ショーエイのアタックまんがーワン -2ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

まあ、正直な所、相互関税なんてものは

庶民にとっては何の特典も利益も齎さないものなので、

全く必要ないと言っておきます。

 

しかし、国庫という部分に焦点を当てると、

消費税同様にこれほど美味しいものは無いのです。

 

トランプは国庫を増やす目的で、

世界中が同率で相互に関税を掛ければ、

貿易が成立する限り、

そこから国庫に収益が齎されるという仕組みを

提唱しているのです。

 

まあ、国政を担う人にとっては

美味しい感じに映るでしょうが、

大きな計算ミス、

見落としが有る事を伝えておきます。

 

それは相互関税の副作用としてインフレが発生する点です。

 

このインフレは国庫で支出する

解かりやすい所で・・・公務員人件費の高騰などにも影響し、

更には公共事業等でも材料費やらと、

支出面を大きく高騰させます。

結局のところ数字的には国庫が増えても、

最終的には支出も更に増える為、

むしろ現状よりも

財政を圧迫しかねない状態に陥る可能性の方が

実は高いのです。

 

逆に 貿易を無視して内国産業拡大を図る場合、

それは可能だという点は言えます。

実はロシアが現状それである意味

成り立っている感じでも有りますが、

それでもBRICSとの交易で補填している部分は補えません。

寧ろ冷戦状態を想起して考えるなら、

文明鎖国を生じさせる可能性も有り、

今度は米国の技術が

いつまで世界一で居られるかという課題が付きまとう話に成り、

反対に知らない内に

中国に差を付けられてしまう危険性も

はらむ展開が予想されます。

 

ただトランプは自身のこの相互関税理論に

執着している感じで、

結果を見ないと納得しない心理状態にあります。

まあ、短期的な結果は国庫が増えたという形に成りますが、

その分、経済は危機的状態に陥る。

これをトランプは必要な犠牲と訴えるわけですが、

長期的にはこれが米国の投資力の低下を招き、

更にはその低下により技術力を鈍化させ、

他国に人材の流出を招き、

国が衰退する流れと成っていく訳ですが、

その長期的な結果が見え始めるころには、

当のトランプはこの世に居ないという皮肉で幕を閉じます。

 

ただしトランプの歴史的な評価は、

偉大な大統領とは程遠い、

米国を衰退させた最悪な大統領が

ほぼ確定する話になると言っておきます。

 

まあ、相互関税の理論を捨てて、

関税を用いた自由貿易のディールの為に、

ここまでの自身の行動を使うのなら、

まだ偉大な大統領になるチャンスは残されると

言っておきますが、

トランプが頭を素早く切り返せるかどうか、

ここ数か月が勝負と言っておきます。

 

【現状を冷静に見極めると】

トランプが米国の大統領で有る事実は変わらず、

2年後の中間選挙で逆転を許し、

弾劾をされるか

暗殺でもされない限り

彼の治世はまだ4年近く続きます。

どれだけ彼の事を批難しても、

彼自身が考えを改めない限り意味を為さないのです。

逆にこの現状で彼を批難する人は、

自己の主張の正当化をアピールするだけの人で、

実際には何の才能も無い人ばかりとも言っておきます。

それでも2年後の

中間選挙に向けた活動で理解できますが、

今度は大きな戦争をはらむ未来が危惧されます。

 

トランプの精神不安定は誰もが知るところとして、

見て取れると思います。

ある意味、これ凡庸な人間なら当然の症状です。

株価が下がり、

経済危機を招く可能性が現状生じる中、

まあ自己を完全に否定される可能性を意識すれば、

当然悪い症状を引き起こすわけですが、

それ故により独裁的な行動に走るわけです。

こうなると周りの意見を冷静に受け止められなく成り、

政権運営も悪い形に走ります。

 

まあ、それで「ざまあみろ」という感じで眺めるのも有りですが、

それが理由で世界情勢が悪化を辿るのも、

何の利益にならない話と言えます。

それ故に万事が円満にと考えるなら、

先ずはトランプの精神状態を

良い状態にと願う所なのですが、

今現状ではトランプ自身で

そこを取り戻さなければ成らないのも事実です。

 

当ブログでは科学的な政治の話を何度もしていますが、

実は人間が政治を科学的に行うのはかなり難しいです。

実際の科学では成功と失敗を繰り返して、

その結果を参考により深みを探求するのですが、

政治での失敗は多くの犠牲を生じさせます。

その為、早い段階での見極めが必要と成り、

時には自己の見識を改める引き際も求められます。

実は人間にとってはこれが一番難しい。

結果が出る前に自己の間違いを認める訳なので、

常人では到底無理難題と言っておきます。

 

常人、悪く言えば凡庸な人間ですが、

90%の人間がここに該当するわけで、

結果を知る前に

自分の間違いに気づく人はほぼ居ないです。

それでも誰もが奇想天外な英雄に憧れるのも事実で、

常人の多くがこれを自己に求めるのも事実です。

故に人間は知らずと独裁的な状態に陥るのです。

 

科学者の殆どもこれと同じな訳すが、

科学の世界では失敗は許される分、

結果が違ってもその失敗は無駄には成らないのです。

政治で言うなれば「歴史的な結果」がそれで、

政治的な失敗を歴史に刻むことで、

人間は学んでいくとも言えます。

ただし、「歴史的な結果」に於いての失敗は、

多大な犠牲を生じさせるため、

英雄に成るどころか、

悪名を残して終わる結末で、

その評価は凡庸以下の扱いに成るのです。

実際には凡庸以下という訳では無いはずなのに…

 

トランプが関税に拘って、

多くの失業者を産む様な失敗を齎す分には、

それはトランプの失態であって、

科学的に政治を分析する人間にとっては、

トランプが実験材料に成ったで終われる話です。

勿論自己の資産を目減りさせる、

または苦境に陥る可能性もあって、

無傷でその結果を受け止められる保証はありません。

 

【科学的な政治の話】

科学的な政治は常人では無理と伝えました。

科学的な政治を語る上では、

現状を正確に理解し、分析し、

良い形に導かなければ成りません。

 

正確な分析では、

相互関税が

直近2年間の経済を蝕む作用しか無いと言う事。

既にその兆候が表れ出したこともあり、

一度崩壊した経済を1年で立て直すのは

ほぼ無理という事です。

 

現状を理解すると言うのは既に述べた様に、

トランプに主導権のある2年間であるという事。

なのでトランプが軌道修正しない限り、

この危機は現実に成る可能性を秘めている点です。

そのトランプを分析するのに、

トランプが自分の発案に対しての間違いを

普通に認めるだけの器量は無いという事。

ただし勝負事…

いわば次の中間選挙を見据えた上での戦略であれば、

恐らくは耳を貸すだろうという事。

現時点でのトランプの発言からでは、

そこを考慮した思考に至っては居ないと分析します。

「犠牲を伴う」という表現は、

4年後を見据えての視点であり、

2年後の自分を全く計算していない根拠にも成ります。

トランプは虚勢を張って他人を従えたい性格上、

自分の無知をひけらかす行動は避ける傾向に有る為、

戦略上の撤退もそこに関わるならしないタイプ。

まあ、敵の扱いなら潰すのは簡単な相手なのですが、

この2年間、そして次の2年後の生活を考えるなら、

あえて望まないという観点で進めます。

そうなると前述したように、

トランプの関税を用いた発想は、

寧ろ自由貿易を促進する為の

ディールのカードだったという点で進める話に成ります。

 

※現状トランプのコメントからはこの思考は消えてしまうが、

あえてディールをする上で

相手にハッタリでは無く

本気である演技を見せる上での事だったとすれば、

寧ろトランプの評価は上がります。

 

実際には本当にトランプの演技である可能性も有るのですが、

どちらであれ、この軌道修正を齎すには、

誰かがいわばどこかの国がこの関税をネタに、

関税撤廃のディールを持ち掛ける事が求められます。

ある意味、献上外交の様な形なので、

各国でトランプに調子づかせたくない思惑が働き、

そのまま関税が維持される

チキンレースにも成りかねない話なのも事実です。

寧ろトランプを潰す気なら、

そのままチキンレースに挑んで、

2年後の墜落を待つのも手と言っておきます。

その際に、世界大不況に陥る可能性は否定しませんが…

 

どの道トランプは相互関税の発想を

速やかに改めない限り、

彼は自滅の道へ進むシナリオに成るとも言っておきます。

 

このまま不況に陥れば、

米国民の怒りはトランプの弾劾裁判へと向かうのは必須です。

いわば中間選挙で民主党が圧勝する流れに成るわけで、

様々な問題を起こしている状態で、

この弾劾の議席を与えたら、

2年後には地獄行きになるのが確定します。

 

その反面、ロシアに対する感情も

更に悪い形で強まる為、

大きな大戦に進む可能性はより高まると言えます。

 

実は科学的な意味で政治を考えると、

トランプに踏ん張ってもらう方がまだ安全なのですが、

そのトランプの命綱は自らの短所を晒して、

自らの絶望の未来に足を踏み入れている状態にあるのです。

 

もう一つのトランプ関税の論理を話すなら、

風情のある自家栽培の料理と、

世界中から厳選された素材で作られる料理と、

どちらが美味しいかという話で、

結局は料理する人間次第とも言える。

では同じ料理人が高いポテンシャル発揮するには、

どちらに拘って作る方が良いかとなれば、

実は結論は明らかである。

自分で自分にあった素材を生み出す方が

という反論も構わないが、

それは品質面では妄想に過ぎない。

更に言うなれば、

自家製に拘って全て自家栽培に努めても、

その技術が未熟なままであれば、

その品質は最良とは言えない。

寧ろ自家栽培の品質が良質であるなら、

自家製で賄う以外に、他に提供できる。

 

結局、関税で貿易をコントロールしても、

品質が伴わなければ最良の製品には程遠く、

商品としての価値もその程度に陥るのです。

寧ろ貿易をコントロールせずとも、

良質な製品さえ生み出せれば、

商品としての価値は評価される。

 

そして投資の話にしても、

価値あるところに投資するから利益を生む訳で、

価値のない投資にいくら払っても利益は出ないわけで、

投資の先が幅広く厳選されれば、

利益を生む投資に繋がりやすく、

制約を設けた状態はその可能性をより狭めるのです。

 

米国には最高の料理人が多く存在する中で、

そのオーナーが自家製に拘って、

料理人たちの質を落とそうとしているのと同じです。

質を落とせば評判も下がり、客足は遠のくばかりです。

元々その素材に価値が有るのなら、

料理人たちはそれを厳選していただろうが、

オーナーには寧ろその違いが解からず、

利益率のみを考えて推し進めるわけです。

 

これってそのお店がダメになる典型的なパターンなんです。

顧客は味の違いなんて解からないと

よくこういうオーナーは口にします。

実は意外とバレるんです。

それが精密機械の話に成ると、

数値でスペックの更新を正直にアピールしなければ成りません。

より明確な数値を更新するには、

それだけ新しい技術が更新される必要性が生じます。

世界中から厳選された技術を結集して、

品質を競い合う中で、

米国の企業が選別して組み立てた製品が、

現状上位を独占する中で、

寧ろ関税を掛ける事はその競争力を阻害する行為にも成ります。

 

ある意味、

一般的には当たり前の話ですらある

こうした現代のビジネスモデルを

全く理解できていない人が、

風情という表面上の売りで、

利益率を求めた料理に拘って、

お店の評判を低下させる行為に走っている様な物です。

 

まあ、どの道、

トランプがこうした話を理解できず、

経済を沈めて2年後の中間選挙に挑めば、

その悪政となったツケは弾劾と言う形で

払わされる運命に成るという事だけは警告しておくとします。

 

偉大なリーダーは、

目標を明確に示し

英知を結集させその目標を達成させる者です。

ここまでは誰もが知っているだろう部分です。

それに加えて言うなれば、

自分の考えに固執する者は、

その考えによって英知の議論を捻じ曲げてしまい、

英断を下すに至らないという事と、

偉大なリーダーが拘って良いのは、

良識的な信念であり、

英知はその信念を尊重して知恵を出し合う。

 

トランプは偉大な大統領に成りたいという目標はあるが、

結局、良識的な信念は有っても、

利害を優先する傾向に有り、

信念にブレを生じさせるのです。

利害を優先する故に、

そこに自己の考えを固執させてしまうゆえ、

英断を下せずにいるというのが実態。

 

所詮は凡庸な人物でしかないという話なのかな…

 

ウクライナとロシアの話にしても、

ゼレンスキーの存在が邪魔なのは理解するが、

良識的な信念に基づくなら、

ウクライナの総選挙の為の停戦で交渉を進めるべき。

いわばウクライナ国民の意識を明確に知る為とする意味です。

今、選挙を実施すればゼレンスキーが勝つ可能性がある。

そこを打算で考えてしまえば、

選挙の実施と言う切り札を使えずに時間だけを無駄にするのです。

 

選挙の実施という話での停戦ならばロシアも理解を示すし、

ウクライナも前向きに応じざるを得ない。

さらに戦争の継続を望まない米国の姿勢を明確に示すうえでは、

戦争継続の際は米国は支援しないという姿勢を示す。

これなら良識的な信念の中での流れで成立するのです。

 

その条件で誰を選ぶかはウクライナ国民次第。

それでゼレンスキーが再選して戦争を継続させるなら、

そのまま米国は支援せずに継続させてみればいいという事。

大事なのはその条件で

ウクライナの国民が選択したという事なのです。

どの道、選挙の割合にも依りますが、

戦争が再び泥沼化してその選択を後悔するなら、

ウクライナに於いて再び革命がおこる可能性も有るわけです。

 

と、は言え、

トランプをどうこう出来る状態に無いのだから、

ケツに火が付いた状態を維持するのなら、

不況に陥る状態を想定して準備するのが賢明という話で、

更には大きな戦争に備えて

覚悟を決めた方が良いとだけ言えるのかな…

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

多くの人が誰かの洗脳を受けているなんて、

絶対に信じたくないと考えるでしょうが、

そもそもそれが間違いなのです。

 

人間は思考する限り、

必ず何らかの洗脳を受るのだと、

寧ろ理解した方が合理的に思考できると言っておきます。

 

戦争と平和を思考する際に、

必ず飛び出すのが、

「安全」か「信用」かの議論です。

 

双方バランスよく考えればという話なのですが、

「安全」を確保するには、

セキュリティを強化する上で、

資金が必要に成ります。

「信用」むしろ誰かを信用するという意味ですが、

「信用」は反対に損失を被るリスクが伴います。

ある意味「裏切られたら大損」という事です。

 

一般社会の仕組みでは、

法律下の契約を用いることで、

双方の取引のバランスが担保されるわけです。

まあ、契約までの交渉で、

その駆け引きは生じるのですが…

それでも裁判で争うケースも多々あるので、

絶対は存在しないと理解してください。

 

一方が信用を示しても、

もう一方がその信用を悪用するだろうことは、

必ず頭に過る事です。

親、兄弟、子供の関係でも、

実はこの問題は生じるのですが、

寧ろ友人などにも用いられる「絆」というものが

これらを結び付けている訳です。

ところが合理的な思考では、

この「絆」が実は相互依存関係の成立に基づいて、

結びついているものだと理解するべきものなのです。

まあ、そこに「愛情」や「友情」といった、

「情」の概念も存在するゆえに、

人間の思考を複雑化させるのですが、

この「情」の概念が双方で成立して初めて

「絆」が存在するのだと理解した上で、

この「情」は自分からの一方的な気持ちと

割り切って考える方が、

合理的な思考に成るのです。

 

猫や犬などのペットに愛情を注ぐ人も多いと思います。

ペットの思考を色々と想像する人は多いでしょうが、

人間に対して期待するほど、

その自分が注ぐ愛情への見返りは期待しません。

いわば自分が一方的に注ぐ愛情の中で、

ペットたちが自分の愛情を享受して、

幸せそうに暮らしてくれれば、

それで十分と感じれば、

「相互依存」の関係が成立するのです。

 

あえて厳しい言葉で、

この「相互依存」関係性を伝えるなら、

「親は子供を信じるな」と伝えておきます。

まるで子供を信用してはいけないような言葉に

伝わるでしょう。

上記にしるしたペットとの関係性同様に、

愛情の概念で子供を見るのなら、

むしろ信用なんて期待では無く、

逆に不安を抱いて見守るのがその情に値するのです。

むしろ子供からの見返りを期待して、

それに「投資」している感覚なら、

実は愛情の相互依存の成立は

成り立たないという事にも成るのです。

 

見返りを求めず、

子供で言うなれば学校の成績などの成果を求めず、

一方的な愛情を注ぐ形は、

ペットたちにも伝わる関係で、

自然ともう一方から

何らかの形で「愛情」が返ってくるのです。

それを「恩」だとかいう概念に変換するのが、

儒教などの学問に有るのですが、

科学的にはそもそもが違う訳で、

一方的な愛情に対して

その愛情がもう一方の生活に

必要不可欠な存在として成立することで、

愛情を注いでくれる存在への

「依存関係」が成り立つという現象です。

そこで自然と「情の絆」が成立するのです。

「情の絆」の成立によって、

その情を相互で依存している関係が、

相互に「愛情」を示す形と成って、

心地よい関係性が生じるのです。

勿論、難しいのは「子供の自立」という

自然現象との併用です。

過保護すぎれば、子供は自立できなくなり、

自然界という中では淘汰されてしまいます。

ここがペットとの違いでも有るわけで、

親はどこかで子供を突き放さなければ成らないという事も、

愛情に成るのです。

 

反対に子離れしない親は、

子供がいつまでも自分のペットのように

付き従うものと期待する時点で、

見返りを求める関係が成立し、

「絆」では無く、寧ろ「隷属」という関係を構築します。

この場合、

ペットに「お手」などの躾や芸を強要する状態と同じで、

「相互依存関係」では無く「偏向依存関係」と成り、

ペットや子供はいわば条件を満たしてくれる相手なら、

誰でも良い存在に成るのです。

一番解かりやすく伝えるなら、

基本的な会社と社員の関係で、

給料さえ満足に出してくれれば、

会社は何処でも良いと言うのと同じです。

一方の会社は、

あれだけ良い待遇をしたのに裏切るのか

といった感情に成るわけですが、

これがそもそもの「偏向依存」状態だから当然と言えます。

会社が給与の見返りとして

社員に働きを期待しない方が不自然ですよね。

なのでこの関係性で「相互依存」という情で結ばれる事は、

よっぽどそれに代わる「愛情」の関係が成立しない限り、

全ては表面上で口にしている「偽の情」でしか無いのです。

 

人間界では学校という社会教育の中で、

子供が自立していく為の必要性を

本来学んでいくべきなのですが、

その場も今では成績や学歴という概念が先行して、

寧ろ「親の恩返しを示す場」でしか無くなっているのは、

人間的な意味では残念な話と伝えるにとどめておきます。

「絆」で結びつく「相互依存関係」を、

むしろ教育では、

「相互利用関係」で推奨してる状態になるのです。

 

科学的に難しい話に成りますが、

一方的な愛情から自然と「相互依存関係」に結びついて、

「絆」が生まれる現象には、

社会構造上、何の保証も有りません。

その為、儒教であり様々な宗教では、

「道徳」という概念で、

寧ろ人間に社会構造上の恩返しの様な形をを定義して、

自然な関係性で生じる「相互依存」の関係性を、

寧ろ人間社会の機能として「相互利用」で結びつけたのです。

 

勿論、この「相互利用」は必ずしも悪い話では無く、

現代の社会保障制度であり、

ボランティア精神などと、

「絆」の範囲を超えた「博愛」の精神をも育みました。

では何故その素晴らしく見える活動も含めて、

「相互利用」という表現になるのか…

それは「道徳的」または「宗教的」に、

自然とその対価が垣間見えてしまうからです。

いわば活動する本人は意識すらしない場合も多々あるが、

道徳的には「徳を示して人心を得る」、

宗教的には「徳を以て天に認められる」

という打算的な効果が成立して見えるという点です。

SNSなどで陰口で叩かれる様な話ですが、

「そう見える」「そう感じる」は

本人以外知る由もないことであり、

実際にそれを利用する場合も、

そうで無い場合も有るからです。

ところが…こんな正直どうでも良い評価が付きまとうのは、

「相互利用」という社会を、

「情と絆」で成り立つ

「相互依存」の社会に結び付けて考えてしまうからで、

これを貧富が双方が利用し合う

「相互利用」の関係だと割り切れば、

打算的であれ、心からの行動であれ、

「社会貢献」を当然の義務の様に考えるのです。

むしろ社会貢献できるにも関わらず、

社会貢献しない人間を問題視する方が、

道徳や宗教で広まる

「相互利用」に反する行動に成るのです。

 

さて…合理的な表現で

「社会」と「情」の違いを説明した訳ですが、

これに納得した時点で、

貴方はこの理論に「洗脳」されたことに成ります。

実は人間誰しも

思考する限り「洗脳」されていると伝えましたが、

宗教や道徳に限らず、政治や科学であっても、

自分が納得を得た時点で、

必ずその理論に洗脳された状態だと

割り切って考えた方が良いのです。

その上で更なる探求をする意思が有る限り、

人間の思考は向上していくという事を念頭に、

目的と合理的な思考を維持し続ける事で始めて

より真理に近づけるのだと意識するべきなのです。

 

実はこの意識が無い人ほど、

一方的な論理の中の洗脳に留まって、

別な見識に対して拒絶反応を示す行動に出てしまうのです。

一般的に洗脳された状態とは、

こうした症状の事を言います。

 

さて…現代社会は悪い形の洗脳に

留まっていると言っておきます。

先ず、社会の目的が「平和」なのか、「安全」なのかで、

寧ろ「安全」を目的に洗脳しているのです。

多くの人が「平和」と「安全」の狭間で

奮闘するのも理解できます。

先にも述べた様に、

「信用して裏切られるリスク」が、

「安全」考慮する上で最大の焦点と成ります。

ところが「平和」という概念で考えるなら、

信用して裏切られる可能性を相手に意識すれば、

その相手が自分に対しても

同じ警戒心を抱く効果しかない点に気付きます。

交渉の場では、果たしてそこを信じて良いかどうかで、

普通は大きく迷う部分に成るのです。

交渉の場なら、信用できない状態は

交渉不成立で終われます。

 

ところが外交上の場、

ある意味敵対意識を持つ関係上では、

そこで信用できない判断に陥ると、

お互いに安全保障だけを意識する状態と成り、

自然とお互いが警戒して安全意識を高め、

より高度な抑止力という形を模索し、

いわば戦争になる想定の準備に努めるだけなのです。

これが「平和」に反する論理に成る点を、

本来は理解して欲しい。

 

ところが「平和」を考える論理は、

もっと複雑で、

最低でも「相互利用」の関係性が成立しなければ成りません。

ここで言う「相互利用」は、双方の利害の一致です。

利害の一致が上手く見極められたとしても、

「信用して裏切られるリスク」を持ち出されれば、

そこに100%確証できる未来は保証できないからです。

ロシアと欧州の関係性で言えば、

天然資源の交易と不可侵の関係で

利害の一致が成立します。

ところが欧州からすればグルジア(現・ジョージア)が

NATOの加盟を民意的に決めようとしただけにも拘らず、

ロシアが軍事的な圧力を用いたという話も、

ロシアからすれば欧州がNATOを用いて

不可侵を破ろうとしたという論理に成ります。

更にウクライナで同様の事件を発生させ、

双方の利害の一致は完全に崩れた訳です。

誰が裏切ったかは双方の主張で食い違う部分に成りますが、

ロシアのNATO対する敵対意識が薄れていない事を、

欧州側が全く理解していなかった事が、

相互利用の信頼関係を崩したと言っておきます。

 

欧州からすれば

ロシアが欧州を未だ軍事的に敵視しているという点が

明確になったわけで、

ロシアからすれば欧州が逆に平和的な姿勢で

ロシアを誑かして軍事的な拠点を

広げようとしたと成るわけです。

 

どの道、平和という概念で考えるなら、

ロシアが欧州に敵意を持ち続けている方が

間違いにも伝わるわけです。

※本来グルジア(南オセチア問題)の話は複雑で、

欧米とNATOの陰謀と暗躍が明確に見られる事件です。

戦争の勃発もグルジア政府側から仕掛けた形であったが、

欧米側はロシアからと批難を続けていた。

 

隠された事実とプロパガンダに流されたとしても、

安全を念頭においた議論の方が、

洗脳という意味で優位に働く状態と成りやすいのです。

それは西側が敵意を示す、

ロシアや中国でも同じ様に意識される議論と成って行きます。

 

西側、欧米などは信用問題を提起して

安全保障の必要性を議論する訳ですが、

ロシアや中国では、

自分たちのグローバルな影響力を阻害する為、

欧米が現状では抑制を仕掛け、

何れは社会破壊を目論む…

いわば良くて政権転覆、悪くて戦争、

という形で自国の安全を脅かしている

と、言う議論になるのです。

 

実際に欧米が社会転覆であり、

テロ行為の危険性を支持する行動にも着手する為、

ロシアや中国の中の議論も、

その国民にとっては正論に成る為、

寧ろ安全を考えれば考えるほど、

雌雄を決する最終戦争に備える状態に進むことは、

目に見えて解る未来と言っておきます。

 

台湾独立問題を支持したり、

ウイグル問題でテロ行為の危険性を無視して支持したり、

香港のデモを過激的な形で支持したり、

更にはグルジア、ウクライナの世論をNATO加盟に導いたり、

実はロシア、中国に

「信用して裏切られるリスク」を

欧米側が与えている状態なのを

理解しなければ成らないのも事実です。

 

とは言え…自国の安全、安全と

洗脳された状態に留まる政治家を含めた庶民が、

今更ロシアや中国を信用する議論に耳を貸すとも思えません。

 

多少は理性的に見える日本人のヒロユキですら、

非合理的な洗脳された状態に留まって、

戦争する方向の議論に偏っているのだから、

現状は戦争する方向で進むのを

止められないだけと言っておきます。

 

いわば、「相互利用」社会の政治的な悪い面で、

「解かりやすい正義を示して自分の徳(支持)を得る」

で、洗脳に留まる大衆の理解力に合わせて、

自分が大衆の味方で有る事をアピールした上で、

大衆からの賛同を取り付けるという、

典型的な「洗脳スパイラル」が成立するのです。

※まあ、こうした流れで

一番儲かるのは軍事産業という仕組みで、

国民の税金を充てにしてガッポリ稼ぐとなれば、

投機としても魅力的なのかな…

ボーイングとかの株上がったりして…

 

では、彼らに問いたいと思います。

欧米の社会を含む、彼らは知っているはず。

人種、国籍、信条に差別のない社会こそ、

平和を齎す世界で、そこに表現の自由も含まれる。

それを知りえながら、

ロシアや中国といった国家やその人々を

信用しないという議論は、

国籍や信条にたいする差別ではないのか、

という事を考えてもらいたい。

社会に於いて、

我々の民主制の中でも様々な不満や不遇は今だ存在する、

それは別な社会システムに於いても同じである。

勿論、その逆も然り、

民主制を尊重し享受するものいる様に、

別な社会システムにおいても同じ信条にある人も居る。

 

平和を考える上で、人々が信条を対立させれば、

その信条の違いで人は争いを起こす。

その争いを正当化するなら、

それを否定する大衆はもはや存在することなく、

それが「正義」という言葉で彩られるだろうが、

それを以て「平和」を語る事は許されない。

 

人の語る信条が、

衣食住の安定を脅かす社会なら、

それは強いられた虚偽と断定するのは構わない。

ただし真理を見極める上で、

そこを満たす、

またはそこへ向かう途上であるかを見極めねば、

同じ争いも、同じ平和を求める者と争うだけだと、

理解せねば成らない。

何れにしても、

戦うか否かの選択に於いて、

同じ信条に有る者を敵に回すことは、

犠牲を多く強いる戦いにしか成らない事も理解し、

安全と平和は考えられる方が、

大きな間違いを避けられる

 

と、いう事です。

無駄に道徳的に、

人が人を殺してはいけない

と語るつもりは有りません。

寧ろ、戦争というものを前提に、

確実たる勝利に導くのなら、

確実たる味方を得ることが得策で、

その確実たる味方を得られない戦いは愚作であるという事。

孫子の兵法的に言うなれば、

犠牲多き戦いは避けるが上策で、

外交で以て敵を取り込めれば、

それが何よりの最良となるのです。

 

最終的に、どちらが「安全」かつ「平和」なのか、

戦争ありきで平和を最良と説く方なのか、

戦争を全く意識せず、安全を考える方なのか、

合理的に考えてもらいたいものです。

 

どの道、戦争に成って多くの兵器が使われ、

その損失が多ければ多いほど、

実は軍事産業は儲かるという話で、

戦争を意識すればするほど、

自分の税金がそっちに使われるという事は

理解した方が良いです。

 

まあ、平和を語らず

軍事産業への株式投資という話なら、

その手は有かなといった所ですが…

平和な世の中が、

一切の差別を無くした社会で有る事は、

現代なら誰もが理解する所。

 

完全に差別を無くした社会を理想とし、

それに取り組むのは、

欧米が頑張って証明すれば良いのです。

 

しかし、もう一つの表現の自由とも言うべき、

信条の話になると、

どうしても多くの対立が生じ、

差別は勿論、争いの火種に成るわけです。

 

国の社会構成は、

その国を表現する場です。

イスラム教の国が、その信条の下で、

今だいくつかの差別が存在する形で見えるのも事実ですが、

それはその国が国の有り方を信条に基づいて

表現している姿なのだと見るべきです。

これは共産国の中国も同じです。

 

人権問題を提起して、

その国の信条に該当する部分に触れてしまうと、

それはそれで表現の自由を否定する意味に繋がります。

その信条を尊重するか否かは、

最終的にその国民が決める事なのですが、

民主制でないからと言って、

その国民が本当に否定しているとは限らないのです。

 

我々の社会でも、未だ男尊女卑な家庭が存在します。

米国でも存在します。

結局は、家庭内の力関係で自然と生じる事も有ります。

逆にイスラム圏だからと言って、

必ずしもその家庭が男尊女卑という事も有りません。

全ては個々の人、家庭に依存する部分です。

 

我々の社会では、未だ多くのハラスメントが存在します。

これらが公に成るのはごく一部です。

力関係によっては暴かれないままの場合も有ります。

 

其々の信条で実施される社会システムでも、

今だ解決できない問題が生じている訳です。

日本の女性でも

結婚したら家庭に入りたいと願う人も居れば、

自立してバリバリ働きたいという人も居る。

場合によっては共稼ぎで無ければ

生活が成り立たないなどの事情も有ります。

これは欧米でも同じです。

社会でも、女性同士の方が考えが纏まりやすい場合、

その反面、男性同士の方が考えが纏まりやすい場合、

男女の関係でも色々有ります。

 

各国がそれぞれの信条に基づいて、

国を運営して、

国民の生活がそれで衣食住が満たされているなら、

信条の違いで他国が干渉して、

それを崩すことは望ましくない。

仮に、衣食住が満たされず、

その国民の生活が困窮した状態にあるのなら、

その解放は彼らにとって利益と成る。

 

逆に欧米の正義感によって、

多くの人々に自由を与えたいのなら、

移民を開放して受け入れる形を取ればよい。

ところが欧米は移民で問題が生じる為、

寧ろ自分たちへの自由の門を閉ざしているのです。

 

基本的には、

その人がその国の制度に不満を抱き、

別な社会に転身したいと望むなら、

その人間をその国が受け入れる事が

望ましい社会であり望ましい世界に成るのです。

それに対して雇用問題やら犯罪等の生活問題などで

頭を抱える話で移民に対して否定的に成るのなら、

他国への干渉は、

戦争やら社会混乱を引き起こすだけで、

何の役にも立たないのです。

 

ここ10~20年の間の話で、

実は明確な統計ともいうべき実態が証明できます。

他国への干渉で戦争によって政権が転覆した国。

イラク、アフガニスタン、リビアに加えエジプトも含めて、

未だ経済的な効果は出ていません。

逆に欧米との関係性の影響も有りますが、

ドバイで有名なUAE,サウジアラビアなどは、

目まぐるしい発展を遂げています。

また、東南アジア諸国も目まぐるしい発展を遂げました。

東南アジアの多くは民主制でも有りますが、

ベトナムに至っては中国同様に一党独裁国家です。

まあ、中国は言うまでも無く、

米国の脅威と成るほどの発展ぶりです。

 

強引な政権転覆は寧ろ国力を減退化する形でしか無く、

政治信条の話は別として、

大きな混乱を避けてグローバル化の流れに乗った国々は、

大きな発展を為しえた訳です。

そうして考えた上で、

その国民にとっては、

寧ろどちらの方が幸せか、

想像して考えて欲しいです。

 

これでイラクやアフガニスタン、リビアの人の方が

寧ろ共産国の中国の人より幸せと考えるなら、

それこそ今回の本題の

洗脳されて留まった思考と言っておきます。

 

まあ、過去の記事を含めて、

何度も言いますが、

最終的に世界の覇者となるのは、

文化的な影響力を支配した国で、

数十年、または百年先に

世代交代が進み、各国の交流がより通常化する事で、

民衆にとって魅力的な社会であり、

より自由な社会が、

自然と浸透して行くのは目に見えて予測できます。

 

日本が明治維新から第二次大戦後も含めて、

欧米化の洗脳を受けた状態で、

国は発展し、自由も享受できる社会に成ったわけです。

独裁的な軍事国家の大日本帝国時代より、

今のどうしようもない政治家が運営する社会の方が、

全然マシと多くの人が感じるでしょう。

それは欧米の文化による洗脳が、

より豊かな生活へと導いた結果であり、

このいい意味での洗脳が

日本をより自由な形へと独自に導いた結果でも有ります。

 

同じ様に、世界は世代を変えるごとに、

文化的に洗脳され、

徐々に同じ価値観を共有していくのだという話です。

洗脳という言葉を用いて、

気持ち悪い感じに成るとは思いますが、

このブログの序盤で伝えた様に、

人間は思考する限り必ず洗脳を受けるわけで、

それが良い形を齎す洗脳ならば、

それが真理に近づく理論なのだと受け入れる方が、

幸せになれると言う話です。

 

 

 

 

 

どうも・・・ショーエイです。

ICCこと国際刑事裁判所えすが、

所長は日本人で赤根智子と言う人ですが…

この人たち犯罪ほう助している事に気づいていない人たちで、

更には戦争ほう助まで行う始末と、

あきれた組織に成り下がった。

 

最近ではカーン検事の名前が目立つのですが、

先ずウクライナのケースで

ロシアのプーチン大統領に逮捕状出したのは、

明らかに中立性を欠く行為で、

ウクライナと欧州の

プロパガンダを補助しただけの行為にしか成らないです。

しかも罪状が証拠不十分でしかない内容で、

戦争孤児の保護なのか、拉致なのか、

適正に判別できる状況も無く、

むyしろロシアの保護活動を拉致と決めつける内容です。

では、これら戦争孤児となった子供たちを見捨てて、

ロシア政府は見殺しにすれば良かったという話なのですかね?

 

さて中立という部分で考えて見てください。

日本も含まれる西側の陣営にあって、

西側の主張を支持するのは、

これって中立だと思いますか?

まず100億パーセント中立を主張できません。

逆に西側の陣営にあって、

ロシアの主張に理解を示す方が明らかに中立に近いです。

 

では中立的な意味で、

ICCのプーチン大統領に対する逮捕状の意味を考えて見ましょう。

逮捕状の内容は占領地域でウクライナの子供たちを

ロシア領に拉致するように指示したという内容です。

 

ロシアよりの主張であれば、それは保護した訳で拉致では無い。

という主張です。

中立的な立場で見る場合、

欧州側の主張に対しても、ロシア側の弁明に対しても、

決定的な根拠になる証拠はないという事です。

いわば西側の主張が大げさな話でもあるように、

ロシア側の弁明はあくまで言葉上の弁でしかない。

いわばそういう指示が存在した事を否定は出来ないです。

ただし…双方ともに証拠不十分という事で、

この罪状は本来成立しません。

いわばICCの調査権限が及ばないケースにも関わらず、

証拠不十分である状態で、

不当に逮捕状を決定したという話に成るのです。

 

更には人道的な意味での根拠で考えると。

戦闘地域で孤立した子供たち、

いわば孤児ですが、

彼らをそのまま戦闘地域に放置して、

見殺しにしておくほうが人道的なのか?

それとも自国ここではロシア領に成りますが、

自国の安全な場所に保護する方が人道的なのか?

西側の見方では拉致に成るわけですが、

拉致するなら見殺しにして放置しておけという事ですよね。

食事も与えられず、

ただ戦場で爆死するのを見ていろという意味に成ります。

人道的な意味で中立の立場で考えると、

その西側の主張する被害者の孤児たちにとって、

どちらの対応の方が安全なのかという事です。

本人たちの意思を尊重して、

見殺しにするのが良いと主張しているのが、

ICCの逮捕状の意味に成るわけです。

 

これは国連憲章に反する行為で、

人道的な取り組みを無視して、

逮捕状と言う戦争行為へのほう助を行ったという事に成ります。

まあ提携関係であるから

国連憲章を無視してもいいという考えなのかも知れませんが、

現状このICCという機関は

信用に値しない組織と言う位置づけに成ります。

 

国際的に中立でないのなら国際の冠を取り外して、

欧州刑事裁判所にして下さい。

ICCではなくECCで…何か英会話の塾みたいだけど…

 

次にフィリピンのドゥテルテ前大統領の逮捕です。

これも全く調査不十分です。

ここは寧ろ所長が日本人だから、

平和ぼけした判断に成ったと言っておきます。

 

日本人の感覚では、

犯罪組織を捕獲するのに射殺までは考慮せず、

逮捕優先で作戦を実行します。

それでも無抵抗逮捕に応じない場合は、

武力行使という形で突入します。

それでも逮捕優先の為、射殺を避けた作戦を心がけます。

何故…こういうステップが踏めるのか?

日本人の多くは

日本の警察やSATが優秀だからと主張したいのでしょうが、

実際の所、ただ日本が安全だから

それでも成り立つというだけの事です。

寧ろ、日本の安全性は十分に誇っても良いのですが、

その理由は、日本では

銃などの武器を所持できない社会だからと言っておきます。

例え拳銃を持った犯人が引きこもっても、

所詮は一人か二人で、大概は単独犯です。

海外でギャングに該当する指定暴力団に関しては、

警察とあえてドンパチやるより、

寧ろ逮捕に応じて裁判所で争うといった感じなので、

証拠の隠滅はしても、

あえて警察相手に殺傷には及ばないです。

 

ところが海外では…ある意味アメリカでも、

無抵抗を示さない相手には、

容赦なく銃を撃ちます。

そうしないと逆に撃たれるから当然です。

また、組織犯罪の場合、

構成員、準構成員、またその下に位置するチンピラに至るまで、

組織に家族の命を握られているケースが多々あり、

簡単に逮捕に応じない場合も当然と見なします。

警察にっとって一人を逮捕すれば、

そこから様々な情報が手に入るわけですが、

組織にとっては致命的です。

麻薬組織という事も有って、

顧客の情報などは資金源の話に成るわけです。

著名人や政治、経済界の大物など、

当時のフィリピンの状況なら

引っかかる人間は多々居たと思われますが、

チンピラが噂程度も知り得た話から、

そうした情報が流れる事は警戒する所と思われます。

なので・・・家族を人質に、

捕まるなら死ねという形で犯罪組織が統制していても、

不思議では無いのです。

独身者の場合は親、兄弟が対象に成るのですが、

それら射殺された人間の遺族が、

その人物が組織犯罪に関わっていたかどうかを知る可能性は無く、

そうした認識の錯綜から問題化する場合も

想定しなければ成らないのです。

 

更にフィリピンで思い浮かべるのは、

「ルフィー」と名乗った日本の広域強盗事件の首謀者。

彼らはフィリピンの刑務所に収監された状態で、

犯罪の指示を出していた事を思い出してほしい、

いわば刑務所ですらそうした人間が

ワイロなどで優遇を受けて生活できたような社会です。

どれだけフィリピンの社会状態が腐敗していたか、

この事件の例を見ても解かる話と言えます。

 

この様な腐敗した環境の社会は、

さすがの現代ヨーロッパ社会では考えられないとも言えます。

日本では寧ろ「ルフィー」の事件を思い浮かべれば、

フィリピンの腐敗ぶりは納得が行くと思えます。

ところがICC所長の赤根氏は日本から離れていたせいか、

そうした認識は甘いようで、

ドゥテルテ氏の活動を単なる野蛮な行為と認識したのでしょう。

 

その国の政治的な実態を知らない欧州の人間が、

身勝手な正義感で犯罪を決定することは、

機能的ではないのです。

無抵抗投降の有無や、

そうした状況では無い乱戦必須の捜査環境だった可能性など、

更には警察や公共組織の腐敗状況など、

これらを健全化する上での

必要な強硬政策であったか否か。

腐敗化した中での、刑務所での優遇状態や、

そこからの犯罪指揮など・・・

単に捕まえれば良いだけの環境では無いのも事実です。

健全化する上で犯罪に関わる人間を

強硬手段で一掃しなければ、

腐敗状態を改革する術が無かったとも言えます。

安易に逮捕するだけで留めておけば、

まあ犯罪者の考える事は、

腐敗した刑務所から指示を出して、

逮捕した警察機関の人間やその家族を

見せしめで殺せばいい。

恐らくはこれが実態であると言えます。

映画や漫画の世界のようだが、

この実態を「ルフィー」と名乗る強盗集団が

寧ろ証明した訳です。

ならば逮捕では無く射殺しなければ、

寧ろ一掃作戦に従事した警察官や

その家族の命が危ぶまれる。

いわば人道的な方法で逮捕し投獄してきた状態で、

腐敗した社会が形成され、

司法手続きの機能も麻痺する有様を、

ICCが望む人道的な手段でどう解決できるのかという話で、

明確にこの問題の解決法をICCが示せないなら、

この逮捕状は不当逮捕であり

犯罪側へのほう助にしか成らないのです。

 

ドゥテルテ氏の強硬な政策によって

フィリピンの治安は改善したというデータも存在する中で、

ICCが犯罪組織をほう助した形に成って、

再び犯罪組織が暗躍できる環境を齎すのなら、

これほど皮肉な話はないと嘲笑うしかないような話でもあります。

「ルフィー」と名乗るグループの話の様に、

腐敗した社会に戻れば、刑務所に限らず、

警察も買収され犯罪組織が人質リストを下に、

市民を脅えさせることが容易に成るだけなのだから。

彼らはICCの間抜けなほう助によって、

再び警察権力が強制的に排除できない存在と成って、

息を吹き返せる状態になるでしょう。

 

現状、ICCは信用にあたいする組織では無いと判断し、

この様な組織に加盟する利点は一切ないと言っておきます。

国際機関としては、国からの要請に従って、

国際犯罪を取り扱う機関で有るべきで、

これは法治国家の被害届に該当する箇所に成ります。

ウクライナからの要請で

ロシア大統領の犯罪を捜査したという形も

成立しそうですが、

こういうケースの場合、戦争を誘発させ,

逮捕に踏み切ると言った非平和的な解決も含むため、

国際紛争を誘発させるような行為でしか無いのです。

イスラエルのネタニヤフに関しても、

個人的にはパレスティナ人の迫害者という事で

犯罪者認定してますが、

ICCの権限上、逮捕出来ない事案であり、

イスラエル政府からの要望無くして

ICC程度が犯罪認定するのも単なる主張でしか無いのです。

機能的に活動範囲を超えた事案を主張するだけの組織なら、

寧ろ各国が加盟したり協力する意味がない。

逆に欧州の都合で紛争を引き起こすためだけの組織なら、

こんなもの何の価値も有りません。

 

現状の様にICCの身勝手な価値観で犯罪を取り扱う状態は、

分不相応な活動でしか無く、寧ろ加盟国が増えるより、

脱退する国の方が賢明と成ってきます。

ICCが機能的に活動するには、

加盟国を増やして協力関係の下で行わなければ成らないのに、

南アフリカとロシアの外交上の問題に触れたりと、

各国の外交上の自主性に干渉する機関と成っている。

加盟するより

寧ろ脱退した方が国としての自主性を担保できると言えます。

 

国際機関として国の自主性や、

内政不干渉の原理を遵守しないのなら、

この様な機関は機能しない組織として、

無視してよいものと言っておきます。

ICCの活動条件は、

各国からの要請によって紛争に至らない案件に限り

関与が認められるとするべきで、

現状の身勝手な価値観での活動を是正しないのなら、

加盟国はICCの要求に一切に従う必要は無い、

または従っては成らないとまで言っておきます。

 

国際機関としてICCの様な組織に期待したのが間違いだった。

越権行為すら理解もしてない

愚か者の集団とまで言っておlきます。

サダム・フセインのケースの様に、

イラク戦争の末、米国が捕獲した状態を以て、

そのサダム・フセインの罪状を裁くのであれば、

その機関としての機能は十分に果たせます。

 

逆に太平洋戦争または第二次世界大戦を例に言えば、

戦争中にヒトラーであり東條を

戦争犯罪者と断定する事は意味が無いです。

又は戦争に至る前に断定しても、

戦争して相手を捕獲しなければ成らない為、

その判断は各国の政治的かつ民意的な判断井委ねられる。

政治や民意がヒトラーや東條を脅威と見なせば、

戦争に至る決断は自然と成り立つ流れに成るわけで、

司法機関がその戦争行為という大事な決断に

予め善悪を決めつける事は、

政治関与と成る為、

基本的には民主的な機能では有りません。

いわば司法機関としての機能を全うするのなら、

戦争終結後に勝利が確定した後、

戦勝国の大義の説明の一環として、

敗戦国の罪状を調査し判決するだけなのです。

 

逆に全ての戦争犯罪を公平に裁くとするなら、

トルーマンの原爆投下は大量虐殺の判決が妥当と成るわけで、

それ以外にも多々問題は生じてくることに成る。

寧ろ裁判所の立ち位置の都合で、

これらは裁けないとするのなら、

その時点で司法本来の中立、

公平性は守られないのだから、

寧ろ三権分立の機能だけは全うするべきと言っておきます。

 

まあ、最近人間の矛盾に呆れるばかりなのですが…

人を殺すのは良くないと言いながら、

自分たちの為に人が犠牲になるのは問題ないと言っている。

どこかに敵を生み出せば、

その敵とは必ず殺し合いになる原則を知らない事が不思議です。

 

結局は自分の安全だけを都合の良い言葉で語っているだけで、

誰かを怒らせて問題を悪化させ、

最終的には殺意を向けられて殺し合いに成る。

今の世の中こういう価値観ばかりなのは・・・

人間が動物としての知能から脱却できないと考えるべきなのか…

 

ガンダムの話じゃ無いけど、

ニュータイプに成るのは難しいのかな・・・

 

マッカーサーは以前、

日本の民主制は12歳程度の理解力しか無いと言ったが、

今のヨーロッパの民主制は、

老化が進み過ぎて

適正な判断が出来ない状態に成っていると言っても良いかも…

どうも…ショーエイです。

ハッキリ言って、一期目のトランプは酷かった。

ところが現状、二期目のトランプは全く別物に見えます。

 

一期目のトランプは、

政敵である民主党の政策を

全て否定することに翻弄していた感じです。

その為、ある意味ビジネス的な表現で言うならば、

良い商品と悪い商品を分別することなく、

全てを廃棄しようとした。

前職がオバマくんだった事も有って、

良いものまで捨て去ろうとうる一期目のトランプの姿勢は、

米国民の反感を大きく買った感じに成ったのです。

 

二期目のトランプは寧ろ

政敵である民主党を意識せずに、

極力冷静に見極めて対応しようとしている。

と、言うのも、

バイデンのやってきた事が酷すぎた為、

自然とそれを是正するだけで十分なのだからです。

 

現状、二期目発足してのトランプは、

寧ろトランプの人柄の良さが表に出ている感じとも言えます。

表面上は生真面目で、

実際は臆病な政治家が多い中、

トランプは雑な感じがにじみ出るが、

人を見極める度胸が見て取れる感じです。

 

ヨーロッパの政治家に限らず、

日本、アメリカを含めた多くの人は、

自分たちの安全の事ばかりに気を取られて、

ただ単に安全を脅かす存在に恐怖するだけで、

それに備えて戦う事しか思いつきません。

これがどういう事かと言えば、

結局は平和的に解決する思考では無く、

戦争を前提とした結束を

強化する発想しかしない訳です。

これが抑止力に成ると強弁を張る訳ですが、

愚かにもその抑止力を越えて、

寧ろ圧力として用いる為、

敵になる側を刺激し、

戦争と言う形を現実化しているだけなのです。

 

臆病な人たちは、

この結束を緩めれば相手に隙を与えてしまう。

なんて事が過るでしょう。

結果として敵と定めた相手は、

敵でしかない為、戦争の脅威を永続させるだけなのです。

 

もし敵を信用して騙されたら…

油断して敵に隙を見せたら…

 

まあ、臆病な人ほどこういう考えに先走るのです。

 

一方で度胸のある人は「お人好し」では有りません。

一見、敵と友好的な関係を築こうとしたり、

敵との交渉で譲歩したりしているように見えますが、

それは敵と見なしている相手が、

お互いに敵では無いと認識するための必要な作業で、

仮に敵が裏切った場合、

「全力で戦争しますよ」

という姿勢でも有るのです。

 

臆病な人間は、

いざという時に全力で戦争する決断は中々出来ないのです。

バイデン政権やNATO諸国の政治家がその典型で、

第三次世界大戦を恐れて、

ウクライナへの支援で留まったわけです。

一方のロシアは戦略的な問題は別としても、

多大な犠牲を伴っても

全力でウクライナに戦争を仕掛けてきた訳です。

仮に欧米が核戦争も覚悟で、

ウクライナ防衛に動き出していたら、

戦況はロシア不利な状況で終わっていた可能性も有り、

彼ら欧州の政治家や、日本の石破君がいう意味での、

国際社会の結束による抑止力というメッセージは、

明確に響いたかもしれません。

そういう意味では、

全てが臆病者たちの失態を、

今更臆病風に吹かれた状態で吠えても、

何の効果も無く、

ただ単に普通の人たちが、

臆病な論理で一般社会では当然とも言える

法的な抑止力(逮捕)が外交上で通用すると勘違いしたまま、

社会を危険な状態へと誘っているだけなのです。

 

勿論、ロシアの本気に本気で立ち向かった戦争は、

確実に核戦争へ発展するとも言えるわけで、

本気で立ち向かう決断は容易では有りませんが、

臆病者はこの決断を出来ない相手と

見透かされてしまっているのも事実です。

 

さて・・・ここで…

ロシアのプーチン大統領を

怖いと感じてる人は多いと思います。

本気で戦争をしてくる相手だから当然ですが、

それは皆さんが無法状態で

マフィアに脅えているだけと同じです。

警察も機能しない国際社会で、

マフィアに脅えて反マフィアを唱えて、

市民団体で対抗するという論理で議論してるだけなのですが、

結局はマフィアと戦争する流れに向かっているだけです。

まあ、相手がマフィアならば、

それも有りですが、

相手は核兵器を持つ大国です。

全力で戦うという事は、

核兵器に核兵器で対抗する覚悟も求められます。

その決断を出来ますか?

相手は核の報復が有る事を想定した上で、

状況に応じて平気で核を用いる訳です。

 

無法状態な社会では、

マフィアにはマフィア同士で秩序を話し合う。

一般の人がマフィア相手に話し合いをするのは、

大変な度胸が要ります。

言葉一つ間違えば殺されます。

政治権力に胡坐を掻いているだけの政治家は、

内弁慶が殆どで、

自分の権力の及ばない相手と対等に話すことは出来ないです。

相手が同じタイプの普通の人同士なら、

まあそこは普通の人同士のレベルで対等には成れるでしょうが、

威圧の強い相手だったり、大国の当主だったりした場合、

当然の如く脅え切ってしまいます。

普通の人は道徳なんてものが通用すると思って、

キレイごと並べて話をしようとします。

「戦争なんて何の利益にも成らない」

と、言った具合に…

道徳を共有できる普通の人同士なら、

何も考えずに当然として理解できるかも知れませんが、

ところが…別の視点でものを見る

マフィアのような人を相手に

普通の人は道徳でものを語って、

結局はその「敵」の位置づけを

そのまま相手に突き付けてしまうのです。

いわば…マフィア相手に道徳心を説いて語る事は、

「あなたは悪い人で善良な心を理解していない。」

そういう会話をしているに過ぎないのです。

普通の人は人道を説いて説得しているつもりでしょうが、

その行為そのものが、

先ず相手を馬鹿にした姿勢であり、

人道に反するから

あなたは社会の敵だと伝えていることに成るのです。

相手は自分が社会の敵であることを認識している訳だから、

寧ろその警告はマフィア側にとって

「宣戦布告」という捉え方にしか成らないのです。

 

日本のメディアに限らず、欧米のメディアも、

論調は「ロシアは悪い国」という表現で伝えてます。

先ず、この時点で話は一切噛み合いません。

「暴力反対!!」と唱えて、

マフィアの暴力が止まる訳も無く、

無法地帯なら寧ろその市民とマフィアで泥沼の戦争に成ります。

 

マフィア同士ならお互いの利益を理解し、

お互いが「利害」を説くことで、

道徳の言葉と同じ意味の

「戦争なんて何の利益にも成らない」

を伝えられる訳です。

まあ、マフィアと表現してますが、

ビジネスの話では寧ろこれは基本中の基本です。

ビジネス上では法律上の契約が担保されえますが、

無法地帯ではマフィア同士の力関係が物を言います。

いわば約束を違えた場合は全面戦争という事です。

外交上では無法地帯と同じ条件故に、

大国同士がマフィア的な話し合いで事を収める方が、

話が通じやすいという事です。

 

バイデンはロシアを悪者呼ばわりして、

ウクライナのNATO加盟に肯定的な立場で挑んだ。

ここを理解して、

ロシア側がこの表現をどう感じるか…

道徳という概念を語るのなら、

適切な形でロシア側に立って物を考えて見てください。

ロシアを悪者=敵視した上で、

中立で緩衝地帯であるはずのウクライナを、

NATO側に取り込もうとした…

そういう流れに成るわけです。

戦争、軍事の観点でこれを伝えると、

NATOが「調略」によってウクライナを取り込んだという事で、

日本の戦国時代の表現で言えば、

城が一つ奪われた事にも成るわけです。

中立であってもウクライナにはロシアの軍港が存在した為、

ロシアの安全保障上の拠点に成ります。

武力で無くとも、城が敵方に寝返ったという事態は、

敵がそこまで侵攻してきたという形に成る為、

自国の安全保障であり防衛ラインを堅持する意味では、

あらゆる手段で奪還しなければ成らない事態に成るのです。

 

戦国時代では無いのだから・・・

そう考えるのも間抜けな話で・・・

バイデン政権のブリンケンも同じ程度で甘く考え、

結果としてウクライナの戦争を引き起こしたのです。

バイデン政権が「敵」という姿勢で

ロシアと対峙したなら尚更で、

寧ろ拠点を奪われて何も出来ないというロシアを見たら、

西側諸国の人々は

プーチン大統領を「お人好し」、「間抜け」と

嘲笑って喜んだ事でしょう。

道徳を理解するなら、

こういう行為を人道的と言うのでしょうか?

悪者=敵だから当然とするなら、

その時点で意識は戦争している状態と気付くべきです。

 

トランプはゼレンスキーとの対談で、

「自分は中立だ!!」と表現した。

多くの人はロシアよりと考えるだろうが、

寧ろ中立的な見解では、

NATOがこの戦争をウクライナ調略によって、

またもっと遡れば、グルジアに政治的な調略を仕掛けたことで、

ロシアとの関係性を悪化させ、

ウクライナの調略によって戦争行為を決定づけたと成るわけです。

なのでトランプが「中立」と言ったのは、

自国の責任も認めた意味での「中立」に成る為、

その言葉通りの立場であると言えます。

 

ここでトランプの良い所は…

バイデン政権の失策として、

自分が担うアメリカの責任では無いと、

適切な形で切り替えられるところで、

米国の政治責任として考えないところと言っておきます。

これは日本人が

太平洋戦争の戦争責任をいまだ引きずって

当時の東條政権の失政だと割り切って考えられないのと、

逆の現象でも有るのです。

 

合理的な意味で考えるなら、

昔の失政を断罪できない姿勢は、

そのまま断罪を肯定した姿勢に見られるわけで、

何故、自分の政治はそことは違う点をアピールしないのか、

その辺も不思議な話ですが…

頭の悪い人は日本の過去の過ちを認める事は

日本人そのものの資質が疑われるなんて考えて、

寧ろその非合理的な思考の方が馬鹿にされることを、

考慮していないのだと感じるだけなのですが…

 

いわば、トランプは他人は他人、

自分は自分で割り切って、

まだ正直あやうい部分は多々あるが、

自分が正しいと思う事を

スピード感以て動ける部分は、

冷戦時代の錯覚を老害として引きずったバイデンより、

遥かに優秀に見えるのです。

 

また、二期目のトランプは

自分の思い込みの頑固さより、

状況を見極めて修正する姿勢が見られる分、

バイデンより遥かに科学的と言っても良いでしょう。

寧ろ科学的な感じが強すぎて、

色々な実験と検証を優先させるところも有り、

そこに危うさを感じる部分が有りますが、

今の所、修正や調整も

柔軟にやろうとする姿勢が見受けられる分、

良くも悪くも一つ一つの結果は、

今後の参考でありサンプルとして、

活用できる形で残っていくと思われます。

 

正直、ここからの4年間、

トランプの運営が成功するか否かの話で期待するより、

トランプの政治上の実験がどのような反応を示すか、

眺める時間として考えると、

結構、面白い時代と考えれるのですが・・・

経済的な打撃はおおくの人の生活に直結する為、

そこだけは何とか耐え抜ければという所です。

 

カナダとメキシコに掛けた関税も、

以前に締結したFTAの範疇で

調整するという話し合いで纏めたところなど、

ある意味柔軟な姿勢が見受けられ、

ただ単に無謀な事をやっている感じには

今の所見えません。

 

寧ろ・・・

トランプの頭の中は適当な知識で、

感情的に先行して手を打つという部分を

理解した方が良いです。

その上で交渉する側が

条約などの材料を揃えて、

トランプに教えるというより伝える形で、

理解を促す様にすれば、

トランプも納得する形に成ると考えます。

 

1期政権の時は、トランプに「媚を売れ」と伝えました。

結果はその通りの政権でした。

信じない人は昔の記事を読んでみてください。

1期目発足した頃の記事に記してます。

まあ、何故そういう解析をしたかと言うと、

当時のトランプは大統領に成れた事を

寧ろ浮かれている状態にあったため、

王様気取りなのが鮮明だったからです。

 

2期目は1期目終了で多くの味方に裏切られた事も有って、

人材も全く異なる感じで発足してます。

今回の目的は

歴史に名を残す大統領になる

という事なので、目的が崇高です。

トランプは役者でも有るので、

演じる目的が定まればそれらしく演じる力が有ると感じます。

なのでその崇高な目的を崩さずに

演じきってくれれば安心なのですがと今は伝えておきます。

また、周りにはイーロン・マスクは勿論、

科学的な思考で動くタイプの人間が多いようで、

ここは以外にも合理的な議論が活発化してる感じも有ります。

寧ろ、以前の様に「媚を売る」人間は、

トランプでは無く、

寧ろトランプの周囲が敬遠する感じに成っており、

そうした懐柔策は通用しにくく成ったと言えます。

 

先ずトランプ本人ですが、

彼には元々、合理的な議論の中から、

最良を判断できる能力は高いのだと見受けられます。

逆に1期目の様に周りがポンコツばかりだと、

議論の質も悪く、何が最適か感じ取る題材すらない状態に成る。

トランプに対して何を基準に考えるか、

そいう所も含めて議論しないと、

支配なのか、調和なのか、

どういう手段を決断の優先順位にするかで迷走するのです。

ここは殆どの人が見失う部分でもあり、

圧力が効果的なのか、調和が有効的なのか、

そして手段を間違えればどうなるのか…

科学的な議論なくただ単に選択を迫られれば、

直感でしか考えられなくなるという事です。

 

その上で科学的な議論の元、

トランプが計算できるように情報が提供されれば、

トランプはその中で最良を導き出せる能力はあるという話です。

 

歴史的な例で言うなれば、

漢の高祖、劉邦の様な存在。

何となく雰囲気も似ているかな…

史記を記した司馬遷は「頭が悪い」と評したが、

まあ、実際の劉邦はその評価とは違うだろうと言っておきます。

 

劉邦には

蕭何、張良、韓信という優秀な参謀が居たという様に、

現状、トランプ政権にも優秀な参謀が多く居るのだと思います。

偉大な大統領に成るには、

必ずしもその大統領の英知を証明する必要はない。

劉邦を例に挙げるなら、

優秀な参謀と共に英知ある形を作り出せば、

その英知はその主君の功績として結集されるのです。

多くの愚者は、

自らの存在感に固執するため、

英知をまとめ上げることに失敗する。

一期目のトランプは自分が偉大なのだと証明しようとして、

英知を纏める役割の重要性を知らなかったと言えます。

しかし、現状の様に、

多くの英知を他から取り込んで、

英知ある形で纏め上げられるのなら、

その裁量に寧ろ評価が集まる。

 

企業の様に製品を生み出して

利益を上げる事を目的とするなら、

自らにアイデアと発想を持つ人間が望ましいが、

 

複雑な利潤や人間関係が交錯する政治の世界では、

様々な意見から最良を導き出す能力の方が、

重宝されるのです。

 

そういう意味では、

織田信長や諸葛孔明より劉邦や劉備玄徳の方が、

人の上に立つ人間として優秀と言っても良いのです。

 

トランプがどういう失言をしようが、

いい加減な事を言おうが、

全く一向に気にもしないですが、

崇高な目的だけは失わずに居てくれればと願うだけです。

仮に邪な目的を望んで、

米国合衆国憲法にあだなす様な事をすれば、

彼が結集した英知は、全て個々の英知として評され、

彼の名声は地の果てに追いやれることだけは、

知っておいた方が良いと警告だけはしておきます。

 

凡夫として終わるのか、

英雄として終わるのかは、

目先の地位に拘るか、

歴史的な価値を残して終わるかの決断で

変わるという事です。

 

 

 

 

 

 

 

さて…マフィアと表現して、

多くの人は小物のギャングやチンピラを想像するでしょう。

相手が小物の無法者だったなら、

寧ろ簡単に内部崩壊という手段が使えます。

マフィアと表現するのは、

寧ろカリスマ性のある義侠者という意味で、

単なる無法者とは違う意味で伝えてます。

単なる無法者は自己の利益のみ優先して、

力で胡坐を掻いているだけ故に、

その存在に反感を持つ人間が

その側近を含めて多数存在します。

なので内部の人間を懐柔して崩壊に導くことも可能です。

ところがプーチン大統領の

どうも・・・ショーエイです。

以前トランプがフェイクニュースという言葉をよく連呼していたが、

今現在、欧米のメディアはフェイクニュースをたれ流している、

又はある意味プロパガンダ報道によって、

都合の悪い部分を語らない事をご存知ですか?

今から全部ひっくり返して情報を証明しますね!!

 

色々とご主張されている方々も居ますが、

彼らの記憶力は鳥以下なのですか?

 

欧米の政治家もその程度なのか、

それとも民衆の記憶力が鳥以下であることを利用して、

根拠のない主張で聞きごこちの良い言葉を並べて、

自己正当化に努めているだけなのか?

 

まあ、日本の政治家やメディアに限って言えば、

民衆と同じレベルでしかないようだけど…

 

 

ミンスク2 - Wikipedia

 

ウクライナ問題を戦争に進めたのは、

このミンスク2の崩壊が原因です。

 

ウォロディミル・ゼレンスキー - Wikipedia

 

色々な話がWIKIの中に残っています。

彼の政治問題の項目には、

ネオナチとの関係などの記載も盛り込まれており、

独裁者だという表現が

あながち間違っていない部分も見受けられます。

上記に記載がない部分では、

ウクライナに於いて親ロ派の人々は弾圧をうけたという事、

議員資格をはく奪されたり、

選挙資格を認められなかったりという事も発生してます。

正し中立的な立場で検証した場合、

大国との戦争に備える意味で、

挙国一致を唱えるのは戦略的に有りなので、

当方はここは問題視しません。

 

問題視する所は、ウクライナでの戦争は、

十分な配慮があれば避けられたという話です。

 

北大西洋条約機構 - Wikipedia

 

NATOの新米露冷戦という項目に、

ロシアがNATOの東欧勧誘を止めるように求める部分が

書かれてます。

NATOがロシアの前身である

ソビエト連邦に対抗する軍事同盟であった事は、

誰もが知るところと思います。

その崩壊後は自然と、

軍事的に継承したロシアが対象に成っている事は、

その後の動向から誰が見ても明白です。

ウクライナ問題以前のグルジア問題も

ココが起因する部分です。

 

実は今回再就任したトランプの話は、

あながち勘違いではないという事を先ず伝えておきます。

寧ろ今回の反トランプの主張が、

こうした背景を全て隠した上で、

都合の良い形で報道しているに過ぎない点を

伝えておきます。

 

さてこれらの情報を総括して、

何が根本的な問題なのかで考えるなら、

全てはNATOが引き起こした問題なのです。

先ずNATOがいくら言葉上で否定しても、

その行動が対ロシアに向けたものと見なされる以上、

ロシアが軍事的な警戒感を抱くのは否定できません。

言葉で平和を主張する以上、

軍事的な警戒感を払拭する努力は必要です。

その証明が旧ソヴィエト連邦国のNATO加盟を

認めない事なのです。

 

一般庶民は政府が裏でどのような戦争工作をしているか、

全く見えません。

ジャーナリストも表面上に出てきた問題は

報道に繋げられるが、

表面上に出てこない工作は全く手が付けられない。

ウクライナの反ロシア派を工作して、

反ロシア政権を生み出すのも、

ウクライナのメディアを掌握するなどで、

民意の流れをコントロールすることは、

さほど難しくは無い話でもあります。

寧ろ欧米の文化的な優位性を担保に、

自由だの平和だのと表面上で導けば、

若い世代は簡単にそれに感化されてしまいます。

 

これが本当に平和的な形で進むのなら、

それはそれで問題視はしませんが、

ロシアがその手法を対ロシアであり、

ロシアとウクライナの関係性を悪化させる意図で

感じ取ったなら、

それは平和的ではなく敵対行為に成るわけです。

 

欧米の政府は白を切るように、

そうした敵対意思は無いと主張するだろうが、

「言葉では無く態度で示せ」

が、軍事的な基本なので、

態度で示せないなら戦争に成る、と言うのは、

軍事的な見識で考えれば当然なのです。

「兵は詭道成り」

という孫子の文言を何度も口にしますが、

戦は騙し合いなのだから、

騙し合いの姿勢が改善されない限り、

平和からは程遠くなるという事を、

一般人は知っておくべきなのです。

 

この態度で示せが、

NATOが旧ソヴィエト連邦国に対する勧誘を

断念することで、

これらの国々を一切勧誘しない、

又はロシアのNATO加盟が条件という表現で、

将来的な平和を示すべきなのです。

それが無いと、

民意レベルの決断に対して、

常時ロシアが敵視される不安が付きまとうため、

寧ろロシア側の安全保障が担保されない形が続くため、

ウクライナでの行動の様に、

戦争と言う手段を用いて

これに対抗するしか無くなるのです。

 

【欧米のロシア脅威論は見当違い】

現状、欧米というより欧州だけに成るのですが、

ロシアがヒトラーの時の様に、

侵略戦争に味をしめると言うのは、

根本的に見当違いであり、検証違いです。

100%それは有りませんと断言します。

 

寧ろゼレンスキーでは無く、

ウクライナの人々の奮闘が

それに寄与したという形で伝えます。

 

この戦争でロシアは多大な犠牲を被ったわけで、

その実、ロシア国民も

こんな戦争を再び起こしたいという気には成らないと言えます。

これが簡単にウクライナを占領できた話なら、

大国の侵略戦争は簡単だという形で残ったと言えます。

寧ろそういう意味ではイスラエルの方が問題で、

ガザ制圧をかなり速いペースで進められた点が危惧され、

今後も他国との戦争に積極的な姿勢で挑む事が、

危惧されると言っておきます。

 

ロシアの今後の軍事行動が100%無いと言う条件は、

NATOが旧ソヴィエト連邦国への拡大を断念する事で、

それ無くしては再び国の威信を賭けて

戦争に踏み切る可能性はかなり高く残ります。

中途半端な形で終わらせて、

ロシアが再び軍事行動を起こした場合、

それをネタに欧州側が正当化する可能性も有りますが、

その時は地獄の始まり、

第三次大戦に発展すると思った方が良いです。

 

【米露の接近で中露関係に変化】

頭の悪い人は、トランプの思い付きの様な行動が、

どういう効果を齎すか計算すら出来ないのでしょう。

米露の関係強化は、

台湾問題で国際的に中国が孤立する可能性を意味する為、

台湾の安全保障としても効果を与えます。

ただし、これも中国側に配慮する姿勢が大事で、

寧ろ台湾問題で中国政府を刺激せずに、

沈黙を以て問題の鎮静化に繋げるのが得策なのです。

仮に中国が問題を起こせば孤立化すると考えて、

そこを刺激してしまうと、

ロシアが今度は中国に味方する動きに成ります。

その上で台湾進攻が現実味を帯びるかも知れません。

 

現状、孤立する可能性を高めるから、

台湾侵攻を躊躇する心理が強く過るという話なだけで、

国の威信にふれる形に成れば、

ウクライナ問題同様に行動するのは目に見えてます。

また、中国経済が低迷する状態に入ると、

より一層、自暴自棄になる危険性も有るのです。

中国が現状理性的に対応しているのは、

国際社会に於ける中国経済の信用を担保するためです。

中国が経済的に豊かである状態は、

中国政府が極力理性的な態度の必要性を感じて

行動する原動力と成っている訳で、

寧ろこれを壊すことは危い方向に舵を取らせる可能性を

高める事だと理解した方が良いでしょう。

 

とにかく…

世の中情報弱者が多すぎる事と、

情報を知っていても忘れてしまっている人が多いのが問題で、

IQ100前後がマジョリティの人間社会では、

どうしようもない話なのかも知れません。

 

ましてや上記の様な情勢を考慮して、

計算すら出来ないレベルが

政治の世界に蔓延っているのも問題です。

 

民主制というけれど…

情報を限定して、

情報弱者で固めて頭の悪い議論に誘導している民主制は、

本当に真面と言えるのでしょうか?

頭が悪いと言っても、

適切な情報の下で適切に考えさせれば、

庶民レベルでもある程度真面な議論は出来ると思うのですが、

情報が乏しい故に、

単純な好き嫌いか、

身勝手な倫理観で正義感振りかざすだけの話に成って、

平和とは異なる対立へ、そして戦争へと誘っていくのです。

 

IQは上昇します。

適切な情報を与えて、

常に適切な思考で議論する社会であれば、

人は真摯に考えて行くように成り、

IQの平均ももっと向上します。

人は考えるという努力から逃げるから、

知識に頼るって考えずに行動するのです。

 

さて…ガンダムの話には成りますが…

貴方はオールドタイプのままで居たいですか?

それともニュータイプに進化したいですか?

ニュータイプに進化したいなら、

色々と考える事を楽しんで下さい。

 

 

トランプとイーロンが色々と

やらかしている感じで報道されてます。

 

多様性の排除という形で報道されていますが、

それで差別が促進されるという話は、

寧ろ今までの多様性の扱いが、

人間的なものでは無く、精度に従っていただけの物に成ります。

 

寧ろ多様性を理解し、人間的に受け入れているのなら、

そうした制度が無くても変化は生じないはずです。

とは言え、人間である以上、好き嫌いは付きまとうので、

差別意識が無く成るかと言えば違うのですが、

寧ろ多様性と言う括りで区別して考える方が、

不自然なのではという合理的な視点で見ることもできます。

 

現状、法律上で不当な扱いに関しては、

裁判などで争う事が出来ます。

これは多様性の受け入れ関係なく、

基本的には公正な形で判断されます。

寧ろ不当なケースも多様性の中ですら発生すると言えます。

 

では…多様性という意味で、白人の割合、黒人の割合、女性の割合などを考慮してバランスを設けるという仕組み・・・

確かに多様性の理解が乏しい社会では、

制度として強制的に採用させる必要性が有りますが、

米国の社会はそこまで理解力が乏しいのか?

と、考えると…

寧ろこの制度は人間を

区別、分類している制度に成るのではという感じでも有ります。

 

先ず個人的な見解では有りますが、

差別意識を持つ人間なら、

人種、性別に限らず一切採用はしません。

白人の黒人などに対する差別意識は良く知られてますが、

逆の自分が差別される意識を持つ人も、

差別意識を持っている人間と判断します。

 

人種、性別関係なく上手く機能させるには、

全て同じ人間で、

一切能力的に異なる特性は無い事を知った上で、

それを意識していない人間同士の関係が望ましいのです。

下手したら…

「私が女だから…」

「自分はXX人だから…」

と、弱音を吐いたらクビにするかもです。

 

法律上でそこがポイントだと問題視されるかも知れませんが、

私は、

自己的に差別意識を提示した為、

差別の無い形に反すると判断して解雇したとハッキリ言います。

 

同じ人間同士で会社として同僚同士として、

ある意味競い合う部分が存在するなら、

実力を示すことが大事であり、

人間同士として同じ人間である意識が無ければ、

どこかで人間関係に亀裂を与えるのは当然だからです。

 

例えば日本という日本語の社会で、

真面に日本語が話せない人と、

上手くコミュニケーションは取れません。

勿論、日本語が真面に話せない相手は、

大方が外国人に成るでしょう。

だからと言って外国人として差別したという話は

おかしい事にも成ります。

寧ろ日本人の多くは、

一生懸命日本語を勉強しようとする姿勢が有れば、

そういう外国人を大いに受け入れます。

寧ろ日本人でもコミュニケーションを上手く取れない人は、

自然と嫌われます。

 

そういうケースで、

自分は中国人だから日本人は自分を嫌っている、

日本人は中国人を差別している。

そういう気持ちで日本社会に入っていれば、

自然とどこかで亀裂が生じて

良い関係が築けないのは目に見えてます。

また、日本人に馬鹿にされないようにと

強気な態度取る場合も、

何か勘違いした人として扱われます。

 

僕個人の姿勢ですが、

多様性の中に、違和感を感じる異質性は存在する事を知る為、

ゲームなどで英語でコミュニケーションを取る際に、

何か指示を与える場面だったりする場合、

あえてPls(Please)を多用します。

自分がネイティヴから離れていることも理解してるし、

現代のフランクな言い回しや、

ネット用語を違和感なく使いまわせてるとは考えてないからです。

なので出来るだけ丁寧な言い回しで、

私は日本人ですと伝えた上で会話するようにしてます。

 

まあ、その上で失礼な相手にはちょっとマフィア用語入った、

キツイ言い回しで喧嘩しますが…

 

それで何かあっても差別が原因でとは考えないです。

寧ろ人間好き嫌い有るから、そのレベルでしか考えません。

 

相手が自分を嫌いなら、こっちも相手を好きに成らない。

相手がこっちを大事にするなら、こっちも大事に考える。

お金を落としてくれるなら、多少の事は我慢するし、

そうでない横柄な相手なら、相手にすらしない。

 

これって相手がなに人だろうが、男性女性に関係なく、

当然なものとして発生する人間関係です。

多様性社会やそうしたシステムが存在すると、

寧ろそういう人間関係の基礎的な部分が

欠落してしまうとも言えます。

 

外国出身者で日本人と対等な関係を求める人が居ます。

別に求めるのは構わないが、態度がムカついたら、

彼を対等な相手としては見ないです。

これは日本人が外国へ行った場合も同じです。

 

以前、ロスのホンダの社員の方ですが、

現地採用の人で、とても綺麗な日本語で話してくれる人が居ました。

あまり人種に触れたくは無いですが、

白人の男性です。

日本語は丁寧な口調で紳士的だったので、

僕も丁寧な日本語で対応してたのですが、

別な同僚はその人相手に上から目線の物言いをしてました。

この時、この同僚の事が凄く恥ずかしい存在に見えたのは、

言うまでも有りません。

 

多様性の話をする前に、

人間関係の勉強をすることが

現代社会では大事なのではという事です。

なのでトランプがこの政策を排除するっ事事態は

問題視してません。

寧ろその政策が無くなってから、

米国社会がどう反応するのかです。

社会が多様性を理解しているのなら、

法的な管理は公正な形で継続されるだろうし、

区別なき人間関係という形で、

多様性という枠組み無く機能するはずと思われます。

逆に再び多様性の制度が必要と成る社会ならば、

寧ろその社会性の実態をアメリカ人は

恥じるべきとも言っておきます。

 

なのでトランプがその制度を撤廃した事を問題視するなら、

アメリカ国民はそれ無くして多様性社会を

区別なき人間社会いわばNon-Colored、

色無き社会の維持を意識するべきと言っておきます。

 

ただ…トランプのやる事をある程度理解はしますが、

まあ、トランプが本当にノーベル平和賞を望むなら、

ウクライナ問題とセットで

イスラエルとパレスティナ問題を

平和的に解決しなければ成らないのですが、

イスラエルのネタニヤフがその足を引っ張る存在に成る事を、

トランプはそろそろ気付くべきなんじゃないかと言っておきます。

それに気付けなければ、ウクライナ問題を解決しても、

パレスティナ人迫害に手を貸した存在として、

寧ろマイナスに成るだけなんですよね…

どうも…ショーエイです。

今。世界中では可笑しな正義感が蔓延している様に見えます。

 

ところで正義って何ですか?

法律上の正義であったり、倫理上の正義、

社会的正義やらと色々ありますが、

殆どの人が実はどれもごちゃ混ぜで、

矛盾した主張を理解できてません。

 

LGBTに関して言えば、

倫理上の正義の話なら、

LGBTの権利は当然認められるべきと考えますが、

生物学上の正義では異質な行為を

社会的に認めて寛容化するべきではないという事にも成ります。

そういう意味で社会的正義の立場で考えた場合、

法律上では自然学的な意味から

婚姻というのは、

基本的には種族保存を意味する

家族構成の成立で設けられた制度であり、

人類がそれを伝統的な制度として受け継いできた経緯も含めて、

これを変異させては成らないという事に成ります。

その上で倫理上の権利として

LGBTのパートナーシップに関しては、

婚姻と言う人類の伝統に触れることは許さずとも、

婚姻と同等の社会的権利は付与されるべきという形が

適切という事になるのではないでしょうか…

その上で

「ソーシャル・パートナーシップ」

というものを設けるのです。

 

これは夫婦別姓にも対応したもので、

LGBTに限らず男女でも選択可能な制度として

新設するのです。

特に日本では夫婦同姓が伝統的な制度な訳で、

外圧によってこれを覆す必要性はありません。

むしろ国のアイデンティとして、

これらを保持するべきと言っておきます。

そうした選択の幅を広げる意味で、

現状は婚姻という伝統的な制度と、

ソーシャル・パートナーシップという新しい精度で、

分けた形で法制化するべきと言っておきます。

 

いわば夫婦別姓で夫婦関係に移行したい場合、

または同性同士で夫婦関係に移行したい場合は、

パートナーシップの方でという事です。

 

それによって社会的には、

伝統的な婚姻制度を選択するか、

新しい形の夫婦関係を選択するかの

2択が与えられるという意味になり、

LGBTのみが差別化された制度では無い事にも成るわけです。

 

社会に伝統的な制度か、

新しい精度かの選択肢を与えるっ事で、

憲法上の幸福追求の要望に、

ほぼ対立する双方の権利が認められる形と成るわけです。

正直、これ以上の議論は不要です!!

 

これは米国の合衆国憲法にも有りますが、

日本の幸福追求の権利の意味も含めて、

マイノリティの保護に該当します。

欧米というより欧州の方が強いのですが、

例えるならLGBTの権利に関して、

以前はその主張がマイノリティだったものが、

現状ではマジョリティに成った状態です。

では、生物学的や伝統を重んじるある意味保守的な意見は、

現状マイノリティに成るわけですが、

彼らの見識を無視しても良い話かと言うと、

科学的な根拠も含めるとその主張の正当性、

いわば正義は成立する訳です。

ここでいう彼らの正義は、

人類の自然学的な種族保存の作用にたいする主張で、

必ずしもその主張が間違いであるとは断定できないものです。

 

そうした中間線を吟味して考えるのが

本来の政治な訳ですが、

高飛車な言い方をすると、

最近になって普通の人間では

この領域にすら到達できないという事に気づいたわけです。

これはあくまでk学的に法律や権利、

そして社会のバランスを調整して考える領域です。

ただ単に自己主張だけで正義を語る程度では、

思考すらせずに多数決に頼るだけの世の中にするだけです。

ただ、民意が結局、そういう程度の政治を選ぶゆえに、

憲法が保護している部分すら理解せず、

多数決正義をかざしてバランスを崩壊させていくのです。

 

科学的には三権分立という形で、

司法、行政、立法が監視、監督する

システムに成ているのですが、

元々がかなり知性が高い人にしか

解からないシステムだった様で、

知性の低い人間が要職に付いた状態では、

そこに民主主義が適正に機能する為の

重大な役割が有る事すら気付けないらしいのです。

 

独裁者で知られるヒトラーは民主主義から誕生している。

英国の政治家の主張をひっくり返して言うなれば、

ヒトラーも選挙を勝ち取ってあの地位に上り詰めた訳です。

これはトランプも含めて、

更には民主党の重鎮ペロシ(元下院議長)も同じだが、

誰もが権力を握って自己の主張を押し通す為に、

独裁者になる道を知ってか知らず下で歩んでしまうのです。

 

人間議論は労力が居るし、

相手を説得しようとも、中々噛み合わない。

相手が合理的かつ科学的な議論を出来るなら、

その議論は充実したものと成るが、

一般的にはお互いが一方的な正義をぶつけ合うだけで

終わってしまう。

合理的かつ科学的な話に説得力を持たせるには、

言葉を選んで解かりやすくする労力がかかる。

実はこの労力は計り知れないもので、

それでも自己の正義に

執着しているだけの程度が多すぎて、

伝わらない。

故に力でねじ伏せておくほうが

スムーズかつ楽なのです。

 

独裁者を世の中は批難しているが、

寧ろ誰もが独裁者に成ろうとするのだと言うことを

理解しなければ成らない。

そして小さな会社も含めて、

権力の頂点に立った時点で、

その決定権が有る故に、独裁は成立するのだ。

その独裁を監視する意味で、

会社なら株主総会、

政治なら立法、行政、司法が存在するのだが、

全ては力関係でいかようにも

崩れてしまう事を知っておかなければ成らない。

 

そうして考えると・・・

独裁者であることを批難することは全く意味がないのだ。

ほぼ権力の中心に居る人間の99%が

そこを自然と目指してしまう行為なのだから、

それを否定して相手を信用しないという主張は、

ほぼその人本人も信頼に値しない事を

言っているに過ぎないのです。

 

その上で大事なのは何を言っていて、

何をしているかなのです。

 

まあ、ここでウクライナ問題の処理に関して、

トランプの言い分が正しいとか、

ロシアの主張が正しいとか、

と言っても理解できない人には理解できないわけです。

 

では…今のまま戦争を続けさせることが正しいのか?

では・・・どうしたら戦争が終わるのか?

ウクライナが勝つまで続ける?

それで犠牲に成るのはウクライナの人々?

それとも戦線を欧州全域まで拡大させる?

 

ウクライナを支援し、ロシアを嫌う人々にとっては

負け戦に成るから?

まあ、そうだろうね。

ゼレンスキーにしても、

このままでは無駄な戦争に踏み切っただけの人に

終わってしまうでしょうね。

 

別にロシアが負けるまで戦争を続けさせても良いけど…

そこにどんな正義が存在るの?

 

先ず、多くの人が勘違いしているようだけど…

世界全体全体で完全な平和は確立してません!!

軍事的な緊張が残存している状態にある事を、

全く理解していない。

その上でウクライナに軍事同盟であるNATOの勧誘に乗り出す、

ウクライナの民意に働きかけて加盟を促す。

これらを全て軍事的な姦計、謀計と位置付けます。

ある意味革命を扇動するような行為でも有ったわけで、

それに対抗して同じ様にクリミア半島を吸収したロシアは、

NATOと同じ手法で

ロシアの軍事的な拠点を維持したという流れに成ります。

 

正義が平和を維持する意味語られるのなら、

こうした軍事的な挑発、姦計、謀計が発生する状態は、

平和と逆行する一方的な安全保障の主張に過ぎません。

結果、戦争に発展すればその安全保障は政策として失敗です。

その上でのロシアの提案は、

ウクライナの中立性の維持をNATOが担保する事でした。

それに対してNATOは民意ならばという主張で拒否した訳で、

寧ろ民意が流行に流される状態を利用した形に成ったわけです。

民意というのが一見、

民主主義の意味で正義に感じている人も多いとおみますが、

先にも述べた様に、

ヒトラーはその民意によって誕生した訳です。

更には、現状イスラエルのネタニヤフの様な人間を見ると、

反ユダヤの感情が芽生える人も出てきます。

パレスティナ問題で

ユダヤ人の全てが悪いわけでは無いのですが、

流れによってはユダヤ人全てを敵視する人も出てきます。

民意の流行がそういう嫌悪の感情に進めば、

再びヒトラーの様な大量虐殺を行う人間を

支持する流れにも成るのです。

NATOはウクライナ人の反ロシアの感情を利用して、

NATO加盟を「暗に!!」促す形で働きかけた訳ですが、

軍事的な緊張が続く状態であり、

国際社会での発言力で

欧米が優位性を確保する目的で考えるなら、

この行為はNATOの侵略と見なしても可笑しくは無い話です。

昨今、欧米の主張が

内政干渉を通り越して聞こえてくる状態で、

こうした一方的な主張が

支配的に受け入れられる環境を目指しているのは明白です。

いわば欧米の独裁的な支配です。

誰もが独裁者に成ろうとする話で伝えたのと同じで、

ロシア、中国、

そして更にはアラブ諸国であり

イスラム圏の主張からの反論を

一蹴出来る状態にしたいという形です。

 

欧米の」人権問題や環境問題に対する取り組みを

否定もしないし、寧ろ肯定してますが、

内政干渉の下で他国の文化や社会を逆に否定することは、

むしろ欧米が尊重する権利の主張に反する行為なのです。

ここを履き違えると戦争やテロの発生に繋がる事を、

先ず理解するべきと言っておきます。

そういう意味で国連には内政不干渉が有るのです。

本来、ウイグル問題同様に人権問題と関わる話の場合、

相手の内政問題に関する部分は考慮した上で、

一歩引いて交渉を進めるべきです。

虐待や虐殺が生じている場合は、

その改善を主張するのは問題ありませんし、

それに対する制裁処置は有効手段です。

しかし、言語教育に関する問題を虐待と主張するのは、

見当違いにも成り、

テロ抑止の為の監視も内政問題として

考慮されなければ成りません。

監視せずに中国でウイグル人のテロが発生して、

欧米が独立運動だから問題ないとすると、

それは軍事緊張下では姦計、謀計によって

人権問題で口を挟んだ国が

侵害行為を扇動したことに成るからです。

その上でどういう扱いが人権問題として適切であるか、

内政問題と人権問題改善を調整して行かなければ、

謀略を狙っている形にしか見えなくなるのです。

 

欧米更には日本も含めて、

政治家は軍略的な知識が無いのか、

それとも子供の様に戦略ゲームで考えているのか、

何れにしても彼らの語る安全保障は

平和を維持する話とは異なり、

ただ単に緊張を高めているだけの間抜けな思考なのです。

一般大衆がこうした話に疎いのは、

所詮は平和ボケ教育しか受けておらず、

レベルが低いので仕方のない話とも言えますが、

最大の安全保障は平和の維持であることを踏まえて、

何が対立を生むのか、何が調和を齎すのか、

よく考えて見れば解るはずと言っておきます。

 

漫画やアニメの様なレベルで

正義を考えている人が多いようですが、

寧ろ、最近の漫画やアニメの作品で見受けられる、

正義とは何かを問う形を真摯に考えた方が良いです。

 

ある意味、正義を個々の倫理基準で

考えている人が多いわけですが、

人が人を殺してはダメだと言う話なら、

自分の信念として生きるだけにすればいいのです。

倫理観でそう唱えながら人の心を平気で傷つけて、

中には知らずか自殺に追い込む人間もいるわけだし、

法律で禁止されているから人を殺さない人も多く居ます。

寧ろそういうクズを見たら殺したくなるという人も居る訳で、

人によってはそれも正義です。

結局は正義と称した倫理観のぶつかり合いで、

最終的にはテロや戦争が発生する訳です。

 

ここまで語ってキリスト教の教えが主流の

欧米の人々にに伝えるなら、

キリストの「自分を愛するように隣人を愛せ」

という哲学をもっと深く理解して欲しい。

キリスト教徒じゃ無からか、

哲学として理解しているからか、

この言葉にはとても深い意味が有るわけで、

孫子の兵法で言うなれば、

「戦わずして勝つ」という哲学にも成る。

 

孫子的な表現でこの哲学を語るなら、

己を知り、相手(敵)を知らば百戦危うからず、

尚以て、交渉(外交)を以て相手を制する事、これ最良の策成り。

戦わずして勝つは己の得る利と定め、

相手の損を求めるはこれ即ち下策なり。

 

実は平和を追求する哲学としては

「自分を愛するように隣人を愛せ」と同じ事。

まあ、哲学では無く、

表面上の言葉で考える人には

理解できないかもしれないですが、

そういう時は、

「別にアホな隣人まで愛せ」とは言ってないからね。

と、言って上げましょう。

 

いわば…相互理解が成立しないなら、

孫子の兵法同様に、下策でも良いよという話で、

だったら「殺し合いで決着付けようか?」

という意味でも有ります。

 

相互理解さえ成立すれば、

人は争うことなく平和的に利益を共有できるという哲学なのです。

 

まあ、信長たま的正義を語るなら、

「平和と秩序を理解できない者は全て排除」

に成ります。

 

相互理解という事をここで伝えましたが…

これって中々成立しないですよね。

と、言うのも教育レベルが低すぎるからです。

学校教育のみならず、書物のレベルも低すぎて…

 

孫子の兵法の中訳書など色々出てたり、

ビジネス応用とか出てたりするけど、

 

「敵を知り」という意味を、

相手の情報を知る事に集約して考えている点です。

 

先ず、同じ孫子とされる孫武の記した内容と孫ピンの記した内容では、記憶が確かならと言っておきますが、

確か言葉が逆なのです。

本家孫武の方は

「己を知り、敵を知らば…」

そして孫ピンの方は、

「彼を知り、己を知らば…」

解からない人も多いと思いますが、

これ言葉が逆だと、思考も逆に成ります。

 

孫ピンの表現に成ると、

相手の情報を知ってから、自分の事を考える意味に成り、

相手の情報を精査した上で、

自分の戦力などを考慮して作戦を練る様な意味に成るわけです。

実際にエピソードも、

相手の癖を見破って計略に嵌めた形で描かれるわけですが‥‥

とにかく敵を知る事が大前提で、

己を知る部分に関しては

寧ろ相手に己を知られないように隠す形に成ります。

基本的に一般の人には

これが常識という意味で理解されるでしょう。

 

実は孫武の意味も、言葉が逆に成っているのに、

同じ意味で考えている人ばかりなのです。

まあ、孫ピンが孫武の子孫だから、

同じ意味で理解したと錯覚した人が多いのも無理は有りませんが、

数千年の歴史を通してもこの違いを解説した人が居ない、

もしくは解説しても残っていないのは残念な話です。

 

勿論、相手に情報を知られないようにするのは当然ですが、

己を知るが先に来る場合は、先ずは己の状態から精査します。

どの情報が敵に漏れていないかを考えるより、

全て情報が洩れるだろうっという事を想定して、

記憶を遡って敵がどういう情報を手にするかを考えるのです。

 

そんな奴歴史上に居たか?

実は日本だと織田信長が居ます。

関所を撤廃することは、寧ろ他国の間者に無防備に成ります。

その状態でも戦に勝てたわけです。

長篠の戦いでの酒井忠次とのエピソードが有るように、

敵の間者が潜んでいる事を想定して常に行動している訳です。

 

話を戻して、

己の状態から精査すると、実は敵の見え方が全く違うのです。

考え方は相手が自分を相手に何を探るか、

そして何を考えて戦うか、

更には相手の目標は何に絞られるだろうか…

など、と相手が考えそうな事を思考し、

それに対応する守りを固めます。

同じ様に感じるかも知れませんが、

相手の情報に対してもここで見え方が異なるのです。

先に相手が自分に対して想定しそうな事を考えている分、

入ってくる敵方の情報でおおよその見当が立ってくるのです。

いわば一番見えやすい情報である行軍進路だけで、

ほぼ相手の作戦が見えてくると言っても良い話です。

更には己を考える上で、相手が自分を潰す場合、

どれだけの軍備を備えてくるか、最大限に想定して考えます。

ここが孫ピン兵法との大きな違いに成ります。

ただし、孫ピン本人がそうだった訳では無く、

孫ピン兵法を解釈した人たちの話に成りますが、

敵の情報をつぶさに探りを入れて精査している場合でも、

その情報が正確な場合も有り、そうで無い場合も生じます。

ただし、情報を精査しているという自意識から、

敵の軍備をピンポイントで割り出そうとするのです。

現代でも、MI6、MI5という英国の諜報部隊やCIAなどが

ロシアの兵力や軍備を見誤った位です。

確かに現存兵力や軍備などは正確だったかも知れませんが、

生産力や増強力という部分では

過小評価していた可能性は伺えます。

勿論、ロシア側もNATO総掛かり相手に想定してたわけですが、

ウクライナの抵抗力を見誤っていた感じです。

 

孫武の残した言葉には、

「兵は詭道成り」という言葉も存在し

戦は騙し合い故に臨機応変に対応せねば成らない、

と、言う言葉も含めて考えなければ成りません。

いわば自分の手にした情報が正確か否か、

相手が騙す為に流したデマか…

相手の情報に頼るとそうした所で目算を誤るのです。

 

逆に己から考え、

自分が敵側の人間ならどう考えるかを想定している場合、

自分が行うだろう癖であり戦術も見えてきます。

いわば自分が敵を知ろうとするように、相手も自分を知ろうとする。

「己を知り、敵を知らば」の中にはここも含まれます。

敵が自分に対して備えてくるだろうこと、

自分を粉砕するのに考えそうなこと、

これらを見据えて最大限にどう備えてくるかで思考するのです。

 

99%の人が孫子を知って孫子に至らずで終わる。

多くの人が孫子を知っているのだが、

孫子に至る人は殆ど存在しないと言っていいです。

孫武のもの孫ピンのものどちらでも、

そこに書かれた文言を解釈して理解する人は多いが、

結局、総括した意味を理解できる人は殆ど居ないです。

 

孫子が伝える真髄は、

敵は同じ人間で

自分と同じ様に考える相手であるという事でしかない。

「百戦危うからず」という言葉も、

「百戦百勝」と解釈する有様では話にすら成らないです。

最終的に自分と自分が戦った際に、

どういう形の決着が「危うからず」に値するのか…

自分同士で死ぬまで力の限り戦う事なのか、

それとも自分同士で利を分かち合う事なのか、

最終的にはそういう話で有るのです。

 

こうした事は倫理的な意味で理解しないで欲しい。

これはあくまで自分の利を追求した話で、

結局のところ争って利を奪い合うより、

利を分かち合う方が、

危うい状況を回避できる最良の選択だという事です。

正直な話、

一般社会でも相互理解できるもの同士なら、

全く争うことは無いのですが、

人間に他人への不信感が存在する限り、

人間同士なかなか簡単な話ではないのも事実です。

少なくとも国家間同士であり、高尚な政治レベルでは、

こうした垣根を取り払い、

上手く付き合っていける世の中に成長して欲しいものですね。

 

【第三十九話 噂と実像 其々の恥部】

桶狭間へのカウントダウン 残り12年
〔ドラフト版〕

 

信長の失態は、吉乃との恋愛に溺れ、恋敵である土田弥平次を謀計に嵌めて抹殺しようとした事である。

結局、信長は実行に移す前に躊躇し、あえて弥平次と共闘して野盗団を討伐する形に変えるも、事態を予め聞き知っていた野盗団が土田城を事前に襲撃した事で尾張土田氏は滅んでしまう。

この尾張土田氏はいわば信長の母方の実家で、これが元で母・土田御前は筆頭家老林秀貞と共に、信長の廃嫡を信秀に直訴した。

勿論、信秀も状況は把握するところであったが、

あえて直ぐに廃嫡と言う判断には至らなかった。

筆頭家老の林秀貞も土田御前に同調して意見を述べたが、

父として信長を愛する信秀にとっては、

逆に信じられないという状況でもあった。

勿論の事、

信長には弥平次を抹殺する動機があるのは理解するが、

信長の教唆で土田城を野盗団に襲撃させた根拠も無く、

その信長が無責任に土田城を見捨てたという状況でもない。

反対に信秀の情報筋から

信長はこの件で弔い合戦に挑もうとしている話も聞いているのだ。

父として信長を信じたい気持ちから、

信長が弥平次の器量を計る意味で今回の作戦を計画したのではという親バカな期待を過らせたのも事実だ。

言うまでも無く、この事件は織田弾正忠家としてあるまじき恥部にもなる。

いわば弾正忠家嫡男が恋敵を見殺しにして誅殺した様な事件だ。

更にはそれで母方の実家を消滅させてしまった。

傍から見れば良い笑い者である。

それは林秀貞も承知の事。

故に信秀はこの件は口外せぬように固く命じたのだ。

勿論のこと、口止めを命じたとしても直近の噂としては、信秀の正妻の実家が野盗団の襲撃に有った事は広まり、そこに嫡男信長が駆けつけたという美談に近い形で一応は映った。

勿論、吉乃の嫁ぎ先であったとか、吉乃と信長の関係は寧ろ家中の一部の人間しか知りえない事で、噂で広まる前に口止めすればそこは防げるだろう。

信長の廃嫡を考える林秀貞は、その辺は機転を利かせた上で、信長の話が寧ろ美談に映らないように手配した。

いわば口々で信長を「大うつけ」と罵り、「母方の実家の救援を任せられながらも失態を犯して救えなかった。」

という形で。

弾正忠家にとっての恥部となる部分は、「嫡男が恋敵である母方の実家を野盗団に襲わせた」と思われる部分で、いわばそれを隠せば信長の失態をどう表現してもいいという形で秀貞は理解していた。

無論、信秀も廃嫡まで唱える土田御前や秀貞の怒りは理解する所で、信長を罵しりたい気持ちまでは制御できない。

 

さて、この話が美濃の斎藤道三にはどう伝わったのか。

いわば秀貞の言葉が先ずは伝わってきた。

「信長は大うつけで母方の実家への救援に失敗して、それを全滅させた。」

という事だ。

勿論信長は今、弔い合戦に挑もうとしているが、その成否は寧ろどうでもいい。

反対に母親である土田御前まで怒り心頭であるという話。

それらを踏まえて道三の目には、尾張こと織田弾正忠家は家督相続で割れる、という部分だ。

ただ信秀はまだ若く、30代半ば過ぎ故に今すぐという事も考えにくいが、廃嫡という話まで聞こえてくると荒れる要素は十分に考えられるのだ。

道三の目から見れば初陣を終えたばかりの子が救援に失敗しただけで大うつけとはと、思う所だが、それが母方の実家であったなら事は荒れるのも無理はない、という見識で受け取った。

 

弾正忠家の恥を晒さず、信長の悪い噂として流すには、

「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」

とすることだ。

謀計に長けた林秀貞からすれば、流言飛語はお手の物と言える。

道三の見識の通り、初陣を終えたばかりの子にその責を押し付けるのは可愛そうだと考えても可笑しくは無いが…

以外にも噂話をそこまで深く考えてくれる人は、現在でも少数でしかない。

仮に「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」という形で歴史資料に記載があったとしよう。

歴史家たちは既に信長の実績を知っているため、信長を大うつけとする事は無いが、恐らくこの内容でそのまま信長と土田御前が対立した事実として真に受けるだろう。

信長が何故その救援に遅延したのかまでは研究しても、これが誰かの流言飛語いわば噂話を広める策だったという事までは考えないと言える。

仮に林秀貞あたりがこの時分に流した書状だった場合は、その可能性が過るかもしれないが、大方は流言飛語とする方を憶測として扱うだろうと推察できる。

実はニュースの見出しは、この流言飛語と同じ手法で構成されている。

いわば解かりやすく短い文章で、曖昧に伝える。

例えるなら、以前話題に成った自民党と統一教会の関係も、

「自民党に統一教会の影」という見出しにする方が、ニュースの見出しとしてインパクトが有り、読み手も「影」という曖昧な表現に引き込まれて「何か裏が有るように記事を読んでしまう。」

まあ、ニュースだから本当だろうと思ってしまうだろうが、裏の取れていない内容まで「影」という言葉に流されてしまう。

 

また流言飛語はゴシップと同じ要素で機能し、人の妬みに付け込んで信じ込ませるものだ。

ある意味、

「信長が母方の実家への援軍に遅延して救えなかった。」

の話は、寧ろ領主の子という特権階級の信長の失態を笑いものにするための内容に成る。

本当かどうかは実際に土田城が襲撃を受けて廃墟化したのを確認するだけで、援軍に遅延したという理由までは寧ろ伝え手の言い分が浸透する。

いわば戦国時代の技術では遅延したかどうかは後日では確認できない事でもある訳だが、「土田城が襲撃を受けた痕跡」、「それが信長の母方の実家」まで確認できれば事実だと認定してしまうのだ。

その上で「遅延して救えなかった」は事実とは異なっても噂の聞き手は確認できないけどその通りなのだろうと考えてしまう。

ゴシップ記事も同じで、芸能人がホテルで合コンを開いていたという事実が確認できれば、あとそこで何が起こったかは確証の無い内容でも信じ込ませられる。

逆に事実なのかどうかは別として、時間の経過した話だと現代科学でも確認できないのも事実なのだ。

仮に性犯罪が有って直ぐに遺伝子捜査でも出来るなら別という話に成ってくる。

証言者が本当は何者なのか…

嘘か真かの区別も実は読み手は解らない。

流言飛語のテクニックは、見える実態を下に、如何に見えない実態を信じ込ませるかに成ってくる。

i一見、現代で言うフェイクニュースを連想するだろうが、実は報道の手法そのものと言っても過言ではない。

良く知られているのがインタビュー記事などで一部だけを抜粋して記事にする方法だ。

いわば印象操作の手法が昔にも流言飛語として用いられていたと考えれば想像しやすいだろう。

 

流言飛語などの噂の怖さは、言葉が独り歩きする事だ。

誰かが噂の根源を聞いて、

「それでは信長さまはまるで母親を見捨てたようなものだな」

と言うと、それを聞いた人は、「信長が母親を見捨てた人」として認識し、それを他で伝える。

自然とそれが「信長は母親見捨てるほどの悪人」の様な形で広まってしまうのだ。

すると今まで信長を慕っていた農村の人たちまで疑いの目で接する心情に発展する。

 

さて、一方の信長だが、その噂の根源の弔い合戦に挑もうとしていた。

勿論通常の戦闘では雑兵は捨て駒扱いで前衛に立たせる。

それは戦闘慣れした後衛に控える部隊が上手く敵の隙をつくためとも言ってよい。

味方の前衛が敵の前衛を押し込んで敵の後衛に迫ればそれだけ戦は有利に成る。

戦国時代前期の戦の構成は明確な資料が乏しくハッキリとは言えないが、恐らく雑兵は槍主体で、木の盾を持参して戦ったと言える。

映画やドラマの戦国時代の戦闘シーンではこの盾をあまり用いていない。

実は盾無しで突っ込む映像は寧ろ無謀で愚かしいと見えるのだ。

先ず先行して弓矢が飛んでくる事は想定できる話で、その弓矢を槍だけで受け流すなんて達人レベルの話で雑兵にそんな戦闘術が備わっているとは思えない。

寧ろ、雑兵でも木の盾なら戦闘前に薪やらの為に集めた木材を自前で加工して持って行く準備は出来るだろう。

一部の資料では槍でも竹やりは自前だったという記録もある。

ある意味、生きて戦争から帰ってくるつもりなら、生きて帰る知恵と準備は当然で、そういう意味では日本でも盾は必需品だったと考えても良い。

この盾の代わりに頭に被る陣笠が用いられたかは別であるが、陣笠に成ると構造がすこし高級で、鉄や革で作られた物となる。

現代で言う建築現場のヘルメットの様なものだが、それらが支給品だったのか各兵士が自前で用意したのかは不明だが、自前で用意した可能性は高いと感じる。

更には一揆相手に正規軍でも苦戦したり、秀吉が後に刀狩りを行ったことまで参考にすると、当時の雑兵の装備は槍や刀も含めて持参した可能性は高いと考えられる。

ある意味鎧や陣笠は使い捨てでは無いので、新兵として参戦する際に領主が支給するという事も考えられる。

そうして陣笠が盾の役目を担っていたとするならば、雑兵の装備は絵巻などで描かれるようなそれ相応の物だったと考えても良さそうである。

 

さて…敵の野盗団こと賊徒たち拠点だが、どの様な物であったのだろう。

清州から西の津島にかけて特に炭鉱や鉱山らしきものが有った形跡は見受けられなかった。

賊徒のアジトといえばこうした鉱山跡地を連想するが、立地から考慮すると深い森の中に母屋がいくつか存在する砦を形成する形が考えられる。

森林に遮られて見つけにくいとはいえ、一度発見されれば場所は特定されやすい形になる。

応仁の乱の頃、賊徒を率いたとされる骨皮道賢という人物が居るが、彼は侍所所司代の被官、いわば役人として盗賊らの監視役にありながらそれらを従えて自らの兵力としていたという。

現代風に言えばマル暴の捜査官が暴力団を従えていたという話に成るだろうが、現代より組織統制がはるかに曖昧だった時代ゆえに、任侠映画に出てくるような話も寧ろ当然の時代だったと考えられる。

そう考えると彼らのアジトが目立たない場所で集落化した形であった事は不思議ではないと言えよう。

そして骨皮道賢の例がもっと一般的だったと考えると、この地域の賊徒は清須の織田大和守側と通じていたとも考えられる。

尾張土田氏の所領に近いとはいえ、元々尾張土田氏は六角氏から斯波氏に外交官として土着した家柄で、所領の周囲は清須主体の地域と成る。そうなると自然、守護代の織田大和守家の管轄と考えるのが当然と言えよう。

そうした大和守家の誰かが彼らを囲って自らの兵力としていたとするならば、この野盗団は戦国時代の一般的な言い方をすれば野武士の集団という形で考えられる。

その集団に弾正忠家の信長が戦いを挑むという形に成るわけだが、

昨今も同じでそれは政治的に扱いにくい部分ともなる。

更にはその賊徒が土田城を襲撃したという話に成れば、清洲側もその野盗団を擁護することは出来ないのが実情と成るだろう。

大和守家の黒幕の誰かが彼らに手を差し伸べられるとするならば、元々の摘発というべきか信長の襲撃に備えて他の野武士集団から援軍を募って宛がうことぐらいに成る。

 

寧ろここで政治的な話で考えるなら、野党団の襲撃を受けてお家断絶状態と成った尾張土田氏の所領を誰が引き継ぐかと言う話に成るのだ。

 

この様に再度状況を整理して考えると、信長の弔い合戦は単ならる弔い合戦に有らず、尾張土田領を巡って大和守家と弾正忠家の駆け引きの場ともなっている事が伺える。

また、この場所は清須城に程なく近い場所である。

いわば信長は知らずしてこうした複雑な問題を一気に引き起こしたことに成るのだ。

 

歴史上で謎めいた部分は、資料が混在し事実確認が不明瞭なものが多い。

信長の母親の実家である土田氏の存在、そして信長の嫡男信忠の母であるとされる生駒の方または吉乃の存在など…

更には生駒家の家系図で何某弥平次と記されるに留めた、吉乃の前夫の存在。

本来、史書の中で何らかの痕跡を明確に残しても可笑しくない部分が、謎として残るには、それだけ当時語られては成らない何かが有ったと推測した方が良い。

いわば天下人にまで上り詰めた信長にとって、どうしても触れられたくない過去に成るのだ。

 

この事件はいわばそれに値する話で、結果として母方の実家を潰したに留まらず母親との因縁に結びついて、後の弟・信行(信勝)との対立にまで発展し結果としてその信行を抹殺する流れにまで成るのだ。

あくまで起因を作ったのは信長である。

そして事件としての正当性で言うなれば、母方の勢力の方にある。

勿論の事…その母方の勢力では天下すら望めなかっただろうが…

信長自身が自分に非ある事ゆえに、母と信行側に首謀各として従った林秀貞や柴田勝家も許し、また一度はその信行も許し、母親である土田御前も咎めなかったと考えるなら、この決着の付け方にも納得が行くのである。

更には家中を纏める権威を維持する上では、恋に溺れて母方の実家を滅ぼしたなどというゴシップは信長の反勢力の格好の餌に成る。

逆に、母方の勢力がそれを用いる事も想定されるが、この当時内外に敵の多い弾正忠家にとって寧ろ信長の失態で生じたお家騒動は大和守家や伊勢守家に付け入る隙を与えかねない流れに成る。

故に信秀存命中は口外させなかった話に成る。

また後に信行側の首謀各と成る林秀貞にとっても、信長付の筆頭家老として自らの謀計で信長の失態を招いた事実は秀貞自身の立場を揺るがす恥部とも成るゆえに、触れられたくない話として一致することに成る。

いわば信長と吉乃の間を割くための謀計を案じたのは秀貞本人であるからだ。

信長にとっても秀貞にとっても恥部となる話ゆえに、双方の誰もが触れてはいけないところで纏まったという流れで良いだろう。

 

では、信長の母親、土田御前の立場としてはどうであろう・・・

信長の行動に怒りを覚えるのとは別に、自身の実家が野盗団の襲撃にあってお家が断絶したとあってはその土田家の風格に関わる話に成る。

いわば戦場で落とした命では無く、盗賊に襲われて失った命に成るからだ。

むしろ土田御前としてはこの事件そのものを隠したいという流れが生じてくるのだ。

仮に史書として土田御前の実家は野盗の襲撃にあってお家が断絶した尾張土田氏という話が残れば、自身の出自に誇れるところがないどころか、寧ろ天下人と成った信長の実母としての風格にも傷がつく。

既に林秀貞が流言飛語として「信長が実母の実家の救援に遅延した」という話で広めているが、後の公式声明で「その土田氏は弾正忠家の奥方とは全く関係が無い」と広めれば、誰もが単なる噂話だったという事で事件そのものを忘れてしまうのだ。

無論、一部関係者の口止めをした上での話だが、これは現代社会より当時の方が遥かに成り立ちやすいのである。

歴史に残る辻褄の部分で言えば、土田御前の出自が曖昧で、様々な説が語られている点を考慮するなら、本人が出自に関して誰にも伝えていない点が明白と言える。

唯一、孫にあたる信勝には「土田政久の娘」である事のみ語られているとされる記述が残ると言う。

ここは寧ろ土田御前が信長の生母である点を裏付ける話として考えるべき部分で、その他の説は恐らく信秀の側室として輿入れした人物を信長の生母では無いかと推察しただけの話として考えるべきである。

いわば信長の生母の出自が公には公表されていなかった事を裏付ける話として考えるべきで、それ故に歴史の中で様々な憶測が考えられ記された結果と見る方が辻褄が合うのである。

 

さてここでは信長の一大事件として描いてはいるが、結局のところ世の中では噂話で曖昧にされた事件で、単に信長が野盗相手に軍事演習していただけの話に終わってしまうのだ。

それ故に史書のどこにも残らない、語られない部分を描くことに成る。

 

神秘的な表現で伝えれば、これらは信長の魂の記憶を辿った話と言おう。

科学的な表現ならば、心理学と行動学、歴史的な事象研究と推理を用いて初陣してから濃姫の輿入れまでの空白の期間を割り出した話としよう。

 

小説として描くなら、大和守家の黒幕が糸を引いて、この事件を利用したとする方が面白みのある内容に成るだろうが、事実はもっと単純なものである。

大和守家の黒幕が考えれる程度は、野盗団が信長らの襲撃計画を察して黒幕に相談したところ、黒幕は他の野武士または野盗団に連絡を取って援軍を募ったという所である。

そこでようやく、

 

「土田城をそのまま襲撃して、土田氏を全滅させれば面白い事になるやもしれんな・・・」

 

と、言った具合に算段が整うのだ。

いわば現状土田氏は弾正忠家との繋がりが強く成った家柄故に、事件が生じてその家が断絶したなら、そこは大和守家の所領にと言う話が通りやすくなる。

襲撃した野盗団を上手く排除した形で治めれば、自身の手柄としてその地を手に入れる事も・・・と考えるのだ。

 

小説であれば黒幕が糸を引いて信長の行動まで算段するような形で描くだろうが、実際の流れはもっと時代劇に近い流れで動くと言っても良い。

 

そして今度は信長の部隊とこの野盗団が戦うと言う状態である。

 

兵力的には野盗団の方が多く、この黒幕は信長を仕留めるまではいかずとも、信長の部隊を蹴散らして撤退させてくれれば、弾正忠家が土田氏の跡地を拝領する主張は通りにくく成ると考えていた。

 

果たして信長はどう戦うのか…次話につづく・・・

 

うつけの兵法…ほぼ半年ぶりに更新かな…

どういう戦いなのか…いろいろ検証中だったこともあって、

中々筆が進みません。

まあ、モチベーションもちょっと下がってる感じなんですが…

 

普通に考えれば、

ワ―って感じで計略ぶち込んでみたいなの想像するでしょうが、

リアルな戦闘はそうじゃ無いんです!!

漫画・アニメのキングダムは好きな作品だけど、

あそこで描かれている戦争は所詮は小説の延長戦でしかないんです。

 

リアルな戦闘と考えると、

先ず騎馬隊が弓矢を避けてどうやって突撃するかなんです。

弓矢が人に当たっても致命傷は避けられるかも知れませんが、

馬に当たったら即落馬です。

馬が居たがって仰け反るのは当然ですから。

相手の弓矢が切れるまで騎馬の突撃はしないとか、

色々な駆け引きも考えられます。

弓だって予備を隠し持つのは当然だろうし・・・

そう考えると騎馬を突撃させると考えた場合、

弓矢も消耗品なので弓が尽きる頃合いまで、

歩兵を突入させつつ後退しながら

様子見してたという戦い方が現実的なのかなと・・・

 

その歩兵も盾も持たずに突入するのは無謀すぎる話で、

最低でも木盾位は持ってたはず。

盾を掲げた前衛同士がぶつかった状態で、

後ろから槍で攻撃するには、

確かに長槍と呼ばれる6メートルから

織田軍の8メートル物まで必要に成ってくる。

アメフトのラインがぶつかり合って

相手のラインを崩すようなせめぎ合い、

恐らくは日本でもこういう感じで前衛がぶつかり合って

歩兵戦が行われたのだと考えれます。

行き成り乱戦状態なんて・・・

まず無策にも程がある話で、

敵中に突っ込んでいくなんて無謀にも程が有る話です。

 

最近になって気付いたのですが・・・

有名な孔明の八陣。

実は真面な資料が残っておらず、

多くの人は陣に八っつの門を構えた形を想像しているみたい。

ほぼ円陣と呼ばれる円形に

八つの門と呼ばれる空間を備えた物みたいですが・・・

どうやら違うみたい。

 

と、言うのも、

Total War:Three Kingdam、

いわばトータルワーというゲームの三国志版で、

リアルタイム戦闘やってて気付いたのですが、

弓とか騎兵とかを上手く動かして、

歩兵で守りつつ陣を形成する場合、

一番いい形が、三角形の上部に空間を作る形だったのです。

それをよく見ると、

漢字の八の形に歩兵を並べてた。

盾兵で防御の固い八の字の上部間っから、

漏れた敵兵、ゲームだと騎兵が突入してきて、

それを八の字の底辺部に配置した弓兵がガンガン狙って

射殺してくれる。

八の字の外側を回って侵入しようとする敵は、

外目に配置した騎兵で対処する。

八の字を盾兵で組んで防御しているので、

敵の弓矢は殆ど騎兵には届かない仕組みです。

そう考えると・・・

八陣のハチって実は

漢字の八の形を意味してるんじゃないの?

 

鶴翼やら魚鱗やら、色んな陣形も有るけど、

基本的な形はVじだったり△だったりと意外と形は単調なのです。

寧ろ大きく部隊を分けて地形に合わせて陣を敷く場合は、

その総隊全体を形どる陣形なんてものは存在しないです。

逆に言えばそんな形に拘っては

地形に合わせた部隊配置は真面に出来ませんよね。

 

反対に部隊の中で効率よく弓、騎馬、歩兵を機能させるには、

複雑な形だと弓が味方に当たるとか、

騎馬の機動性が損なわれるとか、

色々と問題が生じるだけです。

何かあって撤退する際に渋滞と混乱を引き起こすだろうし。

 

と、いう事で八陣の形は、

漢字の八の字をかたどった形で間違いないと断定します。

いやーこれに気づくと意外と便利なもんで…

現状、そのゲームでは重宝してます。

 

 

 

 

 

 

 

どうも・・・ショーエイです。

ブログで何を伝えようか迷ってて1月以上が経ってしまいました。

 

さていよいよトランプ政権がスタートして、

何気に色々と困惑しそうな気配が有りますが、

正直な所…トランプマンが

どういう大統領に成ろが構わないと言うのが当方の見解です。

 

何故ならこれを期に、

新世界と旧世界が分断されれば良いだけなので。

 

政治は旧世界で回っており、

社会は新世界で回ろうとしてます。

旧世界はどの道国益ばかり追っかけていた世界なので、

トランプがアメリカファーストを唱えようが、

政治的には何の変化も無いと言えます。

確かに関税を掛ける話に成っていますが、

結局これで政治が困惑しているのは、

国益ばかりが先行して米国の市場を気にしすぎるからです。

確かに米国の2億5千万人の市場は大きいですが、

グローバル全体の70億規模の市場で考えると、

1/10位と見積もります。

 

トランプは不利に成ると感じれば引き下がる。

そういう意味では米国の経済圏を捨てて、

米国を外したグローバル経済圏構築で動き出すべきなのです。

ただ…旧世界に固執している政治では、

こうした大胆な発想は難しいのも事実です。

旧世界に生きる人は安全保障やら何やらと、

結局ゴタクを並べて米国に媚びへつらう形を崩せない訳です。

 

しかしネットで世界が繋がる

新世界に生きる時代の人々にとっては

実際に世界が上手く繋がっていれば、

安全保障を考える必要性すらない事に

気づき始めているのでは…

中国が怖いと感じる人も、

ロシアが怖いと感じる人も、

逆に考えれば、習近平氏があと何年生きれる?

プーチン氏が後お何年生きれる?

寧ろその次の世代にまで

国境で閉ざされた世界を繋げて行きたいのか?

それこそがいつまでも戦争に脅える旧世界の発想に成るのです。

 

トランプがこの新世界の波に乗れれば

偉大な大統領になれるという事だけで、

所詮は旧世界に生きている凡庸な人間なら、

好きに4年間やればいい。

とにかく社会がどう感じようとも、

この4年間はどうしようもない時代に成るだけなのです。

むしろ米国民も含めて、

世界中が困窮する時代に成るかも知れませんが、

世界各国が旧世界の老害の過ちを炙り出して、

新世界=グローバル社会の在り方を

再構築する時間または時代とするしか無いのではという事です。

 

逆にトランプが新世界の波に気づいて、

方向転換d切れば、

新世界の理解者として受け入れられるのも事実ですが…

果たして彼にその度量が有るのかは微妙ですね。

少なくともイスラエルのネタニヤフを切り捨てられない限り、

彼に期待する要素は何も無さそうとも言っておきます。

 

【トランプ関税に対して世界はどうするべきか…】

特許の問題もあって技術的には簡単な話では無いが、

これを期に内需を固める政策を考えるべきです。

日本の様に米国の消費力に期待ばかりして、

国内の消費力を向上させてこなかった国は特に、

内需が活性化する方針に転用するべきなのです。

いわば外需で低価格を維持する為に、

国内の労働力を低価格で維持した結果、

日本国民の消費力は低迷したままの状態になった。

日本の人口は1億2千万人も居るのに、

ここ20年間で大手家電メーカーは

殆ど消えるか経営不振に陥り、

最近では自動車メーカーも危ぶまれる状態に成りました。

これらは明らかに日本国内の消費力が

低迷状態なままにある事が言えるのです。

 

内需をどうするかにシフトして考えれば、

実は色々な発想が生まれます。

車を売るという場合、

個人が車を持つ場合、

特に東京都内では駐車場の問題もあり、

交通機関の充実性も考慮すると、

コスパは全く魅力的には感じない商品と成ります。

しかし週末のちょっとしたドライブが充実すれば、

レンタカーの需要は伸ばせます。

まあ、麻生さんが総理の時に良い発想をしてたのですが、

週末高速料金無料化などの政策で、

こうした需要も伸ばし、

レンタカー企業がより車の購入に動ける環境にするだけで、

大手自動車会社への内需の手助けに成るわけです。

現状日本国内の需要で考えれば、電気自動車よりガソリン車とは言わずとも自然ハイブリット車で勝負できるのです。

ところが高速料金やらガソリン代、

更には需要が少ない分レンタカーの料金まで高くつく感じで、

週末のドライブという選択肢は中々気軽に手を出さない訳です。

家族旅行ですら月1回でも出来れば良い方で、

そういう行事も頻度としては限られて来ます。

 

実際に週末高速料金無料化で

渋滞事情は悪化したかも知れませんが、

当時かなり多くの利用があった事は記憶に有ります。

面倒なのでデータまでは調べませんが、

恐らくはデータとしてもレンタカーの利用数または、

車の売り上げなど大きく伸びたと思われます。

 

最低賃金上昇に加えて、こうした国内需要活性化の動きで、

地方への旅行客上昇にも繋がり、

地方活性化にも結び付く形で、更に内需を充実させ、

国内産業を国民で支えて行く方向に

シフトする期間とするべきなのです。

 

因みにトランプ関税で米国民がトヨタ車より

GMやフォードにシフトするかと言うと、

必ずしもそうは成らないとも考えられるのです。

勿論、経済が低迷して米国民の余裕が無くなれば、

安い方へシフトする流れは生じてきますが、

トランプの失策を米国民に痛感させる方が、

将来的な流れで自由貿易の有効性が

受け入れられやすく成るとも言えるのです。

 

勿論、そこに生じるリスクを他に転用する意味で、

米国以外の国々がより強い結びつきで

相互活用して支え合うのも大事に成ります。

日本はTPPを活用して、

カナダやメキシコを含む国々と連携して、

米国に報復関税で対抗し、

寧ろ日本製品の優位性を担保する姿勢を取るのも大事です。

 

日米安保や安全保障は、

米国が同盟国としての機能を果たそうとしないなら、

ハッキリ言って無視しても大丈夫と言っておきます。

少なくともこの4年間は。

実は中国やロシアが日本を懐柔する形で

動くこともkんが得られますが、

懐柔したい又は米国との決裂を望む分、

日本に下手な圧力も用いないだろうとも言えます。

、むしろ日米同盟が危ぶまれる状態で、

日本に軍事的な圧力を用いれば、

日本は再び米国との関係強化に働き、

寧ろ米国への利益に寄与する行為日誌か成らないからです。

寧ろ日米同盟が危ぶまれる状態では、

日本は中立的な立場、

または国連との連携を強める姿勢で、

安全保障を強化するべきなのです。

まあ、日本が日米安保でトランプ政権に強気な姿勢でi挑めば、

寧ろ米軍幹部たちが米国の安全保障の観点から

日米同盟の重要性を訴え始めて、

より対等な形での維持に動き出すとも言えます。

まあ、ディールとはこういう駆け引きな話で、

決裂した場合は決裂した場合で備えておけば、

寧ろ相互の利益が噛み合う形で纏まりやすくなるというものです。

日本の姿勢としては別段、

米国を裏切るつもりは無いが、

米国の属国になるつもりも無いと言う姿勢で良いわけです。

 

仮にそれでロシアや中国が日本を占領しても、

日本人が必ず抵抗し独立を勝ち取る国民であると知るならば、

彼らも無理に占領して無駄なリスクは追わないと言えるだろうし、

寧ろ日本の独立性を脅かさず、友好な関係性で

反対に米軍を遠ざけておくほうが

戦略的に安全保障強化に繋がると考えるでしょう。

また、国際社会としても、

日米同盟が消滅したからといって、

中国やロシアの侵攻を許す様な世界は望む訳がなく、

そういう意味で国連との関係強化で、

平和的中立を唱えて

国際社会の規範と成る姿勢を示すのも大事なのです。

 

旧世界に沈む人間はこれをバカげた理想と言うだろうが、

新世界を理解する人々は寧ろ称賛する流れに成る。

旧世界の老害はそろそろ寿命も近いので、

彼らの愚かしい見識に

終止符を打つ時代に掛けても良いと言っておきます。

 

さてここで推察では有りますが、

ほぼ間違いないと断定して、

前回の大統領選挙の内訳を伝えておきます。

 

実は…トランプの熱狂的支持者は、30%未満です。

残りはというと・・・

カマラ・ハリスを支持した人が凡そ40%で、

残りの30%はバイデン政権に失望した人です。

 

なので実は米国民の半数以上が

トランプを支持したという結果ではないのも事実です。

いわば…バイデンの政策より、

トランプにもう一回やらせてみた方がマシという選挙結果です。

 

トランプがここを勘違いして

好き放題やれば…彼にとって最悪な未来が待ってます。

まあ、80越えて寿命も近いトランプに

未来が有るかと言えば無さそうですが…

結局のところ…

息子のバロン・トランプの未来が無くなるという話です。

まあ・・・世間に自分の弱みを見せつけたようなものですが、

ある意味トランプの失政は、

息子のバロン・トランプに全て背負ってもらおうという話です。

 

どれで良いのなら、好き放題どうぞ…

でも息子の将来を考えるなら、

理性的な政治で

偉大な大統領として名前を刻む努力をしないとね…

 

そういう意味で米国民は

バロン・トランプの将来を人質にとって、

トランプを抑制することを考えても良いかも…

メディアなどもトランプの評価を全て、

バロン・トランプの評価へと転用して示せば、

トランプがどれだけ強気でも、

さすがに焦らざるを得なくなるのでは…

 

どうも…ショーエイです。

今年はある意味、一般的な人にとっては

困惑の年だったのではないでしょうか…

 

トランプマンが大統領に返り咲いたことで、

様々な想定が崩れたように感じたと思います。

その想定とは…

実は冷戦時代の名残が思考を過らせていたから、

と、言っておきます

 

猜疑心という言葉が有るわけですが、

歴史上の話だと、権力者が掛かるケースで知られます。

猜疑心を抱くと対象に成った相手を

一切信用できなくなり、

何を伝えてもすべて嘘にしか感じなくなるわけです。

相手が本音であり、本心で語っても、

それはその本人以外は知るよしの無いところで、

その人が策謀に長けた人物だったら、

より一層疑って見えてしまいます。

 

猜疑心は権力者特有のもののように感じてますが、

実は一般人も掛かるわけです。

現代の様な民主制の社会では、

一般人の猜疑心が

結局は様々な外交上の判断に直結していくわけです。

これは政治家が民衆の猜疑を煽る場合もあり、

民意が政治家の決断を煽る場合もあります。

 

例えばバイデンの様に

ロシアを信用できないという姿勢を

あからさまに示した場合、

ロシアが信用できないという根拠のみを積み上げて、

政府の発表として提示するわけです。

ロシアがウクライナのNATO加盟を

シビアな姿勢で考えていることは

戦争が始まる以前に知られていたことです。

ここを刺激してロシアを煽り、

その結果が戦争に成った…

それでバイデンのロシアに対する猜疑は

正しかったという形にしたわけです。

 

一般の人としては、

寧ろロシアとNATOの関係性が見えてません。

単純に平和的な視点で見てしまえば、

ロシアが平和的な姿勢ならNATOという軍事同盟を

気にすることはないはず・・・

なんて自分サイド本位で考えてしまいます。

政治家からすれば世論がこういう思考なので、

ロシアとの対話姿勢や友好的な姿勢は、

寧ろ選挙ウケが悪い話に成ります。

所が…ロシアからすると、全く考え方が異なります。

欧米が平和的に考えるのなら、

寧ろNATOの様な軍事同盟の拡大を

する必要性がないのでは・・

ではなぜ欧米はNATOの拡大を望むのか?

それはロシアの対外的影響力を封じ込め、

欧米の方針に無抵抗に従わせたいからです。

 

ここは欧米の一般人が勘違いする部分でもあります。

いわば一般人からすれば

そういうつもりは無いと考えているからです。

所が政治の部分では、結局経済制裁を掛けたり、

LGBTなどを例に欧米の価値観を強要する形で

押し付けたりしているわけです。

勿論LGBTの権利は尊重される形が

社会平和的にも、まあ個人的はエンターテインメント的にも、

望ましいと思うのですが、

色々な部分で価値観の違いが生じる話でもあるので、

強引にその価値観を強要するべきではないと言っておきます。

こうした問題で紛争が起こらないように、

国連憲章では内政不干渉が謡われているのです。

 

良識をもって情勢を見つめている人は、

欧米がその価値観を強引に推し進めようとしている姿勢は、

顕著に理解できます。

これを一般の人は、自分たちの社会では当然な流れ故に、

他国もこれを模倣して追従するべきと考えてしまうのです。

LGBTの問題をあえて上げますが、

人権の問題としては認められるべきが理想的ですが、

生物学的には修正されるべき問題なのです。

なので価値観の違いが生じるのは避けられない問題です。

こうした繊細な問題で、

価値観が違うからという意味で不信感を抱くのが

民衆なのです。

いわば民衆が猜疑心を抱く状態になるわけですが、

民主制政治でこれらが民意として意識される分、

政治家が無視することは出来なくなります。

更にはこの民意に対して自己をアピールする意味で、

外交上強い姿勢を示そうとするのも当然の流れとなります。

 

こうした欧米サイドのやり方は正義と言えるのか?

欧米の生活圏になれた人は正義…

いわば人権的な正義と主張するでしょう。

錯覚するくらいにそう見えるかもしれません。

しかしそれに反発する側の権利は

認められていないのも事実です。

LGBT問題をあげて考えると、

生物学的に異質な状態を認めず、

生物学的に正常な男女の関係を規範とする社会構成は

悪質な社会なのか?

 

こうした複雑な問題を内政干渉する形で押し付け、

それに従わない場合は、重関税や輸出規制、

そして最終的には経済制裁で圧力を掛けるわけえす。

こうした姿勢に対抗する意味で

戦争というオプションが存在しているわけですが、

そのオプションを奪い取る意味で、

NATOの拡大などが存在するわけです。

そうして考えるとロシアが必死で抗うのも理解できる話です。

いわばNATO拡大をこれ以上許すことは、

欧米のいかなる圧力にも

対抗できなくなるという事になるのです。

なのでウクライナでロシアが

戦争というオプションを行使したのも

こうした世界情勢に疑問を投げかける

最終手段だったと言えるでしょう。

当ブログが戦争前に

戦争になることを確信していたのは、

こうした事情を理解できたからと言っておきます。

 

結果として…

フィンランドとスウェーデンはNATOに加盟したわけですが、

イスラエルのガザ問題発生で、

欧米の正義の主張に矛盾が生じたわけです。

これはさすがに欧米でも一般の多くの人たちが、

今の政治に疑問を抱く出来事となったようで、

それがゆえにバイデン政権であり欧米の政党がこぞって、

政権を奪われる状態になったと言えます。

 

メディアは主にこれらは

インフレと経済悪化を理由としてますが、

結局は全てが直結して、

今の政治家おかしいだろという感じで、

有権者からの信用を失ったという感じだと思います。

 

2025年にはトランプマン返り咲きのイベントが待ってます。

ウクライナの戦争を終わらせると豪語してますが、

現状、ロシアとウクライナで折り合いがつくかは微妙です。

 

特に問題はゼレンスキーでしょう。

まずゼレンスキーがウクライナのNATO加盟を

断念することは無いと思うからです。

ロシアもウクライナのNATO非加盟を譲らないと思います。

なぜならここが戦争に成った理由だからです。

双方とも政治理念を重視するなら折れないでしょう。

 

考えてみれば…

ウクライナがNATOに加盟したら、

ロシアは何のために戦争したのかという形になるし、

ゼレンスキーがNATO加盟を断念したら、

ウクライナの犠牲は何のためだったのかという話なります。

 

トランプマンが説得できるのはウクライナの方で、

ロシアからウクライナのNATO加盟の譲歩を引き出すのは。

かなり困難です。

しかしゼレンスキーが大統領である限り、

ゼレンスキーも説得には応じないと思われます。

もし、ゼレンスキーが応じれば、

ゼレンスキーは国民を無駄死にさせた

無能な大統領のレッテルを貼られることに成り、

恐らく命すら危うい状況に成るのは必須と言っていいからです。

 

では…トランプマンが目的を成就するには…

実はゼレンスキーの大統領としての任期はすでに終わっています。

戦争状態で選挙が出来ないからという理由で継続しているのです。

故に先ずはロシアとウクライナで、

選挙期間の停戦を合意させるのです。

ロシアもこの選挙の賭けには応じるでしょう。

停戦が成立したら、

ウクライナの大統領および議会選挙を行います。

 

選挙の主題は、NATO加盟を諦めてロシアとの戦争を終わらせるか、

それともNATO加盟を賭けて戦争を続けるかです。

ウクライナの国民がどちらを選ぶかに賭けるわけですが、

戦争に疲れ切った人も多いはずなので、

どちらが勝つかは解りません。

 

ただしトランプマンはここまでやれば

とりあえずは公約を果たしたとするべきです。

いわば後はウクライナ国民の判断に委ねるとした形が、

一番民主的な解決となるからです。

勿論、トランプマンが公約通り実現を目指す場合、

戦争継続なら米国は手を引くと言えば、

寧ろ終戦側に有利に働く話にも成ります。

そういう形で介入するのは内政干渉ではなく、

外交上の都合となるとなるため、

平和齎す大統領として名を残したいのなら、

こういう形で収めることが望ましいと言えます。

 

さて2025年はどんな年に成るのやら…

平和という意味で単純に願うより、

世界中が抱く猜疑の念…

いわば誰かを疑うだけの世界から、

もう一度信じて話し合いで解決する。

そういう年に成ってくれれば、

将来的な平和に繋げられる初年度に成るのですが…

中々難しいかな…

 

まあ、トランプマンがこういう世界をコントロール出来たなら、

今までの評価とは別のものとして見てもいいと思います。

逆にこれ出来なければ…

所詮は匹夫の成り上がりdふぇ終わるだけですが…

 

はてさてどういう大統領を演じるのか…

 

うつけの兵法ですが…

今現在、信長たまが盗賊団との戦闘をするうえで、

よりインパクトのある戦い方に成るように模索中です。

ある程度、インパクトを残せる戦い方は浮かぶのですが、

どうもまだ「信長は天才だ!!」という所に落ちてこない。

今までの歴史小説やマンガとは違う、

リアルな意味での所で、試行錯誤してます。

 

実はマンガや小説、まあゲームでもそうなんですが、

人間の体力的な部分の計算が全くないのです。

以前、オッサン先生が岐阜城に行った際、

山城を攻略するときの大変さを体力面で痛感したそうです。

体力が奪われた状態で戦う事の大変さは、

寧ろサッカーなどのスポーツで経験したわけで、

こうした要素が実はリアルな戦争でも大きく生じたのでは…

 

そうすると小説などで諸葛孔明が用いたと言われるような

偽旗を使った陽動作戦も、

ただ単にウロウロして狼狽する効果よりも、

寧ろ敵の体力を上手く奪うための作戦なのではと

感じるようになったわけです。

 

近代から現代では戦車やら航空戦力といった兵器が主流で、

寧ろ人間の体力計算は作戦としては

大きな部分を占めていません。

戦国の時代は寧ろ馬くらいしかないわけで、

そこに何か劣勢を覆せる鍵があるのではと考え中です。

 

とにかくちょっとリアルな意味で

説得力のある戦いを模索中なので、

気長に続きをお待ちください。

どうも・・・ショーエイです。

最近、世の中の愚痴を書くのも頻度が落ちてますが、

実はそれだけ呆れている状態な訳で、

現状、最悪と言っておきます。

 

米大統領選でハリスがトランプに負けた理由。

日本の報道では呆れるほど的外れな内容ばかりが目立ちます。

実際にはバイデン政権の失策が原因な訳で、

誰もが知るところのインフレ問題ですが…

このインフレ問題がどれだけ深刻なのかすら解かっていません。

 

一見、米国の給与実態は日本の倍近くあるから、

生活が豊かなはずだろうなんて見えるでしょう。

当方もちょっとそういう風に見ていた点は有るけど、

大統領選が終わってからある情報を目にしたら、

これは深刻だと気付いたわけです。

 

実は賃貸住宅の家賃代が深刻なほどに上昇していたのです。

日本ではおおよそ手取りで25万円、下でも15万円位の給与レベルで家賃は都内でワンルームが大体の5万円前後。

米国並みのワンベッドルーム=1LDKですが、これだと10万円くらいかな…

これが米国では手取りで55万円なのに対して、ワンベッドルームの家賃が大都市圏で30万前後。

食費、光熱費などを含めた支払いが日本の物価の倍と考えるなら、生活レベルはかなり苦しい状況だという事が見えてきます。

 

余り指標らしいものは有りませんが、

人がある程度生活に安心感を持って過ごせる割合は、

家賃等の住居費が月収の1/3程度で収まるラインで、

残りの生活必需費とする食の部分と、光熱費等が1/3、

残りの1/3は衣料や通信費を含む生活余興費となる形です。

住居費の高騰はこの割合を大幅に圧迫し、

現在の米国では月収の半分がそこに当たることに成ります。

 

勿論、これは一般的には

労働階級とも貧困層とも言われる部分の数値です。

日本でも月収が40万から50万を稼ぐ層が大多数います。

米国でも同じで100万円=7000ドル以上稼ぐ層が居ます。

ところがこれらを中層階級に満たない低層階級で分類すると、

人口の大多数を占める低層階級の半分が

米国では深刻な生活苦に有る状態と成るわけです。

 

これが大統領選挙で露わになったという事で、

バイデン政権への失望票が

トランプに流れたことを理解できる話に成るわけです。

 

結局はブログでも前もって警告したように、

ハリスがバイデンと一線を書く姿勢を見せないと…

と、いう所が的を得た結果に成ったと言えます。

 

【ICCがドゥテルテ大統領前フィリピン大統領を捜査】

麻薬犯罪組織の撲滅を掲げて、強硬な姿勢で挑んだ

ドゥテルテ前フィリピン大統領ですが…

その中には無実の市民も巻き込まれていたとか・・

キレイごとだけで話せば、

何て酷い事をしているんだなんて言えてしまうのですが、

これこそが平和ボケな話です。

 

テロを起こした相手、アルカイーダにしてもイスラム国家にしても報復又は撲滅作戦で軍隊を送り込んできた訳です。

この戦争がキレイごとで言う様に、無実の市民か戦闘員かを区別し丁寧に実行できるか?

勿論、無理です。

結果として多くの子供を含む市民がその戦禍の犠牲に成ってます。

当時のフィリピンにとっては麻薬犯罪組織は強大であったと言われ、

撲滅するにはテロと戦うレベルであったと言えます。

これは南米コロンビアなどを例に考えても良い話で、犯罪粗域は警察を買収することも殺害することも容易にできる影響力を持っている訳で、それらを相手に日本や欧米の感覚で取り締まれると思っている方が見当はずれなのです。

 

では…結果としてフィリピンは犯罪大国に成ったのか?

経済面で全く成長しなかったのか?

 

結果としてフィリピンは経済面で著しく成長出来きたわけで、

治安も以前と比べてかなり改善されたと伺います。

その治世に対して犯罪行為だと考えるのなら、

テロとの戦争を指示した政治家も同罪と成ります。

 

正直、ガザでの戦争のやり方でイスラエルのネタニアフを批難するつもりは有りません。

ただ、ネタニアフを批難するのは、元々イスラエルがパレスティナ人の人権を踏みにじるヨルダン川西岸への入植行為を繰り返し、

更には法的にパレスティナ人を差別的に扱ってきた事に対してです。

これらがハマスの暴走に火を付ける要因と成ったわけです。

ガザでの戦争のやり方は

イスラエルの安全を担保するものでは無く、

将来的にパレスティナ及びガザでの犠牲者たちの怨恨を増長させるものでしかないのも事実で、

ネタニアフを批難すると言うより、彼が単なる無能である事を揶揄するだけの話です。

 

欧米諸国の政治家もジャーナリストも、

その根底と成る人道的な話を無視して、

ただ単に戦闘行為が発生した状況での犠牲に対して

人道の意味でのキレイごとを並べているに過ぎないのです。

 

言い換えれば、戦闘行為が発生してから、

犠牲者を憐れんでももう遅いわけで、

戦闘行為が発生した問題点に焦点を当てて解決しなければ、

結局は同じ問題を繰り返して同じ様に犠牲者が出るだけなのです。

 

そういう意味で適切に考えれば、

フィリピンの問題は、麻薬犯罪が問題の根底に有った状況に、

強硬な姿勢で挑む必要性が有ったため、

その行為は社会的必要性に応じたものであり、

その結果として経済面、治安面での成果も付随したのなら、

これを犯罪として見ることは認めては成らないのです。

 

結果、ICCの人道的な手段で実行した場合、

麻薬犯罪組織を壊滅することは不可能になったと見られ、

警察機能もそれら組織に蹂躙され、

むしろICCが敵視するべき犯罪組織の活動をほう助する形としか成らないと言える。

ICCの様な言い分では、

犯罪組織は下部組織を含め教唆を用いてあらゆる人間を使って、警察の人間を容易に殺害することが可能で、それら状況を用いて脅迫で支配する事が出来るわけです。

無実とされる一部、または殆どが、そうした脅迫に絡んで犯罪をほう助する人間に成るのです。

欧米の証拠に基づく捜査方法では、証拠と結びつくまでの猶予が発生し、その間に証拠隠滅および証人や捜査関係者の殺害などで、法律上の無実を勝ち取る事は容易であった社会状態と見なせます。

 

欧米や日本などでは、警察組織の安定力と権限が犯罪組織に対して強く取り締まれる状態にあるが、犯罪組織が増大化した社会では、その警察権力は欧米の政治家などに挑むのと同じ環境と成るのです。

犯罪組織がある意味その国で闇のフィクサーの様に動く環境下では、国家の独裁者を転覆させるほどの革命が必要なのだとという事を先ずは理解するべきで、フィリピンで起きたドゥテルテ氏の指示は、いわば犯罪組織に対する革命戦争という形で考えなければ成らないのです。

 

もしICCが犯罪扱いするのなら、全ての政治家の悪行を取り締まってみろと言いたい。

自らの政治的都合で欧米の政権権力の戦争犯罪に着手出来ないのなら、一つの国家に於いて犯罪組織が持つ影響力はそれに匹敵するものに成る事くらいは理解するべきである。

 

 

最近、頭が悪いと揶揄する表現をよく使いますが、

本当に世の中何も見えていないと思う程に、

頭が悪いと感じるのです。

 

頭が悪いと言われて激昂する人も居るが、

結局、頭が悪いだけで終わる人が、

頭の悪い話を広めて、

頭の悪い結果に進む訳です。

 

平和平和と言っておきながら、

結局は戦争に発展する方向でしかものを考えていない。

 

フィンランドの外相だか知らないけど、

平和を望むくせに、

ロシアは信用できないからNATOで連携組んで、

ロシアとの戦争に備えるべきみたいなことを言ってます。

先ず、ロシアとの平和はこの視点では存在して無いですよね。

 

別段、ロシアに対して丸腰でいいとは言わないし、

安全保障を考えるのは別段好きにすればいいが、

それでロシアをあえて敵視するのは

寧ろロシアも警戒せざるを得ない状況を生み出しているに過ぎない。

 

NATOの話にしても、

NATOが将来的にロシアの加盟を望むという話なら、

それは平和的な形で読み取れる。

そういう話も無く、

ただ単にウクライナを加盟させるとかいう話だと、

全ては対ロシア戦線の話に成り、

ロシアとしても安全保障上の関係から

NATOを警戒せざるを得なくなるのは当然の流れなのです。

 

頭の悪人は、無防備でロシアを信用するか、

警戒して防衛戦線を貼るかの2択しか思い浮かばない様です。

 

ウクライナの戦争を精査すると…

第二次大戦の頃の兵器なら、

ロシアが確かにウクライナ全土を占領するのに、

そんなに時間が掛からなかったかも知れません。

しかし、現代の兵器では…

ウクライナとの戦争で明確に決着をつけるに至っては居ない。

ロシアが一部占領した事で優勢にも見られるが、

戦争の状況では五分です。

 

守勢が完全有利となるのが現代兵器の特徴で、

先ず昔の様に好んで侵略戦争をやっても、

損失が大きく採算は取れない。

そして占領しても市民活動が活発で、

寧ろ併合しても統治が難しく成るだけ。

 

先ずは好んで侵略戦争を仕掛ける発想は、

より縮小されます。

ただし、世界改革の為の目的で連合組む話は別です。

 

今の欧米の思考の様に

頭悪い形で欧米のルールを押し付ける事への抵抗が、

大きな戦争を産む可能性は大きいです。

 

ただし…この問題の根底に有るのが…

欧米諸国の主張が対話を成立させない次元に有る事です。

いわば欧米諸国の言い分が全てで、

それ以外は間違いだと断定するからです。

基本内政不干渉の原理に基づいて、

その国の統治はその国の方針で任せる中で、

人道的な権利などを対話で意見交換しつつ、

「解決できるところは解決できる形で模索する」

そういう国際社会のスタンスが求められます。

 

所詮はガキの喧嘩に見えるほど、

欧米の主張はガキの主張にしか見えないのも事実です。

相手の国の事情も考えて、

最終的には世界を一つに纏めて行きましょう

という話で進めれば上手く行くわけです。

 

何故か…って

頭の悪い人は、

自分があと100年も生きるつもりで考えているでしょうが、

20年先ですら生きているか解りません。

プーチン大統領にしても、習近平国家主席にしても、

あと何十年生きれるかです。

その上で彼らが未来に何を残すべきか?

習近平氏が生きている間に、

中国が世界を統一するなんて野望は

先ず有りえないと断言します。

米国ですら世界を統一出来ないのですから。

 

なので生きている間に何を残して、

歴史に名を刻むか…

こういう話の中で解決に導くのが現実的なのです。

 

そして後世の人間が、現指導者の意思を受け継ぐか?

 

中国共産党でも、王政の世襲政治では有りません。

国家主席が変われば、その姿勢も良くも悪くも変わります。

ただし新しい世代が世界の繋がりを求める形は、

インターネットの普及によってより強まっています。

 

心配せずともどこかの国が世界を支配するような野望は、

直ぐに現実的でないとアホでも気づきます。

気付かないのは余ほどのアホなので、

それこそ国家権力に入るほどの人間では有りません。

せいぜいネット上で騒ぐのが関の山です。

このアホでも気づくことを

他の人が気付かないと思っている

頭の悪い人が多いのが問題です。

 

ハッキリもう一度言います。

世界を支配するなんて事が不可能なのはアホでも気づく話で、

気付く人が賢い一部では無いのです。

それを踏まえて相手を見極めれば、

アホなレベルの警戒心は必要ない事に気づくでしょう。

頭の悪い人は、このアホなレベルに気づいているのが、

賢い自分たちだけと思う事で、

それをキレイごとのように講釈垂れて自慢しているだけなのです。

多くの聴衆は、アホな話に共感して崇めている訳だが、

結局は共感する時点でその人たちも気づいているのです。

その頭の悪い人が言っている事くらいは…

そのアホでも解かる話を、対等な外交の場で講釈垂れれば、

そりゃ馬鹿にされて白い目で見られるだけです。

それで…その相手がアホな話を理解していない?

いいえ、違います。

理解した上で、

そこからどうするのかが何も対話として成立しないから、

寧ろ困っているのです。

 

まあ…米国のバイデンのみ成らず

ペロシも含めて民主党がこの典型だったという事です。