すべく、この国の大使館に相談しに行こうと彼が提案しても、彼女が強く固辞したことに、彼女は本気でこの国に来たいとは思っていないと彼が認識したからだそうだ。

「彼女は、あなたのことを好きだったかもしれないけど、きっとあなたが望むような真面目な関係ではなく、その場その場だけ楽しめるような割り切った関係を望んでいたんじゃない?あなたと一緒にどこかに出かけたり、皆とわいわい騒ぐのは楽しかったかもしれない。でも、語学学校に行ってとか、弁護士に相談するとか、そこまでするのは彼女にとって重いだけだったのかもよ。むしろ、そこまでわたしの人生に干渉するなといったところじゃない。本来、真面目につきあうとなったら、お互い努力があって当たり前。でも、彼女にしても、元奥さんにしても、そこまではしたくないというきもちだったと思うよ。そのへん、ちゃんとわきまえなきゃダメだよ。どこかへ行ったり、セックスさえできれば、まともな関係築けるなんて大間違いだからね。」

「でも、僕は、この国で誰にも好かれたことがなかったし、、、ちゃんとした関係というものが、どういうものなのか見極めることができなかった。」

こういう卑屈な態度にイライラする。

まぁ、彼女に利用されていると感じたとしても、物価は5分の1だし、たいした額じゃないから問題ではないとでも思ったのだろう。

でも、財布が傷まないからいいのではなく、相手の自分に対する姿勢をきちんと見極めようとしなかったり、相手が離れてしまうかもしれないという不安で怒ることができなかったり - そういう、彼の弱さ、彼が本当に自分を大切していないことにイライラする。

不誠実な態度をされたら、怒るべきだと思う。

じゃなかったら、相手に屈服するような不健全な関係性を助長するだけ。

現に、正式に別居に至ってから、毎回彼は援助を断っているにもかかわらず、何か起きれば必ず彼に連絡してくる。4年間の結婚生活で彼はどんな理不尽な要求でも受け入れ続けていたので、いまだにそういう彼のやさしさをアテにしているからだろう。

なんとなく、わたしと、彼のお父さんは、最終的に彼女は経済的な問題を自分でまわせなくなって、この国に住み続けることができなくなるのではないか、と予想している。

いずれにしても、弱い彼が、彼女の問題に巻き込まれるのではないかとヒヤヒヤしている。

日本の文化をみせること

ずーっと彼に観せてあげたいと思っていた、「もののけ姫」のDVDを、近所のビデオ屋さんでみつけたので、早速買って、子供が寝てから二人で観た。

以前、やっぱり偶然見つけた「千と千尋の神隠し」のビデオも買って観たことがあるのだが、二度みても、二人の感想は「?」であった。

それに対して、「もののけ姫」はわかりやすい、と。

「千と千尋」は観たことがなかったのだが、「もののけ姫」は劇場で観た。

しかし、そのときは、ピンとこなかった。

それから、結婚して出産して引越しをしてからしばらくして、住む街から車で1時間ほどのY村というところに、元夫の指導教官と一緒にたたら製鉄の見学に行き、そこが「もののけ姫」のロケ地のひとつであると聞き、再度また観てみたいと思っていたのだ。

わたしたちが住んでいた県は、八百万の神が集まる場所で有名なところなのだが、スサノオの八俣のオロチ退治伝説は、製鉄の原料となる砂鉄によって川が赤く濁り、まるで血が混ざっているような色を呈したことにより、創作された話などのではないか、と言われているそうだ。

ともかく、人間が自然に働きかけ、何かものを生産する現場をみて、「もののけ姫」を観たいと思うようになったのである。

結果、7年前に劇場で観たときよりも、はるかに大きな感銘を受けた。

彼も、「すごく面白い。」と。

「この話は、ハリーポッターのように、明らかに誰かが悪者で、というのではなく、自然にとっては不都合なことであっても、人間自体はいたって普通の人としてあつかわれている。」

「そうだよ。エボシが自然を破壊することもいとわない、強烈なキャラクターとして描かれているけれど、大なり小なり人間ってそういうものでしょう?食べ物やエネルギーの恩恵を自然から受けるだけではなく、日常的なものを生産するのに、自然を破壊することが必然となっている。じゃなかったらどこに工場を建てるの?人間は自然を消費しながら生きているんだよ。だから、わたしは、そういう意識もなく、過剰に消費するのが嫌い。あんたが太っているのだって、無駄に消費している証拠だよ。自分は自然に関心があると言っておきながらね。あと、食べ物を捨てるのも嫌い。」

実は、話の途中まで、彼はタタラ場のリーダー、エボシを悪者としてとらえていたようだ。でも、映画の中で、タタラ場の女たちが、

「ここは、下界よりもとってもいいところだよ。男は威張らないし、ご飯はおなか一杯食べれるしね。」と言ったときに、わたしが、

「ほら。エボシが人間にとって都合のいい社会をしっかり管理することによって皆が満足できる。自然に慮ってなんていったら、いつも空腹だよ。あんただって、いつも満腹になるまで食べるでしょう?」

となじったのだ。

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今、彼はダイエットしている。

バカンスで、ついに98kgまで増えてしまったので、さすがに激怒したのだ。

身長183cmだから、適正体重は最大でも85kgであるからだ。

しかし、その啓発のためにこの映画を観せたいと思ったわけではない。

日本のことを知って欲しいから。

本当はじかに日本を見てもらうのがベストではあるが、それができない今、なまじガイドブックを読むよりも映画を観てもらうのがいいかなぁと。

「もののけ姫」こそ、日本独特の自然観が表現されていると思うから。

自然に対して働きかけながら、なおかつ、自然に対して脅威ももっている。人間がコントロールしきれないと思っている。運命は自分で決められるものではないと感じている。

そういう日本人の人生観。

この国は、日本よりも自然環境が豊かに感じるけれど、あくまでも造りだしたような自然というか、人間にとって都合のいい環境を用意しているような気がする。

日本の方が、厳しさを感じるというか、必ずしも人間にとって都合のいいばかりではないというか。

でも、そういう自然が懐かしかったりする。

川のあまりに早い流れに、ビーチサンダルをとられてしまったのも、せつない思い出として残っている。

わたしは、今、彼の国に住んでいるので、彼の文化に馴染む努力をしているが、彼にだって日本を理解する努力をして欲しいと思う。

漢字を覚えろとまではいわないが、違う文化をお互いに尊重しあわなければフェアじゃないと思う。

ここに住み始めたころは、何もかも新鮮で、社会福祉も行き届いて、日本に比べてなんて住みやすい国なんだろうと思っていたが、なかなか帰ることのできなくなった今は、日本のよさも再認識するようになった。

確かに、いろんな問題も抱えているけれど、もっと繊細な文化をもっているなぁ、と。

教育では、考えるというよりも覚えこむことが多いけれど、多種の漢字を駆使する言語も深みがあってすばらしいと思うし。

そして、日本のことを話すたびに、彼が元奥さんの母国を引き合いに出すのもムカつく。

もう二度と行きたくないと言いつつ。

確かに、同じアジアで共通することもあるかもしれないし、10回以上行っているから知識が豊富でつい口に出てしまうのかもしれないが。

日本には、日本独特の文化があるんだってことをきちんと認識して欲しい。

確かに、とてもじゃないけど、10回も行けるようなところではないが。

せめて、あの、山深い中にある、たたら製鉄の現場に連れていきたい。