ショーエイのアタックまんがーワン -2ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

戦後の日本は、

世界から愛される日本こそが、

和の美徳として認識されているはずで、

多くの日本人がその姿を誇りに感じていると思います。

愛国心を語る人たちも、

その姿の美徳は理解しているが、

むしろその姿を他の文化に押し付ける事しか考えないのです。

 

僕は天皇崇拝者ではありません。

仮に天皇陛下が誇れる象徴で無いのなら、

彼らを尊重する気持ちは無く成ります。

しかし、今の令和天皇、そして以前の平成天皇は、

日本の象徴として素晴らしい規範を示されており、

むしろそういう姿勢こそが日本の美徳そのものだと、

感じるわけです。

 

先ず、自由を尊重する意味は、

ルールを守る事では成りません。

人それぞれに異なった主張、生活習慣が存在し、

それらを一方的なルールで縛る事は、

むしろ個人の自由を束縛して行く形に成ります。

これは憲法13条の幸福追求という言葉に当たります。

ルールは寧ろ公共の福祉に該当する部分ですが、

日本人の美徳は、ルールに関係なく、

他人の幸福を尊重する姿勢に有るわけです。

自分の生命や財産が脅かされる状態なら、

それは当然守られるべき話ですが、

それら以外の自由は尊重していける社会ゆえに、

トラブルも少なく安全な社会に寄与する訳です。

 

日本が世界から愛されるところは、

むしろ文化的にこうした寛容さがあるところで、

文化の異なる人たちも居心地よく、

むしろ日本の寛容な美徳に共感し、

その姿勢を模倣する意識が芽生えてくるのです。

 

ところが保守の人たちは、

この美徳を他人に押し付けたり、

ルールによって縛り付けようとするわけです。

特に愛国心を強要するような姿勢は、

むしろ日本の美徳を汚すものでしか有りません。

特に中国や韓国との問題に、

日本の美徳として寛容、理解、配慮を考えて行動すると、

彼らはそれを売国奴の様に蔑みます。

保守の人はこれらを媚びている様に見ますが、

日本であり日本人が愛される為にと考えれば、

むしろ偏見なく共栄を唱えて、

中国や韓国の人たちに、日本をもっと受け入れて貰える方が、

実は国益としても有利に働くわけです。

 

喧嘩が発生する要因は、

先ずは主張のぶつかり合いから始まり、

お互いに譲れない意地がぶつかり合うと、

解決の余地は武力的なものに成ってしまいます。

逆にお互いが尊重、理解、配慮を以て話し合うと、

逆に喧嘩には成りません。

 

保守の人を頭の悪い人と言いますが、

戦後から現代の日本には、

本来、尊重、理解、配慮を美徳とした、

平和を希求する文化が浸透しています。

そしてそれらは日本の自衛のみならず、

戦争抑止にも寄与するものなのです。

 

こうした美徳を意識する人は、

愛国心を求める必要などない、

日本の象徴たる人々なのです。

むしろ保守の人たちの、

戦寺中の問題に配慮していない姿勢は、

逆に日本の美徳に反する姿勢で、

南京大虐殺、慰安婦問題をあえて否定して、

戦時中の日本を美化して見せようとする事こそ、

見掛け倒しの汚い精神の象徴なのです。

 

美徳を求める社会で、

責任感のない人間、配慮の薄い人間は、

好感を持たれません。

美徳の中で日本人としての責任感を抱くなら、

先ず戦争行為を美化出来ない事を理解します。

人が人を殺すのが戦争です。

そもそも自衛であっても、

美化する話ではありません。

その汚れた戦争の中では、

必ず汚れた事態は発生するのです。

南京大虐殺に関しても、

南京の市民が日本軍に抵抗した場合、

日本軍は何もしなければ

その暴動を鎮圧できず、

ただ、やられるだけの事態に成ります。

当然の様に鎮圧に乗り出さなければ成らない事態と

理解は出来ます。

結果として南京市民を大虐殺した形に成るのは、

戦争なら当然起こりうる話です。

しかし、戦後この軍事としてやむを得ない行為を

美化することは、

アメリカが広島、長崎への原爆投下を美化するのと

同じ意味で伝わります。

アメリカが仮に、原爆投下は行っていないと否定したら、

日本人はどう感じるでしょうか?

南京大虐殺を否定する話は、

寧ろアメリカが原爆を使用していないと

事実隠蔽するようなものです。

日本人としてこんなアメリカの姿勢なら、

腹立たしい国に感じて当然に成ります。

 

しかし、原爆の使用を認め、

広島、長崎で起きた被害状況も公表し、

謝罪や反省こそ口にはしないものの、

以後、核兵器の使用を規制する姿勢に繋げている事は、

まだ許せる話で、

その公表によって

アメリカ国民にも核の脅威は適切に伝わり、

人道的な意味でも教育的に広まった事は、

同じ被害を防げる期待として、

歴史に記されたわけです。

 

保守の人たちが美化する戦時中の日本は、

むしろ戦争の醜態を教育として浸透させようとしない、

寧ろ愚かしい行為です。

日本では寧ろ戦争は美化されて、

命がけの駆け引きを楽しむ

ゲームの様な世界で伝わっているわけです。

これ正に平和ボケそのものです。

ウクライナでの戦争も他人事の様に眺めている訳で、

まるでスポーツを観戦しているかのように、

ウクライナ頑張れと叫んでいるだけの始末です。

 

こんな間抜けな姿をさらしている日本を、

恥ずかしいと思わないのですか?

 

【世界の規範となる日本とは・・・】

日本人が世界に貢献できる事は、

日本人の美徳が平和な社会に結びつく姿勢である事を、

証明していく事です。

それを伝える必要性は有りません。

日本人を見てもらい日本を感じてもらい、

その美徳に共感してもらう事で、

世界に浸透させるだけなのです。

その為には世界に愛される日本で無ければ成らないのです。

中国の人も、韓国の人も、

日本人が愛される存在であれば、

日本の美徳に共感する声が広まりやすく成ります。

彼らのメディアの中でも、

日本の美徳は時に好感されて伝わっています。

しかし、中国や韓国への偏見の眼差しや、

事実を隠蔽して見せる美意識が表面化すると、

日本人の本質は上辺だけと疑われ、

逆に日本人に対する偏見を抱く主張が強まり、

騙し騙される警戒心が反日感情を刺激するのです。

 

それは日本でも同じで、

中国、韓国で反日感情が強まれば、

日本の美徳は鎖国化して、

日本人にしか共感できないものと錯覚し、

むしろ日本人の美徳を崩壊させた議論が先行します。

いわば中国人や韓国人を蔑む形です。

 

【実は日本の美徳は、世界中どこでも同じ美徳がある】

世界の殆どの国では日本と同じ美徳意識があるのです。

しかし、社会構成上、中々他人を信じれない所があって、

他人に警戒心を抱く風潮が先行しがちです。

それに比べて日本は比較的社会が安定しているところが有って、

美徳意識が理解されやすい環境なのです。

中国でも、韓国でも美徳は尊敬を集めます。

ところが日本を含めて世の中には美徳の通じない相手が

数多く存在します。

いわば相手を理解しようとしない人が居る事です。

美徳を以て相手を理解できても、

相手がこちらを理解して尊重しなければ、

相手の要求は一方的な要求のままで、

尊重できる妥協点に到達しません。

寧ろ尊重し過ぎて要求をのめば、

美徳を持った側は多くの権利を放棄する形に成ります。

相手を尊重しないのは、

立場上の優位性であり、

ルール上の優位性が齎すもので、

これらが美徳行動を阻害する要因に成ります。

 

立場上の優位性は、

全て自らの要求が通じる所で、

自分の正当性が全てで通じるところです。

故に人はこの立場上の優位性を求める訳で、

美徳の必要性を失ってしまう所でもあるのです。

 

ルール上の優位性は、

ルールの正当性に立つ側は、

ルール上の正義のみに絞り込んで、

一切の配慮を断ち切れる立場を利用します。

これは主にマイノリティが排除される場合に見られる流れで、

ルール上マイノリティの主張は聞き入れられ場合に生じます。

 

立場上の優位性と、

ルール上の優位性、

これらは政治家などが持つ特権、

経営者なら社内で持つ特権な訳で、

美徳のない人間の決定は、

そこで構成されたルールにも、

全く配慮が存在しない一方的なものと成ります。

 

【自由とは何か?】

美徳のないルールには、

一方的な尊重のみ強要され、

もう一方は全く尊重されない訳です。

本来、米国憲法にも、日本国憲法にも、

マイノリティの保護は謳われてますが、

勿論、その自由が生命や財産を脅かすものであるなら、

そこへのルールは大事です。

しかし、ルールと言うのは、

立場上の優位性を持つ人間が、

好き勝手にあらゆるものを禁止にすることが出来るのです。

故に、法律などのルールは、

適正に議論され様々な形で尊重と、

規制で生じる側への理解を以て、

最大限に配慮された形で構成されなければ成らないのです。

しかし、それには多大な労力と知恵を要する為、

殆どの人間はこれに向き合わず、

自らの趣向に従ってルール化しようとするのです。

 

自由とはお互いが美徳を意識する中で、

許される範囲が広がるものです。

 

例えるなら、イスラム教のムハマンドの肖像画の話。

イスラム教では偶像崇拝を禁止する文化がある事を理解した上で、

その肖像画が適正な表現の自由として許されるかという問題です。

キリスト教文化では表現の自由で認められますが、

イスラム教徒にとっては決して許しては成らない行為です。

尊重、理解、配慮を以て双方で議論する場合、

キリスト教文化がイスラム教文化を

侮辱する行為に成ると理解されるべきで、

表現の自由をその理由で規制することは、

逆にイスラム教文化がキリスト教文化を

侮辱っする意味に成るか?

で、考えた場合、

そこはイスラム教文化に配慮を示すべきが、

キリスト教の教えとしての

美徳が成り立つと考えるべきなのです。

 

寧ろ問題は、イスラム教文化に配慮を示さず、

その作家がイスラム教徒に狙われる事態に発展するなら、

その自由は美しい社会とは言えないという形です。

 

【国際社会における美徳】

国際社会で、国連憲章にある内政不干渉は、

尊重、理解、配慮を重視したもので、

国家運営の自由を保証するものです。

それに加えて人権保護も国連憲章に存在し、

国家の暴政に対しては禁止する点も加わります。

ただし、この境界線は難しく、

ここで語る美徳なしで議論することは、

大きな対立を産むことに繋がっていきます。

 

美徳を理解することは本来難しく、

とても繊細なものですが、

本来日本人の文化的な性質上、

世界平和に対する責任感、そして世界の調和、

更には世界の共存共栄を目的として、

考えて貰った場合、

恐らくは多くの人が理解できる回答を選択できるはず、

と、思っている。

寧ろ保守の意見が先行して、

日本の国益だとか、プ日本のライドみたいな目的で議論した場合、

ほぼ美徳とは真逆の回答になるのも事実です。

 

【何故日本文化に美徳があると言えるか…】

日本の漫画・アニメの世界観は、

基本的に美徳を意識した作品が多いです。

ジャンプの友情、努力、正義のフレーズの中に、

強敵と書いて「友」と呼ぶみたいなことや、

敵だった相手が後に味方に成るなど、

敵だから悪者と決めつける先入観は排除されます。

これは小説なども同じで、

敵にも様々な理由がある形で描かれた作品に、

日本人は親しんでいるという点です。

まあ、信長たま的には明智光秀を美化するなんて、

冗談じゃない話なのですが、

そういう謀叛人ですら美化して見ようとする姿勢は、

美徳を理解する上で大事なのかもと言えます。

 

その中で、その人間への理解力が、

日本人の中だけで留まってしまうと、

その美意識は日本だけの独りよがりで終わってしまうのです。

むしろその美意識を偏見無く

グローバルに向けて開いて見れば、

日本人が世界の規範として尊敬される立場を確立できるのです。

 

まあ、司馬遼太郎のイメージした坂本龍馬的な感じに成るけど、

日本は東西の対立軸に関わるのではなく、

その中立的立場で、国際紛争の仲介役として、

国際的な地位を確立するべき。

と、伝えておきます。

 

【安全保障も国益も愛される日本であることが最良の策】

まあ、人間嫌いな奴は殴りたくなるが、

嫌いで無ければ殴りたいとは思わない。

今の時代、領土拡大して国益に結びつける発想は、

基本的にどの国もさほど興味がないです。

ロシアもウクライナ戦争で本来困窮するはずが、

ウクライナの不安定な拡張を当てにすることなく、

ロシア本来の領土だけ中で経済成長を続けている訳です。

まあ、領土を拡大したところで、

国交問題が発生する方が不利に成ると考えるのが基本です。

 

そうした環境を前提に、嫌われる国より、

愛される国として国際社旗での立ち位置を確立する方が、

むしろ安全かつ日本のイメージアップにも貢献するのです。

 

まあ、問題はそういう国際社会に踏み込んで仲介できるだけの

優秀な政治家がいないことですが…

せめて若い世代はそういう日本を目指してほしいと思います。

 

【忠告!!高市早苗(バカビッチ)は信用しては成らない!!】

今の高市のパフォーマンスは全て、

解散総選挙によって議席数獲得するためのパフォーマンスです。

先ず、自民党は少数与党の状態です。、

積極財政を唱えて国民にアピールすることで期待感を持たせてますが、

財政を圧迫する状態で多数派の野党が何の疑念も持たずに、

それに賛同するかという話です。

勿論、高市のパフォーマンスに野党が反対して、

法案が可決できない状態と成れば、

国民は野党の妨害を批難する流れに成ります。

そこで解散総選挙になれば、

国民は間抜けなほどにバカビッチを支持して、

再び腐敗した自民党を蘇らせるだけです。

そして今度は多数与党として公約実行の段階に成ると、

自民党内での調整で色々とできない形に成って行き、

元々も軍備増強の話ばかりが先行していく流れです。

 

いわば、現状の状態で

野党側との調整が成立しない状態が続くなら、

全ては解散総選挙に向けたパフォーマ数だという事を、

日本人は見抜くべきなのdス。

これ見抜けないと、

再び腐敗した自民党に国民はまんまと騙される流れです。

 

まあ、保守的な思考の人間では、

日本を上手く機能させることは出来ないと言っておきます。

 

国際統合という話…

実はかなり良い感じで浸透しているのです。

まだまだ発展途上国は頑張ってもらわなければ成らないのですが、

現代化した国はかなり増えてきて、

彼らの生活も大分良くなってきたようです。

そして世界はインターネットで繋がり、

グローバルなコミュニケーションも浸透しているのです。

アメリカにはアメリカの文化で魅了せよと伝え、

ネットフリックスなどの普及もあって、

更には音楽やスポーツも盛り上がり、

世界が共通の文化を共有できる状態にもなりました。

 

老害たちはこうした流れを

全く理解すらしていないのでしょうね。

 

未だ戦争の話でガチャガチャいがみ合っているのは、

ある意味、時代錯誤に感じる話です。

 

そうした中で日本人はもっと積極的に、

日本人の美徳を披露して、

様々な問題を中立的な立場で考える努力をしてほしい。

皆さんが読む、漫画やアニメ、小説の様に、

ウクライナにも、ロシアにもそれぞれ譲れない事情が存在し、

それを理解した上で、戦争をどう止めるか、

もっとそういう形の議論をして欲しいです。

ロシアを悪者扱いしたり、

日本が当事国になるが、

中国を悪者扱いするだけで、

馬鹿にしてみたりする程度の低い見識は、

恥ずかしいと考えて見て欲しい。

 

中国に媚びる必要は無いし、

米国に媚びる必要ない。

その中で日本は美徳を以て威厳を示すべきなのです。

勿論、ウクライナの話にしても、

国際問題は簡単には解決しません。

しかし、双方の言い分を聞き入れて理解できなければ、

仲介する大仕事は出来るわけがないのです。

 

トランプマンが頑張って挑戦してるけど、

それでも難しいのは…

ウクライナ国民の本心が聞けていないから。

ウクライナの人々は本当に領土奪還まで戦い続けたいのか?

それとももうこんな戦争を終わらせて

平穏な生活を取り戻したいのか?

先ずは選挙と言う形で問う所から始めるべき。

恐らくそういう流れでの一時休戦なら、

ロシアも受け入れる可能性は高いと言えます。

なぜならゼレンスキーが交渉相手で無くなる可能性が有るから。

その上でウクライナ国民が何を選択するか、

それを先ず見極めなければ、

戦争の見通しを示せないわけです。

戦争の見通しとは、

仮にウクライナ国民が戦い続ける選択肢を示したなら、

ロシアがどれだけ攻撃しても、

ウクライナ国民の戦意は削げない事を知り、

ロシアもこの戦争の泥沼化は

覚悟しなければ成らない事態で見極めれるわけです。

そうなると…ロシアにも疲れ果てるまでやるのか、

もしくは多少の譲歩は覚悟するかの話で、

和平交渉がすこしは進展する可能性も見えてくるのです。

何にせよ世論調査とか信ぴょう性の薄い報告は要らないので、

選挙と言う形の本音を先ず聞きたいです。

どうも…ショーエイです。

まず・・・

この人

どういう形で誕生したか、

皆さんご存知ですか?

 

彼は民主制の中から誕生したのです。

彼は第一次大戦での敗戦補償で苦しむ、

ドイツの国民を鼓舞して、

反(一次大戦)戦勝国を掲げて、

その感情に共感した民衆と共に、

ドイツの議会を制圧し、

憲法を変えて絶対的な権力者として誕生したわけです。

 

日本国民は何かと

反中国、反韓国の言葉に流されやすいですよね。

勿論、一般人はハッキリ言って学が無いです。

社会や世界情勢を研究している訳でもないです。

故に情報に流されやすいのはある意味仕方ないです。

まあ、それが一般人ならともかく、

情報を発信しているメディアにしても、

それ以上の情報を得られるはずの中で、

分析して判断を下す

政治家含めてその下の官僚たちも、

全く同程度で収まっている状態は、

情けないにも程が有ります。

今の日本人ではいずれ彼の様な人間に、

簡単に流されてしまうという事を危惧して欲しいです。

 

では、話を本題にして、

何故、台湾有事と存立的危機を

一緒にしては成らないのか?

 

情報弱者は、

台湾の為という意味だけで、

中国の圧力から彼らの人権を守るなら、

日本は共に戦うべきと安易に考えます。

まあ、優しさと正義感だけで語るだけなら、

そういう感情は悪くは有りませんが、

日本人にはメディアも含めて、

それ以上の議論は存在しない訳です。

 

しかし、国際法や国連憲章の中で、

世界が戦争に走らない形で考えた場合、

台湾と中国は1つの国という立場で

認識されており、

その認識の中で、

中国は台湾の自治を容認している状態です。

国連憲章の中には、

内政不干渉という事が謳われてます。

故に、どの国もこの問題に口を挟むことは、

基本許されないのです。

しかし、もう一つは人権保護も国連憲章に有るわけで、

中国の台湾統合は、

あくまで台湾人たちの意思に委ねられ

それまでの自治権は容認せざるを得ない訳です。

 

日本人の大半がそうであるように、

頭が全体的な解釈に追いつかないレベルは、

常に内政不干渉と人権問題の何れかしか、

自己の主張に取り入れられません。

いわばどちらを優先して考えるべきかで、

安易に判断します。

これは民衆が選ぶ米国の政治家の中にも、

沢山います。

ところが全体的な解釈を理解できるレベルだと、

優先度で理解するのではなく、

全ての状況を整理した上で交渉の仕方を探るのです。

 

優先度だけで語る人間は、

戦争になる可能性を全く想定していない為、

不用意に相手を刺激してしまう。

日本国民がこの問題で感情的に成るように、

相手の国民も感情的になり、

それが最終的に戦争への道を開くことを、

全く理解していないわけです。

韓国相手でも中国相手でも、

常に双方で感情的な議論が先行します。

これらの議論で終始する人は

優先度しか付けれないレベル故に、

自分の主張しか理解できないレベルで終わってしまう

と言っておきます。

まあ、保守の人の特徴とも言っておきます。

 

全ての状況を理解する人間は、

先ず一番の目的に照準を合わせて考えます。

一番の目的は戦争を避ける事です。

その上で譲れない一線は明示します。

それを国際法や国連憲章を用いて、

交渉に使うのです。

譲れない一線は保守の感情への配慮でもあり、

革新派だからでは有りません。

革新派はまた革新派で偏って優先度を付けてしまいます。

 

故に、台湾の独立を支持したり、

支援したりする行為は、

寧ろ内政干渉に当たる事を理解します。

日本の政治家たちは、

愚かにもこうした干渉する行動を平気で取ります。

日本人社会、特に昭和の人たちは、

他人に干渉することが平気だった事も有り、

この辺の感覚のズレは酷いかも知れません。

別段、台湾の政治家と話しても問題はないのですが、

あえて内政干渉に関わらないレベルで、

最低でも

「台湾の独立は支持していない」

ことは明言しなければ成ら無いのです。

 

ただし!!

ここからは中国に強く言える所で、

「台湾の自治権維持は日本の交易面、人材交友の面でも、

現状、中国本土とは異なる形で構成されており、

この自治権を脅かす行為は日本としても許容できない。

仮にこの自治権が武力的な形で脅かされた場合は、

台湾の人々の人権が脅かされる事態と見なされ、

この対応に日本国民は繊細な感情を抱く事態に成る事を、

中国政府は理解していただきたい。

その様な事態では日本政府としても

あらゆる手段が議論されることと成り、

日中双方の関係にとっても望ましくは成らなくなる。」

 

こういう言い回しが出来なければダメなのです。

その点、トランプと習近平の対談は、

こうした言い回しをもう少し省略して、

「どういう結果になるかは想像して欲しい」

で、終わらせただけなのです。

 

【日本の世論やメディアがここまでの理解力が無いのなら・・・】

正直、戦争の意味や、

戦争がどういう形で起こるのか、

全く理解していない平和ボケそのものです。

戦う意思があるとか、

戦争に備えるとか議論するのは、

平和ボケの中でも出来ます。

平和ボケしているから余計に強気に成れるのです。

なぜなら誰も戦争の恐怖を知らないからです。

戦争を本当に怖いと思うなら、

もっと慎重に考える訳で、

存立機器なんて言葉を安っぽく口にはしないはずです。

 

国際法上、中国国内の台湾問題に口を挟むことは、

中国の国内問題に干渉している行為で、

まして独立を支援したり支持したりする行為は、

中国の国益を戦略的に脅かす行為に成るわけです。

ウクライナの話は、

NATOの戦略的懐柔工作が原因で、

ウクライナの内政問題は関係ありません。

それでもNATOがロシアに敵対意識を示す行為ゆえに、

ロシアにとっては一線を越えた、

いわば「存立危機」に成ったため、

戦争に踏み切ったのです。

中国にとっては内政問題の台湾が、

「独立」という事態に成った場合、

中国にとっては「存立危機」になるわけで、

100%戦争に踏み切る事態です。

先ず、日本人はここを理解しておかなければ成りません。

 

逆に台湾の現状、いわば自治権が脅かされる場合、

米国の威厳に関わる事態で、

「存立危機」とは全く別の意味で

一線を越える事態と成ります。

ここで言う「米国の威厳」とは、

米国を背景とした戦争抑止力への信頼です。

 

この棲み分けを全く理解もせず、

台湾有事を日本の存立危機と言ってしまう事は、

中国の存立危機と見なす

台湾独立戦争もそれに含まれる意味に成る為、

むしろ日本政府の主張は、

「台湾の独立を煽って中国に侵攻する」

という表現を含む訳です。

 

日本人はそういう意図は無いと訴えるでしょうが、

そういう意図に伝わる事を理解すらしていない、

日本人の知的レベルの低さと平和ボケした感性に

寧ろ恐ろしさを感じるとも言えるわで、

ましてや裏で台湾政府とコソコソ繋がる姿勢を見せれば、

むしろ独立を煽っている様に見られても、

当然の話と成るわけです。

 

まあ、中国びいきの話では無く、

寧ろ米国よりの話で伝えるなら、

米軍抜きで日本は

中国と戦争してくださいと言っておきます。

米国は台湾の独立戦争には関わらないし、

日本がそれを煽って引き起こす戦争なら尚更です。

 

まあ、中国のミサイルが一発でも米軍基地に落ちれば、

その限りでは無いでしょうが・・・

尖閣諸島をめぐる争い位なら、

限定的な紛争は有かも知れません。

 

日本の世論も、

米軍抜きで平和ボケした議論をして欲しいもので、

日本人の平和ボケした行動で、

寧ろ米国を巻き込まないで欲しいです。

 

今、日本人がバカビッチを支持している状態や、

バカビッチの発言で、

中国に弁明も謝罪もしなくていいなんて話は、

ハッキリ言って「虎の威をかるキツネ」そのもので、

正直、恥ずかしい限りです。

まあ、こんな国民故に、

簡単にチョビ髭独裁者の様なものを

誕生させやすいし、

そういう流れで安易に憲法改正に踏み切って、

今の良い形の日本を破壊してしまう危険性を含むのです。

 

日本人はもっと考えるべきなのですが・・・

日本を守るためには、

先ず、馬鹿が馬鹿な権力を握れないように、

憲法を一切改正することなく保持することで、

馬鹿が安易に戦争できないように、

自衛隊を現状程度で維持するに留めさせるべきなのです。

 

その上で・・・信長たまならどうするか・・・

 

兵器はいつでも作れるようにしておけばいい。

技術開発なんて、

いくらでも軍事転用できるもので、

 

信長たまに言わせれば、

「俺だけが、いつでも使えるように、

技術と生産力だけ最高の状態にしておけば、

軍隊を今拡張する必要はない!!」

 

と、言うでしょう。

まあ、PCのパーツの様に、

今の兵器は直ぐにアップデートされて、

古い仕様に成ってしまうので、

いくら揃えても寧ろ無駄という訳です。

ウクライナでまだ戦争が続いている様に、

現代の戦争は何年もかかるわけで、

最新の技術を最速で生産できる状態の方が、

圧倒的に優位に立てるわけです。

 

まあ、今の日本政府も日本人も、

平和ボケしすぎてて、

ウクライナの戦争がどういう常態か、

真面に分析してる感じも無いわけで、

小泉進次郎の馬鹿さが、

寧ろ日本の限界を知らしめているだけという事すら、

だれも気付いていないレベル。

 

え?何が馬鹿さかって・・・

政治家が全く戦争を理解していない発言の数々。

日常茶飯事の事態を、危機感煽って、

国民に原子力潜水艦のおもちゃをねだっている有様。

原潜は中国も保持している兵器で、

寧ろその原子力潜水艦を撃退する為の、

潜水ドローン兵器開発を考えるべきじゃないのかな・・・

原潜に原潜で対抗するって・・・

敵の原潜を無力化するにはという発想が

防衛省にも、自衛隊にもないという点まで、

あからさまにアピールしている話なのです。

 

国家情報局の話にしても、

自分たちの発言や言動、そして行動が、

寧ろどういう分析に当てられるのかすら

理解できていない点と、

そういうアドヴァイスが出来る頭脳が、

日本に存在しない訳では無く、

寧ろ日本人は活用できないという所まで、

露わにしている話です。

 

イチロー選手や大谷選手の様に

本当にメジャーで活躍できる選手が登場して、

日本の強さが証明されたように、

今の日本の政治家に、

それだけの存在が居るか?

と、いう現実は理解して欲しいです。

メジャーにも行けない、

ある意味、プロと呼べない程度のレベルで、

幼稚な試合(議論)で終始するものを見ても、

一流は育って来ないわけで、

代わりが居ないから

「マシ」を選んでいるだけの国民は、

この程度に期待を持つべきではないと言っておきます。

 

 

どうも…ショーエイです。

台湾有事に関してですが・・・

昔のアホ晋三と一緒で、

まるで幼稚園児の発想ですね。

それともエセヤンキーですか?

 

「バックにアメリカさん居るからな!!

中(チュン)なんて怖くねぇぞ。」

 

そういう事言っているのと同じで恥ずかしいです。

え?台湾有事を日本だけでやるつもり?

まあ、そういう発想すら無いですよね。

仮にそういう発想だとしても、

ドンだけ大きな博打を打つつもりなんですか?

 

ハッキリ言ってトランプマンの方が、

賢く伝えていた。

 

「台湾への武力行使がどういう結末に成るか、

想像して欲しい。」

 

適切な言葉すら選べずに、

米軍ありきで強気な姿勢を示しても、

国際法を無視した言動でしかないわけで、

実際には憲法違反なのです。

安保法制の違憲部分がもろに出tら話でもあります。

それ以前に、国際法、

いわば内政不干渉から外れた意味でもあり、

こういうバカが総理大臣に成って、

馬鹿な発言や、

馬鹿な判断で、

それこそ存続危機を煽る行為で、

むしろ国民を危うくさせたているだけに成るのです。

しかも、日本が国際法を理解せずに、

他国を挑発した状態で、

これで日中関係が拗れて、

収拾つかなく成ったら、

同盟国のアメリカもいい迷惑です。

 

賢い大人なら、

タ湾問題に対して何も言う必要なく、

台湾には経済的な協力のみ伝えるだけに、

留めておき、

同盟国であるアメリカと歩調を合わせて、

状況は見守らせていただくとするべきなのです。

実際に台湾有事が発生した時、

その状況に応じてその時にどうするか、

決断すれば良いだけの話で、

別に口だけで身勝手な約束をする必要もないです。

 

え?中国への抑止力?

それはアメリカありきの話で、

日本が何様という程度で、

むしろ抑止ではなく挑発にしか成らないと、

理解した方が良いです。

 

とにかくエセヤンキーか、

パパのご威光で強がるガキンチョみたいで、

滅茶苦茶ダサいです。

 

ああ、コイツはビッチだから、

パパのご威光で我がまま言ってるビッチでした。

 

と、いう事で!!

新首相の芸名は

 

「バカビッチ早苗」

 

で決定です!!

 

ホントにバカビッチは迷惑でしかないですね。

朝の3時から・・・え?勉強会?

何の勉強してるの?

まあ、自分は良いですよね、

殆ど政治ゲームを遊んでいるのだから、

時間も忘れて夢中に成れる。

頑張っているアピールを、

夢中に成っているだけの姿でされても、

寧ろそれに付き合わせてる人たちへの

気遣いが全くない所が、

ビッチそのものと言っておきます。

 

これ労働環境も同じです。

経営者は自分の裁量で、

経営している訳で、

時間を忘れて夢中に成れます。

ほぼ趣味に没頭しているのと同じ状態です。

でも、その下で働く人たちは、

生活の為、

その経営者に従っているのが殆どです。

 

故に、感じるストレスは全く別物なのです。

 

バカビッチの様に

自分はある意味、

政治という趣味に没頭しているだけの状態で、

その没頭している症状に、

周りの助けを強要しているというのは、

チョーブラックな環境であるわけです。

最近、色んなハラスメントで表現されるので、

これを生活ハラスメントと言っておきます。

 

逆にバカビッチが誰も巻き込まずに、

一人で勉強したり、

資料を探したりしているなら、

それは評価しても良いでしょうが、

 

周りの助けに頼っている時点で、

寧ろ周りに気遣うぐらいの配慮を見せろ!!

と、いう話です。

手作りのおにぎり?

はぁ!!

それで本心から喜んでいるのは、

おにぎり作った本人だけです。

 

こうした気遣いや配慮も、

結局は自己満足でアピールしているだけの人間が、

どうして労働環境の改革なんて言えるのでしょうか!!

 

正にこれぞ!!

バカビッチ早苗

なのです。

 

あのね・・・バカビッチ同様の馬鹿経営者に

本音を伝えて、

その会社で無事でいられると思いますか?

誰も本音を言わずに、

特に日本人は、

「頑張ります!!」

としか言えないのですよ!!

 

そういう事も理解できない

バカビッチが今の日本の首相なのです。、

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

高市早苗の支持率が

何だか高い感じに成っていますが、

日本人は政治家の実態を勘違いしすぎです。

まあ、芸能人の表面上の顔に騙されてきた

国民ばかりで、

表面上の顔から裏の顔を見抜けと言うのは、

今更難しい話と思いますが・・・

 

【先ずは自民党の実態を見抜け!!】

高市はガチガチの自民党です!!

自民党が聞き入れない話は、

まず党内議論で通らない事を知っています。

その上で聞く姿勢だけをアピールするのは、

実際の決定には何の影響も及ぼさないという事です。

 

聞く姿勢をアピールすることで、

高市本人はそういう気が有ると思わせるのが手口で、

実際は党内の反対で実現できないと知った上での、

パフォーマンスでしか無いのです。

「正にビッチの思わせぶり!!」

 

更には「やりますやります」も、

結局は野党が反対するから出来ない状態を、

とりあえず見せ付けて、

自民党回帰を演出するのも目に見えている話なのです。

問題議員を要職に付けて、

陳謝でアピールする所も、

「正にビッチの泣き落とし!!」

というパフォーマンスです。

 

女性があまり高に好感を持てないのも、

実はこの「ビッチ」な雰囲気を

薄々感じているからです。

 

安部という自民党の権力に媚びて、

地位を引き継ぐかのようにして為しえたことは、

これ「正にビッチの極み!!」

なのです。

 

結局は、あちこちにいい顔見せて、

腹の中では…

「どうせ自民党の人たちが反対するだろうから・・・」

と、結論をすでに知っておきながら、

「とりあえず話だけは聞いてあげる」

という自己を身化するパフォーマンスは、

「正にビッチの秘技!!」

なのです。

 

空襲被害者救済法案・・・

全く通す気ないのが丸見えですね。

それを党内で纏まらない話にしている時点で、

「正にビッチの責任逃れ!!」

という実態を晒している訳です。

 

まあ、戦争責任の話を大戦中の

旧日本政府の責任にするのは、

ビッチのパトロンの保守派を怒らせる話に成るから、

ビッチとしては死活問題になるのは分けっている事です。

 

ビッチがビッチらしく振舞うのは、

下手なアイドルが

好感度を上げるパフォーマンスと同じ、

それでその芸能事務所が潤うならと、

自民党も好感度アップでウハウハな訳です。

揉め事は事務所で処理する様に、

面倒事は党内で処分するといった感じなのでしょうね・・・

 

男に媚びた女そのものに見えるのは、

実態が正にそれそのもの故だからで、

正直、「ビッチ」が

日本初の女性首相になった珍事と言っておきます。

 

芸能界に限らず、

一般社会にもビッチはいっぱいいるわけで、

男どもはビッチを殆ど見抜けません。

ところが男性社会も女性社会も同じで、

異性の前だと態度が変わる奴は、

男でも女でも「ビッチ」なのです。

 

スペイン語だと、

男は「プート」、女は「プータ」と、

別々の表現が有りますが、

英語だと「プート」に該当する用語は無いんです。

まあ・・・「マザーふぁXX-」がそれなのかな・・・

ある意味「究極のマザコン」の意味で・・・

 

とにかくこういう言葉で罵られる人たちは、

直ぐに自分の都合で裏切る、

他人を平気で利用するタイプで、

自分を表面上良く見せようとする能力だけは、

ずば抜けて優秀です。

 

実際にアメリカで女性から「ビッチ」と罵られる子は、

性的に緩い女性を差すのではなく、

男性に平気で媚びて自己アピールをする子で、

男性が「ビッチ」と呼ぶのとは全く別でも有るのです。

まあ、これは日本の社会でも同じかも知れませんが・・・

 

という事で、

何故、高市の女性初が

女性の間で盛り上がらないのかの理由は、

高市が本質的に「ビッチ」である事を、

薄々感づいているからと言っておきます。

まあ、年齢も年齢で、

政治家という立場もあって、

コイツは「ビッチ」と断定しずらい状態ではありますが、

正直、トランプとのパフォーマンスも、

正に「ビッチ」に見えたから、

何気に違和感を感じたのだと思います。

 

ちなみに小泉進次郎は、

高市早苗の男版、「プート」の典型なのです。

なのであの総裁選は、

「プータ」と「プート」の

尻尾振り合いだった感じですね。

どうも…ショーエイです。

日本の政治家で誰が良いか・・・

石破君が一番真面だった。

 

メディアはこぞって高市早苗を押しているが、

アホ政治を継承する時点で、

日本を任没させる存在でしかない。

 

死んでも許したくないのでアホと呼びます!!

 

日本人の怖さといううか・・・

日本人の愚かさは、

負けるとsyぐ謝るところ。

どれだけ強気な態度でも、

結果ヤバくなるとすぐに謝罪して許しを請う人間が、

今の日本はとにかく多すぎるのです。

戦争する前は強気でも、

いざ結果的に勝てなく成れば、直ぐに降参してしまう。

戦前の日本人は、今のウクライナの様に、

負ける事を許せないところがあり、

むしろ政治家たちは自分の身を守らせるために、

国民を盾にする有様だった感じです。

ゼレンスキーを評価する人も居るが、

ゼレンスキーに責任感は責任感では無く、

我が身恋しさに戦争にしがみつくしかない状態で、

東條ら戦時中日本の政治家にそっくりなのです。

仮に弱気に交渉が纏まれば、

ゼレンスキーはウクライナに

居られなくなる可能性が高いからです。、

 

【どれだけ軍備を備えても、戦争になれば最前線の日本】

軍備が抑止力になると勘違いする人も多いですが、

日本が軍備を増強すれば、

日本が敵対意識を表明する中国やロシアも、

それに備えて構えるだけ。

米軍の存在が抑止力になると考えているのは、

それこそ平和ボケの発想です。

 

戦争が始まる時は、どちらか一方がキレた時で、

ロシアは欧米に対してキレたから、

ウクライナ戦争に踏み切った。

これは中国も台湾問題でキレたら、

いつでも戦争に踏み切ると言う事でも有ります。

ロシアはキレた時点で、

NATOを含めて相手にする覚悟が有ったわけで、

中国も同様に覚悟を以て挑む訳です。

この場合、勝てない可能性は関係なく、

意地で戦ってくるので、

核兵器の使用も辞さない戦争になると言えます。

いわば国際法は既に関係の無い状態に成るわけですから。

 

【米中双方お互いのキレどころは既に把握し合っている】

米国のキレどころは、台湾の自治喪失です。

中国の切れどころは,台湾の独立です。

一見パレスティナ問題に似てますが、

実は全く異なり、

中国は台湾の自治を容認することで、

台湾の人々は保証された生活が営めている訳です。

その反面、パレスティナの人々は、

不当な侵害を受けるなど、

人権問題で見れば違いは明白です。

 

ただし、中国は台湾を懐柔して、

中国本土の影響力を強めようとしている訳で、

米国はそれを台湾自治の危機と警戒している訳です。

中国の懐柔策は基本的には問題ない行為ですが、

国際法上、民意の要請が米軍を動かす大義となる意味では、

台湾人が中国に懐柔されて中国よりにシフトした場合、

台湾での米国の影響力が失われて

手出しできなくなる可能性が生じるのです。

 

中国政府が台湾の市民に働きかけるのは、

むしろ国際法上なんの問題も有りません。

米国や日本も、台湾の市民が自治を維持するように

働きかけるのは問題無いです。

ただし、政治に対してのロビー活動は、

米国がロシアや中国に対して内政干渉と訴える限り、

本来は中国が内政干渉として指摘するのは、

国際法上の「道理」に成ります。

米国や日本が出来る事は、自治政府との、

貿易に関する話で、

これを以て台湾の自治意義を伝えなければ成らないのです。

 

これが本来、紛争を抑える中での

双方の許容境界線とも言うべき、

中間軸と成ります。

それを越えて、日本や米国が

台湾の独立運動などを支持したり、

支援したりすると、

中国政府にとっては、

国際法上の敵対行為に成るわけです。

いわば台湾の独立は台湾を米国が侵略した意味に成るわけです。

 

武力行使するだけが侵略ではない。

戦争の侵略には、調略も含まれることは、

歴史を多少でも知っている人なら理解できる話です。

NATOという組織が、ロシアを敵視する状態である以上、

ウクライナを勧誘する行為は、

NATOという組織による、中立治天の侵害に成るわけです。

更にはロシアへの不信感を煽る形で、

反ロシアへの活動を支援した形が露呈し、

ロシアはこれを問題視した訳です。

そしてロシアはNATOのこの行為に対して、

こうした活動を止めるように要請しましたが、

NATO側欧米諸国は、民意が求めるならという理由で、

それを盾に突っぱねる姿勢を示したわけです。

 

ウクライナの中立状態を覆すだけでなく、

反ロシアという運動を支援した行為は、

明らかにロシア敵視の範囲を広げる行為で、

これをあたかも平和的な意味で主張すれば、

ロシアがブチ切れて当然の流れに成ります。

 

同じ様に台湾問題にも当てはまる訳で、

国際平和とは反対の敵対行為を正当化する話に成れば、

この問題でも中国がキレる事も考えられるわけです。

 

【ロックスターがヤクザを切れさせて地獄を見る】

格好やパフォーマンスだけのロックスターが、

犯罪で捕まる事も辞さない任侠者相手にに、

フザケタ態度で挑めば、

どこかでブチ切れさせてしまうのは、

実は昔からよくある話です。

ロックスターではないが、

歌舞伎役者がそれで痛い目に会った事件も有りました。

 

その昔は、プロレスラーの力道山の話も有名です。

 

戦争をするのは犯罪行為と同じですが、

それを承知で決断をする人も居る事を、

知っておかなければ成らないのです。

平和ボケしている人は、

抑止力で何とでもなると思っている。

格闘家の様に鍛え上げた肉体があれば、

任侠者やヤクザ、マフィアも怖くないと勘違いする人もいる。

でも、そういう任侠者は相手を「倒す」では無く、

「殺す」の意味で意地を張ってくるのです。

中には半端者も混ざる任侠の世界故に、

覚悟を持つ人に遭遇する方が珍しいかも知れませんが、

一国の頂点に立つ者は、

軍隊と言う兵隊を抱えている分、

寧ろ覚悟を決めてキレやすくなるものです。

勿論、それは高市早苗も同じですが、

戦争を熟知して考えられるかはまた別物です。

 

実は修羅場を理解している人ほど、

我慢強さがあり、キレどころ

いわば引けない境界線を越えたときには、

徹底した態度で挑むのです。

ロックスターと表現しましたが、

パフォーマンスで意地張ってるだけの人間は、

寧ろキレやすいが修羅場を知らな過ぎて、

いざという時に優柔不断になるケースが多いのです。

 

まあ、人間性の話で難しくは成りますが、

簡単にいえば、

最高司令官が優柔不断な場合、

劣勢に成ると直ぐに他人に責任を押し付けて、

組織の指揮を乱してしまう訳です。

これが大きく作戦遂行や、

局地戦での指揮に影響してくる事は、

良く知られる話ですし、

実際の会社組織でも明暗の分かれるぶぶんで理解できます。

逆に覚悟を以て挑む最高指揮官だと、

全ては自らの決断による所で、

責任を持ち、更には組織の諸問題に対して、

事後ではなく事前に対処する形で処理します。

明確に伝えるなら、

事後の問題は自分の監督ミス、

事前の問題は、事前に問題が発生する部分を把握し、

何らかの処置を施します。

 

結局のところ人間性の部分が大きく出る部分でもある為、

その人間の「覚悟」という部分が影響する訳です。

 

舞台の意味も含む「度胸」が有れば、

喧嘩や戦争を吹っかける事は出来ますが、

「覚悟」が無ければ逆境に直面した際の冷静さが、

保てなくなる感じです。

いわば度胸を以て舞台に立っても、

ノリが悪いとか反応が薄い場合、

どう対処して良いか困惑してします訳です。

 

最近見られた例が、

トランプが米軍の指揮官を招集した時の場面が、

面白い例になります。

トランプの演説中、一堂に集まった米軍指揮官たちは、

一切何の反応もせずにただ黙って聞くに手敷いたわけです。

舞台読経のあるトランプでも

流石にたじろいだ雰囲気だったわけで、

むしろトランプの煽りに動じず、

その姿勢を貫いた指揮官たちの覚悟の方が、

むしろ勝ったという出来事だったのです。

 

【高市早苗は安部同様に、覚悟がない!!】

軍事を語る人間は、

口では無く、その姿勢で覚悟を示さねば成らないのです。

口ではいくらでも「国民の命を預かる」と言えますが、

覚悟が無ければその「国民の命を預かる」姿勢に、

あやふやな論理で行動する訳です。

先ず、台湾有事も含めて、

極東情勢で米国の戦争に関与する時、

日本と韓国は最前線に成ります。

だれもこの事を国民に伝えません。

米軍が守ってくれるから、

日本本土は安全だと国民に勘違いさせている訳です。

覚悟の無い政治y杖に、

実際に戦争になって本土にミサイル被害が出始めたら、

日本国内ですぐに厭戦モードの議論が生じる訳で、

米国本土は安全で、日本国内は被害多発な面を以て、

日米安保は不平等などという事も言われ始めます。

こうなる前に、

戦争に成った場合の覚悟を国民にも伝えた上で、

外交をどうするか議論することの方が大事なのです。

 

【国民民主の玉木は安保法制は意見でないと言っているが・・・】

当ブログでは、以前、

安保条約の英文内容まで解釈して、

「お互いの憲法、法理に准じた上で」

という条件的記述が盛り込まれているため、

安保条約自体は違憲ではない事は触れました。

しかし、日本政府が安保条約の下で制定した

安保法制に台湾有事や領海外での活動を許容した内容が

盛り込まれている場合は、

明らかに違憲になります。

 

憲法解釈で多重解釈、最大許容の中で

行動範囲を求めるという話もしましたが、

法案に関しても同じで、

法案の許容範囲が、

憲法上の許容範囲を越えてしまう内容の場合、

それを越えた活動は違憲と成ります。

日本人の場合、と言うよりも、

アホ元首相の様なやり方では、

その許容を守る自主的な規制をできない、

またはしない訳です。

故にあえて政府に明文化させない限り、

その法案自体は違憲内容を含むものとして

扱って当然に成ります。

日本語文でも、国際紛争を解決する手段としては、

如何なる武力の行使、威嚇も禁ずる(放棄する)

と、書かれている訳で、

台湾有事も領海外の活動も全て違憲です。

安保法制には台湾有事はまだ記されていなかったですが、

領海外の活動は記されていたため、

違憲という判断です。

その後、アホ元首相は違憲を通り越して、

台湾有事を日本の有事として扱う様な

無責任な発言をしたわけです。

 

【靖国問題に関して・・・ロックスター気取りほど行きたがる】

靖国参拝は、ロックスターのパフォーマンスと同じです。

ただ格好良さを見せつけたいだけ。

逆に、本当に信念ある人間なら、

寧ろ負け犬東條らが合祀された場所に行きません。

戦争の功労者というより、戦争の犠牲者の多くが、

東條ら加害者と同じ場所に祀られている状態は、

未だ戦時中の政治的洗脳と束縛から

魂が解放されていない状態ゆえに、

寧ろ本当のソウルを謳うロックスターなら、

その理不尽な状況を不可思議に感じるべき状態なのです。

またそんなクソみたいに残酷な状態で祀られた

靖国参拝に拘る状態は、正に彼ら被害者の英霊同様に、

未だあのクソ帝国政治の洗脳から解放されていない

日本人の象徴でもあって、逆に恥ずかしい連中でも有るのです。

そしてこの洗脳されたままの保守を名乗る日本人が、

意味不明な中国などへの敵視政策を繰り広げて、

古くさびれた大艦巨砲主義的な軍事に埋葬するのです。

戦闘機や空母、原子力潜水艦より、

ドローン戦術に切り替えろという話でもあるわけです。

 

【馬鹿丸出しのの小泉防衛相】

ロシアの爆撃機が飛来して大騒ぎ・・・

馬鹿ですか?

ウクライナ問題を通じて、

日本は経済制裁に参加した時点で、

基本的にはロシアからすれば敵国です。

スクランブルに発達したのは当然です。

爆撃されないだけまだマシですね。

で・・・防衛大臣としてロシアの動向が怖いですね

と今更言いたいのでしょうか?

 

むしろ外務大臣を通じて、

ロシアの動向に注文を付けましたとか、

領海侵犯には断固として自衛権発動に関わる事態として、

対処するし、その旨をロシア側に伝えた。

と、いう事を示すべきなのではないでしょうか?

 

核兵器も搭載できる爆撃機が飛来してきました・・・

なんて情報発信する程度なら、

防衛大臣じゃなくYoutuberで良いんじゃないのかな・・・

 

【維新の吉村の発想には中身がない・・・そろそろ気付いてくれ】

維新の吉村は、副首都構想やら議員定数削減やら、

真新しい発想や、聞こえの良いことを言っているが、

全く中身が無い。

いわば必要性に関してなにも無い。

議員定数削減は、議員経費削減の意味で聞こえはいいが、

寧ろ国会議員という代議士一人に対する

国民の票の割合がそれだけ減る事を意味する。

まあ、国民権利に無知な日本人は

気付かないかもか知れませんが、

議員数が減れば減るほど、法案は通りやすくなる。

少数政党は淘汰されやすく成るわけで、

少数意見は届きにくく成る。

民主主義は独裁制や一党独裁の政治と違って、

法案を寧ろ簡単に決めにくくして、

極力必要最低限で安定社会を維持する為の制度です。

法案を決めやすくすると、

アホ政権時代の様に議論をおろそかにして、

政権主導で推し進められるため、

ほぼ独裁と同じ状態に成るのです。

 

議員定数を削減すれば

それだけ政治資金を選挙区にばら撒く場所も減るわけですが、

寧ろ少数政党が一極集中で勝負を掛ける駆け引きで、

資金豊富な大政党が有利になるだけの話に成ってきそうです。

 

ただ、大政党有利とか、

もっと2大政党であらそえるようにとか、

賛否両論ある話だけど・・・

ハッキリ言って別に減らして減らさなくても、

ポンコツが選ばれる状態に変化は生じないという事です。

 

【これは世界規模で言えることだけど・・・必要な情報とは・・・】

国家情報局という戦争に焦点をあてた情報より、

もっと大事な情報収取が有るのではと言っておきます。

それは生活物価情報局です。

どの国も戦争や犯罪への情報局は扱っているけど、

生活面の情報局は全く考慮すらしていない。

なのでこうしたインフレ問題が発生するのです。

先ず、経済学者ですら何故現在のインフレが発生するか、

明確に伝えきれていないのが事実です。

 

最近、企業では最低賃金ではなく、

生活賃金という言葉を給与保証に加える所が

多々見えます。

この生活賃金の水準を先ず情報として

調査するべきなのです。

この生活賃金が一応は中間所得の最低層と規定し、

そこから最低賃金を少しづつ引き上げて行くわけです。

その最低賃金上昇で必ず生じる

人件費からのインフレ状況を情報として把握し、

生活賃金のラインを算出して国が情報を後悔するわけです。

 

過度なインフレは、この最低賃金上昇と共に、

生活水準を満たしている中間所得升の

賃上げにまで反応して、

過度な価格上昇を余儀なくされる状態で、

現在のインフレが発生している訳です。

本来の理想は、最低賃金上昇のみで、

最低賃金以上を稼いでいる労働者は保留とし、

その上で物価の上昇状況を見極めたうえで、

生活賃金の目安を引き上げて、

調整する必要が有ります。

概算ですが、最低賃金20%=時給1000円が

1200円に上がる状態で、

物価は恐らくパートの人のみの上昇分で、

2%程度上昇する位と見込みます。

この正確な数値を算出するのに、

国を挙げた国家生活物価情報局が調査するべきなのです。

例えば現状1杯1000円のラーメン屋で、

一日50杯売れる(少ない方だが)場合、

1日の売り上げが5万円、

人件費を除く原価率を40%(ちょっと高目)とすると、

売り上げは3万円。

8時間営業で50杯のお店なら店員1名と

店主で十分と見なし・・・

時給1000円の場合、店員には日当で8000円です。

店主は残り22,000円が手取りと成ります。

※ラーメン店としては最低ラインの条件です

そこでこの店員の時給を20%の1200に上げます。

すると日当では9600円になり、

店主の手取りは20,400円に減ります。

店主が一人でラーメンのスープを作る時間まで考えれば、

+6時間は欲しい所で、店主の時給としては20,400で、

時給1457円位と成ります。

店主としては本来ならもっと欲しいですよね。

※ただし、この売り上げではギリギリのラーメン店です。

ここでインフレ作用の心理が働き、

自分の日当を元の22,000円にしておきたいわけです。

すると自然と売り上げを32,000円に成るように調整します。

本来なら他の要因にもインフレが発生する為、

原価率40%のまま32,000円の売り上げにするには、

50杯=54,000円とすることに成り、

1杯の単価は1080円と80円UPに成ります。

すると8%の価格上昇と成るわけです。

 

ところが…本来社会構造的に考えるなら・・・

14時間労働の日当20400円で時給1457円を、

8時間労働に換算して25日計算でみると、

29万1400円の月収に成ります。

(6時間分の残業代は差し引いて)

22,000の場合は、時給1571円で、

8時間労働としての月収は31万4000円です。

 

生活賃金に現在明確な指標は無い状態ですが、

日本で暮らす場合、東京都内でも、

月30万円(税込み)は必要として、

29万1400円では8600円不足すると考えます。

人件費上昇で収入が減った分は

本来自助努力で回復させるのが望ましく考えるべきなのです。

いわば、50杯しか売れないのを55杯売れるようにして、

一杯1000円のまま一日55000円にすれば、

店主の給与も上がるわけです。

本来、最低賃金を上げる社会的作用は、

貧しい層の収入が増えた分、需要が増加する意味で、

ここでいう5杯分の需要が増える形で考えるべきなのです。

 

ただ、5杯というと10%の需要増を意味するので、

市場全体では作用が大きすぎる感じもある為、

生活賃金のラインでの価格調整は考慮して良いとします。

そこで8400円/25日/8時間=42円を1457円に加え、

ザックリ時給1500円として、14時間で21000円。

一日50杯の売り上げから

600円上乗せすれば良い計算に成ると、

実は丁度一杯1020円の計算で成り立ち、

丁度2%の上昇で成立するのです。

あとの残り1000円分は頑張って1~2杯多く売れれば、

何とかなる話で、

売り上げ2~4%の増加を達成する努力に成ります。

まあ、全てが2%で上手く行くとは限りませんが、

最低賃金上昇と経営的自助努力に

生活賃金を用いたフルタイムの月収水準で、

インフレを調整することは本来可能なのです。

 

ただ資本主義社会では、

店主が自分の取り分をそのまま維持する為に、

価格を8%の1080にしようとしたように、

価格が必要以上に上昇してしまうため、

結果として最低ラインの上昇で生じるはずの需要増が、

価格上昇で相殺して圧迫してしまい、

純粋と言うより理想的な収益増加ではなく、

需要数に変化が生じない

価格上昇分だけの収益増に陥り、

徐々に生活バランスを崩すスパイラルに向かうのです。

いわば…最低賃金を一気に100%上げたとして、

収益上20%の人件費上昇で

8%の価格上昇を欲しがるとした場合、

物価は一気に40%も上昇します。

ここで問題なのは、40%も上昇してしまうと、

生活賃金の最低ラインも一気に上昇します。

貧困層にプラス中間層の人件費高騰まで生じると、

貧困層の収入が倍に増えても、

今度は貧困層の収益はそのまま置き去りにされて、

価格上昇は40%から中間層の生活賃金上昇で、

更に80%、更なる利益維持の経営心理が作用して、

物価は100%を超える現象が発生します。

この中間層の上昇分は、

建築労働者の賃金も含まれ、

建築費の増加に伴う家賃の高騰、

更には輸送業に於いては運転手の賃金上昇で、

輸送費の高騰を招き生活費はどんどん圧迫されていきます。

すると最低賃金は上昇せず、

価格は徐々に以前の120%を超える状態に成ると、

既にせっかく増やした需要は

徐々に失速して行く状態に陥るわけです。

 

米国では既に制御不能な状態になっている感じで、

かなり危い状況です。

それ故に、こうした物価と生活のバランスを調査して、

適正な基準を国が与えて、

極力制御不能なインフレに陥らないようにするための、

情報機関が必要と言えるのです。

価格上昇が制御不能で8%上昇するのと、

制御の中で2%に抑え込むのでは、

最低賃金を現行の100%上昇させた状態で考えると、

一方は40%、もう一方は10%で

明らかに大きく違いが出るわけです。

 

まあ、日本も資本主義なので、

調整は難しいですが、

底辺の需要を増やして企業の収益を上げ、

その増収益を元に

中間層の賃金を緩やかに上げるのです。

上手くこれをコントロールすることで、

貧富の差は、現状底辺60度の三角形が、

30度の緩やかな三角形を描くように向かうのを

理想とするわけです。

ある意味、CIAなどの様な頭脳を、

寧ろ経済調整する機関として活用すれば、

これが理想ではなく現実に出来るという事です。

 

どの国も軍事の事ばかりに頭脳を用いて、

あれだけの情報収集能力を、

逆に経済政策の方面に活用したら、

全然違って来るんじゃないのかな・・・

 

まあ、日本の政治家には

こういう発想は無理なのかも知れないけど・・・

 

因みに・・・日本は今、

中国にドンドン押されている訳ですが、

中国優位のEV市場、

アメリカと手を組めば、

ガソリン自動車メーカーが返り咲く手立ては

実はまだ有るんです。

しかもEVの市場で・・・

 

アメリカのテスラも困る話です。

ただし!!アメリカの大手石油会社を巻き込んだ事業にするのが

前提です。

 

EVの弱点は、実はプラグイン方式にあるのです。

現状ではバッテリーの寿命と

一回の充電で走行できる距離が勝負どころなのですが、

実は自分で充電しなければいけない部分は、

少し面倒くさいように感じるのです。

また仮に充電が切れた場合は・・・

仮に充電できる場合でも充電に時間が掛かってしまいます。

その点、ガソリン車またはハイブリット車は、

給油で賄える分、その辺に.安心感があるお言えます。

この安心感を寧ろEVにも転用すればいいのです。

 

バッテリーを内蔵式では無く、

交換しやすい形のチョービッグサイズの電池式にするのです。

この電池を大手の石油会社が共同で同一規格で開発する。

走行距離は最低の200kmでも良いのですが、

バッテリーの交換費用と充電の費用が、

同一走行距離のガソリン価格と同等か

それ以下に成る技術が必要です。

交換式のバッテリーを全てのガソリンスタンドが

同一規格で提供できれば、

先ずはガソリンスタンドがEV普及で無く成る事は避けれます。

EV利用者は電池切れをガソリン車の感覚で気にするだけで、

充電を自宅でする必要も無く、

遠出する際も、ガソリンスタンドで交換できるから、

何百キロ離れた場所への旅行でも安心できるわけです。

各自動車メーカーはバッテリーの品質自体で

頭を悩ます必要なく如何にエネルギー効率上手く活用して、

そのバッテリーでの走行距離を伸ばすかが、

技術的な競争部分と成るわけです。

むしろ日本車ゆうりにも成りえる形です。

そこで車本来の足回り、乗り心地といった部分が、

市場へのアピールポイントとして戻ると思われ、

ガソリン車を作っていた自動車会社が巻き戻す

市場に成りえるわけです。

 

まあ、電池式といっても

かなり大きなサイズになると思いますが、

バッテリー本隊に当たる電池の規格が

統一の物であれば、

高いコストで生産されるバッテリーを

交換するごとに再利用する感覚で、

各車体には一回分のバッテリーを

価格に乗せて販売する形で、

採算をとるように切開するのです。

 

現状、BYDやテスラからEV市場を奪うには、

この方法でガソリン自動車メーカーと、

ガソリン販売の石油会社が手を組んで、

立ち向かうしかない訳です。

まあ、テスラはアメリカの企業なので、

また別ですが、

対中国対策のビジネスとして動く場合、

結束しやすい話には成ります。

ただし、日本だけが先行してやろうとすれば、

米国がまた別に規格を設けて、

日米で統一性なくなる形と成り、

市場の大きい方が自然と優位に成るだけなので、

ガラパコス化する前に、

先に米国の企業を巻き込んで、

対中国EV車で立ち上げる方が賢明と言う話です。

 

まあ、発想の転換と戦略性、

そして勝てない部分の勝負は避けて、

勝てる土俵に持って行く。

政治家にこういう才覚があるなら、

軍事の話もまた別物になるとおもうのですが・・・

 

と、は言え・・・ 

大量の予備バッテリー生産に

中国のレアアースが必要に成るところで

色々難しい局面もあるのかな・・・

まあ、一部の中国企業を巻き込んで、

政治的な駆け引きを活用する柔軟さも、

更に必要になるのかも知れないです。

どうも…ショーエイです。

新しい女性首相が誕生したとか、

本来なら盛り上がりそうな話なのに、

全く盛り上がらないですね。

メディアは頑張ってそこを盛り立てようとしてますが、

庶民は些か冷ややかに反応している感じです。

 

【そもそもが自民党にとって外れクジ】

石破さんは元々外れクジの中で、

総理大臣を務めてたわけで、

その認識を持ったうえで政権運営をしていたのです。

最終的には中道的なスタンスで、

悪い評価はありませんでしたが、

所詮は古臭い民主制の中でしか出来ない事なので、

寧ろ目新しさもありませんでした。

 

高市さんは現状全くその辺が理解できていないようで、

ねじれた政権運営の中で、

古臭い民主制の「政策調整」

なんて発想しか持てない状態に見えます。

 

【古臭し民主制】

代議士民主制は既に崩壊状態にあります。

代議士民主制とは、

選挙区で議員を選出するだけで、

あとはその政治家に丸投げ状態というシステムです。

政党同士で議員のかずだけ競って、

あとは単に国家運営のゲームに没頭するだけ、

と、言うのが実態です。

 

一般庶民も庶民で、

これが民主制なんだと勘違いしている訳です。

ある意味、制度的には、

代理民主制という言い方が適切で、

民が主導の完全民主制には至っていないのです。

 

まず、政治家が掲げる各々の政策が、

国民や国、そして国家運営上、

適正なものだと主張するのなら、

それに対する反論も含めて議論されるべきなのです。

現状、アメリカ合衆国も同じですか、

一つの法案書…これを「ビル」と言いますが、

この中に全く関係の無い法案を含めて、

与党と野盗が妥協する形で、

最終議決という形で、

行政承認…米国なら大統領のサイン、

日本なら総理大臣かな…

を求めます。

 

本来は、政治の駆け引きで使うものでは無く、

ある法案を国家運営上の都合も含めて

制度化する中で、

その法案を妨害する規制の緩和や、

捻出するべき予算的問題など、

あくまでその法案に関わる範疇で、

作成されなければ成らないのです。

しかし、この条件を法文化して規制するのは困難故に、

本趣旨の法案とは関係の無い法案も織り交ぜて、

政治的な駆け引きに利用する流れが、

常態化して行ったのです。

 

完全民主制の話は

また後日機会が有れば記すものとして

現状日本の国会はねじれ状態にあるわけで、

新総理を迎えた自民党は

この状況で政権運営を

どうするかが問われるところなのです。

そういう意味では石破さんは良かったのだが・・・

 

【議員定数削減の必要性は無い!!むしろ・・・】

本来なら色々な見識を国会内で引き出すには、

より多くの人間が意見を出せる形が望ましいわけで、

議員定数を減らしても、

国家予算的にはさほど大きな節約には成りません。

寧ろ以前民主党が行った、

事業仕分けの方が大事で、

国の無駄な機関を閉鎖して行く方が、

断然効果的と言っておきます。

これら機関が天下り先として

現状も税金を蝕んでいる訳です。

 

何かを研究する機関であるとしても、

その研究費捻出の審査はもっと的確にされるべきで、

成果の見えない研究はその都度閉鎖されるべきなのです。

 

【保守はチキンの集まり】

まあ、保守の人に喧嘩をうる意味になりますが、

保守は臆病なチキンが多く、

臆病ゆえに国を危うくします。

防衛に関しても見識がいつも古く、

戦闘機やら空母やら,と、

やたら古いおもちゃを欲しがります。

ウクライナ戦争で、

あれだけドローン兵器が主戦となっている状況を、

全く理解できないのもこの保守の連中です。

 

航空戦力は寧ろ対空ミサイルを警戒して、

あまり活躍できなくなっているのも、

こうした分析で的確に把握しなければ成らないのです。

戦闘機の空母なんかよりも、

ドローン発信用の空母を作るべきというのが、

本来相応しい見識なのですが、

そんなもの見たことないから解からないのが、

これまた保守の連中の発想なのです。

 

今、ミサイル防衛もを突破する戦略が研究されている。

 

日本に国家情報局を設けたところで、

殆ど機能しません!!

マスメディアの質もありますが、

政治家の見識はその政策に現れるわけで、

そこから逆算すれば、

日本の情報力がどれだけ未熟かも見出せます。

この程度のプロファイリングすら出来ない日本では、

どのみち何をやっても無駄なのです。

 

プロファイリングのプロからすれば、

日本の政治家がどれだけ機密を守っても、

国家が行う動向、政策に関する知識や、

防衛を何に使うかなど、

まあ、色々見える所は有りますが、

それらを分析すれば、

簡単に見透かされてしまうのです。

 

更には、実は科学技術にも精通してないと、

近未来に何が起こるかすら見えない訳で、

日本にはそういう才能を上手く振り分けたり、

活用する能力が全く足りない訳です。

 

例えるならパトリオットミサイルの迎撃システムが、

現状の科学技術の範疇でどのように作用しているか、

そういう事を理解しなければ、

最近ウクライナで起こっている

ミサイル防衛網の突破率の変化にすら気付けない訳です。

ウクライナがドローンを先行させ、

ミサイルを後発でドローン膜といえる

その上空を通過する戦術で

ロシアの防空網を掻い潜る戦術を用いました。

同じ様にロシアもその方法でミサイルを発射する故に、

最近になってミサイルの発射数が減ってきた訳です。

分析上、ロシアのミサイル数が

枯渇したとしているのは大きな間違いで、

逆に少ないミサイル数で

依然とほぼ同じ様な被害を与えている

現状を適切に分析するべきなのです。・

 

実は科学技術の限界点を見極めると、

更に防空網を突破する兵器が

寧ろ優位性を帯びる事も理解できるわけです。

 

保守の人たちでは、こうした事を理解するのに、

実は遅すぎるわけです。

彼らは今、見えている現状しか理解できない訳で、

革新的な思考の現状を打開する力に、

常に後手を取るのが常に成ります。

 

保守の人たちは確かに知識は豊富です。

でも、その知識は全て過去のもので、

それが故に未だ無駄な第二次大戦の話に拘り続けている。

しかも、負けた戦争を態々引きずって、

意味も無く正当化しようとしている訳です。

正直、国が亡ぶわ!!

 

石破さんが最後に表明したように、

何故戦争に負けたかを適切に考えなければ成らない訳で、

結局、保守の間抜け連中は、

そういう事すら考えたくも無く、

ただ何故勝てなかったという、

負けた理由とは反対の方向で思考するのです。

 

高市さんの話戻りますが、

彼女は保守を自認している人なので、

ほぼ彼女の思考になんの期待も持てないのが

当方の見識です。

また、彼女ではねじれた国会運営を

上手くこなす力は無さそうと判断します。

見解はずれに上手くやってもらえれば、

それはそれで構いませんが、

むしろそれを乗り越えるには、

男性では無く、

女性が持つ本来の柔軟性を

活かさねば成らないのですが、

彼女からはその柔軟性より、

女性が柔軟性の副作用で生じさせる、

順応性が生じて、

男社会の頑固な思考に浸ってしまうだろう点です。

 

さて・・・維新の吉村くん、

国民主の玉木くん、

総裁選前に色々と目立ってましたが、

所詮は古い政治の中でしか生きれない、

3流という感じでしたね。

 

完全民主制という話をしましたが、

本来ならこのねじれた状態を活かして、

更にはネット社会を上手く活用して、

議論の中で戦える政治システムを、

彼らが模索して提案するべきだったんですよ。

立憲の野田さんはどの道古い人なので、

無理な話なのですが、

吉村くんにしても、

玉木くんにしても、

所詮は同程度という事なのですね。

 

自分たちの政策に自信があるなら、

論理で国民に説明した中で、

財源の捻出などをその議題の中で、

どうするか議論する政治を提言するほうが、

より存在感を示せたと思うんだけど・・・

 

いわば、議論して採決に入る前に、

ネット上で国民の意見を聞けばいいのだよ。

その上で選挙区別の意見として、

議員と国民が参照できる状態にして、

譲司記名投票という形で、

誰がその法案に賛成したかを解かるようにするのです。

国会議員は選挙区の意見を参照するだけで、

従う義務は有りませんが、

選挙区の意見を裏切る結果が、

次の選挙にどう影響を及ぼすかの覚悟は必要に成ります。

こういうシステムにすると、

党派の主張を優先するか、

選挙民の意見を優先するかの選択肢が生じ、

より説得力のある法案が通りやすくなるわけです。

 

こんなシステムの発想位、

よりよい政治を求めるなら出来そうな程度で、

ましてや少数政党の2人が、

こういうシステムで自身の政策アピールできる場を、

考え突こうとすらしないなんて、

全く残念にも程が有ります。

 

所詮は議員の数だけを当てにするだけの

選挙屋さんたちで、

国を考える政治家では無いという事ですよね。

どうも…ショーエイです。

最近ネットフリックスで

「アトムの童」というドラマを見て、

ふと思ったのですが、

どうして他のスポーツと違って、

eスポーツは今一盛り上がらないのか。

 

ゲームの競技人口は全世界で30億人以上いるわけで、

本来ならどのスポーツよりも盛り上がりそうな感じですが、

問題は競技と成るゲーム単体の人口は、

有名どころのLOLこと「League Of Legend」で、

大体1億5000万人だそうです。

ある意味、ゲームで遊ぶ人口は30億人でも、

競技種目別といった感じのゲーム単体では、

かなり目減りする点が実態です。

ただ、サッカーなどの様に観戦する面白さが伝われば、

その辺も全く変わっては来るのですが、

そもそもその観戦するという意味で考えた場合、

サッカーなどのスポーツは

試合の結果や選手の成績など

応援する形のエンターテインメント性が有りますが、

実はeスポーツの場合、その辺の構成がほぼ皆無です。

勿論、eスポーツの観戦を楽しんでいる人もいるので、

全く無いとは言いませんが、

ほぼ大半の人にとっては、

誰が勝とうがあまり興味の無い世界です。

 

ゲーム観戦の主だった目的は、

Youtubeなどで見られるように、

ゲームの攻略法であったり、

ゲームの遊び方や面白さを知る意味で

見られるのが主流です。

あとはチャットして楽しむとかなのかな・・・

 

【eスポーツにはスター選手が存在しない!!】

同じ競技に参加する人にとっては、

その競技で強い人をスターと見なすと思いますが、

一般的なエンターテインメントとして見た場合、

その人が誰かなんて認知すらされません。

野球の大谷選手やジャッジ選手、

サッカーのメッシ選手やロナウド選手

などと比較すれば可哀想な感じですが、

エンターテインメントとしては、

こうしたスターは必須なのです。

 

では、スター選手を生み出すには・・・

という話に成ると、

先ずは競技を魅了するプレーが必要と成ります。

いわば誰もが見て「凄い」と感じる要素です。

ただしゲームが上手いだけでは

エンターテインメントとして

この要素を満たすことは適いません。

実はそのゲームそのものに

観戦用の構成が必要でもあるのです。

 

【現状のゲームはプレイ用であって観戦用ではない問題点】

チェスや将棋、囲碁などは、

競技人口はそこまで圧倒的ではないが、

上手く観戦用に構成が為されています。

勿論、eスポーツ同様に、

上手い人を手本とする意味で見られるものですが、

勝負の駆け引きなどは、

ある程度ルールを把握していれば

解かりやすく伝わります。

 

勿論、LOLというゲームもルールは解りやすいのですが、

ゲームの操作テクニックが先行する感じが強く、

逆に勝負の駆け引きという部分では、

それほど伝わらない状態と言えます。

いわばビルドという装備やスキルの様なものですが、

lこれをどちらが先に揃えるかで

大きく勝敗が決まるところが有り、

LOLのプレイヤーたちが唱える駆け引きは、

あくまでそこまでの部分に成るわけです。

敵を倒せばたしかポイントがゲット出来て、

そのポイントでビルドを鍛えていく感じだったと思いますが、

5対5の対戦の中で、

一匹一匹の敵をどう倒していくかが

ゲームの駆け引きに成るわけです。

ところが…ゲームの勝敗は

敵の本拠地を制圧すれば良いだけのフラッグゲームなのです。

 

いわば…LOLでは、

フラッグゲームとしての駆け引きではなく、

寧ろ個々のキャラクターの強さを競う駆け引きが先行して、

むしろチェスや将棋の様な

解かりやすい勝負では無く成ってくる訳です。

勿論、単純にフラッグゲームの要素だけだと、

むしろプレイするゲームとしては面白くないものに成るので、

LOLはLOLとして成立していると言っておきますが、

エンターテインメントとして

観戦スポーツ用のゲームとしては

成立しにくいものと伝えておきます。

 

また、これは他のゲームにも言える事ですが、

野球やサッカー選手が見せるプレイは、

その人の持つ技術で表現されます。

ところがゲームでは

ストリートファイターという格闘ゲームにしても、

繰り出す技のテクニックはそのプレイヤーの技術ですが、

映し出される映像はゲーム内構成の物でしかない訳です。

勝負に勝てば上手いとか強いは伝わるけど、

そこにプレイヤーの個性とも言うべき、

その人が魅了するべき

個性的なパフォーマンスという部分では、

ゲームのキャラクターの方が先行して見えてしまう分、

エンターテインメント性の没入感の部分で、

どうしても物足りなさを与えてしまうのです。

これはLOLでも一緒です。

更に言うなれば、eスポーツで表現されるスポーツゲーム。

ある意味選手カードの要素が邪魔をして、

結局、誰がプレイしても同じような選手がチームに居る。

Aチームのスター選手がメッシ選手、

Bチームのスター選手が同じメッシ選手。

サッカーゲームとして観戦しても、

全く没入感の得られない状態に成るわけです。

 

【スポーツゲームをeスポーツとして成立させっるには…】

ゲーム本来の構成を、

誰もが活躍できる構成から、

その道のプロが圧倒的に力を発揮する構成に

しなければ成らないのです。

解かりにくいと思いますが、

プロゲーマーでは無く、

サッカーゲームでプロのサッカー選手がプレイしたら、

手が付けtられなくゲームという事です。

寧ろ操作性は極力単純にして、

サッカー選手がインスピレーションだけで

自分の思い描く試合展開であったり、操作ができる状態です。

複雑な捜査が絡むと、

ゲームに慣れているプロゲーマーの方が

上手く成ってしまいます。

しかし…最近よく表現される

「サッカーIQ」を競うゲームであれば、

引退したサッカー選手がそのゲームで実績を上げるだけで

それだけでもエンターテインメント性の意味で

話題性を呼びます。

また、そうしたフィールド故に、

実は足に障害があってサッカー選手には成れなかった人も、

「サッカーIQ」という部分では

実際のプロに引けを取らないという可能性も、

上手く表現される世界に成るのです。

これは野球でも他のスポーツでも同じで、

如何にプロの選手が

プレイしやすいゲームにするかを研究していくべきなのです。

その上でビジネスとしては

選手カードの様な物に変わって、

テクニック(スキル)カードを

いわば、ルーレットやエラシコというスキルをカードにする感じで

引かせるのも手です。

ただし、あくまで何のカードも無くても

全然力が発揮できる仕様である事は、

大前提です。

いわばスキルはあくまで見せかけでいい

という感じでなくては成らない訳で

これを崩すとeスポーツのフェアさに支障を来たして、

観戦用としての面白みや没入感を減衰させる訳です。

 

【インスピレーションプレイと複雑操作の違い】

プロゲーマーの方がたは、

寧ろ複雑操作の中に、

それを繰り出す上手さへの鍛錬こそが

プロとしてのプライドにあると思われます。

ストリートファイターなどの格闘ゲームなどは、

特にそうした部分は大きいと思います。

野球ゲームも、バットのアイコンを動かして、

正確にボールを当てるようなプレイの方が、

プロゲーマーの上手さと表現できます。

しかし…ゲームではなく、

本来の野球で鍛錬を培った選手であり、

実際のボクシングや総合格闘技の選手は、

むしろそういう操作ではプロゲーマーには勝てません。

 

エンターテインメントとして考えた場合、

視聴者は何に一番興味を惹かれるか?

 

ここでは「IQ」という形で表現しますが、

いわばその競技本来の感性では

誰が一番凄いのかという部分だと思うのです。

格闘ゲームであり、アクションゲームで言うなれば、

感性の勝負はどこにあるのかが、

現状の探りどころに成りますが、

防御と回避の反応速度であり、

攻撃を狙う際のタイミング的な駆け引きに成ると思います。

駆け引きをする上では、

多少のフェイントの様な動作も必要と成りますが、

逆に複雑な捜査は感性の勝負には不要です。

ボタンはPS5のコントローラーで押すだけで十分として、

その中で、上段パンチ(フェイス)△、下段パンチ(ボディ)□、

上段蹴り○、下段蹴り×として、

L1ジャンプ、R1回避、LT1上段防御、RT1下段防御、

という動作なら少しの練習でも

ある程度操作には慣れると思われます。

この条件でモーション=スキルに成りますが、

上段パンチはどういうモーションを設定するか

カスタマイズできる方にした上で、

感覚的な勝負が出来る中で、

実際のプロの格闘家とゲーマーが競うなら、

勝負を見る意味でも興味が持てると思われます。

逆にプロゲーマー有利な条件では、

真剣勝負が成立しない単なるイベントで終わるので、

eスポーツではなく

テレビ番組のショーに終わってしまうという事を

理解してもらいたいです。

 

なぜインスピレーションプレイこそ勝負に相応しいのか・・・

 

実はプロのスポーツ選手ほど、

必要な動作を条件反射できるレベルまで

鍛錬しているわけです。

勿論、実際には格闘選手ならパワーの部分も含まれ、

素人とでは桁違いの強さを体に宿してます。

勿論、プロゲーマーも同じ様に操作を鍛えるわけですが、

その両者が五分の条件で勝負する意味では、

両者が条件反射で反応できるレベルで

格闘選手なら実際のパワーを差し引いて、

プロゲーマーなら複雑な操作技術を差し引いて、

競えるのが理想と考えるからです。

その上で格闘センスだけなら誰が強いか、

いわば格闘家としての「IQ」で競わせるなら、

勝負の面白みは理解しやすく伝わると言えます。

 

他に例えるなら…

実際のサッカーでは無理だったけど…

引退したあとで、

メッシ選手とクリロナ選手が同じチームでプレイしたら、

どんなチームに成るだろうか…

ジーコ選手を含む引退した元ブラジル代表のチーム。

こうした試合で、其々の選手が現役そのままプレイを、

サッカーゲームという場所で表現出来たら、

その試合はどんな試合に成るだろうか…

実はeスポーツにはこうした可能性も有るわけです。

 

ところが…現状のスポーツゲームは

寧ろ操作性が少し複雑な点と、

ゲームバランスやチーム差が生じる点。

引退選手はカードでしか登場せず、

彼らに寧ろ選手という形で

プレイしてもらう状態にないことなど、

いろいろ及第点が多いのも事実です。

 

引退したスター選手がプレイするゲームの中で、

そこでスター選手に匹敵する存在感を示せば、

そのプレイヤーはスタートとして

認知されやすくなるのも事実で、

こうした認知されるプレイヤーが増える事で、

観戦する側もより興味をもてる状態に成るわけです。

因みにこうしたスポーツゲームは、

メタヴァースを構成する上で大きな意味を持つわけで、

大きな市場を持つメタヴァース上なら、

仮想都市を複数設けてユーザーを分散させ、

その仮想都市ごとにeスポーツチームを構成して、

地域意識を高める作用に用いると、

より没入感のある空間が生じる訳です。

 

【FPSなどの戦場ゲームのeスポーツ化】

現状、eスポーツとしては、

PUBGというゲームが一番理想的なシステムですが、

これも結局はエンターテインメントの意味での

観戦用では有りません。

ほぼ、ゲームを知らない人は興味を持たないです。

誰もが認知するスター選手が居ればという所ですが、

スター選手を産み出す前に、

どう一般視聴者に興味を持たせるかです。

 

恐らくプロの軍隊のナショナルチーム同士対戦なら、

一般視聴者も興味が持てると思います。

ただし、これもインスピレーションの問題です。

僕もゲームセンターに置いてあった銃を手に持って、

シューティングするゲームなら

結構狙いは上手くできるのですが、

マウスやコントローラーだと実は上手く狙いが定められないのです。

練習すればという話なのですが、

どうもそこまで頑張る気にも成らないので、

こういうゲームはやらない方向で考えてます。

実際の銃を手にしたプロの軍人さんたちも、

中にはこういう人も多いかかと思います。

 

プロの軍人さんたちがその実力を発揮できるFPSゲームで、

実際の戦争では無く仮想の戦争で勝負できるフィールドで、

国同士の代表が戦う状態なら、

ある意味、観戦用としては面白くなると言えます。

 

ただし、現状どのゲームもそうですが、

観戦用のカメラワークが装備されていません。

プレイヤーのゲーム視点に頼る形だと、

サッカーの試合をフィールドプレイヤーと同じ視点で

観戦している様なもので、

試合全体を見る上では何気に見にくい状態と言えます。

 

実はFPSのゲームに限らず、スポーツゲーム以外は、

どう視聴者に見せるかの

客観的カメラワークが全く存在しますん。

 

【eスポーツとしての課題は見せるを意識したゲーム作り】

カメラワークもそうですが、

ゲームのどういう部分を

見せたいのかを意識したゲーム作りです。

現状では楽しんでもらうを意識したゲーム作りは豊富です。

まあ、実際に面白いかは別としてですが・・・

MMORPGなどのエンドコンテンツとして、

PvPフィールドを設けたものが良くあります。

ただ、各社、現状も試行錯誤中な状態ばかりで、

ゲームプレイの延長戦という形です。

 

どういう構成ならプレイヤーが楽しめるか…

 

たしかにクリエイターは

どうしてもそこに焦点を当てたくなる部分ですが、

どういう勝負を見せたいかで考えると、

PvPという対戦ゲームの構成に変化が生じると思います。

現状どのゲームも大体同じで、

大きな戦略性もなく、一向一揆のように、

適当に塊になって殴り合っているだけです。

 

中世時代の戦争をモチーフに、

ファンタジー世界のRPGで構成する場合、

盾、攻撃、ヒーラーの構成で単純に編成します。

見せたい戦いが20人編成のグループの場合、

盾8人、アタッカー8人、ヒーラー4人を

理想的なフォーメーションとして

盾の裏側を取れば有利となる戦いに設定します。

ここで盾の裏側を取る勝負と位置付けた場合、

どういう設定で盾の壁を崩すかを考えるのです。

盾同士がぶつかり合うと、

お互いに少しづつ動いて隙間が生じる仕様にします。

その中で隙間が出来ないように動く場合は、

盾の構えを外して動かなければ成らないとします。

盾を構えている間は、

PvPでは正面からのダメージは受けないとして、

盾を外して移動する時はダメージを受けるとします。

また、背後からの攻撃を受けた場合は、

更に大きなダメージを受ける形にします。

盾の壁で隙間が無い状態では、

誰も通り抜けは出来ないが、

隙間が生じるとそこを通り抜けられます。

こういう攻勢の中で、盾の裏をアタッカーがどう取るか、

または通り抜けてこようとする敵を迎え撃つか、

さらには縦の壁の外側から回りこんで仕掛けるか、

単純なスポーツ的な駆け引きが生じる形に成ります。

ここでアタッカー16人対盾16人のケースを想定して、

更に設定を考えます。

そうすると盾兵は盾を構えたまま攻撃できるとする方が、

設定上良くなると考え、

アタッカー16人で盾兵が

円陣=○く固まる陣形で構えたところに

攻撃を仕掛けた場合、、

アタッカーが絶対不利になる条件にします。

ただし、盾を構えた状態では

方向転換もできない条件を更に加えて、

アタッカーと盾の一対一の場合は、

ほぼ互角という形にします。

 

こうした単純な設定で構成することで、

実はどう攻めるか、どう守るかの中で、

色々なフォーメーションなど

試行錯誤できるゲームに成りうるのです。

 

そこに最終的な勝利条件をどうするかを盛り込んで、

ただ敵を倒せばいい

という形では無い部分を盛り込んでいきます。

 

更にはアクション性の部分で、

どういうパフォーマンスを魅せるほうがいいかを考えます。

通常、こういうゲームではどれだけキル、

いわば敵を倒したかで競わせるのですが、

実はスポーツ観戦的にはあまり面白みが無いのです。

サッカーで言うなれば、

ディフェンダーがどれだけアタッカーを潰したか、

またはボールを奪ったかを見せているのと同じなのです。

アメフトでもそれは同じです。

寧ろ、見せる意味ではマラドーナ選手の様な

5人抜きのパフォーマンスだったりするわけで、

むしろ敵の攻撃をかわしてゴールを奪う姿だと考えます。

そうなるとフラッグゲーム(旗取りゲーム)の様な、

サッカーでいうゴールを設ける方が良いわけです。

LOLにはこの辺が有りますが、

勝利条件が完全破壊である分、

逆にゴールに近づくより、

完全制圧が有利条件と成ります。

 

そういう意味では寧ろゴールと成る旗…

戦争という名目上、兵糧庫として、

敵の兵糧庫にある兵糧をどれだけ破壊したかのポイントで、

勝敗を決める形で考えて見ます。

そうすると敵の防衛網をすり抜けて敵陣に入り込んで、

より多くのポイントを取った人がMVPに成るわけです。

その兵糧庫に一回攻撃を当てれば1ポイントで、

制限時間内にどちらが何ポイントゲットするかで、

勝敗が決まるゲームにするのです。

 

とはいえ面白そうなゲームかも知れませんが、

結局のところメジャースポーツに匹敵する

eスポーツには中々難しいです。

ある意味、大衆が興味を惹くeスポーツは、

恐らくリアルでは表現できない、

各国の軍人が集うFPS対戦ゲームで、

恐らく実際の銃をシミュレートした

シューティング用コントローラーで挑めるゲームか、

エアフォースのドッグファイトを見せるゲームかで、

何れにしても訓練されたその道の現役プロが、

国の威信を賭けて戦うものと成ります。

 

ある意味、ゲーマーがどれだけ成績を残しても、

本来の競技に該当するプロより、

「IQ」という感性的な部分で結果を証明できなければ、

身体的な鍛錬を差し引いた才能という部分でも、

見劣りしてしまうのが当然で、

更にはゲーム設定上

または操作上の優位性がある状態では、

その才能は別物と見なされるだけなのです。

 

プロゲーマーの方々の日々の努力は理解しますが、

大衆目線では誰がその種目で優勝しようが、

全く興味の無い分野ではあります。

 

もし本気で彼らが大衆に興味を持たせたいなら、

競馬や競輪、競艇の様な

公営ギャンブルにする道を模索するのも有りだと思います。

公営ギャンブルとしてのeスポーツなら、

勝敗の行方や選手たちの情報など、

研究する対象に成ってくるので、

その中でのスターも一段と際立つと思います。

 

ギャンブル化は不純なイメージを持つ人が多いですが、

逆にギャンブル性の無い競馬で、

ディープインパクトの様なスターホース、

武豊騎手の様なスターが認知されたかどうか?

 

ギャンブル行為は不純とは言え、

人に興味の入り口を与えるには、

ギャンブルにするのが一番手っ取り早いのです。

IRの計画も有るわけで、

そうした中でeスポーツのギャンブル化は、

ドンドン進めて行くべきだと思うのです。

オリンピックなどの正式種目を目指すより、

寧ろそういう形でeスポーツを盛り上げていく方が、

選手たちの収益向上にも繋がると思います。

 

勿論、ゲームの種類も豊富なので、

何でもかんでもという形に成ると、

興味も散乱します。

なのでどのゲームにするかは

厳選されるべきとは言っておきます。

 

LOLやストリートファイター、PUBGといった感じは

有だと思いますが、

実際のスポーツをゲーム化したものは、

寧ろ省く方が良いとも言えます。

ある意味、メタヴァースの世界で

そちらは活用する道を模索するべきと言っておきます。

 

どうも…ショーエイです。

世の中には大きく2つに分けて、

文系と理系という分類で語られます。

一般的には数学が得意な人が理系、

数学が苦手な人が文系の様な意味で考えられがちです。

 

実はこれ…根本的に間違っているのです。

 

オブラートに包んだ言い方をすれば…

理系は合理的な理解を求めて思考するタイプで、

文系は手早く解決を吸収したいタイプ。

いわば理系は自分であらゆることを合理的に解釈して

初めて理解するタイプで、

文系は合理性より手順を学んで自分の技術と出来るタイプです。

 

まあ、文系の人の方がせっかちで、

いわば「考えるな!!覚えろ!!」

と、機械的に動く人間を生み出す…

いい形の表現で言うなれば育てるなのですが、

そういう人間を作る事は早いわけです。

 

ある意味、合理的な考えとして社会を見れば、

一から自分で思考して最良の手順を考えるより、

既にある最良の手順を学ぶ方が、

時間的には大きく短縮されるわけです。

 

簡単な例で伝えるなら、

IKEAで買った家具を組み立てるのに、

組み立て図いわばマニュアルを読んで、

その手順の通り組み立てる方が間違いなく

手早く組み立てられるわけで、

それを読まずに組み立てようとする方が

遥かに効率悪いわけです。

と!!まあ文系を少し立てた意味で伝えてますが、

さすがに合理的思考で考える人なら、

臨機応変に対応する訳で、

態々パズルを楽しむような時間を省く方法位は気付きます。

 

文系の人の自尊心を傷つけないレベルで伝えるなら、

覚える、学ぶ方が生活の知恵を身に着ける意味では、

効率が良いと言えますが、

現代社会の民主制という政治システムでは、

誰かに従うだけの従順な忠犬では、

その飼い主のためにただ吠えるだけのペットを

育てているだけの社会に成るのです。

勿論、文系の人たちも色々思考してます。

しかし彼らの思考は合理的な思考では無く、

より良いものを選別する思考なのです。

 

携帯電話を例に言えば、

アップル社のアイフォン(i Phone)を選ぶ人が多く居ます。

何故アイフォンが良いのか?

機能性、操作性、PCを含むアップル社製品との連動制など、

色々と利便性の面で伝わる話も多くありますが、

殆どの人は感覚的に宣伝された話を理解しているだけで、

実際の技術的な所は、高度な技術知識が無い限り、

全く理解していません。

アンドロイド・フォンとどれほど差があるか、

一般仕様上では解らないレベルで、

アイフォンが良いものだと決めつけているに過ぎないのです。

企業的裏知識の話をすれば、

グラフィックボードで有名なNVIDIAの方が、

アップル社より既に技術的な評価が高いわけで、

半導体の話では、TSMC無しでは語れないのが、

現時点の主流です。

これらはアップル独占の企業では無いです。

なので…別段、アップル製だからという部分に

技術的説得力は有りません。

利便性の面でも、ソフトウェアはWindows OSと、

アップルOSの両方で共有されるのが当然で、

それに携帯OSのアンドロイドも加わった話に成ります。

 

合理的に思考する人は、

技術的な差異で語る事を寧ろ恥ずかしいと考えます。

その上でアイフォンを使っている人は、

デザイン性とか、長年使ってきた理由から

OSのUIいわば操作性にそっちの方が慣れているから、

アイフォンを使い続けているという訳です。

僕の場合、アンドロイドを使っていますが、

同じソニー製のエクスペリアにする理由は、

UIの操作性が慣れ親しんだ形だからで、

アイフォンに興味が無いのは、

何かあった際、壊れたときに

面倒なアイフォンショップに予約を入れて

対応して貰わなければ成らない部分で、

携帯ショップに気軽に足を運んで対応してもらうサービスとは

違う面が有るからです。

まあ、電話対応などで

どちらも処理できるサービスは有るのでしょうが、

最悪、数少ないアイフォンショップより、

駅前に行けば大体存在する携帯キャリアーのショップの方が、

遥かに利便性がいいという判断です。

 

さて、文系の思考を馬鹿と蔑む形で表現しましたが、

実はコレ、暴言でも何でもない事実なのです。

この「馬鹿」と英語のSTUPIDの意味で理解すれば、

文系の人は言葉通り馬鹿にされたという感じに成りますが、

中国の故事の「馬鹿」の意味で伝えるなら、

本当に「馬鹿」な話なのです。

 

馬鹿の故事は、中国の秦王朝の時代の話で、

漫画キングダムで有名な政が死んだ直後の話から来ています。

政こと始皇帝が死んで、

その側役として仕えた宦官趙高が実権を握り

自らの影響力を秦の臣下に試すため、

馬を用いて鹿だと言い、

誰もにそれを鹿と認めさせた話から来ています。

ある意味、パワハラの話なのですが、

そういう部分で「馬鹿」の故事を理解するなら、

パワハラに屈して社畜になる事を

「馬鹿」というか形でも表現できます。

ただし、現代までに理解されている「馬鹿」の表現、

いわば人として見下す意味を、

寧ろ哲学的に考えると、

 

動物学的に認識された

馬(サラブレッド)と鹿(二ホンジカ)の区別は、

さすがに誰でも区別できるので例えにするのは難しいが、

科学的にはウマ科として認識されるべき新種を、

著名な動物学者がこれはシカ科であると言ったら、

一般の人はシカ科だと認識してしまうという話で伝えられます。

ある意味、見た目は魚と大差のないシャチやイルカが、

魚類では無く哺乳類である事は誰もが知っているところでしょうが、

新種のイルカを見せられて科学的な解説無く、

これはサメだと伝えられたら

それをサメだと信じてしまう感じの話です。

 

こういう意味で文系は馬鹿なのです。

動物の様にまだ見た目や生態で判別できるならともかく、

政治や宗教、哲学、または定説でない学説も含む話ですが、

可視化できない表現上のものは、

合理的な解釈はハードルが高すぎて、

個々の価値観の選別に依存されてしまうわけです。

この有名な話が、「天動説と地動説」です。

 

こういう意味で特に日本人に馬鹿が多いのは、

実は天動説と地動説の教訓を

日本では全く伝えていないからなのです。

天動説と地動説の歴史的な話は、

日本人の多くが知識として知っているところでしょう。

でも、これが科学の教訓として伝えられる部分は

全く理解されてません。

まあ、最近ではもしかしたら欧米でも

習ってない可能性があるのですが、

定説か仮説かを見極める事の大切さが伝わらなければ、

天動説と地動説の話を知っていても

意味が無いと言う事です。

屁理屈こねて今は天動説も地動説も正しいなんて話は、

本来の趣旨から外れた話なのでどうでもいいことして

一応は伝えておきます。

 

いわば文系の人が陥りがちな著名な本を読んで、

それが正しいと信じてしまうのは、

中国の故事に伝わる「馬鹿」と同じで、

天動説と信じていた時代の大衆と同程度という事です。

 

馬鹿の故事の元ネタの宦官趙高の話ですら、

史記などから伝わる宦官趙高として、

僕自身も勝手に馬鹿な感じでイメージしていた訳ですが、

WIKIで調べると宦官では無かったという説や、

実際は「馬鹿」の故事に有る出来事0は作り話だという説や、

趙高は宦官じゃなく臣下だったとか、

仙人の様な賢人だったとか、

色々な説があるのも事実ですが、

どの説も「仮説」でしかない事と、

哲学として「馬鹿」の故事は、

現代社会にも残しておくべき話と言う観点で、

伝えておくべきと考えるわけです。

 

まあ、自分の駒として使う場合、

余計な事を考えずに言いつけ通り守ってくれる人の方が、

扱いやすいと考えるのは当然でしょうが、

馬鹿ほど自分に心地よい言葉に流されがちで、

現実的な本質を理解することなく、

ただ心惹かれたその人物の為に吠える犬に成ってしまうのです。

これが民主制を悪い形に導いてしまう作用でも有ります。

多くの人は

ヒトラーみたいな奴に投票するなんて考えられない

と、考えるでしょう。

でもヒトラーは民主主義の中から誕生しているのです。

そういう危機感すら無いのが殆どで、

いわば大衆の殆どが、

騙されやすいのではなく、

根拠のない心地よい言葉に流されやすい馬鹿だと言う

自覚が全くないのです。

平和という言葉、安全保障という言葉、

結局はどういう形が平和で安全なのかを知る事も無く、

敵を産み出して敵対関係を増幅させる流れに、

心地よさを抱いてしまい、

結局は取り返しのつかない形で、

その心地よく聞こえた言葉とは逆の現実に直面する訳です。

心地よく聞こえる言葉を発している人間は、

心地よく聞こえる言葉を使いこなしているだけで、

本当は何も理解していない「無知」であることを、

「馬鹿」に陥る人見抜けないのです。

 

これらは「考えるな!!覚えろ!!」

という教育と言うより調教の効率化から生まれる弊害で、

例えるなら

ゲームで遊ぶ姿勢すら攻略法に依存する

達成感だけで満足する人間を作り出しているのと同じなのです。

寧ろ考えるだけ時間の無駄という、

一見効率的な社会風潮が蔓延している状態です。

教育を考えるべき政治や政府の機関が、

こうした思考で汚染されているため、

ほぼ末期症状で手の施しようがないのが日本です。

 

さて・・・ここまで話しても、

共感する意味で理解された方は居るとは思いますが、

まだその人にとって

心地よく聞こえる程度の領域を抜けてはいません。

確かに日本の教育は間違っている、

確かに文系は考えていない人が多いと、

共感を与える程度の話です。

 

では考える事の大切さとどういう教育であるべきかを伝えねば、

本来、何の説得力も無いわけです。

考えない人が多い中での会議では、

独自のアイデアは基本的に認められません。

また前例のない話は、

どれだけ言葉を尽くして説明しても、

論理的な理解力の無い相手の中では、

全く理解できない領域に成るのです。

その為、新しい発想が生まれにくい社会に成ってしまうのです。

心地よい言葉で「イノベーション」なんて文言が飛び交っていますが、

日本ではイノベーションに前例を用いて説得するような話で、

結局、前例がある類似の発想でしか着手できないのです。

それ故にメタヴァースにしても、AIにしても、

結局は海外の失敗事を真似て、

的外れな方向で進むだけなのです。

そもそもAIの発想が

情報学習のデータ量とその正確な分別だけを競う発想自体、

既に海外の技術を模倣しているだけで、

思考するAIではなく便利な百科事典化するだけの話なのです。

日本の教育弊害同様に、

知能と知識の分別が出来ていない時点で、

全く呆れる話で、

寧ろ自動運転技術の研究の方が、

実はAI研究に近いのです。

 

科学的に考える世界の中では、

前例は失敗例を分析する為のものです。

成功例は既に研究対象から外すものです。

また文系は仮説と定説の分別なく、

全てを定説だと思い込む。

先ず教育として最低でもこの違いは教えなければ成りません。

園主率が3か3.14かはどうでも良い話で、

むしろ円周率がどういう計算またはどういう形で、

その定数が求められるのかを一応教えるべきです。

いわば数学を知識で教える前に、

数学をする楽しさを教えて興味を惹かなければ、

数学を学ぶ意義を感じない訳です。

円周率を適切に考える形で学ぶと、

実は3.14と言う定数には成らない事も知ります。

3.07であったり3.22であったりと

直径の長さによって変化します。

こうした変化する園主率をグラフ化して、

より安定した計算式として求められるように

研究されたのが、

関数を用いた計算に成るのですが…

そもそもが数式化できないほど

実測と円周率が噛み合わない為、

sin,cos,tanというチート文字を用いた計算で

省く方法を取るように成ったとまで学ぶべきです。

こうすると…

数学が馬鹿馬鹿しいという感じにも成るわけですが、

だから今でも円周率の謎の解明は

研究されていると伝えれば、

ある意味思考する挑戦心に火が付く場合も有ります。

そもそもが…

円周/直径で定数を求める試み自体が間違ってないのか?

例えるなら半径を求めて、

半径と同じ円周での長さが何度に成るかを計測して

グラフ化して別な計算方法で円周率を求めるのです。

円周=360/x × 半径で、

xが円周に沿って半径分移動した角度とした場合でも、

実は円周の数値は割り出せます。

この計算を馬鹿はsin,cos,tanを用いて計算するでしょうが、

そもそもが計算のコンセプトが違う事を理解できなければ、

挑戦する意味すら理解できない話です。

いわば前例の円周率=円周/直径で求めるのと

完全に異なるやり方という事です。

既存の円周率3.14で計算すれば、

xの値は直径1センチとしても。57.32度に成るわけですが、

円周率の数値に安定性が無い場合、

実際の角度を測定すると

60度から55度の間で計算とは異なる数値が生じるはずです。

そもそも円周率の計算法を見て、

実は昔から違和感を感じていた訳ですが、

直径または半径の長さと、

円周の長さには数字的な関係性が今一感じられなかった訳です。

寧ろ広がる距離に比例して

円の膨張率に変化が生じると考える方が合理的で、

xの数値をグラフ化することで、

x=膨張率×半径の式が当てはめられる訳です。

この場合、360/x×1/2=(ニアリーイコール)現行の円周率

と、成るだろうと思われますが、

どちらが実際の円周に近づくかは、

実測結果を見なければ解かりません。

まあ、当方はそこまで頑張る気は無いので、

興味ある方は試して見て下さい。

恐らくですが、

現行の円周計算より正確に出せる方程式なはずです。

 

ついつい円周率に興味を持って、

ついつい疑問が生じたので、

別の計算式を割り出してみたわけですが、

現行の円周率が不安定であるという事実を知ると、

円周率が正確な計算を出していないものと判明します。

そこで何故を感じる事は大事な事です。

ところが…馬鹿に侵された世界では、

逆に何故、誰もが認める円周率に疑問を抱くの?

と、いう目を向けてきます。

先ほど記した円周の計算方法は、

適切に計算を理解できれば、

確実に円周が割り出せます。

寧ろそれが理解できれば

あなたはまだ馬鹿に侵されていない人と言っても良いでしょう。

ある意味、円周率4000年近い歴史を

根本から覆す行為です。

なので私がここに出す以前に誰かが発見していた可能性は有ります。

また、円周を求める計算として、

合理的に考えた場合、

円周から直径を割っただけの数値と、

半径と同じ長さの角度を割り出して、

1週分の360度で割った円周率、

どちらが計算上合理的であるかを考えてみるのも、

面白いかも知れません。

 

実は教育で大事な事は、

考える楽しさを教える事であり、

実は正解は無いと教えるのではなく、

正解が存在するものと、

正解がまだ存在しないものとを区別して

伝える事なのです。

1+1=2

これは寧ろ想像力の答えなど必要のない、

不変の正解なのです。

しかし、円周率3.14は

まだ正解が解からないものと伝えて良いものです。

正解の解からないものは、

自分で正解を探してもいいという事で、

その正解が空想で終わらないように、

説得力をもたせる努力をしなさいというのが、

本来教えるべき事です。

 

まあ、小学生の子供にこんな話は中々難しいです。

子供たちにはもっと

遊びから学びなさいと伝えて、

その中で将来成りたいものを見つけなさい

と教える方が大事です。

別にスーパーヒーローに成りたいでも良いのです。

現実を学ぶ中で、

役者として子供たちのヒーローを演じる道に進むの有りだし、

ヒーローの様に人を助ける道を選らび、

消防隊や警察官、または自衛隊なども有ります。

純粋な心でそういう世界を目指してくれる方が、

調教教育で脱落し、

生活する為に仕方なくそういう世界に進んだ人より、

遥かに頼れる存在に成るのですが…

まあ、そういう純粋な気持ちも今の社会では、

逆にキレイごと扱いされて、

踏みにじられてしまう訳です。

末期症状は本当にどうしようもないです。

 

せめて多くの人が今の知識に満足せず、

より深い探求心をもって、

世の中の真理を考えてもらいたいものです。

 

今回は馬鹿馬鹿と連発してぶちまけたので、

何となくすっきりした感じです。

 

人生は反省して生きる方が成長するわけで、

僕も反省の毎日です。

別に暴言を吐いた事は反省しないけど、

まだまだ文章が未熟だとか、

あの方程式で間違いなく円周は出せるけど、

3.14からのバラつきを考えると、

どの道安定した数式は出無いかもと、

満足する事はありません。

ただ・・・数学者じゃないので、

別にそこまで挑戦しなくても良いかなと…

適当に切り上げちゃうわけですが…

それに正直簡単に割り出せそうな方法だから、

昔誰かが試して、

3.14の円周率に勝てるほどの

説得力が無かった可能性も考えるわけです。

 

こうして再び円周率に戻って、

何故数値の上下に関わらず、

円周率の値が0.7単位くらいで前後するのか

その構図を考えつぃまう訳です。

 

ある意味思考力とは諦めの悪さだとも言える話です。

とは言え、

興味のない事は馬鹿なままで、

人の話をチョロいほど鵜呑みにしちゃいます。

知り合いの自慢話とか、

全く疑いもせずに信じちゃうし・・・

まあ、自分に害のない事なので、

疑っても意味無いですからね・・・

 

人は興味を抱けば何でもできる。

実は本来誰でも可能性を秘めているのです。

好きなアニメや漫画を深く知りたいと思う気持ちから、、

マニアックにそれを探究する人もいるわけで、

興味が齎すパワーは計り知れないです。

 

興味を持てるかどうかはその人次第なのですが、

浅い興味のまま浅い知識で

興味の薄い人々を馬鹿にする…

ここでは馬鹿に侵食するという意味で、

まあ洗脳するといった感じに成りますが、

そういう行為は本当に迷惑千万です。

本当に興味の薄い事だと、

人間はチョロいほど直ぐに共感してしまうので、

特に政治の世界の話では恐ろしい事にも成るわけです。

 

ある意味北川景子さんの旦那であるDAIGOさんの様に、

ふざけてか本気か知らないけど、

「WINWIN]とポジティヴな言葉を連発してくれてる人の方が、

寧ろ本質を語っている感じに思えるのです。

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

外交上問題は

基本的には政権が議会を通さずに決定できる話は

多くの人が知っている事と思います。

実際に外交問題の隠れた部分を含めて、

色々な交渉の詳細を考慮すれば民意や議会を通すより

スムーズに進むと思われます。

ただし平和的な話はですが・・・

 

逆に中国やロシアとの関係だと、

政権も危いですが、

寧ろ民意の方がもっと危い考えに走りそうなので、

民意に託した議論は好ましくないとも言えます。

 

ところがイスラエルの問題は

寧ろ政権側の関係上の問題にも成りかねない話で、

いわばロビー活動やら支援者、

更には米国との関係を含めた意味での

外交上の都合などで、

色々と国家采井やら政権維持に苦慮する話に成ってきます。

そうした政権が抱えるだろう問題に配慮して、

寧ろ純粋に判断できるようにする為に、

民意を利用するべきなのです。

 

勿論、ただ単に民意がイスラエルを許さないからとするのは、

逆に意味が有りません。

ではどうやって民意を利用するのかという話になると、

先ずはイスラエルの言い分も適正に聞ける形を取ります。

 

世界各国の民意がイスラエルの主張を聞いて

正当性有る内容と判断できるか?、

 

先ずはこの機会を与えることが大事なのです。

まあ、普通の人は双方の言い分を聞くのは当然と

理解するでしょうが、

この場合、寧ろイスラエルがどう説明できるかが焦点です。

ある意味、陪審員裁判の様な形です。

 

当方の見識としては、

イスラエルが明確にヨルダン川西岸への入植行為を

民衆視点で正当化するのは難しいと断定してます。

その上で幾分かでも正当性を示せる内容が含まれるなら、

それを聞く人は問題の根本を理解できる流れと成ります。

 

ただし、中国の南シナ海問題同様に、

歴史的な背景を理由にすることは、

現時点における権利者の人権が優先される話では、

全く正当性を帯びなく成ります。

 

例えるならイスラエルがパレスティナの領土も含めて、

イスラエルの一国家の領土と主張した場合、

パレスティナの人々もそのイスラエルで

同等の権利を持つ人々として扱われなければ成らない訳です。

最低でも国連憲章上ではこうなります。

その上で不当な行為で

パレスティナの人々の本来の所有権を奪う行為は、

国家として正当性が無くなります。

例えイスラエルがパレスティナ人が勝手に主張した土地で、

国家としての承認を与えた土地で無いと主張しても、

承認を与えず奪う行為は

国家権利と人権問題の狭間の議論と成ります。

 

この争点を盛り込んでイスラエルの主張は

パレスティナ人は難民であって国民では無い。

イスラエル国の土地はイスラエル国民の土地であって、

国民ではない難民に所有権は無い。

 

善意のみの解釈では、

イスラエルの主張に正当性は無いと感じるでしょうが、

歴史的な背景を理由に出来ないとした場合、

現状、パレスティナ人は戦争に負けた難民状態のままです。

 

ところが同じレベルで話を進めると、

パレスティナ人が所有する土地は、

かつてのその戦争の合意の下で得られた土地で、

イスラエルが国家として

パレスティナ人を難民という区別で扱うなら、

合意上保持した土地は

パレスティナ人の独立した国家の領土として

認められなければならない

という人権問題の話に成ります。

 

国連憲章に於いては人権問題が優先事項です。

内政不干渉も国連憲章に記載されてますが、

虐殺や迫害などに該当する人権問題は、

解決優先と成ります。

 

この場合、イスラエルが国家として

パレスティナ人の存在を国民として扱わず、

難民という形で留めている状態は、

パレスティナ人への迫害と見なされます。

これはイスラエルの根本のユダヤ人が

ヒトラー率いるナチスドイツから受けた扱いと同じです。

いわばその国家に存在していても、

国民として認められなかった状態です。

 

米国の合衆国憲法下では、

この人権定義が成立してます。

例え不法移民であっても、米国でそれらの子が生まれた場合、

それらの子は米国民として認められる。

米国憲法上の人権的な価値観で扱うなら、

現時点のパレスティナ人の大多数は、

イスラエルがパレスティナ自治区も含めて

国家と主張する場合、

そこで生まれたパレスティナ人は

イスラエル国民として対等な権利を有さねば成らない。

という意味で成立します。

それ故にイスラエルの入植行為は

国民への人権侵害である。

 

ここで米国憲法の話を持ち出すのは、

イスラエルを説得する為の話では無く、

米国がイスラエルの主張を人権問題として

支持するべきではないという主張です。

 

いわば国連として、

公開陪審員裁判の体で、

各国国民に人権問題の適性を考えてもらう機会として、

その民意の勢いと表現しますが、

その勢いでどちらの主張を支持するべきか、

政権に圧力を掛けるべきなのです。

 

米国以外では各国で難民や不法移民などへの定義は

変化しますが、

人権問題に対して善意で向き合う意識が強ければ、

自然とどちらの主張が優先されるべきか理解できます。

その上で、パレスティナ国家の

承認が必要か否かが議論されなければ成らないのです。

イスラエルが承認しないと頑なに拒んだ場合でも、

いずれにせよパレスティナ人の人権を優先した議論と成れば、

入植行為は決して認められません。

いわば国家として認める認めなくとも、

入植行為が出来ないなら、

パレスティナの自治権の中で

不法行為に対処することは保証される条件と成るわけで、

独立を認める認めないは意味が無くなるのです。

 

いくらなんでもイスラエル以外の民意は、

パレスティナ人のイスラエルに対する怒りが、

ハマスのテロ行為を引き起こしたと気付いているわけです。

テロ行為なので誰も支持する意味で

中々口に出来ないだけで、

テロに関しては被害者でも、

根本の問題はイスラエルに有る点で理解している訳です。

 

よって一応はイスラエル側に弁明機会を与えつつ、

公開陪審員裁判の形で、

人権問題を議論して

民意の支持が得られない場合は、

それを理由としてイスラエルへの不支持を表明して行く形で、

イスラエルに人道的な圧力を掛けるべきなのです。

イスラエル政府がいくら各国の政権を批難したところで、

こういう流れに成った場合は、

その国々への民意を説得する必要性が生じる為、

パレスティナへの対応も人道に沿った形で

説明して行かなければ成らなく成ります。

 

現状各国政権への批判で対応できる形では、

反ユダヤ主義だとかいう被害者面した事も、

まかり通る形になるが、

各国の民意とした場合、

さすがに現状のイスラエルの態度では

反ユダヤ主義的なイスラエル政府への嫌悪感が、

民意レベルで広がって行く危機感を察知すると講じられます。

 

現状、国家の政権レベルでイスラエルを批難したところで、

 

「パレスティナ人は難民であって国民では無い。

イスラエル国の土地はイスラエル国民の土地であって、

国民ではない難民に所有権は無い。」

 

という論理が人道的にまかり通ると信じ切っている中では、

どれだけ頑張っても自己の主張を曲げないでしょう。

そのため人道的に理解されないという事を、

民意理解という形で明確に伝え

イスラエルのリクードの様な政権では、

イスラエルの国家存続自体が国際レベルで危ぶまれる点を、

寧ろ善良なイスラエル国民に託すべきなのです。

 

正直なところ反ユダヤ主義の蔓延は望ましくない。

しかし、イスラエル国民の善意が

現イスラエル政府リクードの非人道的主張を打ち消さねば、

世界の目がユダヤ人全体を受け入れられなくなるのは、

当然の流れに成ってしまう。

 

本当に全ての人類にとって円満な解決を望むなら、

こういう流れは必要と成るわけです。

 

トランプ…とりあえずまだ、大統領と付けておきますが・・・

死んだら天国へ行きたいとか、

ノーベル平和賞が欲しいとか言っています。

 

天国へ行けるかどうかは知りませんが・・・

キリスト教的な解釈で伝えるなら、

最終的には心の問題です。

ラクダを針の穴に通すより難しいほど、

自分の心に純粋に向き合って、

「自己満足」で終わっていないかを自問自答し続け、

その上で万民に公平であったか?

万民を平和に導けたか?

その達成感が本物なら、

少なくとも苦しまず安らかな眠りに付けるのでは…

と、現実的に伝えておきます。

 

ノーベル平和賞に関しては、

イスラエルのリクードみたいな連中の言い分に耳を貸して、

人権問題を考慮もせず、

イスラエルの国としての権利だけを尊重する姿勢では、

全くもって相応しいとは言えません。

ネタニヤフとの関係を切らん空ければ、

ネタニヤフの行動がそういう目標の足を引っ張る事は、

以前のブログで伝えた通りです。

まあ、所詮はノルウェーの政府が関わる賞なので、

ノルウェー政府に圧力でも掛ければ、

案外取れなくもない話なのですが、

今度はそれで満足したら、

むしろ天国へ行く話は

自ずと自問自答の中で消えていく事に成ります。

 

キリストの皮肉の話を哲学と心理学的に伝えるなら、

神を信じるのも、天国へ行くのも、

結局は心の問題。

ラクダも心の中、いわば想像力の中で針の穴を通してしまえば、

それで用は足りるという話で、

そんな方法で納得できるかどうかも、

心理学上単純すぎて難しいと言う事です。

 

これを現実主義的皮肉屋のキリスト的な解説で伝えると・・・

神への信仰を大事に信念を持って

その自信と共に死の淵に向かえば、

少なくとも死ぬ間際に天国への門が開かれる絶頂を

垣間見れるだろう。

そして…その門をくぐった先は・・・

 

知らん・・・

「お前はもう死んでいる」

 

と、いう仏教にも通じる話に成っります。

 

まあ、幻想的な形で伝えるなら、

物語もドラマも漫画も、

先を知っていれば楽しめない。

先を知らないから今の話を楽しめるわけです。

 

まあ、トランプ大統領に天国行きの話を伝えるなら…

貴方が天国へ行けたかどうかを誰もが知るのは、

後世にあなたの功績がどう語られるかで判明するだろう。

万民に愛され語り継げれる功績を残したなら、

貴方の名前は天に刻まれるだろうが、

万民から忌み嫌われ汚名を残したなら、

その名は地の果てへと追いやられる。

これを自らの基準として死地へ挑むべし・・・

 

どうも…ショーエイです。

世界がお互いに不信感を漂わせ、

どんどんと可笑しな方向に進みつつあります。

人は何か、または誰かを信じるか否かで、

選択肢を考えつつあります。

でも、信じるか信じないかなんてものは

実は何の意味も意味がない事を

人は理解していません。

 

「あなたは神を信じますか?」

 

神を信じようが、信じまいが

世界の理は変化しませんよね。

寧ろ「神に裏切られた」とか考える方が

世界の理に反した話に成ってきます。

これは人に対しても同じです。

特定の政治家を信じるとか、

期待するとかと言うのも意味が無いのです。

大事な事は「尊重の姿勢」なのです。

この「尊重の姿勢」が無いと、

信じない相手を自然と侮蔑して見ます。

侮蔑して見ていると、

その相手の言葉の真意も疑念だけで理解します。

いわばその相手が「嘘を付いている」という疑念です。

でも本音か嘘かは結果でしか判断できない訳です。

また本音であっても、

いわば期待はずれな結果となれば

その結果としては「嘘」になるし、

「嘘」と信じても結果次第では

いい意味で裏切られたという事にも成ります。

いわば信じる信じないは所詮は運命の予測でしかない訳です。

 

人を尊重して見ると、

嘘か本音はどうでも良く成ります。

いわばその人が何を言っているか、

何を目指そうとしているのかを見極めるだけなのです。

そして選挙で誰かを選ぶ際に、

誰の話が一番自分の考えに近いかで選ぶのです。

当然、多くの有権者はこうした見方で考えていると思います。

ところが…それ以前に見るべき、

その人が人を尊重して考える人間か否かは

全く考慮してません。

アメリカの選挙戦では当たり前ですが、

誰かをディスる事は尊重の無い行為です。

それは関係の悪い国家に対しても同じです。

勿論有権者に解かりやすく伝える為の意図も有りますが、

平和的な政治を望むなら、

こうした言葉は効果を生みません。

トランプの米国は平和を

強引な米国の権威で推し進めようとしているだけで、

相手を尊重しないから

権威の届かない相手には全く通用しなくなる。

 

当ブログではトランプに期待を寄せる感じで記してきましたが、

彼をを信じる信じないは殆ど関係ないわけで、

彼が他人を尊重する姿勢で挑めるなら

彼の望む平和的な世界は叶うという事を伝えてたまでです。

しかし彼の人を尊重する姿勢が徐々に欠落し始めた事で、

現状の結果に成っているという事です。

ただ、信じるとか信じないの話では無く、

人は日々変わるし成長するという概念で、

トランプが何かを悟れれば、

また別な結果を生み出す可能性は否定しません。

ここに期待も信用も不要なのは、

トランプが現状アメリカ大統領である事は不変の状態で、

そこに変化を与えるのは2026年の中間選挙で

米国民が選択するという流れなだけだからです。

 

では日本人有権者としてどう見るべきか…

トランプに変化を与えられるだけの

言葉を持つか否かだけなのですが、

それほどの人材は見当たらないという事実だけが、

現状の話と成ります。

あえて伝えるなら令和天皇が心がけておられるような姿勢で、

政治に向き合える人材が居るならという事で、

あそこまで丁寧な姿勢で無くとも、

偏見無く尊重を示す姿勢があればという事で、

実は最近では明石家さんまさんの様な考え方は

とても好感持てる印象を抱いていると言えるだけです。

 

実は信じる信じないより大事な事は、

相手を常に尊重する事です。

内心相手を信じて無くても、

その相手を人として尊重することで、

お互いに適切な会話が生まれてきます。

これが平和的な外交の糸口であり、

寧ろ日本の一般社会でも

ビジネスの基本として浸透している部分でもあるのです。

本来言わずとも理解されるべきところですが、

いち政治的な話に成ると、

多くが本心むき出しでパワーゲームに走ってしまうのです。

パワーゲーム感になると、

ビジネスの感覚とは異なり、

どうしても信用できるか否かが先行してしまいます。

戦争に成るか否かの話の前に、

相手が攻めてくるか否かの安全性を

考慮してしまう所も有るわけです。

信用できないから攻めてくるだろうという警戒も、

結果としては戦争になる前提の話な訳です。

逆に相手も同じと考えて尊重して考えれば、

お互いに共有できる利の部分が見えてくるはずなのに…

ビジネス的な思考で考えればと思うのですが、

力の弱い立場で見るビジネスと、

パワーゲームも可能な力の強いビジネスとでは、

また異なる所で

人はどうしても強さを求めて、

思考まで力の強い立場に進んでしまうのです。

お互いが弱い立場の姿勢で交渉に挑むと、

双方で尊重の姿勢が生まれて

そこに共有できる利を模索する対話が生まれます。

逆に強い立場の姿勢同士だと

威厳や権威的な競い合いが生じて、

どうしてもパワーゲーム化してしまうのです。

これはどちらかが強い立場でも同じで、

結果として弱い側が屈服を示さねば交渉の成立はしません。

外交上でパワーゲームのエスカレートは、

戦争を引き起こす流れに成るわけです。

 

お互いが対等である場合、

尊重の無い姿勢の相手とは交渉すらしません。

これは信用するしないの話ではなく、

尊重の無い相手にはこちらの意図が通じないからという事です。

逆にビジネスでも経験した方々も多いと思いますが、

尊重の有る姿勢の相手だと、

こちら側の意図を汲み取った上で、

相手側の意図を伝えてきて、

双方の会話は円滑に進みます。

最終的にはお互いが

妥協できるか否かの瀬戸際での交渉に成り、

妥協点が成立しない場合は不成立に成ります。

しかし、円滑な対話の中で

双方の関係性の悪化は避けられるのです。

 

実は信用するかしないかでは相手の本音を探る事は難しく、

お互いが腹の探り合いをするだけの、

タヌキの馬鹿しあいに成ります。

尊重ある会話か否かで判断すると、

所詮はタヌキと言う動物の態度は手に取るように解かります。

寧ろ尊重の無い相手は会話すら通じない相手として見なせます。

尊重のある相手だと交渉上の言葉のやり取りの中や、

妥協点を探る中で自然と本音が見えてくるのです。

ある意味、お互いが尊重し合う会話故に、

下手な馬鹿しあいは通じない事も

双方で理解されるのです。

 

タヌキの馬鹿しあい状態になる話は、

ロシアとウクライナと言うより、

ロシアとヨーロッパの関係でも言える話で、

ヨーロッパはロシアを信用していないから、

あからさまにロシアへの尊重の念が欠けてきます。

逆にトランプはロシアのプーチン氏を

友人として信用していたかもしれないが、

寧ろその友人を尊重していないから、

友人の怒りを理解できていない。

誰でも誰かが侮蔑を示せば気付くわけで、

その侮蔑の中では決してその怒りは拭えません。

 

この面白い話がウクライナ紛争発生直後に

米国議会でCIAがプーチン氏の精神鑑定をj報告した内容にあり、

米国の主だった人々は戦争に走ったプーチン氏を、

狂っていると想定していたが、

CIAの報告はただ単純に、

「プーチンはとても怒っている」

とだけ報告したのです。

この報告を聞いてCIAの分析が如何に正確であるか、

理解できた人は殆ど居なかったのも事実な話で、

まして「何に怒っているか?」という

質問すら発送できない有様だったわけです。

いわばたた「短気に走った」と理解したのでしょう。

CIA位に分析技術のある組織なら、

政治家や民衆の理解力を想定していたとも考えれる分、

それ以上の説明は現状無意味とも考えたかも知れません。

 

傍から見ると、「信用しない姿勢」と

「不遜な相手と交渉しない」は、

同じ態度に見えてしまいますが、

そう見えてしまうのは

自身の分析力の欠如だと理解した方が良いです。

適切な分析力は勿論、

すべてを尊重する姿勢から生まれるもので、

その中で尊厳ある態度と不遜な態度の分別から、

心的作用が絡み合う部分を見極めて

判断して行かなければ成らないのです。

 

まあ、不遜な態度に怒りを示せば、

普通の人にはそれは不遜な態度に見えてしまうのですが、

「怒ったら負け」みたいな平和ボケした哲学で考えると、

戦争をひきおこしてしまうという話です。

 

まあ、色々な話でネット理論みたいな感じが、、

社会で蔓延してるけど…

例えば商売の基本である

「お客様は神様」という言葉…

客が自分は神様だと主張するのは

明らかに不遜な態度です。

言葉の真意を考えずに、

言葉尻だけを捉えて理解する発想そのものが、

尊重の無い思考なのです。

 

「お客様は神様の様に接しろ」

この真意は接客の際の姿勢を示しただけの言葉で、

「お客様を神様と思え」

なんて意味で人間の権利を

奴隷化する表現で伝える訳が無いのです。

いわば

「お客様を神棚を扱うように丁寧に扱うように」

という意味なだけで、

接客態度に腹を立てた客が、

「お客様は神様だろ!!」

とクレームを付けるのは

逆に人間の権利を無視した不遜な言葉に成るのです。

最近ではこういう言葉は廃れつつ有り、

寧ろ「客は神様じゃない」

という感じが接客の中で蔓延し始めている。

いわば今度は接客する側のクレームに対する態度が、

寧ろ不遜な形に成って来ている訳です。

 

またキリスト教の教えで、

「右の頬を打たれたら左の頬をだせ」

殴った側がこれを要求する話になると、

本当に意味不明ですよね。

ほぼ言ってることはパワハラです。

まあ、左の頬を出して後で損害賠償請求しちゃえば、

逆に儲けものなんですが・・・

 

とにかく尊重のない思考が横行すると、

折角の名言も宙に浮くように軽く成っちゃうんです。

 

1974年のサッカーワールドカップに優勝した

ドイツの主将フランツ・ベッケンバウアー氏の言葉です。

「強い者が勝つのではない、勝った方が強いのだ」

 

その決勝の相手は当時最高の選手と評された、

ヨハン・クライフ率いるオランダでした。

ベッケンバウアー氏に尊重を示さずに

この言葉を理解すると、

「自分が勝ったから強いのだ」

なんて意味に感じます。

何だかただ勝利に浮かれているだけの人の言葉に感じます。

でも、ベッケンバウアー氏を

人間として尊重した上でこの言葉を理解すれば、、

「相手は本当に強かった、しかし今回の自分たちはそれ以上に強かったから勝てた」

という言葉で、相手に敬意をしめした言葉に捉えられます。

まあ、真意はどちらかは知らないとしても、

ベッケンバウアーという偉大な選手に敬意を示し、

彼の名言として伝えるなら、

後者の方で理解する方が

尊厳と重みが伝わる言葉に成るのではと思うのです。

まあ、一般的に伝わる解釈で

「強いから勝つのではない」

という事なら、寧ろこの言葉より、

「勝敗は時の運」と語る方が意味が伝わるわけで、

何の鍛錬もせずに強い相手に挑んで、

チートや反則かなんかで勝った挙句に

言える言葉にしないで訪しいですよね。

せめて哲学的な言葉で残すなら、

「強者を前にしても、それに挑む強さが勝るほうが勝利する」

という形で解釈したいものです。

 

実は人を信じるか信じないかというのは、

スポーツの予測と同じで、

当時のオランダが勝つか、

ドイツが勝つかを信じていたようなものなのです。

結果が出るまで解からない。

歴史的に見ても偉人たちが

信じてた人に裏切られたなんて話は

当たり前の様に起ってきた訳で、

カエサルはブルータスに、

信長たまなんて、浅井長政に荒木村重、

まあ、色々と裏切られたもので、

タイミング悪く本能寺の様な形に成ると、

さすがに死にますわな…

 

人間どれだけ相手を尊重しても、

相手の都合までコントロールすることは適わない訳で、

相手の都合が悪ければ、

意図せぬ事態を招いてしまう。

これは人間の嵯峨なのかな・・・

 

こうしてキリストの話を思い浮かべると・・・

キリストが十字架を背負う姿を教えとして残した意味は、

キリスト教徒たちにこういう人間の嵯峨として

常に十字架を背負って生きる定めを伝えたのかもしれない。

その上でキリスト教徒の人々は、

人を尊重する規範をしめしたキリストは、

偉大な教えを広めることで、

後世にも残る偉人として伝わっているのだと理解して欲しい。

まあ、今問題の欧米の人々に伝えるなら、

こういう言葉の方が説得力を持つのかなと…

 

尊重を以て接することで、

人の真意を感じる力は養える。

されど人の都合は其々で、

尊重を示しても覆せぬことも多々起こりうる。

都合というのは本人の意思のみならず、

生活や家族、友人関係など様々な要因で構成されるため、

個々の決断において容易では無いものである。

一方の尊重が多を示すものでは無く、

それは他人にとっては多の一部にみたいないものだと、

自然の摂理を尊重しなければ成らない。

日本人にも伝わるように、

森羅万象的な表現だとこんな感じです。

 

人を信じるとか信じないと言うのは、

神様を信じるか信じないかと同じ事。

結局は何の意味も無いのです。

神様を崇めてその教えを尊重する様に、

人を尊重し自然の摂理を尊重することで、

探求を極めて見識を広めるに役立つということです。

勿論、その見識をどう活かすか殺すかは、

その人次第という事です。

ただし、浅い見識では深い迷宮に心は迷い込んだままで、

自らの支離滅裂な思考を

他に晒している事すら気付かず、

尊厳の無いみすぼらしい生き様を

歩みつづけるだけなのです。

仮にそれで運よく力を得ても、

それは歴史という舞台で恥ずべき者としての宿命を

得ただけにすぎない存在になる。

それでも酒池肉林、

その生を謳歌したいだけの人生も、

それはその者の都合である