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貧乏信号


車に乗っている人なら、きっと誰もが体験したことがあるだろう。

ガソリンタンクの残量を示すメーターの横についている、
エンプティランプ(通称:貧乏ランプ)。
それが点灯したときの、あのドキドキを。

カウントダウンが始まっていく。
ジョーズのテーマが流れ始める。

特に、知らない土地や、渋滞中、高速道路を走っているときなど、
すぐに給油することが困難なときに点灯した時。

あの胸の高鳴りは、残念ながらロマンチックなものとは程遠い。

例えるなら、ドラクエなどのRPGで、
難関なダンジョンをクリアした後の帰り道、
HPが少なくなって、今にもGAME OVERになりそうな時に似ている。

ドラクエ3の、イシスのピラミッドで、
黄金の爪を取った帰り、みたいな。

すみません、わかる人だけわかってください。



今日は、会社近くの森でテニスの日。
先週は1時間も経たないうちに雷雨になり、
あえなく中止となったため、消化不良の感が否めなかった。

だから今日はすごく楽しみにしていた。

前日まで降っていた雨が嘘のように、晴れ渡った朝。
この天気が、せめてテニスが終わるまではもつようにと、切に願った。

昨日の話じゃないけれど、
人智を超えた何かが、その祈りを聞き届けてくれたのか、
無事にテニスができました。

途中、少しの間だけ霧雨が降ったけど、
ミストシャワーのように、むしろ涼しさを分けてくれた感じだ。

今日は今までよりもずっと涼しくて、
体力をそこまで消耗することなく、
最後までいい感じで楽しめた。

すっごく楽しくて、
充実した時間だったように感じる。



で、その帰り道。
ガソリンの残量、微妙だなーとか思いつつ、
まぁもつだろうと判断して、首都高に乗った。

会社近くの森から自宅まで、
僕は首都高、外環、関越と乗り継いでいく。

そして、想定していたよりも早いタイミングで、
冒頭の貧乏ランプが点灯した。

場所は、関越の、僕が降りるI.C.より一つ前の出口付近。
もうSAは存在せず、高速を降りるまでは給油ができない。

胸が高鳴る。
鼓動が早まっていく。
道路の上、車を押す僕の姿が脳裏をよぎる。


ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク…………。


途端、速度を落とし、省エネ走行を心がけ始めた。
一番右側だった車線は、一番左側へと変わっていた。


なんて、まぁ何度もこんな場面には遭遇しているから、
貧乏ランプが灯ったところで、
すぐにガス欠になるわけじゃないことはわかってる。

実際、高速を降りて給油した量は約40リットル。
僕の車のタンクには、だいたい50リットル入るから、
おおよそ10リットルは残っていた計算だ。

僕の車の燃費は決して悪くないし、
高速クルーズだったことも考えて、
どんなに低く見積もっても、
多分1リットルあたり10kmは走れるだろう。

ってことは、約100km走れるわけで。
僕の家と会社との、最短の道のりが、概ね80kmくらいだから、
出発時から貧乏ランプが灯っていても、
問題なくたどり着けることになる。

でも、やっぱり精神的には焦るんだよなぁ。

事実、JAFが呼び出される要因BEST3が、
ガス欠、パンク、鍵の置き忘れなのだから。
多分、皆様が想像している以上に、
ガス欠にみまわれる方の数は多いのだろう。

だから、油断は禁物。
給油できる内に、給油しておきましょう。


不思議なもので、給油が済み、
ガソリンタンクが満タンの状態になると、
どこまでも、どこまででも、行ける気がしてしまう。

もう僕を止められるものは何もない。
そんな錯覚が生まれてくる。


そんな自分を、愚者と呼ぶべきだろうか。



つーか、4日間でガソリン消費してんのか。
原油高騰のこの時代、そっちの方がよっぽど愚かかも。

ま、でも、今の会社にいる内は、ね。

アナタハ、神ヲ、信ジマスカ?

なんて言っている牧師さんを、未だに見たことがないのですが。

信じる、信じないは別として、
「人智を超えた何か」を「神」と呼ぶのであれば、
間違いなく「神」は存在していると思います。

それは例えば、地球そのものかもしれない。

「ガイア仮説」を支持できるほど、
それに詳しいわけではないのですが。


ただ、おそらく地球上に存在する生命体は、
地球から生まれたと思われるわけで。

何万年という時の中で、進化の過程を経ても、
生命体と地球とをつなぐ、何かしらのメカニズムが、
生命体の中に埋め込まれていてもおかしくないんじゃないかと。
例えば、脳の中の、未だ解明されきっていない部分とかに。

要は、地球を本体、各生命体をそのパーツに例えるなら、
本体とパーツを結ぶ何かがあってもいいんじゃないかと思うわけです。


で、僕らの言う『祈り』が、
その地球とつながるメカニズムを通して、
地球へと届けられたとき、
僕らが『奇蹟』と呼ぶ、人智を超えた現象が、
地球によって起こされたとしても、
そんなに不思議なことじゃないんじゃないかと思います。
そして、それを「神の御業」と呼ぶこともあるんじゃないかと。

だから、「神」は存在していても、おかしくないと思うのです。
まぁ、「人」の形をしているかどうかは、わからないけれど。


今日、夕食を食べながら、NHKの「プロフェッショナル」を見ていて、
番組が終了しても、そのままテレビを見ていたら、
「世界遺産」の番組がやっていた。

今回取り上げられていたのは、世界の名瀑布。

確実に、「人智を超えたもの」は存在している、と感じた。

まぁ、人類はまだ「ヒト」のことすら全て解明できてないのだから、
「人智を超えたもの」というのは間違いなく存在しているのだけど。


でも、そういうこととは別に、
どれほど人類が進化しても、届かない領域が、
確実に存在しているように思えた。

本当に、言葉もでないほど。


おそらく、というか、多分間違いなく、
人間の美的感覚を養ったのは、「自然」だと思う。

そして、究極の美を求めたら、きっと「自然」に行き着くのだと思う。


あの、圧倒される美しさは、
言葉とか、そういう何かしらの制約を超えて、
直接、響いてくる。

それが脳なのか、心なのかはわからないけれど、
どこかに直接、響いてくる。

恥ずかしながら、まだブラウン管のままの、
自宅のテレビを通した映像からですら、
その圧倒される力が伝わってきた。


で、その番組内で紹介されていた『世界百名瀑』。
写真家の白川義員氏が撮影した、世界の瀑布の写真。
まさに、息を呑むほどの美しさだった。
きっと、いくらCGで作り込んでも、あの美しさは表現できないだろう。

とっても、とっても欲しいのですが、
1冊39,900円は、ちょっと手が出ないなぁ……。


仮に地球を1つの生命体と考えて、
自らの身体を使って表現するアーティストだと仮定したら、
アーティスト歴、46億年(うろ覚え)かぁ。

これは経験の差だな、うん。

生きよう。


僕らは、戦争を知らない。
戦争を体験していない。


でも、今も戦争や紛争、テロや対テロが存在していることは知っている。
何度も何度も、繰り返されてきたことも知っている。


どれほど悲惨で。
どれほど愚かで。


どれほど卑劣で。
どれほど醜悪で。


なぜ学べないのだろう。
なぜ気づかないのだろう。


君が大義名分にしている『誰か』の利益。
その『誰か』を、君が殺している。


自分の命。
他人の命。
どこに違いがあるのだろう。
なぜ、奪うことができるのだろう。


時に僕らは間違える。
時に僕らは過ちを犯す。
それを僕らは知っているはず。
それを僕らは学んでいるはず。


そろそろ、過ちを犯す前に、気づいてもいい頃だ。


人は、ひどいことをする。
信じられないくらい、ひどいことをする。
日本人も、アメリカ人も、ロシア人も、
ドイツ人も、フランス人も、イギリス人も、
もしかしたら、僕自身も。


そういう可能性を、しっかりと見つめよう。
かつてひどいことをした人の血が、
きっと僕の中にも流れている、と。


想像することしかできないから。
その悲惨さを。
その愚かさを。


精一杯想像して、
決して過ちを犯さないと、刻み込もう。
脳にも、胸にも、心にも、刻み込もう。


そして、生きよう。
精一杯、生きよう。
みんなで、精一杯、生きよう。
誰も、誰の命を奪うことなく、精一杯、生きよう。


いつの日か、この世の中が、
戦争を知らない人ばかりになるように。

そうだ、選挙に行こう。


今日はほんの少し真面目な話。


僕は毎日、様々な理由から車通勤をしている、
とってもエコではない人間です。

せめて他の部分ではエコであるよう努力をしておりますが、
ひとまず今の会社に通っている間は、
車通勤を貫き通すと思います。


そんな僕にとって、原油高は深刻な問題。
漁業組合の方々や、運送会社の方々の気持ちがよくわかる、気がする。

で、今年の4月、さんざん話題になった暫定税率について、
ちょっと改めて調べてみました。

恥ずかしながら、実は税「率」というくらいだから、
てっきり原油価格に対して「何%」という形で
税金が掛かっているのだろうと思ってました。

でも、そうではないのですね。
1リットルあたり○円という形みたいです。


一般にガソリン税と呼ばれるものは、
揮発油税と地方道路税を合わせたものを指すそうで、
暫定税率というのは、本来の税率に、
「一定期間だけ」上乗せした税率のことをいうそうです。

で、肝心のその価格ですが、

■揮発油税
本来の税率:24.3円/リットル
暫定税率:48.6円/リットル

■地方道路税
本来の税率:4.4円/リットル
暫定税率:5.2円/リットル

ということです。


揮発油税、結構上乗せされてますね。
きれいに2倍になっています。


で、4月の国会が終わり、暫定税率の延長が決議されて以来、
すっかり話題に上らなくなった、この「暫定税率」。

当時から疑問に思っていたのですが、
なぜ「継続」と「廃止」との、2択での議論になってしまったのでしょう。

税率を下げる、という議論が、
もっとしっかりと行われてもいいのではないか、と思ってました。

「妥協」というと、とかく悪い意味に捉えがちですが、
討論の末に行き着いた結果として、
「間」をとるというのは、決して悪いものではないと思うのですが。


確かに、よく道路を利用する身からすると、
新しい道路のありがたみは良く分かるので、
車を利用する人から、その料金を徴収する、
という仕組み自体は、とっても真っ当だと思います。

でも、ここまで原油価格が高騰している今(若干落ち着き始めましたが)、
多少道路向けに使える収入が減ったとしても、
暫定税率引き下げの動きが生まれてもいいんじゃないかと思うのですが、
いかがなものでしょうか。


ガソリン税を道路特定財源から一般財源化する動きもあるようですが、
個人的には、現時点ではちょっと反対です。

確かに、財政が火の車な今、
ガソリン税を道路以外にも使いたい、というのは、
正直なところでしょう。

でも、同時にまさに目の前の「今」、
原油価格の高騰に、本気で苦しめられている人たちがいるわけで。

現時点では、ひとまず道路特定財源としたまま、
用途を限定することで、その代わりに税率を下げる、
という動きをとってもいいのではないか、と思うわけです。

まぁ一度決まったことを審議しなおすのは難しいのかもしれませんし、
何も言わなければ、現状の税率のまま、ひとまずは道路のみに使えるわけですから、
道路に使いたいと思っている人たちには、現状維持がベストなのでしょうが。


以前にも書いた行動経済学によると、
人は同じ金額でも、「利益」よりも「損失」の方が大きく感じるそうです。

「景気回復」とずっと叫ばれながら、
個人レベルではそれを実感できなかった安部総理時代。
結局、そこまで個人消費は伸びなかったと思う。

それに対して、原油高により家計が直撃を受け、
さらに値上がりの風が吹き止まない今、
個人消費は本当に落ち込むと思います。

なぜなら、収入が現状のまま、もしくは減少する中で、支出が増えたなら、
個人レベルで、誰しもができることは、節約くらいだし、
企業レベルであれば、値上げということになる。

いやーなスパイラルが生まれる。


僕にも聞こえてくるくらい、あちこちで悲鳴が上がっているのだから、
きっと国にも聞こえていると思う。

消費者庁とやらを作って、何とかしようとしているのかもしれない。
いちいちそういう「庁」を作らなきゃいけないことなのか、と思わないでもないけど。

でも、早いとこ何とかしないと、本当にまずいんじゃないかな。

「与えられた仕事を、一つづつしっかりとこなしていきたい」
なんて言ってた某消費者庁長官さん。

頼むよ、トップのあなたに誰が仕事を与えるの。
自分で仕事を見つけるのも、仕事の内じゃないのかな。



ものすっごく、個人的で身勝手なことを言えば、
道路を走る車が今よりもっと減るなら、
レギュラー200円位でもかまわないけど、
社会全体を考えれば、そうも言っていられない。


いい加減、他人事なんて思ってられないな。


僕に出来ること。


そうだ、選挙に行こう。


(直近の選挙が何かはわからないけど)

好きなひとが、できました。

というコピーの映画『耳をすませば』。
先週見れなかったので、本日見てしまいました。

中学生の頃から好きだった映画。
監督は近藤喜文氏で、宮崎駿氏はプロデュース・脚本・絵コンテを担当。
もちろん鈴木敏夫氏もプロデューサとして参加。
ジブリ作品の中でも、かなり好きなほう。

どれくらい振りだろう。ずいぶん久しぶりだ。
セリフも、展開も、歌の歌詞さえも覚えてしまうくらい見たのだけど、
今日は新鮮な驚きがあった。


何年か後、もし子供が生まれて、
さらに何年か後、子供が中学3年生になったとき、
僕は親として何を言うことが出来るのだろうか。


映画の見方が、親の視点に変わっていた。
さすがにまだ、そんな大きな子供がいる年ではないのだけれど(笑)。


僕は、どちらかというとDINKS志向なのだけど、
「子供を育てる」ということに興味がない、というわけではない。

受験期に、夢を描いて、勉強以外の何かに熱中している子供に、
どういう風に接するのがいいのか。
思わず考えてしまった。


しかし、改めてみると、出会いから恋愛に発展していく過程が、
とってもスピーディだな。
いつのまにか呼び捨てで呼び合ってるし。

そして、いつ見てもラストシーンは、なんだかくすぐったい。
あまりにストレート過ぎて、何のオブラートも存在してなくて、
おでこをペシッと叩きたくなる。


でも、学校の風景とか、テストとか、なんだか懐かしかった。
僕も物語を書いていたことがあったから、
物語を書くことに苦しんでいる様子に、共感を覚えたりもした。


タイトルに記したメインコピーの他に、
ボディコピーのような形で使われたのが次のフレーズ。


『混沌の21世紀まであと5年――こんな時代にいま何故か、少女マンガ』


なんかよく分からないようで、わかるような、でもやっぱりわからないような。
それでもその年一番の興行収入を記録した映画だから、
時代性があったのだろう。

バブルが崩壊して、閉塞感が高まっていく中で、
もしかしたら、みんなこういう甘酸っぱい感じの映画を、
心の奥底の方で待っていたのかも。


以前、クライマックスやハイライトが明確に用意されていない点、
シリアスなメッセージが、明示はされていない点などから、
「崖の上のポニョ」に通じるところがあると書きましたが、
うーん、やっぱり個人的には「耳をすませば」の方が好きかなぁ。

徒然なるまま過ぎてしまった。


歯を抜いた後の消毒に、本日は2日連続で歯医者に。
どうしてもその時間しか空いてないというので、
行きたかったライブを諦めて、消毒に行ってきました。

でも、結局することといったら消毒だけだから、
治療に要した時間は、ほんの2~3分。
何だかなぁ。


帰り道にガソリンスタンドに寄って、給油。
レギュラーを満タンに。

ところで「満タン」の「タン」って何だろう。
「タンク」の「タン」かなぁ。

スタンドの兄さんが、灰皿の吸殻を捨て、
返してくれたとき、
「よろしければ、こちらお持ちください」
と僕の灰皿を差し出した。

いや、まぁ、ね。
そりゃ、それ僕のだから、持つよね。

言ってる本人も途中で言葉を間違えたことに気づいたのだろう。
語尾に近づくほどに声が聞こえなくなっていった。

まぁ、人間誰しもあるよね。そういう間違いは。


で、これから髪を切りにいこうかと。
予約の時間まで少し空いているから、こうしてブログを書いてみました。


でも、引っ越すっていうことは、
行きつけのガソリンスタンドも、美容院も、歯医者も、
全部変わってしまうってことだ。

そう考えると、一抹の寂しさを覚えるなぁ。

「セントポールの隣り」の隣り

今日、10月に入社予定の会社から書類が届き、
入社前までに用意するもの、入社時に用意するものなどが、指示されていた。

そんな中に、「卒業証明書」が含まれていて、
懐かしい風が通り抜けていくような、そんな感じがした。

どうやら、大学に取りに行かなくてはいけないらしい。

卒業してから、足を踏み入れたことはまだ一度もない。
目の前の通りを車で走りぬけたことなら、何度もあるのだけど。


僕の通っていた大学は、結構ゴミゴミした街にあって、
キャンパスは決して広くなかった。
むしろ狭い部類に入るかもしれない。
そして、そんなところが特に気に入っていた。

レンガ造りの建物にこだわりがある大学だから、
新しく建てられた建物も、赤レンガで統一されていたし、
昔からある建物、たとえば図書館の旧館とかに行くと、
長い長い歴史を感じることができた。


残念ながら、既に僕が通っていた学科はもうない。
いい加減で、楽チンで、学びたいことが学べて、
とってもいい学科だったのに。残念だ。


色々な思い出が詰まっていて、
どれもいい思い出ばかりだから、
久しぶりに大学に足を踏み入れるのが、
結構楽しみだ。

今気づいたけれど、いまだに学籍番号を覚えている。
自分の記憶力にびっくりする。


卒業してから3年半。
もう、自分が知っている人間は、大学に残っていないだろう。

そんな中、何食わぬ顔をして、キャンパスを歩く。

まだ学生に見られるかな。
自分としては、少なくとも見た目の上では全然変わっていないと思うのだけど、
やっぱり、周りの空気からは少し浮いて見えたりするのかな。


平日に行かなきゃいけないから、早くて来週かな。
『あいかた』さんも連れていってみようかな。
学部が違ったから、授業でよく使った建物は違うけど、
それでも二人して懐かしさに感動してそう。
特に部室棟の地下にある練習室とか。
学生のふりして、さらっと練習室の鍵借りられたりして。

『あいかた』さんは、センプラで無駄遣いしそうだから、気をつけよう。


転職という、僕にとって「先」に進むための道へ向かう途中で、
大学という「昔」に出会う。
なんか少し不思議な感じ。

でも、今は過去から続いていて、未来は今が続いた先にある。
先ばかり見ていても、足下ばかり見ていても仕方ない。

人は同時に2歩を踏み出すことはできない。
どんなに早くても、大きくても、1歩は1歩。

先の目標を立てた上で、一つ一つ着実に、速やかに、
そこにたどり着くまでの過程をこなしていく。

頑張っていこう。

「未来は既に始まっている」のだから。

長年の友との別離


ついに今日、親知ラズを抜いてきました。
いつのまに生えたのかわからないけど、
多分結構長い時間を共に生きてきたものだから、
どうしても感慨を……、別に覚えないか。


しかし今どきの歯医者さんがそうなのか、
僕の行っている歯医者さんがそうなのかはわからないけど、
「痛み」というものを極力なくそうとしているようだ。

歯を抜くために、まず麻酔のための塗り薬の麻酔をして、
それから注射器で麻酔をした。


「カートリッジ、大きいのをもう1本持ってきて!」


注射中、歯科医が助手にそう告げる。
なんだか象やアザラシみたいになった気分。


歯を抜いている間は、どうしたって衝撃はくるし、
衝撃は、痛みを連想させる。
何となく、痛そうな感じがする。
それでも結局痛くないのだから、麻酔の効果はすごいなぁと思う。
何されてても、きっとわかんないや。

歯を抜くときに、右手の拳を顎に当てておいてくれ、と言われた。
下の歯を抜いたのだけど、顎にかなり圧力がいくから、
それを下から支え、押し返してくれ、とのこと。

でも、同時に口を大きく開けてくれ、とも言われる。


結局僕は、『考える人』のように右の拳を顎に当て、
歯科医の手と、自らの意思によって下に行こうとする顎を、
必死に抑え込もうとしていた。

とっても矛盾した行動のような気がするんだけど、きっと気のせいだろう。


歯を抜いた後は、傷口になり、血があふれ出る。
でも、この血は、あまり流してはいけないそうだ。

血がたまることで、傷口が塞がるのが早くなるとか、何とか。
逆に血を全て洗い流してしまい、その部分が乾燥してしまうと、
それが痛みの原因になったりするそうな。


だからうがいをしたりするときは、
血を流し過ぎないように、「軽く」にとどめてくれ、とのこと。

「軽く」って、難しいなぁ。
かといって、何mlの水を何秒以内でうんぬん、とか言われても、
もっと難しいけど。


とりあえず、もう少し麻酔が切れたら、
食事にしようかと思います。


明日はその後の経過報告と消毒に行かねばならなくなり、
行きたかったライブに行けなくなってしまった。

誠に遺憾であります。くそー。

イライラッと。


以前にも書きましたが、僕の家の前にはわりと大きな公園があります。
その公園の駐車場の向かいに僕の家は位置しています。

で、その駐車場。
夜になると出入りが出来なくなるのですが、
今の時期、夜に公園に遊びに来る人たちも多いわけで。

そういう人たちは、僕の家の前の道に路上駐車をするわけです。

僕の家は、建売の戸建で、同じような家が5軒くらい並んでいます。
そして、どの家にも駐車場があります。


本日、会社から帰ってくると、
僕の家の駐車場の、まさに目の前に路上駐車をした車がありました。

その道は、センターラインのない道路で、
もちろん車は公園側、つまり家の反対側に止められてはいたのですが。

しかしながら、決して広い道路、そして駐車場ではないため、
そんなふうに、まさに目の前に止められてしまうと、
とってもとっても止めにくいことになります。

あと2mでも前後どちらかに動かしてくれれば、全然変わったのに。

つーか、よりによって、何で並んだ5軒の家のうち、
唯一ガレージに車が止まっていない状態だった、我が家の前に止めるのか、と。
いずれ帰ってくるだろう、とか考えないのか、と。

どう考えても、何も考えずに、周りを見ることなく、
ただなんとなく止めたのでしょう。
それによってどんな迷惑を与える可能性があるか、
なんて頭をよぎることすらなかったのでしょう。

こういう極めて自分勝手な行動をされ、それによって迷惑を被ると、
さすがにイラッとします。

いっそ警察呼んで、レッカーしてもらおうかとすら思いました。
まぁそれはそれで面倒くさいのですが。



結局、いつもの方向から駐車することはできず、
Uターンして、逆向きからトライし、
何度も切り返しを繰り返すことで、何とか駐車できました。

それなりに、都内等で狭い道・駐車場や、
予期せぬ事態などを体験している僕だったからいいですが、
これがもし僕の母親みたいに、普段車乗らない人だったら、
諦めて途方にくれているか、最悪ぶつけてます。


こういう、誰かの極めて身勝手な行動にでくわしたときは、
「人の振り見て、我が振りなおせ」と意識するようにしています。

僕も、自分の知らない(気づいていない)ところで、
見知らぬ誰かに迷惑をかけているかもしれません。

自分のすぐ近くばかりでなく、
もう少し広い視野で、周りを見て、他人に迷惑をかけることのないように
したいと思いました。

子供ができました!


先日結婚した友人夫婦の話です。

会話の中で、さらっと「こいつが身重になってさ、」とか言い出して、
「マジで!?」みたいな話になりました。

いやー、めでたい。
ここで言っても仕方ないですが、改めて、本当におめでとう!!

まぁたしかに全然別の用事で会っていたし、
いきなり「実は子供ができて……」なんて改まるのも微妙だったのでしょう。
さりげなさそうで、あまりさりげなくなく会話に織り込まれたセリフでした。


長男・長女の夫婦なので、
ご両親の喜びっぷりは、相当なものみたい。

旦那の方のご両親は何度かお会いしたことがあるので知っているけれど、
確かにあのご両親ならば、さぞかし超溺愛、超寵愛することだろう。

パパさんは第一報を聞いてすぐに、2桁するベビーカーを買おうと決めているらしいし、
ママさんは既に公園デビューに胸を躍らせているそうな。
息子・娘のときよりも、本当に純粋に喜べるんだろうな、孫って。


以前、「結婚は自分たちの為じゃなくて、周りのためにするんだよ」と
言われたことがあるけど、ある意味子供も一緒なのかな。
そういうときに心から喜んでくれる人が周りにいるっていうのは、
当たり前のように見えて、本当に幸せなことなんだろう。


幸せな家庭を築いていってほしいと、心から願っています。
本当におめでとう!!