外国に住むということ | いまのしゅんかん

外国に住むということ


娘が保育園で作ったアベンドクランツ
粘土に葉などをさして、ろうそくを立てたもの。

***************

ようやくクリスマスらしいこともぽつぽつとできるようになってきた。
さすがにクリスマス前とあって、人にお呼ばれしたり、ツアーがあったり、お茶会があったり。
人に会う機会が多い。
 
ここの国と縁ができた契機を作った人でもあり、大学でわたしの世話役もしてくれる人のお宅におじゃました。
彼の奥さんは、偶然日本人であるので、ここに来たばかりのときは、それこそ多大なお世話もしていただいた。
最近ご無沙汰していたのだが、今月娘の誕生日があるということで、ささやかなお祝いをしてくださると、ご招待してくださったのだった。
本来なら、わたしの方がアレンジするべきであるところを、本当にありがたいことである。

その奥さんに、離婚について告白した。
すると、
「今すぐサインはしない方がいいよ。プロジェクトが終わって、日本に帰ってからでも遅くはないから。」

奥さんは、日本に帰った方がいいとしきりに勧める方である。
10数年も住んでいるだけに、どれだけ外国に住み続けることが困難なことなのか、熟知しているからなのだろう。
ここの国の言葉ができないと、仕事も得られないどころか、当たり前のように享受できるはずの文化さえ乏しい生活になってしまう。
本や新聞が読めないし、テレビを理解することもできない。
衣食住を満たすことはできても、人間として生きている実感を得るのが、日本に住むよりもはるかに難しくなってしまう。
人とのコミュニケーションだって、やはり日本人に比べると理解しあうことが難しい。たとえ言語を習得したとしても、ことばのもつニュアンスを理解するのは、やはりバッググラウンドあってこそである。
日本語だって、ネイティブな日本人ですら、人それぞれ表現の仕方が異なる。それだけ言語というのは、深いのである。
だから奥さんは、どうせ日本では使わない英語に労力を費やすよりは、研究に特化して、それを日本で還元させるのが得策ではないか、という意見をもっておられるのだ。

彼に、こう言ってみた。
「わたしと話して充実する?こんなに貧しい英語能力だし、もっている文化も違うし。やっぱり、外国人同士が関係をもつのって難しいのかなぁ。」
すると、

「君と話すのはとても楽しいよ。それに、誰もが違う文化をもつことは自然じゃないかな。みんなそれぞれもっている文化を大切にすることは大事なことだと思う。だけど同時に、それを認め合うことも大切なんだと思う。」

彼は、この国のことをたくさん教えてくれる。
近所のいいところに連れていってくれたり、クリスマスにしても、ホットワインの作り方を教えてくれたり、一緒にクッキー作りもした。
アンデルセンの話をしたり、キルケゴールの話をしたり。
もちろん、最近のニュースについても教えてくれる。

同時に、日本のことにも興味をもってくれる。
わたしもいろんな話をしたし、いろんな日本料理を作った。漫画をみせて説明もした。
宗教の話をしたときに、病気を受け入れ病気と共に生きた三浦綾子の話をしたら、えらく神妙に聞き入っていた。

確かに、日本に比べると情報量も少ないし、享受できる文化も乏しいけれど、そういうやり取りが楽しい。
まぁ、先のことはわからないけれど。
あと1年ちょっともたてば、彼と一緒にやっていけるかどうか、判断できると思う。