コミュニケーションは成長のための必須事項 | いまのしゅんかん

コミュニケーションは成長のための必須事項

3つの試験、すなわち英語クラスと2つの専門授業、無事試験に合格した。
これで晴れて、ほとんどの単位を取得できた。
もっとも懸念していたことがクリアできたのだから、とびあがってもいいくらいのもの。

、、、が、今のわたしはちっともうれしいという感情がない。
いずれも一定の評価を得たものの、いずれも
「英語力をもっと磨かなくては。」
とのコメント。

そう。
今までも認識していたことではあるが、この試験を経て、語学能力が深刻な問題であることをより強く認識したからだ。
そして、その問題を解消するのに、決して平坦な道ではない、とても厳しい道であることを改めて認識したからだ。

英文を書くことに関しては、だいぶ改善できた。
しかし、いまだ会話は苦手である。
瞬時に相手の言うことを理解して、瞬時に自分の意見を述べる。
これがなかなか難しい。
書くときには考えることに充分時間を費やすことができるが、会話はその場で理解しなければならない。

それともうひとつ。
重大な問題は、「自信」である。
彼や友達と話すときにはかなりラクにコミュニケーションをとることができる。
それは、多少誤っても理解してくれるという信頼あってのことだと思う。
でも、ほかの人と話すときには、理解してもらえる自信がないためにいつも緊張してしまう。

だけど、どんなに自分の中で理解していたとしても、それを外側に伝えなければ意味がない。
お互いのもっているものを交換しながら互いに成長していくものだからだ。
科学者にとって、コミュニケーションは、必要不可欠のもの。
英語力と、コミュニケーション能力は、どこまでも要求されるものなのである。

わたしは、大学を出てからすぐに、ある民間会社に研究員として働き始めた。
研究そのものはけっこう面白かったが、仕事はつらくてしょうがなかった。
今思うと、わたしのコミュニケーション能力の乏しさが、その苦しさの根源だったと思う。
チームを組んでいるから常に誰かと協力しあいながら研究しなければならないし、自分の手に負えない仕事があるときには誰かに協力を請わなければならない。
特に知識も経験も乏しいわたしにとっては、自分ひとりでこなせることなど皆無であり、常に誰かの助けを必要としていたにもかかわらず、わたしはその度に多大なエネルギーを費やさなければならなかった。

今回の試験にしても、与えられた知識を自分の中で理解して消化することよりも、自分が理解していることを証明することにものすごくエネルギーを費やした。
自分の意見を英文にまとめたり、プレゼンテーションのスライドや原稿を作ったり。
理解していることを、自分のことばで表現することが、とてつもなく困難な作業だった。

だけど、コミュニケーションが、仕事だけでなく、人生の中でも重要なことだとわかっている。
今年になって友達ができてきて、いろんな人に自分の思いをはきだす機会が増えたのだが、その際人の意見を聞くことができたり、または共感しあったり、人と交わることで得るものはたくさんあった。
去年は、友達もあまりいなくて、そのことをあまりさみしいとも思わなかったけれど、今思うと一人よがりだったなぁと思う。
いくら意見をもっていても、それを省みるチャンスがなく、つい自分の中で思い込みだけが強くなってしまう。どこかにフィードバックにさせないと、事実を間違ったまま認識する可能性だって高い。

今回、実際には試験前に、
英語は彼と友達とディスカッションさせてもらい、
専門授業は担当教官と複数にわたってディスカッションさせてもらった。
彼らの意見に触れるたびに、ああそういう考え方、そういう事実もあるのだという新しい発見を見出すことができた。
そしてまた、彼らに自分の考えを表現しようと何度も試みることができた。
そして、表現することの難しさを改めて認識することができた。

来年から、指導教官と特例で週に一回ミーティングの場を設けてくれると約束をしていただいた。
多忙な方なのに、どれだけわたしの能力に懸念を示しているか。
ともかくありがたい処置である。

もっといろんな人と交わって成長したい。

だから、この試験結果で慢心したりせずに、英語能力はもちろんのこと、わたしの根源の問題、すなわち「自信のなさ」を克服すべく、人間として成長していけるよう努力していきたいと思う。