いまのしゅんかん -425ページ目

自分を大切にすること


保育園の更衣室。
各自作った飾りつけ。
手前が、わたしが作ったリース。

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英語の試験課題
専門授業の試験用のプレゼンの準備
新しい実験の準備

とりあえず、なんとか進捗させている。
やっぱり、オーラルの試験が不安ではあるけれど。

この3ヶ月間、なんだかふりまわされていた感があるけれど、思い出してきた。
わたしは、深く学びたくて、日本を飛び出してまで学業を再開したんだってこと。
実際に、なかなか到達できない苦しさはあっても、何か新しいことを知ったとき、新しいことを思いついたとき、とてつもない喜びが得られる。

たとえ、誰かが何かをしても、こうして喜びを見出している自分がいる。
それで充分なはずなんだよね。

たとえ、彼が、別に好きなひとができたとしても、それはわたしが踏み込める領域ではない。
逆にわたしがこうして苦しさを感じたり、幸せを感じたりしているのは、誰のものでもない、自分のもの。
人と共感しあうことができても、感じることは自分自身であって、誰もコントロールすることはできない。
だから、人のことでとやかく敏感になっても、どうしようもないことであって。

コンプレックスって、本当に無駄なこと。
自分のもっているもので勝負するしかないのに、もってないことに自分を責めて消耗する。

なかなかコンプレックスから自由になれないけど、
それでも、自分の本当のきもちを見失わないように、
もっと自分を大事にしようと思った。

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このリースも、誰に頼まれたわけでもない。
わたしが作りたくて作ったものです。

コンプレックス(3)

きっと、コンプレックスが深く関わっている。
わたしは美しくないし、利発でもない。
運動でも勉強でも、何でも獲得するのにものすごく時間がかかるタイプの人間である。
理解するのも時間がかかるので、小学生のときから努力だけでここまできた。
そういう粘り強く物事に取り組めることは、わたしの長所でもあり誇りでもある。
だけど、一方で、努力しなくとも素質の備わっている人に対して、ずっと羨望のきもちをもちつづけてきた。
雰囲気で人を惹き付けるような女性、、、、も、うらやましかった。

彼はわたしとつきあうまでは、外見だけで恋に落ち、人間性が疑われるようなことをしても相手の愛情が喪失したと認識するまではできる限り受け入れていた。
対してわたしはどうか?
素直で真面目じゃなかったら、夫も彼もわたしを好きにならなかったと思う。
だけど、わたしだって怠けたくなることだってある。
わたしだって、むちゃくちゃなことがある。

実は、奥さんの話とは別に、スーパーで彼が安っぽい油絵の道具を買おうとしたとき、めちゃくちゃ傷ついていたんだから。
文句を言いたかったけれど、彼の状況を知っているだけに、「わたしはプレゼントなんていらないから。」というのがせいぜいで。
それなのに、「貧乏だからたいしたもの贈れないのだけど、、。」と言っていたその翌日に、6,000円の携帯をクリスマスプレゼントとして奥さんに贈ったなんて。
そりゃあ、ないよ。
相手の状況を慮っている自分が、ばかみたいじゃん。
ねだれない自分が悔しい。
本当は、欲しいものだって、ちゃんとあるのに。

結局、2日後に仲直りした。
本当は別れるつもりなんてない。いや、ボーイフレンドなんていなくてもいいのだけど、彼と一緒にいるとやっぱり幸せだから。
だけど、彼はバレエのコンサートチケットを入手しようとインターネットで検索していた。
1人10,000円程度するチケットである。
わたしが興味をもっていることを知って、喜ばせてあげようとがんばっているらしかった。
こんなときに買わなくても、、、と思うのだが。

彼も、コンプレックスを抱えている。
彼は、わたしを失うまいと必死だ。

コンプレックス。
やっかいな人間の性である。

コンプレックス(2)

なぜ、こんなに怒ったのか。
前のブログでも書いたけれど、彼は「貧乏だから」といって、わたしへのクリスマスプレゼントとして2,000円の低品質の油絵の道具で手をうとうとしたのである。
わたしは、クリスマスプレゼントは欲しくはない。
ただ、わたしの欲しいものではない安っぽいもので、「プレゼントをあげた」という満足感を得ようとしたいやしさが悲しかったのだ。
なんで、わたしには2,000円以上のものは躊躇したのに、セパレートした名実とともに別れた奥さんに対していとも簡単に6,000円のものをプレゼントしたのか。
思わず、「彼女のことまだ好きなの?」と泣きながら聞いてしまったほどだ。

わたしは、「美しくはないけれど、勤勉で自立している女性」とみなされている。
そう期待されればされるほど、「仕事を得られなかったらどうしよう」という不安を口にすることはできず、せめて今の経済状況をしっかり管理して万が一のための蓄えとすることと、将来のためにスキルを身につけるべく、できる限りの努力をするしかない。
英語など、プレゼンだの課題だのとものすごい時間をとっている状況で、にもかかわらずなかなか上達できず、ときどき不安で眠れないこともあるぐらいだ。

こんなに苦しい思いをしていても、彼に助けを求めることができない。
それなのに、奥さんは、セパレートして自立をせまられている立場にありながら、いとも簡単に援助を受けている。「美しい」ことだけで充分彼をひきつけて、4年間も彼の庇護を当たり前のように享受してきた。
それが悔しくてしょうがなくて。

わたしだって、甘えたくなることはある。
自立したいといいながらも、苦しくて不安でどうしようもなくなるときがある。
わたしだって、美しくないことにコンプレックスをもっていないわけではない。

彼がプレゼントしたという金のネックレスをつけた2番目のガールフレンドの写真を見たとき、わたしにはきっとこういう類のものをプレゼントしてくれないのだろうな、と密かに嫉妬心を燃やした。
わたしは、指輪だのネックレスだのが欲しいわけではない。
だけど、プレゼントしなくてもいい「安っぽい女」とみなされることが、矛盾するけれど女として悲しい。
夫など、「おごらせる女などつきあいたくない。」といって、それを暗にわたしを選んだ理由として示唆もしていた。

「わたしはね。あなたが貧乏だからといつも言うから、それを慮ってもきたし、ここで仕事を得られなければ日本に帰らなければならないくらいの覚悟でいたんだよ。それなのに、あなたはいつも買わなくてもいいようなものまでいつも奥さんに買ってたよね?クリスマスプレゼントって何?奥さんはあなたと愛してもないし、あなただって好きじゃないんだよね?愛情がなくてもあげるものなの?」

彼は、ずっとしゅーんとしていた。
それでも、わたしの怒りはとまらなかった。

「今後、金銭的な援助をした場合と、彼女がおばあさんのところでもらった家具をこの(彼の)アパートに置くことを許可した場合、わたしあなたと別れるから。これはわたしの問題ではないことはわかっている。でも、わたしの感情が許さない。だから、これ以上の援助をしたら別れる。」

それに対して彼は、
「ぼくが彼女に携帯をプレゼントをしたことは、素直に過失と認めるよ。ぼくが悪かった。だから、今後は一切の援助をしないって約束するよ。」
「それに、君にもこれ以上のプレゼントを必ずあげる。」

「プレゼントなんていらない。あなたが、彼女を援助する関係を絶つこと。それがすべて。」
彼はわたしにキスしようとしたけれど、それから逃げて振り向きもせずに彼の家をあとにした。

彼は、2日間、わたしを失ったらどうしようという不安で、あまり眠れなかったそうだ。
わたしは、悔しさで何度も何度も泣いた。

コンプレックス(1)

彼とケンカした。
とはいえ、ほとんどわたしが一方的に怒ったというのが正しいが。

先日、彼は、お父さんと一緒に担当弁護士に会いに行った。
以前、ある事件に巻き込まれた関係で、奥さんはある弁護士に会う機会があったのだが、そのときついでに離婚について話したそうだ。つまり、すでにアクセプトされている同意書を変更できる可能性があるかどうかを聞いたのだ。すると、「裁判にかければ、変えられる可能性は充分あります。」
この国では、いくら男女の性差が他の国に比べて小さいとはいえ、養育権はほとんど妻側がもつのが常識。そうでなくても、夫婦間でシェアするのが一般的である。それなのに、彼と奥さんの場合は、彼が100%の養育権をもつという、まさに異例のケース。おそらく、そういう常識をかんがみて、そして、奥さんの本当の状況を知るよしもないその弁護士は、「変えられる」とふんだのだろう。
しかし、そう想像できても、彼はもしかすると養育権を失うかもしれないと不安になってしまい、しばらく眠れなくなったそうである。
奥さんは、出産後、「養育できない」といって、働いてもないのに、夫に養育をすべて託してしまったような人である。養育権など欲しいわけもない。100%養育権に固執している彼に対して、これ以上の資金援助を要求するための切り札として、「養育権」を利用しようとしたのである。

結局、担当弁護士いわく、
「すでにサインもした同意書を変えることなど、よほどの落ち度がない限りはほとんど不可能。」。
ついでに言えば、奥さんはわたしたちが彼の家に行くこともずっと文句言っていたそうだが、
「セパレートは、ほとんど離婚と同義だから、妻から一切の要求をすることは認められない。お互いに何をしようと干渉することはできない。」のだとか。

この話を聞いて、わたしもようやく「セパレート」の意味がわかった。
わたしは、セパレートとはいえ、「婚姻関係」は継続しているものと思っていた。離婚するかどうかの判断期間だと思っていた。
だけど、実際には、「セパレート」は、他の人と結婚できないということ以外は、離婚と変わらないのだそうである。
だから、逆にセパレート期間中は、3ヶ月以上の同居は、婚姻関係復活とみなされて、セパレートが認められなくなるそうである。すなわち、また1からのスタートになってしまうのだ。
それで彼は急遽、ご両親宅にしばらく移り住むことを決めたのだが。

同時に、わたしは納得いかないきもちが大きくなった。
セパレート後は、経済も分かれなければならないのに、家賃、光熱費などすべての住居費を彼がもっている上に、彼女のしばしばの無心にも応える始末。
いったいセパレートしているというのはどういうことなのか。

それで今週の水曜日。
「彼女に、クリスマスプレゼントで6,000円の携帯をプレゼントした。」
という彼のセリフに、
「なんでセパレートした妻にクリスマスプレゼントとしてあげたの?」
とてつもない怒りがこみ上げて、大ケンカに至ったのである。

リース

保育園で飾るためのリースを作製。
画用紙で葉の部分を作り、ビーズでちょっとした飾りを。
時間がないというのに、ちまちま葉を模り切って貼っていったしろもの。
でも、こういうことをするのが好きなのです。

クリスマスカレンダー(2)

 
小さなプレゼントは、彼のお父さんにいただきました。
24個分も。

何が入っているかはともかく、プレゼントってだけでわくわくする。
毎朝開けるのが楽しみ。

クリスマスカレンダー

 
今日から12月。
この国では、「クリスマスカレンダー」という習慣があり、12月1日から24日間、毎朝小さなプレゼントをもらえる。

これは、娘が保育園で作ったもの。
24個の扉があり、毎朝その日の扉だけ開けるというもの。

こうして、冬至に近く、暗くて日の短い12月を、わくわくしたきもちで過ごせるように、知恵をふりしぼった結果のひとつが、この習慣がはじまったゆえんといえよう。

地震と国民性

先週の金曜日、英語クラスでプレゼンをした。
取り上げるテーマは任意で、前回も日本のことをネタに話したのだが、どうも内容が散漫で話しにくかったので、先月新潟で大地震が起きたこともあり、地震について発表することに決めていたのだった。
地震のメカニズムや被害の大きさの原因について話すのがメインだったけれど、本当に話したかったのは、「自然災害がもたらす国民性への影響」だった。

どうして、日本人は、個人よりも組織を重んじるのか。

日本にいたときにも多少感じていたことではあるが、こちらの国にきて、一層日本の特異性というものを感じるようになった。
なんといっても、こっちは干渉されることがない。
みんな違う価値観で当たり前。同じデパートメントにいるゲイの人ですら、それを意識しないほどみんなが普通に受けとめていることに日本との違いを感じた。
日本では、そのひとの考え方をまず理解するよりも、ありきたりな一般論でアドバイスしようとするひとが多い。
ちなみに、彼は、わたしとつきあいはじめて3日後には親戚知人すべてに告白したそうだ。
保育園でも、わたしたちの関係をかなりオープンにしてるし、彼のご両親などはわたしがまだ結婚しているというのに、義理の娘のようにかわいがってもらっている。
けれど、わたしは、よほど仲のいいひとにしか打ち明けていない。

それがいいとか悪いとかではなく、
そういう国民性には、かならずなんらかの必然性があったのではないか、
それが自然災害が多い国という事実が関与しているのではないか、
と考えたのである。

とにかく日本は予測しえない壊滅的な出来事が過去頻繁に起きていて、その度にみんなで協力しあって再建を果たしている。
個人のことよりも、国の再建が優先すべきこと。
大戦後(自然災害ではないが)などその顕著な例で、何よりも経済発展をさせて国力を安定させることに注力してきた。
個々の価値観など不要だったのである。

ここの国は、みんな互いに干渉しないかわりに、自己責任を強く問われる国でもある。
どうやって生きていくのか。
そんなモデルはどこにもない。
自分自身で選択しなければならないのである。
自分自身で考えて決める。
一般論なんて存在しないから、自分の考えに従うしかないのである。

わたしは、この国が肌にあうと思う一方で、将来に対する不安につきまとわれて、何度ラクに生きたいと思ったかしれない。
本当に離婚してもいいのか。。。
まったく迷いがないわけではない。
日本人的な、まとわりつくような不安。
本当に壊滅的な出来事が起きる可能性がある国に生まれ育っただけあって、なんとかして保障を得たいと思う自分がいる。

将来への不安を口にするたびに、
「そんなこと今考えてもしょうがないでしょう。実際のところ何が起きるのかわからないし。何か起きたらそのとき考えればいいし。大事なのは今のこの瞬間を生きることでしょう。」
と彼は言う。
ごもっとも。
よっぽど、彼の方が深刻な状況下にある。
案外あっけらかんとして、ひとつひとつ問題に対処している彼をみて、
こういうところにやはり日本人である自分を感じる。

ちなみに、ここの国は、地震もなければ台風もない、いたって平和な国である。
ヨーロッパの中でも、個人が尊重される革新的なシステムがとられているけれど、それこそ安全な国だから可能なこと、と思ったりする。

潜在幸福エネルギー

 
12月に試験があるのがににに憎い。
本当は、今クリスマスの準備をもっと楽しみたいのだが、、、今年は、あまり時間のかからないものをちょこちょこ作っているぐらい。

でも、この折り紙のツリー。
わたしが作っていたら、彼がこの国でポピュラーな星(日本でいったら鶴みたいな?)をミニサイズで作ることを思い立ち、最後は針まで駆使して完成させてくれました。
このひと。
わたしが何かやるとすぐ一緒にやろうとする。春巻きもお寿司もそうだし、ビーズ製作も。
本当に好奇心旺盛なんだなぁ、と思う。

彼は、「貢ぐ人」だった。
奥さんにもそうだし、前の彼女も。
でもその結果、彼女らの欲求はとどまることを知らなかった。
おいしいものを食べにいき、きれいなものを身につけ。
そんなのを延々と繰り返した。

今、英語の試験課題で「肥満の問題」についてエッセイを書いていて思ったのだが、今は食欲もすぐに満たすことができるから、かえって食べることの感動は乏しくなったような気がする。
昔は、空腹を我慢することがふつうだったから、毎回ごはんを食べる時間が楽しみだった。
今は、食べることはもう当たり前で、感動を求めるにはもっと特別なことをしなければいけない感じ。

やっぱり、得がたいから、得られる感動もひとしおなわけで。
欲求が暴走すると、かえって幸せってみえなくなってくるんじゃないかな。

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先週、彼の亡くなったおばあさんの家に行き、遺物を少しいただいてきたのだが、わたしが得たものは本当に本当にささいなもの。
まぁ、今のアパートにはもはやスペースもないので、大きなものはあえて断ったのだけれど。
でも、本当に欲しかったものをいただくことができました。
小さなオーブン、キッシュ皿、ケーキ型、古い地図、レース編み
早速、オーブンでマカロニグラタンとピザトーストを作ったのだけど、上出来。グラタンが特に好評。12月の娘の誕生日にもこれでケーキを焼く予定。

奥さんは、ベッド、食器棚、クローゼット2点、チェスト、計5つの大きな家具をもらったそうだ。
でも、今度移るアパートにはそんな置くスペースがなく、大きなアパートに移るまでは、彼のアパートの一室に、「置かせてもらう。」と。
運ぶ手間もスペースも省みることなく。

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油絵の道具。
スーパーで、2,000円ほどで売っていた。
彼は、安いからといってそれをわたしへのクリスマスプレゼントにしようとしたけれど、わたしは断固拒否した。
わたしは、安い道具で油絵を描きたくない。
耐久性が格段に違うからだ。長い時間かけて苦労して描いても、色落ちしておじゃんになるリスクがある。
ケチなわたしだけれど、1本700円の絵の具チューブを買うのである。

わたしは、本当に欲しいと思うものを欲する。
ただ安いから、もらえるからという理由で何かを得たいと思わない。
ただであっても、ものはもの。
ただであっても時間は時間。
潜在しているエネルギーをできる限りかみしめたい。

だから、二人して折り紙でツリーを作ったとき
ビーズで帽子をつくってくれたとき
グラタンをおいしそうに何度もおかわりしたとき
感じたふわっとした幸せ
そんな時間をつくっていきたい。

背負っているもの


11月に雪が降るのは、北国のこの国でも珍しいそう。
今年は本当に寒い!

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英語のプレゼンの準備
英語の試験課題
専門授業の試験の準備
新しい実験の準備

彼の奥さんが夜の仕事を辞めてから、思うように会えなくなってしまったけれど、むしろそれでよかったのかも、と思ってしまう自分が悲しい。
いや、マジで追いつかない。
毎日毎日、プレゼンの準備だの、課題をこなすだのって夜遅くまで勉強しどおし。
先週は、ようやく1年ごしのレポートが受理され、試験をパスする見通しがたったものの、英語の課題があって友達に添削してもらい、それがまたディスカッションしてまでの大幅な修正要で、半日以上かけて直したものを今週頭に提出したばかり。

2つ片付けても、まだまだやるべきことはあるんだよね。。。前々期単位がとれず、前期単位がとれなかったツケのせいだけれど。マジで3つのかけもちはツライ。修士の学生は平気でそれをこなしているのに。わたしの英語力のなさにすべての原因が。
まぁ、それでも作業はけっこう楽しくて、やりだすととまらなくてついつい1時2時までやってしまうのだが。

で、月曜日の大雪のせいもあってか、ついにダウン。
昨日は発熱しそうな悪寒に襲われ、マズイかもと思いながら娘を迎えに行ったら、すでに息子さんは引き取られていたのに、彼が保育園にやってきたのだった。奥さんが息子さんを連れて遊園地に行ったものの、彼は確信がなく一応来たのだという。それにしてもなんというタイミング。そのまま彼に支えてもらいながらバスで一緒に帰り、夕飯の支度等すべて彼にやってもらったのだった。
皮肉だけれど、日曜日にビタミンの議論をしたばかりなのに、彼が買ってきてくれたレモンをしぼって入れた水を1Lほど飲んだら、たちまちに具合はよくなり、発熱もなくなった。やっぱり、ビタミンは必要だよね。

彼は本当にやさしい。
こんなに男性に優しくしてもらったことがないので、いいのかなぁと思ってしまうほどだ。
だけど、同時に、どうして彼がここまでやさしいのか、理由もわかっている。

昨日、彼と奥さんの結婚生活の過程と、奥さんの生い立ちについて話を聞いたが、人ってつくづく、バッググラウンドを背負って存在しているんだなぁ、と痛感させられた。
つまり。。。どんなに奥さんがひどいしうちを彼にしていたとしても、彼女を責めればいいって問題ではないということ。

今ある状態には、必ず理由がある。
彼も、それはわかっていて、よく、「彼女はそう悪い人間ではないよ。」と言っていた。
もし、奥さんの、「わたしはもうあなたを愛していない。他にガールフレンドをみつけて欲しい。」というセリフがなければ、今もなお彼女のきもちを振り向かせるべく、がんばっていたかもしれない。


わたしが、勉強が楽しいと思えるのも、恵まれた環境にいたおかげなんだってこと、改めて認識している。