どうも…ショーエイです。
今。世界中では可笑しな正義感が蔓延している様に見えます。
ところで正義って何ですか?
法律上の正義であったり、倫理上の正義、
社会的正義やらと色々ありますが、
殆どの人が実はどれもごちゃ混ぜで、
矛盾した主張を理解できてません。
LGBTに関して言えば、
倫理上の正義の話なら、
LGBTの権利は当然認められるべきと考えますが、
生物学上の正義では異質な行為を
社会的に認めて寛容化するべきではないという事にも成ります。
そういう意味で社会的正義の立場で考えた場合、
法律上では自然学的な意味から
婚姻というのは、
基本的には種族保存を意味する
家族構成の成立で設けられた制度であり、
人類がそれを伝統的な制度として受け継いできた経緯も含めて、
これを変異させては成らないという事に成ります。
その上で倫理上の権利として
LGBTのパートナーシップに関しては、
婚姻と言う人類の伝統に触れることは許さずとも、
婚姻と同等の社会的権利は付与されるべきという形が
適切という事になるのではないでしょうか…
その上で
「ソーシャル・パートナーシップ」
というものを設けるのです。
これは夫婦別姓にも対応したもので、
LGBTに限らず男女でも選択可能な制度として
新設するのです。
特に日本では夫婦同姓が伝統的な制度な訳で、
外圧によってこれを覆す必要性はありません。
むしろ国のアイデンティとして、
これらを保持するべきと言っておきます。
そうした選択の幅を広げる意味で、
現状は婚姻という伝統的な制度と、
ソーシャル・パートナーシップという新しい精度で、
分けた形で法制化するべきと言っておきます。
いわば夫婦別姓で夫婦関係に移行したい場合、
または同性同士で夫婦関係に移行したい場合は、
パートナーシップの方でという事です。
それによって社会的には、
伝統的な婚姻制度を選択するか、
新しい形の夫婦関係を選択するかの
2択が与えられるという意味になり、
LGBTのみが差別化された制度では無い事にも成るわけです。
社会に伝統的な制度か、
新しい精度かの選択肢を与えるっ事で、
憲法上の幸福追求の要望に、
ほぼ対立する双方の権利が認められる形と成るわけです。
正直、これ以上の議論は不要です!!
これは米国の合衆国憲法にも有りますが、
日本の幸福追求の権利の意味も含めて、
マイノリティの保護に該当します。
欧米というより欧州の方が強いのですが、
例えるならLGBTの権利に関して、
以前はその主張がマイノリティだったものが、
現状ではマジョリティに成った状態です。
では、生物学的や伝統を重んじるある意味保守的な意見は、
現状マイノリティに成るわけですが、
彼らの見識を無視しても良い話かと言うと、
科学的な根拠も含めるとその主張の正当性、
いわば正義は成立する訳です。
ここでいう彼らの正義は、
人類の自然学的な種族保存の作用にたいする主張で、
必ずしもその主張が間違いであるとは断定できないものです。
そうした中間線を吟味して考えるのが
本来の政治な訳ですが、
高飛車な言い方をすると、
最近になって普通の人間では
この領域にすら到達できないという事に気づいたわけです。
これはあくまでk学的に法律や権利、
そして社会のバランスを調整して考える領域です。
ただ単に自己主張だけで正義を語る程度では、
思考すらせずに多数決に頼るだけの世の中にするだけです。
ただ、民意が結局、そういう程度の政治を選ぶゆえに、
憲法が保護している部分すら理解せず、
多数決正義をかざしてバランスを崩壊させていくのです。
科学的には三権分立という形で、
司法、行政、立法が監視、監督する
システムに成ているのですが、
元々がかなり知性が高い人にしか
解からないシステムだった様で、
知性の低い人間が要職に付いた状態では、
そこに民主主義が適正に機能する為の
重大な役割が有る事すら気付けないらしいのです。
独裁者で知られるヒトラーは民主主義から誕生している。
英国の政治家の主張をひっくり返して言うなれば、
ヒトラーも選挙を勝ち取ってあの地位に上り詰めた訳です。
これはトランプも含めて、
更には民主党の重鎮ペロシ(元下院議長)も同じだが、
誰もが権力を握って自己の主張を押し通す為に、
独裁者になる道を知ってか知らず下で歩んでしまうのです。
人間議論は労力が居るし、
相手を説得しようとも、中々噛み合わない。
相手が合理的かつ科学的な議論を出来るなら、
その議論は充実したものと成るが、
一般的にはお互いが一方的な正義をぶつけ合うだけで
終わってしまう。
合理的かつ科学的な話に説得力を持たせるには、
言葉を選んで解かりやすくする労力がかかる。
実はこの労力は計り知れないもので、
それでも自己の正義に
執着しているだけの程度が多すぎて、
伝わらない。
故に力でねじ伏せておくほうが
スムーズかつ楽なのです。
独裁者を世の中は批難しているが、
寧ろ誰もが独裁者に成ろうとするのだと言うことを
理解しなければ成らない。
そして小さな会社も含めて、
権力の頂点に立った時点で、
その決定権が有る故に、独裁は成立するのだ。
その独裁を監視する意味で、
会社なら株主総会、
政治なら立法、行政、司法が存在するのだが、
全ては力関係でいかようにも
崩れてしまう事を知っておかなければ成らない。
そうして考えると・・・
独裁者であることを批難することは全く意味がないのだ。
ほぼ権力の中心に居る人間の99%が
そこを自然と目指してしまう行為なのだから、
それを否定して相手を信用しないという主張は、
ほぼその人本人も信頼に値しない事を
言っているに過ぎないのです。
その上で大事なのは何を言っていて、
何をしているかなのです。
まあ、ここでウクライナ問題の処理に関して、
トランプの言い分が正しいとか、
ロシアの主張が正しいとか、
と言っても理解できない人には理解できないわけです。
では…今のまま戦争を続けさせることが正しいのか?
では・・・どうしたら戦争が終わるのか?
ウクライナが勝つまで続ける?
それで犠牲に成るのはウクライナの人々?
それとも戦線を欧州全域まで拡大させる?
ウクライナを支援し、ロシアを嫌う人々にとっては
負け戦に成るから?
まあ、そうだろうね。
ゼレンスキーにしても、
このままでは無駄な戦争に踏み切っただけの人に
終わってしまうでしょうね。
別にロシアが負けるまで戦争を続けさせても良いけど…
そこにどんな正義が存在るの?
先ず、多くの人が勘違いしているようだけど…
世界全体全体で完全な平和は確立してません!!
軍事的な緊張が残存している状態にある事を、
全く理解していない。
その上でウクライナに軍事同盟であるNATOの勧誘に乗り出す、
ウクライナの民意に働きかけて加盟を促す。
これらを全て軍事的な姦計、謀計と位置付けます。
ある意味革命を扇動するような行為でも有ったわけで、
それに対抗して同じ様にクリミア半島を吸収したロシアは、
NATOと同じ手法で
ロシアの軍事的な拠点を維持したという流れに成ります。
正義が平和を維持する意味語られるのなら、
こうした軍事的な挑発、姦計、謀計が発生する状態は、
平和と逆行する一方的な安全保障の主張に過ぎません。
結果、戦争に発展すればその安全保障は政策として失敗です。
その上でのロシアの提案は、
ウクライナの中立性の維持をNATOが担保する事でした。
それに対してNATOは民意ならばという主張で拒否した訳で、
寧ろ民意が流行に流される状態を利用した形に成ったわけです。
民意というのが一見、
民主主義の意味で正義に感じている人も多いとおみますが、
先にも述べた様に、
ヒトラーはその民意によって誕生した訳です。
更には、現状イスラエルのネタニヤフの様な人間を見ると、
反ユダヤの感情が芽生える人も出てきます。
パレスティナ問題で
ユダヤ人の全てが悪いわけでは無いのですが、
流れによってはユダヤ人全てを敵視する人も出てきます。
民意の流行がそういう嫌悪の感情に進めば、
再びヒトラーの様な大量虐殺を行う人間を
支持する流れにも成るのです。
NATOはウクライナ人の反ロシアの感情を利用して、
NATO加盟を「暗に!!」促す形で働きかけた訳ですが、
軍事的な緊張が続く状態であり、
国際社会での発言力で
欧米が優位性を確保する目的で考えるなら、
この行為はNATOの侵略と見なしても可笑しくは無い話です。
昨今、欧米の主張が
内政干渉を通り越して聞こえてくる状態で、
こうした一方的な主張が
支配的に受け入れられる環境を目指しているのは明白です。
いわば欧米の独裁的な支配です。
誰もが独裁者に成ろうとする話で伝えたのと同じで、
ロシア、中国、
そして更にはアラブ諸国であり
イスラム圏の主張からの反論を
一蹴出来る状態にしたいという形です。
欧米の」人権問題や環境問題に対する取り組みを
否定もしないし、寧ろ肯定してますが、
内政干渉の下で他国の文化や社会を逆に否定することは、
むしろ欧米が尊重する権利の主張に反する行為なのです。
ここを履き違えると戦争やテロの発生に繋がる事を、
先ず理解するべきと言っておきます。
そういう意味で国連には内政不干渉が有るのです。
本来、ウイグル問題同様に人権問題と関わる話の場合、
相手の内政問題に関する部分は考慮した上で、
一歩引いて交渉を進めるべきです。
虐待や虐殺が生じている場合は、
その改善を主張するのは問題ありませんし、
それに対する制裁処置は有効手段です。
しかし、言語教育に関する問題を虐待と主張するのは、
見当違いにも成り、
テロ抑止の為の監視も内政問題として
考慮されなければ成りません。
監視せずに中国でウイグル人のテロが発生して、
欧米が独立運動だから問題ないとすると、
それは軍事緊張下では姦計、謀計によって
人権問題で口を挟んだ国が
侵害行為を扇動したことに成るからです。
その上でどういう扱いが人権問題として適切であるか、
内政問題と人権問題改善を調整して行かなければ、
謀略を狙っている形にしか見えなくなるのです。
欧米更には日本も含めて、
政治家は軍略的な知識が無いのか、
それとも子供の様に戦略ゲームで考えているのか、
何れにしても彼らの語る安全保障は
平和を維持する話とは異なり、
ただ単に緊張を高めているだけの間抜けな思考なのです。
一般大衆がこうした話に疎いのは、
所詮は平和ボケ教育しか受けておらず、
レベルが低いので仕方のない話とも言えますが、
最大の安全保障は平和の維持であることを踏まえて、
何が対立を生むのか、何が調和を齎すのか、
よく考えて見れば解るはずと言っておきます。
漫画やアニメの様なレベルで
正義を考えている人が多いようですが、
寧ろ、最近の漫画やアニメの作品で見受けられる、
正義とは何かを問う形を真摯に考えた方が良いです。
ある意味、正義を個々の倫理基準で
考えている人が多いわけですが、
人が人を殺してはダメだと言う話なら、
自分の信念として生きるだけにすればいいのです。
倫理観でそう唱えながら人の心を平気で傷つけて、
中には知らずか自殺に追い込む人間もいるわけだし、
法律で禁止されているから人を殺さない人も多く居ます。
寧ろそういうクズを見たら殺したくなるという人も居る訳で、
人によってはそれも正義です。
結局は正義と称した倫理観のぶつかり合いで、
最終的にはテロや戦争が発生する訳です。
ここまで語ってキリスト教の教えが主流の
欧米の人々にに伝えるなら、
キリストの「自分を愛するように隣人を愛せ」
という哲学をもっと深く理解して欲しい。
キリスト教徒じゃ無からか、
哲学として理解しているからか、
この言葉にはとても深い意味が有るわけで、
孫子の兵法で言うなれば、
「戦わずして勝つ」という哲学にも成る。
孫子的な表現でこの哲学を語るなら、
己を知り、相手(敵)を知らば百戦危うからず、
尚以て、交渉(外交)を以て相手を制する事、これ最良の策成り。
戦わずして勝つは己の得る利と定め、
相手の損を求めるはこれ即ち下策なり。
実は平和を追求する哲学としては
「自分を愛するように隣人を愛せ」と同じ事。
まあ、哲学では無く、
表面上の言葉で考える人には
理解できないかもしれないですが、
そういう時は、
「別にアホな隣人まで愛せ」とは言ってないからね。
と、言って上げましょう。
いわば…相互理解が成立しないなら、
孫子の兵法同様に、下策でも良いよという話で、
だったら「殺し合いで決着付けようか?」
という意味でも有ります。
相互理解さえ成立すれば、
人は争うことなく平和的に利益を共有できるという哲学なのです。
まあ、信長たま的正義を語るなら、
「平和と秩序を理解できない者は全て排除」
に成ります。
相互理解という事をここで伝えましたが…
これって中々成立しないですよね。
と、言うのも教育レベルが低すぎるからです。
学校教育のみならず、書物のレベルも低すぎて…
孫子の兵法の中訳書など色々出てたり、
ビジネス応用とか出てたりするけど、
「敵を知り」という意味を、
相手の情報を知る事に集約して考えている点です。
先ず、同じ孫子とされる孫武の記した内容と孫ピンの記した内容では、記憶が確かならと言っておきますが、
確か言葉が逆なのです。
本家孫武の方は
「己を知り、敵を知らば…」
そして孫ピンの方は、
「彼を知り、己を知らば…」
解からない人も多いと思いますが、
これ言葉が逆だと、思考も逆に成ります。
孫ピンの表現に成ると、
相手の情報を知ってから、自分の事を考える意味に成り、
相手の情報を精査した上で、
自分の戦力などを考慮して作戦を練る様な意味に成るわけです。
実際にエピソードも、
相手の癖を見破って計略に嵌めた形で描かれるわけですが‥‥
とにかく敵を知る事が大前提で、
己を知る部分に関しては
寧ろ相手に己を知られないように隠す形に成ります。
基本的に一般の人には
これが常識という意味で理解されるでしょう。
実は孫武の意味も、言葉が逆に成っているのに、
同じ意味で考えている人ばかりなのです。
まあ、孫ピンが孫武の子孫だから、
同じ意味で理解したと錯覚した人が多いのも無理は有りませんが、
数千年の歴史を通してもこの違いを解説した人が居ない、
もしくは解説しても残っていないのは残念な話です。
勿論、相手に情報を知られないようにするのは当然ですが、
己を知るが先に来る場合は、先ずは己の状態から精査します。
どの情報が敵に漏れていないかを考えるより、
全て情報が洩れるだろうっという事を想定して、
記憶を遡って敵がどういう情報を手にするかを考えるのです。
そんな奴歴史上に居たか?
実は日本だと織田信長が居ます。
関所を撤廃することは、寧ろ他国の間者に無防備に成ります。
その状態でも戦に勝てたわけです。
長篠の戦いでの酒井忠次とのエピソードが有るように、
敵の間者が潜んでいる事を想定して常に行動している訳です。
話を戻して、
己の状態から精査すると、実は敵の見え方が全く違うのです。
考え方は相手が自分を相手に何を探るか、
そして何を考えて戦うか、
更には相手の目標は何に絞られるだろうか…
など、と相手が考えそうな事を思考し、
それに対応する守りを固めます。
同じ様に感じるかも知れませんが、
相手の情報に対してもここで見え方が異なるのです。
先に相手が自分に対して想定しそうな事を考えている分、
入ってくる敵方の情報でおおよその見当が立ってくるのです。
いわば一番見えやすい情報である行軍進路だけで、
ほぼ相手の作戦が見えてくると言っても良い話です。
更には己を考える上で、相手が自分を潰す場合、
どれだけの軍備を備えてくるか、最大限に想定して考えます。
ここが孫ピン兵法との大きな違いに成ります。
ただし、孫ピン本人がそうだった訳では無く、
孫ピン兵法を解釈した人たちの話に成りますが、
敵の情報をつぶさに探りを入れて精査している場合でも、
その情報が正確な場合も有り、そうで無い場合も生じます。
ただし、情報を精査しているという自意識から、
敵の軍備をピンポイントで割り出そうとするのです。
現代でも、MI6、MI5という英国の諜報部隊やCIAなどが
ロシアの兵力や軍備を見誤った位です。
確かに現存兵力や軍備などは正確だったかも知れませんが、
生産力や増強力という部分では
過小評価していた可能性は伺えます。
勿論、ロシア側もNATO総掛かり相手に想定してたわけですが、
ウクライナの抵抗力を見誤っていた感じです。
孫武の残した言葉には、
「兵は詭道成り」という言葉も存在し
戦は騙し合い故に臨機応変に対応せねば成らない、
と、言う言葉も含めて考えなければ成りません。
いわば自分の手にした情報が正確か否か、
相手が騙す為に流したデマか…
相手の情報に頼るとそうした所で目算を誤るのです。
逆に己から考え、
自分が敵側の人間ならどう考えるかを想定している場合、
自分が行うだろう癖であり戦術も見えてきます。
いわば自分が敵を知ろうとするように、相手も自分を知ろうとする。
「己を知り、敵を知らば」の中にはここも含まれます。
敵が自分に対して備えてくるだろうこと、
自分を粉砕するのに考えそうなこと、
これらを見据えて最大限にどう備えてくるかで思考するのです。
99%の人が孫子を知って孫子に至らずで終わる。
多くの人が孫子を知っているのだが、
孫子に至る人は殆ど存在しないと言っていいです。
孫武のもの孫ピンのものどちらでも、
そこに書かれた文言を解釈して理解する人は多いが、
結局、総括した意味を理解できる人は殆ど居ないです。
孫子が伝える真髄は、
敵は同じ人間で
自分と同じ様に考える相手であるという事でしかない。
「百戦危うからず」という言葉も、
「百戦百勝」と解釈する有様では話にすら成らないです。
最終的に自分と自分が戦った際に、
どういう形の決着が「危うからず」に値するのか…
自分同士で死ぬまで力の限り戦う事なのか、
それとも自分同士で利を分かち合う事なのか、
最終的にはそういう話で有るのです。
こうした事は倫理的な意味で理解しないで欲しい。
これはあくまで自分の利を追求した話で、
結局のところ争って利を奪い合うより、
利を分かち合う方が、
危うい状況を回避できる最良の選択だという事です。
正直な話、
一般社会でも相互理解できるもの同士なら、
全く争うことは無いのですが、
人間に他人への不信感が存在する限り、
人間同士なかなか簡単な話ではないのも事実です。
少なくとも国家間同士であり、高尚な政治レベルでは、
こうした垣根を取り払い、
上手く付き合っていける世の中に成長して欲しいものですね。