試験で得ること | いまのしゅんかん

試験で得ること


この街の中心街。
市名に「王様の」がつくので、王冠のイルミネーション。

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とても重要な課目の試験をパスした。
とはいえ、足繁く教授のところに通い、さんざんディスカッションさせてもらって改善させた結果であるが。合格できたのは、わたしの力のおかげではない。
実際に、何度も練習したおかげで、本番はほとんど緊張しなかった。
本当、快く相談に乗ってくれた教授に感謝!である。

それにしても、この大学の試験のやり方は本当にすばらしいと思う。
自分で関連文献を選び、それについて得た知識を駆使しながら理論的に自分の見解を発表する。
この国では、小学校のときから口頭試験を重視するという。
この試験でも、「もっと英語の力を磨きなさい。人に伝えることで、より世界が広がるから。」と別の評定員にサジェスションされたように、ただ与えられた質問に答えるよりも、自分なりの見解を人に伝えるやり方の方が、得た知識を自分の中で構築しなおす必要があり、理解しなければ合格できない。それに対して、所定の答を書くだけでは、「覚える」だけという荒技でも通用してしまう。

それに、実際の文献を引用するとなると、複数の知識が結合したり交錯したりして、理論的に説明するのがより複雑になる。
ただ個々の知識について説明するよりも、得た知識を実践に回帰させる方が、より理解力が要求されると思うのである。

例えば、先月に提出した試験課題などは、自分の研究に関係する文献を10件ほどピックアップし、しかもじかに著者の方にお会いしてお話をうかがったりもした。
ただ授業で学んだ知識をなぞるだけでなく、実際自分のプロジェクトをこの授業の角度から理論的に考える作業を徹底的にこなした。そして、研究の方向性にも多いに影響を与えることとなった。
その得た知識を使って自分のテーマについて深く洞察するようになったのである。実際に何度も自分がした考察について、ただ教科書を省みるだけでなく、データベースなどもひっぱってきたり、わたしが得たデータなどからさんざん考え抜いた。

この試験のやり方は、評価するためのものではなく、実社会に還元していくため、ということが前提にしてあるように思う。
高校の英語の試験でたくさんの単語を覚えたが、だからといって英語で文章を書いたり、英語で話せるようになったわけではない。いくら試験をこなしても、何も得るものがなければ意味はないのである。

だけど同時に、「表現すること」の必要性、も痛感させられた。
知識は利用してナンボ。アウトプットできなければ意味がない。
来週に英語の試験があるけれど、合格しようがしまいがもっともっと英語の力を改善させなければならない、と思った。
いずれにしても、来年から別途、英語のレッスンを受ける心積もりをしている。