身の丈にあった幸せ
「へぇ、、、お金がないのに、カメラ機能付きの携帯買ったんだ。そんなにカメラって必要なものなの?」
やっと、奥さんに6,000円する携帯を、クリスマスプレゼントとして贈ったことでケンカしたこともなりをひそめたと思いきや、、、
奥さんは、とりあえず、アパートを購入するまでの暫定住居を確保した。
だけど、家賃10万円で、しかも敷金が4か月分の家賃。
ケアに気を配れば返ってくるお金ではあるが、入居する際に50万円の資金を必要とする。それで、彼のお父さんにお金を借りるべく、借用状にサインするために彼のご両親の家まで来たのだった。
もちろん、子供に会う目的もあった。
そのとき、わたしも娘も泊まりにきていた。
それで、はしゃぎながら携帯で写真を写している彼女の姿を目撃したのだった。
そのあと彼と食器を洗っているとき、またもや怒りを爆発させたのだった。
この国は、日本と違って、まだカメラ付きどころか、折りたたみ式の携帯もポピュラーではない。
もちろん、値段も落ちてきているとはいえ、わたしはまだそのタイプのものを見たことがなかった。
いや、彼女がどのタイプの携帯をもとうが、わたしの知ったことではない。以前のものが使えなくなったのだから新しいのを買う必要があったのは知っている。
ただ、お金がないのにもかかわらず、ほとんどフリーで購入できる従来型のタイプではなく、カメラも付いている高機能タイプのものを、わざわざ彼にクリスマスプレゼントとして買ってもらったことに腹をたてたのだ。
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「わたしは、身の丈にあった生活をしたいのよね。」
指導教官の奥さんはそうおっしゃった。
わたしも、激しく同意である。
彼女は、限られた状況の中で、工夫をこらしながら生活に潤いを与えている。
さりげなく、手作りののれんがかかってあったり、フエルト製のクリスマスカレンダーがかかってあったり、庭に日本式池があったり。
窓のところにはかわいいキャンドルポットが並んでたり。
決して高級ではないけれど、そういう手作りのものや廉価な雑貨でなごやかな雰囲気を与えてくれる。
そういう奥さんのオリジナリティが、わたしは大好きである。
お金は雨のように降ってくるものではない。
それなりの対価分働いた結果である。
だからこそ、もっとお金に対して敬意を払うべきなのである。
彼の奥さんにしてみれば、今まで、足りなくなれば彼や彼のお父さんに無心して簡単にお金を得ることができただろう。
容易だからこそ、切り詰める必要もなく、欲求の働くまま生活してきたのだと思う。
そして。
彼にとっても、おそらく彼女と同じ感覚が働いていたのではないか?と思う。
いざとなればお父さんが助けてくれる。
その安心が、彼女の欲求を際限なく受け入れる結果につながったように思えてならない。
いくらお父さんがお金持ちで、快く資金援助してくれるとしても。
わたしは、お金に対して軽くみることが大キライである。
指導教官の奥さんは、日本式池を作るのに、2週間のイースター休暇をまるまるつぶしたそうである。
だけども、完成させたときの感慨はなんとも言い尽くせないほど大きなものだったそうだ。
わたしは、簡単に目的を果たせることによって、結果的に得られる感動は小さくなると考えている。
そして、さらに大きな満足感を得ようと、欲求がひたすら大きくなることを懸念している。
「6,000円なんてたいしたことがないよ。」
と彼が言った。
問題はそこではない。
わたしは、他人にあてにしてまで自分の欲求を満たそうとする、その根性が大嫌いだと言いたいのだ。
わたしは、自分の力で、自分の悦びを創り出したい。
自分の身の丈にあった幸せを創りたい。
洋服も満足に買えないし、高級なものを食べれるわけでもない。
でも、それなりに幸せ。
わたしは言った。
「わたしは、クリスマスプレゼントとして、あなたの時間が欲しい。」